科学的

地震から1ヵ月の月曜日、日経新聞の「春秋」というコラムに変なことが書いてありました。

このコラムは朝日新聞でいえば「天声人語」というコラムにあたるものです。私は朝日新聞は健康のため、基本的に読まないことにしているので、まだこのコラムがあるかどうかわからないのですが。

で、普段は日経新聞のこのコラムも読まないのですが、「戦艦大和の吉田満」という部分が目に入ってきて、次に「山田風太郎」という部分が目に入ってきたのでついつい読んでしまいました。山田風太郎といっても「くノ一忍法帖」の方ではなく、戦中戦後の日記の方ですが。

で、このコラムは「吉田満も山田風太郎も日本の敗戦を受けて、もっと科学的でなければならない・・・と言っている」と書いています。
そこまでは良いんですが、その結論として今回の原発事故について想定外とか泥縄の対応とか、科学的でないと反省しています。

記者が反省したいのであれば勝手にすればいいだけですが、こんな非科学的なコメントを科学的であるかのように書かれ、吉田満や山田風太郎が引き合いに出されるとなると、吉田満や山田風太郎が可哀想だなと思わずにはいられません。

この記者さん、科学というのは「真実」とか「真理」とかだと思っているんでしょうね。そして科学を神棚に祭ってその前でかしわ手を打てば全ての情報が手に入り、全ての解決策が出てくるとかでも思っているんでしょう。

「科学」というのは仮説であって「全て想定でしかない」、なんていうことはコレッポチも考えていないんでしょうね。
まあこのように科学を神棚に祭ってかしわ手を打つのはこの記者さんだけでなく、科学者として大学の先生なんかになっている人にも珍しくなさそうですから、無理もないと言えば無理もないんですが。

そういえばこの前の週末のテレビで「想定外」という言葉について、「「想定外」というのは、想定外だと想定していたんだろう」などという発言が耳に飛び込んできました。誰がどんな文脈で、どんな意味で言ったのか覚えていませんが、面白いなと思って耳に残っています。

「想定外のことというのは、想定外だと想定したことだ」となってしまうと、全てのことは「想定済み」「想定の範囲内」ということになってしまいますよね。

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