『孔子』というとどうしても論語によって論じられることが多いのですが、孔子というのはとてつもない有名人だったため論語以外の書籍にもその言行録が書いてあります。
この本は論語以外の書籍もひっくるめて、孔子という人が何をして何を言ったかを明らかにしようとしています。
『論語』というのは何といっても儒教のバイブルで、孔子一派の人達が何人もその言行録を書き残し、それを一つの書物にまとめ上げて、不都合な部分を削除し、修正し、都合に合わせて新たに追加したりしたもので、どこまで信用できるものかという問題もありますが、いわゆる儒学者にとっては絶対的なバイブルです。
で、この論語が一応でき上がった後も、これをどう読むかということで、様々な人が様々に違った読み方を主張しています。
もともと漢文というのは単に漢字の羅列でしかないもので、個々の漢字は「読み」と「意味」はあるものの品詞の別はなく、同じ漢字が名詞になったり動詞になったり形容詞になったり、変幻自在なものです。文法もごく簡単なものがあるだけなので、意味を取るのが中々一筋縄にはいきません。
さらに漢文の世界はいわゆる『当て字あり』の世界なので、論語で使われている漢字は本当はどの漢字でどのような意味なのかを考える必要があります。漢文は基本的に句読点がないので、漢字の続きのどこで切るかで意味が違ってきます。
論語ができた時代は全て筆写の時代なので、誤字脱字は当然あり得る話で、誤字をどのように訂正するのか、脱字部分にどの文字を追加するかで話が変わってきます。さらに反語なんてものまでありますから、こじつけのしようでどのようにでも読むことができます。
それで論語というのはそのような儒学者連のコジツケ解釈のかたまりのようなものなんですが、孔子という人は有名人で、孔子の言行については論語以外にもいろんな本に記載されています。
この本では主には史記ですが、これ以外にも荀子・呂氏春秋・説苑・孟子・韓非子・礼記・荘子・易・春秋・公羊伝・漢書・論語の朱子の注、その他の文献からさまざまな文章を取り出して、孔子がどのような人で何を言い、何を考えていたのかを考えています。
この本は三章に分けて、第一章『徳治と法治―政治家としての孔子』では孔子の主張する徳治と韓非子を中心とする法家の思想『法治』がどのように違うか考察しています。聖人君主のおろし元としてあくまで徳治をめざす孔子が、実際に為政者になると平然として法治、あるいは恐怖政治をした、という話をします。
第二章は『道家的思想との接点―孔子と隠者』として道家的思想、隠者としての生き方に深い共感を覚えながらそのような道を取らずに、あくまで現実世界で為政者となることを目指した孔子の思いを考察します。
第三章『郷原と狂狷―「狂なる者」への期待』では孔子の目指す君子とそれをまねた郷原(エセ聖人君子)とを比較し、そんな偽物よりむしろ勢いはあっても欠点だらけの狂狷を良しとする孔子が、長い歴史の中で郷原的儒学者に乗っ取られ、彼らによって孔子は聖人に祭り上げられ、専制君主は郷原に利用され、郷原は専制君主に媚びへつらい、二千年来人民を苦しめてきたという言葉を紹介しています。
この本はもともと新人物往来社から『聖人の虚像と実像―論語』というタイトルで出版され、その20年後に岩波の同時代ライブラリーに『論語―聖人の虚像と実像』というタイトルで再版されたものですが、その岩波版には最後に『跋―補足的自著解説』というものが付いてます。
第二次大戦のちょっと前、著者は旧制高校の教授となり論語をテキストとして講義し、その内容を狂信的な軍国主義学生に批判され、軍から要注意人物とみなされるようになり、徴兵され中国にわたり捕虜になり、スパイと間違われ殺される寸前で助かったキッカケが書いてあります。
著者は漢学者として大御所の吉川幸次郎を批判したり自分の高校の生徒だった高橋和己が吉川幸次郎の弟子になってしまったりして、殆どの出版者が吉川幸次郎、高橋和己に忖度して著者の真面目な著作の出版を避けるようになり、結果中国の艶笑譚、小話のたぐいの紹介くらいしか出版させてもらえなかったり、面白いエピソードもたくさんある人ですが、その人が論語に書かれていること、書かれていないことを総合的に見渡して、孔子の、論語によるいわゆる聖人君子(著者はこれをデクノボーと呼んでいます)の枠に捕らわれないダイナミックな生き生きとした姿を描きます。
論語その他からの引用だらけの本で漢文の勉強になりますが、漢文にはほとんど現代日本語による訳・説明が付いていますので読みやすい本です。文庫本で200頁強位のボリュームですからすぐに読めます。
また、漢文というものが、読み方を変えるだけで(あるいはこじつけのしようで)、どこまで意味の違うものにしてしまうことができるか、という例示にもなっています。
孔子は、自分の理想の実現のために主君探しをしますが、なかなか雇い主をみつけることができませんでしたが、ようやく魯の国の摂政となりました。そうなって7日目に少正卯という男を殺しました。その理由を聞かれて『この少正卯という男は「物事に通じていて陰険である」「行為が偏っていて頑なである」「言うことは偽りであって雄弁である」「悪いことばかり良く覚えている」「良からぬことをしながら外面を繕っている」この5悪があるから「よからぬ徒党を集めて乱をなす群衆を集める事ができる」「弁舌は邪説を飾って民衆を惑わすことができる」「その勢力は非を行って独立することができる」要するに「民衆を惑わして乱をなす恐れがある」だから殺した。』と答えたということです。この少正卯を殺した結果として、『3ヵ月後には肉を不当に高く売る肉屋はなくなり、男女が道を歩く時には別々に歩き、道に落とし物があってもそれを拾って自分の物にしようとする者もいなくなった。』と話は続きます。少正卯の話は5つの悪い性格・能力があるから次の3つの悪事をするかもしれない、だから殺すということで、徳治どころか法治でもない専制恐怖政治そのものです。
このような話は儒学者達にしてみれば、聖人孔子がそんな事をするわけがないということで、論語には全く出てきませんが、「史記」「荀子」「呂氏春秋」「説苑」に出てくるくらいなので有名な話だったようです。
この少正卯を殺したという話がなければ、孔子は魯の国の摂政となり数ヵ月で悪い事をする民はなくなった。孔子ほどの人が徳をもって政治をすればこのようにあっという間に平和な良い国になる。メデタシメデタシという話になるわけです。
論語は聖人君子である孔子を描こうとして、それと違う事を除外してしまっているけれど、著者の駒田さんはこの話の中にこそ孔子の偉大さがあるんだと言っています。政治批評家・道徳家・教育者としての孔子は終始一貫、徳治、『上に立つ者が徳をもって治めれば下の者たちはそれになびくように自然に悪いことをしなくなり、平和で豊かな生活ができるようになる』と言いながら、実際に行政官となったらこのような恐怖政治でもなんでも必要なことは断固として実行する。そうしておいて行政官の地位を離れたらまた教育者に戻って徳治を主張・教育する。道学者流の『言ってる事とやってる事が違うじゃないか』なんて批評は歯牙にもかけない、そんなダイナミックな姿こそ孔子の本当の魅力なんだと言っているようです。
第二章の『道家的思想との接点―孔子と隠者』では、孔子が主君を求めて中国各地をさまよっていると、道士というより隠者という、道教を体して世を捨てた人に何度も遭遇します。そんな時孔子の方はその隠者と会って話をしたいと思うのですが、隠者の方は、もう世を捨てているのであえて孔子と会おうとしないで逃げてしまい、『そんなせせこましい世界に生きていないでこっちに来て同類になれば良いのに』というアドバイスを残すというエピソードを紹介し、心情的には孔子は隠者達に非常に近いのだけれど、孔子はあくまで世を捨てるという道を選ばす、困難に遭遇しながら現実世界にとどまり、そこで理想の徳治の国を作ろうとしたその姿を描きます。
最後の第三章『郷原と狂狷―「狂なる者」への期待』では、いかにも君子であるかのように誰からも評価され尊敬されるような郷原という生き方を偽物と決めつけ、「徳の賊」あるいは「徳を損なう者」と呼んで否定し、そんな人達よりむしろ狂狷という、ある意味過激でやり過ぎで欠点も多い人達の方を良しとする孔子の考えを紹介します。皮肉なことに孔子教団が大きくなり、政治的に大勢力になるとこの郷原的な人々が孔子教団を乗っ取ってしまい、自分流に論語を解釈し、講釈するようになる。儒者の中にも折に触れ、『それは孔子の言っている事とは違う』という意見も出て来るのだけれど、大勢は郷原的儒者の世界で、これらの人達は専制君主と結託し孔子を聖人君子(というデクノボー)に祭り上げてしまい、郷原は専制君主に媚びへつらい、専制君主は郷原に利用され、共に二千年来人民を苦しめてきた、ということです。
論語だけを読んで聖人君子としての孔子の姿しか知らないのと、論語以外の文献も併せて読んで”聖人君子”の枠には入りきらない、行動と言動の食い違いなど何も問題しないダイナミックな孔子の姿を見てみるのとで、孔子の姿がまるで違ってきます。
孔子はもともと弟子たちには、『家臣でありながら主君の権力を横取りしているような人には交わってはいけない、そんな人の家臣になってはいけない』と言っていながら、実際孔子に家来にならないかと声をかけてくるのはそんな人ばかりで、孔子の方はそれに対して積極的にそのような人の家臣になろうとします。心配する弟子たちには『私はどんなにすり減らそうとしてもすり減ることはないので大丈夫だよ』、とか『私ならどんなに黒く染めようとしても決して黒くならないから大丈夫だよ』とか、まるっきり屁理屈のような事を言って言い訳にしている、というのも面白い話です。
孔子、というと何となくいつも弟子たちに教え諭している『訓たれ』のイメージですが、本当はむしろ実行の人で、『先行(まず行う、理屈はその後だ)』なんて言葉のあることも知りました。また、孔子といえば『中庸』とふつうに思っているけれど、この言葉は孔子の孫にあたる子思が書いたといわれる『中庸』という本で宣伝されている言葉で、論語の中では1か所に出てくるだけだ、なんて話もありました。(この話は、アダムスミスの国富論の中に『(神の)見えざる手』という言葉は1か所にしか出てこない、という関係と似ているかもしれません。)
とまれ、漢文の自由な読み方を味わってみたい人、聖人君子でない孔子の姿を見てみたい人にはお勧めです。