植物の本・・・2冊

しばらく前、植物が雨に濡れる話の本(『作物にとって雨とは何か』)を読みました。

これで改めて『植物』というものが面白くなって、何か読んでみようと思いました。とはいえ専門書みたいなものはちょっと読めないなと思って、そうだ、ブルーバックスという手があるじゃないかと思いつきました。

そこで『植物』と『ブルーバックス』とのキーワードで検索し、面白そうな本を借りて読んだうちの2冊を紹介します。

ひとつは『エンジニアから見た植物のしくみ』というもので、もともとの植物学者でないエンジニアが仕事の関係で植物の勉強をし、感じたこと、わかったことが書いてあります。話題も具体的で、茎と幹の違い、葉の形、根の役割、花、種子、環境(光・乾燥・低温・高温・有害物質・大気汚染またウィルス・外敵・病原菌等)に適応する仕組み、などになっています。このあたり、エンジニアの視点でいろいろ考えたりしているので、わかりやすく面白い本です。

著者は工場の廃棄ガスの窒素酸化物を含む二酸化炭素ガスを与えて水中の藻を増やす仕組みを工業化しようとしており(これで、排気ガス対策と、地球温暖化対策の両方を一度に片付け、さらにバイオの再生可能エネルギーを手に入れようという虫のいい話です)、藻類の話もいろいろ書いてあります。

もう一つの本が『植物はなぜ5000年も生きるのか』というもので、題名からすると植物の本のようですが、サブタイトルが『生物にとって寿命とは何か』になっているように、植物についてだけでなく動物も細菌も全てひっくるめた生物全体の話を『寿命』というテーマでまとめて解説しています。

生物全体の本というのはどうしても動物中心になってしまいがちなのですが、この本は著者が植物生態学の専門家ということもあって、動物と植物の取り上げ方のバランスが絶妙で楽しく読めます。

この本のテーマの『寿命』というのは平均寿命ではなく最長寿命のことです。動物にしても植物にしても最初のうちに圧倒的に多くが死んでしまうので、平均寿命を計算したら数千年生きる屋久杉でもせいぜい1-2年くらいだろうなんて話で、若死するものは除外して、生物は種ごとに最高何年生きられるんだろうという話です。

動物は組織が分化し、その組織の細胞が死ぬと新しい細胞が置き換わっていき、生きている細胞だけでできていて、ある組織の細胞がみんな死んでしまうとその動物自体が死んでしまう。これに対して植物は細胞が死ぬとその抜け殻が残り、生きている細胞と死んだ細胞の抜け殻でその植物が構成され、長寿の樹などではほとんどが死んだ細胞の抜け殻だ(我々か普通、木、だと思っている部分は、そのほとんどが抜け殻の部分のようです)とか、何千年も生きている屋久杉などでもほとんどが死んだ細胞の抜け殻で、生きている部分はせいぜい30年くらいの寿命だ(次々に新しい部分ができていき、古い部分は死んで抜け殻になっていく)なんて話は面白かったです。

寿命に関しては、昔(20世紀の前半頃)は『細胞は適当な環境で培養すれば無限に分裂を繰り返す』という説が一般に信じられていて(それを証明したカレルという学者がノーベル賞を取った大先生だったこともあったようですが)、それをひっくり返したヘイブリックがその間違いを指摘するまで約半世紀もかかったなんて話も出ていて、最近の小保方さんの大騒ぎと合わせて興味深いものでした(このカレル先生の間違いは培養液に生きた細胞が混じっていて、その細胞が生きていることをもともと細胞が生きているものと思い違いしたということのようです。と言ってしまうと簡単ですが、半世紀にわたって学会の常識となっていた大先生の教えをひっくり返すのは大変だっただろうなと思います)。

また『ヒガンバナ』いう植物は、花は咲くけれど種子はできないので、球根で増える。すなわち全て元のもののクローンで、このヒガンバナ、縄文時代に日本に持ち込まれてそれが日本中に広まったものだということで、だとするとヒガンバナは縄文の時代からずっと生き続けている寿命何千年というものだろうかという話、動物の寿命は受精してから数えても卵あるいは親から生まれた時から数えても大した違いはないけれど、植物の場合受精してから数えるのか、種子ができた時から数えるのか、種子が親から離れた時から数えるのか、発芽した時から数えるのか(種子のままで千年も眠っていて発芽するものもある)なんて話もあります。一口に寿命と言っても、なかなか一筋縄にはいきません。

樹木が根から水を吸い上げる仕組みの話もあります。理論的には450mまで吸い上げることができるのに、実際の木の高さはせいぜい200mくらいだとのことです。またヒイラギの葉は若い時はギザギザになっていて棘のようになっているけれど、歳をとると丸くなるなんて話もあります。動物は歳をとると生殖能力がなくなるけれど、植物は歳をとっても生殖能力は変わらない、なんて話もあります。

もともとこの著者は大学院生になった時、先生に『目は良いか』と聞かれ、『良いです』と答えたら『じゃ、年輪でも数えるか』と言われて屋久杉の年輪を数えるようになったようです。樹齢1500年くらいの年輪を数えるのに、切り株の上にうつ伏せになって表面をノミで削りながら数えて、だいたい半日くらいかかるようですが、一つの年輪について、2つの方向から数えてそれが合わないとダメなんだけれど、なかなか合わなくて往生する、なんて話を読むと嬉しくなってしまいます。

面白そうだと思ったら読んでみて下さい。

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