この山口・元最高裁長官が安保法制に反対している、という記事は、最初共同通信系の『47ニュース』というサイトでみつけました。
http://www.47news.jp/47topics/e/268766.php
その後毎日新聞でも同様な記事を見つけたのですが(この記事は有料のサイトに移行してしまったようです)、記事の中で記者が元最高裁判長官がこう言ったという発言の片言隻句を取り上げているものでしたので、あまり記事としての価値のないものとしてそのままにしておきました。
その後毎日新聞で「一問一答」という形で、この元最高裁長官の発言が出てきました(この記事も今はもう有料のサイトに移行してしまったようです)。
また日曜日(9月6日)の朝のNHKの政党討論会でも共産党からの参加者がこの発言を取り上げて安保法案を批判していましたので、ちょっとコメントするのも意味があるかも知れません。
ただし、この元最高裁長官の発言、最初に目にしたのは共同通信の記事で、毎日新聞の記事も共同通信からの記事だと書いてありますが、この一問一答については共同通信が作ったものなのか毎日新聞が作ったものなのかも不明ですし、元最高裁長官がこの一問一答を確認しているのかどうかも不明ですからイマイチ信頼性に欠ける材料なのですが、仮にこの一問一答が本当に元最高裁長官が言ったことであり、その内容が元最高裁長官の意見をそのまま反映したものだと仮定して、この一問一答がどんなものなのか、この元最高裁長官がいかに論理的思考ができないか、ということを一つ一つコメントしてみたいと思います。
Q 安全保障関連法案をどう考えるか。
A 集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない。政府は許されないとの解釈で一貫してきた。従来の解釈が国民に支持され、9条の意味内容に含まれると意識されてきた。その事実は非常に重い。それを変えるなら、憲法を改正するのが正攻法だ。
この部分、要するに『憲法解釈を変えるのであれば憲法を改正しろ』と言っているわけです。これには唖然としてしまいます。憲法解釈の変更というのは、憲法の文字は変えないけれどその解釈を変えるということです。これをどのように憲法改正にするのでしょうか。憲法の文言は変更前後で同じ憲法改正案を出して国民投票するということでしょうか。
さらに最高裁判所をはじめとして、各地の裁判所が日常的に憲法解釈の変更を含む判決を出しているという事実をどのように考えているんでしょうか。裁判所が憲法解釈の変更を含む判決をするたびに憲法改正の国民投票をしろ、とでも言うんでしょうか。
あるいは裁判所の憲法解釈の変更はそのままで良くて、立法府や行政府の憲法解釈の変更は憲法改正の手続きをしろと言うんでしょうか。何ともあきれはてた発言です。
Q 政府は憲法解釈変更には論理的整合性があるとしている。
A 1972年の政府見解で行使できるのは個別的自衛権に限られると言っている。自衛の措置は必要最小限度の範囲に限られる、という72年見解の論理的枠組みを維持しながら、集団的自衛権の行使も許されるとするのは、相矛盾する解釈の両立を認めるものでナンセンスだ。72年見解が誤りだったと位置付けなければ、論理的整合性は取れない。
これは要するに、昔の見解と新しい見解が違うということは、昔の見解が誤りだったといういうことだから、その誤りを認めなければ論理的整合性が取れない、ということのようです。憲法はともかく、法律は日常的に改正が行われていますが、法律が改正されてるということは改正前の法律は誤っていたとでも言いたいのでしょうか。今ある法律も将来改正されるとしたら、今の法律は誤っていると言うんでしょうか。
Q 立憲主義や法治主義の観点から疑問を呈する声もある。
A 今回のように、これまで駄目だと言っていたものを解釈で変更してしまえば、なし崩しになっていく。立憲主義や法治主義の建前が揺らぎ、憲法や法律によって権力行使を抑制したり、恣意(しい)的な政治から国民を保護したりすることができなくなってしまう。
立憲主義という言葉をいわゆる立憲主義の憲法学者のように『憲法は変えてはいけない』という意味で使っているのか、それとも本来的なごく真っ当な『憲法を基にして立法・行政・司法が行われなければならない』という意味で使っているのかわかりませんが、憲法に従って法律を制定し、その法律で政治を行うのであれば、立憲主義や法治主義にたがうことにはなりません。憲法に規定のない(従来からの(過去のある時期から以降の))憲法解釈を一方的に押し付けて憲法や法律を制約し、変更の余地を認めないで立法や行政を制約しようとすることこそ、立憲主義や法治主義に反することになると思います。
Q 砂川事件最高裁判決は法案が合憲だとする根拠になるのか。
A 旧日米安全保障条約を扱った事件だが、そもそも米国は旧条約で日本による集団的自衛権の行使を考えていなかった。集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない。憲法で集団的自衛権、個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった。
この砂川判決に関するコメントは驚きましたね。
『そもそも米国は旧条約で日本による集団的自衛権の行使を考えていなかった。』というのは、『米国は日本による集団的自衛権の行使を考えていなかったから日本には集団的自衛権がないのであって、もし米国が日本による集団的自衛権の行使を考えていたなら日本には集団的自衛権があった』ということでしょうか。日本の憲法解釈は米国の考え方次第と言いたいのでしょうか。
『集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない。』というのは、本当に判決を読んだ上での判断でしょうか。
確かに判決の本文には単に『自衛権』と書いてあり、個別的自衛権とも集団的自衛権とも書いていません。しかしこの裁判はある意味日米安保条約に関する裁判であり、裁判官が日米安保条約について意識しないで判決したとは考えられません。日米安保条約(旧条約)では条文の中では『個別的自衛権』『集団的自衛権』という言葉は使われていませんが、その前文の部分で国連憲章を引いて、明確に『個別的および集団的自衛の権利』と言っています。これを意識しないで判決を下すというのは、あまりにもその当時の最高裁の裁判官達をバカにした話ではないでしょうか。
『憲法で集団的自衛権・個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった。』というコメントがあります。確かにこの裁判のためにはそのような判断は必ずしも必要ではなかったのですが、にも拘わらず判決文では『わが国が立憲国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備・無抵抗を定めたものでは無いのである。』と明確に書いてあります。判断する必要のなかったことをわざわざ判断して判決文に書き込んだ、ということです。この山口さんという人は本当にこの判決を読んだ上でコメントしているんだろうか、と疑問に思います。
Q 国会での論戦をどう見るか。
A なぜ安保条約の改定の話が議論されてないのか疑問だ。今の条約では米国のみが集団的自衛権を行使する義務がある。(法案を成立させるなら)米国が攻撃を受けた場合にも、共同の軍事行動に出るという趣旨の規定を設けないといけない。ただ条約改定となると、基地や日米地位協定なども絡み、大問題になるだろう。
日本の安保法制の話がいつのまにか安保条約の改定の話になってしまっています。今国会で議論している安保法制は、集団的自衛権を無制限で認めるというものではなく、ごく限定された範囲で認めるということですし、それをアメリカに対して日本に義務づけるという話でもありません。こんなコメントを見ると、この山口さんは安保法制も理解しないでコメントをしているのではないか、と思わざるを得ません。
以上、この一問一答、いずれをとっても何とも問題にならないようなレベルのコメントなのですが、安保法制に反対している野党の方は、最高裁の元長官の意見だからと言って鬼の首を取ったかのようにはしゃいでいます。これも安保法案に反対する人達が憲法を理解していないことを示しています。
憲法では法律が憲法に違反しているかどうかの最終的な判断を、最高裁判所に委ねています。最高裁判所の長官に委ねているわけではありません。仮に今回の一問一答が最高裁判所の元長官ではなく、現役の長官の発言だとしてもそれは何の意味もありません。最高裁の長官が勝手に最高裁の判決を定めたりひっくり返したりすることは認められていません。
もし長官がそうしたいのであれば、改めて最高裁で裁判をして判決を出す必要があります。
憲法では裁判官は相手が最高裁判所の長官であろうと誰であろうと、他人の意見に従う必要はない、と明確に規定しています。『すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される。』(憲法76条3項)という規定です。最高裁の長官とはいえ、勝手に最高裁の判決を決めるわけにはいかない、ということです。
まして今回のコメントは現役の長官ではなく『元』長官です。単なる元法律家の一人というくらいの意味しかありません。このあたり憲法に従うことが義務付けられている野党の議員さん達はわかっているんでしょうか。もちろん共産党の議員さん達は分かった上で知らん顔して騒いでいるんだろうと思います。
どうも法律家が相手だと私のコメントもちょっと辛辣になりがちです。今回もそうなってしまったので、仮にこの記事の一問一答が山口元最高裁長官の意図したものとは違っていたとしたら申し訳ないことになってしまいます。しかしいずれにしても第一義的な責任は共同通信なり毎日新聞ということになると思います。
ネットで調べたら同様の一問一答が朝日新聞にもあるようです。もしかするとすべてのネタ元は朝日新聞、ということなのかもしれません。