『イネという不思議な植物』―稲垣栄洋

稲垣さんのほん、3冊目はこの本です。
この本はイネとイネ科の植物を中心にいろんな話題を紹介しています。

まずはモチ米とウルチ米の違いですが、モチ米はウルチ米の一つの遺伝子が突然変異を起こして誕生したもので、その遺伝子は劣性遺伝子なので放っておくとすぐにウルチ米になってしまうのですが、人類が丁寧にその劣性遺伝子のホモの種子を大切に保存してきたものだ、という話です。

モチ米とウルチ米の違いは、種子のうちの胚乳にあたる部分のデンプンの組織がちょっとだけ違うということで、ウルチ米にはアミロースとアミロペクチンという2種類のデンプンを含んでいるのに対し、モチ米はアミロペクチンのみだということ、この違いによりモチ米のモチモチ感が生じているということ、そのため、ウルチ米はこの2種類を含んでいるのでその割合をうまく塩梅すれば、もちもちのお米もさらっとしたお米も作り分けることができる、というわけです。

ここでモチ米のめしべにウルチ米の花粉を受精させたらどうなるのかという問題になります。

イネの種子は『胚芽』という受精卵の部分と、『胚乳』という胚芽が芽を出し発育するための栄養を蓄えた部分から成ります。私達が食べるお米はほとんどが胚乳です。胚乳がめしべと同じ親の細胞からできていれば、モチ米からウルチ米かは親と同じになります。また胚乳が胚芽と同じ細胞からできていれば、子と同じになります。

ところが実はそのどちらも違っている、というのが正解のようです。

胚芽は受精卵、卵子と精子が一緒になったものです。
胚乳の方は卵子ができる過程で減数分解した細胞が、さらに何回か(イネの場合は3回)分裂してできる8個の核のうち1個は卵子になり、残りのうち2つが合体した中心体というものと、オシベから出てくる精子のうち一方が卵子と一緒になり受精卵となり、もう一つがこの中心体と一緒になり3倍体になったものが胚乳になるということで、このように胚芽の受精と胚乳の受精があるということで、『重複受精』と呼ばれるということです。

胚芽の方は減数分裂した結果の卵子と減数分裂した精子が一緒になるので2倍体ですが、胚乳の方は中心体の方の減数分裂した結果2つ分の中心体と精子の方の1つ分が一緒になるので3倍体になる。その結果ウルチ米とモチ米が受精したものが餅のようになるかどうかは普通の遺伝の計算とは違ってくるようです。

通常胚乳が親と同じか子と同じかなんてことは考えもしないのですが、稲の場合はその胚乳を食べることになるので、それが大きな問題となるようです。

ということで、モチ米にウルチ米の花粉が付くと、できる米はウルチ米になってしまうという事です。

この重複受精、この本では『教科書で習った』と書いてあるのですが、こんな話聞いたことがあるかなと思って考えてみたら、私は高校の時大学受験は理科で受ける予定だったので、物理と化学を選択することにしたこと、生物の授業はあったけれど担当の先生が教科書無視で、その当時最先端だった分子生物学の話ばかり熱く語っていたことなど思い出しました。その結果、教科書に何が書いてあったか、ほとんど記憶がありません。お陰で今更ながらいろんな話をびっくりして楽しめています。
それにしてもこの胚乳については植物の種類によって様々のバリエーションがあって、植物ってのは何ともとんでもない生き物だなと思います。

イネ科の植物は動物に食べられないように、葉を消化しづらく、消化しても栄養が少ないようになっています。しかしながら野原の草のほとんどはイネ科の植物で、これを食べるため、牛の類は胃をいくつも用意し反芻して消化するようになっており、馬の類は盲腸を発達させて盲腸の中の微生物を使ってセルロース分解するようになっている、ということです。

また米が皮が剥きやすいので精米して粒のまま食べる。コムギは皮が剥きにくいので粉にしてから皮を取り除いて食べる。オオムギは固くて粉にすることもできないので水に漬けて発芽させてビールにする。ただしオオムギの変種のハダカムギは皮が剝きやすいので粒のまま食べる、我々が麦飯として食べているのはこれだ、なんて話もあります。

イネは雑草の一種として何が何でも種子を作るために、裸子植物から被子植物になる過程で獲得した虫媒花というやり方をやめ、改めて風媒花に進化したとか、遺伝上宜しくないので排除してきた自家受粉も平気で活用しているとかの話もあります。

この本ではイネや米を中心とする文化や歴史の話もふんだんに盛り込まれており、たとえば一人1食分の米の量が1合であり、1日3食で3合、これを作るのに必要な田んぼの面積が1坪、1年分1000合分の米を作る田んぼの面積が1反で、その米の量が一石、だから100万石というのは100万人の1年分の米がとれるということだ、とか、一石の米の値段として一両ときめたとか、体積も面積も貨幣もすべて米が基準になっているなんて話も面白いです。

15世紀のヨーロッパでは撒いたコムギの種子の3~5倍しか収穫できなかったけれど、15世紀の日本では撒いた米の20~30倍の収量が得られた。そのためヨーロッパでは小麦の不足分を家畜あるいは狩猟による肉食で賄わなければならなかったとか、イネやムギが作物となる以前はイネ科の草をまず家畜に食べさせ、それを人間が食べるため畜産業が最初に始まり、その後稲や麦が栽培できるようになって農業が始まったなど、縦横無尽に話題が広がります。

良くもまあこれだけの話題が次から次に出てくるものだなあと感心してしまいます。
お勧めします。

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