池内さんについては前回『シーア派とスンニ派』と『イスラーム国の衝撃』について本の感想文を書きましたが、池内さんのお仲間の篠田さんが池内さんの最初の著作で代表作だとほめていたので、念のためにこの本も読んでみました。
池内さんは大学院生の最後の年に、エジプト・ヨルダン・シリア・イラクなどの東アラブ地域を三か月かけて周って歩き、エジプトではアパートを借りて住み込んだようで、多分この本の中味が卒業論文代わりということになるんだろうと思います。
この本は2部に分かれていて、第1部はイスラム主義について説明し、第2部はイスラム諸国の終末論について説明しています。
アラブ世界では1969年の第三次中東戦争で、エジプト・シリア・ヨルダン軍がイスラエル軍に敗れ、ここからアラブの現代史が始まった、と書いてあります。日本では70年安保闘争が1970年を待たずに消滅してしまい、また同時期欧米でブームとなった学生の反米・反体制運動も敗北します。
アラブではさらに時代をリードしていたナセルが1970年に殺され、目標を見失ってしまいます。その解決策を模索してマルクス主義や毛沢東主義などを使ってみようとしたり、日本赤軍が飛び込んできたりいろいろしたけれど、結局アラブ世界は今後どのようにしていったら良いのかその解決策を作ることができず、その代わりに将来のアラブ・イスラム世界はどのような世界か、それを表現することに注力することになったとのことです。その代表的なものがカラダーウィーという人の『イスラム的解決策-義務と必要』という本で、この本の内容を池内さんは丁寧に説明しています。
勿論この『あるべき未来』はイスラム教徒の世界で、ユダヤ教徒・キリスト教徒は二級国民として生存を許されますが、そのどれでもない人達(例えば日本人など)は全く生存の余地はありません。
この『アラブ・イスラム世界のあるべき世界像を目指す』というのがイスラム主義という考え方ですが、『どのようにして』という方法論がないため、これだけでは何事も始まりません。そこで極端な考え方として、いったん現在の世界秩序を全て破壊してしまい、その廃墟の中からそのあるべき世界が生まれてくる(かも知れない、そうなってもらいたい)と考える一派が出てきて、これがイスラム原理主義だという話になります。
このカラダーウィーという人は2022年に96歳で亡くなっていますが、多くのイスラム教テロ組織の理論的指導者だった、ということです。
私はイスラム原理主義というのはイスラム教の原理主義かと思っていたのですが、実はこのイスラム主義の原理主義がイスラム原理主義なんだと初めてわかりました。
第二部では終末論についてです。キリスト教の終末論はかなり有名ですが、ユダヤ教・イスラム教にも同じような終末論があります。もともとはイランのゾロアスター教の流れをくむものらしいのですが。
で、この終末論については通俗本、俗悪本としてアラブ世界ではいろんな所にたくさん売られているようで、それを著者はせっせと買い集めて読んでいるようです。そこに書かれている天国と地獄は非常にいきいきと現実的に描かれていて、あまり理論的に考えない人にとっては面白い読み物となっているようです。このような終末論の読み物は低俗なものとして、まともな学者が読むようなものとは思われていないため、著者の部屋を訪れた研究仲間たちはこのような本を見つけると『ちょっと貸してくれ』と言って借りていくとの事です。
イスラム教の終末論には最終的には救世主が登場するけれど、その前にニセモノの救世主が現れてしばらく世界を支配し、人は皆そのニセモノを本物と思ってそのニセモノの言う通りに従うようになるとか、救世主とニセモノ救世主が何人も乱立して大混乱になるとか、もちろん天変地異もあるし、まともなイスラム教徒は一人もいなくなるとか、仏教の末法の世と同じようなこともあります。
さらにこの終末論と陰謀論が結びつき、さらにオカルトまで合体して何ともはやのトンデモ論がまことしやかに語られるという具合で、意識高い系はこれらの終末論・陰謀論・オカルトと親和性が高いんだな、と思った次第です。
イスラム主義にしても終末論にしてもかなりしっかり描かれているので、これを博士論文にしても良いんじゃないかと思ったりもしますが、本格的なアカデミズムの世界では単に誰かの本を解説するだけだったり、終末論のようなイカガワシイ世界の紹介などはちゃんとした論文とはみなされないのかも知れません。
とはいえ、飯山さんの博士論文のようなしっかりした学術論文は池内さんには書けなかったのかも知れません。
池内さんにしてみれば、自分の力作を理解できない頭の固い先生方に自分の論文を審査してもらうなんてことは屈辱だと考えて、あえて博士論文を提出しないで博士号を取ろうとしなかったのに、飯山さんに博士号持ってないことを揶揄されて、今更論文を書く事ができないんじゃなくて自分の論文を審査されるのが我慢できなかったんだなんて言ってみても、痩せ我慢の強がりだと思われるだけだということくらいは分かっていて、何ともやり場がないのかも知れません。
池内さんは大学院を出て、そのまま東大に残れたわけではなく、いくつか外部の中東関係の研究所を渡り歩き、その後、東大の先端科学技術研究センターに準教授として採用され、5年ほど前にようやく教授になったようです。中東問題がどうして先端科学技術になるのか全く分かりませんが、本筋の学部にはポジションの空きがなかったのかもしれません。そういうことも池内さんにとってはしこりになっているのかもしれません。
この感想文は、書いては見たもののブログに載せるのはやめておこうかな、と思っていたのですが、相変わらず池内さんと飯山さんのバトルは続いており、とりあえずブログに載せておこうかな、と思いました。
その後の経緯を見ていると、池内さんをはじめとする、飯山さんのいわゆるJKISWAの人々は次々にろくでもないツイッターを発信し、飯山さんに良いようにコケにされています。
なんともイヤハヤ、といったところです。