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ケインズ

木曜日, 1月 31st, 2013

このブログにも時々登場する(私が勝手に登場させているだけですが)慶應大学の権丈先生、学者としてもすごい先生ですが教師としても素晴らしい先生のようで、ゼミの学生さんにいろんな本を読ませています。

時々その感想文の一部が先生のホームページに引用されるのですが、それを見てその本を読んでみたくなりました。どうも岩波新書の伊東光晴「現代に生きるケインズ」という本のようです(権丈先生はあまり親切じゃなく、どの本を読んだ感想文だということを書いてありません。感想文の一つにこの本の名前が出ていたので、多分そうだろうと思った次第です)。

で、読んでみたのですが、ビックリです。
私なんかそれほどまともにケインズの勉強なんかしていないので、「近代経済学というのはケインズに始まり、ケインズ以降ケインズを受け入れて支持する人と反対する人がいるけれど、どちらも殆どの人がケインズの影響下にある」という位の理解だったのですが、とんでもない話でした。

ケインズを受け入れて支持し、「これこそケインズの考えだ」と言っている有名な経済学者もたくさんいるんだけれど、ケインズの考えと違うケインジアンというのがたくさんいて、それぞれ意見が違う。さらにそのような混乱を生じさせた原因はケインズ自身にあり、ケインズの考え方とは違う考え方に対してケインズが「それは私の考えと同じです」なんてことを言ったので、言われた方は自信を持って「これこそケインズ理論だ」なんてことになっている、というような状況のようです。

誰が何と言ったかなんてことをいちいち覚えながら読んではいないので、Wikipediaで「マクロ経済学」という記事を見て整理してみようとしたのですが、何とこのマクロ経済学が時系列的に並べると
 古典派
 新古典派
 ケインズとカレツキ
 ケインジアン
 サプライサイダー
 マネタリスト
 合理的期待学派
 ポストケインジアニズム
 新しい古典派
 ニュークインジアニズム
となっているそうです。
「古典派」とか「新古典派」という言葉は聞いたことがありますが、古典派というのはケインズの前、新古典派というのはケインズのあとで、また古典派が復活したものかと思っていたら、新古典派というのはケインズの前なんですね(やっかいなことに、ケインズ自身はこの古典派と新古典派合わせて古典派と呼んでいるようです)。

で、このケインジアンもポストケインジアニズムもニューケイジニアズムも、ケインズの考えとは違うというんですから何ともならないし、新古典派と新しい古典派が別ものもだなんてわかるわけがありません。日本語では「新」と「新しい」で区別し、英語では”neo”と”new”で区別しているようですが、こんなの区別になるんでしょうか。

「新古典派総合」というのもあるのですが、どうもこれは新古典派とケインジアンを一緒にしたもののようです。いずれにしても経済学者の語彙の貧弱さを表しているように思います。もう少しわかりやすい名前を付けることができないんでしょうか。

こんなことになったのは、ケインズ経済学の中心である「一般理論」(正式には「雇用・利子および貨幣の一般理論」という名前の本のことです)が難解で難しいということのようですが、経済学者だって頭の悪い人ばかりではないでしょうからちゃんと理解している人がいるんだろうし、もしそうでなければ元々の「一般理論」がどうしようもないひどい本なんだろう。ちゃんと読者にわかるように書けないということは、基本的に著者の方に問題があると思うのですが、それにしても何十年にわたり未だに山ほどの経済学者を振りまわしているのであれば、それなりに「一般理論」というのは中味があるのかも知れないと考え、仕方がないので読んでみることにしました。

この「現代に生きるケインズ」の本の中にも「一般理論は難解だ」ということと「ケインズは名文家だ」ということと両方書いてあり、「名文で難解」というのは何のこっちゃという気もします。

前に読もうとしていたマルクスの「資本論」の方は、あまりにも非論理的な文章で読んでいられなくなって放り出したままですから、その代わりです。分量も岩波文庫で2冊、計500ページくらいのものです。ただし以前読んだ「国富論」は訳者のお陰で山ほど挿絵が入っていて楽しめたのですが、この「一般理論」は全体で図が1つしかない、ということでも有名な本です。

一般の経済学の教科書では山ほど図が入っていて、【左下から右上に向かう線と、左上から右下に向かう線が交わった所で何か(価格だとか利子率だとか生産量だとか)が決まる】という説明がされています。その元となった「一般理論」に図が1つだけというのも面白いですが、何とか我慢して読んでみようと思います。

ざっと眺めたところこの「一般理論」の難解さは、もしかすると数学的な所にあるのかも知れないなと思いました。今は経済学をやる人は数学が得意な人が多く、「一番数学ができる人が経済学部に行く」というのがあたり前のようですが、ケインズの頃には必ずしもそうではなかったようです。

昔はユークリッドの幾何学をちゃんと勉強し、まずいろんな言葉を正確に定義し、疑いようのない公理・公準を前提としてあとは論理のみでいろんな定理を証明していくという、ユークリッドの「原論」が学問の理想形と考えられていました。
そこで万有引力の法則について書いたニュートンの「プリンキピア」という本も同じような構成になっているんですが、ケインズも若い時数学を勉強したようで(大学の学位は数学で取ったということです)、このような公準とか定義とかをちゃんとするのに慣れていたようです。
このようなやり方に慣れていない人には、もしかすると難解に思えるのかも知れません。

「一般論」には図は一つしかないのですが、その代わり式は所々に出てきます。当たり前のように微分の式が登場したり関数の記号にギリシャ文字を使ったりしているので、そんな式は見るだけで気持悪くなるという人にとっては読む気にならない本なのかも知れません。