この本も図書館の新しく入った本コーナーでみつけたものですが、面白い本でした。
豊臣秀吉の『刀狩り』は有名なんですが、『豊臣氏に代わった徳川氏は刀狩令における武器の「所持」の禁止政策を全く継承しなかった』という説明で、そうだったのか、とヒックリ返ってしまいました。江戸時代に百姓も町人も、博打打ちもヤクザも皆、刀を持っていたのがこれで良くわかります。それにしても秀吉の『刀狩り』は有名ですが、その後の『全く継承しなかった』というのは、聞いた覚えがないなと思いました。
で、江戸時代に『名字帯刀』という制度が定着し、それが明治の『廃刀令』で終わったのですが、その具体的意味が丁寧に説明されています。
すなわち徳川の世の中になり『刀狩り』が継承されなかった結果、武士も百姓も町人も好き勝手に刀を持つようになった。関ケ原も大阪冬・夏の陣も終わり、大きな戦争もなくなり、刀は武器ではなくファッションの一部になったということです。
で、いわゆる旗本奴(はたもとやっこ)や町奴(まちやっこ)と言われる人達を中心に、ファッションとしての帯刀が大はやりし、見栄えを良くするために『棒のような刀』と称されるように、日本刀の特徴である反りをほとんどなくし、また長さを極端に長くし、鞘の色やその他の装飾も派手にした刀が大流行した、ということのようです。
で、その後派手な格好を禁止する服装規定として、武士は刀(かたな)と脇差(わきざし)の2つを差していなければいけない、武士以外の人については2本差してはいけない、というルールができたということです。その武士の差す2つの刀のうち、一方を刀(かたな)と呼び、もう一方を脇差と呼び、武士でない者が差す1つの刀を脇差と呼ぶということで、刀(かたな)と脇差とは物としては全く差異がなく、武士以外が差すなら脇差とし、武士が2本差す時、一方を刀(かたな)と呼ぶならもう一方を脇差と呼ぶというだけのことだということです。で、武士以外の人については2本差してはいけないというだけで、1本を差す分には何の規制もないということです。
こうなると武士の2本差しというのがステータスシンボルになり、武士でないけれど、そこらの一般庶民とは別の存在なんだと主張したい(医者とか儒学者・儒医とか大庄屋とか大工の棟梁とか修験道の山伏とか陰陽師・神主とか御用町人・御用商人などの)人が何とかして2本差しで武士に準ずる存在だとみせびらかそうとしたのが、いわゆる『名字帯刀ご免』という制度です。幕府や藩から特別に許可を得て、武士でないのに武士と同様の2本差しをする、ということです。この帯刀御免もケースバイケースで様々な条件がついていて、その内容だけでも面白いものです。
一方武士以外の方は、脇差1本だけであれば好きなように差すことができ、これでヤクザも相撲取りも博打打ちも自由に刀を差すことができたわけです。
正月の挨拶回り・婚礼・葬式・お祭り等では普段刀を差さない人も刀を差すのが正式な礼装となり、男の子の成人の儀式として刀を差すというようにもなり、また旅に出る時は用心のために一本差して、という具合に、武士以外の世界でも脇差1本に関するルールが出来上がっていったようです。
で、この武士に準じる『帯刀御免』が次第に増えていって、ここで明治維新になり廃刀令になるのですが、ここでも面白い話があります。
明治新政府は旧藩の領地はとりあえずそのままにして、旧幕府の直轄地をまず自分で治めることになり、幕府により許可された『帯刀御免』を一旦全て取り消し、武士だけに(2刀の)帯刀を許すようにしました。この旧幕府の直轄地、はじめは鎮台と呼び、次に裁判所とか鎮撫総督府とよび、その後、府とか県とかよぶようになったんだけれど、裁判所といっても今の裁判をする所という意味ではなく、単に役所というくらいの意味で、府・県というのも行政区画としての府県ではなく単なる役所という意味で、これらすべてがその後の廃藩置県で整理され、旧藩の地域も含めて日本全体を整理し直してその行政区画を府県と呼び直した、なんて話も私は始めて知りました。
さてそうなると、明治以前に帯刀を許されていた人達が明治以降も帯刀を許してもらおうと動き出します。一方明治維新の文明開化で服装の洋装化が進み、洋装に2刀の帯刀というのはいかにも不都合なため、武士層を中心とした新政府の役人を中心に『帯刀しないことの許可』を求める動きが出てきて、最終的に全部ひっくるめて『廃刀令』で帯刀が全面的に禁止されるということになったわけです。
この廃刀令は『帯刀を禁ず』という形になっていますが、そこで帯刀とは2本差しのことだけでなく、脇差だけの1刀も帯刀だ、といって脇差だけの1本差しも廃刀令違反ということで、見つかったら脇差を取り上げられ没収されたということのようです。
江戸時代を通じて1本だけの脇差については何の規制もなかったのが、明治になっていきなり初めて全面的な禁止となったのでかなりの混乱が生じ、『先祖伝来の由緒ある脇差』を没収されて『何とかして返してくれ』なんて騒ぎも起こったようです。
で、この廃刀令を決めるにあたって有力な議論となったのが『切捨御免』という言葉で、『江戸時代は武士がえばっていて、百姓町人が武士に無礼なことをしたら武士は相手を即座に切り殺しても何のお咎めもないひどい世の中だった』ということなんですが、著者の調べによるとこの『切捨御免』という言葉は明治6年頃から急速に一般化した言葉で、江戸時代にはなかった言葉だということです。
福沢諭吉の『学問のススメ』でこの言葉が使われ、この本の流行と共にこの言葉も流行したということです。
もちろん江戸時代には『切捨御免』という言葉もなく、また幕末に日本中で志士という名前のテロリスト達が横行した時代を除けばこの『切捨御免』という実態も全くなかったようですから、この『切捨御免』というのはもしかすると福沢諭吉による空前絶後のフェイクだったのかも知れません。
ということで、この本は他にも面白いトピックス満載です。
お勧めします。