ケインズ・・・15回目

5月 17th, 2013

さて一般理論もいよいよ「総まとめ」です。
社会全体の経済体制を分析するのに、与えられた条件として
  利用可能な労働の質と量
  利用可能な資本設備の質と量
  技術
  競争の状態
  消費者の嗜好と習慣
  労働環境や所得分配を含む様々な社会構造
を考えます。これはこれらが一定で変わらないということではなく、分析にはこれらの変化を考えない、あるいはこれらが大きく変化しない範囲の期間について考えるということです。

次に独立変数として
  消費性向
  資本の限界効率(投資の予想利回り)
  利子率
の三つを取ります。
独立変数というのは、これらの独立変数が変化することにより、その結果として次の従属変数が変化すると考えるということです。

その従属変数としては
  雇用量
  実質ベースの国民所得
の二つとなります。

すなわち消費性向・投資の予想利回り・利子率がどう変わると、その結果として雇用や国民所得がどう変るか、あるいは雇用や国民所得を増やすには消費性向・投資の予想利回り・利子率をどう変化させればよいかということになります。

この三つの独立変数ですが、
『消費性向』というのは、消費者が所得のうちどれだけを消費しようかという気持のことで、
『投資の予想利回り』というのは、企業家がこの投資をすればどれ位儲かりそうかという気持であり、
『利子率』というのは、持ってるお金をどれだけ手元に置いておきたいか、という流動性選好の結果として決まるものです。

要は三つとも気持の問題、心理的な要因です。

これらの心理的な要因により、消費者がもっと消費をしようとする・企業家がもっと投資をすれば儲かるぞと思う・お金持が現金で持っていてもしようがないから貸付に回そうと考える、そうすると投資が増えて所得が増えて消費が増え、雇用が増える。
これが『一般理論』の要約です(と、ケインズが言っています)。

で、このようにして独立変数を変化させれば、これに従って従属変数も変化して均衡状態に向かうのですが、これが「大した前触れもなく変化しがちであり、しかも相当の変化を被ることも一再ではない」などとケインズは平然と言い放ちます。

『我々の住んでいる経済体系の際立った特徴は、産出量や雇用は激しい変動を被るにも係らず、体系そのものはそれほど不安定ではない』『変動は調子よく始まって、たいした極端に至らないうちに萎えしぼんでしまう。絶望するほどではないが、満足のいくようなものでもない。その中間的状態こそが我々の正常な運命なのである。変動は極端に至る前に減衰し、やがて向きを反転させがちである。』と言ったあとさらに『こうした経験的事実は論理的必然性をもって起こるものではない』などと平然と言い放ちます。
こんなことを言われちゃうとうれしくなっちゃいますね。やはりケインズという人はそんじょそこらの学者の先生方とはわけが違うようです。

これで一般理論の要約は終わってしまうのですが、これは私の読んでいる間宮さんの訳では上下2冊のうち、上の方の最後です。下の方はまだ丸々残っています。章でいえば全部で24章まであるのに、18章まで行った所。まだ6章残っています。本文のページ数でいえば、まだ2/3の所です。この残りの1/3はある意味『応用編』みたいなもので、出来上がった一般理論の立場から改めてもう一度古典派の理論を攻撃したり、古典派のために完全に否定されてしまった古典派の前の経済学の重商主義を再評価して、『古典派によって否定されるようなものでない』と言ったりします。

ということで、『一般理論』はまだあと1/3続くので、この稿ももう少し続きます。

宜しかったらお付き合い下さい。

ケインズ・・・14回目

5月 17th, 2013

いよいよケインズは一般理論の結論を出しますが、その前に貨幣理論の章があります。

ケインズは「一般理論」のすぐ前(5年前)に「貨幣論」という本を書いており、「一般理論」の中でも「貨幣論」にはこう書いたけれど・・・とか、「貨幣論」にこう書いたように・・・という具合にしょっちゅう引き合いに出しています。私が本気の学者とか研究者だったら、さっそく「貨幣論」も読まなきゃと思うところですが、とりあえず野次馬の気軽さで、「一般理論」の中でケインズ自身が否定している「貨幣論」を読むこともないだろうと考えています。

で、「一般理論」の中の貨幣論ですが、何とも素晴らしいものです。かなり以前から「貨幣とは何か」というのは私の大きなテーマの一つで、何冊かそのような本を読んだんですが、これまで今イチこれだ!というものには巡り合っていませんでした。

で、ケインズの貨幣論ですが、まずは「利子」から始まります。利子というのは一時的にお金を一定期間手離しておいて、その一定期間経過後にまた受取るものが、元々手離したものより増えた分です。このように考えると、別にお金に限定しなくてもたとえばお米でも牛でも同じように考えることができます。

お金の機能というのは、【財産の価値をその資産の形で保有する】ということと、【必要に応じて他の資産と交換する】ということで、その意味では貨幣でなくて他の資産でも多かれ少なかれそのような機能を果たすことはできるのですが、その中で貨幣が中心的にその役割を果たす理由は何か、ということになります。

ケインズは様々な資産について、収益力(それを持っているとそれだけで財産が増えること)・持越費用(それを持っていると時間が経過するだけで価値が下がったり、維持するためにお金がかかること)・流動性プレミアム(いつでもすぐに他の資産と交換できるメリットのことで、そのための対価として払っても良いと思われる額)の三つの特性を取り出し、これで各資産を特徴付けます。

この中で貨幣というのは、収益力はゼロ(持っているだけじゃちっとも増えない)・持越費用もゼロ(もっているだけなら費用はかからない)・流動性プレミアムは他の資産と比べて極端に高い(自由にいつでもどの資産とも交換できる)ということで特徴付けられます。他の資産では一般に収益力はあるかも知れないし、ないかも知れない。持越費用は多かれ少なかれ、ある。流動性プレミアムは小さいか、ない・・・ということになります。

このように整理した上で貨幣の性質として
その量を増やすことも減らすことも簡単にはできず、量が増えたからといって価値が下がるわけでもない、ということを説明します。普通の資産は値段が高くなればそれをたくさん作る人が現れ、その資産が増えれば安くなり、逆に値段が安くなって誰も作らなくなると放っておいてもだんだん減ってしまって、減って少なくなれば今度は値段が高くなるということになるのですが、貨幣はこれとはまるで違います。

この特徴から(ケインズが言っているわけではないのですが)、インフレを抑えたりデフレから回復したりというのはそう簡単にできる話じゃないというのが良くわかります(インフレというのはお金の価値が安くなることで、デフレというのはお金の価値が高くなることです。お金の量を増やしたり減らしたりすることが簡単にできて、その結果としてお金の価値を上げたり下げたりが簡単にできるなら、インフレもデフレも簡単に対処することができます)。

このことをこんなに明快に説明してくれる貨幣論は初めてです。この部分はさらに熟読玩味する必要がありそうで楽しみです。

ケインズ・・・13回目

5月 9th, 2013

さて、前回「流動性選好」ということが出てきましたが、要するに投資に回すことができるお金があるとして、投資に回すことができるお金が全部投資に回るわけではなく、その一部は投資に回さないでいつでも使える現金で持っていようというのが流動性選好で、このためお金があれば投資が増えるということには必ずしもならないよということです。そして投資に回るお金がたくさんあればそれだけ金利が低くなって、その分その金利を上回る期待利回りの投資が多くなって投資が増えるということです。

お金の量を自由に増やすことができるんなら、現金で持っていようという額を上回ってどんどんお金を増やしていけば、投資に回るお金が増えるんじゃないかと単純に考えてしまいそうですが、ケインズはそう甘くはありません。お金を増やせば増やすほど、現金を持っていようという額も同じだけ増えて、投資の方にはちっとも回らないかも知れないよ、ということを、すでにこの一般理論で言っています。

特に金利がある程度以下に下がってしまうと、そのお金を投資のために貸し付けたとしても大して儲かりません。かえって貸し付けたお金が返ってこなかったり、債券の値段が下がって損してしまったりするリスクが高くなります。そうするとちっぽけな利息を稼ぐより余計なことをしないで現金で持っていた方が良いかな、ということになるかも知れません。こうなると
 【流動性選好が事実上無制限になる可能性がある。
 このような事態に陥ると通貨当局は利子率を有効に制御する手立てを失ったも同然である】
と、日本の姿を見てきたかのようなことを書いています。

ケインズはこのようになってしまう金利の下限を2%から2.5%くらいと書いていますから、今の日本(EUも日本にならってそうなりそうですが)の0%とか0.5%とかの金利を見たらビックリするんでしょうか。IMFもこれからEUのゼロ金利を実際に経験すれば、今まで自分達がいかに多くの間違いをしてきたかようやく反省するんでしょうか、それともしないんでしょうか。

【もっともこの極限的な場合は、将来ならいざ知らず―将来には現実にも重要になるかも知れない―これまでのところはそのような例を聞いたことがない】と言うんですから、日本の経験は本当に未知の領域のことで、ケインズは経験もしないでよくこんなことが考えられたなと思ってしまいます。

【実際、たいていの通貨当局は長期債権の売買になかなか踏みきれないから、この極限の場合を実地に検証する機会はあまりなかった】ということで、日銀の黒田さんの『中長期の国債を買ってマネーを増やすんだ』という異次元の対応がいかに前例のない異常な手段かが良くわかります。

で、ケインズは今の日本のような事態は見ていないのですが、その代り同じように異常な事態を目のあたりにしていると書いてあります。
 【第一次大戦後、ロシアと中央ヨーロッパでは通貨危機すなわち通貨からの逃避が起こり、人々は貨幣や債権を金輪際持とうとしなくなった】というのと、【一方合衆国では1932年のある時期、これとは逆の種類の危機―金融危機すなわち清算の危機が起こり、いくら好条件が提示されても保有している現金を手離そうとする者はほとんどいないという有様であった。】

このように異常な事態を目のあたりにして考えているんですから、ケインズはヘリコプターマネーのような単純な思いつきに飛びつくようなことにはなりません。またせっかく目のあたりにした異常な事態をじっくり検証すればもっといろんなことがわかるんだろうにと思ってしまいますが、多分そう簡単にはいかないということなんでしょうね。

いずれにしてもこの流動性選好で、経済分析のための新たな要素として貨幣というものが登場し、貨幣の量はある程度増やしたり減らしたりコントロールできるものとして、それが金利をどのように変化させることができるのかできないのか、その結果として投資をどうやって増やすことができるのか。投資が増えれば雇用が増え所得が増えて、最終的に消費も増える。『消費を増やす』という最終の目標に向かっての検討が始まります。「一般理論」の正式名称「雇用・利子および貨幣の一般理論」に登場する役者がようやく揃った、ということになります。ここから改めて「貨幣とは何か」「雇用を変化させる要因は何か」という検討が始まります。

北朝鮮とシリア

5月 7th, 2013

北朝鮮、いよいよ動きが取れなくなってしまったようですね。

ケソンの工業団地から韓国人が引上げてしまってこれで外貨収入が得られなくなってしまい、アメリカ人を捕まえて懲役刑にしても助けに来るアメリカの政治家も現れないし、戦争をするぞ!と脅していたのに、韓国の大統領は平気な顔で外遊で出かけて国を空けてしまうんですから、何とも格好がつかないですね。仕方がないのでサッカーの試合を見物しているようですが、国内に説明がつかないですね。

シリアの方は政府軍・反政府軍ともサリンを使っているなどという噂が出てきて、いよいよ早くケリをつけなければという中、イスラエルがシリアを爆撃するという形でいきなり参入してきました。これで一気に決着がつくんでしょうか。

アメリカやヨーロッパが身動き取れないので、代打で登場したということでしょうか。

いずれにしても早くけりがつくと良いですね。

白川静 「孔子伝」

5月 7th, 2013

白川静という漢字の先生がいます。

以前この白川漢字学を知ったとき、かなりまとめて白川さんの本を読みました。漢字の本とか詩経の本とか、いろいろ読みました。その時「孔子伝」も図書館で借りたのですが、それ以外の本でおなかが一杯になってしまって、結局読まずに返却してしまいました。

しばらく経っておなかもこなれてきたのでまた借りて、今度こそ読みました。期待にたがわず素晴らしい本です。

白川さんには自伝として、日経新聞に連載した「私の履歴書」に加筆した「回思90年」という本があります。でもこの「私の履歴書」というのは、事実や出来事を中心に書かれているものですから、白川さんの気持とか思いとかはあまり書かれていません。

時として誰かが心から敬愛する人の評伝を書く時、その書く相手の人に仮託する形で書き手の思いとか考え方が見事に表現されることがあります。この「孔子伝」もまさにそのような本です。

もちろん孔子の伝記としても画期的な本のようですが、それと同時に白川さんが孔子を心から尊敬し、敬愛していることが良くわかり、と同時に白川さんがどんなことを思い、どんなことを考えて生きてきたかが良くわかる名著です。

孔子というのは大昔の人ですから、伝記といっても良くわからないこともたくさんあります。中心となる文献は、史記の中の孔子に関する記述と論語ですが、これ以外にも様々な人が様々に書いているようです。

中にはかなり信用できない記述も多く、それは史記の記述でも論語の記述でも同様のようです。それを白川さんは一流の緻密な検討で、信用できる記述・信用できない記述に分析し、孔子というのはどういう人だったのか、何を考え何を目指したのか考えています。

孔子という人は革命家を目指したけれど、殆どことごとく失敗し、老年に至るまで中国各地をさまよった人ですが、その結果として孔子の儒教教団が出来上がり、論語という素晴らしい本ができたということのようです。

「孔子伝」というのも孔子が死ぬまでの伝記ではなく、その後いろんな人が様々に孔子についてあることないことを記述して、その集大成として論語という書物が出来上がり、その結果として歴史上の孔子という存在が出来上がる所までを書いています。

白川さんにとっては、孔子の弟子の顔回が死亡し孔子が死んだところで孔子の本流は一旦途絶え、その後荘子がその後継者として復活させ、その延長線上に老子ができたということのようですが、このあたりの白川さんの解釈も興味深いものです。

お勧めの一冊です。

ケインズ・・・12回目

5月 3rd, 2013

さてこれまでで「消費」は限界消費性向により、所得から導き出すことができる。「投資」は資本の限界効率(投資に対する見込み利回り)と金利の大小で決まるということになりましたが、それでは次に「金利」はどのように決まるのかというのがテーマになります。

これに関してケインズの答は「流動性選好」というものです。すなわち手元にあるお金はいつでも自由に使うことができるけれど、それを投資のために貸し付けてしまうとそれが返ってくるまでは使うことができない、ということになります。この「しばらく自由にできない不便の対価が金利だ」ということになります。

これは言われてみれば至極もっともで、むしろ「何を今更」という気がしますが、ケインズによればこの考え方はケインズの前の古典派とはまるで違う考え方だということになります。

それではその古典派はどう考えていたのかということになりますが、ケインズによるとこうなります。すなわちお金を持っている人がいて、金利が低ければそのお金を貸そうという気持はあまりないけれど、金利が高くなればなるほどいくらでもお金を貸そうとする。一方でお金を借りて投資したい人がいて、金利が高いとあまり借りられないけれど、金利が低くなればなるほどいくらでもお金を借りたがる。そのお金に対する需要と供給で金利が決まる、ということのようです。
お金を遊ばせておいても何にもならないんだからとりあえず使わないお金はちょっとでも金利を稼ぐために貸し付ける、貸し付けないお金は消費に回してしまう、ということです。

これはこれで確かに理屈に合いますが、だからと言って金利が低ければいくらでも借り手がいるとか、金利が高ければいくらでも貸したい人が出てくるなんてこともなさそうで、古典派というのは本当にそんなことを考えていたのかなと思ってしまいます。

私が学者だったり研究者だったりすると、ケインズが言ってるように古典派の先生方はホントにこんなことを言ってたんだろうかと、それを確かめるために古典派の本かなんか読まなきゃいけないんですが、こちらは単に興味本位で本を読んでいるだけのヤジウマです。ケインズがこう言っているというのは、単に「ケインズはこう言っている」としておけば良いので、気楽なものです。ケインズも「古典派がこう言っているというのをはっきり示す文章はないけれど・・・」なんて言って、何となくそれらしいことを言ってそうな部分をいろんな本から引用するだけなので、本当にその意味かどうかはその引用されてる部分の前後をじっくり読んでみないとわからないな、という位なものです。

で、面白いことにこの「第14章 古典派の利子率理論」の中に「新古典派」という言葉が登場しています。「一般理論」のはじめの方に、「古典派のあとの人もひっくるめて古典派と言う」と言ってたのはどうしちゃったんだろう、と思ったりしました。

で、この章の中にこの「一般理論」の本の唯一の図が出てきます。ところがこの図は古典派の考え方を説明するための図で、「これこれこのように古典派の考え方は役に立たないんだ」と説明するためのものです。ということで、ケインズの考えを説明するための図は「一般理論」の中には一つもない、という何とも情けない話です。

この章の最後にケインズの考え方と(ケインズの言う)古典派の考え方の比較が書いてあります。
私流にまとめると
古典派 : 
「消費が減少すると→利子率が低下して→投資が増える」
ケインズ : 
「消費が減少すると→雇用が減少し→所得が減少して→投資が減少する」
となるんですが、スタートが同じで最終結果がまるで逆です。
さて、どっちが正しいと思いますか?

ちょっと寄り道-SNA

5月 3rd, 2013

ケインズの「一般理論」をしっくり読みながら、例の『所得=消費+投資』のあたりで、何となくどこかでこんなことを読んだような気がしていました。

しばらくしてこれはSNA(System of National Accounts)― 日本では通常【国民経済計算】という訳になっていますが、内容を正しく表現しようとしたら、【国民会計システム】と言ったほうが良さそうです。例のGDPを計算するシステムのことです。― のことじゃないかと思いあたり、それを確認するためSNA関係の本を調べていました。

結論から言うと、まさにその通りというか、SNA自体ケインズの「一般理論」の延長線上というか、ケインズの「一般理論」がマクロ経済学のスタートであれば、そのマクロ経済を具体的に計算する仕組がSNAというような関係になっています。

ケインズの「一般理論」ではまだ企業と消費者しか登場していないのですがこれに、政府だとか銀行だとかいろんなものが追加的に登場して、いずれにしても現実の国の経済の全体を数字できちんと計算するのですから、かなりいろいろ修正とか調整がなされているのですが、本質は「一般理論」と同じです。にもかかわらず、この「同じだ」ということを確認するのにえらく時間がかかってしまったのには、それなりの訳があります。

企業の会計では売上高にしても売上総利益、純利益にしても具体的なイメージがあります。
これに対してSNAでは「産出」「生産」から始まって、「所得」・「消費」・「投資」・「貯蓄」が出てきます。このスタートとなる産出・生産と売上高等との関係をきちんと説明してくれれば、それで何の問題もないのですが、SNAの教科書や解説書ではそこの所がイマイチはっきりしません。『産出』とか『生産』とか言えば、それだけで充分意味が明らかだ、とでも言うような書き方がしてあります。

結局何冊もの教科書・解説書を読んではっきりしたのは、【一定の期間内の企業の生産活動の結果の全体を『産出』という】ということになります。その産出のうち多くのものは期中に販売され売上になっていますが、そうでないものは製品の在庫・仕掛品の在庫・原材料の在庫となり、あるいは将来の生産活動のための設備投資となっています。このうち期始における在庫や設備投資は前期までの生産活動の結果ですから、これを除くことにすれば
 産出=売上高+在庫の増+設備投資の増
ということになります。これさえはっきりすれば後はすんなりわかります。

A社の商品をB社が購入して生産活動に使用し、その結果のB社の商品をC社が購入して生産活動に使用すると、C社の産出にはA社の産出活動の結果・B社の生産活動の結果が重複して加算されていることになります。そのためその重複を除いて、産出のうちから他の企業の生産活動の結果を除いたものを『生産』といい、
 生産=産出-産出のために他の企業から購入したもの
ということにします。
この『産出のために他の企業から購入したもの』のことを「中間投入」とよびます。
それで
 産出=売上高+在庫の増+設備投資の増
 生産=産出-中間投入
ということになります。

さて、企業が産出したものはその後どうなるか、というと、一部は他の企業に購入されて、その企業の生産活動に使われ、一部は消費者に購入され使用され、残りはその企業に残り在庫あるいは設備投資になりますから
 産出=他の企業に購入される分+消費者に購入され使用される分+在庫の増+設備投資の増

ここで「他の企業に購入される分」を『中間消費』とよび、「消費者に購入され使用される分」を『最終消費』とよんで
 産出=中間消費+最終消費+在庫の増+設備投資の増
となります。

ここで中間投入と中間消費は、購入する企業の側から見ると中間投入となるものが、販売する企業の方から見ると中間消費になりますから、社会全体で見ると、額は等しくなります。
そこで
 生産=産出-中間投入
    =産出-中間消費=最終消費+在庫の増+設備投資の増
 在庫の増+設備投資の増を『投資』とよぶと、
 生産=最終消費+投資
ということになります。

一方、生産活動の対価はどうなるかと言うと、中間投入に対してはそれを供給してくれる企業に代金を払います。また生産活動で働いてくれる人には雇用者報酬を払います。残りは企業の利益になりますから、
 産出=中間投入に対する支払+雇用者報酬の支払+企業利益
 生産=産出-中間投入=雇用者報酬+企業利益=所得
ということになります。まとめると、

 生産=産出-中間投入
    =最終消費+投資
    =雇用者報酬+企業利益=所得
ということになります。

これだけのことなんですが、困ったことに経済学の先生方は

  • 産出と生産をはっきり区別しないで、混合して使うことがある。
  • 中間投入と中間消費は社会全体で額は同じになるけれどまったく別物なのに、ごっちゃにして使われることがよくある。

ということで、さらには
生産の定義は『産出-中間投入』で、それが額として最終消費+投資に等しくなるだけなのに、日本ではこっちの計算式でも理論的には同じ額になるし、こっちの方が信頼性が高い値になる、ということで、
 生産=最終消費+投資
の式で計算しているようです。その結果いつのまにかこれが定義であるかのような説明になってしまっているので、『産出』は一体何なのか、<生産=最終消費+投資>は定義なのか等式なのか、はっきりしない、というような状況になってしまっています。

中間消費と中間投入は額は同じだけれど、まるで別のものです。たとえばお金の貸し借りで考えれば、貸した方から見れば貸付金、借りた方から見れば借入金ですから、社会全体で見れば額として【貸付金=借入金】になるのですが、だからと言って「貸付金と借入金は同じもの」だなんて言ったらとんでもないことになってしまいます。

ということで改めて、「経済学者の言葉の使い方はかなりいい加減なので要注意!」で、いずれにしてもSNAとケインズの一般理論が同じものだとわかってメデタシメデタシです。

ケインズの一般理論の方は概念的・理論的な話だけなのですが、SNAの方は具体的な膨大な数の数字の体系が何十年分もたまっています。それこそ本当に宝の山みたいなものです。この数字をあれこれ眺めてみるのも新しい楽しみです。

ライフネット生命

5月 2nd, 2013

ライフネット生命の筆頭株主が変わったようです。

ライフネット生命が4月25日に発表していますが、今までの筆頭株主だったマネックスグループが持株の全てをスイス・リに売却して、ライフネット生命はスイス・リと業務提携契約を結んだということです。通常業務提携の発表は両方の会社から発表されるのですが、今の所スイス・リからの発表は見つかりません。

マネックスグループはライフネットの立ち上げ時からのスポンサーでしたが、全持株を41億円で売却して23億円の売却益を得たということですから、ベンチャーキャピタルとしては満足できるリターンだったのでしょうか。現経営陣はスポンサーに対する責任は果たしたということになるのでしょうね。

売却価格は1株あたり722.6円。これは株式公開以来の最安値に近い水準で、最近の株価が800円前後で動いているのに比べれば9掛け位の水準です。9掛けでもマネックスグループとしては利益を確定してしまいたかったんでしょうね。

でも世界的な保険会社が筆頭株主になって良かったですね。

保険会社には保険業法113条繰延資産といって、開業当初の5年間の事業費の一部を開業後10年までの期間に繰り延べるという、特別の繰延資産があります。ライフネット生命は今までこれを使ってきているので、毎年5億円~15億円(2013年3月期決算では多分18億円程度)、利益をかさ上げしています。今期(2014年3月期)からはその繰り延べができなくなり償却のみになりますから、今後5年間は毎年11億円ずつ利益が下押しされることになります。今期だけ見ると、前期18億円のかさ上げが今期11億円の下押しで、トータル約30億円の対前年度マイナス効果が発生するということになりそうです。

この113条の繰り延べによって、ライフネット生命は2013年3月期の第3四半期(2012年12月まで)で黒字の決算を発表しています。多分2013年3月期の年度決算でも黒字になるんだろうと思います。これが2014年3月期ではまた大幅な赤字決算ということになりそうです。

この113条繰り延べというのは、保険業法に規定されたごく真っ当な経理処理ですから、これで赤字になったからと言ってライフネットの収益力に大きな変化があったというようなことにはなりません。とはいえ、ライフネットに投資している人は必ずしもこのあたりの仕組みをちゃんと理解していないかも知れないので、決算の数字だけを見るとビックリしちゃうかも知れませんね。そんな時スイス・リが筆頭株主になっているというのは、安心感につながるかも知れません。

スイス・リというのは再保険会社ですから、ライフネット生命と業務提携してもあまりメリットがありそうにも思えません。しかし再保険会社というのは投資からの収益のために、株主配当だけでなく再保険料収入も使うことができます。今後ライフネット生命の再保険収支の変化は注目です。

ケインズ・・・11回目

4月 22nd, 2013

前回紹介した第12章ですが、もう少し紹介します。

この章の第4節に、
 『我々は実際には市場の現在の評価は、それがどのような経緯でそうなったにせよ、投資利益に影響を及ぼす事実についての手持ちの知識との関係で見れば一意に正しく、そしてこの知識が変化する場合に限り、評価もまたそれに応じて変化すると想定している。』
という言葉があります。マーケットがどう動こうとニュース番組では、解説者がきちんとこれこれこういう理由でこうなった、と話してくれます。「こんなマーケットの動きはおかしい」なんて話は滅多に出てきません。これが上の文章の『一意に正しい・・・と想定している』ということです。ですから最初から「マーケットは正しい」と想定しての後づけの議論ですから、あまりあてにはなりません。その時その時でマーケットを正当化する議論を考え出さなきゃいけないので、解説者も大変だなと思いますが。

またこのように想定することにより、「ある投資物件の本当の価値を評価するなんてことはとてもできそうもないけれど、何かあったらどっちの方向にどれ位動きそうか・・くらいだったら俺でも評価できると思う」という人達がどんどんマーケットに参加してくるんですね。

ですから、ある投資物件が本当の所どのような価値を持つのかなんてことはどうでも良いことになってしまいます。今の価格が正しいと無条件に想定して、あとはそれが状況の変化に対してどのように変化するかということだけを考えるだけのことですから、
 『人がある投資物件はその期待収益から見て30の価値を持つと信じていても、同時に市場は3月先にそれを20に評価するだろうと彼が信じているのなら、その物件に25の支払をするのはどうかしているからである』
ということになります。

このような観察からケインズは、『賭博場は公共の利益のためには近づきにくく高価につくのが良い』と言って、『イギリスの市場がウォール街に比べて近づきにくく極めて高くついているからまだ罪が軽い』と言っているのですが、今ではロンドンも東京もニューヨークも同じようなものになっているのかも知れません。

ケインズはロンドンのマーケットの「場内仲買人の利ざやの高さ、売買手数料の高さ、移転税の重いこと」を非常に評価しているんですが、その後の現実はケインズの思いとは逆の方向に極端に進行して現在に至っており、デイトレーダーがコストの安さでいくらでも勝負をかけられる賭博場になってしまっているということなんでしょうね。

ここの所、ケインズはわざわざ(注)をつけて
 『ウォール街が活況を呈している時には、投資物件の売買の少なくとも半分は投機家が同じ日に反対取引を行なう意図で遂行されると言われている。』
なんて言っています。今のように一回の間に何回となく反対取引を繰り返すような状況を見たら、何と言ったんでしょうね。

TPP

4月 22nd, 2013

TPPへの日本の交渉参加、ほぼ了解が取れたようですね。マスコミではもう決まったように書いてありますが、まだアメリカの議会の了解が終わっていませんから、まだ「ほぼ」の状況です。

しばらく前、アメリカ政府との交渉で日本が一方的に譲歩させられた・・みたいな話もありましたが、私はこの交渉は大成功だと思っています。いかにもTPPに参加すると貿易の完全自由化を押し付けられるかのような話だったのが、この交渉の結果、アメリカもなりふり構わず自由化には反するいろいろな条件を主張してきた、ということがはっきりしましたから、これは日本が今後本格的に交渉に参加するにあたり、準備作業を進めるにはかなり役に立ちそうです。

保険ではかんぼ生命のがん保険に待ったがかけられた、ということですが、大した話ではありません。かんぽ生命が完全に普通の民間会社になることはなさそうですから、である以上、いろんな条件がつくことは当然の話でしょう。

日本のマスコミの報道では、日本がアメリカを初めとする他の国にいろいろ注文をつけられるという雰囲気になりますが、他の参加国としてはむしろ日本と協力してアメリカに対していろいろ注文をつけたいということでしょうし、さらにはこの交渉を通してTPPに参加していない中国や韓国にも影響を与えたいということでしょう。それを踏まえて、日本も自由にいろんな国と協力して交渉すれば良いんだと思います。

7月に日本が参加しても交渉が終わるまで時間がないから何もできない、なんていう話もありますが、日本が正式に参加することになったら、必要だったらその交渉のスケジュールも変更すれば良いだけです。別に誰かに命じられて交渉しているわけではなく交渉の当事者が全員集まって協議するわけですから、スケジュールにしても交渉のやり方にしても、参加者全員で話し合って必要に応じて変更すれば良いだけの話です。

日本では会議のルールやスケジュールを一旦決めるとその通りにしなければならないという雰囲気になりますが、アメリカやヨーロッパの国が参加する会議では、かなり好き勝手にルールやスケジュールを途中で変更しています。日本もそろそろこのような協議の進め方に慣れる必要があるんでしょうね。