両班(ヤンバン)

7月 11th, 2013

韓国の歴史の教科書を読み終わって、改めてちゃんとした本を読んでみたいと思いました。
普段図書館ではあらかじめネットで検索して、予約した本を借りてくるだけなのですが、久しぶりに本棚の前でタイトルを眺めていたら、
 「両班(ヤンバン) – 李朝社会の特権階層」という宮嶋博史著・中公新書が目に入りました。

両班というのは、韓国の歴史と現在を理解する最大の鍵だ、と以前から思っていたので、早速借りて読みましたが、期待通りの素晴らしい本でした。

著者は韓国の古文書を直接読むという方法で、李朝になって特権階層としての両班、特に地方の特権階層としての両班が出来上がってきて、それが社会の目標となり、誰もが両班になる、あるいは両班的生活様式を取り入れることを目標として今回の韓国社会が出来上がったという経過を族譜(日本でいう家系図の韓国版ですが、はるかに膨大なもので、韓国人の多数がこのどこかの族譜に属しているようで今でも日常的に使われているようです)・遺産相続の書類・日記・戸籍などの統計資料を読みながら解析していきます。

そもそもこの両班という言葉自体いろんな意味がある言葉なんですが、社会的身分をさす語としての両班にしても、一言では言えない意味の言葉のようです。

 【両班というのは法的に決められた階層ではないけれど、だからと言って曖昧なものではなく、誰が見ても両班か両班でないかが明確に見分けることができるようなものだ。】
というんですから、これだけじゃ何のこっちゃと思うのですが、この本を読むとそのあたりが良くわかってきます。

で、その両班というのが儒教の性理学(日本では朱子学と言われているものですが、韓国で独特に発展したものです)に基いて儒教を勉強することが本分ということになりますから、地方の役人の監督をするくらいのことはしますが、実際に身体を動かすようなことはしないことになっています。自分の田畑も自分で農作業するわけにいかないので、奴婢に農作業させてその監督をするだけ、あるいは商売をするにしても奴婢に商売させてその指示をするだけ、ということになります。

この「奴婢」というのが両班の財産として売り買いしたり相続したりの、要は奴隷なのですが、これが自分の田畑を持っていたり財産を持っていて自分で商売したりする、何とも不思議な奴隷制度です。

ですから両班が奴婢に種蒔きをさせてもチラホラとしか芽が出てこない、奴婢が種をくすねてあとで自分の畑に撒いているに違いないとか、奴婢が休みをとって布を売りに行くというので両班が自分の布も売ってきてくれと頼んだところ、帰ってきた奴婢に「自分の布は売れたけど、両班の布は売れませんでした」と言われて悔しがる、なんて話が出てきます。

奴隷制というのは経済効率が悪くて、アメリカの南北戦争のリンカーンの奴隷解放も人道的な観点というよりは経済効率の観点から決められた、という話もありますが、韓国でも李朝が終わって大韓帝国になる頃(日本では明治維新の頃)には奴婢がほとんどいなくなったようです。

両班としても種をくすねられることがわかっていて農作業を監督するより、奴婢を解放して小作人にして好き勝手に農作業をさせておいて小作料をしっかり取り立てる方が監督する手間も要らないし有利だ、ということに気がついたんでしょうね。

で、この両班、李朝の初期には人口の10%弱だったのが終わり頃には人口の70%にもなっていて、今では韓国人の殆どが「自分は両班の家系だ」ということになっているようです。

両班というのは両班的生活習慣と両班的価値判断が両班かどうかを決める最重要ポイントですから、韓国人の不思議な礼儀正しさと理屈っぽさ・歴史認識を理解するには、この両班をちゃんと理解する必要がありそうです。その意味でこの本はお勧めです。

参議院選挙

7月 11th, 2013

いよいよ参院選が始まっていますが、何とも盛り上がらないですね。

自民・公明の与党の勝ちが決まってしまっている状況だからでしょうか、ちっとも面白くありません。そんな中、テレビでは9党党首の討論会というのが何度も行なわれているようです。

でも9党というのも何なんでしょうね。参議院を中選挙区制から小選挙区制にする時、小選挙区制にすれば二大政党制になると言っていた人達は、この9党党首揃い踏みをどんな思いで見ているんでしょうね。(ちなみに舛添さんがやめなければ10党党首ということだったんでしょうか、ヤレヤレ)

この参議院選、あるいは3年後の参議院選あたりでもう議員がいなくなってしまいそうな政党の党首がイッチョマエの顔をして安倍さんに訳がわからないイチャモンをつけているというのも、ウンザリですね。

選挙が面白くないのは、野党のどの党首をとってみても安倍さんにまともに太刀打ちできるほどの人がいないというのも原因かもしれません。安倍さんの発言の番になるとそれまでの野党の言い分は鎧袖一触で片付けられてしまっている感があります。

今のままだと自民・公民・共産の3党の勝ちということでしょうから、開票速報の興味は残りの野党がどこまで負けるかということだけになりそうです。

韓国史(と台湾史)の教科書

7月 2nd, 2013

先日、韓国の高校生のうち7割は朝鮮戦争を韓国が北朝鮮を侵略した戦争だと理解している、というニュースがありました。あれだけいわゆる「歴史認識」についてうるさい国が一体どうしたんだろうと思い、今後はいろんな出来事に関して韓国人の反応を理解するためには、韓国人のこのような歴史理解を踏まえて解釈する必要があるなと思い、facebookにコメントしました。

それに対して友人の下郡さんからまずは韓国の歴史教科書を読むように、ついでに比較のために台湾の歴史教科書も読むように勧められました。

韓国の歴史 国定韓国高等学校歴史教科書 世界の教科書シリーズ 大槻 健/訳 明石書店

台湾を知る 台湾国民中学歴史教科書 国立編訳館/主編 雄山閣出版

さっそく図書館で借りて読んだのですが、非常に面白いものでした。

最初韓国の方を読もうと思ったのですが、高校用の教科書のせいか500ページにわたってビッシリ書いてありかなり歯ごたえがありそうなので、台湾の方から読むことにしました。

台湾の方は中学用の教科書だということもあり、また台湾の歴史がさほど長くない(実質的に国姓爺の鄭成功のあたりからですから、日本で言えば江戸時代以降ということになります)ということもあり、また第二次大戦後国民党が台湾に乗り込んだ時から李登輝がトップに立つまでの間はさすがに生々し過ぎるのか、殆ど何も書かれていないということもあるのかも知れません。分量的にもはるかに少なく、簡単に読めました。

日清戦争後の日本の統治の時代についても、それまで中国本土から殆ど放置されていた土地が、日本によってしっかり建設されたあたりがちゃんと書いてあります。

これを読み終えてその勢いで韓国史にかかったのですが、さすがに分量も多く(中国五千年に匹敵するような歴史です)、また高校用の為かそれぞれの時代区分ごとに政治・経済・社会・文化のそれぞれについて記述してあるので、読みごたえがありました(とはいえ、わからない所はそのまま読み飛ばしですが)。

もうひとつ感じたのが、基調として「・・・でなければならない」とか「・・・しなければならない」とかの、いわゆる説教調が強いので、まぁこれは韓国の国民性なんでしょうが、そんなことを言われ続けるのも大変だなと思いました。

韓国の歴史では、外国としてはやはり中国と日本が良く登場します。
中国は文明の進んだ国としてその文明を取り込んだり、その文明を凌駕するような業績を韓国人が挙げたりというような記述です。日本は一貫して文明の遅れた国であり、長年にわたり韓国から文明を教えてやった相手ということです。

韓国人は大昔からずっと朝鮮半島とその北の満洲の地域に住んでいる単一民族だということで、その中がいくつかの国に分かれたりまた統一されたりしたけれど、一貫して一つの民族・一つの国土・一つの国という意識が強いようです。元に攻め込まれたり清に攻め込まれたりして、それらに従属させられ酷い目に遭ってはいるものの、国としての独立性は保っていた、というのが誇りのようです。

これは豊臣秀吉の朝鮮征伐も同じで、国を攻められ大変な被害を蒙ったけれど、最終的に国を保ったまま相手を追い出した、ということのようです。徳川時代になって日本に通信使を送るようになったのも、大変な被害を蒙って山ほどの恨みはあるものの、文明の遅れた国から是非来てくれ・教えてくれと頼まれたので、進んだ文明を教えてやるために使節を派遣したということです。

で、その数千年の歴史の中で唯一残念なのが日韓併合で、一時的に国がなくなってしまった、ということのようです。あの(後に元になる)モンゴルも、(後に清になる)女真族もやらなかった「国を失くす」という暴挙を、自分達よりはるかに文明の遅れていて、後に中国になるわけでもない日本にやられてしまったというのは何とも我慢ならないようです。

その後日本が太平洋戦争に負けて韓国はまた国として復活するのですが、そんな棚ボタで独立を回復したなんてことを言うわけには行きません。日本に対する独立戦争の所は他の部分とくらべてもやけに詳しく、いつ・どこで・どんな戦争をしたか、ということが延々と書かれています。

日本では太平洋戦争や日中戦争についてはある程度知っていますが、韓国の日本に対する独立戦争のことなど殆ど、または全く知らないと思います。少なくとも私はこの教科書を読むまで安重根アン・ジュングン)の伊藤博文暗殺は知っていましたが、日本に対する独立戦争などはまるで知りませんでした。

相手が死ぬ覚悟で戦争をやったのにこっちは何も知らない、では話になりませんね。韓国人はプライドが高いので自分達の独立戦争の結果「日本を追い出した」と思いたいのに対して、日本人はアメリカに負けたから朝鮮から「引上げた」と思っているんですから、韓国人としては収まらないでしょうね。

で、日本の統治時代のことも、何もかもうまく行かないことは全て日本の統治のせいにする、という書きぶりです。まぁ悪者がはっきりしているのでわかりやすいと言えばわかりやすいですけれど、はっきりし過ぎているのもあまり面白くはないですね。

で、独立戦争の結果ようやく日本を追い出したと思ったら、今度は急に北朝鮮が(同じ民族でありながら)悪者になって韓国に攻めて来たというのも、わかりにくいんでしょうね。それまでは「韓国人は正義」、「日本人は悪」という切り分けだったんですから。

で、最後に一つ面白い発見をしました。
この韓国史の教科書では、韓国では17~18世紀に稲作で田植えをするようになり、稲作が効率化して収量が急増した(それまでは直撒きで効率が悪かった)ということが書いてあります。日本では弥生時代から稲作は田植えでやっています。その間こんなに近い所にある国なのに、韓国は日本の田植えを見習おうとしなかったんでしょうか。大きな疑問です。田植えをした田んぼは、田植えの時から稲刈りの時まで一目でわかるはずですし、その間日本に往復している韓国人も多数いたと思うのですが、誰かこのあたりの事情を知ってる人がいたら教えて下さい。

いずれにしても日本は韓国と違って、中国と地続きじゃなかったこと、韓国のように科挙を導入しなかったこと、ラッキーだったなと思わずにはいられません。多分韓国史の教科書の説教臭さというのは儒教の性理学の名残なんだろうな、なんて考えています。

実はかなりの数の国の学校の教科書が日本語に訳されて出版されているようです。もし興味があったら読んでみて下さい。

総理大臣の問責決議案

6月 28th, 2013

国会があれよあれよのうちに終わってしまいましたね。
あの、総理大臣の問責決議案、というのは何だったんでしょうね。

社民、生活、みどりの共同提案、ということですが、見るからに小沢さんがバックで糸を引いているような顔ぶれですね。

この問責決議案に対して民主党も乗ってしまった、というのは、今度の参議院選に向けて自民党に格好の攻撃材料を与えてしまった、ということになりますね。もっともさらに鳩山さんがわけのわからないことを言って、なおさら自民党の民主党攻撃に関してはネタは有り余るほどですが。

鳩山さんも6月で民主党をやめる、ということのようですが、今はまだ民主党員じゃないんでしょうか? あの発言に対して細野さんはかなり怒ったそぶりを見せていましたが、民主党としては何の処分もできないんでしょうね。

それにしても今度の参議院選が終わったらそれこそほとんど存在がなくなってしまうような社民、生活、みどりの共同提案にほかの野党がみんな乗ってしまった、というのはどうなんでしょう。

輿石さんにしてみれば、参議院選が終われば参議院でも民主党の出番はなくなるのでこれが最後の見せ場、ということなのかもしれませんが、それを止められない民主党のトップもなんともふがいないですね。

仮に自民党がこの問責決議案の可決を受けて、『民意を問う』なんて言って衆議院を解散して衆参同時選挙、なんてことになったらどうするつもりだったんでしょう。

この前の衆議院選でかろうじて生き残った民主、維新、生活の議員さんたちもほとんど振り落されて衆参両院とも完全に自民党の独り舞台になっていたかもしれませんね。

安倍さんと石破さんのコンビはそんなに乱暴なことはしないでしょうが、これが小泉さんだったらそんなシナリオも十分ありだったかもしれませんね。

いずれにしてももう待ったなしの参議院選、まずは野党がどれくらいの候補を立てることができるのか、というところから、見ものですね。

ケインズ・・・17回目

6月 27th, 2013

さて、雇用関数の章に続くのは「物価の理論」、そして「景気循環に関する覚書」という章です。

「物価の理論」では物価がどのように決まるのか検討するのですが、その中でケインズはいわゆるミクロ経済学とマクロ経済学に分けるという議論をしています。
 『経済学を「価値と分配の理論」と「貨幣の理論」に分けるのは間違っている。
 個々の産業や企業が一定の資源をどのように配分するかという理論(ミクロの理論)と、全体としての産出量と雇用の理論(マクロの理論)に分けるのが正しい。
 というのも、個々の産業や企業を問題にしている間は貨幣のことを考えなくても良いけれど、全体について考える時は貨幣経済についての完全な理論が必要となるからだ。
・・・・
貨幣の重要性は本質的に現在と将来をつなぐ精妙な手段であり、貨幣の言葉に翻訳するのでなければ変化する期待が現在の活動にどのような影響を及ぼすか、議論を始めることさえできない。
・・・・
現実世界の問題というのは、以前の期待(見込み)はともすれば失望を免れず、将来に関する期待は我々の今日の行為に影響を与える(そして多分また失望させられる)、という問題だ。
・・・・
 また二つに分けるとすると、「定常均衡の理論」と「移動均衡の理論」に分けることができるかも知れない。』

というような話のあと、経済学という学問の本質について
 『我々の分析の目的は間違いのない答を出す機械ないし機械的操作方法を提供することではなく、我々の問題を考え抜くための組織的系統的な方法を獲得することだ。
 複雑化要因を一つ一つ孤立させることによって暫定的な結論に達したら、今度は再びおのれに返って考えを巡らし、それら要因間の相互作用をよくよく考えてみなければならない。
 これが経済学的思考というものである。
・・・・
 経済分析を記号を用いて組織的に形式化する擬似数学的方法が持つ大きな欠陥は、それらが関連する要因相互の完全な独立性をはっきりと仮定し、この仮定がないとこれらの方法が持つ説得力と権威がすべて損なわれてしまうところにある。
・・・・
 最近の「数理」経済学の大半は、それらが依拠する出発点におかれた諸仮定と同様単なる絵空事に過ぎず、その著者が仰々しくも無益な記号の迷路の中で現実世界の複雑さと相互依存とを見失ってしまうのも無理からぬことである。』
と言っています。

今の経済学者の先生方に、もう一度これらの言葉を熟読玩味してもらいたいと思うのですが、多分殆どの先生方は「そんなことわかってる。わかった上でちゃんとやってるよ」と答えるんでしょうね。あるいは、「そんなことを言っていたら時間ばかりかかってしまって誰からも評価してもらえないよ」とでも言うんでしょうか?

ケインズは、物価は需要や貨幣量や金利やいろんなものと関連して決まっていくもので、そう簡単に割り切れるものじゃないよ、ということを具体的に細かく説明してくれています。ここもあとでじっくり整理しながら読みなおす必要がありそうです。

次の景気循環の所でケインズは
 『景気循環は複雑きわまりない現象であって、それを完全に解き明かすには我々の分析で用いられた諸要素を総動員する必要がある。』

と言っています。とはいえ【総動員すれば解き明かすことができる】などとはもちろん言っていませんが。

ケインズは
 『景気循環は資本の限界効率の変化によって引き起こされると見るのが一番だと私は考えている』
と書いていますが、「資本の限界効率」というのは前にも書いたように、「投資の利回りの見込み」のことですから、要するに【いろいろな投資について、皆がどれ位儲かりそうかと考える、その見込みが変化することによって景気循環が起こる】ということです。

ケインズは景気循環のメカニズムについて議論していますが、もちろんそのメカニズムを理解することが目的ではなく、否応なしに起こる景気循環のサイクルの中で下向きになる時に恐慌にならないようにするにはどうしたら良いか、また上向きの好況の時にそれをできるだけ長持ちさせるにはどうしたら良いかという問題意識でこのメカニズムを考えています。これもアメリカ発の世界的な大恐慌を受けての現実的な問題意識です。

いずれにしても景気というのは本当に循環するのか、単に上がったり下がったりするということではないのか【「循環」と「上下」というのは何が違うのか】あたりから、このテーマはじっくり考えて見る必要がありそうです。

それは後のお楽しみにして、「一般理論」残りはあと2章です。

ケインズ・・・16回目

6月 11th, 2013

さてケインズは「一般理論」のまとめを書いた後、まずは再び古典派の議論をやっつけに行きます。

「一般理論」の頭の所で古典派をやっつけた時はたいした武器も持っていなかったので、賃金と雇用の関係についてだけ議論し、賃金を下げれば雇用は(失業がなくなるまで)いくらでも増やせるというのはおかしいじゃないか、と言っていたのですが、今度はもう「一般理論」の議論の枠組みがあります。

賃金が下がれば消費が下がり、所得も下がって雇用も減ってしまうじゃないかという議論で、改めて古典派の議論をコテンパンにしています。19章の付論の『ピグー教授の「失業の理論」』というところで、
【これまで長々とピグー教授の失業理論を批判してきたが、それは何も彼が他の古典派経済学者以上に批判を受けてしるべきだからではなく、彼の試みが、私の知る限り、古典派の失業理論を正確に記述しようとした唯一の例だと思われるからである。】
と書いてあります。こんなのを読むと、他の古典派の先生方は何をしていたんだろうと思ってしまいます。

そしてケインズは
【要するに古典派理論がその最も強靭な表現を見たこの理論に対して反論を提出しておくことは、私に課せられた責務であったのだ。】
と締めくくっています。

これで終わってしまっては古典派に文句をつけただけになってしまいますので、次の20章「雇用関数」という所で、ケインズはケインズ流の「雇用はどのように決まるか」という理論を展開します。ここはかなり数式(それも差分の式だったり微分の式だったりします)が多いので、面倒くさいかも知れません。

でもいかにもケインズらしく、何らかの原因で需要が増えた時、まずは在庫品がはけ、次に生産設備に余裕がある所で雇用が増え、次に新規の設備投資のために雇用が増え、新しい設備を動かすのに雇用が増えるというダイナミックなプロセスを見ながら、企業や労働者が時に思い違いをしたり、過度な期待をしたり失望したりしながら変化していく様をしっかり捉えています。

最後にインフレとデフレについて、これは単なる逆向きの現象ではなく非対称であることについて
【完全雇用に必要とされる水準以下への有効需要の収縮は、物価とともに雇用を低下させるのに対し、この水準を超える有効需要の拡大は、物価に影響を及ぼすだけだ。】
とか、
【労働者は賃金が低すぎるときは働くことを拒否することができるが、賃金が高いときに雇用を(企業に)強制することはできない。】
とか、面白いことを言っています。

ケータイとスマホ

6月 11th, 2013

図書館の新しく入った本コーナーに、「しくみ図解 通信技術が一番わかる」という本があったので、借りてきました。

この手の、ごく大雑把ではあるけれどちょっと技術的な簡単な説明をしてくれる本はなかなか重宝しています。

で、この本は「通信技術」というより「通信のしくみ」というような感じで、携帯電話・無線通信・有線通信・テレビ放送等がどのような仕組みで行なわれているのか、簡単に解説してあります。

この本でケータイとスマホの何が違うのか、という所が良くわかったので紹介します。

ケータイというのは「携帯電話」という独自のネットワークの中での通話サービスで、日本でとてつもなく高度に発展してしまった結果、他の国はついて来ることができず競争をあきらめてしまったものということです。

その代わりに他の国では、PCの無線LANによるインターネット接続を進化させ「スマホ」というものを作り上げたということのようです。

ですからケータイもスマホも「電話もできるしインターネットもメールもできる」と言いながら、その仕組みはまるで異なっているということです。

ケータイは携帯電話のネットワークにつながって機能し、そのネットワークの中からインターネットのネットワークにつながることにより、インターネットやメールを使うことができます。

これに対してスマホの方は最初からPCのインターネットへの無線LANによる接続を小型化したもので、インターネットもメールも最初からつながっていて、電話はインターネットのIP電話の機能を使っているんだ、ということです。

この話でようやくケータイとスマホの間のギャップが良く理解できました。スマホはケータイの進化形ではなくPCの進化形で、ケータイと同じようなことが色々できるように工夫したものでしかないということです。で、AppleはPCの会社なので、ケータイは作れないけどi-Phoneは作れるということですね。i-Phoneもi-PadもどちらもPCだからよく似てる、ということですね。

私はケータイもほとんど通話専用で、スマホというのは電話もできる高性能ゲーム機だと思っていますから、これでなおさら安心してケータイが使える限りはスマホに移る必要はなさそうだなと考えています。

何もできなかった北朝鮮

5月 28th, 2013

ニュースというのは何か起こったことを取上げるので、起こらなかったことはなかなか報道されないですね。

これを改めて感じたのは、飯島さんが北朝鮮に行ったというニュースの時です。

日本中が(というより外国でも)大騒ぎになりましたが、その前にあれだけ大騒ぎをしてすぐにでも戦争をするようなふりをしていた北朝鮮が、あれだけアメリカ・韓国から挑発されたにもかかわらず結局何もできず、仕方なく短距離のミサイルを5、6発発射しただけで終わってしまいました。それも北東に向けてということですから、韓国や日本には向けないようにしたようです。

要するに、この「何もできなかった」というのが大きなニュースなのですが、「何も起きなかった」というのは、ニュースにしずらいんでしょうね。

飯島さんの訪朝も行ったときは大騒ぎで国賓待遇で迎え、ニュースで大騒ぎしましたが、帰りは見送りの映像はなかったような気がします。その分中国でも日本でも日本のマスコミが大騒ぎしていたようですが。

結局飯島さんを招待したのがあまりうまく行かなかったので、仕方なく金正恩は特使を中国に行かせて、今度は中国に泣きついて何とか6カ国協議の再開のために動いてもらおうとしたようですが、うまく行くでしょうか。

ここしばらくアメリカと韓国は協力して、軍事演習やら大統領の訪米などとことん北朝鮮を挑発したのに、北朝鮮は何もできず醜態を晒してしまいました。こうなったらもう誰も北朝鮮を恐がりません。それこそ水に落ちた犬は叩けとばかりに北朝鮮をトコトンいじめ抜くというのが、政治・外交の常道です。日本人はあまりこういうのは得意じゃありませんが、韓国・アメリカ・中国はこういうのが得意ですから、今後どこまで北朝鮮がいじめられるか、それに対して北朝鮮がどう対応するか、注目ですね。

読書感想文

5月 28th, 2013

私は子供の頃から本を読むのが好きでした。とはいえ、小学生の頃はお話とか物語の本ばかりですが時々病気になって学校を休むことになると、一日中好きなだけ本を読めるぞ!と嬉しかったものです。

で、一番イヤだったのが、読書感想文というやつです。

ハラハラドキドキしながらようやく読み終わり、あぁ面白かったと余韻に浸ってる時に感想文を書け・・なんて言われてもどう書いたら良いかもわからないし、もしこの感動を文章にするんだったら元の本を一語一句書き写すしかないじゃないか、と思っていたものです。

というわけで、小中高と国語の成績は5段階評価で2かせいぜい3くらいだったと思います。

中学になって小説を読むようになりましたが、それ以外の本も少しずつ読むようになりました。

最初に読んだのが中学の先生にもらった岡潔と小林秀雄の対談の新書です。岡潔というのは有名な数学者ですが、当時真宗系の新興宗教にはまっていたようで、その話が対談に出ていたのでそれをきっかけに仏教関係の本をいろいろ読むようになりました。

小林秀雄の方は当時すでに文庫で何冊もエッセイや評論が出ていたので、それを読むようになりました。その延長線上でその後同じスタイル(と私には思える)の山本七平や塩野七生など、かなり読みました。

小林秀雄というのは文芸評論家ということになっていますが、文芸評論というのはある意味読書感想文みたいなもので、それ以外でも絵を見たり音楽を聞いたり焼き物を見たりしての感想文がいろいろなエッセイになっています。要するに、このあたりで一級品の読書感想文を山程読んだということなのかも知れません。

読む方はかなり読みましたが、書くことはほとんどなかったように思います。

学校を卒業し就職し転職して、今のING生命に移ったあたりから、ようやく折に触れ文章を書くようになりました。

新設の生命保険会社でアクチュアリーという仕事をしている以上、いろんな人にいろんなことを説明しなきゃならないということで、その説明をするための文章をいろいろ書きました。これは今でも続いていて、業界紙の連載等仕事の一部にもなっています。また本を書いて出版したのも、ホームページで掲示板を作ったのも、この延長線上のことです。

で、今ブログに書いているケインズの何回目かを書こうとしていた時、はたと気が付いたのですが、これは読書感想文じゃぁないか!ということです。

もちろん国語の先生に見せたら「こんなもの感想文でも何でもない」と言われそうですが、私にとってはケインズを読んで本当に面白くて、その面白さについて書いておきたいと思って書いているわけですから、これは読書感想文以外の何物でもありません。

ということで、子供の頃あるいは大人になるまで(なっても)、どうがんばっても書けなかった読書感想文を、60歳を過ぎてようやく書けるようになったというのは、私にとっては感激でしばし感慨にふけっていました。

「60歳過ぎてようやくできるようになることを小学生にやれと言う方が間違っている」と言いたい所ですが、小学生でも立派な読書感想文を書く子供もいますから、この議論はまるで説得力がありません。

要するに、小学校で教えられることを60歳過ぎてようやくできるようになった私の学習スピードが、とてつもなく遅いというだけのことかも知れません。

でも子供の頃からずっとできなかったことが60歳過ぎてようやくできるようになる、ということは、長生きはするもんだ、ということですね。これからも何ができるようになるんだろうか、と考えると、楽しみです。

ライフネット生命・・・再び

5月 17th, 2013

ライフネット生命の社長さんが交代、ということです。
若い社長さんには頑張ってもらいたいと思います。
とはいえ、今まで社長だった出口さんが会長兼CEO、副社長だった岩瀬さんが社長兼COO、ということですからあまり大きな変化はないのかも知れません。

ところでその社長交代の発表と同時に、ライフネット生命の2013年3月期の決算も発表されています。この前ライフネット生命の株主の変更のニュースの時に、第3四半期の報告と決算の見込みについてコメントしたので、それを検証する意味でも決算を見てみました。

まず第一に、第3四半期で黒字になっていたので年度決算も黒字かと思ったのですが、最終的には赤字決算で締めくくったようです。とはいえ、経常損益で23百万円の赤字。ここから税金を差引いて当期純損失で126百万円の赤字ですから、それほど大した赤字ではありません。

この前のコメントで、この決算での113条の利益かさ上げは18億円くらいと見積もったのが、結局1,641百万円とちょっと小さくなりました。

また今後の113条の償却負担を毎年11億円程度と見積もったのが、1,060百万円ということになっています。

今回の決算報告では、この113条の仕組や今後5年間は償却負担だけが続くということがちゃんと説明してあります。そこまで見ればちゃんと分かってもらえるかもしれません。

ところで考えてみれば今期黒字になったりすると来期からまた当分赤字決算が続くので、赤字決算に逆戻りというよりは、ちょっとだけ赤字にしておいた方が好ましいということだったのかも知れませんね。

今まであまりなかった保険金の支払額が急増しているのは今後とも要注意だなと思いながら、いろいろ見ていたらビックリするような記載をみつけました。

責任準備金の計算について「保険数理上、より合理的かつ精緻に見積もることができる」ということで、計算方式を変更したということです。その見積変更による影響額が501百万円ということですから、もしこの変更がなかったら、赤字は5億円多かったということになります。良く確認したら、この変更は第3四半期の時から変更されていたようです。

この変更による影響は一度きりのものですから来期からはこのかさ上げ効果はなくなり、113条の償却負担だけが残ることになります。

今期と比較すると、113条で16億円のプラスだったのが11億円のマイナスになり、計27億円、さらに責準の5億円で、計32億円のマイナス効果がある、ということになりますから、表面的には大幅な赤字決算ということになりますね。この大幅赤字の説明をするのが新しい社長さんの仕事、ということになるのでしょうか。

でもこの113条の影響と責任準備金の変更の影響を除いてみると、経常損益で前期(2012年3月期)2,184百万円の赤字が、今期(2013年3月期)で2,165百万円の赤字となっています。ようやく赤字が底を打ったのかなということです。

事業費も前期3,984百万円が今期4,976百万円と相変わらず順調に増えていますが、今期ようやく収入保険料が事業費を上回るようになりました。入ってくるお金で出て行くお金を賄えるようになった、ということです。

日本でゼロスタートの生命保険会社では開業5年で赤字が底を打ったというのは、なかなかの好成績です。こうなるとあと2-3年で単年度黒字になることが期待できます。ただし113条の償却負担があと5年間あるので、実際の決算上の黒字はもう少し先になるのかも知れません。

また今の所まだ責任準備金の積み方は5年チルメル式ですがこれをいずれは純保式(平準純保険料式)にすることになるので、その移行のタイミングによっては単年度黒字の時期はさらに先送りされるかも知れません。

責任準備金の計算方法の変更による5億円の利益かさ上げですが、今期末の責任準備金が3,278百万円。うち危険準備金が997百万円ですから、残りが2,281百万円です。計算方式の変更がなかったとしたら、これが501百万円多かったということですから、2,782百万円になるはずだったものを、計算方式の変更で2,281百万円にした(2割ほど減らした)ということになります。

こうしてみるとかなり大幅な変更です。一体どうしてこうなったんだろう、とちょっと不思議ですね。