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福沢諭吉『帳合之法』 その2

2022年2月8日 火曜日

さて、ここから「帳合之法」を具体的に読んでいきます。
まず帳簿の作り方から。日本流の帳簿はいわゆる『大福帳』という、ぶ厚い無地の帳面を横にして、縦書きで筆で取引内容を書いていくのに対し、この西洋流の簿記では大きな紙に縦8行~10行くらい、横に4~50段(4~50字)くらいの罫を赤か藍(青)で薄く印刷したものを用意し、これにこの本の例に従って必要な罫線を墨で引いて、これを使います。(福沢諭吉はここまで説明しています。)

金額の記入の際はまず位取りの円の位置を決め、その上に一〇〇とタテに書けば百円の事、一〇〇〇と書けば千円の事と、位取り記法の説明から始めます。

日本流の帳簿には入金と出金を同じ高さに右から左に順に記入していくけれど、西洋流の帳簿では入金と出金の高さを変えて、貸借がわかり易くなっているという所から始まります。

簿記の目的は『商売の貸し借りを忘れないように記録を取っておく』という事で、貸し借りの証文が記録に残る金銭の貸借、手形の受払等はそれ自体が残っているので必ずしも記録に残す必要はない。現金での売買もその時点で決済が済んでいるんで必ずしも記録の必要はない。記録しておかなくて忘れてしまうと困るのは、掛の売り買いとその決済の記録だ、という事で、まずは取引相手毎に勘定書を作り、そこに掛での売買を貸借別に記入します。

商売があまり忙しくなければこのままでも良いけれど、忙しくなると売買の都度相手方の勘定書を出して記録する代りに、相手によらず全て順番に売買の記録をして、それを後で相手方別にそれぞれの勘定書に書き写すという工夫をします。この全ての取引を順に記録するのに使うのが日記帳、それを書き写す勘定書を集めたものを『大帳』(元帳)といいます。

ただしここでは帳簿の記録の目的が掛の売り買いとその支払い・受取りですから、日記帳に記録するのもその取引のみで、大帳に記録するのも相手方の人名勘定のみです。日記帳に取引の内容を詳しく書いておけば、大帳の方にはその分詳細を省略して記録することができます。

日記帳と大帳(元帳)のみで帳簿組織は完成ですが、これ以外に商売には手形の受け払いを管理するための『手形帳』、現金の出入りを記録する『金銀出入帳』、商品の仕入れ・売却を管理する『仕入れ帳』なども使われることもありますが、それは必ずしも必要ということではありません。

福沢諭吉はここで手形とはどのようなものか、という説明までしています。親切なことです。

この日記帳と大帳のみによる第一式(一例目)の簿記の次には、日記帳・大帳・金銀出入帳の三つによる第二式の簿記の説明です。
この第二式では日記帳と大帳の他に金銀出入帳も帳簿体系の一部として採用されます。

第一式では、現金の有り高はお金を直接数えれば良いだけなので特に帳簿を設けなくても良い、と考えていたのが、金銀出入帳によって現金の出入りについてもきちんと記録を取ることによって、どのような取引によって現金が出入りしているかが分かる、あるいは現金を数えることなし帳簿上の計算だけで有り高が分かるという事になります。あるいは帳簿上の残高と実際の有り高を数えたものを照合することで、現金の紛失や記帳の間違い・漏れ等がないかどうか検証することもできます。

それにしてもこの本が明治6年に作られているのですが、この時までに日本の貨幣の単位が円、銭に統一されていたのはこの本を作るのにちょうど良いタイミングだったな、と思います。もうちょっと前であったら現金の単位も両(金貨ベースで)・匁(銀貨ベースで)・文(銭貨ベースで)と3通りあって(場合によってはコメも通貨の一つになります)、その相互の換算レートも日々変動する為替レートによっていましたから、帳簿の記録もとてつもなく手間のかかる作業だったはずです。金銭の計算が必ずしも十進法でなく、また多通貨変動相場制ですから大変です。

この金銀出入帳を定期的に締め切るのに一七日というものを説明しています。一七日というのは一週間(この本では1ヰイクと言ってます)ということで、週単位で締切るのと月単位で締切るのと両方のやり方を例示しています。

この金銀出入帳には第一式で姿を表さなかった諸経費の支払や家計用の支出分も、現金売買の収支と同様に登場します。大帳の方の勘定は掛け売買の相手の人名勘定だけですが、新しく『総勘定』という期末の残高の一覧表が登場します。売掛金・買掛金は大帳の人名勘定の残高から持ってきて、手形は手形帳から、現金の残高は金銀出入帳から、商品の残高は仕入れ帳から棚卸しして記入しています。

これで資産・負債を計算して、その差額として期末時点の純資産(『現在の身代』と言っています)を計算し、期首の元金(純資産)を差引いて当期の利益が計算できます。

その意味で総勘定というのは財産目録、あるいは貸借対照表の役割を果たす表です。

このようにして日記帳・大帳・金銀出入帳の三つだけで期末の資産・負債・純資産を計算し、当期利益の計算までできるというのがこの第二式の眼目です。

第一式でも金銀出入帳の代りに現金の有り高を数えれば同様に決算できるのですが、第一式では売掛金・買掛金の記録に注目しているので、決算については触れていません。

次は略式第三式、すなわち単式簿記の3例目です。ここでは金銀出入帳の他に『売帳』が登場します。これは商品の売上げを記録するものです。これを基本的な帳簿にするのでなく、売上げも一旦売帳に記載してからその支払い方法に従って、手形受取の場合は手形帳に、現金売上の場合は金銀出入帳に、掛による売上の場合は日記帳にそれぞれ転記するというやり方を説明しています。ここでもまた日記帳・大帳の記録は掛による売買のみが記録されます。

また一例目・二例目が個人商店の場合であったのに、この第三式では共同出資の社中(合資会社あるいはパートナーシップ)の例を示し、決算が赤字の場合にその赤字を出資者にどのように振り分けるかとか、期の途中で現金を出資者の私用に使った場合の取扱いとかが例示されています。大帳にはまだ掛による売買しか記録されないので人名勘定のみが記録され、それ以外の勘定は登場しません。

次の略式第四式(単式簿記4例目)はさらに面白い例となっています。
これまでの例では期首は現金のみから始まって(現金出資のみから始まって)、期中に商品を仕入れ、売上げを上げて利益を出すという形だったのが、いよいよ期首に様々な資産を持っている例を出します。
そのため(個人商店の)福沢商店がそのまま全財産を現物出資し、丸屋商店が現金を出資して福丸商社を作り、これに期中に島屋が現金を出資して『福丸及び社中』という会社を作るという形にしています。

この第四式では売帳を日記帳に転記するのでなく、直接大帳に転記したり、手形帳・金銀出入帳に転記する方式となっています。第三式ではこの売帳は『小帳』といって正式な帳簿体系の中に入っていなかったのを、第四式ではこれを『原帳』として正式な帳簿体系の部分としているということです。これによって掛けによる売り上げは日記帳に転記したうえで大帳に転記する手間が省略できる、ということです。

福沢諭吉はこのようにして帳簿体系を、どのように定めてそれによって帳簿記録をどのように整理し、最終的に利益をどのように計算し出資者間でどのように分配するか、例示しています。

また金銀出入帳の補助簿として『手間帳』『雑用帳』をもうけ、この手間帳によって従業員の出勤管理および給与計算の例を示しています。

以上で略式の第一式から第四式までの説明が終わりますが、大帳は一貫して売掛金・買掛金の計算のための人名勘定のみを記載し、決算の総勘定の作成ではこの大帳と金銀出入帳(現金残高)・手形帳(受取手形、振出手形の残高)・仕入帳(商品の残高)とを使って資産・負債を計算し、期末純資産を計算し、当期利益を計算し、出資者各人に対する利益配分を計算しています。

これで略式(単式簿記)が終わり、次はいよいよ本式(複式簿記)の二例の説明が始まります。

使用する帳簿が増え、大帳の使い方が大幅に変更されます。
お楽しみに。

福沢諭吉『帳合之法』 その1

2022年1月28日 金曜日

先に報告したように、ブログのサーバーがパンクし、お正月休みにちょっと時間が取れそうなので、取りためてあった資料の中からこの本のコピーを取り出して読んでみました。予想以上に素晴らしい本で感激しました。

元々アメリカの商業学校(原文では商売学校となっています)の簿記の教科書を福沢諭吉が翻訳した、ということになっているので、福沢諭吉は単なる訳者ということになるのですが、現実には翻訳というより翻案と言った方が良いような本です。

なにしろ西洋流の簿記など初めての人に西洋流の簿記を説明するのですから、福沢諭吉はかなりの工夫を凝らしています。
日本語の本をいきなり横書きにすることはできなかったようで、横書きの英語の原文を縦書きの日本語に翻訳しています。数字が大量に出て来る帳簿の例でも、横書き、アラビア数字の原文を縦書き、漢数字の帳簿に変えています。
簿記の本ですから大量に金額が出てきます。これを日本流の漢字の書き方で、たとえば二拾八万四百三円六銭と書く代わりに、二八◯、四◯三、◯六というように縦書きに書く事にしています。日本語の縦書きはそのままにして、数字の位取り記法を導入し、一から九までの漢数字に◯を追加して◯から九までの漢数字で位取り記法ができるようにして、原著の横書きの教科書を縦書きにして簿記の説明をしています。
この位取り記法、和算の世界では17世紀位からあったようですがまだ一般にはなっていなかったもののようです。とはいえ、実は算盤(ソロバン)というのは、紙に書くのではなく算盤に置くという形ですが、実質的に位取り表記ですから算盤を使い慣れている人にはあまり抵抗がなかったかも知れません。

まだ個人商店が主流の時代ですから、商売相手の名前も英語の原文では外人の名前ばかり出てきます。これをこのままカタカナの名前にしたんでは読んでいられないだろうということで、この商売人の名前をみんな日本の屋号に変えてしまいます。廃藩置県前律令制以来の国郡里制の国の名前に屋号を付けた、三河屋とか駿河屋とか伊勢屋、越後屋とかいった具合です。
商品の名前も欧米の商品を持ってきても良くわからないので、全て日本の商品に置き替え、ついでに度量衡の単位も日本の単位に置き替え

男物くつ足袋 6足 単価25銭で 1円50銭 とか
太織ふとん地 2丈 単価12銭で 2円40銭 とか
お茶 10斤 単価12銭で 1円20銭 とか
白砂糖 3箱分50斤入り 単価6銭で 90円 とか

という具合です。

で、この単式簿記と複式簿記の両方を説明しているのですが、前半の単式簿記(Single Entry)の方を『略式』と訳し、後半の複式簿記(Double Entry)の方を『本式』と訳しています。

『この本は単式簿記だからちゃんとした簿記の本ではない』なんてコメントも時々みかけますが、実際の所単式簿記も複式簿記もちゃんと説明してあります。

で、英語の原文では単式簿記を4例、複式簿記も4例説明しているようですが、この訳の方では単式簿記の4例を略式第一式から略式第四式という形で紹介しています。また複式簿記の例、最初の2例を本式第一式、本式第二式という形で紹介し、3例目4例目は省略しています。
原文のテキストの本式第三式・本式第四式の2つについて福沢諭吉は、第二式までで説明は十分で、それ以上ページ数を増やして読者の負担(本を買う負担・読む負担)をかけてもしょうがないということで、この部分を省略しています。その意味でもこの本は真っ当な翻訳ではありません。もちろんそれでこの本の価値が棄損されるわけでありませんが。

単式簿記というのは実は『複式簿記でない』ということで、その中味についてはいろいろなケースがありますが、この本では、商人間の取引のうち掛(買掛あるいは売掛)の取引について、売掛金を取りっぱぐれないように、また買掛金の支払を忘れないように記録を取っていくことを主たる目的とする帳簿簿記のシステムのこととして説明しています。

この本の6つの例を読むと、単式簿記であれ複式簿記であれ、具体的な目的があって、その目的のための帳簿の体系があって、それぞれの帳簿の使い方、記録方法が決まっていて、それぞれの例では使う帳簿が異なったり同じ帳簿でも使い方が違ったり、その意味合いが違うということがわかります。

この本では簿記の目的が次第に広くまた高度化するにつれ、帳簿組織と簿記の内容が変わっていくことをわかりやすく例示しています。その結果、(やり方を一方的に)教えられる簿記会計から、自分で考え創意工夫できる簿記会計の教科書になっています。

なおこの本では基本的に個人商店を想定しているわけですが、資本を出し合って経営する合資会社の場合で、利益を出資者にどのように分配するかとか、期の途中で出資者が増えた時の取扱なども例示しています。
面白いことに、福沢屋と丸屋が共同で出資して『福丸商社』を作り、そこに途中から島屋が資本参加して『福丸及び社中』という名前の商店になる、なんて、英語の○○ and Companyという名称までそのまま日本語にしています。こんな会社が本当にあると面白いですね(ちなみに丸屋というのは本屋の丸善のことで、この部分ではほかにも慶應義塾関係のいろんな人の名前が商売相手の名前として出てきます)。

略式・本式というのは原文のSingle Entry(単式簿記)とDouble Entry(複式簿記)を仮に略式・本式と訳したものですが、だからと言って何か省略している、ということではなく、略式であっても本格的な簿記会計の体系であって、これで本格的な決算もできると書いています。福沢諭吉自身、この代わりに単記・複記という直訳も考えていて、迷っているようです。
簿記は、単式簿記が進化して複式簿記になったかのように思われているところもありますが、実際、簿記の歴史の本などを読むと、まず複式簿記の体系が出来上がり、それがヨーロッパを中心にかなり広範囲に普及したところで、それがあまりに厳密で手間がかかるために、それを何とか省力化して簡単にすることができないものか、という工夫が様々に提案され、時にはその名前をsimple entryとすべきところをsingle entryと呼んだ、ということもあるようです。だとすると、single entryというのはsimple entryのことで、それを略式、と訳したのは何かを省略した、ということではなく、簡略化した、ということであれば、本式・略式という訳はもしかするとかえって適切な訳なのかもしれません。

借方・貸方についても、とりあえず原文のDebit、Creditをこのように訳していますが、これについても福沢諭吉も迷った上でこのようにしています。

たとえば日本流の言い方では、自分がA社に商品を掛けで売った場合、A社勘定に売掛金を計上するのですが、これはA社にその代金分貸し付けたことになる。B社から商品を掛けで買った場合、買掛金が計上されますが、これはB社にその代金分借りていることなる。このA社に対する貸しを借方に記載し、B社に対する借りを貸方に記載するのは変じゃないか、と普通に考える所、福沢諭吉は、日本流の自分を主語にする考え方ではなく、西洋では相手方を主語とし、A社に貸しているのは『A社は当社に借りている』ということで借方に記載し、B社に借りているのは『B社が当社に貸している』から貸方に記載することだ、と説明しています。
この借方貸方の整理は非常に納得しやすいものです。

日本の中だけでこの簿記を使うのであれば、貸方借方の表記を(日本流の)自分を主語にして逆にしても良いし、貸し借りの言葉が分かりにくいから、例えば『入』と『出』という形で表現するという考え方もありますが、将来的に欧米との取引が進んでいくとその表現が逆になっていたり別の言葉が使われていたりするのはかえって混乱を招く事になると考えて、あえて原文をそのままに借方・貸方の言葉を使うことにする、と福沢諭吉は訳者注に書いています。
このあたり、明治に西洋から新しいものや考え方を取り入れるとき、どんな言葉を使ったらいいか、という先人の苦労がしのばれます。

ということで、次回以降、もう少し詳しくこの本の中身を紹介してみようと思います。

『本屋風情』 原 茂雄

2022年1月14日 金曜日

渋沢栄一の大河ドラマもいよいよ終わりましたが、最終回の2回前、12月12日の分を見ながら、その後継者渋沢敬三のことを考えていました。

この人は、戦前から終戦前後に日銀総裁をやったり大蔵大臣をやったりした人ですが、私が知っているのは日本中を歩き回った民俗学者の宮本常一のスポンサーとしての渋沢敬三です。この人は渋沢栄一の後継者だったけれど、血縁はどうなっていたのかなと思ってWikipediaに教えてもらったのは、最終回の前の12月19日の大河でやっていたように、栄一の嫡男篤二の嫡男として生まれ、父親の篤二が栄一に廃嫡されて孫の敬三が後継者となった、というような事が分かりました。

Wikipediaではついでにこの人の動物学や民俗学関係の色々な交流について、参考書としてこの本が紹介されていました。

早速図書館で借りて読んだのですが、全30話のうち28話が『渋沢敬三さんの持ち前とそのある姿』というタイトルになっていました。もちろんそれ以外にもこの本全体に何度も登場します。

第一話が『まえがき』になっていて、ここに『本屋風情』のタイトルの由来が書いてあります。

これまたこの本に何度となく登場する柳田國男が(この人はエリートであった事は事実だけれど、エリートであることを強く自覚し、また他人にも自分をエリート扱いすることを当然のように要求し、それが叶わないとひと悶着起こすというような人のようです)、また何かの件でひと悶着起こしたときに、渋沢敬三が仲直りの席を用意し、ひと悶着の当事者の一人でもある著者の原茂雄さんにも同席するように命じ、その席は無事終了したと思ったら、後で柳田國男が「本屋風情と同席させられた」と文句を言っていたということで、この『本屋風情』という言葉をこの原茂雄が気に入って、この本を作る時に書名にしたということでした。

著者の原茂雄さんというのは、陸軍幼年学校から陸軍士官学校を出て軍人になった人ですから、この人も十分エリートで、陸軍での出世も少なくとも少将くらいまでは約束されていたはずなのに、軍をやめて本屋さんになった人ですから、そう簡単に柳田國男風情にバカにされる人ではありません。

で、この第一話『まえがき』のあと第2話から第9話までは南方熊楠との交流を書いています。出版者として南方熊楠に出版を提案する所から、熊楠の信頼を得て熊楠の著作の管理を全面的に任され、最終的に南方熊楠全集を(平凡社から)出版するに至るまでを書いています。

その後は出版人として本や雑誌を出すことに関連して、主として考古学・民俗学・民族学関連の多くの人との交流が書かれています。話の殆どは大正の半ばから終戦前後までの話なので、私にとっては名前だけは知っているけれど・・とういう人々が具体的な姿で登場してきます。

たとえば貝塚茂樹・湯川秀樹、小川環樹の小川三兄弟の父親である小川琢治という人も、今までは三兄弟の父という形で目にするだけだったのが、地理学の権威として、登場して活き活きとして動きまわっています。学者仲間の濱田耕作と、互いに子供自慢をしあったりもしています。

『ユーカラの研究』の出版に関連して金田一京介と関わったり、広辞苑とその前身の辞苑の出版に関連して新村出と関わりあったり、ファーブル昆虫記の出版に関連してきだみのること山田吉彦が登場したり、いろいろ面白い話が満載です。

第26話で物理学者の中谷宇吉郎の弟の考古学者の中谷治宇ニ郎の話、第27話で同郷の先輩で同業者の、岩波書店の岩波茂雄の話、第28話は前に書いたように渋沢敬三の話、第29話で人類学・考古学・民俗学関係の学者間の交流誌として『ドルメン』という雑誌を出した話があって、最後に第30話『落第本屋の手記』として、陸軍をやめて人類学・民俗学の勉強を始めたけれど、スタートが遅くなった分、学者として研究にあたるより出版人として学者の仕事を助ける方がなすべき仕事だと考え、何も知らない出版の世界に入ったけれど、途中で陸軍から召集をかけられたり徴用されたりしてちゃんとした仕事ができなかった、と書いています。

なかなか面白い本です。

この本をきっかけに、そういえば南方熊楠というのは話を読むだけで、この人の書いたものを読んだことがなかったな、と気づき、今度は熊楠の書いたものを読んでみようかと思いました。

こうやって読みたい本が増えていくと、読む本がなかなか終わりません。

とまれ、興味がある人、お勧めします。

『蒸気動力の歴史』

2021年5月13日 木曜日

『蒸気動力の歴史』という本を読みました。いわゆる蒸気機関の歴史を知りたくて借りた本ですが、なかなか読み応えがありました。

最初シリンダー(円筒)の中を水蒸気で一杯にして、その水蒸気に水をかけると水蒸気が水になり、シリンダーを密閉しておけば中は真空になりそこに大気圧がかかるので、その大気圧に仕事をさせようという『大気圧機関』から始まり、それが水蒸気自体の圧力を使う『蒸気圧機関』に進化し、それらの機関ではシリンダーのピストンの往復直線運動だったものを回転運動に変換する仕組みを導入し、その後往復運動なしに直接回転運動させるようにタービンを使うようになり、発電機を作ってそのタービンの回転運動を電流に変え、電流をモーターで回転運動に変換するという具合の進化の話です。

はじめは炭鉱の湧き水汲み出しのためのポンプを動かすための物だったのが、この機関を導入することにより排水ができるようになり石炭も鉄もたくさん取れるようになり、このポンプをふいごに使う事により、より強い鉄を作ることができるようになり、その鉄を使ってもっと効率の良いポンプを作ることができ、また工作機械も精度の良いものが作れるようになり、ポンプの性能も良くなるという、総合的な進化の話です。

ここに『特許』という制度が絡み合い、時にはある発明を進展させるための資金として役立つこともあるけれど、多くの場合は特許は発明の進展を阻害するように働き、特許が切れた途端に更なる進歩が始まるとかの非常にダイナミックな話、また当初は炭鉱の水汲み用だったものが用途を広げて多種多様な工業に使われ産業革命に繋がっていく、というストーリーです。

中味があまり膨大になるのを避けるために、この本では蒸気機関といっても陸上据え付け型の物に限定しているので、蒸気機関車の話や船舶用の物は省かれています。

蒸気機関といっても必ずしも昔の話ではなく、今でも火力発電所の発電機に使われているのも蒸気機関だし、原子力発電所の発電機も沸騰水型の原発なら蒸気機関だという、言われてみればその通りで今でも第一線で活躍中なのですが、この本は日本語訳が出たのが1994年、原著は1938年の本ですから、原発の話までは入っていません。

著者はイギリス人であるため、この本の単位は重さにしろ長さにしろ体積にしろ金額にしろ全てイギリス流の単位でそれをそのまま日本語にしてあるだけなので、メートル法だとどれ位になるのかまるで分からないというのが困ったところです。
だからと言って全てメートル法に直す程の真面目さもないので、そのまま読みました。

また本の後半のタービンの所はこの本に書いてある図の説明では何とも理解不能なので、改めてきちんと調べないといけないな、と思っています。

いずれにしても理論的というよりむしろ実務的な話で、ストーリーを楽しむには良い本です。ある意味産業革命とは何だったのか、ということを工学的・技術的な方面から考えさせる良い本だと思います。

もし良かったら見てみて下さい。

火野葦平『陸軍』『花と龍』

2021年3月17日 水曜日

フェイスブックで友人の浦辺先生が『陸軍』についてコメントしていたので、読んでみました。

火野葦平というのは『麦と兵隊』その他で有名な人ですが、まだ一冊も読んだことがなかったので読んでみました。

戦争中、朝日新聞に連載された小説で、連載が終わって本として印刷してその印刷が終わるのが昭和20年8月15日ということでこの本は販売されなかったようですが、その後他の出版社から出版されている小説です。

九州・小倉と博多に生きた一家が、明治維新前、長州が外国艦隊に砲撃されて完敗する所から戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争と続く戦争に、何代にもわたって兵隊あるいは軍人として参加し続けた物語ですが、特に軍国主義的ということもなく、久しぶりに小説を読むのを楽しみました。あの、戦争礼賛でイケイケドンドンの朝日新聞で、このような小説が連載されたことに驚きます。

この本を読み終わって次に何を読もうかと思ったのですが、火野葦平が自分の父親・母親(と自分自身)の伝記として書いた小説だという話で読んだのが『花と龍』です。任侠映画として一世を風靡した作品の原作ですが、これも今までまともに映画を見ることも原作を読むこともしていませんでした。これも読売新聞に連載された新聞小説で、確かに任侠映画の原作となるだけのエピソード満載ですが、北九州の沖仲仕の家族の伝記として楽しめました。

まだいろいろ読まなければいけないものもありそうですが、とりあえずこの2冊を読み終わった段階で紹介しようと思います。

面白くて楽しめます。お勧めします。

『江戸文人のスクラップブック』

2021年2月15日 月曜日

不思議な本を紹介します。
工藤宣(くどうよろし)という人の書いた『江戸文人のスクラップブック』という本です。
この本もさいたま市立図書館で『ご自由にお持ち下さい』コーナーにあった本です。

本の内容は、江戸時代幕末の大槻磐渓(おおつきばんけい)という人の残した『積塵成山』あるいは『塵積成山』という名前のスクラップブックの紹介です。塵も積もれば山となる、と読むのか、塵を積もりて山となす、と読むのか、まあどっちでもいいんでしょうが、そんなような名前です。

このようなスクラップブック、1冊あたり50枚のA3をもう一回り二回り大きくしたようなものが十数冊あるということです。そのスクラップブックに磐渓先生が何十年もかけて様々な資料をスクラップして、それを著者が一つ一つ見ながらこの資料は何だろう、磐渓先生は何を考えて何のためにこの資料を貼りつけたんだろう、この資料はどうやって作ったんだろう、どうやって手に入れたんだろう等々と探索しています。

何しろこのスクラップブック、磐渓先生は自分のためだけを考えてスクラップしているようで、資料を貼り付けてはあるけれど、それに関する説明は一切付けていないようです。ですから資料自体を読み解くしかないのですが、これが変体仮名・くずし字がふんだんに入っている漢文体の文語が殆どで、中にはオランダ語の資料も入っているようです。

磐渓先生というのは今となっては殆ど知る人もないような人ですが(Wikipediaにはこの先生のページがありました)、幕末期の漢学者としては当代一流の学者でした。

江戸生まれ江戸育ちの仙台藩士で、父親は解体新書翻訳チームの一員の大槻玄沢(この本では盤水という名前で何度も登場します)、息子の一人は明治になって初めての国語辞典である『大言海』を作った大槻文彦といえば、こっちの名前の方が分かりやすいかも知れません。

父親が蘭学者だったのに本人が漢学者になったのは、父親の意向で、自分が読んだオランダ語をきちんとした漢文にして貰いたかったとのことで、本人は蘭学をやりたかったようですが、父の言いつけに従って漢学者になったものの蘭学にも興味を示し、また高島秋帆の西洋砲術も習って砲術師範にもなっています。

蘭学を学ぶために長崎にも行ったけれど、その直前のシーボルト事件のために蘭学を学ぶことができず、漢学者になることにしたようです。

この本を読むと、幕末の時代小説に出て来る人のオンパレードです。若いころ頼山陽と出会って(日本外史に注文を付けた、という話もあります)高く評価されたり、維新直前に何度か幕府から欧米に派遣された日本人に色々アドバイスしたり、最終的に密航に失敗した吉田松陰が黒船に乗り込む直前に磐渓先生に会って話をしていたり、この本だけで幕末の時代小説のネタがごろごろ転がっています。

最終的に参勤交代がなくなって仙台藩主が仙台に引き上げる時、磐渓先生も一緒について行き、藩主のブレインになり、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟を作って官軍に歯向かった時、盟主格の仙台藩主の代理としていろんな文章を書いたので賊軍として捕まってしまったりもしますが、歳も歳なので自宅蟄居にして貰い、数年で許されて晩年は子や孫と穏やかに暮らしたようです。

いずれにしてもこのスクラップブックの探索作業、今ならインターネットをフルに活用して情報を集めたり仲間を募って相談したりする所ですが、それができないでかなり大変だったと思います。とは言え出版物はいろいろあって図書館もかなり充実していたので、ある程度は調べることができたんだと思います。この本が書かれたのが1989年、30年前の労作です。

『反日種族主義』李栄薫

2020年1月31日 金曜日

この本、韓国と日本でベストセラーになって、図書館に予約を入れたら1年待ちくらいなのですが、まぁのんびり待とうと思っていたら読み終わったからと貸してくれる友人があり、借りて読みました。

まずタイトルの『反日種族主義』というちょっと意味不明な言葉ですが、近ごろ国民でも民族でもない部族とか種族とかよばれる、もっと原始的な人間の集団とその集団の在り方について、tribe(種族)という言葉から、tribalismという言葉が使われるようになっているようで、このtribalismの-ismを主義と訳して『種族主義』という言葉になったようです。

で、このタイトルが言っているのは、韓国あるいは韓国人あるいは北朝鮮を含んで、朝鮮・朝鮮人(今後めんどくさいので韓国あるいは韓国人ということにします)は社会的にまだ国家とか民族を名乗るほど成熟していないで、せいぜい部族とか種族のレベルにしか達していない、その種族あるいは部族として人間の集団である韓国人あるいは韓国をまとめている考え方、あるいは信仰、あるいは迷信として、建国神話の檀君神話や中国に対す事大主義、風水の考え方等と並んで重要な要素として『反日』という信仰がある。即ち韓国(あるいは韓国人)は反日という迷信を信じる種族あるいは部族でしかないんだ、ということのようです。

この-ismを主義とすることに関しては、たとえばシャーマニズムはシャーマン主義とは普通言わないし、日本の神道も英語ではshintoとかshinto-ismとか言いますが、shinto-ismを神道主義とは言わないよな、と思います。日本語では片仮名が使えるので-イズムという言い方ができるんですが、韓国語ではそれができないんでしょうね。この本の国語の原題は反日種族主義という漢字をハングル読みして書いたもののようですから、それを日本語に直訳したものと思います。日本語としては『反日』トライバリズムとした方が分かりやすいでしょうか。日本語として分かりにくい方が却って売れるということなのかも知れません。そういえばジャーナリズムという言葉も-主義という言葉に直しにくい言葉ですね。ツーリズムという言葉もありました。

で、この本の著者代表の李栄薫さんというのは李承晩学堂の校長だ、ということで、この本が出版されるについては李承晩学堂の支援があったようです。

李承晩という名前は若い人にとっては聞いたこともない名前かも知れませんが、私などにとっては子供の頃李承晩ラインがどうのこうのとニュースで何度も聞いた覚えのある名前で、何となく反共・反日の気ちがいじみた独裁者だ、という位のイメージなんですが、この人の名前を冠する学校が今もソウルにあるんだ、という話に驚きました。

そして李承晩が政治活動のため牢屋に入っている時に一念発起して『独立精神』という本を書いたという話がこの本の最後の方に出て来ますが、これはヒトラーが牢屋の中でマインカンプ(我が闘争)という本を書いた話を思い起こさせます。この本を読んでみたくなりました。

李承晩がその『独立精神』を書いたのは1904年頃、ヒトラーのマインカンプは1924年-25年頃ですから、李承晩の方が20年早いということになります。

で、この本の主たる著者によると、李承晩というのは一般の考えるような気ちがいじみた独裁者ということではなく、むしろ種族主義(トライバリズム)の段階にある韓国の社会を、何とかして国・民族のレベルまで高めようとして一身を捧げた愛国者だということです。残念ながら李承晩の研究者や伝記作者も含めて、李承晩の『独立精神』を読んだことのある人は殆どいないようだ、と言っています。

で、この本の主旨は、韓国は人口の面でも経済の面でもかなり大きな存在になっていますが、社会としてはまだ未開な種族あるいは部族のレベルにしか達していなくて、その種族あるいは部族という人間集団をまとめている中核の思想・信仰、あるいは迷信の中心の一つとして『反日』があるわけですが、しょっぱなプロローグで『嘘をつく国民』『嘘をつく政治』『嘘つきの学問』『嘘の裁判』と嘘を連発して、最後に『反日種族主義』というサブタイトルでいかに韓国あるいは韓国人が嘘つきかを主張しています。

その後本文の部分で、韓国の反日の主張である『韓国の国土に鉄抗を打ち込んで気脈を切断した』『土地測量で国土の4割をだまし取った』『米を奪った』『徴用工の問題』『慰安婦の問題』等々、韓国の反日の主張が次々に出てきて代わる代わる別々の著者によって次々に反駁されていきます。このあたり一般の読者向けに執筆者が易しく書いたということなのか、韓国では漢字を使えないので必然的に文章がやさしくなってしまうのか分かりませんが、スラスラ読めます。

この反論の部分、日本の学者の書く物より徹底しているようです。
で、最後に『ホントにこんなことを続けていたら国が亡くなってしまうぞ』という詠嘆というか悲鳴というか、そんな言葉で締めくくっています。

日韓の反日を巡る議論に興味があれば、本文の各論を読むと良いと思います。そんなロクでもない議論はどうでも良いということであれば、序文・はじめに・プロローグの部分と最後のエピローグ・解説の部分を読むと良いと思います。

いずれにしても読み応えのある本でした。お薦めします。

遊遊漢字学『すばらしきかな「令」』阿辻哲次

2019年4月9日 火曜日

日経新聞の毎週日曜日の朝刊、最後の頁に『遊遊漢字学』というコラムがあり、毎回楽しみに読んでいるのですが、一昨日の分のタイトルは『すばらしきかな「令」』というもので、新元号として話題の『令和』の『令』の字について解説されています。

まずは台湾のスーパーで売っている『魔術霊』という家庭用洗剤が、日本でいう『マッジクリン』だという発見から始まって、『霊』という漢字の説明があります。

『壺坂霊験記』の話とか、『霊峰』とか『霊薬』の例を出して、『霊』という字が『はかりしれないほど不思議な』『神々しい』『とってもすてきな』という意味を持つ言葉だという説明です。で、今はこの字も新字体になっていますが、元々の旧字体(靈)では24画もあるので、その旧字体の俗字として、同じ音の『令』の字を使うことがはるか昔からあったということです。そのため『霊』の意味が『令』の意味にもなり、『令嬢』とか『令夫人』とかの言葉になり、また『令月』にもなった、ということです。

これで『命令』の『令』とは別系統の『令』の意味が良く分かります。

最後に結婚披露宴に招かれた友人夫婦が、奥さんの席に置かれていた『令夫人』と書かれたカードを見て、『いつもおれに命令ばかりしているから女房を「令夫人」というのか』とさとった話など、楽しいコラムです。

『君たちはどう生きるか』 吉野源三郎(2)

2019年2月7日 木曜日

岩波文庫版の『君たちはどう生きるか』が、ようやく図書館で借りられたので見てみました。

驚いたことに、この本文は改訂前の昭和12年の版を、漢字を旧字体から新字体に、仮名遣いを現代仮名遣いに直したものになっていました。

この昭和12年のオリジナル版を以前わざわざ島根県の図書館から借りて読んだのですが、そんな苦労はしなくても良かったということになります。

面白いことに本文のあとに、後書きとして『作品について』と題して著者の吉野源三郎の解説のようなものが付いていますが、これは戦後2回の改訂をした後の版に付けられたものですから、いきなり本文とこの後書きを読むとわけの分からないことになるのかも知れません。

さらにそのあとに『解説』のような形で、「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想―吉野さんの霊にささげる―」というタイトルで丸山真男の文章がついています。

吉野源三郎が1981年に亡くなり、その追悼文として丸山真男が雑誌『世界』に寄稿したものをこの文庫版にもつけたということです。

で、この追悼文で、丸山真男は『君たちはどう生きるか』を昭和12年に出版された段階で読んでおり、追悼文を寄稿するにあたり新旧の版を読み比べてみて、オリジナルの昭和12年の版を古典として初版のままの復刊を希望し、その結果として1982年に岩波文庫からそのオリジナル版により復刊が実現した、ということのようです。

『君たちはどう生きるか』のハイライトのコペル君の仲間が上級生に制裁を受けた時、コペル君は名乗り出ることができなかったというエピソードに関し、著者の吉野源三郎もこれを書く前に治安維持法違反で逮捕され1年半も陸軍刑務所に入っており、また丸山真男も(旧制)高校2年の時に警察に逮捕され豚箱にブチ込まれたのを始め、何度も特高の取り調べを受け、また憲兵隊から召喚されるという経験があり、このエピソードについてそれぞれ自分の経験に照らして思う所がたくさんあったようです。

で、いずれにしても丸山真男は、戦後2回の改訂の前の版が改訂後のものより良いものだと判断しており、新旧の版を比較して2回の改訂で削除された主な箇所のリストも追加しています。

とはいえ、終戦後によく見られた、戦中・戦前の発言について戦後、修正・削除して戦争に加担していた、あるいは戦争に賛成していたという批判を逃れようとした、というような訂正・削除はなかったというのは、私の確認結果と同じです。

前にも書きましたが、どうせ読むのであればこのオリジナルの方を読む方が良いと思いますし、これが今でも新本で千円ちょっとで買えるとなればなおさらだ、と思います。

なお、岩波文庫というのはジャンル別に帯の色で区分されているのですが、この作品は青の『日本思想』の中に入っています。この物語が思想なのかなという気もしますが、とはいえ日本文学というわけにもいかないので、これで良いのかも知れません。

また、『君たちはどう生きるか』とは別の話ですが、吉野源三郎と丸山真男についてチョット調べていた所、日本国憲法ができる時の『八月革命説』という、憲法学者好みのつじつま合わせのトンデモない議論がありますが、これを言い出したのが実は丸山真男であり、それを丸山真男の先生だった宮沢俊義が発表したものだ、という話を知りました。これは初めて聞く話なので、これについてもいずれちょっと調べてみようと思います。

「韓国は一個の哲学である」 小倉紀蔵

2019年1月28日 月曜日

この本は『韓国とは<道徳志向性国家>である』という言葉から始まっています。そしてすぐに道徳志向的な国ではあるが、道徳的だ、ということではない、と言っています。

『道徳』というのは、今ではなかなか分かりにくい言葉ですが、多分、今の言葉に直すと『正義』ということになると思います。すなわち韓国という国は『正義』を大声で主張する国だ、ということです。
このあたりの意味を1冊を使って解説しています。

この本では『韓国』という言葉を、李氏朝鮮から大韓帝国となり大日本帝国と一緒になって、35年後に第二次大戦の終了で大韓民国および北朝鮮人民共和国になった国、の意味で使っています。

言葉としては多分『朝鮮』と言った方が良いんでしょうが、この『韓国』の人達は、自分達が使ったり日本人以外の外人が使う分にはこの言葉に抵抗はないけれど、日本人が『朝鮮』という言葉を使うのは非常に抵抗があるようで、その余計な手間を省くには『韓国』という言葉を使うのが一番良いみたいです。

で、この本の著者が『韓国』と言っているので、私も『韓国』ということにします。

で、この『韓国』は韓国独特の韓国朱子学という理論体系が国の形となっているため、この本もこの韓国朱子学の解説となっています。

朱子学というのは儒教の発展の過程で生まれた哲学で日本にも当然伝えられましたが、後醍醐天皇がこの哲学に夢中になって建武の中興で日本中を混乱させた程度の被害で済んでおり、江戸時代も形式上は徳川政権によって朱子学が国あるいは幕府の正統的な学問ということになってはいてもかなりおとなしいものになっていて、大した害悪をもたらすものにはならなかったようです。

それが韓国では李氏朝鮮500年とそれが韓国になったその後の100年を通して、いまだに大きな混乱を引き起こし続けているというようなことの解説です。

儒教というのはもともと『仁』とか『義』とか『忠』とか『孝』とかいう言葉で語られる世界なのですが、朱子学というのは『理』と『気』という言葉が出てきて、世界の全てはこの理と気で説明される、ということになります。

その詳しい内容はこの本を読んでいただくのが一番良いと思いますし、私なんかにはそう簡単に説明できる話ではありません。でも韓国のあれこれについて多くの不思議な(あるいは理解不能の)話はこの本を読むことによって『そういう事か』という位には分かるようになるはずです。

いくつもの疑問が解消されたのですが、面白い発見もいくつかありました。

1つは『恨(はん)』という言葉ですが、これは韓国がどういう国であるかを示す言葉なんですが、これを普通の日本語の訓読みで『うらみ』と理解するのは間違いだ、ということです。この言葉は『あこがれ』という意味なんだという説明です。何かに憧れ、その対象と一体になりたいと切望しながら、それが達成されない悲しさ・辛さ・やるせなさ等々を表すのがこの『恨(はん)』という言葉なんだ、ということで、なるほどなぁと思いました。

もう一つは韓国人の日本人の認識についてですが
1.日本人は非道徳的だ
2.日本人は金の奴隷である
3.日本人は性の奴隷である
4. 日本人は権威に弱い
5. 日本人は義理を知らない
6. 日本人には情がない
7. 日本人には主体性がない
8. 日本人には文化がない
9. 日本には学ぶべきことはない
10. 日本はない

というのが韓国人の日本人に関する認識だ、という指摘です。
『これらに反する日本人像を公式に語ることは、韓国人にとってはひとつの冒険なのである』と説明しています。

この1~10の元となるのが『日本あるいは日本人は邪悪な存在だ』という公理です。『公理』というのはそれが正しいも正しくないもなく、当り前、当然の話で、そこから論理的にいろいろ演繹して議論する、その『元』です。

で、この公理から上の1~10が導かれるのですが、それと同時に邪悪な日本に引換え韓国はいかに正義の存在か、ということも証明される、という具合になっています。

そんなことなら最初から『韓国は正義だ』というのを公理にしてしまえば良いようなものですが、それじゃ当り前過ぎて面白くないので、『日本は邪悪だ』から『韓国は正義だ』を証明する方が説得力がある、ということのようです。

で、この『日本は邪悪だ』という公理ですが、公理ですから証明することはできないのですが確認することはできて、日本がいろんな事でうまく行っている時は『悪いことをやっているからうまく行っているに違いない』という話になり、何かうまく行かないような時は『悪いことばっかりやっているからバチが当たったんだ』という話になり、いずれにしても『やっぱり日本は邪悪な存在だ』という公理を再確認するという話になります。この公理を否定することはできそうにありません。何とも厄介な話です。

最後にこれは同じ著者の別の本『韓国、愛と思想の旅』からの引用ですが、次のようになります。
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たとえば下宿に住んでいた頃(著者は韓国の大学に留学して韓国に住んでいたことがあります)、同室の学生が『韓国ラーメン、ナンバーワン』とうるさく言うのに閉口した。韓国にはラーメン屋というのは皆無も同然なので(この文章は多分20年位前のものなので、今ではラーメン屋もたくさんあるのではないかと思います)、ここで『ラーメン』というのはインスタントラーメンのことなのだが、学生は韓国のインスタントラーメンは世界一なのだ、と主張する。それでは日本のインスタントラーメンを食べたことがあるか、と問うと、いや、ないと答える。それではどうして韓国ラーメンが世界一だとわかるのか、と問えば、日本のラーメンは食べたことがないが、韓国ラーメンの方がうまいに決まってる、なぜなら韓国ラーメンは世界一だからだ、と答える。

こんな理屈にまともに付き合っていられない、と考える人は韓国という国と付き合うことはできないのである。
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ちょっと引用が長くなりましたが、これが韓国流思考法の一例だということです。

この本はこのような韓国を理解しようとして体当たりし、のたうち回って韓国と対決して著者が書いたもので、後書きには
『今でも夜更けなどひとりで机に向かっている時、<韓国>という言葉をひとことつぶやくと、あやうく心乱れ叫び出しそうになる。雪舞うソウルの銀色の夜の底を<理>と<乱>のはざまを、疾駆しようともがくのだ』
とあります。

この本は哲学の本ですから簡単に読める本ではありません。しかし韓国という得体の知れないものを理解する手がかりとして素晴らしい解説書です。中国に生まれた儒教が日本では葬儀に関する部分以外は大した影響を残していないのに、韓国では国を挙げての大混乱を引き起こし、今でも混乱させ続けているのは何故か考えるヒントにもなると思います。

韓国という訳の分からない国を少しでも理解したい、と思う人にお勧めです。