先日、婚外子の相続分を嫡出子の1/2とする民法の規定が憲法違反だという最高裁の決定が出ました。
「芦部さんの憲法」の番外編として、この裁判についてコメントしてみたいと思います。
ちなみに「決定」というのは「判決」と同じようなものですが、口頭弁論を必ずしも必要としないものを言うようです。
でも決定というと何となく一般的な意味での決定のような気がするので、厳密にはちょっと違いますが、以下この決定のことを「判決」と言うことにします。
でこの判決文は、最高裁のホームページから、
トップ → 最近の裁判例 → 最高裁判所判例集
→ 最高裁判所判例 平成24(ク)984遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件
の所にあります。あるいはhttp://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20130904154932.pdf で、pdfファイルが取れます。
この事件は、死亡したAさんの遺産について嫡出子側が婚外子側に遺産の分割を求めて審判の申立てをした事件のようです。
で争点は、民法900条4号ただし書にある、嫡出でない子の相続分を、嫡出子の1/2とする規定が合憲かどうかということになったようです。東京高裁ではこれを憲法14条1項に違反しないと判断し、その規定によって遺産の分割を命じたのですが、最高裁ではその決定(判決)をくつ返し、この民法900条4号ただし書は憲法14条1項に違反しているから無効であるとし、その上でもう一度裁判をやり直すように東京高裁に差し戻すというものです。
ここで憲法14条1項というのは、「法の下の平等」という規定です。すなわち今回の判決が言っているのは、民法900条4号ただし書が、合理的な根拠のない差別的取扱にあたるので、法の下の平等を定めた憲法に違反する。そのためこの規定は無効だ、ということです。
民法900条4号ただし書というのは大昔からある規定ですから、これが憲法違反で無効だということになったら、どうして無効なのか、いつから無効なのかということに当然なります。それについてこの決定では、家族制度・相続制度・諸外国の変化・国連の勧告等、また住民票・戸籍・国籍法の取扱の変化をあげて、最終的にこれらの変化のどれか一つを取って民法900条4号ただし書が不合理だと言うことはできないけれど、全体としての変化からこのAさんが死亡した平成13年7月頃には、もう民法900条4号ただし書は不合理なものになっていたんだ、と言っています。
「いつから」に対しては明確な答えを出さずに、「遅くともAさんが死んだ時には」ということです。
で、こうなると少なくともその平成13年7月以降に死んだ人の相続については全て民法900条4号ただし書が無効になるのかということになるのですが、この決定では、既に決着がついてしまっている相続についてこれをひっくり返してはならず、まだ争いが続いているものについてだけ、民法900条4号ただし書を無効として考え直せと言っています。
言い換えれば、民法900条4号ただし書を法律だからと尊重して相続に決着をつけた婚外子の人は損をして、法律にさからって争いを続けていた婚外子の人は得をするということになったわけです。
これはそれこそ憲法14条1項に定める法の下の平等に違反するということになるのですが、そこの所この判決では「法的安定性の確保」という言葉を持ち出し、既に決着のついたことをひっくり返すと混乱が生じてしまうので、それを避けるために既に決着がついたことを蒸し返さない、ということのようです。
法の下の平等を実現しようとして、かえって新たな法の下の不平等を作り出してしまったということになります。
もちろんこの「法的安定性の確保」というのは憲法にもとづくものでも何でもありません。これを憲法の基本的人権の尊重より重視するというのはどうなんでしょうね。
この判決文には、最後に3人の裁判官による補足意見がついています。このうち最初の金築誠志さんという裁判官の補足意見がなかなか面白いもので、日本の裁判制度について参考になります。そこでは「付随的違憲審査制」という言葉と「個別的効力説」という言葉を使って意見を言っています。
「付随的違憲審査制」というのは、日本には憲法裁判所という制度がなく、法律そのものが違憲がどうかを判断するという制度がなく、あるのは具体的な事件があって、その裁判の中でその個別的事件に関連して法律が違憲かどうかの判断をするだけだということです。
「個別的効力説」というのは、裁判で違憲判決が出たからといってその法律が常に違憲で無効になるわけではなく、あくまで「個別事件についてだけ違憲だ」ということです。もちろん違憲判決は先例としての拘束力は持つけれど、あくまで先例であって、別の事件で同じ法律が違憲かどうかは個々の事件ごとに判断しなければならない、ということです。
とはいえ先例は先例ですから、違憲判決が出れば、通常は同様の裁判では同様の判断がなされることになるので、当然過去にさかのぼって違憲の判断がなされることになります。
今回の判決では過去にさかのぼっての違憲の判断により、既に決着している話をひっくり返してはいけないと言っているのですが、裁判所にそんなことを決めることができるのか、という話になってきます。
特定の日時を決めて、いついつまではこのように取扱う、いつ・いつからはこれとは別にこのように取扱う、というような規定は法律ではごく当たり前の話ですが、憲法や裁判ではそのような決めは普通しません。にも拘わらず今回の判決で、すでに決着している話はひっくり返さないと言っているのは、裁判で法律を作ってしまっていることになります。これは憲法41条 国会の立法権を侵害していることになります。
この金築裁判官の補足意見はそのあたりを意識して、今回の判決は、憲法違反になるかも知れないけれど、とはいえそれを言わないで、決着済みの話が次々にひっくり返されて混乱が起きるのがわかっていながらそれを放置して、単に違憲の判断を出すだけではいけないのではないか、という観点からなされたものだ、と言っています。
いずれにしても今回の違憲判決はあくまで個別事件に関してのものなので、今後どのような形で関連する紛争が生ずるか予測しきれない、とも言っています。確かに違憲判決を出す判決が違憲なんですから、どんな争いが発生しても不思議じゃないですね。
以前、生命保険の死亡保険金の年金受取に対する課税が二重課税にあたって違法だ、という最高裁の判決があり、それに対して私はその判決は憲法違反だという意見を書いたことがあります。その判決では所得税法の規定を違法だと言うだけで、既に決着済みの話も含めて、その税法の規定ができた時から違法だ、という判決だったので、過去何十年にもわたって違法な徴税が行なわれたことになってしまいました。
仕方がないので国税庁は急遽「所得税法施行令」を改正し、過去にさかのぼって税金を取り戻すために、いつまで過去にさかのぼれるか、取り戻せる税金はどのように計算するか、どのように手続きしたら良いかを規定しました。
すなわちこの時は、最高裁の判決は、法律ができた時から違法だから、決着がついたことでも全てひっくり返せということになったわけですが、今回の判決では、民法の規定はいつのまにか違憲になったので、この件については民法の規定を無効として裁判をやり直すけれど、既に決着のついた話は蒸し返さないと言っているわけです。
前回の所得税法の話は、最高裁の三人の裁判官による判決で、たった三人で憲法違反の判決が出せるんだ!と言ったのですが、今回の判決は大法廷の判決ですから、最高裁の裁判官全員(この判決では14人)による憲法違反の判決です。
最高裁の裁判官がたった三人で憲法違反できるというのと、裁判官全員で憲法違反するというのと、どっちが問題が大きいか良くわかりませんが、いずれにしてもビックリですね。
坂本さん、
坂本さんがこの違憲判決自体が違憲判決だと私にコメントされたので
興味深く読ませて頂きましたが、
単細胞の私にはよく理解出来ません(^_^;)
民法で定めている婚外子が半分の遺産を貰えないのは違憲であると司法(裁判所)が判断を示していたのに
立法(国会)はそれを法改正をせずに放置していたので、このような判決を出したようで
私はとても真っ当なスジが通った判決だと思っているのですが
坂本さんならどのようにすればご満足なのでしょうか?
KENさん、やっぱり来ましたね。
まず事実関係を整理しますが、
『違憲であると司法(裁判所)が判断を示していたのに立法(国会)はそれを法改正をせずに放置していた』というのは違います。
最高裁判所はこれまでずっとこの民法の規定を合憲としてきました。
その上で、一部の少数意見がこれに反対していた、ということです。
また、法改正については政府が改正案をいろいろ用意したけれど国会には提出されなかった、ということです。
今回の決定が憲法違反だ、というのは、憲法で保障されている『法の下の平等』に反する決定をした、ということと、実質的に法律の適用を変更することにより国会の立法権を侵害した、ということです。
憲法違反を避けるためには、政府あるいは国会に働きかけて憲法違反の判決をする前に民法の規定を変更させるようにするべきだった、民法の規定が変更されるまでは憲法違反の判決をすべきではなかった、と私は思います。
KENさんは、最高裁判所が憲法違反をすることがいいことだと思いますか?
憲法は裁判官に対しても憲法尊重擁護義務を課しています。
KENさん、
ついでに、今回の決定(判決)が、KENさんの好きな(もちろん反語です)『国家権力による基本的人権の侵害』です。
裁判官というのは国の司法権を担う一人ですから、国家権力の一部になります。
その人たちが『法の下の平等』という基本的人権に反する決定(判決)をして、一部の人の基本的人権を侵害した(しようとした)わけですから。