『昭和史の原点』 中野雅夫

この『昭和史の原点』というタイトルで、
 1.幻の反乱・三月事件
 2.満州事変と十月事件
 3.五・一五事件 消された真実
という3冊が出ています(昭和40年代の後半に出ているので、今となってはなかなか見つけにくいかも知れません)。

この前紹介した『橋本大佐の手記』の著者が、その手記も参考にして、この手記と同じ、三月事件・満州事変・十月事件とその続きの五・一五事件について一体何が起こったのかを解説しています。

この前の『橋本大佐の手記』を読んで、この著者はどんな人なんだろうと思っていたのですが、この三部作にはそのあたりのことも書いてあり非常に面白く読めました。

何よりもこれらの本を興味深くしているのが、著者がこれらの事件の主人公であるいわゆる青年将校達とほぼ同じ世代に属し、ほぼ同じ時期に同様に維新あるいは革命を目指していたということで、この時代の空気というか気分を身を持って体験していて、それをもとにこれらの本を書いているということです。

たとえば五・一五事件の時、裁判が始めると国民全般からの助命嘆願が多数出され、犯人は多くの世間の支持を得たけれど、二・二六事件の時はそれほどの支持が得られなかった。それは五・一五事件の時は日本は経済的にも社会的にもニッチもサッチも行かなくなっていたのに対し、二・二六事件の時は既に満州国もでき、明るい希望が見え始めていたからだ、などというコメントは、同時代の人にしかできないコメントだなと思います。

著者によると、この当時の革命家の製造元は二つあって、一つは陸軍士官学校、もうひとつは師範学校だということです。士官学校では陸軍の軍人が軍の現場の指揮官になるために教育を受けるんだけれど、学校を出て現場に配属されると日本中から徴兵されてきた若者と出会うことになり、その若者達の家族の状況等、置かれている現実に直面せざるを得なくなり、日本を何とかしなければならないと感じて、革命あるいは昭和維新を考えるようになる。

師範学校では小学校の先生になるための教育を受けた人達が先生になって現場の小学校に赴任すると、そこには三度の食事も食べられない児童達が大勢いる現実に直面することになり、日本を何とかしなければと思って革命を目指すということのようです。

士官学校の方は軍人ですから『天皇中心の維新』という考えが主力となり、師範学校の方はそうでもないので、『共産党系の革命』という考え方も強くなるようです。

で、著者はその師範学校の方の人で、共産党の指導下に革命を目指し、五・一五事件の直後に(もちろん別の事件で)捕まって牢屋に入り、4年近く入っていて二・二六事件の直前に出獄したという人のようです。

その後新聞記者をやり、戦後は共産党の立ち上げを手伝ったりしていたようですが、戦後も5年くらい経つともう共産主義革命もほとんど非現実的なことがはっきりして、そこで改めて自分達と青年将校達が何を考えて維新・革命を目指し、それがどうして失敗したのか見直そうと思って、いわゆる昭和維新の調査研究をするようになったということのようです。

で、この三部作、事実にもとづくノンフィクションではありますが、著者自身が多数の関係者に直接取材して聞き取ったことがベースとなっており、それを事件の登場人物の話の形で再現してあるので、非常に生々しく面白く読めます。

何かを伝えるのに、たとえば
 ・誰それはそれを否定した
 ・誰それはそれを違うと言った
 ・誰それは『違います』と言った
という3通りの言い方がありますが、この3番目の言い方、これを直接話法と言いますが、このやり方だと『  』の中に感情を込めたり方言を使ったり、かなり表情豊かな表現ができます。

ノンフィクションの書き物ではありますが、このような所にいかにもその人がそう話していたであろう会話を盛り込むことにより生き生きとした文章にすることができます。
テレビでいえばドキュメンタリー番組をドキュメンタリードラマに仕立てるようなものです。

杉山茂丸という人はこの手法を『百魔』や『俗戦国策』で良く使っているのですが、この三部作の二冊目、十月革命に失敗して橋本欣五郎が自分の処罰は避けないけれど、仲間の千何百人かの青年将校達には累が及ばないようにするために杉山茂丸に頼み込み、杉山茂丸が京都にいる西園寺侯爵を電話でたたき起こしてその旨を頼み込む所など、この著者は『百魔』や『俗戦国策』を完全に消化しきったように、いかにも杉山茂丸が書く杉山茂丸の会話とそっくりな会話を書いていて、みごとなものです。ここの所の話は橋本大佐の手記にも書かれずに意図的に隠されていたのを、著者の調査により明らかにされたもののようです。
この杉山茂丸の電話の結果、その後と西園寺侯爵が昭和天皇と会って話をして、『10月事件は全てなかったことにする』ということになり、橋本大佐たちもほとんど処罰らしい処罰を受けることがなく事件が終わり、それが五・一五事件、二・二六事件につながっていった、ということのようです。

もうひとつ、五・一五事件とか二・二六事件とか、いわゆる昭和維新関係の話を書く人は、ともすると陸軍や青年将校達に思い入れを持ってしまう人が多いのですが、この著者はそのような思い入れは一切なく、むしろ陸軍に対しては批判的です。橋本大佐や青年将校達に対しては、同じく革命を目指した同類という意味での共感はありますが、どちらかと言えば民間人の方からこの昭和維新の運動に参加した人たちの方に思い入れがあるようです。

いずれにしても昭和初期、三月事件・満州事変・十月事件、井上日召の十人十殺の血盟団事件、五・一五事件と、二・二六事件につながる一連のいわゆる昭和維新の運動の全体像を把握するための絶好の読み物です。

お勧めします。

なおこの三部作の1冊目のカバー裏の著者紹介によると、この後二・二六事件についても新しい視点からの執筆を予定しているとのことですが、私が調べた限りではそのような本は見つかりません。そんな本がもし本当にあったら、是非にも読んでみたいと思います。

One Response to “『昭和史の原点』 中野雅夫”

  1. 坂本嘉輝 より:

    2.26事件についての本が見つからない、と書きましたが、よく調べたらありました。
    『昭和史の原点 4.天皇と二・二六事件』というタイトルです。
    これから図書館で借りる手続きをして、読んでみようと思います。 

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