『一般理論』 再読 その12

一般理論、いよいよ消費性向の話になるのですが、その前に、この前までの所、宮崎さん・伊東さんの本、宇沢さんの本がどんなことを書いているのか、紹介しましょう。

宮崎さん・伊東さんの本は何ともあきれ果てた内容です。
まず最初に、『利子費用はなぜ要素費用に入らないのか』なんてことを議論しています。そもそもこの問題の立て方自体、宮崎さん・伊東さんが一般理論をまともに読んでいないことを明らかに示しています。

私の理解では、利子収入を所得にするのであれば利子の支払いは費用になるけれど、利子収入が所得にならないのであれば利子の支払いは費用にならない、というだけの話です。

一般理論、ここまでの所登場するのは企業と労働者・消費者だけで、金利生活者・年金生活者はまだ登場していませんから、所得の方でも費用の方でも金利が登場しない、というだけの話です。これをケインズが利子についてちゃんと扱っていないと非難するのは、まるで筋違いの話です。

その次は、総供給曲線が右肩上がりの増加曲線になるのですが、その上がり方が上に凸なのか下に凸なのか、などという、どうでも良い話を延々としています。そのために訳のわからない式を立て、式を変形し、といろいろやってます。あげくの果てに『ケインズの誤り』などと見出しを付けて、『ケインズが総供給曲線は直線だと言っているのは間違いだ』などと言って得々としています。

ケインズが総供給曲線は直線だと言っているのはその通りなのですが、それは本文の中ではなく、注の文章の中で、『これこれの場合、これこれだと仮定すると総供給曲線は直線になる』と総供給曲線の性格を説明している部分です。

宮崎さん・伊東さんはその部分の結論だけ取り出して、『ケインズは収穫逓減を認めていたはずだからそれと矛盾するので誤りだ』などと主張しています。ケインズは別に収穫逓減を積極的に主張しているわけではなく、単に明確に否定しないというだけのことなのにそれを無視し、さらにはいくつもの前提条件を全く無視して『ケインズの誤りを見つけた』などと喜んでいるというのは、もう読むには堪えない話です。

また費用の説明をするのに、企業の費用(というか支出)を具体的に原料費とか給料とか原価償却費とかに分け、どれが使用費用でどれが要素費用かなどという区分をしています。ところが一番重要な売上原価の計算あるいは原価計算の部分が反映されていないために、まるで訳の分からない説明になっています。要するに、支出と費用の違いが分かっていない、ということです。困ったことにはこの説明図がそのまま間宮さんの訳の訳者注に引用されているので、この訳の分からない説明が訳の分からないまま拡散されてしまっています。このような本を参考にケインズの一般理論を理解しようとするのは難しいな、と思います。

どうも宮崎さんも伊東さんも、古典派の経済学の立場に立って一般理論を批判することを目的としているようで、一般理論の理解もケインズのいう事を聞こうとするより古典派の立場からの解釈を主張し、その解釈でケインズ批判をしているようです。ケインズの理解には役に立ちそうもありません。

一方宇沢さんの方は、ケインズの【貯蓄=投資】を、所得のうち消費されない分は金融資産の購入という形で貯蓄される、と考えます。その金融資産の購入ということで投資につながる、という風に考えるようです。

また(あるいはそれだから、でしょうか)、ケインズの【貯蓄=投資】というのはいつでも成り立つ関係なのですが、宇沢さんはどういうわけかこれは『均衡状態の下では』【貯蓄=投資】となる、と考え、均衡状態の下でのみこの式が成り立つと考えているようです。
これも古典派の経済学の名残りなんでしょうか。

宇沢さんの本も、宮崎さん・伊東さんの本ほどではありませんが、かなりいろんな式を使って説明しようとしています。

やはり古典派の経済学を勉強してしまうとケインズの本を素直に読むのが難しく、すぐに式に書き直して理解したくなってしまうのかも知れません。しかし式を書くことによってケインズの言葉から離れて式が勝手に動き出し、訳の分からない議論が展開されてしまうようです。

こうなった原因の一部は、ケインズが余計なことをいろいろ書いて読者を混乱させている、ということもあるのですが、困ったことです。

いずれにしても、宮崎さん・伊東さん・宇沢さんの悪口ばかり言っていても仕方ないので、『一般理論』、先に進むことにします。

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