Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

『図解 内臓の進化』―岩堀修明

月曜日, 10月 23rd, 2023

この本はブルーバックスの1冊ですが、前に紹介した『新・ヒトの解剖』の続きとして読みました。

この本では脊椎動物というか、その少し前を含んだ脊索動物という範囲で、内臓の進化を解説しているもので、そのため動物の進化に伴い内臓がどのように進化したか、あるいは個体発生に伴い内臓がどのように変化するか、というあたりを解説している本です。説明のためにこの本でもたっぷり図が付いていて、本文273ページに図が188あり、楽しめます。

まず最初は内臓とは何かという定義で『現在は』呼吸器系・消化器系・泌尿器系・生殖器系・内分泌系の5つが内臓だとされています。すなわち脳神経系・心臓血管の循環器系は内臓ではない、という事です。この『現在は』というのがミソで、今はそうだけど以前は違ったということのようです。確かに神経系や循環器系を入れてしまったら、全身が内臓ということになってしまいそうですね。
内分泌系が内臓だというのも、へーそうなんだ、と思います。
確かに膵臓や副腎、卵巣や精巣などは内臓と言っても良いかなと思いますが、甲状腺とか脳の松果体や下垂体も内臓だと言われると、そんなものかな?と思います。

以下この5つの内臓それぞれについて、脊索動物の中での進化の過程を説明してくれています。

まず受精卵が次々に分裂して細胞のかたまりになると、その細胞はテニスボールのように表側に集まります。そこに指を突っ込むとその部分が凹んで穴が開き、それをさらに突っ込んで反対側まで突き抜けると、テニスボールの真ん中に穴が開いたようになります。その穴が消化器で、口から食道・胃・腸・肛門という具合になります。
最初に凹んだ部分が口になり穴が突き抜けた所が肛門になるのを『前口動物』といい、昆虫などがこの部類です。逆に最初に凹んだ所が肛門になり、穴が突き抜けた所が口になるのを『後口動物』といい、脊椎動物などはこちらの部類です。
いずれにしても口から食べ物を取り込み、最後に肛門から出すというので、身体の真ん中を通る穴が消化管となり、消化器系の様々な臓器が作られます。

その消化管の最初の方に溝ができ、外に向かって穴があいて、そこにエラが出来、このエラは食べ物をこし取ったり、そこに口を通して呼吸したりということで、呼吸器系が発達します。その後エラの他に消化管の周りに浮袋ができたり、肺ができたりします。肺を持つのは魚類では『肺魚』という種類とシーラカンスなどの真鰭類(しんきるい)とよばれる魚類です。シーラカンスなどは肺を持ち、もう少しで陸上に上がることができた所でうまく行かず、その後生存競争のために深海に押し込められてしまい、せっかくの肺は脂肪の入れ物となって比重の調整に使われているということです。

肺は両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類で本格的に呼吸器として使われますが、両生類は相変わらず皮膚呼吸をし続け、種によってはせっかくの肺がなくなってしまっているとのことです。

次に来るのが泌尿器系と生殖器系です。どちらも体内のものを体外に出す仕組みで、泌尿器系の尿を体外に出す管を生殖器系の精子や卵子を出す管に流用してみたり、新たな管を作ってみたり、様々な工夫が凝らされています。

泌尿器系ではとりあえず血液の血球以外のほとんどのものを一旦全部外に出してから、その中から必要なものを吸収し直すという仕組みは良く考えたものですね。この泌尿器系と生殖器系も動物の種類によって様々に工夫されており、よくもまあこんなにいろんな仕組みがあるものだと驚くと同時に、良くもまあこんな所まできちんと調べて記録している人がいるものだと、動物学者達の努力にあきれるばかりです。

最後に内分泌系ですが、体内でホルモンを作り、それを外に出さないで体内に分泌するということですが、消化腺で作られる消化液や泌尿器で作られる尿などは体外(消化管も体外です)に出すわけで、体内に分泌するというのは、そのまま細胞のすき間に分泌し、それが毛細血管から血液に入る、あるいはリンパ管から静脈に入って最終的にホルモンの受容体まで流れていくということです。

ここで5つの内臓の説明全て終わった所で、最後にこの内臓の進化の形は一番進化した優れたものなのか検討するため、脊椎動物とはまるで別の進化を遂げてきて、ある意味進化の頂点に立つ昆虫との比較をします。昆虫で脊椎動物の内臓と同じような機能を果たす器官と脊椎動物の内臓の器官を比較すると、呼吸器系以外は非常によく似ており、全く別系統の進化をとげながら進化の行きつく先は同じようになっているという説明があります。

脊椎動物の呼吸はエラないし肺で酸素を取り込んで、それを血液に取り込んで全身の細胞の届けるという形ですが、昆虫では気管を全身くまなく張り巡らして全ての細胞が直接気管から酸素を取り入れるというとんでもない仕組みになっていて、循環器系・血液は呼吸には使われない、というはビックリです。

また内分泌系については、昆虫には神経分泌細胞というのがあって、ニューロンのような軸策を持ち、その軸索を通じてホルモンを直接標的とする器官に届けるという仕組みになっているようで、脊椎動物がホルモンを作って細胞の間に流し込んで、あとは血液が運んでくれるのに任せる、というのとはまるで違うという話も面白い話です。

説明のために図がたっぷりついていますから、それを一つ一つじっくり眺めるのも楽しめます。

動物の仕組みについて興味がある人には是非ともお勧めします。

『騙されないための中東入門』―高山正之 飯山陽

火曜日, 10月 3rd, 2023

この本は飯山さんの本の最新刊として予約してあったのがようやく届いたので読んでみました。とはいえその後飯山さんは『愚か者』という本を出版しているので、もはや最新刊ではなくなってしまいましたが。

かなり待たされたような気がしましたが、発行が今年の2月ということですから、約半年しか待っていません。

もう一人の著者の高山さんという人は産経新聞の人で、イランのホメイニ革命の直後にテヘランに特派員として行き、またそれ以外にもイスラム諸国に何度も取材に行って何度も殺されかけている人です。

で、この本は飯山さんと高山さんの二人による対話形式の本になっています。
2人の著者の冷静で論理的、客観的な視点から、中東・イスラム諸国、ついでにロシア・中国等について話が展開されています。

トルコはオスマン帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
イランはペルシャ帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
ロシアはロシア帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
中国は中国4,000年の歴史の栄光をいつの日にか復活したい。
というような、それぞれ本音の部分であまり人には言いたくないような話をあけすけに暴露しています。

ロシアはヨーロッパからすると長く奴隷の輸入元であり、キリスト教を輸入して独立国家になったと思ったらモンゴル人に隷属させられ、それを跳ね除けピョートル大帝等の努力により産業革命も始まりヨーロッパの一流国になったかならないか、という所で日ロ戦争に負けてしまい、その後の革命を共産党により乗っ取られてしまい、それが崩壊して共産党支配も終わった所で、今度はプーチンによる独裁政治の時代になっているという話です。

日ロ戦争では中東やアジアの国では『日本は良くやった』という声しか聞きませんが、ロシア人にとってはようやく白人社会の一流国になったと思ったら、有色人種の日本に負けやがって白人の恥さらしだと言われるようになって、日本には恨み骨髄ということです。私も『よくやった』というのは知っていましたが、『恨み骨髄』のほうは意識していなかったので、なるほど、と思いました。

中国は4,000年とは言っているものの、歴代の王朝は殆ど異民族の中華支配であって、中華民族の王朝は漢と明の2代しかない、それを『4,000年の歴史』と言って、いかにもずっと中華民族が中国を支配してきたかのような幻想を振りまいている。中国人は異民族により支配されることに慣れ切っているので、現在も多くの中国人は誰かが早く中国共産党(中共)を倒して新しい中国の支配者になってくれないかな、と願っている、なんて事も書いてあります。

中ロにとっては二度の元寇・日清戦争・日ロ戦争と何度も日本を占領しようとして負けており、第二次大戦でも日本占領をねらっていたスターリンをはねつけてしまった。習近平としては、ここで日本に勝てばフビライも西太后もニコライ二世もスターリンもなし得なかった偉業を達成することになるというので、台湾そして日本占領を望んでいるという話です。

この本は中東の本ですから、いわゆる『アラブの春』についても書いてあります。『アラブの春』は中東諸国で民衆が立ち上がって強権的な独裁者を倒したということで一時もてはやさされましたが、その実態は独裁者が倒された革命をイスラム過激派原理主義者が乗っとって独裁を始めた、その結果民衆の生活はかえって苦しくなっている、ということで、一部の国ではそのイスラム原理主義政権を倒すために再革命が起こっているというような話です。

イスラム教のシーア派とスンニ派についても普通イスラム教には2つの流派があって、、、と説明されるけれどそれは違っていて、シーア派もスンニ派も自分達だけが正しいイスラム教徒であって相手の方は異端であって存在を認められない者達だと、キリスト教の宗教戦争時の、カトリックとプロテスタントのような話です。ヨーロッパではこの新教と旧教の争いで人口の何分の1かを失う戦争が起こり、一段落するまで数百年かかっています。このシーア派とスンニ派の争いも、直接相手を殺しあう、ということではなく、自分の都合によりシーア派がスンニ派を利用したりスンニ派がシーア派を利用したりすることも平気ですから、ちょっとわかりにくくなっています。

キリスト教には『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』というような考え方がありますが、イスラム教にはそのような区別がないので、この問題の解決は遥かに難しいかも知れません。

ロシアは日本に負けて白人世界の恥さらしと書きましたが、実はナチスドイツがあのような軍事大国になったのは、第一次大戦後最初にソ連がナチスドイツの軍備拡張に協力したからだ、ドイツは第一次大戦の戦犯として様々な制約を受けていたのに、あっという間にあれだけの軍事大国になったのはロシア(ソ連)の協力あってのことだ、ということはロシアでは一切触れず、ひたすらナチスドイツを倒したのはロシア(ソ連)だと言い続けているのは、その事を表に出したくない、ということなんでしょうね。

最後の後書きにアンネ・フランクのことが書いてあります。
アンネの一家はドイツからオランダに逃げてきて、その時点で無国籍者になっています。それをオランダ国籍を与えようという話が起こって、それに対してオランダの法務大臣が『アンネはオランダのアンネではなく世界のアンネなんだ』なんて訳の分からない事を言って反対したという事があって、朝日新聞の天声人語では『国籍は大事か』なんて記事を書いているんだけれど、これはトンチンカンな記事であって、アンネを捕まえて収容所送りにしたのは実はオランダ警察であって、その事を蒸し返してオランダがナチスに協力したなんて話を思いだしてもらいたくない法務大臣が訳の分からない事を言って反対した。朝日の記者はこのあたり何も分かっていないというような事が書いてあります。

フランスもドイツに占領されていた時、大量のユダヤ人を収容所送りにしたことを極力蒸し返されたくないので、その過去については一切触れず、フランスは最後までナチスドイツに抵抗してドイツを負かしたという話にしたがっているのと同じことです。

国にはそれぞれ歴史があり、栄光の時代・屈辱の時代があります。もう一度栄光の時代を取り戻したい、屈辱の時代はできれば忘れてしまいたい、誰にも思い出してもらいたくない、というのはごく自然な感情ですが、人は常にこの感情に動かされているものだという事を忘れないようにしないといけないですね。

とまれ中東・イスラム諸国・中国・ロシア、その他の様々な問題について、高山さんと飯山さんが楽しそうに話しているので楽しんで読めます。
お勧めします。

『新 ヒトの解剖』―井尻正二 後藤仁敏

火曜日, 10月 3rd, 2023

錬金術のわけの分からない話を読んでいると、もっと具体的な現実的な本を読みたくなり、普段は図書館に行っても本を借りたり返却したりするカウンターと、そのすぐ近くにある『お勧め』コーナー、『新しく入った本』コーナーくらいしか行かないのですが、久しぶりに書架に行って眺めてみました。

この本は人体の解剖の話ですから、ある意味これほど具体的・現実的な本もありません。後書きを見るとこの本は1969年に出版された『ヒトの解剖』の改訂版であり、さらにそれは1967年にブルーバックスの一冊として出版された『人体名所案内-進化のあとをたずねて』を改版したものだということです。今から計算すると、もともとは50年以上前の本ですが、人体が50年かそこらでそう変わっていることもないだろうと思って借りてみました。

この本は大学の医学部などで学生さんが勉強している解剖実習を紙の上でなぞって示してくれるという体裁の本になっています。実際に自分で解剖実習に立ち会うというのは大変そうですが、本でなぞっていくだけなら何とかなりそうです。

で、この本は人体解剖の歴史や解剖実習の対象となる献体の話から始まります。解剖実習で使われる道具類も写真で紹介してくれます。とは言え、実際はピンセット1本あれば殆どOKだということです。

実際の解剖が始まり、まずは皮を剥ぐ所から始まります。
皮を剥いだら内臓や筋肉が現れる、というわけではなく、まずは皮下脂肪が現れ、解剖実習では神経や血管を傷つけずに皮下脂肪を取り除く所から始まります。皮下脂肪を取り除いたら筋肉が現れます。この筋肉を取り除けば胴体であれば内臓が現れ、手足であれば骨が現れ、頭であれば頭骨が現れるということになります。山程の筋肉を一つ一つ確認しながら外していくということになります。胴体と頭以外(手足の部分)の所は筋肉を取り除くとあとは骨だけということになりますが、この骨というのは解剖実習とは別に『骨学実習』というもので学習するもののようです。

さて胴体の方は筋肉を取りきると、そこに現れるのが肋骨。これをハサミで一本一本切っていくと、そこに現れるのが内臓、ということにはなりません。その前に腹膜・胸膜という膜が何重にもカーテンのようになって内臓を覆い隠しており、それを取り除くことによりようやく内臓が見えてきます。ここの所が確認できたのがこの本を読んだ何よりの収穫です。テレビドラマのようなわけにはいかない事が分かります。

私は以前、鼠径部ヘルニアの手術をしたことがあり、その時、方々で癒着してしまった腹膜を力ずくで剥がすという作業をされ、えらく痛い思いをした事があるので、この腹膜には何となく思い入れがあります。また、私の父親もこの腹膜のいたるところにがんが転移して死亡した、ということもあり、何となく気になるものです。

で、この腹膜・胸膜を取り除いたあとの個々の内臓の話は今まで何度か読んだことがあります。この本では正面、お腹の側からひとつひとつ内臓を取り出していって内臓がお腹の中にどういう位置関係で収まっているか(押し込まれているか)、すなわち何を取り除いたらその奥に何が現れるか、も図解してあるので、それを眺めるだけでも面白いです。

あとは脳ですが、これは解剖実習の最初の方で頭蓋骨(普通はズガイコツと読みますが、解剖学ではトウガイコツと読む、とのことです)を一部切り離し、脳の部分だけ取り出してホルマリン漬けしておいて、あとで解剖実習するということです。

ここでも頭蓋骨を切り離してパカッと開けると、そこに脳があるというわけではなく、硬膜という丈夫な膜が脳をすっぽり包んでいて、それを切り離してやっとクモ膜・軟膜という柔らかくて薄い透明な膜に包まれた脳を見ることができるということです。

脳を取り出すにはまず左右の大脳半球のあいだの硬膜を取り、次に大脳と小脳の間の硬膜を切り、脳から出ている神経や血管を一つ一つメスで切って、最後に延髄と脊髄の境界を切断すると、ようやく脳を頭蓋骨から取り出すことができる。取り出したばかりの脳を両手で持つとホルマリンの浸透が悪い時は豆腐のような柔らかさで、表面がプリンプリンしている、それをホルマリン液に漬けると焼き豆腐ほどの固さになる、という具合に非常に具体的に書いてあります。

顔と頭の解剖では、まず頭と胴体を切り離す。
食道・気管・筋肉・神経・血管を切り離し、頭蓋の後頭部を縦にノコギリで切って、次に頭蓋と第一頸椎の間の筋肉とじん帯を水平に切れば、後頭部の骨と首の骨を胴体につけて、頭と首の前の部分を胴体から切り離すことができる。これを『首切り』でなく『首おとし』と呼ぶということです。
落とした首は筋肉・口・鼻・目・耳・歯と順番に見ていき、ついでにこれらの部分がどのように進化してきたかの説明がついています。

この本にはこのほか『男のからだ女のからだ』という章と、『労働力としての人体』なんて章があり、著者のちょっと左翼的な考え方がみられ、ちょっと毛色の変わった解剖学の本になっています。

医学部の学生さん達は皆1年がかりでこんな大変な作業をしているんだ、と思うと医学部に行かなくて良かったと思います。

人の身体に興味はあるけれどお医者さんになるのは大変そうだな、と思う人にお勧めです。

『錬金術の歴史』―池上英洋

火曜日, 8月 29th, 2023

私が今まで読んだいろんな本の中に『錬金術』という言葉は何度となく出てきました。

言葉だけ出てくる場合もあり、また錬金術について多少の説明やコメントが付いている場合もあります。いつかきちんとまとめて錬金術について書いた本を読んでみたいと思っていたら、この本が図書館の『新しく出た本』コーナーに入っていたので、早速借りて来ました。

『錬金術』というのは、金でない物を金に変える技術、あるいはそのための薬品のことで、この薬品は『賢者の石』と呼ばれることもあり、それを飲むことにより不老不死になることもできる、というようなものです。

古代エジプトやメソポタミアの神話から始まり、ギリシア・ローマの神話の世界とプラトン・アリストテレスの哲学の世界を一神教のキリスト教の世界と統合しようという企てですから、とてつもない話です。

そのため錬金術の本に書かれていることは、隠喩、寓意、たとえ話、等々が盛りだくさんで、それを読み解くために特殊な知識と工夫が必要です。文章だけじゃ分かりにくい所を絵で説明することもあるのですが、この絵自体が何とも訳のわからないもので、この太陽と月は何を意味にしていて、この鳥はこんな意味で、この雨はこんな意味だなんて、いちいち絵解きをする必要があります。

王様と王妃が一緒になり、殺され、焼かれ、復活し、また一緒になって、殺され、焼かれ、復活し、というプロセスを何度も繰り返すことにより次第に純粋な完全に存在になっていく、という話が絵になっています。

とは言えその絵解きの文章が訳の分からない物ですから、分からない人にはいくら読んでもわかりっこありません。それでも基本的な知識をもって何度も繰り返し読み、また実験を繰り返せばわかってくることもある、という事のようです。

ギリシャの四大元素、すなわち『土・火・水・空気』の組合せで全ての物質を説明する考え方に、『熱・冷』、『乾・湿』の2つの性質を組合せ、それらの組合せを完全にバランスのとれたものにする事により、金でない物を完全に金にすることができ、あるいは人間であれば完全なほとんど神と同様の不老不死の生き物になれる、ということのようです。

『熱・乾』の要素として硫黄、『冷・湿』の要素として水銀を用い、様々な物質に硫黄と水銀を加え、交ぜ合わせたり熱したり冷やしたり蒸留したり煮詰めたり、これを何度も繰り返して少しずつバランスを完全なものに近づけていくプロセスが、不思議な絵と文で説明されていきます。

面白いことに、キリスト教では最後の審判によって死んだ人も生き返って天国に行くことになっているのに、キリスト教の高位聖職者であってもそれを待たずに『賢者の石』を服用して不老不死になろうとした人もたくさんいた、という話もあります。

ローマ教皇も、代替わりの都度、何度も錬金術を推奨・支援したり、代が変われば異端として禁止してみたり、を繰り返していたようです。

『錬金術』というのは古代エジプト・メソポタミアにもあり、あるいは古代中国にもあったものですが、この本で取り上げているのは古代ギリシャの錬金術が、ローマ帝国の滅亡によりイスラム世界に伝えられ、それが十字軍によりヨーロッパに伝えられ、ルネサンスでギリシャ神話の世界、プラトン・アリストテレスの哲学とキリスト教神学を統一する、という考え方の一部として独特に発展させられたものです。

この本の中ではルネサンスを代表してレオナルドダヴィンチも登場し、また宗教改革による新教徒・旧教徒の殺し合いでルネサンスが終了した後の世界の最後の錬金術師としてニュートンも登場します。ニュートンの書斎が飼い犬の起こした火事のために多くの書類を焼いてしまった後、残された書類がニュートンの死後長く封印されていたものを200年後に子孫がオークションにかけ、その多くを競り落とした経済学者のケインズが数年かけて解読し、ニュートンを『最後の魔術師』と呼んだ、という話もあります。

またフリーメーソンというのが元々石工・建築家のギルドであり、その中で職人から親方への昇進の儀式についても詳しく説明してあります。即ち一旦親方衆によって殺され、その後、親方の一人として復活する、ということを模倣する儀式だ、ということです。

本文360ページで、1つの絵で1頁まるまるを占める部分が50頁もあり、それを含めて全部で150を超える図が入っています。その図の説明は何とも訳の分からないものですが、それなりに楽しめます。

西洋の錬金術というのがどういうものか、その中に隠れている、キリスト教の中では異端として否定されているグノーシスという考え方がどういうものか、うまく整理して説明してくれています。

理解するのはほぼ不可能だと思いますが『こんなものだ』と読むだけなら楽しめるかも知れません。

興味があったら読んでみて下さい。

『朝日新聞政治部』―鮫島浩

火曜日, 8月 29th, 2023

この本は、1年前に出た時にちょっと話題になった本で、一応どんなものかと思って図書館で予約し、1年経ってようやく借りて読むことができたものです。

この鮫島さんという人は元朝日新聞の記者で、一番有名なのは福島原発の吉田調書のスクープ事件で、福島原発の事故の時の吉田所長の調書を手に入れ、それをとんでもない解釈で朝日新聞の1面トップにのせた、捏造記者、ということで有名な人です。それ以外でもいかにも朝日新聞らしいとんでもないネットの発言で有名な人です。

この本はいわゆる『意識高い系の若者』(どうもこの手の人は、歳をとっても若者以上には成長できないようです)が何をどう考えているか、を知るのに恰好な本になっています。

自分がいかに自分より偉い人に正面からぶつかっていったか、それによって従来のやり方をどのように変えさせていったか、いかに多くの偉い人を知っているか、自分がいかに不当にいじめられてきたか等々、意識高い系の生態が本人の筆で生き生きと表現されています。

本当に自分にとって痛手になるようなことはあえて言及せず、それほどでもない失敗について書きながら、いかにも、自分の失敗を正直に書く自分って凄いだろう、という意識がありありです。

この人が吉田調書問題で社内で事情聴取されている時、『自分が信頼を寄せていた会社が組織をあげて上から襲いかかってくる恐怖は経験した者にしか分からないかも知れない。』と書いていますが、別に今の時代、殺されるわけでもないのに、嫌ならさっさと会社を辞めてしまえばいいだけなのに、意識高い系が、偉そうなことを言いながらいかに自分が属する組織にべったりしがみついているか、良く分かる言葉です。

この人は結局停職2週間、記者としての職を解かれ知的財産室という所に配属され、そこで初めてネット上で朝日新聞がどのように扱われているか見るようになった、という事もかいています。それが2015年の事ですから、それまでほとんどネットを見ないで朝日新聞しか見ていなかった、ということのようです。

『朝日新聞記者の大半は毎朝起きてまずは朝日新聞を読む』と書いています。こんな物を朝一の一番頭が冴えている時に毎朝読んでいたら、頭がおかしくならない訳がありません。納得できる話です。

著者は吉田調書問題で会社の処分を受けながら会社にそのままとどまり続け、記者の身分もすぐに回復してもらい、相変わらず問題を起こし続けて、2021年にようやく会社の早期退職の募集に応じて朝日新聞をやめます。そこまでしてしがみつきたい会社だったというより、会社をやめたらどうして良いか分からなくて不安だったと、ということでしょうね。

早期退職に応募してすぐに有給休暇に入り、約3ヵ月にわたりネットに『記者辞めます』と宣言して、そこに至る事情を毎日書き連ね、退職日に会社から貸与されていたパソコンと社員証を会社に返しに行った、なんて話を自慢そうに書いていますが、退職日が決まりそれまで有休消化が決まっている人にそのまま社員証とパソコンを持たせておくというのも、朝日新聞自体が意識高い系の役立たずの会社だ、ということの現れだと思います。

これを読んだ所で何の役にも立たない本ですが、このような内容の意識高い系の人の自画像に興味がある人にはお勧めします。

『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』『癌め』―江國滋

木曜日, 8月 10th, 2023

この本は江國滋さんが癌になり、入院して手術し、闘病して死に至るまでの半年間の日記とその間に詠んだ俳句集です。

この江國滋という人は、今では作家江國香織の父親だと説明されているということをどこかで読み、昔は『江國香織は江國滋の娘』と説明されていたのがいつの間にか逆転していたんだなと思い、そういえば江國滋さんというのはあまりまともに読んだ事がないなと思って借りてんだのが『俳句と遊ぶ法』という俳句の解説・入門書です。面白かったのでついでにそういえばまだ読んでなかったなと思って借りたのが、この『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』と『癌め』の2冊です。

はじめは『酌みかはさうぜ』を借りるつもりだったのが、検索したら『癌め』の方も出てきたのでついでに借りました。

『酌みかはさうぜ』は江國さんが癌の診断を受け、がんセンターに入院し手術を受け、途中で外出や外泊を許されながら結局半年後に死亡するまでの病中日記です。診断を受け手術を受けることが決まってから、子規に倣って病中日記を綴り、俳句を詠んで俳句集を作ると決めて、そのとおり実行した病中日記が『酌みかはさうぜ』の一冊で、その中で披露されている俳句を取り出して俳句集の形にしたものが『癌め』です。

本来であれば手術が終わり退院した後できちんと整理して出版する予定だったのが、その余裕もなく死亡してしまったので、とりあえず残された原稿をほぼそのまま本にしたというような本です。

江國さんの癌は食道癌で、胃は既に半分なくなっていたので結局食道と胃を取って大腸を引っ張り上げて食道につなぐ、という大手術で、肋骨の中を通すのは大変なので胸の肋骨の上を通って大腸と食道をつなぐ、というものだったようです。10時間以上の何とも大変な手術を終え、飲み食いができない日が続き、少しずつ飲んだり食べたりできかかった所で右手が痛くて上がらなくなり、結局それは癌の転移によるものだということで、その手術もしています。

最初の大腸をつなぐ手術も一度で完璧にはつながらず、何度か再手術をし、また途中で右腕の骨折もしてその手術もし、ということで大変な思いをしながらも、とりあえずいったん退院となった所で再度入院で救急車で病院に戻り、そのまま亡くなったという話を、途中、一部奥さんが口述筆記により代筆したり、最後に自分で書けなくなったところを奥さんが報告したりして、最後にこの『酌みかはさうぜ』の句で締めくくっています。

『癌め』の方はこの病中日記の中の俳句を整理して句集にしたもののようで、『酌みかはさうぜ』を読み終えてしばらくたってから読んでみました。

江國さんの句はあまり専門家らしくなく普通の言葉で分かりやすく詠まれています。一見しろうとの句かと見えるような味わい深い句がたくさんあります。

癌宣告を受けて
 『残寒や この俺がこの俺が癌』(本の9ページ)(2月6日)
 『春の宵 癌細胞と混浴す』(本の18ページ)(2月11日)
 『永き日や 聞きしにまさる 検査漬け』(本の22ページ)(2月17日)
 『三寒の 月月火水木検査』(本の22ページ)(2月17日)
とかから始まり、長引く入院生活にうんざりして
 『夏立ちぬ 腹立ちぬ また日が経ちぬ』(本の126ページ)(5月5日)
 『夏は来ぬ われは骨皮筋左衛門』(本の123ページ)(5月3日)
とか、
 『自嘲
  吉兆の かぼちゃなら食う 男かな』(本の173ページ)(6月23日)
とか、あるいは

 『「骨シンチ」の検査受く。シンチグラフィー
  シンチグラムの略にて、「アイソトープ集積像」の意味なり。たわむれに
  骨シンチ むかしは俺も 北新地』(本の158ページ)(6月5日)
なんてふざけたりもしています。

最後に
 『敗北宣言
  おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒』(本の196ページ)(8月8日)
が辞世の句となりました。

ちょっと重たい本ですが、自身の癌を正面から受け止め一喜一憂しながらどう作品に仕立てているか味わい深い本です。

お勧めします。

『トウガラシの世界史』―山本紀夫

木曜日, 8月 10th, 2023

この本も図書館の『お勧めコーナー』で見かけて借りて読みました。
最初この本が出た時興味があったのですが、何となく読みはぐっていたもので、やはり面白い本でした。

トウガラシとはどういう物か、から始まって、中南米でのトウガラシの食べられ方、ヨーロッパへどう渡ってどう食べられているか、アフリカにはどう渡ったのか、東南アジアにはどう渡ってどう食べられているか、中国では、韓国ではと来て、最後に日本では、となっています。

香辛料をインドから直接輸入しようとしてヨーロッパの大航海時代が始まったのですが、コロンブスのアメリア発見とバスコダガマのインド航路の発見で、中南米との通路・インドとの通路ができたことで中南米の植物が利用可能となったこと、コショウなどの香辛料は限られた地域でしか栽培できないのに、トウガラシはどこでも栽培できるため世界中に広まったこと、ヨーロッパに渡ったトウガラシからハンガリーであまり辛くないパプリカが生まれたこと、パプリカにはビタミンCが大量に入っていて、それを見つけたセントジェルジはノーベル賞を取ったこと、たった数百年で世界中でトウガラシを大量に食べるようになったのに対し、日本では七味唐辛子の中に入ったくらいだなんて話が入っています。

中南米では栽培種のトウガラシだけでなく野生のトウガラシもいまだに利用されているとか、トウガラシの辛さの単位は人間の舌で、トウガラシ抽出液を水で何倍まで希釈した時に辛さが認識できなくなるかで測るとか、バスコダガマのインド航路は2回目からはブラジル経由で喜望峰に行ったということで、立ち寄ったブラジルでトウガラシを積み込み、それをインド・インドネシアで降ろしてコショウに積み替えたのかも知れないとか、ヨーロッパがアジアからアメリカにサトウキビを持ち込み、そのサトウキビ栽培のために大量のアフリカ人奴隷をアフリカからアメリカに運んだ、その代わりにトウモロコシを中南米からアフリカに運んだなんて話もありました。

また『赤とんぼ羽をもぎればトウガラシ』という句がありますが、『朝顔につるべ取られてもらひ水』で有名な加賀の千代女がこの句について『俳諧はものを憐れむを本とす』と言って『トウガラシ羽をはやせば赤とんぼ』と手直しした、なんて話もあります。すなわちこの頃までには日本でも既にトウガラシがごく一般的なものになっていたという事です。

お勧めします。

『トコトンやさしいコラーゲンの本』―野村義宏

月曜日, 8月 7th, 2023

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーで見つけて借りてきました。
コラーゲンという、何となく分かったようで分からないようなものについて、きちんと整理して理解してみようと思ったわけです。

DNAの二重らせんというのは良く知られた話ですが、コラーゲンというのはタンパク質のひもが三重らせんになっていて、それも三重らせんになっている部分となっていない部分がある、ということで様々な構造を作ることができるということです。
DNAは基本的に細胞の核の中にあって、部分的にRNAにコピーされるという機能ですが、コラーゲンは細胞の中でその元がつくられるけれど、基本的に細胞の外で最終的に完成され活用されるということ、コラーゲン分子の並べ方により一次元のひも状、二次元のシート状、三次元のかたまり状と様々な形態となるということ。骨というのはコラーゲンのかたまりの中にカルシウムを混ぜて固くしたもので、骨から中に入っているカルシウム等を取り除くと形は保たれるもののぐんにゃりと曲げることができるコラーゲンのかたまりになることなど、面白い話が盛りだくさんです。

単細胞生物が多細胞生物に進化する時、いくつもの細胞を一つにまとめておくための基盤となる構造が必要となります。そこで動物はコラーゲンを利用することとし、コラーゲンの上に細胞を並べることにより体をつくった。植物の場合はコラーゲンの代わりにセルロースを利用し、細胞のまわりに細胞壁を作ってそれをつなげることにより体を作り、高い木を作るための強度が必要になって、そこにリグニンを利用した、ということ。コラーゲンにはいくつもの種類があり、また温度特性も様々に異なるため様々な用途に利用されている事。コラーゲンをバラバラにしたゼラチン、これをさらに分解したコラーゲンペプチドまで広げるとさらに利用範囲が増えることになります。

たとえば写真フィルムにはゼラチンが使われているのですが、この写真用ゼラチンには厳しい国際規格があって、これは日本主導で制定されたものだということです。

またレンチンするまでは固まっていて、レンチンすると液体になる食品もゼラチンを使っていて、コンビニ食品の種類を増やしています。

またコラーゲンはきちんと並べると透明になり、角膜はコラーゲンでできている、なんて話もびっくりです。

また子供が生まれる時の胎盤というのもいろんな種類のコラーゲンの宝庫だ、という話も納得がいきます。

コラーゲンは動物の種類ごとに違いがあり、その違いを使い分けることにより、利用範囲が広がること、哺乳類のコラーゲンは一般に牛や豚の肉を取ったあとの皮から取る事、魚類のコラーゲンは一般にウロコから取る事等、面白い話満載です。

コラーゲン、というのは美容の話だけではない、ということで、ちょっと面白い話の好きな人にお勧めです。

『古文書「候文(ソウロウブン)」入門』

月曜日, 8月 7th, 2023

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーにあったものを借りてきました。

候文というのは国語でいう古文でも漢文でもない、江戸時代の前から明治時代まで、手紙・命令・報告・その他に広く使われていた日本語の文語文の一つの形態ですが、慣れれば何となく読めるということで、あまりきちんとした解説を読んだことがありません。

で、この本は、その候文の解説なんですが、辞書というか単語集といった体裁の本ですから全体を読むというよりはこのような本がある、必要に応じて参照することができるという事が分かった、というのが重要です。

候文というのは、漢文のような返り点付きの漢字句をふんだんに含んだ日本語で、候文独特の敬語(尊敬語・謙譲語・丁寧語)がたくさんあります(まあ候文の候というのも敬語の一つでもありますが)。また(普通の漢文ではまず目にすることのない)候文独特の単語もいろいろあります。

運が良ければ返り点が付いていますが付いていない場合も多く、自分で返り点をつけてひっくり返して読む必要があります。場合によっては返り点をつけてひっくり返すべきところ、ひっくり返さないまま書いている、なんてこともあります。

また送り仮名に使われる仮名の代わりの漢字もいろいろあります。たとえば「者」⇔「は」、「而」⇔「て」、「与」⇔「と」、「茂」⇔「も」なんて具合です。

しかしそこらへんを踏まえて読めば読めないことはないのですが、本当にそれで良いのかちょっと心許ないところがあります。その点こんな本があると助かります。

この本は私が普段利用している図書館の蔵書ですから、借りるにしても他の図書館から配送してもらう手間と時間は省略できそうです。多分ほとんど他の人が借りるなんてことはなさそうなので、いつでも好きな時に借りられそうです。有難い話です。

『ロシアを決して信じるな』―中村逸郎

木曜日, 8月 3rd, 2023

この本の著者の中村逸郎さんという人はロシアの専門家として、特にウクライナ戦争が始まってからテレビで引っ張りだこの人気者で、ネットのYouTubeでも人気の人です。

ネットの番組では、登場するコメンテーターが『新刊が出ます』とか『出ました』とか言って自著を宣伝することが良くあるのですが、この中村さんの場合『絶賛在庫中です』なんて言っていたので読んでみたのがこの本です。

まあ2021年の著書ですから『新刊』というわけにいかないとしても、それほど古い本ではありません。

で、読んでみると、次から次へと信じられないようなエピソードだらけです。ですが基本的に全て著者自身が経験し、あるいはロシア人から直接聞いた話ばかりです。

これらの話を読んで呆然としてしまいました。今までいろんな国、いろんな時代の人の話を読んできましたが、このロシアとロシア人というのは全く理解不能な国、および人々じゃないかと思いました。

で、図書館で検索してこの人の本を借りて読んでみることにしました。今度は年代順に
1)東京発モスクワ秘密文書
2)ロシア市民 ― 体制転換を生きる
3)帝政民主主義国家ロシア
4)虚栄の帝国ロシア
5)ロシアはどこへ行くのか
6)ろくでなしのロシア
7)シベリア最深紀行
の7冊です
最初に読んだ『ロシアを決して信じるな』はこれらの本の総集編のようなものです。

この中村さんという人のアプローチは非常にユニークで、個別具体的に一人一人のロシアの住人に話を聞いて、人々がどのように生活し、どのような問題を抱え、どのように考えているか、という話を次々に紹介してくれています。話を聞くために相手との信頼関係を作り上げる為、十分な時間をかけているようです。

最初の『東京発モスクワ秘密文書』は、ソ連の崩壊前のモスクワで、共産党が全てを仕切っていて、全ては国有で住民は国営企業で働いている、という時代です。

住民はアパートに住んでいますが、一家族で70~80㎡くらいの3Kくらいの部屋に住んでいたり、あるいはそののような部屋の各室にそれぞれ別々の家族が住んでいて、台所とバス・トイレは共有になっている、なんていう具合です。場合によると自分の家族の部屋に行くために他人の家族の部屋を通らなければならない、なんてこともあります。そのアパートも第二次大戦後すぐ、あるいはロシア革命後すぐに作られて、いずれにしてももう十分年数の経った建物が、殆どまともな修繕工事をしないまま使い続けられているものです。いくらでも不具合が生じてきます。

国有財産のアパートに不具合が生じても、住民は勝手に修理するわけにはいきません。国営の修繕工事会社に修理を依頼するのですが、住民が連絡したからってすぐに来てくれるわけではありません。

法律も裁判所もあるにはあるのですが、法律があるからと言って自動的に誰かが動いてくれるわけではなく、裁判で判決が出てもそれで誰かが動いてくれるわけでもありません。

で、住民は区役所に行っても修繕会社に直接言っても、裁判所に行ってもどうにもならないので、結局共産党の地区委員会に相談に行きます。共産党の地区委員会の決定があれば、区役所も修繕会社も動いてくれます。

著者は最初共産党がどのように機能しているのか、クレムリンに見に行くことはできないので共産党の末端の地区組織の書類を見ればその中に党中央からの極秘指令のようなものもみつかるかも知れないと期待していたけれど、著者が苦労して集めた309文書5000ページの資料にはそのようなものは皆無で、資料の中身は全て住民の苦情相談の内容と、その解決方針だけだったということです。これが極秘資料だ、というのも共産党の秘密情報が入っているから、というより、苦情処理の案件で、関係住人の個人情報が満載だからだ、ということのようです。

著者は途方に暮れ、たまたま同じホテルにいた高名な学者に相談した所、著者の手に入れた資料こそ重要なものだと教えられたということです。同様の文書はソ連時代はいくらでもあったと思われるものの、ソ連が崩壊し共産党がなくなって、もはやどこにも残っていないだろうということでした。

次の『ロシア市民 ― 体制転換を生きる』というのは、ソ連が崩壊し共産党がなくなった、混乱の時代の話です。

ソ連がなくなって私有財産が認められるようになり、国有財産だった土地が市の所有になったり、アパートの所有権も一部住民のものになったりしてきたものの、住民の暮らしは苦しくなる一方で、一部新興の財閥企業や進出してきた外資系企業に関わることができた人々はバブルを謳歌したりしていますが、その他の人々はそれまでより苦しい生活を余儀なくされています。国有だった土地がいつの間にか新興財閥の物になり、その不動産開発のために周辺のアパートが倒れそうになるとか、新しくできたアパートが周りに鉄柵を張り巡らしたことにより他の住民は通り抜けができなくなったり、その中に囲われてしまった公園を使うことができなくなってしまったり、アパートの水道が勝手に途中で止められたり、スチームの暖房が途中までしか来ないで、何年も暖房なしでモスクワの冬を過ごさなければならないとかの話が次々と紹介されます。前のように苦情相談窓口の共産党地区委員会もなくなってしまっているので、何とも大変な話です。

次の『帝政民主主義国家ロシア』でいよいよプーチンの登場です。

ゴルバチョフ・エリツィンの混乱の時代をこえ、エリツィンの指名を受けてプーチンが大統領になります。とは言え、選挙では公約は一切発表しない、という選挙です。大統領になったプーチンは政治的経験も後ろ盾になる勢力も皆無という状況で、出身のサンクトペテルブルグの人脈を使って権力基盤を作っていき、それと同時に国民からの直接の支持を獲得するため『慈父のような皇帝プーチン』というイメージ戦略を採用します。

全国に皇帝プーチンに対する直訴を受け付ける機関を作り、だれでも自分の意見・悩み・困っている事を皇帝プーチンに直接ぶつけることができるようにしたわけです。とは言え実際にプーチンが話を聞くわけではなく、一人30分まで、という範囲内でお役人が話を聞いて、それをプーチンに届けるということですが、悩みを抱える住民にとってみればたった30分でも自分の話をお役人が聞いてくれ、それが直接プーチンに届くかも知れないということは、それだけで大いに期待できることのようです。

で、ここで著者は何とその直訴の受付をする窓口の役所に入り込み、直訴する順番を待っている人、お役人に話をし終わって出てきた人、直訴を受付け話を聞いたお役人等々から直接話を聞くというとんでもない事をします。

ロシア人は自分ではどうにもならない問題を抱え、いつか慈父のような公明正大な皇帝があらわれ、社会の不公正を正し、自分の抱える問題を解決してくれるに違いないという希望に向かって生きているようです。

次の『虚栄の帝国ロシア - 闇に消える「黒い」外国人たち』というのは、ロシアにおける黒人問題です。黒人と言ってもアフリカ系の黒人の話ではなく、ロシア人に比べると肌の色が多少とも黒い、中央アジアやカフカスからの不法出稼ぎ労働者の話です。ソ連が崩壊し、旧ソ連のロシア周辺諸国はとんでもなく悲惨な状況に陥り、それでもロシア自体は外資系企業の進出、ソ連時代の国有財産をかすめ取った新興財閥、石油や天然ガス等の資源開発で部分的にバブル経済になっていて、それを狙って周辺諸国から不法出稼ぎ労働者が大挙して押しかけているという話です。『不法』というのは、正規の手続きを踏もうとするととてつもなくお金と時間がかかるので、否応なく不法にならざるを得ない。不法であるため鉄道に乗るにもロシアで働くにも、方々で警官や駅の職員やお役人のピンハネの対象となり、それで本来の報酬の1割くらいしか手許に残らないとしても国に残って働くより何倍もの報酬が得られる、という事で、自国で校長先生をしていたような人まで出稼ぎで建築労働者として働いている、なんて話です。ロシアでは、いかにもロシア人を雇っているかのようなふりをして実際はほとんど不法出稼ぎ労働者を働かせ、コストを浮かすと同時に名義貸しをしてもらっている友人・知人のロシア人に不労所得を分け与えていて、それもロシアのバブルの一部になっている、なんて話です。

次の『ロシアはどこへ行くのか』は、プーチンの2期の大統領の任期が終わり、プーチンはメドヴェージェフを後継の大統領にし、自分はメドヴェージェフの指名を受けて首相になる時の話です。

プーチンは大統領を下りるにあたって自分の政党『統一ロシア』を作り、選挙で圧倒的な第一党になり、その第一党のオーナーになるけれど、自分は党員にはならない。その議会選挙の次の大統領選挙では自分の後任のメドヴェージェフに圧倒的な勝利を得させる。その二つの選挙の不正工作について実際にかかわった市役所の職員の話を紹介しています。大統領選の時は不正をやり過ぎてあまりにもメドヴェージェフが勝ってしまったので不正工作を少し戻した、なんて話もあります。いずれにしても役所と選挙管理委員会ぐるみの不正選挙の話が詳しく紹介されます。

次の『ろくでなしのロシア』というのは、ロシア正教会の話です。プーチンは憲法改正を終え、無事、大統領に返り咲いています。これまでの話でロシアという国のろくでなさにトコトン呆れ果ててしまった著者は、ロシアの中でも真っ当な部分を求めてロシア正教会を訪れます。そこで著者が目にしたのは何と正面に飾られた聖人プーチンの肖像画だったという話です。

ロシア正教会は帝政ロシアの国教として、ロシア全土の3分の1を所有するような存在だったのが、ロシア革命により殆ど全ての財産を国有化されていたのが、プーチンによってまずは国有化されていた土地は全て返すことになり(とはいえ国有化から100年近くも経っており、ソ連が潰れてからも何年も経っているわけで、すでに他の企業に売却済みだったり工場が建ってしまっていたりしてそう簡単には元に戻れないようですが)、また様々な税法上の優遇措置を受けて一気にロシア最大の財閥となっており、プーチンは議会・政府に続いて正教会まで手に入れてしまったという事です。ロシア正教会は聖職者たちももはやビジネスマンとなってしまっているという話です。

ろくでなしのロシアがここまで浸透している事に呆れ果て、著者はついにロシアの心のふるさとシベリアに赴きます。ロシア正教会の聖地となっている村、イスラム教の村、トナカイの群れを追って日本の半分位の距離を毎年南北に行き来している遊牧民の村、シャーマンがまだまだ健在の村、第二のエルサレムと言われるロシア正教会の教会とイスラム教のモスクとユダヤ教のシナゴーグがすぐ近くに建っていて聖職者同士、仲良くしている村、ドイツ・ポーランドあたりから逃げてきたプロテスタントの村で、カトリックの神父に来てもらって、ポーランド語のカトリックの祈祷書を読み、カトリック教会の讃美歌をポーランド語で歌い、終わった後でみんなでロシア語で民謡を歌うなんて話や、イスラム教徒の村で住人のイスラム教徒のタタール人が、村にモスクがないので普段はロシア正教会の教会に行く、なんて話や、ロシア正教会で宗教改革があった時、それを受け入れずに奥地に逃げ込んだ人たちの村で、ロシア人になるのを拒否するためにロシア正教会に入るのを拒否する人達、その村のさらに奥地で誰とも交流せず一人で暮らし、ついにはロシア語すら忘れてしまった人の小屋も訪ねます。

ろくでなしのロシアとは全く違うロシアの原風景に心癒された著者ですが、ここで不思議な体験をします。シャーマンの村を訪ねた時、シャーマンの小屋で何枚も写真を撮っていたら、いきなりボタンが効かなくなり写真を撮る事ができなくなります。このシャーマンの威力は日本に帰ってからも続き、著者がこの部分の原稿を編集者に送った所、そのメールがどういうわけか未送信とみなされて2時間おきに繰り返し送信され、回復するのに2週間ほどかかり、いったんそれが収まった後、試しにもう一度シャーマンに関する簡単なメモを送ったらこれも2時間おきに繰り返し送信され、直るのにまた2週間かかった。これに懲りて最終的な原稿はUSBメモリーに入れて郵送したところ、編集者が写真のうちのいくつかを涙を飲んで削除したら削除してない文章の方が全部削除されてしまった、なんて不思議な話も付いています。

これで最後が私が最初に読んだ『ロシアを決して信じるな』になるのですが、何ともすさまじいロシアです。

最後にこれらの話に登場するロシア人の言葉を紹介します。
『ロシアは予見できない国です。予想だにしなかった不思議なことが突然起こり、時には他人の悪意による行いで生活が歪められたりします。思い通りに行かないことばかりで、他人への期待はいとも簡単に裏切られてしまいます。だからロシアではあなたはびっくりしたり失望したりすることばかりに見舞われます。そのために逆に言えば人間の倫理や善意を問う文学や哲学思想が多くなるのです。』
『私達が予想不可能な国に住むことになってしまったのは、過去から何かを学び、それを将来に生かしたり未来を予測したりしなかったからです。悪意・絶望・怒り・幻滅・恥辱という人間の感情により歴史が歪められてきました。』
『結局私達ロシア人のいない所が良い場所なのです。』
『こんな悲惨な状況はそう長く続くわけはない、もっと悪くなるだけだ。』
『モスクワ市内の狭い裏通りをロシア人の男性が運転するロシア製の無骨なデザインの車が走っていました。前方を二台の自動車が快走しており、それぞれの車の運転手は神と悪魔だったらしい。その道の先は行き止まりになっていました。神は急に右折して大きな通りに向かいましたが、悪魔はその手前を左折し路地に迷い込みました。あとを追うロシア人はこの2台の車の動きを見定めてからどちらに曲がるべきか迷うことはありませんでした。神を追うかのように右方向にウィンカーを出しておいて、実際には悪魔の方に左折しました。神に敬意を払う素振りを見せておきながら本音では悪魔に魅了されているからです。』

というものです。

西ヨーロッパの近代社会というのは、絶対王政の下で市民社会が発展し、絶対王政の崩壊と共にそれが国民国家になる、というプロセスを通して出来上がっています。ロシアの場合、ロシア帝国の下で市民社会が出来上がりつつあった時にロシア革命がおこり、共産党により市民社会が潰されてしまい、そのまま現在に至っているということだと思います。
とすると、社会の近代化を経験できない国というのは多少ともこのような面があるのかな、と思います

私は若い時ドストイエフスキーの作品をいくつも楽しんで読んだことがあります。この中村さんの8冊を読んで、その当時の私はまるっきり読み違えていたのではないか、と思わずにいられません。
この感想文を書いて、しばらくほとぼりをさました後で改めてこの8冊をゆっくり読み直し、その後ドストイエフスキーの本を読み直してみようと思います。ドストイエフスキーの本はどれも長いものが多いのですが、少なくとも比較的短い『罪と罰』くらいは読み直し、どれ位違った世界が見えるか確かめてみたいと思います。

ということで、この8冊、おすすめです。8冊すべてだと多すぎる、という場合はこの最新の『ロシアを決して信じるな』だけでも、おすすめです。