ケインズ・・・17回目

6月 27th, 2013

さて、雇用関数の章に続くのは「物価の理論」、そして「景気循環に関する覚書」という章です。

「物価の理論」では物価がどのように決まるのか検討するのですが、その中でケインズはいわゆるミクロ経済学とマクロ経済学に分けるという議論をしています。
 『経済学を「価値と分配の理論」と「貨幣の理論」に分けるのは間違っている。
 個々の産業や企業が一定の資源をどのように配分するかという理論(ミクロの理論)と、全体としての産出量と雇用の理論(マクロの理論)に分けるのが正しい。
 というのも、個々の産業や企業を問題にしている間は貨幣のことを考えなくても良いけれど、全体について考える時は貨幣経済についての完全な理論が必要となるからだ。
・・・・
貨幣の重要性は本質的に現在と将来をつなぐ精妙な手段であり、貨幣の言葉に翻訳するのでなければ変化する期待が現在の活動にどのような影響を及ぼすか、議論を始めることさえできない。
・・・・
現実世界の問題というのは、以前の期待(見込み)はともすれば失望を免れず、将来に関する期待は我々の今日の行為に影響を与える(そして多分また失望させられる)、という問題だ。
・・・・
 また二つに分けるとすると、「定常均衡の理論」と「移動均衡の理論」に分けることができるかも知れない。』

というような話のあと、経済学という学問の本質について
 『我々の分析の目的は間違いのない答を出す機械ないし機械的操作方法を提供することではなく、我々の問題を考え抜くための組織的系統的な方法を獲得することだ。
 複雑化要因を一つ一つ孤立させることによって暫定的な結論に達したら、今度は再びおのれに返って考えを巡らし、それら要因間の相互作用をよくよく考えてみなければならない。
 これが経済学的思考というものである。
・・・・
 経済分析を記号を用いて組織的に形式化する擬似数学的方法が持つ大きな欠陥は、それらが関連する要因相互の完全な独立性をはっきりと仮定し、この仮定がないとこれらの方法が持つ説得力と権威がすべて損なわれてしまうところにある。
・・・・
 最近の「数理」経済学の大半は、それらが依拠する出発点におかれた諸仮定と同様単なる絵空事に過ぎず、その著者が仰々しくも無益な記号の迷路の中で現実世界の複雑さと相互依存とを見失ってしまうのも無理からぬことである。』
と言っています。

今の経済学者の先生方に、もう一度これらの言葉を熟読玩味してもらいたいと思うのですが、多分殆どの先生方は「そんなことわかってる。わかった上でちゃんとやってるよ」と答えるんでしょうね。あるいは、「そんなことを言っていたら時間ばかりかかってしまって誰からも評価してもらえないよ」とでも言うんでしょうか?

ケインズは、物価は需要や貨幣量や金利やいろんなものと関連して決まっていくもので、そう簡単に割り切れるものじゃないよ、ということを具体的に細かく説明してくれています。ここもあとでじっくり整理しながら読みなおす必要がありそうです。

次の景気循環の所でケインズは
 『景気循環は複雑きわまりない現象であって、それを完全に解き明かすには我々の分析で用いられた諸要素を総動員する必要がある。』

と言っています。とはいえ【総動員すれば解き明かすことができる】などとはもちろん言っていませんが。

ケインズは
 『景気循環は資本の限界効率の変化によって引き起こされると見るのが一番だと私は考えている』
と書いていますが、「資本の限界効率」というのは前にも書いたように、「投資の利回りの見込み」のことですから、要するに【いろいろな投資について、皆がどれ位儲かりそうかと考える、その見込みが変化することによって景気循環が起こる】ということです。

ケインズは景気循環のメカニズムについて議論していますが、もちろんそのメカニズムを理解することが目的ではなく、否応なしに起こる景気循環のサイクルの中で下向きになる時に恐慌にならないようにするにはどうしたら良いか、また上向きの好況の時にそれをできるだけ長持ちさせるにはどうしたら良いかという問題意識でこのメカニズムを考えています。これもアメリカ発の世界的な大恐慌を受けての現実的な問題意識です。

いずれにしても景気というのは本当に循環するのか、単に上がったり下がったりするということではないのか【「循環」と「上下」というのは何が違うのか】あたりから、このテーマはじっくり考えて見る必要がありそうです。

それは後のお楽しみにして、「一般理論」残りはあと2章です。

ケインズ・・・16回目

6月 11th, 2013

さてケインズは「一般理論」のまとめを書いた後、まずは再び古典派の議論をやっつけに行きます。

「一般理論」の頭の所で古典派をやっつけた時はたいした武器も持っていなかったので、賃金と雇用の関係についてだけ議論し、賃金を下げれば雇用は(失業がなくなるまで)いくらでも増やせるというのはおかしいじゃないか、と言っていたのですが、今度はもう「一般理論」の議論の枠組みがあります。

賃金が下がれば消費が下がり、所得も下がって雇用も減ってしまうじゃないかという議論で、改めて古典派の議論をコテンパンにしています。19章の付論の『ピグー教授の「失業の理論」』というところで、
【これまで長々とピグー教授の失業理論を批判してきたが、それは何も彼が他の古典派経済学者以上に批判を受けてしるべきだからではなく、彼の試みが、私の知る限り、古典派の失業理論を正確に記述しようとした唯一の例だと思われるからである。】
と書いてあります。こんなのを読むと、他の古典派の先生方は何をしていたんだろうと思ってしまいます。

そしてケインズは
【要するに古典派理論がその最も強靭な表現を見たこの理論に対して反論を提出しておくことは、私に課せられた責務であったのだ。】
と締めくくっています。

これで終わってしまっては古典派に文句をつけただけになってしまいますので、次の20章「雇用関数」という所で、ケインズはケインズ流の「雇用はどのように決まるか」という理論を展開します。ここはかなり数式(それも差分の式だったり微分の式だったりします)が多いので、面倒くさいかも知れません。

でもいかにもケインズらしく、何らかの原因で需要が増えた時、まずは在庫品がはけ、次に生産設備に余裕がある所で雇用が増え、次に新規の設備投資のために雇用が増え、新しい設備を動かすのに雇用が増えるというダイナミックなプロセスを見ながら、企業や労働者が時に思い違いをしたり、過度な期待をしたり失望したりしながら変化していく様をしっかり捉えています。

最後にインフレとデフレについて、これは単なる逆向きの現象ではなく非対称であることについて
【完全雇用に必要とされる水準以下への有効需要の収縮は、物価とともに雇用を低下させるのに対し、この水準を超える有効需要の拡大は、物価に影響を及ぼすだけだ。】
とか、
【労働者は賃金が低すぎるときは働くことを拒否することができるが、賃金が高いときに雇用を(企業に)強制することはできない。】
とか、面白いことを言っています。

ケータイとスマホ

6月 11th, 2013

図書館の新しく入った本コーナーに、「しくみ図解 通信技術が一番わかる」という本があったので、借りてきました。

この手の、ごく大雑把ではあるけれどちょっと技術的な簡単な説明をしてくれる本はなかなか重宝しています。

で、この本は「通信技術」というより「通信のしくみ」というような感じで、携帯電話・無線通信・有線通信・テレビ放送等がどのような仕組みで行なわれているのか、簡単に解説してあります。

この本でケータイとスマホの何が違うのか、という所が良くわかったので紹介します。

ケータイというのは「携帯電話」という独自のネットワークの中での通話サービスで、日本でとてつもなく高度に発展してしまった結果、他の国はついて来ることができず競争をあきらめてしまったものということです。

その代わりに他の国では、PCの無線LANによるインターネット接続を進化させ「スマホ」というものを作り上げたということのようです。

ですからケータイもスマホも「電話もできるしインターネットもメールもできる」と言いながら、その仕組みはまるで異なっているということです。

ケータイは携帯電話のネットワークにつながって機能し、そのネットワークの中からインターネットのネットワークにつながることにより、インターネットやメールを使うことができます。

これに対してスマホの方は最初からPCのインターネットへの無線LANによる接続を小型化したもので、インターネットもメールも最初からつながっていて、電話はインターネットのIP電話の機能を使っているんだ、ということです。

この話でようやくケータイとスマホの間のギャップが良く理解できました。スマホはケータイの進化形ではなくPCの進化形で、ケータイと同じようなことが色々できるように工夫したものでしかないということです。で、AppleはPCの会社なので、ケータイは作れないけどi-Phoneは作れるということですね。i-Phoneもi-PadもどちらもPCだからよく似てる、ということですね。

私はケータイもほとんど通話専用で、スマホというのは電話もできる高性能ゲーム機だと思っていますから、これでなおさら安心してケータイが使える限りはスマホに移る必要はなさそうだなと考えています。

何もできなかった北朝鮮

5月 28th, 2013

ニュースというのは何か起こったことを取上げるので、起こらなかったことはなかなか報道されないですね。

これを改めて感じたのは、飯島さんが北朝鮮に行ったというニュースの時です。

日本中が(というより外国でも)大騒ぎになりましたが、その前にあれだけ大騒ぎをしてすぐにでも戦争をするようなふりをしていた北朝鮮が、あれだけアメリカ・韓国から挑発されたにもかかわらず結局何もできず、仕方なく短距離のミサイルを5、6発発射しただけで終わってしまいました。それも北東に向けてということですから、韓国や日本には向けないようにしたようです。

要するに、この「何もできなかった」というのが大きなニュースなのですが、「何も起きなかった」というのは、ニュースにしずらいんでしょうね。

飯島さんの訪朝も行ったときは大騒ぎで国賓待遇で迎え、ニュースで大騒ぎしましたが、帰りは見送りの映像はなかったような気がします。その分中国でも日本でも日本のマスコミが大騒ぎしていたようですが。

結局飯島さんを招待したのがあまりうまく行かなかったので、仕方なく金正恩は特使を中国に行かせて、今度は中国に泣きついて何とか6カ国協議の再開のために動いてもらおうとしたようですが、うまく行くでしょうか。

ここしばらくアメリカと韓国は協力して、軍事演習やら大統領の訪米などとことん北朝鮮を挑発したのに、北朝鮮は何もできず醜態を晒してしまいました。こうなったらもう誰も北朝鮮を恐がりません。それこそ水に落ちた犬は叩けとばかりに北朝鮮をトコトンいじめ抜くというのが、政治・外交の常道です。日本人はあまりこういうのは得意じゃありませんが、韓国・アメリカ・中国はこういうのが得意ですから、今後どこまで北朝鮮がいじめられるか、それに対して北朝鮮がどう対応するか、注目ですね。

読書感想文

5月 28th, 2013

私は子供の頃から本を読むのが好きでした。とはいえ、小学生の頃はお話とか物語の本ばかりですが時々病気になって学校を休むことになると、一日中好きなだけ本を読めるぞ!と嬉しかったものです。

で、一番イヤだったのが、読書感想文というやつです。

ハラハラドキドキしながらようやく読み終わり、あぁ面白かったと余韻に浸ってる時に感想文を書け・・なんて言われてもどう書いたら良いかもわからないし、もしこの感動を文章にするんだったら元の本を一語一句書き写すしかないじゃないか、と思っていたものです。

というわけで、小中高と国語の成績は5段階評価で2かせいぜい3くらいだったと思います。

中学になって小説を読むようになりましたが、それ以外の本も少しずつ読むようになりました。

最初に読んだのが中学の先生にもらった岡潔と小林秀雄の対談の新書です。岡潔というのは有名な数学者ですが、当時真宗系の新興宗教にはまっていたようで、その話が対談に出ていたのでそれをきっかけに仏教関係の本をいろいろ読むようになりました。

小林秀雄の方は当時すでに文庫で何冊もエッセイや評論が出ていたので、それを読むようになりました。その延長線上でその後同じスタイル(と私には思える)の山本七平や塩野七生など、かなり読みました。

小林秀雄というのは文芸評論家ということになっていますが、文芸評論というのはある意味読書感想文みたいなもので、それ以外でも絵を見たり音楽を聞いたり焼き物を見たりしての感想文がいろいろなエッセイになっています。要するに、このあたりで一級品の読書感想文を山程読んだということなのかも知れません。

読む方はかなり読みましたが、書くことはほとんどなかったように思います。

学校を卒業し就職し転職して、今のING生命に移ったあたりから、ようやく折に触れ文章を書くようになりました。

新設の生命保険会社でアクチュアリーという仕事をしている以上、いろんな人にいろんなことを説明しなきゃならないということで、その説明をするための文章をいろいろ書きました。これは今でも続いていて、業界紙の連載等仕事の一部にもなっています。また本を書いて出版したのも、ホームページで掲示板を作ったのも、この延長線上のことです。

で、今ブログに書いているケインズの何回目かを書こうとしていた時、はたと気が付いたのですが、これは読書感想文じゃぁないか!ということです。

もちろん国語の先生に見せたら「こんなもの感想文でも何でもない」と言われそうですが、私にとってはケインズを読んで本当に面白くて、その面白さについて書いておきたいと思って書いているわけですから、これは読書感想文以外の何物でもありません。

ということで、子供の頃あるいは大人になるまで(なっても)、どうがんばっても書けなかった読書感想文を、60歳を過ぎてようやく書けるようになったというのは、私にとっては感激でしばし感慨にふけっていました。

「60歳過ぎてようやくできるようになることを小学生にやれと言う方が間違っている」と言いたい所ですが、小学生でも立派な読書感想文を書く子供もいますから、この議論はまるで説得力がありません。

要するに、小学校で教えられることを60歳過ぎてようやくできるようになった私の学習スピードが、とてつもなく遅いというだけのことかも知れません。

でも子供の頃からずっとできなかったことが60歳過ぎてようやくできるようになる、ということは、長生きはするもんだ、ということですね。これからも何ができるようになるんだろうか、と考えると、楽しみです。

ライフネット生命・・・再び

5月 17th, 2013

ライフネット生命の社長さんが交代、ということです。
若い社長さんには頑張ってもらいたいと思います。
とはいえ、今まで社長だった出口さんが会長兼CEO、副社長だった岩瀬さんが社長兼COO、ということですからあまり大きな変化はないのかも知れません。

ところでその社長交代の発表と同時に、ライフネット生命の2013年3月期の決算も発表されています。この前ライフネット生命の株主の変更のニュースの時に、第3四半期の報告と決算の見込みについてコメントしたので、それを検証する意味でも決算を見てみました。

まず第一に、第3四半期で黒字になっていたので年度決算も黒字かと思ったのですが、最終的には赤字決算で締めくくったようです。とはいえ、経常損益で23百万円の赤字。ここから税金を差引いて当期純損失で126百万円の赤字ですから、それほど大した赤字ではありません。

この前のコメントで、この決算での113条の利益かさ上げは18億円くらいと見積もったのが、結局1,641百万円とちょっと小さくなりました。

また今後の113条の償却負担を毎年11億円程度と見積もったのが、1,060百万円ということになっています。

今回の決算報告では、この113条の仕組や今後5年間は償却負担だけが続くということがちゃんと説明してあります。そこまで見ればちゃんと分かってもらえるかもしれません。

ところで考えてみれば今期黒字になったりすると来期からまた当分赤字決算が続くので、赤字決算に逆戻りというよりは、ちょっとだけ赤字にしておいた方が好ましいということだったのかも知れませんね。

今まであまりなかった保険金の支払額が急増しているのは今後とも要注意だなと思いながら、いろいろ見ていたらビックリするような記載をみつけました。

責任準備金の計算について「保険数理上、より合理的かつ精緻に見積もることができる」ということで、計算方式を変更したということです。その見積変更による影響額が501百万円ということですから、もしこの変更がなかったら、赤字は5億円多かったということになります。良く確認したら、この変更は第3四半期の時から変更されていたようです。

この変更による影響は一度きりのものですから来期からはこのかさ上げ効果はなくなり、113条の償却負担だけが残ることになります。

今期と比較すると、113条で16億円のプラスだったのが11億円のマイナスになり、計27億円、さらに責準の5億円で、計32億円のマイナス効果がある、ということになりますから、表面的には大幅な赤字決算ということになりますね。この大幅赤字の説明をするのが新しい社長さんの仕事、ということになるのでしょうか。

でもこの113条の影響と責任準備金の変更の影響を除いてみると、経常損益で前期(2012年3月期)2,184百万円の赤字が、今期(2013年3月期)で2,165百万円の赤字となっています。ようやく赤字が底を打ったのかなということです。

事業費も前期3,984百万円が今期4,976百万円と相変わらず順調に増えていますが、今期ようやく収入保険料が事業費を上回るようになりました。入ってくるお金で出て行くお金を賄えるようになった、ということです。

日本でゼロスタートの生命保険会社では開業5年で赤字が底を打ったというのは、なかなかの好成績です。こうなるとあと2-3年で単年度黒字になることが期待できます。ただし113条の償却負担があと5年間あるので、実際の決算上の黒字はもう少し先になるのかも知れません。

また今の所まだ責任準備金の積み方は5年チルメル式ですがこれをいずれは純保式(平準純保険料式)にすることになるので、その移行のタイミングによっては単年度黒字の時期はさらに先送りされるかも知れません。

責任準備金の計算方法の変更による5億円の利益かさ上げですが、今期末の責任準備金が3,278百万円。うち危険準備金が997百万円ですから、残りが2,281百万円です。計算方式の変更がなかったとしたら、これが501百万円多かったということですから、2,782百万円になるはずだったものを、計算方式の変更で2,281百万円にした(2割ほど減らした)ということになります。

こうしてみるとかなり大幅な変更です。一体どうしてこうなったんだろう、とちょっと不思議ですね。

ケインズ・・・15回目

5月 17th, 2013

さて一般理論もいよいよ「総まとめ」です。
社会全体の経済体制を分析するのに、与えられた条件として
  利用可能な労働の質と量
  利用可能な資本設備の質と量
  技術
  競争の状態
  消費者の嗜好と習慣
  労働環境や所得分配を含む様々な社会構造
を考えます。これはこれらが一定で変わらないということではなく、分析にはこれらの変化を考えない、あるいはこれらが大きく変化しない範囲の期間について考えるということです。

次に独立変数として
  消費性向
  資本の限界効率(投資の予想利回り)
  利子率
の三つを取ります。
独立変数というのは、これらの独立変数が変化することにより、その結果として次の従属変数が変化すると考えるということです。

その従属変数としては
  雇用量
  実質ベースの国民所得
の二つとなります。

すなわち消費性向・投資の予想利回り・利子率がどう変わると、その結果として雇用や国民所得がどう変るか、あるいは雇用や国民所得を増やすには消費性向・投資の予想利回り・利子率をどう変化させればよいかということになります。

この三つの独立変数ですが、
『消費性向』というのは、消費者が所得のうちどれだけを消費しようかという気持のことで、
『投資の予想利回り』というのは、企業家がこの投資をすればどれ位儲かりそうかという気持であり、
『利子率』というのは、持ってるお金をどれだけ手元に置いておきたいか、という流動性選好の結果として決まるものです。

要は三つとも気持の問題、心理的な要因です。

これらの心理的な要因により、消費者がもっと消費をしようとする・企業家がもっと投資をすれば儲かるぞと思う・お金持が現金で持っていてもしようがないから貸付に回そうと考える、そうすると投資が増えて所得が増えて消費が増え、雇用が増える。
これが『一般理論』の要約です(と、ケインズが言っています)。

で、このようにして独立変数を変化させれば、これに従って従属変数も変化して均衡状態に向かうのですが、これが「大した前触れもなく変化しがちであり、しかも相当の変化を被ることも一再ではない」などとケインズは平然と言い放ちます。

『我々の住んでいる経済体系の際立った特徴は、産出量や雇用は激しい変動を被るにも係らず、体系そのものはそれほど不安定ではない』『変動は調子よく始まって、たいした極端に至らないうちに萎えしぼんでしまう。絶望するほどではないが、満足のいくようなものでもない。その中間的状態こそが我々の正常な運命なのである。変動は極端に至る前に減衰し、やがて向きを反転させがちである。』と言ったあとさらに『こうした経験的事実は論理的必然性をもって起こるものではない』などと平然と言い放ちます。
こんなことを言われちゃうとうれしくなっちゃいますね。やはりケインズという人はそんじょそこらの学者の先生方とはわけが違うようです。

これで一般理論の要約は終わってしまうのですが、これは私の読んでいる間宮さんの訳では上下2冊のうち、上の方の最後です。下の方はまだ丸々残っています。章でいえば全部で24章まであるのに、18章まで行った所。まだ6章残っています。本文のページ数でいえば、まだ2/3の所です。この残りの1/3はある意味『応用編』みたいなもので、出来上がった一般理論の立場から改めてもう一度古典派の理論を攻撃したり、古典派のために完全に否定されてしまった古典派の前の経済学の重商主義を再評価して、『古典派によって否定されるようなものでない』と言ったりします。

ということで、『一般理論』はまだあと1/3続くので、この稿ももう少し続きます。

宜しかったらお付き合い下さい。

ケインズ・・・14回目

5月 17th, 2013

いよいよケインズは一般理論の結論を出しますが、その前に貨幣理論の章があります。

ケインズは「一般理論」のすぐ前(5年前)に「貨幣論」という本を書いており、「一般理論」の中でも「貨幣論」にはこう書いたけれど・・・とか、「貨幣論」にこう書いたように・・・という具合にしょっちゅう引き合いに出しています。私が本気の学者とか研究者だったら、さっそく「貨幣論」も読まなきゃと思うところですが、とりあえず野次馬の気軽さで、「一般理論」の中でケインズ自身が否定している「貨幣論」を読むこともないだろうと考えています。

で、「一般理論」の中の貨幣論ですが、何とも素晴らしいものです。かなり以前から「貨幣とは何か」というのは私の大きなテーマの一つで、何冊かそのような本を読んだんですが、これまで今イチこれだ!というものには巡り合っていませんでした。

で、ケインズの貨幣論ですが、まずは「利子」から始まります。利子というのは一時的にお金を一定期間手離しておいて、その一定期間経過後にまた受取るものが、元々手離したものより増えた分です。このように考えると、別にお金に限定しなくてもたとえばお米でも牛でも同じように考えることができます。

お金の機能というのは、【財産の価値をその資産の形で保有する】ということと、【必要に応じて他の資産と交換する】ということで、その意味では貨幣でなくて他の資産でも多かれ少なかれそのような機能を果たすことはできるのですが、その中で貨幣が中心的にその役割を果たす理由は何か、ということになります。

ケインズは様々な資産について、収益力(それを持っているとそれだけで財産が増えること)・持越費用(それを持っていると時間が経過するだけで価値が下がったり、維持するためにお金がかかること)・流動性プレミアム(いつでもすぐに他の資産と交換できるメリットのことで、そのための対価として払っても良いと思われる額)の三つの特性を取り出し、これで各資産を特徴付けます。

この中で貨幣というのは、収益力はゼロ(持っているだけじゃちっとも増えない)・持越費用もゼロ(もっているだけなら費用はかからない)・流動性プレミアムは他の資産と比べて極端に高い(自由にいつでもどの資産とも交換できる)ということで特徴付けられます。他の資産では一般に収益力はあるかも知れないし、ないかも知れない。持越費用は多かれ少なかれ、ある。流動性プレミアムは小さいか、ない・・・ということになります。

このように整理した上で貨幣の性質として
その量を増やすことも減らすことも簡単にはできず、量が増えたからといって価値が下がるわけでもない、ということを説明します。普通の資産は値段が高くなればそれをたくさん作る人が現れ、その資産が増えれば安くなり、逆に値段が安くなって誰も作らなくなると放っておいてもだんだん減ってしまって、減って少なくなれば今度は値段が高くなるということになるのですが、貨幣はこれとはまるで違います。

この特徴から(ケインズが言っているわけではないのですが)、インフレを抑えたりデフレから回復したりというのはそう簡単にできる話じゃないというのが良くわかります(インフレというのはお金の価値が安くなることで、デフレというのはお金の価値が高くなることです。お金の量を増やしたり減らしたりすることが簡単にできて、その結果としてお金の価値を上げたり下げたりが簡単にできるなら、インフレもデフレも簡単に対処することができます)。

このことをこんなに明快に説明してくれる貨幣論は初めてです。この部分はさらに熟読玩味する必要がありそうで楽しみです。

ケインズ・・・13回目

5月 9th, 2013

さて、前回「流動性選好」ということが出てきましたが、要するに投資に回すことができるお金があるとして、投資に回すことができるお金が全部投資に回るわけではなく、その一部は投資に回さないでいつでも使える現金で持っていようというのが流動性選好で、このためお金があれば投資が増えるということには必ずしもならないよということです。そして投資に回るお金がたくさんあればそれだけ金利が低くなって、その分その金利を上回る期待利回りの投資が多くなって投資が増えるということです。

お金の量を自由に増やすことができるんなら、現金で持っていようという額を上回ってどんどんお金を増やしていけば、投資に回るお金が増えるんじゃないかと単純に考えてしまいそうですが、ケインズはそう甘くはありません。お金を増やせば増やすほど、現金を持っていようという額も同じだけ増えて、投資の方にはちっとも回らないかも知れないよ、ということを、すでにこの一般理論で言っています。

特に金利がある程度以下に下がってしまうと、そのお金を投資のために貸し付けたとしても大して儲かりません。かえって貸し付けたお金が返ってこなかったり、債券の値段が下がって損してしまったりするリスクが高くなります。そうするとちっぽけな利息を稼ぐより余計なことをしないで現金で持っていた方が良いかな、ということになるかも知れません。こうなると
 【流動性選好が事実上無制限になる可能性がある。
 このような事態に陥ると通貨当局は利子率を有効に制御する手立てを失ったも同然である】
と、日本の姿を見てきたかのようなことを書いています。

ケインズはこのようになってしまう金利の下限を2%から2.5%くらいと書いていますから、今の日本(EUも日本にならってそうなりそうですが)の0%とか0.5%とかの金利を見たらビックリするんでしょうか。IMFもこれからEUのゼロ金利を実際に経験すれば、今まで自分達がいかに多くの間違いをしてきたかようやく反省するんでしょうか、それともしないんでしょうか。

【もっともこの極限的な場合は、将来ならいざ知らず―将来には現実にも重要になるかも知れない―これまでのところはそのような例を聞いたことがない】と言うんですから、日本の経験は本当に未知の領域のことで、ケインズは経験もしないでよくこんなことが考えられたなと思ってしまいます。

【実際、たいていの通貨当局は長期債権の売買になかなか踏みきれないから、この極限の場合を実地に検証する機会はあまりなかった】ということで、日銀の黒田さんの『中長期の国債を買ってマネーを増やすんだ』という異次元の対応がいかに前例のない異常な手段かが良くわかります。

で、ケインズは今の日本のような事態は見ていないのですが、その代り同じように異常な事態を目のあたりにしていると書いてあります。
 【第一次大戦後、ロシアと中央ヨーロッパでは通貨危機すなわち通貨からの逃避が起こり、人々は貨幣や債権を金輪際持とうとしなくなった】というのと、【一方合衆国では1932年のある時期、これとは逆の種類の危機―金融危機すなわち清算の危機が起こり、いくら好条件が提示されても保有している現金を手離そうとする者はほとんどいないという有様であった。】

このように異常な事態を目のあたりにして考えているんですから、ケインズはヘリコプターマネーのような単純な思いつきに飛びつくようなことにはなりません。またせっかく目のあたりにした異常な事態をじっくり検証すればもっといろんなことがわかるんだろうにと思ってしまいますが、多分そう簡単にはいかないということなんでしょうね。

いずれにしてもこの流動性選好で、経済分析のための新たな要素として貨幣というものが登場し、貨幣の量はある程度増やしたり減らしたりコントロールできるものとして、それが金利をどのように変化させることができるのかできないのか、その結果として投資をどうやって増やすことができるのか。投資が増えれば雇用が増え所得が増えて、最終的に消費も増える。『消費を増やす』という最終の目標に向かっての検討が始まります。「一般理論」の正式名称「雇用・利子および貨幣の一般理論」に登場する役者がようやく揃った、ということになります。ここから改めて「貨幣とは何か」「雇用を変化させる要因は何か」という検討が始まります。

北朝鮮とシリア

5月 7th, 2013

北朝鮮、いよいよ動きが取れなくなってしまったようですね。

ケソンの工業団地から韓国人が引上げてしまってこれで外貨収入が得られなくなってしまい、アメリカ人を捕まえて懲役刑にしても助けに来るアメリカの政治家も現れないし、戦争をするぞ!と脅していたのに、韓国の大統領は平気な顔で外遊で出かけて国を空けてしまうんですから、何とも格好がつかないですね。仕方がないのでサッカーの試合を見物しているようですが、国内に説明がつかないですね。

シリアの方は政府軍・反政府軍ともサリンを使っているなどという噂が出てきて、いよいよ早くケリをつけなければという中、イスラエルがシリアを爆撃するという形でいきなり参入してきました。これで一気に決着がつくんでしょうか。

アメリカやヨーロッパが身動き取れないので、代打で登場したということでしょうか。

いずれにしても早くけりがつくと良いですね。