『一般理論』再読-その10

さて、ここまで来ていよいよケインズ『一般理論』の全体構想が明らかになります。中心となるのは、前回説明したように、
P+F です。ここで、
  P : 企業の所得(利益)
  F : 労働者の所得(労賃)
です。
これの経済社会全体の合計を考えるのですが、まずは個々の企業についての合計を考えます。
即ち、企業の所得と、その企業に雇われている労働者の所得の合計です。
これは企業の所得と労働者の所得ですから、仮に【総所得】ということにします。
ケインズの見方は、企業が労働者をN人雇った時に、それを使って生産活動をして、その結果として売上高が上がったとして、その時のP+Fを労働者N人の時の売上高に対するP+Fと考えるということです。その意味で、私はこれを【売上総所得】と言うことにします。

なお、会計の世界では売上総利益という言葉を使います。これは売上高から売上原価を差し引いたものですから、ここで言う売上総所得とはまるで別のものです。

ところがケインズは、このP+Fについて、proceedsという単語を使ったために日本語訳の世界ではまたまた大混乱が生じてしまいます。まず間宮さんの訳ではこのproceedを『売上収入』などと訳してしまいます。山形さんの訳では『収益』などと訳しています。宇沢さんの本では『収入』などと訳し、宮崎さん・伊東さんの本では『売上金額』などと訳しています。こんな訳し方では収入あるいは収益と利益あるいは所得がゴッチャになっていて、何がなんだか訳が分からなくなります。

こんな本でケインズの『一般理論』を理解しようとする読者はトンデモナクいい迷惑ですね。

で、混乱を避けるため、以後では【売上げ総所得】という言葉で統一しようと思います。

全企業が生産活動をし、売上げを上げて売上げ総所得を獲得して、それを企業と労働者で山分けするわけですが、企業は企業の所得をより大きくしようとしてがんばる。労働者は労働者の所得をより大きくしようとして頑張る。だけど経済社会全体で考えるなら、この売上げ総所得を全企業について合計した、経済社会全体の売上げ総所得が大きくなることが大事で、それを企業と労働者でどう分けるかはそのあとの話、ということです。

ここまで来たら、いよいよケインズの需要・供給の法則が登場します。古典派の需要・供給の法則は、物の値段に対して需要あるいは供給の数量を決める曲線ないしは関数を決める話でした。ケインズの方は、雇用される労働者の数に対して、需要あるいは供給される売上げに対する売上げ総所得を決める曲線ないしは関数を決める話になります。

このやり方の良い所は、労働者の数も売上げ総所得の金額も、どちらも足し算ができる。すなわち合計が計算できる、ということです。そこで物の種類が何であろうと業種が何であろうと全部合計することができ、経済社会全体の合計を計算すれば、それが全体の需要・供給の曲線ないしは関数となる、ということです(古典派の世界では物の数量ですから、自動車の台数とミカンの数を合計する、なんてわけにはいきません)。

ちょっと急ぎ過ぎたので、もう少しちゃんと説明します。
企業が労働者を雇って生産活動をする時、まず何人雇ってどれだけの生産をするかを考え、その結果として売上高を考え、売上げ総所得を計算します。ここで古典派では皆がもっともっと・・・とトコトン利益を求める結果として、需要曲線も供給曲線もいつの間にか決まってしまい、その交わったところで取引が行われることになります。

ケインズの経済学ではまるで違います。企業の雇用者数に対する売上げ総所得は、企業自体が決めます。N人の労働者を雇うんだったら、これだけの売上げ総所得が得られるよな、それだけの売上げ総所得が得られるんだったらN人の労働者を雇っても良いよな、という、商品を供給する側の期待で見た、労働者の数と売上げ総所得の関係を【総供給関数(それをグラフに書けば総供給曲線)】と言います。

またN人の労働者を雇って生産した場合、その生産物はいくらでこれ位売れるから売上げ総所得はこれくらいになるよな、という(その企業の期待する)需要サイドから見た売上げ総所得と労働者数との関係を、【総需要関数(それをグラフに書けば総需要曲線)】と言います。すなわち企業が生産する製品あるいは商品の需要と供給のそれぞれを、その企業がどのように見る(期待する)か、という関数(曲線)です。

もちろん古典派の世界とは違って、ケインズの世界ではこの総需要曲線と総供給曲線の交わる所はそう簡単には実現しないのですが、でも総供給曲線より総需要曲線の方が上になる場合(すなわち供給より需要の方が大きい場合)は、企業からするともっと金をかけもっと労働者を増やしても、値段を上げて売上げを増やし、売上げ総所得を増やすことができそうだ、ということで、少しずつその交わる所に向かって現実が動き出す、すなわち雇用する労働者数を増やして売上げ総所得が増える方向に動いていくということになります。

このような動きの目標となる、総需要曲線と総供給曲線の交わった所の売上げ総所得のことを、【有効需要】と言います。これはケインズが『一般理論』で定義している有効需要ですから、一般に使われている有効需要とは別物です。注意して下さい。特に、総需要曲線も総供給曲線も、元となっているのは各企業の期待すなわち各企業がどのように見ているか、ということで、誰かがいつのまにか決めている、あるいは決まってしまう、というものではないことに注意して下さい。

ケインズはこのように有効需要あるいは総需要曲線と総供給曲線を定義しておいて、その上でその総需要曲線あるいは総供給曲線を決めるのは何か、と考えます。

  所得=消費+投資
です。消費は消費者が勝手に決めて実行することができるもの、投資は企業が勝手に決めて実行できるものです。もちろん社会全体の投資がこれで決まるわけではないのですが、ある企業が投資をすると社会全体としての投資が増え、所得も増える。ある消費者が消費すると社会全体の投資は減るかもしれないけれど社会全体の所得は増える、ということになるので、次のステップとして『消費はどうやってきまるのか』『投資はどうやって決まるのか』、あるいは『どうやったら消費を増やせるのか』『どうやったら投資を増やせるのか』、という議論になるわけです。

次回はその前にもう1回、これまでの議論をまとめることにします。

Leave a Reply