ヒトラー 『わが闘争』

読み終わって、しばしボーゼンとしています。

昔の、字が大きくなる前の文庫本で、上下計900ページを超える本だということもあります。また訳の日本語が何を言っているのか良くわからない所がたくさんあるということもあります。しかし何よりこれはすごい本です。こんなすごい本だったんだ、ということに感動しています。
ヒトラーというのはこんなすごい本を書くことができた人だったんだということに感動しています。

この本の『序言』で、ヒトラー自身
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人を説得しうるのは、書かれたことばによるよりも、話されたことばによるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にでなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということをわたしは知っている。
けれども教説を規則的、統一的に代弁するためには、その原則的なものが、永久に書きとどめられねばならない。それゆえ、この両巻を、わたしが共通の事業に加える礎石たらしめんとするのである。
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と書いています。
で、偉大な演説家らしく、この本も拘置所で禁固刑に服している間に口述したものを元に、彼のブレインが本の形にまとめたもののようです。

この本は非常に読みにくい本です。大部だということもありますが、日本語の訳文が良くわからない所がたくさんあるというのも読みにくい原因だと思います。例によってこんな時は英訳を参考にしようと思ってネットで英訳を引っ張ってきて、それを読む分にはごく素直に理解できます。多分原文のドイツ語をそのままできるだけ忠実に日本語に直そうとして、かえってわけのわからない訳文になってしまったのかなと思います。

普通文章を書くことを専門にしている人の文は、途中でわからない所があると、そのあとニッチもサッチもいかなくなるのが普通ですが、「序言」にもある通りこれは大演説家の演説ですから多少意味がわからない所があっても何とかなります。文章と演説の違いは、文章は一語一句をゆるがせにせず、その分何度も読み直し・読み返しすることができる、というものですが、演説の方は時と所、相手によって同じことを何度でも繰り返す、言い方を変え相手がわかるまで何度でも繰り返すというものですから、途中多少わからなくてもそのまま読んでいけば全体として何が言いたいのかがわかります。そんなわけで英訳を参照するのはすぐにやめてしまいました。

この本を読んで何より驚くのは、内容が非常に論理的でまた緻密だということです。もちろん、論理的だ、ということは、正しい、ということと同じではありませんが、論理的である分、非常に説得力があります。

ユークリッド幾何学はほんの少しの公理から出発して平面幾何・立体幾何の膨大な定理を証明してしまっています。ニュートン力学は相対性理論と素粒子論が登場するまで、万有引力の法則一つでありとあらゆるものの動きを説明し尽くしていました。キリスト教の神学も全能の神の存在と三位一体で全世界のあらゆることを説明し尽くします。この『わが闘争』では、ドイツ人が一番優秀な民族で人類の素晴らしいものは全てドイツ人の発明だ、ということと、世界の悪いことはすべてユダヤ人の陰謀だ、ということ、あと優秀な民族と劣等な民族が混血すると劣った方は少し優秀になるけれど、優秀な民族の方は劣った方に引きずられて優秀でなくなってしまう、という、現在の生物学では多分肯定されないような生物学理論とで、世界中のありとあらゆることを説明し尽しています。

科学的な考え方、というのは、ある仮説を立て、その仮説に矛盾する反証がなく、その仮説でいろいろなことが説明できればできるほどその仮説の正しいことが証明されたんだ、とする考え方です。その意味でこの本は非常に科学的なアプローチをとっている、とも言えます。

エネルギーに満ち溢れていて、現実の世界のことをまだあまり良く知らないけれど、正義感は非常に強い、という若者がこの本を読むと、完全に取り込まれてしまうリスクは高いと思われます。いくつもの国でこの本が禁書になっているのも良くわかります。

上巻は『民族主義的世界観』という表題ですが、主にヒトラー自身の生い立ちから、戦争が終わって『ドイツ労働者党』を乗っ取ってナチスを立ち上げて発展させていくまでの経歴を軸に、ヒトラーの立場からの歴史や世界観が書かれています。

下巻の方は『国家社会主義運動』というタイトルで、ナチスの考えを理論的に解説しています。

第一次大戦でドイツに革命が起こってドイツが負けたのはユダヤ人の陰謀で、ほとんどの新聞はユダヤ人に牛耳られている。多数決原理にもとづく民主主義もユダヤ人の陰謀だ、マルクス主義もユダヤ人の陰謀だ、と悪いことはほとんどユダヤ人の陰謀になってしまいます。

大演説家だけあって、新聞の力を大いに評価していますが、ドイツの新聞はほとんどがユダヤ人に支配されているのでほとんど信用できない、と言います。低俗紙は支離滅裂なことを書き散らし、高級紙はそういう低俗紙を批判すると、ついなんとなくそんな高級紙の記事を信用してしまいそうになるけれど、それも全てユダヤ人の陰謀だ、ということになると、納得してしまう人も多いかもしれません。陰謀、というのは本当に何かを説明するのにオールマイティーのジョーカーみたいなものです。

テロに対抗するにはテロしかない、と言って実力行使・暴力をむしろ積極的に肯定するとか、民主主義を否定する所などは抵抗がある人も多いかも知れません。

ナチスの集会を潰そうとする左翼の労働組合の活動家との、暴力対暴力のぶつかり合いも、なかなか迫力があります。

第一次大戦に負けて、今後のドイツの行動方針をどうすべきか、対外的にどの国と仲良くすべきか、ドイツ人を養うための土地をどこに求めるか等、歴史についても外交についてもかなりしっかり考えられています。
もともと植民地を増やそうとして海外でイギリスなどと争うのが間違いで、ドイツ人が全員十分に食べていけるだけの土地をまずヨーロッパで確保することが最優先のテーマで、植民地はその後だ、ということですから、ポーランドからロシアの土地をぶんどろうとしているのは明らかです。
ロシアについてはまるで評価せず、仮に同盟したとしても単なるお荷物になるだけだ、と簡単に切り捨て、その代わりにイギリスを高く評価し、同盟するならイタリアとイギリスとの三国同盟だ、と明言しているのも『ヘーッ』てなものです。
ここまで明確に書いてあるので、その後ヒトラーのドイツがスターリンのソ連と同盟を結んだ時、世界中がびっくりし、日本などはそれだけで内閣が吹っ飛んでしまった、というのも、そういうことだったのか、と納得できます。

実はこの本はもう10年位段ボール箱の底に眠っていたのですが、一連の第一次大戦からナチスがドイツの政権を取るまでの歴史の本を読んで、ようやく『機は熟したかな』と読む決心がついたもので、この事前準備がなかったら、読んだとしてもあまり良くわからなかったような気がします。事前準備としてはこのブログで紹介したいくつかの本のほかに、さらにオーストリアに関する本をもう2冊読んでいます。

一応読み終わって、さて改めて英訳を読んでみようかどうしようか考えています。英訳だとかなりわかりやすいとは思いますが、何しろ900ページにもなるもの(私がネットで手に入れた英訳のpdfは1,000ページほどのものです)ですから、かなり覚悟が要ります。

この本の最後に訳者の一人が解説を書いていますが、その最後に
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わたくしはここで、ルソーが『社会契約論』で述べている言葉をつけ加えれば満足である。『マキャヴェルリは国王たちに教えるようなふりをして、人民に重大な教訓を与えたのである。マキャヴェルリの『君主論』は共和派の宝典である』。もちろんヒトラーは人民に教えたのではないが、わたくしにはやはり人民の宝典の価値を持つように思われるのである。
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とあります。
確かにこの本は『人民の宝典』かどうかはわかりませんが、貴重な本だと思います。
興味があったら、読んでみてください。チョット覚悟がいりますが。

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