『新聞の嘘を見抜く』 徳山 喜雄

この本は新聞がフェイクニュースを量産し、新聞が信用されないようになっており、インターネットがマスコミに代わって様々なニュースを提供するようになっている状況を踏まえ、インターネットには新聞以上にフェイクニュースが溢れており、やはり新聞の方が信頼できるメディアだ、ただし新聞のニュースも正しく理解するためにはそれなりの新聞の読み方があるので、その新聞の読み方を説明し、インターネットに溢れる嘘に惑わされる事なく、また新聞にも登場するフェイクニュースもきちんと見極めることができるようにする為にはどうしたら良いか、というようなことを宣伝文句にする本です。

著者は長く朝日新聞に所属し、AERAにも所属していた人という人ですから、最初からこんな本を読むつもりはなかったのですが、先日かなり久しぶりにたまたま本を買うために本屋さんに行った所この本を見つけ、パラパラめくってみた所、この本の著者の意図とは全く違う視点で読んでみると面白いかも知れないなと思いました。

朝日新聞の記事など紙面で読むことは殆どありませんし、ネットで読むような時も日々様々なニュース記事に紛れて一過性の読み飛ばしになってしまいますが、このように印刷されて本になっているとじっくり読むことができますし、本に赤字で書き込みしてツッコミを入れることもできます。この本を材料に、朝日新聞流のフェイクニュースの作り方を分析してみようと思いました。

もちろんこんな読み方は著者の意図とはまるで違った話になってしまうんですが、本が印刷されて販売されてしまった以上、その本を買ってどう料理するかというのはこっちの勝手です。

ということで、買うつもりのなかったこの本を買って読んでみることにしました。

で、まずは『プロローグ』から順番に読んでいくんですが、その2ページ目(本の8ページ)に
『日本において現代の新聞の原型ができたのは明治初めで、150年ほどにわたってほぼ同様のビジネスモデルで貫かれてきた。この過程で出来上がった報道スタイルは作為あるいは不作為の嘘をつき、社会や読者を翻弄してきたという歴史もある。』

なんと、日本の新聞の歴史は嘘・フェイクニュースの歴史だ、と真正面から言っています。これには本当にびっくりしたんですが、この部分についてコメントしている記事は見たことがありません。本の前書きの部分なので、ちゃんと読んでいる人はあまりいないのかも知れません。

もしこの本の主張がこの通りだとすると、私の意図とは違ってしまうので困ったな、と思ったのですが、やはり本文に入ると、その内容は私の想定した通りのもので、インターネットにはファイクニュース・嘘が満ち溢れている、新聞の記事にも時として間違いやミス・誤報はあるけれど嘘をついているわけではない、インターネットの嘘に騙されずに本当の事を知りたければ新聞を読むしかない、という事が書いてあります。

これからじっくりとコメントしていきたいと思いますが、その前にこのプロローグの終りの所に、新聞の読み方に関して『私は複数の新聞を読み比べ、切り口の違い、使っているデータ(事実)の違い、解釈の違いなどを丹念にみていくことを薦めている』(本の10ページ)と言っています。

これはまぁある意味その通りだとは思うのですが、どうしてその対象を新聞に限定してしまうのか、複数の新聞だけでなく他のインターネットの記事も同様に読み比べる方がさらに良いのではないか、と思うのですが、著者は『インターネット=嘘』という前提に立っているので『インターネットの記事も』なんてことは思いもしないんでしょうね。その代わり、新聞の方では朝日・毎日・東京新聞もちゃんとした新聞として取り扱っているようです。

という所で、次からはいよいよ本文に入ります。

まともな本だと思って読むと何の意味もない本ですが、私のように読むつもりになるとかなり面白い本だと思います。そのような人におススメです。

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