わからない ― もう一度

ちょっと前「わからない」という題で、情報の出し手の問題として【わからないことをわからないと発信することが重要】だと書きました。
でもこれでは不十分で、受け手の方も【わからないことをわからないと受信することが大事】だということを言い忘れていました。

未だに原発の話題で不安とか不信感が増大していますが、これも情報の受け手の方が「わからない」と受信するのを拒否しているということなんでしょうね。
それで発信する方が「わからない」と言うと、受取る方で「隠してる」「誤魔化してる」「信用できない」と受取ってしまい、受取拒否ということになるんでしょうね。

私は普段から基本的に「わからない」と受信することにしているのですが、結構「わかった」と受信する人もいるようです。

すなわちAさんが「これはこうです」と言った時、私は『Aさんが「これはこうです。」と言った(けれど本当かどうかわからない)。』と受取るんですが、人によってはこれを素直に『これはこうだ』と受取ってしまうようです。そうすると今度Bさんが「これはこうではありません。」と言った時も、私は『Bさんが「これはこうではありません。と言った(けれど本当かどうかわからない)。」と受取るだけで、別に何の矛盾もなく単に「わからない」だけなんですが、これを『これはこうではない』と受取る人にとっては『これはこうだ』というのと『これはこうではない』という、相反するメッセージを受け取ってしまい、「何がなんだかわからない、誰の言うことも信用できない、何が本当のことなのかわからないから不安だ」ということになってしまうようです。

もうこうなってしまうと誰の言うことも信用できないので、不安が増すばかり。それでなおさら「誰の言うことも信用できない」という悪循環に陥ってしまいます。

こんな時誰かが、嘘でも良いから自信たっぷりに「これはこうに決まってます。違うことを言う人は嘘つきです。」なんて言ったりすると、簡単に騙されてしまいそうですね。

これも日常的な行動パターンの問題ですから、一朝一夕には治らないんでしょうが、いずれ時間が経って事態が落着けば世の中も落着くんでしょうね。

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