Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

ピケティ 『資本とイデオロギー』

火曜日, 11月 14th, 2023

これはいつもの読書感想文ではありません。この本を私は読んでもいないし、読もうとも思いません。

今日たまたま駅で若干の時間ができてしまったので、久しぶりに駅中の本屋さんをのぞいてみました。その中で異彩を放っていたのがこの本です。何しろ1000頁を超えるページ数、7000円近い定価ですから一体誰がこんなものを読むんだろうと思ったのですが、考えてみたらマルクス・エンゲルスの資本論はこれよりはるかに大部のものですから、これで驚いていても仕方がないという事でしょうか。

ピケティの本は以前『21世紀の資本』を読んで、(あくまで、私にとって、ということですが)読む価値のない本だと分かっていますので、この本も最初から読もうとは思いません。しかしこの人が相変わらずこんな大部の本を書いており、それを翻訳して出版している出版社があるということにびっくりしてしまいました。さらには大型の書店ならともかく、駅中の本屋さんに置いてあったので驚きました。とは言え売れなければ返せば良いだけなので、エキナカの本屋さんにとっても大したリスクではないのかも知れませんが。

むしろ間違って買うお客さんがいたら、定価が高い分本屋さんにとっても望外の儲けになる、という話なのかも知れません。

ということで、今回は『読まない感想文』でした。

『読み書きの日本史』―八鍬友広

水曜日, 11月 8th, 2023

この本は図書館の、新しく入った本コーナーに入っていた本で、久しぶりの日本語の本かなと思って借りたのですが、そういえば『候文』を読んでいたので、その続きみたいなことになりました。

文書を読んだり書いたりということは今では当たり前の事ですが、少し前には当たり前のことではなかったし、今後いつまで当たり前のことかも分からないということで、まずはこれまで読んだり書いたりなりがどのように発展してきたのかから話が始まります。

読み書きには当然文字を使うわけですが、文字というのは基本的によその国で使っているものを持ってきて使いやすいように改良するということで、日本語では漢字を輸入して、そこからヒラカナ・カタカナを作り日本語の文字にしていますが、これはどこの文明でも同じであり、よその国で使っているものを使わないで独自に文字を発明したのはシュメール文明だけで、それ以外は全てどこかから持ってきている、漢字ももちろんどこかから持ってきているものだという説を紹介しています。

で、日本では漢字と中国語の文法を輸入し、日本語表記するに際し中国語の語順と日本語の語順がごっちゃになり、たとえば駅で切符を買う時使うのは自動券売機、それを使うと『ただいま発券中です』というアナウンスが出てきても何の不思議も感じない、なんて話も出てきます。

で、日本では『漢文訓読法』といって漢字表現は中国語風のままにして、読む時は日本語の語順にひっくり返して読むなんてことをやっていますが、そんな国は日本しかないという話をします。

で、日本語の漢字表記に様々な文体が登場し、最終的にそれが『候文』という変態漢文の文体にまとまるわけですが、この候文、漢字だらけで書いてありながらほとんど漢語のない和文そのものだというのが面白い所です。(ちなみにこの候文、chatGPTで説明してもらったところ、とんでもない説明が返ってきました。まだまだWikipediaのほうがしんらいできるようです。)また明治以前、口語は各地で、また社会階層でたとえば元々の住民の庶民と移住してきた武士達と話がなかなか通じなかったのに、文語はこの候文の普及によりたいていの場合意思疎通ができた。たとえば能の謡いの文言も基本候文なので、武士同志の会話もこの能の謡いを基本にした、なんて話も思い出されます。

で、この候文、日常生活で自然に身に付ける口語とは別にきちんと学習しなければ身に付きません。そこで登場したのが初等教育用の教本として使われた往来物(おうらいもの)です。元々は手紙のやり取りの文例集で、その文例の所々で単語を入れ替えていけば自分の意思を伝えることができるというわけです。この手紙のやりとりを初級の教材にするというのは日本だけでなく、いろんな国に例があるようです。

で、人の往来でなく手紙の往来ということで往来物というわけですが、手紙の型だけでなくそこに使う単語集のようなものも現れ、さらには歴史や地理・天文学について説明する初等教材も登場するのですが、それらを全て往来物と言っていたようです。

もちろん文部省もなく学習指導要領もない時代ですから、初等教育を担った寺子屋(手習所とか様々の名称で呼ばれ、明治になってようやく寺子屋に統一されたようです。)でそれぞれ自由に何を教えるか決め、教材を選びあるいは作って、教えていたようです。文語の教材も単なる手紙のやりとりだけでなく、契約書とか報告書とか通知・通達・命令なんて、まあいわゆる文学以外の全ての文書にわたっていきます。中には一揆の直訴状やその他の訴状、関ヶ原の合戦の直前に上杉の家来の直江兼続が徳川家康を罵倒して挑発した直江状などというものまで含まれます。また歴史・地理の初等教科書ももはや手紙でも何でもないものまで往来物という名前で扱っています。

この本では寺子屋(実際には手習師・手習師匠・手習子取・手習指南・手習塾・手跡指南・筆道指南などの言葉でよばれていて、この寺子屋という言葉自体明治政府が採用してようやく一般的になったもののようです)についても様々な資料を紹介しています。もちろん全国網羅的なものではなく、郷土史家が発掘した地域限定で、寺子屋がどれだけあったか、生徒は何人いて何年くらい通ったのか、教科書は何を使って何を教えたのか、識字率について、自分の名前・自分の村の名を書くことができるか、日常の帳簿を付けることができるか、手紙や契約書を書いたり読んだりできるか、公用文・公布・新聞等を書いたり読んだりできるかというレベルに関する調査についても限定的に紹介しています。それにしてもこんなデータを掘り起こして研究するなんて、人文系の研究者もなかなかやるものです。

各種資料にもとづくと、江戸時代の日本は世界的に見ても識字率が飛びぬけて高かったというのはかなり過大評価だったということのようです。

著者は教育学の専門家で、そのため明治以前の教科書・教科の科目・教え方・その効果について関心があり、この本にまとめたものです。お陰で私のような一般人もこのようなテーマに関する資料を見ることができます。

明治になり、学制が全国規模で制定されてもそう簡単には新しい教育が普及するわけでなく、一方で活版印刷が普及してきて空前の往来物のブームが来て、すぐにそれは官製の教科書にとって代われてしまったとか、徴兵制が始まりようやく全国規模で統一的な識字率の調査が可能になったとか、今では漢字の学習は楷書で行い、行書・草書は基本、学校では教えられず、卒業してから普通は学校以外で学ぶのが一般的ですが、以前学制が始まった頃はまず行書を学習し次に草書に進み、最後に楷書まで行ったり行かなかったりが一般的だったなんてことも書いてあります。

『音読』という話も出てきます。今では読むというのは黙読が普通で音読なんかするのは小学生くらいになりますが、以前は読み書きの学習では音読が普通でした。そのため電車の中で新聞を音読する年寄りがいたり、また図書館で本を音読する利用者がいたりして、図書館には至る所に『音読禁止』の張り紙があったものが今ではそんなものも見なくなったという話もあります。そう言われてみると、確かに今では文章を音読することはほとんどなくなってしまったな、と思います。

明治以降、言文一致で文章も基本全て口語になってしまいましたが、本当の所口語と文語をはっきり使い分けていた時代も、場合によってはかえって便利だったのかも知れないなと思いながら読み終わりました。
明治の前、寺子屋でどんな教材を使ってどんな勉強をしていたのか以前から知りたいと思っていたので、良い本に巡り会えたなと思いました。

興味のある人にお勧めします。

『鞭と鎖の帝国-ホメイニ師のイラン』ー高山正之

金曜日, 10月 27th, 2023

この本は前に紹介した『騙されないための中東入門』の一方の著者の高山正之さんの話が面白かったので、その主著であるこの本を借りて読みました。

著者が産経新聞に入社し、テヘランに特派員として赴任して、何度も殺されそうになる危機を乗り越えながら、ホメイニ革命直後からイラン・イラク戦争の期間を通じてイランのホメイニ革命の実態を自ら実体験したレポートです(ホメイニ革命は1979年、私が社会人になって3年目、仕事を覚えるのとアクチュアリーの試験に合格することが最優先でした。この本が出版されたのが1988年、私は1986年にナショナルライフ保険、今のエヌエヌ生命に転職し、この会社はいつ、どのように潰れるんだろうと思いながら会社のスタートアップの仕事をしていた頃のことです)。

ホメイニ革命が起こった当時は私はあまり政治には関心がなかったので、きちんと理解しないままで来たのですが、その後の中東問題・イスラム原理主義過激派問題を知るにつけ、その根っこにはこのホメイニ革命とそれによって生まれたホメイニ独裁のイランという国があり、ここの所をきちんと理解することが必要に違いないと思うようになり、この本を読んだ所、まさにドンピシャリ、私の知りたい所がきちんと解説されていることが分かりました。

ホメイニイラン帝国はシーア派の原理主義イスラム教だということになっていますが、ホメイニは必ずしも『イスラム教絶対』ということではなく、自らの独裁体制の為にはイスラム教にはこだわらない、柔軟性のある人(あるいはイスラム教徒からするととんでもない背教者)だということも良く分かります。

基本的に多くの革命体制は革命の乗っ取りによって成立していることは、ロシア革命でもナチス政権でもいくつもの例があります。

体制に不満を持つあるいは反対する勢力が一つ一つは小さい勢力でも、集まって反体制運動をして体制を崩壊させる。その後はその弱小勢力どうしの潰し合い・殺し合いで、最後まで残った勢力が実権を握るという過程を取りますが、もともと弱小勢力でしかなかったものですから、生き残りのために恐怖政治・暴力体制を作ります。もともと体制側にあった軍をどのように支配下に治めるか、あるいは弱体化させてそれに代わる軍事組織をどうやって作るか、国民の間の様々な組織(行政とか企業とか学校とか)にそれを支配する組織を忍び込ませ支配下に置くか等々、ホメイニはロシア革命とソ連の体制、ナチスの支配体制をよくよく研究しているようで、このあたり具体的に説明してくれているので非常に分かりやすい本です。

以前、中村逸郎さんの本で、ロシアの共産党の末端の委員会がどのような組織か読みましたが、イラクではホメイニ革命の前にすでに反体制の若者たちが『アンジョマネ』という、共産党のいわゆる『細胞』のような組織を作っていろんな組織を支配しており、ホメイニはそれを乗っ取って国民を支配する体制を作ったということも良く分かります。

著者はマキャベリの君主論の中から
『君主はどこまでも誠実で信義に厚く、裏表がなく人情にあふれ宗教心に厚い人物と思われるように心を配らなければならない。このうち最後の気質が身に備わっていると思われることほど大切なことはない。』
『君主は愛されるより恐れられる方が安全だ』
『(ローマを攻めるために象の部隊を引き連れてアルプス超えをしたハンニバルが、無数の人種の混ざりあった軍団を見事に統率したのは)非人道的なまでの残酷さのお陰だった』
というような言葉を引用し、ホメイニ体制の見事さを明確に説明しています。

またホメイニ革命のあと起こったアメリカ大使館占領事件・イランイラク戦争についても明確に説明し、これがシーア派対スンニ派の戦いではないし、実は実際の国対国の戦争でもない(戦闘ではあるものの)というあたりも明瞭に示してくれます。

国を統制するために国外に敵を作る必要があり、アメリカ大使館の占領が飽きられてくるとイラクと戦争を始める、あるいはイスラムの大義を掲げてイスラエルと戦い始めるといった具合です。

その一方、著者はイランで禁止されているドブロク作りやワイン作りを体験したこと、テヘランでどうやったら酒を飲むことができるか、毎日のような空襲警報下、安眠するためにはヨーグルトを大量に食べるといい、という事、などについても話しています。
イランで行われている残虐な処罰、処刑についても詳しく解説しています。

ホメイニというのはイスラム法学者としてはそれ程大した人ではなかったようですが、独裁者としてはヒトラーやスターリンを遥かに超えるほどの人だったということが良く分かります。

ホメイニ革命・イランイラク戦争の頃の本ですから今ではちょっと古い本ですが、中東問題・イスラム原理主義過激派の問題をホメイニ革命までさかのぼってきちんと理解するために絶好の本です。

お勧めします。

『図解 内臓の進化』―岩堀修明

月曜日, 10月 23rd, 2023

この本はブルーバックスの1冊ですが、前に紹介した『新・ヒトの解剖』の続きとして読みました。

この本では脊椎動物というか、その少し前を含んだ脊索動物という範囲で、内臓の進化を解説しているもので、そのため動物の進化に伴い内臓がどのように進化したか、あるいは個体発生に伴い内臓がどのように変化するか、というあたりを解説している本です。説明のためにこの本でもたっぷり図が付いていて、本文273ページに図が188あり、楽しめます。

まず最初は内臓とは何かという定義で『現在は』呼吸器系・消化器系・泌尿器系・生殖器系・内分泌系の5つが内臓だとされています。すなわち脳神経系・心臓血管の循環器系は内臓ではない、という事です。この『現在は』というのがミソで、今はそうだけど以前は違ったということのようです。確かに神経系や循環器系を入れてしまったら、全身が内臓ということになってしまいそうですね。
内分泌系が内臓だというのも、へーそうなんだ、と思います。
確かに膵臓や副腎、卵巣や精巣などは内臓と言っても良いかなと思いますが、甲状腺とか脳の松果体や下垂体も内臓だと言われると、そんなものかな?と思います。

以下この5つの内臓それぞれについて、脊索動物の中での進化の過程を説明してくれています。

まず受精卵が次々に分裂して細胞のかたまりになると、その細胞はテニスボールのように表側に集まります。そこに指を突っ込むとその部分が凹んで穴が開き、それをさらに突っ込んで反対側まで突き抜けると、テニスボールの真ん中に穴が開いたようになります。その穴が消化器で、口から食道・胃・腸・肛門という具合になります。
最初に凹んだ部分が口になり穴が突き抜けた所が肛門になるのを『前口動物』といい、昆虫などがこの部類です。逆に最初に凹んだ所が肛門になり、穴が突き抜けた所が口になるのを『後口動物』といい、脊椎動物などはこちらの部類です。
いずれにしても口から食べ物を取り込み、最後に肛門から出すというので、身体の真ん中を通る穴が消化管となり、消化器系の様々な臓器が作られます。

その消化管の最初の方に溝ができ、外に向かって穴があいて、そこにエラが出来、このエラは食べ物をこし取ったり、そこに口を通して呼吸したりということで、呼吸器系が発達します。その後エラの他に消化管の周りに浮袋ができたり、肺ができたりします。肺を持つのは魚類では『肺魚』という種類とシーラカンスなどの真鰭類(しんきるい)とよばれる魚類です。シーラカンスなどは肺を持ち、もう少しで陸上に上がることができた所でうまく行かず、その後生存競争のために深海に押し込められてしまい、せっかくの肺は脂肪の入れ物となって比重の調整に使われているということです。

肺は両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類で本格的に呼吸器として使われますが、両生類は相変わらず皮膚呼吸をし続け、種によってはせっかくの肺がなくなってしまっているとのことです。

次に来るのが泌尿器系と生殖器系です。どちらも体内のものを体外に出す仕組みで、泌尿器系の尿を体外に出す管を生殖器系の精子や卵子を出す管に流用してみたり、新たな管を作ってみたり、様々な工夫が凝らされています。

泌尿器系ではとりあえず血液の血球以外のほとんどのものを一旦全部外に出してから、その中から必要なものを吸収し直すという仕組みは良く考えたものですね。この泌尿器系と生殖器系も動物の種類によって様々に工夫されており、よくもまあこんなにいろんな仕組みがあるものだと驚くと同時に、良くもまあこんな所まできちんと調べて記録している人がいるものだと、動物学者達の努力にあきれるばかりです。

最後に内分泌系ですが、体内でホルモンを作り、それを外に出さないで体内に分泌するということですが、消化腺で作られる消化液や泌尿器で作られる尿などは体外(消化管も体外です)に出すわけで、体内に分泌するというのは、そのまま細胞のすき間に分泌し、それが毛細血管から血液に入る、あるいはリンパ管から静脈に入って最終的にホルモンの受容体まで流れていくということです。

ここで5つの内臓の説明全て終わった所で、最後にこの内臓の進化の形は一番進化した優れたものなのか検討するため、脊椎動物とはまるで別の進化を遂げてきて、ある意味進化の頂点に立つ昆虫との比較をします。昆虫で脊椎動物の内臓と同じような機能を果たす器官と脊椎動物の内臓の器官を比較すると、呼吸器系以外は非常によく似ており、全く別系統の進化をとげながら進化の行きつく先は同じようになっているという説明があります。

脊椎動物の呼吸はエラないし肺で酸素を取り込んで、それを血液に取り込んで全身の細胞の届けるという形ですが、昆虫では気管を全身くまなく張り巡らして全ての細胞が直接気管から酸素を取り入れるというとんでもない仕組みになっていて、循環器系・血液は呼吸には使われない、というはビックリです。

また内分泌系については、昆虫には神経分泌細胞というのがあって、ニューロンのような軸策を持ち、その軸索を通じてホルモンを直接標的とする器官に届けるという仕組みになっているようで、脊椎動物がホルモンを作って細胞の間に流し込んで、あとは血液が運んでくれるのに任せる、というのとはまるで違うという話も面白い話です。

説明のために図がたっぷりついていますから、それを一つ一つじっくり眺めるのも楽しめます。

動物の仕組みについて興味がある人には是非ともお勧めします。

『騙されないための中東入門』―高山正之 飯山陽

火曜日, 10月 3rd, 2023

この本は飯山さんの本の最新刊として予約してあったのがようやく届いたので読んでみました。とはいえその後飯山さんは『愚か者』という本を出版しているので、もはや最新刊ではなくなってしまいましたが。

かなり待たされたような気がしましたが、発行が今年の2月ということですから、約半年しか待っていません。

もう一人の著者の高山さんという人は産経新聞の人で、イランのホメイニ革命の直後にテヘランに特派員として行き、またそれ以外にもイスラム諸国に何度も取材に行って何度も殺されかけている人です。

で、この本は飯山さんと高山さんの二人による対話形式の本になっています。
2人の著者の冷静で論理的、客観的な視点から、中東・イスラム諸国、ついでにロシア・中国等について話が展開されています。

トルコはオスマン帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
イランはペルシャ帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
ロシアはロシア帝国の栄光をいつの日にか復活したい。
中国は中国4,000年の歴史の栄光をいつの日にか復活したい。
というような、それぞれ本音の部分であまり人には言いたくないような話をあけすけに暴露しています。

ロシアはヨーロッパからすると長く奴隷の輸入元であり、キリスト教を輸入して独立国家になったと思ったらモンゴル人に隷属させられ、それを跳ね除けピョートル大帝等の努力により産業革命も始まりヨーロッパの一流国になったかならないか、という所で日ロ戦争に負けてしまい、その後の革命を共産党により乗っ取られてしまい、それが崩壊して共産党支配も終わった所で、今度はプーチンによる独裁政治の時代になっているという話です。

日ロ戦争では中東やアジアの国では『日本は良くやった』という声しか聞きませんが、ロシア人にとってはようやく白人社会の一流国になったと思ったら、有色人種の日本に負けやがって白人の恥さらしだと言われるようになって、日本には恨み骨髄ということです。私も『よくやった』というのは知っていましたが、『恨み骨髄』のほうは意識していなかったので、なるほど、と思いました。

中国は4,000年とは言っているものの、歴代の王朝は殆ど異民族の中華支配であって、中華民族の王朝は漢と明の2代しかない、それを『4,000年の歴史』と言って、いかにもずっと中華民族が中国を支配してきたかのような幻想を振りまいている。中国人は異民族により支配されることに慣れ切っているので、現在も多くの中国人は誰かが早く中国共産党(中共)を倒して新しい中国の支配者になってくれないかな、と願っている、なんて事も書いてあります。

中ロにとっては二度の元寇・日清戦争・日ロ戦争と何度も日本を占領しようとして負けており、第二次大戦でも日本占領をねらっていたスターリンをはねつけてしまった。習近平としては、ここで日本に勝てばフビライも西太后もニコライ二世もスターリンもなし得なかった偉業を達成することになるというので、台湾そして日本占領を望んでいるという話です。

この本は中東の本ですから、いわゆる『アラブの春』についても書いてあります。『アラブの春』は中東諸国で民衆が立ち上がって強権的な独裁者を倒したということで一時もてはやさされましたが、その実態は独裁者が倒された革命をイスラム過激派原理主義者が乗っとって独裁を始めた、その結果民衆の生活はかえって苦しくなっている、ということで、一部の国ではそのイスラム原理主義政権を倒すために再革命が起こっているというような話です。

イスラム教のシーア派とスンニ派についても普通イスラム教には2つの流派があって、、、と説明されるけれどそれは違っていて、シーア派もスンニ派も自分達だけが正しいイスラム教徒であって相手の方は異端であって存在を認められない者達だと、キリスト教の宗教戦争時の、カトリックとプロテスタントのような話です。ヨーロッパではこの新教と旧教の争いで人口の何分の1かを失う戦争が起こり、一段落するまで数百年かかっています。このシーア派とスンニ派の争いも、直接相手を殺しあう、ということではなく、自分の都合によりシーア派がスンニ派を利用したりスンニ派がシーア派を利用したりすることも平気ですから、ちょっとわかりにくくなっています。

キリスト教には『神のものは神に、カエサルのものはカエサルに』というような考え方がありますが、イスラム教にはそのような区別がないので、この問題の解決は遥かに難しいかも知れません。

ロシアは日本に負けて白人世界の恥さらしと書きましたが、実はナチスドイツがあのような軍事大国になったのは、第一次大戦後最初にソ連がナチスドイツの軍備拡張に協力したからだ、ドイツは第一次大戦の戦犯として様々な制約を受けていたのに、あっという間にあれだけの軍事大国になったのはロシア(ソ連)の協力あってのことだ、ということはロシアでは一切触れず、ひたすらナチスドイツを倒したのはロシア(ソ連)だと言い続けているのは、その事を表に出したくない、ということなんでしょうね。

最後の後書きにアンネ・フランクのことが書いてあります。
アンネの一家はドイツからオランダに逃げてきて、その時点で無国籍者になっています。それをオランダ国籍を与えようという話が起こって、それに対してオランダの法務大臣が『アンネはオランダのアンネではなく世界のアンネなんだ』なんて訳の分からない事を言って反対したという事があって、朝日新聞の天声人語では『国籍は大事か』なんて記事を書いているんだけれど、これはトンチンカンな記事であって、アンネを捕まえて収容所送りにしたのは実はオランダ警察であって、その事を蒸し返してオランダがナチスに協力したなんて話を思いだしてもらいたくない法務大臣が訳の分からない事を言って反対した。朝日の記者はこのあたり何も分かっていないというような事が書いてあります。

フランスもドイツに占領されていた時、大量のユダヤ人を収容所送りにしたことを極力蒸し返されたくないので、その過去については一切触れず、フランスは最後までナチスドイツに抵抗してドイツを負かしたという話にしたがっているのと同じことです。

国にはそれぞれ歴史があり、栄光の時代・屈辱の時代があります。もう一度栄光の時代を取り戻したい、屈辱の時代はできれば忘れてしまいたい、誰にも思い出してもらいたくない、というのはごく自然な感情ですが、人は常にこの感情に動かされているものだという事を忘れないようにしないといけないですね。

とまれ中東・イスラム諸国・中国・ロシア、その他の様々な問題について、高山さんと飯山さんが楽しそうに話しているので楽しんで読めます。
お勧めします。

『新 ヒトの解剖』―井尻正二 後藤仁敏

火曜日, 10月 3rd, 2023

錬金術のわけの分からない話を読んでいると、もっと具体的な現実的な本を読みたくなり、普段は図書館に行っても本を借りたり返却したりするカウンターと、そのすぐ近くにある『お勧め』コーナー、『新しく入った本』コーナーくらいしか行かないのですが、久しぶりに書架に行って眺めてみました。

この本は人体の解剖の話ですから、ある意味これほど具体的・現実的な本もありません。後書きを見るとこの本は1969年に出版された『ヒトの解剖』の改訂版であり、さらにそれは1967年にブルーバックスの一冊として出版された『人体名所案内-進化のあとをたずねて』を改版したものだということです。今から計算すると、もともとは50年以上前の本ですが、人体が50年かそこらでそう変わっていることもないだろうと思って借りてみました。

この本は大学の医学部などで学生さんが勉強している解剖実習を紙の上でなぞって示してくれるという体裁の本になっています。実際に自分で解剖実習に立ち会うというのは大変そうですが、本でなぞっていくだけなら何とかなりそうです。

で、この本は人体解剖の歴史や解剖実習の対象となる献体の話から始まります。解剖実習で使われる道具類も写真で紹介してくれます。とは言え、実際はピンセット1本あれば殆どOKだということです。

実際の解剖が始まり、まずは皮を剥ぐ所から始まります。
皮を剥いだら内臓や筋肉が現れる、というわけではなく、まずは皮下脂肪が現れ、解剖実習では神経や血管を傷つけずに皮下脂肪を取り除く所から始まります。皮下脂肪を取り除いたら筋肉が現れます。この筋肉を取り除けば胴体であれば内臓が現れ、手足であれば骨が現れ、頭であれば頭骨が現れるということになります。山程の筋肉を一つ一つ確認しながら外していくということになります。胴体と頭以外(手足の部分)の所は筋肉を取り除くとあとは骨だけということになりますが、この骨というのは解剖実習とは別に『骨学実習』というもので学習するもののようです。

さて胴体の方は筋肉を取りきると、そこに現れるのが肋骨。これをハサミで一本一本切っていくと、そこに現れるのが内臓、ということにはなりません。その前に腹膜・胸膜という膜が何重にもカーテンのようになって内臓を覆い隠しており、それを取り除くことによりようやく内臓が見えてきます。ここの所が確認できたのがこの本を読んだ何よりの収穫です。テレビドラマのようなわけにはいかない事が分かります。

私は以前、鼠径部ヘルニアの手術をしたことがあり、その時、方々で癒着してしまった腹膜を力ずくで剥がすという作業をされ、えらく痛い思いをした事があるので、この腹膜には何となく思い入れがあります。また、私の父親もこの腹膜のいたるところにがんが転移して死亡した、ということもあり、何となく気になるものです。

で、この腹膜・胸膜を取り除いたあとの個々の内臓の話は今まで何度か読んだことがあります。この本では正面、お腹の側からひとつひとつ内臓を取り出していって内臓がお腹の中にどういう位置関係で収まっているか(押し込まれているか)、すなわち何を取り除いたらその奥に何が現れるか、も図解してあるので、それを眺めるだけでも面白いです。

あとは脳ですが、これは解剖実習の最初の方で頭蓋骨(普通はズガイコツと読みますが、解剖学ではトウガイコツと読む、とのことです)を一部切り離し、脳の部分だけ取り出してホルマリン漬けしておいて、あとで解剖実習するということです。

ここでも頭蓋骨を切り離してパカッと開けると、そこに脳があるというわけではなく、硬膜という丈夫な膜が脳をすっぽり包んでいて、それを切り離してやっとクモ膜・軟膜という柔らかくて薄い透明な膜に包まれた脳を見ることができるということです。

脳を取り出すにはまず左右の大脳半球のあいだの硬膜を取り、次に大脳と小脳の間の硬膜を切り、脳から出ている神経や血管を一つ一つメスで切って、最後に延髄と脊髄の境界を切断すると、ようやく脳を頭蓋骨から取り出すことができる。取り出したばかりの脳を両手で持つとホルマリンの浸透が悪い時は豆腐のような柔らかさで、表面がプリンプリンしている、それをホルマリン液に漬けると焼き豆腐ほどの固さになる、という具合に非常に具体的に書いてあります。

顔と頭の解剖では、まず頭と胴体を切り離す。
食道・気管・筋肉・神経・血管を切り離し、頭蓋の後頭部を縦にノコギリで切って、次に頭蓋と第一頸椎の間の筋肉とじん帯を水平に切れば、後頭部の骨と首の骨を胴体につけて、頭と首の前の部分を胴体から切り離すことができる。これを『首切り』でなく『首おとし』と呼ぶということです。
落とした首は筋肉・口・鼻・目・耳・歯と順番に見ていき、ついでにこれらの部分がどのように進化してきたかの説明がついています。

この本にはこのほか『男のからだ女のからだ』という章と、『労働力としての人体』なんて章があり、著者のちょっと左翼的な考え方がみられ、ちょっと毛色の変わった解剖学の本になっています。

医学部の学生さん達は皆1年がかりでこんな大変な作業をしているんだ、と思うと医学部に行かなくて良かったと思います。

人の身体に興味はあるけれどお医者さんになるのは大変そうだな、と思う人にお勧めです。

『錬金術の歴史』―池上英洋

火曜日, 8月 29th, 2023

私が今まで読んだいろんな本の中に『錬金術』という言葉は何度となく出てきました。

言葉だけ出てくる場合もあり、また錬金術について多少の説明やコメントが付いている場合もあります。いつかきちんとまとめて錬金術について書いた本を読んでみたいと思っていたら、この本が図書館の『新しく出た本』コーナーに入っていたので、早速借りて来ました。

『錬金術』というのは、金でない物を金に変える技術、あるいはそのための薬品のことで、この薬品は『賢者の石』と呼ばれることもあり、それを飲むことにより不老不死になることもできる、というようなものです。

古代エジプトやメソポタミアの神話から始まり、ギリシア・ローマの神話の世界とプラトン・アリストテレスの哲学の世界を一神教のキリスト教の世界と統合しようという企てですから、とてつもない話です。

そのため錬金術の本に書かれていることは、隠喩、寓意、たとえ話、等々が盛りだくさんで、それを読み解くために特殊な知識と工夫が必要です。文章だけじゃ分かりにくい所を絵で説明することもあるのですが、この絵自体が何とも訳のわからないもので、この太陽と月は何を意味にしていて、この鳥はこんな意味で、この雨はこんな意味だなんて、いちいち絵解きをする必要があります。

王様と王妃が一緒になり、殺され、焼かれ、復活し、また一緒になって、殺され、焼かれ、復活し、というプロセスを何度も繰り返すことにより次第に純粋な完全に存在になっていく、という話が絵になっています。

とは言えその絵解きの文章が訳の分からない物ですから、分からない人にはいくら読んでもわかりっこありません。それでも基本的な知識をもって何度も繰り返し読み、また実験を繰り返せばわかってくることもある、という事のようです。

ギリシャの四大元素、すなわち『土・火・水・空気』の組合せで全ての物質を説明する考え方に、『熱・冷』、『乾・湿』の2つの性質を組合せ、それらの組合せを完全にバランスのとれたものにする事により、金でない物を完全に金にすることができ、あるいは人間であれば完全なほとんど神と同様の不老不死の生き物になれる、ということのようです。

『熱・乾』の要素として硫黄、『冷・湿』の要素として水銀を用い、様々な物質に硫黄と水銀を加え、交ぜ合わせたり熱したり冷やしたり蒸留したり煮詰めたり、これを何度も繰り返して少しずつバランスを完全なものに近づけていくプロセスが、不思議な絵と文で説明されていきます。

面白いことに、キリスト教では最後の審判によって死んだ人も生き返って天国に行くことになっているのに、キリスト教の高位聖職者であってもそれを待たずに『賢者の石』を服用して不老不死になろうとした人もたくさんいた、という話もあります。

ローマ教皇も、代替わりの都度、何度も錬金術を推奨・支援したり、代が変われば異端として禁止してみたり、を繰り返していたようです。

『錬金術』というのは古代エジプト・メソポタミアにもあり、あるいは古代中国にもあったものですが、この本で取り上げているのは古代ギリシャの錬金術が、ローマ帝国の滅亡によりイスラム世界に伝えられ、それが十字軍によりヨーロッパに伝えられ、ルネサンスでギリシャ神話の世界、プラトン・アリストテレスの哲学とキリスト教神学を統一する、という考え方の一部として独特に発展させられたものです。

この本の中ではルネサンスを代表してレオナルドダヴィンチも登場し、また宗教改革による新教徒・旧教徒の殺し合いでルネサンスが終了した後の世界の最後の錬金術師としてニュートンも登場します。ニュートンの書斎が飼い犬の起こした火事のために多くの書類を焼いてしまった後、残された書類がニュートンの死後長く封印されていたものを200年後に子孫がオークションにかけ、その多くを競り落とした経済学者のケインズが数年かけて解読し、ニュートンを『最後の魔術師』と呼んだ、という話もあります。

またフリーメーソンというのが元々石工・建築家のギルドであり、その中で職人から親方への昇進の儀式についても詳しく説明してあります。即ち一旦親方衆によって殺され、その後、親方の一人として復活する、ということを模倣する儀式だ、ということです。

本文360ページで、1つの絵で1頁まるまるを占める部分が50頁もあり、それを含めて全部で150を超える図が入っています。その図の説明は何とも訳の分からないものですが、それなりに楽しめます。

西洋の錬金術というのがどういうものか、その中に隠れている、キリスト教の中では異端として否定されているグノーシスという考え方がどういうものか、うまく整理して説明してくれています。

理解するのはほぼ不可能だと思いますが『こんなものだ』と読むだけなら楽しめるかも知れません。

興味があったら読んでみて下さい。

『朝日新聞政治部』―鮫島浩

火曜日, 8月 29th, 2023

この本は、1年前に出た時にちょっと話題になった本で、一応どんなものかと思って図書館で予約し、1年経ってようやく借りて読むことができたものです。

この鮫島さんという人は元朝日新聞の記者で、一番有名なのは福島原発の吉田調書のスクープ事件で、福島原発の事故の時の吉田所長の調書を手に入れ、それをとんでもない解釈で朝日新聞の1面トップにのせた、捏造記者、ということで有名な人です。それ以外でもいかにも朝日新聞らしいとんでもないネットの発言で有名な人です。

この本はいわゆる『意識高い系の若者』(どうもこの手の人は、歳をとっても若者以上には成長できないようです)が何をどう考えているか、を知るのに恰好な本になっています。

自分がいかに自分より偉い人に正面からぶつかっていったか、それによって従来のやり方をどのように変えさせていったか、いかに多くの偉い人を知っているか、自分がいかに不当にいじめられてきたか等々、意識高い系の生態が本人の筆で生き生きと表現されています。

本当に自分にとって痛手になるようなことはあえて言及せず、それほどでもない失敗について書きながら、いかにも、自分の失敗を正直に書く自分って凄いだろう、という意識がありありです。

この人が吉田調書問題で社内で事情聴取されている時、『自分が信頼を寄せていた会社が組織をあげて上から襲いかかってくる恐怖は経験した者にしか分からないかも知れない。』と書いていますが、別に今の時代、殺されるわけでもないのに、嫌ならさっさと会社を辞めてしまえばいいだけなのに、意識高い系が、偉そうなことを言いながらいかに自分が属する組織にべったりしがみついているか、良く分かる言葉です。

この人は結局停職2週間、記者としての職を解かれ知的財産室という所に配属され、そこで初めてネット上で朝日新聞がどのように扱われているか見るようになった、という事もかいています。それが2015年の事ですから、それまでほとんどネットを見ないで朝日新聞しか見ていなかった、ということのようです。

『朝日新聞記者の大半は毎朝起きてまずは朝日新聞を読む』と書いています。こんな物を朝一の一番頭が冴えている時に毎朝読んでいたら、頭がおかしくならない訳がありません。納得できる話です。

著者は吉田調書問題で会社の処分を受けながら会社にそのままとどまり続け、記者の身分もすぐに回復してもらい、相変わらず問題を起こし続けて、2021年にようやく会社の早期退職の募集に応じて朝日新聞をやめます。そこまでしてしがみつきたい会社だったというより、会社をやめたらどうして良いか分からなくて不安だったと、ということでしょうね。

早期退職に応募してすぐに有給休暇に入り、約3ヵ月にわたりネットに『記者辞めます』と宣言して、そこに至る事情を毎日書き連ね、退職日に会社から貸与されていたパソコンと社員証を会社に返しに行った、なんて話を自慢そうに書いていますが、退職日が決まりそれまで有休消化が決まっている人にそのまま社員証とパソコンを持たせておくというのも、朝日新聞自体が意識高い系の役立たずの会社だ、ということの現れだと思います。

これを読んだ所で何の役にも立たない本ですが、このような内容の意識高い系の人の自画像に興味がある人にはお勧めします。

『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』『癌め』―江國滋

木曜日, 8月 10th, 2023

この本は江國滋さんが癌になり、入院して手術し、闘病して死に至るまでの半年間の日記とその間に詠んだ俳句集です。

この江國滋という人は、今では作家江國香織の父親だと説明されているということをどこかで読み、昔は『江國香織は江國滋の娘』と説明されていたのがいつの間にか逆転していたんだなと思い、そういえば江國滋さんというのはあまりまともに読んだ事がないなと思って借りてんだのが『俳句と遊ぶ法』という俳句の解説・入門書です。面白かったのでついでにそういえばまだ読んでなかったなと思って借りたのが、この『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』と『癌め』の2冊です。

はじめは『酌みかはさうぜ』を借りるつもりだったのが、検索したら『癌め』の方も出てきたのでついでに借りました。

『酌みかはさうぜ』は江國さんが癌の診断を受け、がんセンターに入院し手術を受け、途中で外出や外泊を許されながら結局半年後に死亡するまでの病中日記です。診断を受け手術を受けることが決まってから、子規に倣って病中日記を綴り、俳句を詠んで俳句集を作ると決めて、そのとおり実行した病中日記が『酌みかはさうぜ』の一冊で、その中で披露されている俳句を取り出して俳句集の形にしたものが『癌め』です。

本来であれば手術が終わり退院した後できちんと整理して出版する予定だったのが、その余裕もなく死亡してしまったので、とりあえず残された原稿をほぼそのまま本にしたというような本です。

江國さんの癌は食道癌で、胃は既に半分なくなっていたので結局食道と胃を取って大腸を引っ張り上げて食道につなぐ、という大手術で、肋骨の中を通すのは大変なので胸の肋骨の上を通って大腸と食道をつなぐ、というものだったようです。10時間以上の何とも大変な手術を終え、飲み食いができない日が続き、少しずつ飲んだり食べたりできかかった所で右手が痛くて上がらなくなり、結局それは癌の転移によるものだということで、その手術もしています。

最初の大腸をつなぐ手術も一度で完璧にはつながらず、何度か再手術をし、また途中で右腕の骨折もしてその手術もし、ということで大変な思いをしながらも、とりあえずいったん退院となった所で再度入院で救急車で病院に戻り、そのまま亡くなったという話を、途中、一部奥さんが口述筆記により代筆したり、最後に自分で書けなくなったところを奥さんが報告したりして、最後にこの『酌みかはさうぜ』の句で締めくくっています。

『癌め』の方はこの病中日記の中の俳句を整理して句集にしたもののようで、『酌みかはさうぜ』を読み終えてしばらくたってから読んでみました。

江國さんの句はあまり専門家らしくなく普通の言葉で分かりやすく詠まれています。一見しろうとの句かと見えるような味わい深い句がたくさんあります。

癌宣告を受けて
 『残寒や この俺がこの俺が癌』(本の9ページ)(2月6日)
 『春の宵 癌細胞と混浴す』(本の18ページ)(2月11日)
 『永き日や 聞きしにまさる 検査漬け』(本の22ページ)(2月17日)
 『三寒の 月月火水木検査』(本の22ページ)(2月17日)
とかから始まり、長引く入院生活にうんざりして
 『夏立ちぬ 腹立ちぬ また日が経ちぬ』(本の126ページ)(5月5日)
 『夏は来ぬ われは骨皮筋左衛門』(本の123ページ)(5月3日)
とか、
 『自嘲
  吉兆の かぼちゃなら食う 男かな』(本の173ページ)(6月23日)
とか、あるいは

 『「骨シンチ」の検査受く。シンチグラフィー
  シンチグラムの略にて、「アイソトープ集積像」の意味なり。たわむれに
  骨シンチ むかしは俺も 北新地』(本の158ページ)(6月5日)
なんてふざけたりもしています。

最後に
 『敗北宣言
  おい癌め 酌みかはさうぜ 秋の酒』(本の196ページ)(8月8日)
が辞世の句となりました。

ちょっと重たい本ですが、自身の癌を正面から受け止め一喜一憂しながらどう作品に仕立てているか味わい深い本です。

お勧めします。

『トウガラシの世界史』―山本紀夫

木曜日, 8月 10th, 2023

この本も図書館の『お勧めコーナー』で見かけて借りて読みました。
最初この本が出た時興味があったのですが、何となく読みはぐっていたもので、やはり面白い本でした。

トウガラシとはどういう物か、から始まって、中南米でのトウガラシの食べられ方、ヨーロッパへどう渡ってどう食べられているか、アフリカにはどう渡ったのか、東南アジアにはどう渡ってどう食べられているか、中国では、韓国ではと来て、最後に日本では、となっています。

香辛料をインドから直接輸入しようとしてヨーロッパの大航海時代が始まったのですが、コロンブスのアメリア発見とバスコダガマのインド航路の発見で、中南米との通路・インドとの通路ができたことで中南米の植物が利用可能となったこと、コショウなどの香辛料は限られた地域でしか栽培できないのに、トウガラシはどこでも栽培できるため世界中に広まったこと、ヨーロッパに渡ったトウガラシからハンガリーであまり辛くないパプリカが生まれたこと、パプリカにはビタミンCが大量に入っていて、それを見つけたセントジェルジはノーベル賞を取ったこと、たった数百年で世界中でトウガラシを大量に食べるようになったのに対し、日本では七味唐辛子の中に入ったくらいだなんて話が入っています。

中南米では栽培種のトウガラシだけでなく野生のトウガラシもいまだに利用されているとか、トウガラシの辛さの単位は人間の舌で、トウガラシ抽出液を水で何倍まで希釈した時に辛さが認識できなくなるかで測るとか、バスコダガマのインド航路は2回目からはブラジル経由で喜望峰に行ったということで、立ち寄ったブラジルでトウガラシを積み込み、それをインド・インドネシアで降ろしてコショウに積み替えたのかも知れないとか、ヨーロッパがアジアからアメリカにサトウキビを持ち込み、そのサトウキビ栽培のために大量のアフリカ人奴隷をアフリカからアメリカに運んだ、その代わりにトウモロコシを中南米からアフリカに運んだなんて話もありました。

また『赤とんぼ羽をもぎればトウガラシ』という句がありますが、『朝顔につるべ取られてもらひ水』で有名な加賀の千代女がこの句について『俳諧はものを憐れむを本とす』と言って『トウガラシ羽をはやせば赤とんぼ』と手直しした、なんて話もあります。すなわちこの頃までには日本でも既にトウガラシがごく一般的なものになっていたという事です。

お勧めします。