芦部さんの憲法 その2

8月 16th, 2013

憲法の本を読むようになってしまったキッカケはこの前の参議院の選挙だったのですが、あの時9党の党首の討論会などでも憲法改正が大きなテーマの一つでした。

その憲法改正について、9条の戦争放棄を国防軍に変えるというのが議論になる、というのは良くわかるのですが、野党の福島さんや谷岡さんが96条の憲法改正手続きや97条の基本的人権の所の改正について大騒ぎをしていたのはこの本を読むまでわけがわかりませんでした。この本を読んでようやく何が問題にされていたのかが良くわかりました。

96条の憲法改正の手続きですが、現行の憲法は衆参両院のそれぞれで2/3以上の賛成で発議され国民投票の過半数で改正されるとなっているものを、自民党案は衆参両院の2/3を過半数に変更しようとしています。当時私は憲法は国民のものだから国民の意思を反映しやすくするために自民党の方が良いに決まっていると思っていたのですが、前回お話した立憲主義の立場からするとまるで違ってきます。

憲法の特徴づけの言葉に「硬性憲法」と「軟性憲法」という言葉があります。硬性は(rigid)の訳、軟性は(flexible)の訳のようで、要するに変更しやすい憲法と変更しにくい憲法ということです。で、立憲主義の立場からすると、憲法は変更しにくければしにくい程良い憲法だ、という評価があります。

芦部さんの本には
『憲法が最高法規であることは、憲法の改正に法律の改正の場合よりも困難な手続きが要求されている硬性憲法であれば、論理上当然である。』という文章があります。すなわち、憲法が変更しにくい、ということから、憲法が他の法律の上位に位置することが論理的に当然になるということです。私の論理的という言葉使いからすると、こんなものどう頑張ってみても論理的に当然にはならないんですが、多分法律家には何か特別な考え方があるんでしょうね。

で、そのようなわけでせっかく今の憲法が2/3以上の賛成がないと改正できないようになっているのを1/2以上に引下げて改正しやすくする、などというのは憲法の格を下げることになるので、これは絶対に阻止しなければならないということになるわけです。

私が考えていた「国民投票がしやすくなる方が良いじゃないか」という議論も、前回書いたように多数決の民主主義に対立するのが立憲主義だ、と言われてしまえばまるっきり逆の話になってしまいます。

これで96条改正に猛反対してた訳がわかりました。

もう一つ97条の基本的人権の条が自民党の改正案では削除されていることに対する猛反対ですが、これも何が問題だったか、良くわかりました。もともと今の憲法にも11条から40条まで基本的人権についてはしっかりと書いてあり、その上で最後の97条にダメ押しのような形でもう一度基本的人権が大切だということが書いてあります。一説によるとこの97条は入れる場所が間違っていたのであって、本当は11条の前に持ってこなきゃいけなかったのを、たまたま間違って97条のところに入れてしまったということのようです。

でもむしろ主流の考え方はこの97条の前後には96条に憲法改正の手続きが書いてあり、98条には憲法が最高の法規であってこれに反する法律は無効だ、ということが書いてあり、これらをセットして読むことにより97条は基本的人権については変更してはいけないという意味でここに書いてあるんだということのようです。

外国の憲法には、「○条の規定は大切なので変更してはいけない」なんて条文があるものがあるようですが、日本国憲法ではそのような条文はありません。そのため形式的にはどの条文も改正してよいような形なのですが、立憲主義の立場からするとそんなわけには行かなくて、変えてはいけないと書いてないとしても変えてはいけない条文がたくさんあるようです。

で、そのような日本国憲法でも、念押しのために実質的に変えてはいけないと書いてあるつもりの97条の規定を自民党案ではアッサリ削除してしまったんですから、これは見過ごすことはできません。変えてはいけない規定を変えてはいけないと書いてあるつもりの規定を削除したということは、変えてはいけない規定を変えようとしているんだろう。さらに言えば、変えてはいけない規定を削除しようとしているかもしれない、ということで、猛烈に反対したんだなということがようやくわかりました。

これらの議論はこれから憲法改正の議論が本格化する中でまた取上げられることになるはずですから、その際の議論をきちんと理解するためにもこの本を読んで良かったなと思います。

福島さんは東大法学部出の弁護士さんですから、立憲主義のことはよくわかっているはずです。谷岡さんの方はどこまでわかっているのか良くわかりません。

でも改憲反対派の人達も、もう少しこの反対の理由をきちんと説明してくれればわかりやすいのですが、理由をはっきり言わないで反対となると、運よくこの本を読むことができて、その理由がわかったのはラッキーでした。

芦部さんの憲法 その1

8月 15th, 2013

この前の前の『無条件降伏』という記事で書いたように、ひょんなことから憲法の教科書を読むことになってしまいました。

で、何とか400ページ位の本を読み終わったので、せっかくですからこれからしばらくその本についてコメントしたいと思います。

ケインズほどは長くはならないと思いますが、やはり2-3回では書き切れないほどコメントしなければならないいろんなことがあります。

自民党が衆院選・参院選とも勝って、憲法改正の話が当然のように出てきますが、この憲法改正に正面から反対するのは法律家の人達です。ですから法律家の人達がどのように考え、どのような言葉を使うか(あるいは一般的にも良く使われる言葉をどのような特別な意味に使うか)知っておかないと、議論がまるで噛み合わないということになってしまいます。そのためにもここでコメントしておくと役に立つのではないかと思います。

この本を読んで、読む前に漠然と思っていた憲法と、法律の専門家が考える憲法とは、まるで違ったものだということがわかりました。最初はわけがわからなくてちょっと大変だったのですが、慣れてくると面白い発見がたくさんあって楽しく読めました。

で、私が読んだのは芦部信喜という大先生の書いた「憲法―第5版」(岩波書店)という本なのですが、これが司法試験その他の標準的な教科書になっていて、専門家の間でも標準的な憲法論あるいは憲法学の本だということになっているようなので、私としては学者になるつもりも法律家になるつもりもないので憲法についてはとりあえずこの本だけで良いかなと思い、特に必要のない限り他の憲法に関する教科書や専門書を読まなくても良いかなと思っています。

そのため私のコメントもタイトルとして、「芦部さんの憲法」ということにします。

まずこの本を読むにあたり最初に思ったのは、法律家の専門家は法律の勉強を一生懸命にする分、日本語の勉強はあまりしないんだろうな、ということです。かなり不思議な日本語を平気で使うんですが、それはそんなもんだとわかってしまえばどうということはありません。言葉の意味は普通とは違うけれど文の構造は普通の日本語と同じなので、一つ一つの言葉の意味を「この言葉はどんな意味で使っているんだろう」と考えながら読んでいけば良いだけですから。

ケインズを読んだ時の、古典派の経済学者(ケインズの後の経済学者も同じようなもののようですが)が、言葉の定義をしないで議論するという厄介さは、芦部憲法ではそれほどありません。一応ある程度は言葉の意味を説明しようとはしているようですから。とはいえ、突き詰めた所では言葉の意味は不明になってしまいますが。

次にわかったのは、法律の専門家は論理的思考の訓練を受けていないようで、芦部さんの本を論理的に読もうとしてもうまくいかない、ということです。しかし困ったことに法律の専門家自身は自分達のやっているのを論理的思考だと思い、書いているのを論理的な文章だ、と思っているのでちょっと面倒です。

で、論理的な体裁の論理的でない文章をしばらく読んでいてわかったのが、これは「信仰の書」だということです。そのように考えれば全てが納得できます。信仰の書だからこそ、そこから「・・・すべきだ」とか「・・・でなければならない」という行動規範のようなものが出てくる、というわけです。

ここまでわかればその前提で読んでいけば良いので、かなりスムースに読むことができます。もちろん私はその信仰を受け入れているわけではないので所々これはおかしいなと思う所は出てくるのですが、そのおかしな所もその信仰を前提とすればこういう結論になるのは理解できる、ということになります。

で、この憲法の本で最初に出てくる重要な言葉が「立憲主義」という言葉です。

私などは「立憲君主制」なんて言葉からの連想で、この「立憲主義」というのは、国の基本的なありようとかルールとかを憲法という形で明確にし、それにもとづいて法律を作ったり国の組織を作ったり国政を運営していく、という考え方のことだと思ったのですが、これが全く違いました。

芦部憲法によると「立憲主義」というのは次のような意味です。すなわち憲法というのは基本的人権をもとに作られたもので大事なものだから簡単に変更できるようなものであってはならない。特に基本的人権に関する部分は絶対に変えてはならない。そのためには多数決原理に基く民主主義であっても否定しなければならない。これが「立憲主義」という考え方だ、ということです。そして「立憲主義」に基かない憲法は、たとえ憲法という名前がついていてもそれは憲法ではない、ということです。

「立憲主義」という言葉でこんな意味を表すなんてことは想像もできないことなのでビックリしますが、憲法の世界ではこれが当然のことで、法律家の世界は憲法がその大元となっているので、法律家もみんなこのような考え方を受け入れているということになります。

憲法の中に民主主義を否定する考え方が正々堂々と登場するというのはびっくりしました。

以下、しばらく連載が続きます。

時事雑感

8月 8th, 2013

ユーロ危機は今は夏休み中でしょうか。夏休みが終わったら一気にどっと来そうな気がします。そうなると中国にも韓国にもかなりのダメージになりそうですね。EUと中国・韓国がどこまで大変になるか、ちょっと心配ですね。

国内では参院選が終わり臨時国会も終わって、いよいよ自民党が本格的に動き出したようですね。

野党の方は壊滅への道を着実に進んでいるようですから、自民党の方はもはや野党に邪魔されることなく好きなように政治を進めることができます。

福島の原発の事故対応も東電任せにするのではなし、いよいよ国が前面に出てきて直接工事をするようになるようですから、ようやくお金が動き出すんでしょう。

電気料金も原発の廃炉費用をあらかじめ減価償却して料金に上乗せできるようになったので、さらに値上げが確定です。電気料金の値上げは全ての産業の値上げにつながります。

ガソリンやら食料品やら次第に値上げが進行中、ファーストフードも値上げが進行中のようです。

これでもう消費税引き上げもあり、インフレはほぼ確実になりそうです。

社会保障の方も、民主党が自分から三党会議から身を引くと言い出したので、余計なことを考える必要がなくなり、与党が自由にやることができます。

衆参のねじれもなくなって、国会では何でもすんなりと可決することができますから、必要な法案はどんどん成立するんでしょうね。

野党が多少いちゃもんをつけても鎧袖一触で簡単に振り払われてしまうのは、国会最後の三委員長解任騒ぎや麻生さん発言問題でも明らかですね。

憲法改正の準備も着々と進んでいるようです。

これからの数年、自民党の舵取りは注目ですね。

無条件降伏

8月 5th, 2013

はじまりは、昔からの知り合いの弁護士さん(弁護士になったのはそんなに昔の話じゃないんですが)と参院選の9党党首の討論会での改憲問題に関する議論について、電話で話したことでした。

話の中で「伊藤さん」という名前が出てきて、これが伊藤真さんという、司法試験受験のカリスマ講師だということは知っていたのですが、それと同時にかなり以前から憲法問題で発言していた人(自民党の改憲案に反対している人)のようです。で、早速読みやすそうな
 「中高生のための憲法教室」(岩波ジュニア新書)
 「憲法が教えてくれたこと-その女子高生の日々が輝きだした理由」(幻冬舎ルネッサンス)
の2冊を図書館で借りて読んでみました。

この「女子高生の・・・」というのは感動的なお話ではありますが、その中の憲法に関するコメントというか、解説の部分はどうもなぁという感じでした。

そのことを先の弁護士さんに話した所、そんな伊藤さんの本なんぞを読まないで芦部先生とか樋口先生とか、ちゃんとした本を読むように、と言われてしまいました。この先生方の本は私の読んだ伊藤さんの軽い読み物とは違って格調高い憲法の教科書のようなので、何となく気が進まないなあと思っていたら、この弁護士さん、芦部先生の本『憲法-第五版(岩波書店)』をわざわざ買ってきてくれて、読むように、と言われてしまいました。

で、読んでみると、これが確かに格調高い教科書ではあるものの、なかなか読みやすく非常に面白いということがわかりました。

「読みやすい」というのは、この本がもともと芦部先生が放送大学で憲法の講義をした時のテキストが土台となっているからかも知れません。「面白い」というのは、この場合「ツッコミどころ満載」というくらいの意味です。

とはいえこの本は司法試験や公務員試験などの憲法の標準的な教科書のようで、ということは弁護士さんや裁判官などはほとんどがこの本で勉強して、この本の理論を自分のものとして司法試験に合格しているようですから、下手にツッコムとそういった弁護士さんや裁判官の殆どを向こうに回すことにもなり兼ねないので、ちょっと厄介だなと思っています。

いずれにしてもこの芦部さんの本を読み終わったら改めてまたコメントしようと思いますが、今回のコメントはこれとは別の話です。

この芦部さんの本を読んでいて、日本国憲法ができた時の話を読んでいたら、ポツダム宣言の話が出てきました。

「ポツダム宣言」というのは何となく知っているような気がしますが、そういえばまだきちんと読んだことはなかったなと思い、この機会にちゃんと読んでみようと思いました。たまたま週末で図書館に行ったので、このポツダム宣言の載っている本を探してみました。

最初法律の棚の憲法のあたりを見ていて見つけたのが、「日本国憲法資料」という三省堂から出ている本です。これが何とも内容豊富で、A5版の本を縦書き3段組にして小さな字でびっしり書いてあるので、読むのも大変です。残念ながらポツダム宣言自体は入っていないで、それを【条件付で受入れる】という日本からの申入れに対して、【そんな条件を付けないで受入れよ】という連合国側からの回答だけが載っていました。

この文書自体、「subject to」という言葉の訳を巡って軍部と外務省が大喧嘩をした(外務省はこれを「制限の下に置かれる」と訳し、軍はこれを「隷属する」と訳したようです。普通に訳すなら、「従う」というくらいの訳になりますから、どちらもかなり政治的な訳になっています。)興味深いものなのですが、欲しいのはポツダム宣言そのものですから、とりあえずこの本も借りることにして、次に日本史の棚の戦中から戦後にかけてのあたりを見に行きました。ここで見つけたのが「終戦の詔書」という文芸春秋からでている本です。確かに薄い本ですが、いくらなんでも「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」だけで本1冊にはならないだろうと思って中を見てみると
 「終戦の詔書」(「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」が入っているもの)の他に
 「開戦の詔書」(米英に対して宣戦布告した時の詔書)
 「年頭の詔書」(昭和21年元旦の年頭のお言葉で、いわゆる天皇の人間宣言と言われているもの)
 「ポツダム宣言」英文と日本語訳
の4つが入っていました。

さすがに3つの詔書は普段使われてない漢文の熟語がありますのでその熟語の意味を簡単に脚注に付けていますが、それ以外は余計なコメントも解説もありません。ただし漢字とカタカナ書きで、漢字は全てふりがな付きです。

で、どの文書も短いものだしせっかくだから全部読みました。そして最後にポツダム宣言ですが、全13項の最後の第13項の所で大変な発見をしてしまいました。といっても誰も知らない何か新しいことを発見したというのではなく、私がいままで間違って理解していたことを発見した、ということですが。

このポツダム宣言の第13項は日本軍の無条件降伏を求めているのですが、ということは、日本国の無条件降伏を求めているものではない、ということになります。ポツダム宣言を受け入れて日本が降伏したのは無条件降伏した、ということではなく、単に日本軍を無条件降伏させる、という条件を受け入れて降伏した、ということです。実際このポツダム宣言自体、日本が降伏する場合の条件を列挙してあるものですから、当然無条件ではありません。

にもかかわらず今まで私が、太平洋戦争に負けて日本は無条件降伏した、と思っていたのは一体何だったんでしょうか。

多分私はこの太平洋戦争終結のあたりを書いた本は何十冊も読んでいますから、無条件降伏についても百回以上は読んでいるはずです。にもかかわらず『日本軍の』無条件降伏と思わず、『日本の』無条件降伏と思っていたのは何故なんでしょうか。

実際は『日本軍の無条件降伏』と書いてある所を無意識的に『日本の無条件降伏』と間違って読んでいた、ということでしょうか。それとも私の読んだ本に『日本が無条件降伏した』と書いてあったのでしょうか。

これがわかったとして、もちろんそれによって歴史的事実が変るわけではありませんが、その事実に対する私の理解が違ってきます。日本にいろいろな指示をした進駐軍の将校は日本が無条件降伏したと思っていたのか、その指示を受けた日本の政治家や役人は日本が無条件降伏したと思っていたのか、それを報道したマスコミ・それを読んだ国民は日本が無条件降伏したと思っていたのか、それとも単に日本軍が無条件降伏したのであって日本は無条件降伏していない、と思っていたのか。

この、日本が無条件降伏したのかしていないのか、というのはもちろん既にいろいろ議論されていることのようですが、私は今まで知りませんでした。もしかすると同じように知らない人がいるかもしれません。で、自分の無知をさらけ出すようですが、コメントしてみました。

ちょっと時間はかかりそうですが、改めてこの視点から以前読んだ本を読み直す必要がありそうです。
また、本を読む楽しみが増えてしまいました。

参院選その後

7月 30th, 2013

参院選が終わって一週間経ちました。負けた野党は大騒ぎですね。

党首の変えようのない小沢さんの生活を除き、議席を失ったみどりの谷岡さん、一議席しか取れなかった社民の福島さんがやめることになり、民主・維新・みんなはとりあえず党首はそのままなだけで分裂気味の大騒ぎです。

次の国政選挙は3年後なんだからここはじっくり3年かけて体制立て直しということで、今までの反省も含めてゆっくり夏休みでも取れば良いのに、と思うのですが、負けた野党としてはいてもたってもいられないというか、じっとしていられないようで、急いで体制を立て直すために、頭を変えるとか他党と一緒になるとか、ワイワイうろうろしていないと落ち着かないんでしょうね。

こんなことをやっていると、3年後にも野党は勝てそうもありませんから、さらにもう3年後ということになると、その間安倍さんもかなり色々できそうですね。

維新の橋下さんも今まで頑張って、ちょっと飽きちゃったんでしょうか。党運営から離れると言っているようです。勿論石原さんは離しちゃくれないでしょうから、いろいろゴタゴタしそうですね。

まぁ話題を提供してくれる分にはマスコミも大歓迎だし、多少の暑気払いにもなりますから、良しとしましょうか。

ハンザ「同盟」の歴史

7月 26th, 2013

図書館の、新しく入った本のコーナーで、『ハンザ「同盟」の歴史』という本を見つけ、借りてしまいました。
ハンザ同盟というのは歴史の教科書のヨーロッパのところには必ず登場する名前ですが、なんとなくよくわからない存在です。
ヨーロッパの歴史を知ろうとしていろいろ本を読んだのですが、結局『ヨーロッパの歴史』のような本は役に立たないということがわかり、『イギリス(を中心とするヨーロッパ)の歴史』『フランス(を中心とするヨーロッパ)の歴史』『ドイツ(を中心とするヨーロッパ)の歴史』など、それぞれを読まないとそれぞれも全体もよくわからない、ということが分かって、このようなものをいろいろ読んでいるのですが、たとえばドイツであれば、どちらかと言えばフランスとの関係、イタリアとの関係、スペインとの関係、皇帝と諸侯の関係、等が中心となり、ハンザが活躍した北ヨーロッパのところはあまり書かれていません。

この本はその穴を埋めるような本で、非常に面白い本でした。

まず、本のタイトルが『ハンザ同盟』ではなく『ハンザ「同盟」』となっているところから話は始まるのですが、これが何ともおかしな話です。
ハンザ、というのはもともと組合とか同盟とかギルドとかを意味する一般名詞だったのが、ハンザ「同盟」ができて存在感が増すにつれて固有名詞になって、「ハンザ」という言葉になったもののようです。
ですから『ハンザ「同盟」』というのは同語反復ですからおかしなものですし、もともと『ハンザ「同盟」』などという言葉はなく、単に『ハンザ』という言葉しかないのにそれを『ハンザ「同盟」』と意訳したもののようです。
さらに、この『ハンザ』は実は同盟でも何でもない、ということで、その証拠にハンザの加盟都市間で加盟のための契約なり条約なりもなく、あるのは単に随時開かれる『ハンザ総会』という会議だけで、その会議に出席する都市も毎回ばらばらだ、ということのようです。
『ハンザ総会』に招待される都市が『ハンザ』のメンバーになるんだけれど、必ずしも招待された都市のすべてが出席する、ということでもないようです。
で、同盟でも何でもない得体のしれないこの存在は単に『ハンザ』と呼ぶしかない、というところからこの本は始まっています。

このようなわけのわからない話が出てくるので、本を読むのはやめられないですね。

で、この『ハンザ』ですが、おもに北ドイツのいくつもの商業都市が集まって、自分達を『ハンザ都市』だと称し、協力して主にバルト海交易で有利に商売する、というもののようです。もともとはその都市の商人が集まってハンザを形成していたのをその後その商人が主導権を持っている都市自体が『ハンザ』を形成する、ということになったようです。

私にとって、バルト海、という言葉は、日露戦争の日本海海戦で東郷平八郎がやっつけたバルチック艦隊くらいしか連想するものがなかったのですが、これが実はかなり大きな地中海で、その周りをドイツ、ポーランド、ロシア、スエーデン、デンマークなどが囲んでおり、それらの国及びそこからハンザの中心となるリューベック、ハンブルグという都市を経由してオランダ、ベルギー、イギリスとも活発に貿易取引をしていた、そんな海だ、ということです。

普通の地中海貿易が香料とか香辛料とか、その他小さくて値段の張るぜいたく品を中心にしていたのに対し、この北の地中海であるバルト海貿易では材木(木材)や穀物等、かさばる日用品を中心とした貿易だった、ということとか、ハンザは政治や軍事に基本的に興味を持たず、商業にしか興味がなかったとか、ハンザの初期のころのイギリスは海運力が全くなく、対外的な交易は専らイタリアの商人とハンザの商人が行なっていた、とか、ハンザ都市ではビール作りが大きな産業で、ビールがかなり重要な交易品だった、とか、ハンザの都市のそれぞれがどのように似ていてどのように違っていたのか、とか、宗教改革がどのような影響を与えたのか、とか、ドイツその他の国が国としてまとまっていく過程でハンザがどのように影響力を失い消えていったかとか、盛りだくさんの話題があり、なかなか面白い本です。

神聖ローマ帝国とそれを構成するいろんな諸侯国、周辺の国々、司教座都市にいる司教勢力、ドイツ騎士団、貿易の競争相手であるオランダやイギリスの商人たち等、様々な登場人物が入り乱れて縦横に活躍する姿は、今まで読んだヨーロッパの中世史には入っていなかったもので、存分に楽しむことができました。

もしこんなことに興味があったら読んでみてください。

ハンザ「同盟」の歴史
中世ヨーロッパの都市と商業
創元世界史ライブラリー
高橋 理/著
創元社

参院選

7月 22nd, 2013

参院選、終わりましたね。
例によって、8時の開票開始と同時に大勢が判明してしまい、当選確実が続々と出てくるとなると、ドキドキもワクワクもないですね。

で、案の定、自民・公明・共産の勝ちでしたが、野党の負け方がちょっと中途半端ですね。

民主党は惨敗にもかかわらず、ここまで負けると代表を交代させるにも候補も見当たらないようで、このまま海江田さんが代表を続けることになりそうです。

とはいえ、みんなや維新もひどい状況で、どちらと比べても民主党は2倍近い議席を取ってます。みんなも維新もえばれたものじゃありません。さらに、野党がこんな状況になった原因の一つ、大きな要因が橋下さんの逆噴射だということになると、皆で一緒になろうという話もなかなか進みそうもありません。

みどりと生活は一議席も取れず、社民も一議席だけということで、いずれにしても政党の数は減るんでしょうが、どんな具合に減るんでしょうね。

とりあえずは、現実になった負けを野党各党がそれぞれ自ら消化して、気を取り直してからの話になるので、ちょっと時間がかかるでしょうね。

当面はアベノミックスと消費税引上げの決定が注目でしょうか。

東京では山本太郎さんなどが当選したりして当分様々な話題をふりまいてくれそうで、マスコミは嬉しいでしょうね。でも6年間もつでしょうか。

お陰で東京では5議席もあるのに、民主もみんなも維新も議席が取れませんでした。

元都知事の石原さんは、東京で議席が取れなかったことについて責任は感じてないようですね。

これだけの負けなのに、議席を失ってしまったみどりの谷岡さんを除いて、誰も責任を取って党首をやめるという人がいないのも面白いですね。

ケインズ・・・19回目(最終回)

7月 17th, 2013

さて、前回まででケインズ一般理論の本文は終わりです。でも私が読んだ岩波文庫の間宮さんの訳には、間宮さんの先生にあたる宇沢弘文さんという高名な経済学者による「解題」と、訳者自身による「『一般理論』に関する若干の覚書 - 「あとがき」に代えて』というものがあります。またついでに買って途中まで読んだ、講談社学術文庫の山形さんの訳にはさらに
 ・ 日本版への序
 ・ ドイツ語版への序
 ・ フランス語版への序
というケインズ自身の書いたものと、特別付録として
 ・ ヒックスの書いた「ケインズ氏と古典派たち : 解釈の一示唆」
というものと、
 ・ クルーグマンの書いた「イントロダクション」
さらに訳者自身による
 ・ 「ケインズ 一般理論 訳者解説」
が付いています。

とりあえず「一般理論」が一段落した所で、これからいろいろな解説書(日本では版権の関係で翻訳がなかなかできなかった分、多くの解説書が出ているようです)を読んで、経済学者の先生方の理解と私の理解がどれくらい違っていてどれ位同じか確かめてみようと思っているのですが、とりあえずはまず小手調べとしてこれらの付録を読みました。

ケインズ自身による序はごく簡単な概要になっていて、特にフランス語版の序はフランス人向けにモンテスキューについてかなり好意的に書いて、「一般理論に近い」というようなことを言っています。

宇沢さんというのは見るからに大学者ですが、この解題はちょっとアレッ?という所があります。この先生は別に岩波文庫で一般理論の解説をしていますので、これも読んでみようと思います。

ヒックスというのはケインズの一般理論を「IS-LM分析」という形に整理した人で、それがサムエルソンの教科書に取り入れられたりして、「一般理論=IS-LM分析」ということになっています。この山形さんの訳に付いていた論文は、このIS-LM分析を書いたものです。

山形さんの一般理論の訳は途中まで読んだのですが、あまりにも訳が乱暴なので(訳した文章が乱暴だということではなく、訳し方が乱暴だということです)、だいたい1/5位の所までしか読んでません。で、ケインズの序は特に違和感もないのですが、このヒックスの論文の訳もちょっと乱暴なので、分量もそれほど多くないので、結局全部原文の英語で読み直しました。

で、どう読んでみてもこれが一般理論とはとても思えません。せいぜい一般理論の大雑把な応用問題の一つという位のものだと思いますが、一般にはこれが一般理論そのものだと思われていて、大抵の大学の経済学の教科書には一般理論そのものでなくこのIS-LM分析が紹介されていて、次にコメントするクルーグマンの「イントロダクション」によると、
 【そのために多くの経済学者が一般理論を攻撃したけれど、その人達はヒックスの論文は読んだとしても一般理論自体は読んでないに違いない】
ということになります。

このヒックスの論文だけなら文庫版で20ページ位、式や図もちゃんと入っていて、しかも数式の扱い方もかなりいい加減ですから、経済学者の先生方にはわかりやすいかも知れません。後日これを書いたヒックス自身、「ケインズの一般理論をIS-LM分析と同じだと言ったのは間違いだった」と言うようになっているんですが、その後このIS-LM分析でヒックスがノーベル経済学賞を取った、などという皮肉な話もあります。

最後のクルーグマンのイントロダクションは理論的な話ではなく、一般理論を巡るお話といったものですから、山形さんの訳でも殆ど抵抗なく読めました。ケインズの一般理論は素晴らしいけれど、多くの経済学者は読んでいない。クルーグマン自身、学生の時に読んだきりで、次に読んだのは数十年後だった、なんてことを書いています。

一般理論の面白さがわかるのは、そんなに難しいんでしょうか。専門の経済学者は新しい本や論文を読んで自分も論文を書かなきゃならないので昔の本を読んでる暇はない、なんてことも書いてあります。「最も高い評価を与えられる経済学の業績は、アダムスミスの国富論とケインズの一般理論だけだ」と言っている所は同感です。

ケインズは一般理論の最後に「25ないし30を超えた人で新しい理論の影響を受ける人はそれ程いない」と書いています。ケインズは経済学と政治哲学についてこう言っているのですが、同様なことは相対性理論でも素粒子論でも言われたことがあります。もちろん言ったのは超一流の物理学者です。新しい考え方は、若い頃その新しい考え方に触れた人にだけ受け入れられて、その後、若い頃古い考え方に触れてしまったために新しい考え方を受け入れることができなかった古い考え方の人が死に絶えると、ようやく新しい考え方が主流になる、ということです。

私がケインズの一般理論に感激したのは、25ないし30までに経済学をちゃんと勉強しなかったからなのかなと思うと、若い頃あまり勉強しない、というのも悪いことじゃないかも知れません。

ここまででちょっと回数は切りが悪いですが、半年にわたったケインズのシリーズは終りです。
機会があったらまたしばらくして、いろんな一般理論の解説書を読んだ後にその結果を報告するかも知れません。

長々とお付き合い頂き、有難うございました。

ケインズ・・・18回目

7月 16th, 2013

さて、一般理論もあと2章残すだけです。

最後の前の章は今までの古典派批判の締めくくりとして、古典派に否定されてしまった重商主義についてこれを復活させ、またゲゼルという一風変った人の経済学の紹介、「蜂の寓話」の話、反古典派のホブソンとマムマリーの理論の紹介になっています。

古典派が登場する前、経済学は重商主義という考え方が主流でしたが、古典派により完膚なきまでに否定されてしまったということです。それをケインズは「古典派よりよっぽどまし」と言って、復活させています。ケインズの解説を読む限り、重商主義にそれほど問題があったとも思えませんし、ケインズの「重商主義者は問題の存在は察知していたが問題を解決するところまで分析を押し進めることができなかった。しかるに古典派は問題を無視した。問題の非存在を含んだ諸条件を彼らの前提に導入したからである。」という言葉を読むと、古典派というのは何の役にも立たない頭でっかちのような気がしますが、それが一世を風靡したということと何となくしっくりきませんし、いずれ機会があれば古典派の経済学とその前の重商主義についてちょっと勉強してみましょう。

古典派について最後にケインズが言っている
 【思うに古典派経済理論は影響力の点である種の宗教に似た所がある。人々の常識的なものの考え方に深遠なものを吹き込むよりは自明なものを追い払ってしまう方が、はるかに大きな観念の力を行使できるからである。】
というのは考えさせられます。

重商主義の復活の後は、古典派の世界の中で古典派に反対する立場をとった経済学(というか経済思想)を紹介しています。

まずはゲゼルという人の話があります。
 「この書物全体の目的は反マルクス主義の社会主義を打ち立てることにあると言っても良いかも知れない」とか、
 「将来、人々はマルクスよりもゲゼルの精神からより多くのものを学ぶだろう。そう私は信じている」
なんて書かれてると、ちょっと興味がわきますね。
ちなみに一般理論でマルクスが引き合いに出されているのは古典派という言葉をマルクスが言いだした、というところとこのゲゼルのところだけです。
ただしこのゲゼルというのは、ケインズは「理論が不完全だったためにアカデミズムの世界から無視されたんだろう」と言っていますが、このゲゼルの著作の日本語訳は(間宮さんの訳の文献一覧によると)なさそうなので、読むのは難しいかも知れません。日本の長期にわたるデフレ脱却の手段として時折「スタンプ付き」貨幣というアイデアが紹介されますが、このアイデアはゲゼルのもののようです。

その後、マンデヴィルの「蜂の寓話」の紹介とか、ホブソン・マムマリーの「産業の生理学」の紹介とかがあります。これは不完全ではあるけれど、古典派の欠陥をついた主張として、ケインズはあくまで古典派の攻撃にこだわっているようです。

ケインズ一般理論最後の章は「一般理論の誘う社会哲学 ― 結語的覚書」というタイトルで、総まとめの章です。冒頭、「我々が生活している経済社会の際立った欠陥は、それが完全雇用を与えることができないこと、そして富の所得の分配が恣意的で不公平なことである」と書いてあります。

この完全雇用については一般理論で論じたものですが、富と所得の分配についても、大きな不平等は問題だけれど、ある程度はあっても良いと考えているようです。
 「人間は危なっかしい性癖を持っているが、この性癖は蓄財や私的な富の機会があればこそ、比較的無害な方向に捌けさせてやることができる。」
 「人間が同胞市民に対して専制的権力を振るうよりは、彼の銀行残高に対して専制的権力を振るう方がまだましである。」
というあたり、やはりケインズはあくまで現実的に問題をとらえ、経済学の枠にとらわれない考え方のできる人です。

この章の最後にケインズは「問題を正しく分析することによって、効率性と自由を保ったまま病を治癒することもあるいは可能かも知れない。」と言ってあるべき未来についての希望を述べています。
 「このような思想を実現することは夢物語なのだろうか。」 
 「だが思想というものはもしそれが正しいとしたら、時代を超えた力を持つ、間違いなく持つと私は予言する。」
 「早晩、よくも悪くも危険になるのは既得権益ではなく、思想である。」
として、いずれ将来、一般理論により多くの問題が解決される時が来る期待を表明しています。

今の所まだそのような未来は来ていないようですが、やはりケインズは学者の枠には収まりきれない人のようです。

韓国の稲作

7月 11th, 2013

韓国の歴史の教科書を読んで、韓国では17世紀頃稲作で田植え法が主力となり収穫が急増したという記述をみつけ、日本では弥生時代から田植えをやっていたはずなのに、どういうことだろうと思いました。

で、この前の記事に書いた「両班」という本にその答がみつかりました。

韓国ではその昔中国から農業の教科書を輸入していたのですが、気候・風土の違いからなかなかそのまま適用するのが難しかったようです。そして世宗(セジョン)という王様が韓国の実際の農業を調査して、韓国用の農業の教科書「農事直説」という本を1430年に刊行したということです。

この中に稲作については水耕法・乾耕法・挿種法の3通りのやり方が書いてあります。水耕法というのは、水田直播き法、乾耕法というのは乾田直播き法で、挿種法というのが田植え方式だということです。

で、この三つの方法があるけれど、水耕法が基本で挿種法は農家にとって危険きわまりない方法なのでやってはいけないと書いてあるようです。
 「この方法は除草には便利であるが、万一日照りの年であれば手のほどこしようがない」ということのようですが、要は苗代を作っていざ田植えという時に田んぼに水がなかったら田植えのしようがない、ということのようです。

日本の稲作でも田の草取りというのは一番大変な作業だったんですが、それが「便利」ということだと韓国の水田播き法の草取りはどんだけ大変だったんだろうと思います。

それにしても日本では田植えというのは梅雨の季節とも重なり、「田んぼに水がない」なんてことは思いもつかないんですが、韓国では確かに田植えの頃の降水量はそんなに多くありません。

日本では日照りというのはむしろ夏の暑い頃の話で、「水がない」と言ってもまるっきりないわけじゃなくて、水のあるところから田んぼまでどうやって水を引いてくるのか、運んでくるかという話ですが、韓国では「ない」となったらどこにもないんでしょうね。

で、田植え法は世宗(セジョン)大王がダメ、と言っているんですから現実的に禁止されていたのですが、それでも次第に行なわれるようになり、1619年に「農家月令」という本が出て、この本では水田直播き法と田植え法が対等に扱われ、禁止ではなくなり、それを受けて1655年に「農事直説」の改訂版として「農家集成」という本が出て、これに田植え法とそれを可能にする灌漑技術が詳しく紹介され、こっちは公認の本なので今度は安心して田植え法が全国的に広がったということのようです。

韓国ではそれまで灌漑の方法としてはため池を作るという方法で、これは国家の公共事業となるような大工事が必要だったのを、その後川をせき止めて灌漑に使う簡便な方法が開発され、これによって田植え法が可能になったようです。

乾田直播き法では、土の中の水分の蒸発を抑えるためあんまり丁寧に土を耕さず、種を播いたら土をかぶせた後しっかり土を固めるという指導がなされているようです。

日本では「水やり」というのはどうやって水を引っ張ってくるかという話であって、土の中の水分の蒸発をどうやって防ぐかという発想は今まで私は聞いたことがなかったので、これも新鮮な驚きです。
こんな思いもかけない話があるので、本を読むのは楽しいですね。

なお「農事直説」を作らせた世宗という王様は韓国でもとびぬけて立派な王様で、ハングルを作った王様でもあり、また朝鮮から日本へ使節を送るにあたり日本の水車の作り方を調べて来るようにその使節に命じ、日本でその模型まで作ってきたのにその当時の韓国の技術では水車を作ることができなかったなどというエピソードもあるようです。

私が通った高校は普通科なのに農業という科目が必修だったので、あまり勉強した覚えはないのですが、田植えや稲刈りは実際に経験し、ちょっと懐かしい思いがします。