安倍首相の70年談話

この70年談話、本ではありませんが、文章として読むことができるので、『本を読む楽しみ』のカテゴリーの中に入れることにしました。

先週、安倍総理大臣の戦後70年の談話が発表されました。閣議のあと記者会見で、この談話を安倍さんが発表するところはNHKで全て中継され、それを見ていました。

格調の高い声明で、感銘を受けました。その後マスコミ各社の紙面・ホームページにその談話全文が発表され、また記者会見での発表をネットでビデオで見ることができるようになったので、念のために文章になったものと実際の発言とを比較してみました。

文章の方は、
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2015/150814danwa.pdf
で、
ビデオは
https://www.youtube.com/watch?v=adpQU1H3xEA
で、また文章の英語版は
http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201508/0814statement.html
で見ることができます。

記者会見での発表は約25分とかなり長いものでしたが、ごく少しの読み間違いを除くと、安倍さんは忠実に文章を読んでいました。しかし文章と発表とが大きく異なる部分が2つありました。

一つは冒頭、文章の方では最初の文、pdf版だと最初の2行にあたる所ですが、声明では約3分にわたり発言があります。

その中で『政治は歴史に謙虚でなければならない』『政治的、外交的意図によって歴史がゆがめられるようなことはあってはならない』『21世紀懇談会で議論してもらい、一定の認識が共有できた』『これを歴史の声と受け止める』と語っています。

もう一つ声明と文章の大きく異なる所は、最後の所で、文章の全部が終わった後、さらに追加で約2分程再び歴史について言及し、『聞き漏らした声があるのではないかと常に歴史を見つめ続ける』態度が必要だとしています。

ここまで言えば、いわゆる歴史認識の問題で中国や韓国が何か言ってきても、これは『政治的・外交的意図によって歴史をゆがめようとする』要求ですから、もはや何の効果もないということがはっきりします。この声明で、そのような動きがなくなってくれると良いのですが。

50年の村山談話、60年の小泉談話が第二次世界大戦とそれに至る経過から始まっているのに対し、この70年安倍談話はもう少し前から始まっています。

すなわち西洋諸国が世界中を植民地にしようと競い合っていた時代から始まり、それに対抗して日本が明治維新で国の近代化をはかり、日露戦争で勝ったことにより、アジアの国も必ずしも西洋諸国の植民地になるわけではないことを実証し、アジア・アフリカの国々を勇気づけたという所から始まります。

第一次大戦の反省を受け、国際社会は戦争を違法化する不戦条約(これは正式には『戦争放棄に関する条約』といい、昭和4年に日本を含む当時の主要国により締結された条約です)を生み出したことを示し、憲法9条の平和主義が必ずしも日本独自のものではないことを明らかにしています。その後世界恐慌とそれに続く、欧米諸国による植民地を含めた経済のブロック化により、日本は第二次大戦に追い込まれたことを明らかにしています。と同時に日本の政治システムが軍国化を止めることのできなかった問題点も明らかにしています。

そして第二次大戦が始まるのですが、その結果として
『そして70年前。日本は、敗戦しました。』
とはっきり言っています。

日本で日本人に対して『日本は負けた』と言うのはかなりハードルが高いようで、普通は『敗戦』の代わりに『終戦』と言い換えたりします。

小泉さんの60年談話は『終戦』という言い方で一貫していますし、村山さんの50年談話でも『敗戦後』とか『敗戦の日』という言い方が『終戦』という言い方と混用されていて、正面切って『敗けた』と言うことを避けているようです。この意味で安倍さんの談話は画期的なものかも知れません。

その次に安倍さんは第二次大戦での我が国の300万人の犠牲者の話に移り、広島・長崎の原爆、東京その他の大空襲、沖縄戦などを具体的に列挙し、軍人以外の市民が多数犠牲となったことを指摘します。もちろん日本側だけでなく、戦った相手の国の若者の犠牲、戦場となってしまった国の市民の犠牲についても触れ、さらに『戦争の陰にいた深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち』についても言及しています。これはいわゆる従軍慰安婦だけの問題ではなく、戦争によって勝った方にも負けた方にも、戦中だけでなく戦後においても傷つけられた女性たちが大勢いた、という事実の指摘です。

このような多数の犠牲者の存在を挙げた後、『歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。』という言葉が出てきています。この『取り返しのつかない』という部分、英文では『What is done cannot be undone』となっていて、これを日本語に直すと『起こってしまった事は起こらなかったように戻すことはできない』ということです。すなわち『取り返しができない』という言葉がその元々の意味で使われています。

このような犠牲が伴ってしまうので戦争をしてはいけない、『事変・侵略・戦争。いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解消する手段としてはもう二度と用いてはならない。すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。』と主張しています。

そして今日、日本が国際社会に復帰し、未来をつないでいけるのは戦争で戦った国、戦争に巻き込まれて被害を受けた国々やその人々の寛容の心、善意と支援の手のお蔭だと感謝し、この歴史の教訓を未来へ語り継ぎ、アジアそして世界の平和と繁栄に力を尽くすその責任を表明しています。

しかしこの戦争について、いつまでも謝罪を続けることはできないし、すべきではありません。謝罪はもうやめる。だからといって、何が起こったのか、何をしてしまったのかを忘れてしまっていいわけではない。この戦争をしてしまった過去の歴史に対しては真正面から向き合い、未来へと引き継いでいく責任がある、ということを明らかにしています。

最後にこの談話の結論になるのですが、
『いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも守り、世界の国々にも働きかけてまいります。』
『唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶をめざし、国際社会でその責任を果たしてまいります。』
『21世紀こそ、女性の人格が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。』
『いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。』
『暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。』

と述べ、要するに、今までの『国際社会の一員として皆と協力して仲良くやります』という姿勢を改め、『世界のリーダー国の一つとしてその責任を自覚し、責任を果たしていく』覚悟を表明しています。

日本は戦前、世界のリーダー国の一員でした。リーダー国の一画として世界の平和と繁栄のために努力しました。しかしそのために結局は他のリーダー国と世界を二分する大戦争をすることになってしまいました。
日本はその戦争に負け、リーダーの地位を失いました。その後、戦後の復興、高度成長を経て、日本はすでにリーダー国の一員となる実力を備えるようになっているんですが、敗戦の経験から、今までリーダー国の役割を担うことを躊躇してきました。しかし、力のある国がそれを自覚せず、それにふさわしい行動をしないことは周りの国にとってははた迷惑な話であり、また政治的・軍事的な不安定要素ともなります。

今回の70年談話でようやく日本も自国の置かれた立場を認識し、リーダー国の一員であるだけの国力を備えた責任を自覚し、それにふさわしい行動をする覚悟を明らかにした、ということは、まさに画期的なことです。

ここまでの覚悟をするのであれば、もはやお詫びとか謝罪とかのレベルの話ではありません。

このような覚悟の表明の総まとめとして、安倍さんは『積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。』と高らかに宣言しています。

この積極的平和主義、というのは、日本国憲法の前文にある
『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』
という部分を踏まえた言葉で、日本国憲法のもっとも重要なポイントの一つです。残念ながらいわゆる護憲派の人たちは憲法のこの部分が目に入らないようです。

もちろん宣言したからと言ってすぐに世界が変わるわけではなく、世界中いたる所でいまだに戦争が続行中です。また安倍さんがいずれ総理大臣をやめた後、次の人がこの宣言を引き継いでいくかどうかも分かりません。安倍さん自身にした所で、今後国際的、国内的な情勢の変化で自分の言葉通りに行動できるかどうか、分かりません。

しかし一旦このような宣言をしてしまったことにより、今後の政府はいずれにしてもこの言葉に縛られることになるでしょうし、国際社会もこの言葉によって日本の行動を評価していくことになるでしょう。

そのような意味で、戦後70年、画期的な総理大臣談話だと思います。

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