前回紹介した第12章ですが、もう少し紹介します。
この章の第4節に、
『我々は実際には市場の現在の評価は、それがどのような経緯でそうなったにせよ、投資利益に影響を及ぼす事実についての手持ちの知識との関係で見れば一意に正しく、そしてこの知識が変化する場合に限り、評価もまたそれに応じて変化すると想定している。』
という言葉があります。マーケットがどう動こうとニュース番組では、解説者がきちんとこれこれこういう理由でこうなった、と話してくれます。「こんなマーケットの動きはおかしい」なんて話は滅多に出てきません。これが上の文章の『一意に正しい・・・と想定している』ということです。ですから最初から「マーケットは正しい」と想定しての後づけの議論ですから、あまりあてにはなりません。その時その時でマーケットを正当化する議論を考え出さなきゃいけないので、解説者も大変だなと思いますが。
またこのように想定することにより、「ある投資物件の本当の価値を評価するなんてことはとてもできそうもないけれど、何かあったらどっちの方向にどれ位動きそうか・・くらいだったら俺でも評価できると思う」という人達がどんどんマーケットに参加してくるんですね。
ですから、ある投資物件が本当の所どのような価値を持つのかなんてことはどうでも良いことになってしまいます。今の価格が正しいと無条件に想定して、あとはそれが状況の変化に対してどのように変化するかということだけを考えるだけのことですから、
『人がある投資物件はその期待収益から見て30の価値を持つと信じていても、同時に市場は3月先にそれを20に評価するだろうと彼が信じているのなら、その物件に25の支払をするのはどうかしているからである』
ということになります。
このような観察からケインズは、『賭博場は公共の利益のためには近づきにくく高価につくのが良い』と言って、『イギリスの市場がウォール街に比べて近づきにくく極めて高くついているからまだ罪が軽い』と言っているのですが、今ではロンドンも東京もニューヨークも同じようなものになっているのかも知れません。
ケインズはロンドンのマーケットの「場内仲買人の利ざやの高さ、売買手数料の高さ、移転税の重いこと」を非常に評価しているんですが、その後の現実はケインズの思いとは逆の方向に極端に進行して現在に至っており、デイトレーダーがコストの安さでいくらでも勝負をかけられる賭博場になってしまっているということなんでしょうね。
ここの所、ケインズはわざわざ(注)をつけて
『ウォール街が活況を呈している時には、投資物件の売買の少なくとも半分は投機家が同じ日に反対取引を行なう意図で遂行されると言われている。』
なんて言っています。今のように一回の間に何回となく反対取引を繰り返すような状況を見たら、何と言ったんでしょうね。