芦部さんの憲法 その13

芦部さんの憲法、統治機構の所についてはあまり問題がないだろうと思っていたら、しょっぱなから問題のコメントがありました。

まず
 【民主主義ないし民主政(国民主権)は人権の保障を終極の目的とする原理ないし制度と解すべきであるから・・・】
という文章があります。「民主主義は人権を守るためのものだ」ということです。政治学をやっている人が聞いたら泣いて喜ぶだろうような話です。
この芦部さんを初めとする立憲派の憲法学者さんというのは、本当に人権が好きなんですね。民主主義というのも人権を守るための単なる道具になってしまいます。

統治機構の所で最初に議論するのは三権分立の話ですが、これも世界共通ということではなく、国によって三権分立の形が違うという話は初めて知りました。すなわち、アメリカでは立法権不信の思想が強く、そのため三権は平等だけれど、フランスでは司法不信で三権の中でも立法権が中心的地位にあるということで、同じ三権分立がフランスでは裁判所の違憲審査権を否定するための理論的根拠であり、アメリカではそれを支えるための根拠だというんですが、何のこっちゃという感じです。

で、「国会」ですが、憲法では「国会は国権の最高機関である」としているのですが、これについて芦部さんは「最高機関とは政治的美称である」と言って、何となく司法より立法が上になるのは嬉しくないようです。もう一つ「国会は国の唯一の立法機関である」という条もあります。ともすると司法の裁判所が立法したがるのを防止しているようです。

次は内閣ですが、
 【行政権は、内閣に属する】という行政権は、【すべての国家作用のうちから立法作用と司法作用を除いた残り(すべて)の作用である。】と言っています。
このように言いながら、内閣から独立して活動する独立行政委員会について
 【内閣から独立した行政作用であっても特に政治的な中立性の要求される行政については、例外的に内閣の指揮監督から独立している機関が担当するのは、最終的にそれに対して国会のコントロールが直接に及ぶのであれば合憲であると解して良い】
と言っています。

一体憲法のどこからこんな理屈が出てくるのかさっぱりわかりません。別にこのような制度に異論があるわけではないんですが、憲法に何も書いてないことを「合憲とする」というくらいなら、憲法にそのように書き加えれば良いのに・・と思うのですが。

内閣に関しては
 【日本国憲法には内閣の解散権を明示した規定はない】
という説明があります。天皇の所で、天皇の国事行為としてはっきり「衆議院の解散」と書いてあり、「国事行為は内閣の助言と承認により、また内閣がその責任を負う」と書いてあるので、私はこれで十分だと思うのですが、芦部さんは「書いてない」と言い、だからと言って憲法を直そうともしないで
 【現在では7条によって内閣に実質的な解散決定権が存するという慣習が成立している。】
としています。芦部さんは何を考えているんだろうと思います。

さらに芦部さんは、注として「解散権の限界」として、解散できるのはいくつかの限定されたケースだけだと言っています。もちろん憲法にはそんな限定等どこにもないですから(芦部さんによると解散権自体が書いてないわけですし)、芦部さんが勝手に考えたことを「自分の考え」と言わないで断定してしまっています。何ともはやです。

で、次にくるのが裁判所です。
 【すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する】
で、この「司法」という言葉ですが、私は法律の適用あるいは解釈に関する争いの全てを対象とすると思っていたのですが、どうも違うようです。

芦部さんによると、司法とは
 【具体的な争訟について、法を適用し宣言することによってこれを裁定する国家の作用】
と言い、さらに細かく
 【当事者間に具体的事件に関する紛争がある場合において、当事者からの訴訟の提起を前提として独立の裁判所が統治権にもとづき一定の争訟手続きによって紛争解決のために、何が法であるかの判断をなし、正しい法の適用を保障する作用】
と言っています。

要するに、何か具体的に事件があって、当事者間の争いがあり、裁判になって、はじめて司法が動き出すということのようです。
裁判所ができるのはこの司法だけですから、違憲判決もこの司法の範囲内でしかできないことになりますね。
すなわち具体的な事件があり争いがあって、裁判になって初めて違憲審査が始まるということですね。

だとすると、こんなしばりなしで法律を作ることができ、憲法改正の発議もできる国会の方がやはり上に来るのも当然ですね。

このあと財政・地方自治がありますが、そこもスッ飛ばして、次回はいよいよ憲法改正の議論です。

Leave a Reply