『イスラームの論理と倫理』中田考・飯山陽

前回の『イスラム教の論理』に続いて飯山さんの本をさらに3冊読みました。
2冊目は『イスラム2.0』という本、次に『イスラム教再考』、4冊目がこの『イスラームの論理と倫理』という本で、この本だけ飯山さんと中田さんの共著という形になっています。

出版の順番は4番目に読んだ『イスラームの論理と倫理』が3番目で、その後『イスラム教再考』が出版されています。

『イスラム2.0』というのは『イスラム教の論理』でも書いてあった、インターネットの世界になって誰でもコーランやハディース等の原典に直接アクセスできるようになり、またいろんなイスラム法学者の発言にも簡単にアクセスでき、信者どうしもSNSで交流することができるようになった状況をコンピュータのOSになぞらえて、『それ以前のバージョン1.0がバージョン2.0にアップグレードされたんだ』と表現し、その結果世界各地のイスラーム教国家がどのように変化しているのかという報告です。

これに引き続く『イスラームの論理と倫理』では飯山さんと日本のイスラム学界の権威とされる中田考さんの対話という形になっています。

最後の『イスラム教再考』ではこれに引き続き飯山さんが日本のイスラム学界の人々を次々にヤリ玉に上げていきます。イスラム学界の人でなくても、池上彰さんや『現代の知の巨人』の前ライフネット生命の社長・会長の出口さんまで何度も登場してヤリ玉に上がっているのもご愛敬です。

で、この『イスラームの論理と倫理』ですが、本の扉には『妥協を排した書簡による対話』となっていますが、実際のところまるで対話になっていません。

飯山さんがそれぞれのテーマについて真面目に考察し、日本として日本人としてどのように考えたら良いのか検討するのに対し、中田さんは業界の権威であるという立場から飯山さんを徹底的に見下すように自分勝手な議論を展開し、殆ど誰も知らないようなことを書き散らしていかに自分が何でも知っているかみせびらかし、飯山さんのことはあくまで『飯山さん』と言って素人扱いしています。

飯山さんはさすがに中田さんを常に『中田先生』と言ってはいますが、その代わり最後の書簡では『「往復書簡」における中田先生の文章は晦渋さと曖昧さに満ち、冗長で要を得ません』と明確に言ってのけています。念押しに『この中田さんの文章を分かったふりをする必要はありません。・・・曖昧な文章はどこまでいっても曖昧であり、それを分かることなどできないのです。』とまで言っています。

中田さんの方は最後の書簡でもその前の続きのコロナウィルスに関する話を延々と繰り返し、何とかしてそれを反日・反米に結び付けようとしています。

ということで、他に例を見ないような『対話』ですが、中田さんがいかに議論をずらし、捻じ曲げて自分を偉く見せようとしているか、イスラム世界の話をいかに反日・反米につなげるか見てみようと思う人には楽しめると思います。

飯山さんはこの本と、続く『イスラム教再考』でイスラム学界のほとんどの人をヤリ玉にあげるというとんでもない喧嘩をしている人ですから、いろんな人にからんで人気を博しているひろゆき氏がちょっとちょっかいを出したくらいじゃ相手にならないのは当たり前ですね。

あくまで論理的な飯山さんの議論と、山ほど知識はあるものの論理的な思考ができず、その知識をひけらかしながら駄弁を弄し、情緒的に反日・反米をたくらむ中田さんの対比を楽しみたい人にお勧めします。

これで飯山さんの本を4冊読み、残りは2冊。
アラブの春の下でエジプトのカイロで暮らした体験記の『エジプトの空の下』と最新刊の『中東問題再考』です。最新刊の方は順番が回ってくるのに半年以上かかりそうな塩梅ですが、『エジプトの空の下』の方はもうすぐ借りられると思います。楽しみです。

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