『戦国時代の天皇』 末柄 豊

この本は今年の7月に出た本で、例によって図書館の新しく入った本コーナーでみつけました。

この『戦国時代の天皇』というのは応仁の乱(1467年)から豊臣秀吉による天下統一(1590年)までの間に天皇の位にいた後土御門(ごつちみかど)・後柏原(ごかしはら)・後奈良(ごなら)・正親町(おうぎまち)の4代の天皇のことです。

応仁の乱で室町幕府がほとんど権力を失い、その結果財力も失い、その幕府が最大のスポンサーだった天皇家も財政が窮乏した時から、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げ天皇家のスポンサーになった時までの約百年、天皇は一体何をしていたのか、という話です。

この4代の最後の正親町天皇は子の親王に先立たれながらも70歳の時孫に譲位をすることができたけれど、その前の3代の天皇は譲位することができず、天皇在位のまま死を迎え、もちろん明治天皇以降は基本的に天皇在位のまま死を迎えるのが原則になりますが、この戦国時代の3代以前にこのように3代続けて天皇在位のまま死を迎えたのは7世紀の斉明・天智・天武の3代までさかのぼる、ということです。

天皇が生存中に譲位すると上皇になったり法皇になったりするのですが、この戦国時代はとにかく金がないので譲位できず、結果的に天皇のまま亡くなるということになったようです。

譲位の儀式というのは、践祚(せんそ)・即位礼(そくいのれい)・大嘗会(だいじょうえ)の3つになるわけですが、まず践祚の儀式をします。ですが、この践祚の時にはまだ前の天皇が存命だという建前で行われ、践祚のあとで前の天皇の葬儀が行われるということになっており、即ち、践祚の儀式が終わらないと既に亡くなっている前の天皇の葬儀ができない、ということのようです。

践祚の儀式のための費用が調達できないために前の天皇の葬儀ができず、死後何十日もそのままになっていたというような話があります。

践祚の方はとりあえずこれが終わらないと天皇不在になってしまうので何十日かで何としてでも行なったようですが、即位礼の方は践祚してから何十年も経たないと行われないなんてことにもなったようで、大嘗会の方はさらに大がかりで費用もかさむため、9代にわたって挙行できないなんてことにもなったようです。

このような中、財政逼迫の下で天皇は何をしていたのか、というのがこの本の内容です。
・幕府との関係のありようについて決断する
・官位の任叙について判断する
・裁判を行う
・禁裏の蔵書を整理する
という仕事と
・日記を書く
・手紙をしたためる
・親王を教え導く
・所領を立て直す
という行為について解説しています。

この中に、女官に頼まれて習字の手本にするからと何首か和歌を書いてやるんだけれど、習字の手本というのはどうせウソで、地方の有力者から天皇の直筆が欲しいと頼まれたんだろうと分かった上で騙されたふりをして頼まれてやる話があります。
また、年賀状を書く話なんかがあり、年賀状には現実を書かずひたすら願望を、それがあたかも現実であるかのように書く、なんて話もあります。年賀状の文を活字で本文中に書いてある部分と原文の年賀状の写真を見比べると、元の文がひとかたまりずつ紙の上下左右に散らばして書いてあり、こんなものを貰ったらどうやって順番を判断するんだろう、なんてことも考えました。

来年はいよいよ天皇の代替わりの年です。新天皇の即位の儀式を見る時にも参考になるかも知れません。

100ページちょっとの小さい本ですからすぐ読めます(ただし大名やお公家さんの名前がたくさん出てくるので、適当に端折って読む方が楽です)。

なかなか面白い本でした。
興味のある方は是非どうぞ。

Leave a Reply