Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

『公安調査庁2部長が考える「統一教会」問題本当の核心』―菅沼光弘

月曜日, 6月 26th, 2023

この本は著者の菅沼さんが、安部さんが殺されて急激に盛り上がった統一教会問題、その本質を、日本の公安を長年担当してきた立場から解説したものです。

私はこの著者のこともこの本のことも全く知らなかったのですが、この著者が2022年12月30日に死去して、須田慎一郎さんがネットで『巨星堕つ』と表現してたので、興味を持って本を探してみました。

著者と須田慎一郎さんの対談形式の本『日本最後のスパイからの遺言』という本も読み、須田さんという人が単なる、やくざ関係に詳しいコワモテのコメンテーターだけではなく、虎ノ門ニュースの虎ノ門サイエンスで武田邦彦さんのウンチクの聞き役だけでもなく、インテリジェンスの仕事もしていたなんてことも知りました。

この著者の菅沼光弘さんという人は東大法学部を卒業して1959年に公安調査庁に入庁し、1995年に退官するまでずっとソ連、中国、北朝鮮を中心に公安の仕事をしていた人です。
この本は、著者も書いているように、語り下ろしを文字に起こしたものをベースに書いているので、多少の重複などもありますが、非常に読みやすい本になっています。

著者は、統一教会ができる時からずっと公安としてその動きを見てきたわけで、韓国政府との関係、日本との関係、アメリカとの関係、北朝鮮との関係をつぶさに眺めてきた、ということです。

統一教会問題というのは色々な問題を含みながら、戦後の日本・韓国・北朝鮮・アメリカの関係の中心にある問題で、要は日本から金を吸い上げてそれをアメリカと北朝鮮に流す仕組みということになり、本質的にはアメリカの問題なんだということ、日本はアメリカに頼っているだけでもいけないし、かと言ってアメリカに依存しない存在になってもいけないし、そのあたり現実的に地政学的に考えていかなければいけない、という事を言っています。

今ロシアと中国の帝国主義が崩壊しようとしている中、イスラム原理主義が大きな問題となっていますが、そもそもアメリカという国自体原理主義によって作られた国であることを再認識して、今後の日本の、世界のありようを考えていく必要があるという事を改めて考えさせられる本です。

お勧めします。

『明治4年久留米藩難事件』-浦辺登

月曜日, 6月 26th, 2023

友人の浦辺さんが新しい本を出したということで図書館に予約し、ようやく借りられるようになったので読んでみました。

書名の通り明治4年に久留米藩で起こった一連の事件を、その事件で殺された人を中心にまとめた本です。

久留米というのは今は福岡県の一つの市ですが、明治の廃藩置県までは福岡県は7つないし8つくらいの藩に分かれていて、その一つが久留米藩、藩主は今も競馬の有馬賞に名をとどめる有馬氏でした。

事件というのは、その藩の政権争いと、薩長を中心とする明治新政府と間の武士どうしの殺し合いです。

幕末、日本中の武士が勤皇・佐幕に分かれて殺し合いをした、というのは良く語られることですが、どうも実際はちょっと違って、尊王は基本的に共通で、それが『尊王佐幕』という親幕府派と『勤皇倒幕』という反幕府派の争いになった、という事のようです。

この対立と、攘夷・開国という対外姿勢に関する対立とが絡み合い、はじめは殆どが佐幕派だったのが次第に倒幕派が勢力を増し、またはじめ殆どが攘夷派だったのがその後幕府が開国派になり、いつの間にか天皇も開国派になってしまい、その立場の違い、いつの段階でどのように立場を変えるか、を巡って対立が激化し、それぞれの主張を藩の主張とすべく、各藩の中で武士階級の権力闘争が繰り広げられた、という事です。

現在日本は47都道府県ということになっていますが、廃藩置県の前の律令以来の分国制では80あまりの国に250くらいの藩があり、そのそれぞれの藩で同様な争いが起こり殺し合いが起きたようです。

この争いは基本的に大政奉還と戊辰戦争、廃藩置県で収まったような印象ですが、実はその後も続き、一部は反政府運動となり明治10年の西南戦争で一段落、反政府運動はその後、自由民権運動に変身していくという流れになります。多くの藩では記録されることもなくいつしか忘り去られてしまう事件も、それを記録する人がいて、殺された人々を追悼する人がいると、後世まで語り継がれる事になります。

この久留米藩では明治の後期になって、明治初期に殺された人々を偲んで石碑が立てられ、また事件に関する本も書かれたことによって、この本を書くだけの材料が揃ったということです。

主人公となるのは、小河真文(筆者は「おごう・まふみ」という読みが正しいと言っていますが、人名辞典等では「おがわ・まさふみ」となっているようです。「おがわまさふみ」を国学者流に読むと「おごうまふみ」になる、ということなのかもしれません。)という秀才で、維新後参政として藩を仕切っていた人で、佐幕派のリーダーの不破美作という人を同じ勤王派の仲間と一緒に襲撃して殺し、藩論を勤皇に統一し、藩政のトップに立った。その後長州の奇兵隊の高杉晋作と並ぶ、正規武士以外の軍を率いていた大楽源太郎が長州の藩政府に追われ、九州に逃げて来ていくつかの所を転々とした後、久留米に逃げ込んだ。これを久留米藩がかくまった事が長州を中心とする明治政府から反政府活動だと問題になり、小河真文たちはこの大楽源太郎を暗殺してしまった。それでも明治政府は追及の手を緩めないで小河真文たちを捕らえ、追及した。大楽源太郎が久留米に逃げてきて、久留米藩主と会った、ということで藩主自身が反政府であるとの嫌疑がかけられ、小河真文は藩主の有馬氏に類が及ぶのを避けるために罪を一身に負って死刑になった、という話です。

長州では戊辰戦争が終わると奇兵隊などならず者の寄せ集め部隊を金も払わずに解散してしまい、その兵士がいろんなところに逃げていき、大楽源太郎もその兵隊たちのリーダーとなっていたようです。久留米藩では、幕末、同じようにならず者部隊を作ったものの、それを戊辰戦争の後まで解散せずにそのままにしており、それも反政府運動を画策している、と疑われた原因となっているようです。

話としては土佐の武市半平太が藩を勤王にするために佐幕派の人々を殺しまくり、その後、山内容堂が藩政にカムバックしたときに捕らえられ、武市にテロ活動の実行部隊として使われていた人切り以蔵こと岡田以蔵ともども殺された、という事件とよく似ています。武市の事件は明治になる前、小河の事件は明治になった後、という違いはありますが、どちらも一時は藩政を仕切る立場にまでなった人が、その後、謀反人として斬首の刑に処せられる、という話は同じです。殺されたとき、小河真文はまだ25歳だった、ということです。

動乱の時代、戦の当事者は力を補強するためにならず者部隊を作って活用しますが、戦が終われば用済みとなったならず者部隊はほとんど殺されてしまいます。漢の劉邦のようにならず者部隊がそのまま皇帝にまで上りつめる、というのは例外中の例外なんでしょうね。

著者はこの事件が明治の反政府運動の始まりだった、と書いていますが、たぶん実態は全国各地でほぼ同時期に同じような反政府運動がおこり、また、勤王と藩主擁護をめぐって様々な混乱あるいは殺し合いが起きた、ということなんだろうと思います。

小河真文らは藩を守るため、藩主を守るため、とはいえ、勤王の同志である大楽源太郎をだまし討ちのようにして殺してしまった、ということを考えると、勤王とか佐幕とか言っても武士にとっては天皇や将軍ははるかに遠い存在で、それよりも身近な自分の藩の殿様が一番大切だった、ということなんだろうなと思います。

明治になる前に脱藩して浪人になってしまった人々はまだ藩主に対して多少とも客観的に見ることができますが、藩にとどまった人々にとっては藩とか藩主の殿様とかは勤王の大義よりはるかに重要なものだった、ということなんだろうと思います。

『門閥制度は親の仇』とまで言った福沢諭吉ですらその後、『やせ我慢の説』を書いて、徳川将軍家に対する恩義に報いるより明治新政府での栄達を優先させた(と思われた)勝海舟や榎本武揚を批判したことなど考えると、やはり主君とか父祖代々の恩義とかいうのはなかなか重いものだったんでしょうね。

この事件はその後、様々の反政府運動、明治士族の乱につながっていき、西南戦争の後、民権運動に変身し、日清日露戦争を経てようやく日本国民としての一体化が成し遂げられた、ということになるんでしょうが、「わしの殿様」という意識がこれほどまでに強い、ということは明治大正の様々の出来事を理解するために忘れてはならないことだな、と改めて思わされました。

お薦めします。

『ナチ占領下のフランス』―渡辺和行

木曜日, 5月 25th, 2023

第二次大戦でフランスは大戦の初期にドイツに敗北し、数年間傀儡政権下にあったものが、日本の真珠湾攻撃によりアメリカが参戦し、イギリス軍と一緒になってドイツ占領下のフランスを攻撃し、パリを開放してフランスはまた独立を確保した、その前後の経緯が書いてある本です

ヴィシー政権とかペタン将軍という名前は知っていましたが、改めて全体を通してこの時期フランスがどんなことになっていたのか分かりました。

何となく、フランスがドイツに占領される中、ドゴールがフランス南部にとどまってかろうじて反ドイツで頑張っていた、という風に思っていたのですが、実はドゴールはフランスがドイツに負けた時ペタン将軍に金を出してもらってロンドンに逃げ、そこで反ドイツ運動を始め、その後アフリカのいくつものフランス植民地を一つ一つ取り戻して、最終的にイギリス・アメリカ連合軍がノルマンディーに上陸し、ドイツをフランスから追い出した時ようやくパリに戻れたという話です。

ドゴールはフランスを回復するにあたり、イギリス・アメリカ軍だけでなくフランス国内で反ドイツ運動を展開していたいくつものパルチザン組織、そして共産党と対抗しながら主導権を確立していく非常に複雑な政治的駆け引きが必要だったということも分かりました。

もともと第二次大戦が始まった後、1939年9月に独仏両国が互いに宣戦布告をした後もドイツもフランスも本格的な戦闘を始めず、『奇妙な戦争』と言われるような状況だったのが、1940年5月になってドイツはいきなりフランスに攻め入り、1ヵ月でパリを陥落させてしまいました。

フランス政府はパリを捨ててトウールに逃げ、パリが陥落してさらにボルドーに移り、第1次大戦の英雄のペタン商運を首班とする内閣を成立させました。その翌日フランスは国としてドイツに降伏し、パリ郊外では仏独休戦協定が調印され、フランス政府はヴィシーに移った、ということです。

フランスは東部とコルシカ島をイタリアに占領され、アルザス・ロレーヌはドイツに併合され、北部と西部はドイツに占領され、残った中部から南部にかけて、それまでのフランスの3分の1が自由地区としてフランス政府の統治下に置かれたということです。

一応このようにしてとりあえず国としての存在は保たれたものの、全てはドイツ占領軍とナチスの言いなりの政府であり、反政府・半ドイツのフランス人を捕まえたりフランス国籍のあるなしにかかわらずユダヤ人を捕まえてポーランドの収容所に送ったりしました。

戦後このような活動に参加した人達は解放軍と国民によって逮捕され、その後、対独協力者特別裁判所が設置された後でも12万4千件が審理され、6,700人が死刑の宣告を受け、760人が実際に刑を執行された、ということです。

ドイツに降伏した後のヴィシー政権もフランスの正当な政府であり、ここで政府の指示で動いた人達も対独協力者となってしまい、特別裁判所で裁かれることになってしまったわけです。

日本は東京裁判その他の軍事裁判で戦犯として裁かれる人も多数でしたが、フランスのように同じ国民同士で裁き合い処刑し合うことにならなくて良かったなと思います。

このあたり、フランスではできるだけ触れたくないようで、『第2次大戦でフランスはドイツに侵略されたけれど南フランスの一部でパルチザンが最後まで頑張りとおし、その後、反転攻勢に転じ、アメリカ・イギリスと一緒になってドイツ軍をフランスから追い出して独立を取り戻した』、という神話を語り続けていこうとしているようです。

今、ロシアがウクライナに攻め入ってウクライナ戦争が始まって1年ちょっとが経ちました。第二次大戦では、第一次大戦で敗れ経済的にも軍事的にも壊滅的なダメージを受けたドイツが、第一次大戦の戦勝国のフランスに攻め入り1ヵ月でパリを陥落させてフランスを降伏させた事を考えれば、プーチンが1ヵ月でキエフ(キーウ)を陥落させてウクライナを降伏させることができる、と考えたのは無理のないことかも知れません。

第二次大戦、私にとっては太平洋戦争であり、また支那事変(日中戦争)としてしか理解していなくて、ヨーロッパの戦争についてはあまり良く分かっていませんでした。ここで改めてヨーロッパの第二次大戦を読み直してみて考えさせられる事がたくさんあります。

この本も市の図書館の『ご自由にお持ち帰り下さい』コーナーにあった本で、何となく気になって持ち帰ってきたまま何年かそのままにしてあったものですが、読むことができて良かったなと思います。

フランスおよびヨーロッパの複雑さが分かる一冊です。

お勧めします。

『書物』―森銑三、柴田宵曲

水曜日, 5月 24th, 2023

これは『書物』というタイトルで、書物好きの2人の著者が書物にまつわるあれこれについて自由に書いているエッセイ集です。

第二次大戦が始まって紙が不足して出版するのが難しくなった頃の昭和19年に初版が出て、戦争が終わってどんな本でも飛ぶように売れた頃の昭和23年に1編削って16編書き加えた形で再版され、その後それぞれの著者の分がそれぞれの全集に収められていたのを、その後50年経って初版再版に入っていたものを全てまとめて1997年に岩波文庫から出版され、それをさらに25年経ってから私が読んでいる、という何とも気の抜けた話です。

テーマは本にまつわる様々なことで、書名についてとか読む場所とか本の貸し借りとか、自著とか辞書とか貸本屋とか図書館とか、活字本でない木版本・写本とか古本屋とか、とにかく様々です。まだテレビがなくラジオが普通に聞けるようになった頃で、面白い本の著者をラジオの前で何か喋らせたら、とか、空襲で本が焼けてしまった話とか、盛りだくさんです。

登場人物もたくさんいて、私も名前だけ知っている人や名前も知らない人がたくさん出てきます。一方の著者は図書館に勤めたり大きな文庫の整理をしたりした人で、もう一方の著者は俳人としても有名な人で、いずれも自分で著作するより数多い書物を楽しむことを第一とした人のようで、本当に本が好きな人だなということが良くわかります。

この本は図書館のお勧めコーナーにあった本で、手術のための入院で気楽に読める本が良いかなと思っていた時にちょうど見つけて、予定通り気楽に読めました。どこから読んでもどこを読んでも同じように楽しめます。
本にまつわるいろんな人のいろんなエピソードもふんだんに書かれてあり、楽しめました。

1つだけあれ、と思ったのは
『「だれでも作れる俳句」というのは良い本だそうだが、正しくは「作られる俳句」たるべきで「作れるは片言(かたこと)である」』
という部分があり、言葉の使い方に几帳面な人だな、と思ったのですが、私の感覚では『作れる』の方が自然で『作られる』の方が不自然のような気がします。例の『れる-られる』問題なのですが、本当はどうなんでしょうか。

この本では時節がら『事変前』とか『事変後』とか普通に出てきます。これは満州事変の事なのか、支那事変のことなのか、どっちの事なのかなと思ったり、多分今では『終戦後』という所だと思われる所、『停戦後』という言葉を使っています。当時このような言い方があったのかなと思います。

著者自身
『「書物に興味を持って書物と共に暮らしている二人の男のたわごと」ともいうべき見事無用の所が出来上がった。「書物」という書名が漠然としているように、この書の内容も漠然としている。徹頭徹尾たわごとに終始している。とりとめもない事ばかりを述べている。・・・かような書物を作ったことにどう意義があるのかそれは私らにも分からない。始末の悪い書物を拵えてしまったものだと今になって思っている。』
なんて書いているように見事にどうでもよい本で、そのどうでも良い所が本好きには堪らないということで、再版が出てから半世紀もたって岩波文庫に入り、4分の3世紀も経って私が読んでいるという事で、本当に何やってんだかと思ってしまいます。

本好きでとりとめなくどうでもよい本に興味がある人にお勧めです。

『古事記と日本書紀』-神野志隆光

火曜日, 5月 23rd, 2023

『古事記』と『日本書紀』とは日本の神話と神代からの歴史をまとめた書物として説明されているものですが、この本ではこれらの本がどのように日本で読まれ続けてきたのか説明してくれています。

はじめに本居宣長の『古事記伝』の話をして、この本は本居宣長が古事記の説明をするというより、古事記にまとめられるそれ以前の古事記の姿を探し求めるというものだ、ということになるようです。文字になる前の言葉を、文字になった後の古事記や日本書記の中から探しだそうということのようです。そして『もののあわれ』というものがその本質だ、ということが説明されます。

次の章では中世の日本書記の理解について、その当時の中国の文献・仏教の文献を使いながら、神道・仏教・儒教・道教も本質は同じなんだとして理解しようとしていたことが説明されます。

次の章では古事記・日本書紀は日本の神話、というよりむしろ天皇の神話なんだという話があり、次の章では古事記の神話、次の章では日本書紀の神話が紹介されます。

ここで今まで私は古事記と日本書紀、どちらも神話の部分は同じようなことが書かれているものだと思っていましたが、実はかなり違うものだということが説明されます。

イザナキ・イザナミ神話では、火の神を産んだ時イザナミが死んでしまい、黄泉の国へ行ってしまったので、イザナキはそのあとを追っていくんだけれど、イザナミの恐ろしい姿を見て逃げ出したという話は古事記の話で、日本書紀ではイザナミは死なず、その後もイザナキと一緒に国造りをする、とか、高天原(タカマガハラ・タカアマノハラ)に神々が生まれ、イザナキ・イザナミが国作りをするというのは古事記の神話の話で、日本書紀には高天原は登場しない、天の世界が高天原とよばれることはない、というのもビックリする話です。

さらには『アマテラス』というは古事記では神話の世界の主人公的役割を果たす重要な神ですが、日本書紀では『日の神』として登場するだけで大した役割を果たすわけではないという話にもびっくりします。

これほど根本的な違いがあるにもかかわらず古事記の世界と日本書紀の世界を一つの世界として統一し、さらに中国の思想や仏教の世界まで一緒に一つの世界として統一し、さらには天皇家の様々な祭祀とそこで唱えられる祝詞(のりと)の世界まで含めて統一してしまおうと言うのが今までの考え方で、そのために非常に豊かな神話の世界が出来上がったのだけれど、これは改めて別々の神話だという視点で見直す必要があるのではないか、というのが著者の言い分です。

まあ、同じような事柄について二つの異なる説明がある場合、どちらかが正しくてそうでないほうが間違っている、と言えない時に、何とかして両方を立てて統合したくなる、というのはごく自然なことなので、これも仕方のないことなのかもしれませんが。

こう言われてしまうと今まで漠然と日本の神話として考えていたものが古事記の世界なのか、日本書紀の世界なのか、祝詞の世界なのか、一体何だったのか改めて読んでみたいという気持になります。

今まで自分の考えていたこと、知っていたことは一体何だったんだろうと思わせる不思議な本です。またひとつ大きな課題がみつかってしまいました。古事記にしろ日本書紀にしろ、万葉仮名付きの漢文あるいは変体漢文の世界ですから、読むのは結構大変そうです。

さてどうなりますやら。

『ウニはすごいバッタもすごい』ー本川達雄

火曜日, 4月 11th, 2023

昨年末オフィスの年末の整理をしていたらひょっこり『生き物は円柱形』という本が出てきました。この本は会社を畳んで大宮に引っ越しをする時に、買って途中まで読んだ所でちょっと分からない所が出て来たので、友人が上京したら教えてもらおうと思って読むのを止めていた本で、その後コロナで友人が上京することができなくなったり、会社を閉めて神田のオフィスを閉めるときに引っ越し荷物にしまい込んだりしてそのままになっていた事を思い出しました。

この著者は昔『ゾウの時間ネズミの時間』という本を書いていて、この本が素晴らしかったのでこの『生き物は円柱形』という本をみつけ久しぶりに買ったのを思い出しました。で、改めてこの『生き物は円柱形』の本を始めから読み直してみたのですが、やはり面白く読めました。この本の最後の所に『ゾウの時間ネズミの時間』の話がもう少し整理された形で付いていました。

それでいつものようにイモヅル式を始めて、同じ著者の本を何冊か読んでみたのですが、この『ウニはすごいバッタもすごい』という本が何と言っても一番面白かったので紹介します。

この本は動物の分類上の

刺胞動物:サンゴ・イソギンチャク・クラゲの仲間
節足動物:三葉虫・エビ・カニ・フジツボ・昆虫・ムカデ・カブトガニ
     ・クモ・サソリの仲間
軟体動物:巻貝・二枚貝・オウムガイ・タコ・イカの仲間
棘皮生物:ウニ・ヒトデ・ナマコの仲間
脊索動物:ナメクジウオ・ホヤの仲間
脊椎動物:魚類・両生類・爬虫類・鳥類・哺乳類

のそれぞれについて、身体の仕組・動くあるいは動かない仕組・餌を食べる仕組・呼吸の仕組を説明しています。棘皮生物については著者の専門分野だけに、他の動物がそれぞれ1章なのにこれだけ2章にわたって詳しく説明しています。

これを1つ1つ読んでいくと、動物というのは本当に様々な生き方をしていて、そのための仕組を使っているんだなあと思います。ともすると脊椎動物・哺乳類が一番進んだ仕組を持った高度な生物だと思いがちですが、そうではなくそれぞれの環境それぞれの生き方に応じてそれぞれの動物がそれぞれ独自の高度に進んだ仕組を持って生きているんだ、という事が良く分かります。

とにかく面白い本です。お勧めします。

Maxwellの『電磁気学』

火曜日, 3月 21st, 2023

かなり前からファイマンの物理学Ⅲ卷の電磁気学を読んでいるのですが、何とも心もとない感じです。説明を読み数式を追うことはできるのですが、どうしても『だから何』という感がぬぐえません。Ⅰ卷の『力学』の時にはこんなことはなかったのですが。

この本の第2章の最初に
『数学者や非常に数学的な心を持つ人は物理を“勉強”する時に迷ってしまうが、それは物理学を見失うからである』
『彼らは言う。“いいですか、これらの微分方程式-マクスウェル方程式-は電磁気学のすべてです。方程式に含まれていないものは何もないと物理学者は言います。なるほど方程式は複雑ですが、要するに数学的な等式に過ぎません。したがって方程式を数学的に理解し尽くせば物理学を理解することになる筈です。” 残念なことにそうはいかない・・・現実の世界の物理的状態は非常に複雑であるので、方程式のもっと深い理解が必要となる。・・・物理的な理解は全く非数学的、不確実で不正確なものであるが、物理学者にとって絶対に必要である。』

と書いてあります。もちろん私は数学者でもないし、非常に数学的な心を持っているわけでもありませんが、この物理学を『見失』なっているというのはそうかも知れないと思っています。いずれにしても物理的な理解がないことは確かそうです。
この部分、この本の最初のほうに書いてあるので、その時はそれほど気にせずに読み進めたのですが、読み進むうちにやっぱりそうだな、と思うようになりました。

苦し紛れにファイマンの本以外の本もいろいろつまみ食いしてみたのですが、この見失っている物理学の姿がなかなか見えて来ません。で、ついにこれはMaxwellの本を読んでみるしかないか、と思うに至りました。

Maxwell の電磁気学の本は『A TREATISE ON ELECTRICITY AND MAGNETISM』というタイトルで、日本語訳の本もありそうなのです(そう思っていたのですが、どうもこれはこの本の訳ではなく、Maxwellがマクスウェルの方程式を最初に発表した論文のほうの訳のようです)が、分からなくなった時に原文がわからないのか訳が分からないのか悩むのも面倒なので、この際英語だから何とかなるかも知れないと思い探してみました。ネットで検索するとこの本のpdf版がいくらでもあるので、これを印刷してしまえば良いんだと思いました。この本はⅠとⅡの2巻本で、どちらも500頁位です。幸いオフィスには会社時代使っていたレーザープリンターもまだあるし、ということで、まずⅠの方を印刷し、それでやめておこうかとも思ったのですが、この際ついでにという事でⅡの方も印刷してしまいました。まあ1日10頁読めば50日で1巻読めるので、半年もあればうまく行けばⅠⅡ卷とも読める、というトラヌタヌキの計算です。

電磁気学のマクスウェルの方程式はベクトル表現が使われていないので、今は4つの方程式になるものが20個もの方程式になっている、なんて話もあるので、そこらへんも確認してみようと思っていたら、何の事はない、本全体がPart ⅠからPart IVまでの4部構成の、その前にPreliminaryとしてベクトルの話がきちんと説明してあり、ストークスの定理・ガウスの定理などもちゃんと書いてあります。

またいろんな単位と次元の話もきちんと説明されています。前書きの最後の日付を見ると1873年2月1日となっていて、この本が書かれたのがちょうど150年前、フランスではもうメートル法が制定され、メートル原器も作られていて、イギリスではヤード・ポンド法でその原器も作られていて、国によって単位が違っても間違わないようにするために長さ・質料・時間の次元をL,M,Tで表して、常に単位と数量をはっきりさせるなんて話もきちんと書いてあります。

この時代、ハミルトンが四元数を発明(発見)していろいろ研究していた時代で、ベクトルの説明でも四元数を使ってスカラーと三次元ベクトルを統一的に扱うやり方もきちんと説明しています。残念ながら今では普通の数学の本でも物理の本でも、この四元数を使ってスカラーとベクトルを統一的に扱うということをきちんと書いてある本は殆どなくなってしまっているようです。

で、電磁気学の本ですから線積分や面積分の話が出てきて、面の向きを決めるという話になるのですが、ここで右ネジ(我々が普通に使う、右に回すと前に進むという形のネジやボルトのことです)の話が出てきて、注釈に、『今では文明国ではすべての国でこのネジの方向で統一されているけれど、文明国の中では日本だけが例外だ』ということが書いてあり、びっくりしました。150年前というのは明治維新のすぐあとの話で、この時すでに日本は文明国として認知されていたんだ、という事と、日本のネジの向きのことまでマクスウェルはどうして知っていたんだろう、なんて、不思議な話です。

このあたり、日本におけるネジの向きに関することについて、知っている人がいたら教えて下さい。

とまれもうすでにトラヌタヌキの計算は破綻して予定通り進んでいないのですが、新しい発見がいろいろあり(たとえば今はdivergence《発散》と言っているものを、この本ではマイナスを付けてconvergence《収束》と言って使っています。4元数をベースにした考え方では、ベクトルとベクトルの4元数としての積は、スカラー成分がベクトルの直積(内積)のマイナス、ベクトル成分がベクトルの外積となります。)、面白く読めそうです。

で、この本でもMaxwellは、物理学のイメージをしっかりつかむために、この本を読み終わったら是非ともファラデーの論文を読むように勧めています。多分ファラデーの論文というのはいくつもの論文に分かれていて、一つ一つは面白いと思うのですが、全体を通してまとめられているわけでもなさそうなので、やはりまずはこの本を読み、無事読み終わったらファラデーの方も読んでみようか、と思います。何年かかることかわかりませんが。

もし興味がある方がいたら読んでみて下さい。

『中東問題再考』-飯山 陽(イイヤマ アカリ)

金曜日, 2月 24th, 2023

かなり待たされましたが、図書館に同時に予約した飯山さんの本のうち、最後のものが来ました。

これはすごい本です。実名をあげて次から次に中東問題の『専門家』『メディア』『コメンテーター』の嘘を具体的に示しています。『誰それは、これこれの本でこう言ってますが、嘘です。』といった具合です。それにしてもそこに挙げられる人の名前がホントにいくらでも次から次に出てくるのには、呆れ果ててしまいます。

一度にこれだけ大勢の人を敵に回してしまうわけですから、その人々から一斉に攻撃されるのも仕方のないことです。とは言え、イスラム原理主義のテロリストの頭目のようなイスラム法学者にテレビでインタビューして、悪魔を見るような目で見られながら話をした著者にしてみれば、そんな有象無象は怖くも何ともない、という事でしょうか。

著者は『はじめに』で、中東問題を分かりにくくしている原因を二つにまとめています。『第一の原因は中東問題が複雑だからだ』『第二の原因は中東問題についての日本のメディアの報道と、それについての「専門家」と称される人々の解説が偏向していて、嘘が多いからだ』と、最初から平然とストレートに指摘しています。

その後各論に移って、アフガニスタンのタリバン、イランの原理主義イスラム法学者達、トルコのエルドアン政権、とマスコミや専門家が『親日』ともてはやしている国々が、実際『親日』とはまるで違っていて、原理主義過激派がいかにそれぞれの国民を虐げているか解説しながら、いかにメディアや専門家が嘘をバラ撒いているか、具体的に誰がどこにこう書いた、どこでどのように言っていたか、具体的に解説しています。

次に『なぜイスラム諸国は中国のウイグル人迫害に声を上げないのか』として、それらの国々の支配者たちが、ウイグル人や自国民の事より、中国の一帯一路により自分達がどれだけ儲けるかの方を優先しようとしていることを明らかにしています。次のパレスチナの所で、パレスチナを支配している過激テロリスト達がいかに住民を抑圧搾取して自分たちだけ贅沢をしているか、欧米・日本からの援助はすればするだけそのテロリスト達を豊かにして、パレスチナの住民を苦しめることになるか明らかにし、ここでもメディアや専門家は自分達の反米・反日にとって具合の悪いことについて目もくれず何も言わない、ということを明らかにしています。

一つ一つ指摘されていることは、その時々に多少とも報道されることも多いのですが、気を付けていないとメディアや専門家の曲解・意図的な嘘の報道でともすればかき消されてしまうような状況で、この本のように丁寧にまとめてくれると理解しやすくなります。

多くの国で過激派原理主義者やテロリスト達が、国民や住民を人質にとって反米・世界征服を企てている現状を、どのように解決することができるのかは分かりませんが、とりあえず現状がどうなっているか、という事だけでも正しく認識しておくことが大事だと思います。

恐い話が次々に出てきますので誰にでもお勧めというわけにはいきませんが、中東問題をちゃんと理解したい人、マスコミや専門家達に騙されたくない人、飯山陽という人がいかに危ない戦いをしている人か知りたい人にお勧めです。

『哺乳類誕生-乳の獲得と進化の謎』―酒井仙吉

月曜日, 2月 20th, 2023

植物の話が続いたので、今度は動物の哺乳類の話です。
著者は農学博士で専門は動物育種繁殖学、あるいは泌乳生理学、ホルモンによる調節機構ということで、哺乳動物の乳腺と泌乳のしくみについての部分がメインなんでしょうが、それだとあまりに専門的になってしまうからか、この本は3部構成で、第一部が進化と遺伝の話、第二部が動物が上陸してから哺乳類、人類にたどり着くまでの話。そして第三部で『進化の究極―乳腺と泌乳』で専門的な話を展開しています。

私も今まで哺乳類に関する本はいくつも読んだことがありますが、『哺乳に関する本』というのは初めて見たので面白そうだと思って借りてみました。もちろんこの本も稲垣さんの本からの芋づるの結果、たどり着いたものです。

第三部はさすがに専門家だけあって付いていくのが大変ですが、たとえば母乳は胃に入るといったん固まって、その結果赤ちゃんは満腹感を感じて眠る。そしてその固まりは少しずつ消化されるなんて話もあって面白い部分もあるのですが、むしろ第一部・第二部の方がわかりやすく楽しめました。

まず第一部、進化と遺伝の話ですが、ここで私は今までまるっきり思い違いをしていたことに気がつきました。
『進化』というのは遺伝子が突然変異してその変異が広まることによって起こるわけですが、この『突然変異』という言葉から何となく、滅多に起きない変化がある日どこかで突然起きて、それによって生物の生き様が変わってしまう、という位のイメージでした。

しかし有性生殖、というのは、メスとオスが減数分裂によって遺伝子を半分にし、その半分になった精子と卵子が接合して受精卵になるプロセスです。たとえばヒトでは遺伝子が23対46本の染色体にまとまっていて、それぞれの対は母親の卵子から来ているものと、父親の精子から来ているものが23対の何番目かという順番ごとに組み合わさったもので、減数分裂というのはそのそれぞれ何番目の対が倍になって4本の染色体になり、そこから4つに分かれて1本の染色体になり、計23本の染色体を持つ精子、23本の染色体を持つ卵子が一緒になって、23対46本の染色体の受精卵になるということです。

ここで減数分裂の際、23対の染色体のうち母親由来の方を選ぶのか、父親由来の方を選ぶかはどちらもありということです。だとすると23対の染色体から23本の染色体を選ぶ組み合わせは2の23乗、すなわち8百万通りの組合せということになります。精子の方の組合せが8百万通り、卵子の方の組合せが8百万通りですから、受精卵の方は8百万×8百万=64兆の組合わせということになります。

今地上の人類の総数が70億人とか80億人ということになっていますので、1人の父親・1人の母親から生まれる受精卵の染色体の組合せの数が64兆ということは、人類の数の1万倍ということになります。何ともビックリするような話です。もちろんこれは理論的に可能な組み合わせの数、ということで実際に64兆の受精卵ができる、という話ではありませんが。

このような話、このような数字を具体的に知ると『突然変異』というもののイメージもまるで違ってきます。即ちそれは、いつでもどこでもいたる所で起こっている変異だけれど、それがいつどこでどのような変異が起こるかは分からないという事です。

この精子・卵子の染色体の8百万通りの組合せ、受精卵の64兆通りの組合わせというのはごく正常な減数分裂と接合の結果ですから、これにさらに様々なエラー、組み替え、突然変異が加わるとさらにとんでもないことになります。

DNAというのは一般にタンパク質を作るための設計図だと説明されていますが、実はそれだけじゃなく、その設計図をいつコピーに回してタンパク質を作るかというコントロールの部分もあって、どの設計図をいつタンパク質製造に使うかによって、その生物の生き様が変わってくるということのようです。

染色体が23対あるという事は、それぞれの対の一方がちゃんと機能するのであればもう一方は突然変異で機能しなくなっていたとしても、そっちの方の設計図を使わないことにすれば生きていくのに問題ない。そのため使わない染色体の方に機能しない突然変異が次々に積み重なっても大丈夫だ。そしてある時今まで使わなかった方の設計図を使うような変異が生じた時、今までと違った生物が生まれるという話です。

さらに、遺伝子は今まで全ゲノム重複という、一度に全体が2倍になる、という変異を2回にわたって経験しており、この倍化によって付け加わった余分な遺伝子が様々に変異して様々な機能を獲得する、という話もあります。

何とも壮大な話で、それが常時いたる所で起こっているというのは、何とも呆れ果てる話です。

第二部の方は、魚類が上陸して両生類、そして爬虫類・恐竜・鳥類・哺乳類に進化していった筋書きがまとまっています。

たとえば魚類はメスが水中に卵を産んで、そこにオスが精子をかけて受精させる。両生類も基本的にそれと同じだったので水を離れることができなかった。爬虫類になると体内受精になったので、受精した後で卵に殻をかぶせて産むことにより陸上で卵を産むことができるようになった。鳥類ではさらに卵からかえったヒナに親が餌を与えることで子育てが始まった。ここまではすべて子供は生まれた時から親と同じ餌を食べていたが、哺乳類になると乳を与えることにより生まれたばかりの子が餌をみつけて食べる必要がなくなった、なんて話が出てきます。

精子というのは受精のためのDNAと卵子にたどりつくために必要最小限のエネルギーしか持っていないので、射精した後はあまり長くは生きられないと思っていましたが、それはどうも哺乳類だけの話のようで、鳥類では卵管に精子に栄養を供給する機構があって、そこまでたどり着いた精子は2週間程度生きていける。爬虫類では精子はメスの体内で1~数年生き続けられる、なんて話もあります。

とまれ生き物というのは、何ともはやいろんな仕組みで生きているものだなと思います。
この本はそのような面白い話が満載です。

このあたりの話に興味のある人にはお勧めです。

『イネという不思議な植物』―稲垣栄洋

木曜日, 2月 2nd, 2023

稲垣さんのほん、3冊目はこの本です。
この本はイネとイネ科の植物を中心にいろんな話題を紹介しています。

まずはモチ米とウルチ米の違いですが、モチ米はウルチ米の一つの遺伝子が突然変異を起こして誕生したもので、その遺伝子は劣性遺伝子なので放っておくとすぐにウルチ米になってしまうのですが、人類が丁寧にその劣性遺伝子のホモの種子を大切に保存してきたものだ、という話です。

モチ米とウルチ米の違いは、種子のうちの胚乳にあたる部分のデンプンの組織がちょっとだけ違うということで、ウルチ米にはアミロースとアミロペクチンという2種類のデンプンを含んでいるのに対し、モチ米はアミロペクチンのみだということ、この違いによりモチ米のモチモチ感が生じているということ、そのため、ウルチ米はこの2種類を含んでいるのでその割合をうまく塩梅すれば、もちもちのお米もさらっとしたお米も作り分けることができる、というわけです。

ここでモチ米のめしべにウルチ米の花粉を受精させたらどうなるのかという問題になります。

イネの種子は『胚芽』という受精卵の部分と、『胚乳』という胚芽が芽を出し発育するための栄養を蓄えた部分から成ります。私達が食べるお米はほとんどが胚乳です。胚乳がめしべと同じ親の細胞からできていれば、モチ米からウルチ米かは親と同じになります。また胚乳が胚芽と同じ細胞からできていれば、子と同じになります。

ところが実はそのどちらも違っている、というのが正解のようです。

胚芽は受精卵、卵子と精子が一緒になったものです。
胚乳の方は卵子ができる過程で減数分解した細胞が、さらに何回か(イネの場合は3回)分裂してできる8個の核のうち1個は卵子になり、残りのうち2つが合体した中心体というものと、オシベから出てくる精子のうち一方が卵子と一緒になり受精卵となり、もう一つがこの中心体と一緒になり3倍体になったものが胚乳になるということで、このように胚芽の受精と胚乳の受精があるということで、『重複受精』と呼ばれるということです。

胚芽の方は減数分裂した結果の卵子と減数分裂した精子が一緒になるので2倍体ですが、胚乳の方は中心体の方の減数分裂した結果2つ分の中心体と精子の方の1つ分が一緒になるので3倍体になる。その結果ウルチ米とモチ米が受精したものが餅のようになるかどうかは普通の遺伝の計算とは違ってくるようです。

通常胚乳が親と同じか子と同じかなんてことは考えもしないのですが、稲の場合はその胚乳を食べることになるので、それが大きな問題となるようです。

ということで、モチ米にウルチ米の花粉が付くと、できる米はウルチ米になってしまうという事です。

この重複受精、この本では『教科書で習った』と書いてあるのですが、こんな話聞いたことがあるかなと思って考えてみたら、私は高校の時大学受験は理科で受ける予定だったので、物理と化学を選択することにしたこと、生物の授業はあったけれど担当の先生が教科書無視で、その当時最先端だった分子生物学の話ばかり熱く語っていたことなど思い出しました。その結果、教科書に何が書いてあったか、ほとんど記憶がありません。お陰で今更ながらいろんな話をびっくりして楽しめています。
それにしてもこの胚乳については植物の種類によって様々のバリエーションがあって、植物ってのは何ともとんでもない生き物だなと思います。

イネ科の植物は動物に食べられないように、葉を消化しづらく、消化しても栄養が少ないようになっています。しかしながら野原の草のほとんどはイネ科の植物で、これを食べるため、牛の類は胃をいくつも用意し反芻して消化するようになっており、馬の類は盲腸を発達させて盲腸の中の微生物を使ってセルロース分解するようになっている、ということです。

また米が皮が剥きやすいので精米して粒のまま食べる。コムギは皮が剥きにくいので粉にしてから皮を取り除いて食べる。オオムギは固くて粉にすることもできないので水に漬けて発芽させてビールにする。ただしオオムギの変種のハダカムギは皮が剝きやすいので粒のまま食べる、我々が麦飯として食べているのはこれだ、なんて話もあります。

イネは雑草の一種として何が何でも種子を作るために、裸子植物から被子植物になる過程で獲得した虫媒花というやり方をやめ、改めて風媒花に進化したとか、遺伝上宜しくないので排除してきた自家受粉も平気で活用しているとかの話もあります。

この本ではイネや米を中心とする文化や歴史の話もふんだんに盛り込まれており、たとえば一人1食分の米の量が1合であり、1日3食で3合、これを作るのに必要な田んぼの面積が1坪、1年分1000合分の米を作る田んぼの面積が1反で、その米の量が一石、だから100万石というのは100万人の1年分の米がとれるということだ、とか、一石の米の値段として一両ときめたとか、体積も面積も貨幣もすべて米が基準になっているなんて話も面白いです。

15世紀のヨーロッパでは撒いたコムギの種子の3~5倍しか収穫できなかったけれど、15世紀の日本では撒いた米の20~30倍の収量が得られた。そのためヨーロッパでは小麦の不足分を家畜あるいは狩猟による肉食で賄わなければならなかったとか、イネやムギが作物となる以前はイネ科の草をまず家畜に食べさせ、それを人間が食べるため畜産業が最初に始まり、その後稲や麦が栽培できるようになって農業が始まったなど、縦横無尽に話題が広がります。

良くもまあこれだけの話題が次から次に出てくるものだなあと感心してしまいます。
お勧めします。