白川静 「孔子伝」

5月 7th, 2013

白川静という漢字の先生がいます。

以前この白川漢字学を知ったとき、かなりまとめて白川さんの本を読みました。漢字の本とか詩経の本とか、いろいろ読みました。その時「孔子伝」も図書館で借りたのですが、それ以外の本でおなかが一杯になってしまって、結局読まずに返却してしまいました。

しばらく経っておなかもこなれてきたのでまた借りて、今度こそ読みました。期待にたがわず素晴らしい本です。

白川さんには自伝として、日経新聞に連載した「私の履歴書」に加筆した「回思90年」という本があります。でもこの「私の履歴書」というのは、事実や出来事を中心に書かれているものですから、白川さんの気持とか思いとかはあまり書かれていません。

時として誰かが心から敬愛する人の評伝を書く時、その書く相手の人に仮託する形で書き手の思いとか考え方が見事に表現されることがあります。この「孔子伝」もまさにそのような本です。

もちろん孔子の伝記としても画期的な本のようですが、それと同時に白川さんが孔子を心から尊敬し、敬愛していることが良くわかり、と同時に白川さんがどんなことを思い、どんなことを考えて生きてきたかが良くわかる名著です。

孔子というのは大昔の人ですから、伝記といっても良くわからないこともたくさんあります。中心となる文献は、史記の中の孔子に関する記述と論語ですが、これ以外にも様々な人が様々に書いているようです。

中にはかなり信用できない記述も多く、それは史記の記述でも論語の記述でも同様のようです。それを白川さんは一流の緻密な検討で、信用できる記述・信用できない記述に分析し、孔子というのはどういう人だったのか、何を考え何を目指したのか考えています。

孔子という人は革命家を目指したけれど、殆どことごとく失敗し、老年に至るまで中国各地をさまよった人ですが、その結果として孔子の儒教教団が出来上がり、論語という素晴らしい本ができたということのようです。

「孔子伝」というのも孔子が死ぬまでの伝記ではなく、その後いろんな人が様々に孔子についてあることないことを記述して、その集大成として論語という書物が出来上がり、その結果として歴史上の孔子という存在が出来上がる所までを書いています。

白川さんにとっては、孔子の弟子の顔回が死亡し孔子が死んだところで孔子の本流は一旦途絶え、その後荘子がその後継者として復活させ、その延長線上に老子ができたということのようですが、このあたりの白川さんの解釈も興味深いものです。

お勧めの一冊です。

ケインズ・・・12回目

5月 3rd, 2013

さてこれまでで「消費」は限界消費性向により、所得から導き出すことができる。「投資」は資本の限界効率(投資に対する見込み利回り)と金利の大小で決まるということになりましたが、それでは次に「金利」はどのように決まるのかというのがテーマになります。

これに関してケインズの答は「流動性選好」というものです。すなわち手元にあるお金はいつでも自由に使うことができるけれど、それを投資のために貸し付けてしまうとそれが返ってくるまでは使うことができない、ということになります。この「しばらく自由にできない不便の対価が金利だ」ということになります。

これは言われてみれば至極もっともで、むしろ「何を今更」という気がしますが、ケインズによればこの考え方はケインズの前の古典派とはまるで違う考え方だということになります。

それではその古典派はどう考えていたのかということになりますが、ケインズによるとこうなります。すなわちお金を持っている人がいて、金利が低ければそのお金を貸そうという気持はあまりないけれど、金利が高くなればなるほどいくらでもお金を貸そうとする。一方でお金を借りて投資したい人がいて、金利が高いとあまり借りられないけれど、金利が低くなればなるほどいくらでもお金を借りたがる。そのお金に対する需要と供給で金利が決まる、ということのようです。
お金を遊ばせておいても何にもならないんだからとりあえず使わないお金はちょっとでも金利を稼ぐために貸し付ける、貸し付けないお金は消費に回してしまう、ということです。

これはこれで確かに理屈に合いますが、だからと言って金利が低ければいくらでも借り手がいるとか、金利が高ければいくらでも貸したい人が出てくるなんてこともなさそうで、古典派というのは本当にそんなことを考えていたのかなと思ってしまいます。

私が学者だったり研究者だったりすると、ケインズが言ってるように古典派の先生方はホントにこんなことを言ってたんだろうかと、それを確かめるために古典派の本かなんか読まなきゃいけないんですが、こちらは単に興味本位で本を読んでいるだけのヤジウマです。ケインズがこう言っているというのは、単に「ケインズはこう言っている」としておけば良いので、気楽なものです。ケインズも「古典派がこう言っているというのをはっきり示す文章はないけれど・・・」なんて言って、何となくそれらしいことを言ってそうな部分をいろんな本から引用するだけなので、本当にその意味かどうかはその引用されてる部分の前後をじっくり読んでみないとわからないな、という位なものです。

で、面白いことにこの「第14章 古典派の利子率理論」の中に「新古典派」という言葉が登場しています。「一般理論」のはじめの方に、「古典派のあとの人もひっくるめて古典派と言う」と言ってたのはどうしちゃったんだろう、と思ったりしました。

で、この章の中にこの「一般理論」の本の唯一の図が出てきます。ところがこの図は古典派の考え方を説明するための図で、「これこれこのように古典派の考え方は役に立たないんだ」と説明するためのものです。ということで、ケインズの考えを説明するための図は「一般理論」の中には一つもない、という何とも情けない話です。

この章の最後にケインズの考え方と(ケインズの言う)古典派の考え方の比較が書いてあります。
私流にまとめると
古典派 : 
「消費が減少すると→利子率が低下して→投資が増える」
ケインズ : 
「消費が減少すると→雇用が減少し→所得が減少して→投資が減少する」
となるんですが、スタートが同じで最終結果がまるで逆です。
さて、どっちが正しいと思いますか?

ちょっと寄り道-SNA

5月 3rd, 2013

ケインズの「一般理論」をしっくり読みながら、例の『所得=消費+投資』のあたりで、何となくどこかでこんなことを読んだような気がしていました。

しばらくしてこれはSNA(System of National Accounts)― 日本では通常【国民経済計算】という訳になっていますが、内容を正しく表現しようとしたら、【国民会計システム】と言ったほうが良さそうです。例のGDPを計算するシステムのことです。― のことじゃないかと思いあたり、それを確認するためSNA関係の本を調べていました。

結論から言うと、まさにその通りというか、SNA自体ケインズの「一般理論」の延長線上というか、ケインズの「一般理論」がマクロ経済学のスタートであれば、そのマクロ経済を具体的に計算する仕組がSNAというような関係になっています。

ケインズの「一般理論」ではまだ企業と消費者しか登場していないのですがこれに、政府だとか銀行だとかいろんなものが追加的に登場して、いずれにしても現実の国の経済の全体を数字できちんと計算するのですから、かなりいろいろ修正とか調整がなされているのですが、本質は「一般理論」と同じです。にもかかわらず、この「同じだ」ということを確認するのにえらく時間がかかってしまったのには、それなりの訳があります。

企業の会計では売上高にしても売上総利益、純利益にしても具体的なイメージがあります。
これに対してSNAでは「産出」「生産」から始まって、「所得」・「消費」・「投資」・「貯蓄」が出てきます。このスタートとなる産出・生産と売上高等との関係をきちんと説明してくれれば、それで何の問題もないのですが、SNAの教科書や解説書ではそこの所がイマイチはっきりしません。『産出』とか『生産』とか言えば、それだけで充分意味が明らかだ、とでも言うような書き方がしてあります。

結局何冊もの教科書・解説書を読んではっきりしたのは、【一定の期間内の企業の生産活動の結果の全体を『産出』という】ということになります。その産出のうち多くのものは期中に販売され売上になっていますが、そうでないものは製品の在庫・仕掛品の在庫・原材料の在庫となり、あるいは将来の生産活動のための設備投資となっています。このうち期始における在庫や設備投資は前期までの生産活動の結果ですから、これを除くことにすれば
 産出=売上高+在庫の増+設備投資の増
ということになります。これさえはっきりすれば後はすんなりわかります。

A社の商品をB社が購入して生産活動に使用し、その結果のB社の商品をC社が購入して生産活動に使用すると、C社の産出にはA社の産出活動の結果・B社の生産活動の結果が重複して加算されていることになります。そのためその重複を除いて、産出のうちから他の企業の生産活動の結果を除いたものを『生産』といい、
 生産=産出-産出のために他の企業から購入したもの
ということにします。
この『産出のために他の企業から購入したもの』のことを「中間投入」とよびます。
それで
 産出=売上高+在庫の増+設備投資の増
 生産=産出-中間投入
ということになります。

さて、企業が産出したものはその後どうなるか、というと、一部は他の企業に購入されて、その企業の生産活動に使われ、一部は消費者に購入され使用され、残りはその企業に残り在庫あるいは設備投資になりますから
 産出=他の企業に購入される分+消費者に購入され使用される分+在庫の増+設備投資の増

ここで「他の企業に購入される分」を『中間消費』とよび、「消費者に購入され使用される分」を『最終消費』とよんで
 産出=中間消費+最終消費+在庫の増+設備投資の増
となります。

ここで中間投入と中間消費は、購入する企業の側から見ると中間投入となるものが、販売する企業の方から見ると中間消費になりますから、社会全体で見ると、額は等しくなります。
そこで
 生産=産出-中間投入
    =産出-中間消費=最終消費+在庫の増+設備投資の増
 在庫の増+設備投資の増を『投資』とよぶと、
 生産=最終消費+投資
ということになります。

一方、生産活動の対価はどうなるかと言うと、中間投入に対してはそれを供給してくれる企業に代金を払います。また生産活動で働いてくれる人には雇用者報酬を払います。残りは企業の利益になりますから、
 産出=中間投入に対する支払+雇用者報酬の支払+企業利益
 生産=産出-中間投入=雇用者報酬+企業利益=所得
ということになります。まとめると、

 生産=産出-中間投入
    =最終消費+投資
    =雇用者報酬+企業利益=所得
ということになります。

これだけのことなんですが、困ったことに経済学の先生方は

  • 産出と生産をはっきり区別しないで、混合して使うことがある。
  • 中間投入と中間消費は社会全体で額は同じになるけれどまったく別物なのに、ごっちゃにして使われることがよくある。

ということで、さらには
生産の定義は『産出-中間投入』で、それが額として最終消費+投資に等しくなるだけなのに、日本ではこっちの計算式でも理論的には同じ額になるし、こっちの方が信頼性が高い値になる、ということで、
 生産=最終消費+投資
の式で計算しているようです。その結果いつのまにかこれが定義であるかのような説明になってしまっているので、『産出』は一体何なのか、<生産=最終消費+投資>は定義なのか等式なのか、はっきりしない、というような状況になってしまっています。

中間消費と中間投入は額は同じだけれど、まるで別のものです。たとえばお金の貸し借りで考えれば、貸した方から見れば貸付金、借りた方から見れば借入金ですから、社会全体で見れば額として【貸付金=借入金】になるのですが、だからと言って「貸付金と借入金は同じもの」だなんて言ったらとんでもないことになってしまいます。

ということで改めて、「経済学者の言葉の使い方はかなりいい加減なので要注意!」で、いずれにしてもSNAとケインズの一般理論が同じものだとわかってメデタシメデタシです。

ケインズの一般理論の方は概念的・理論的な話だけなのですが、SNAの方は具体的な膨大な数の数字の体系が何十年分もたまっています。それこそ本当に宝の山みたいなものです。この数字をあれこれ眺めてみるのも新しい楽しみです。

ライフネット生命

5月 2nd, 2013

ライフネット生命の筆頭株主が変わったようです。

ライフネット生命が4月25日に発表していますが、今までの筆頭株主だったマネックスグループが持株の全てをスイス・リに売却して、ライフネット生命はスイス・リと業務提携契約を結んだということです。通常業務提携の発表は両方の会社から発表されるのですが、今の所スイス・リからの発表は見つかりません。

マネックスグループはライフネットの立ち上げ時からのスポンサーでしたが、全持株を41億円で売却して23億円の売却益を得たということですから、ベンチャーキャピタルとしては満足できるリターンだったのでしょうか。現経営陣はスポンサーに対する責任は果たしたということになるのでしょうね。

売却価格は1株あたり722.6円。これは株式公開以来の最安値に近い水準で、最近の株価が800円前後で動いているのに比べれば9掛け位の水準です。9掛けでもマネックスグループとしては利益を確定してしまいたかったんでしょうね。

でも世界的な保険会社が筆頭株主になって良かったですね。

保険会社には保険業法113条繰延資産といって、開業当初の5年間の事業費の一部を開業後10年までの期間に繰り延べるという、特別の繰延資産があります。ライフネット生命は今までこれを使ってきているので、毎年5億円~15億円(2013年3月期決算では多分18億円程度)、利益をかさ上げしています。今期(2014年3月期)からはその繰り延べができなくなり償却のみになりますから、今後5年間は毎年11億円ずつ利益が下押しされることになります。今期だけ見ると、前期18億円のかさ上げが今期11億円の下押しで、トータル約30億円の対前年度マイナス効果が発生するということになりそうです。

この113条の繰り延べによって、ライフネット生命は2013年3月期の第3四半期(2012年12月まで)で黒字の決算を発表しています。多分2013年3月期の年度決算でも黒字になるんだろうと思います。これが2014年3月期ではまた大幅な赤字決算ということになりそうです。

この113条繰り延べというのは、保険業法に規定されたごく真っ当な経理処理ですから、これで赤字になったからと言ってライフネットの収益力に大きな変化があったというようなことにはなりません。とはいえ、ライフネットに投資している人は必ずしもこのあたりの仕組みをちゃんと理解していないかも知れないので、決算の数字だけを見るとビックリしちゃうかも知れませんね。そんな時スイス・リが筆頭株主になっているというのは、安心感につながるかも知れません。

スイス・リというのは再保険会社ですから、ライフネット生命と業務提携してもあまりメリットがありそうにも思えません。しかし再保険会社というのは投資からの収益のために、株主配当だけでなく再保険料収入も使うことができます。今後ライフネット生命の再保険収支の変化は注目です。

ケインズ・・・11回目

4月 22nd, 2013

前回紹介した第12章ですが、もう少し紹介します。

この章の第4節に、
 『我々は実際には市場の現在の評価は、それがどのような経緯でそうなったにせよ、投資利益に影響を及ぼす事実についての手持ちの知識との関係で見れば一意に正しく、そしてこの知識が変化する場合に限り、評価もまたそれに応じて変化すると想定している。』
という言葉があります。マーケットがどう動こうとニュース番組では、解説者がきちんとこれこれこういう理由でこうなった、と話してくれます。「こんなマーケットの動きはおかしい」なんて話は滅多に出てきません。これが上の文章の『一意に正しい・・・と想定している』ということです。ですから最初から「マーケットは正しい」と想定しての後づけの議論ですから、あまりあてにはなりません。その時その時でマーケットを正当化する議論を考え出さなきゃいけないので、解説者も大変だなと思いますが。

またこのように想定することにより、「ある投資物件の本当の価値を評価するなんてことはとてもできそうもないけれど、何かあったらどっちの方向にどれ位動きそうか・・くらいだったら俺でも評価できると思う」という人達がどんどんマーケットに参加してくるんですね。

ですから、ある投資物件が本当の所どのような価値を持つのかなんてことはどうでも良いことになってしまいます。今の価格が正しいと無条件に想定して、あとはそれが状況の変化に対してどのように変化するかということだけを考えるだけのことですから、
 『人がある投資物件はその期待収益から見て30の価値を持つと信じていても、同時に市場は3月先にそれを20に評価するだろうと彼が信じているのなら、その物件に25の支払をするのはどうかしているからである』
ということになります。

このような観察からケインズは、『賭博場は公共の利益のためには近づきにくく高価につくのが良い』と言って、『イギリスの市場がウォール街に比べて近づきにくく極めて高くついているからまだ罪が軽い』と言っているのですが、今ではロンドンも東京もニューヨークも同じようなものになっているのかも知れません。

ケインズはロンドンのマーケットの「場内仲買人の利ざやの高さ、売買手数料の高さ、移転税の重いこと」を非常に評価しているんですが、その後の現実はケインズの思いとは逆の方向に極端に進行して現在に至っており、デイトレーダーがコストの安さでいくらでも勝負をかけられる賭博場になってしまっているということなんでしょうね。

ここの所、ケインズはわざわざ(注)をつけて
 『ウォール街が活況を呈している時には、投資物件の売買の少なくとも半分は投機家が同じ日に反対取引を行なう意図で遂行されると言われている。』
なんて言っています。今のように一回の間に何回となく反対取引を繰り返すような状況を見たら、何と言ったんでしょうね。

TPP

4月 22nd, 2013

TPPへの日本の交渉参加、ほぼ了解が取れたようですね。マスコミではもう決まったように書いてありますが、まだアメリカの議会の了解が終わっていませんから、まだ「ほぼ」の状況です。

しばらく前、アメリカ政府との交渉で日本が一方的に譲歩させられた・・みたいな話もありましたが、私はこの交渉は大成功だと思っています。いかにもTPPに参加すると貿易の完全自由化を押し付けられるかのような話だったのが、この交渉の結果、アメリカもなりふり構わず自由化には反するいろいろな条件を主張してきた、ということがはっきりしましたから、これは日本が今後本格的に交渉に参加するにあたり、準備作業を進めるにはかなり役に立ちそうです。

保険ではかんぼ生命のがん保険に待ったがかけられた、ということですが、大した話ではありません。かんぽ生命が完全に普通の民間会社になることはなさそうですから、である以上、いろんな条件がつくことは当然の話でしょう。

日本のマスコミの報道では、日本がアメリカを初めとする他の国にいろいろ注文をつけられるという雰囲気になりますが、他の参加国としてはむしろ日本と協力してアメリカに対していろいろ注文をつけたいということでしょうし、さらにはこの交渉を通してTPPに参加していない中国や韓国にも影響を与えたいということでしょう。それを踏まえて、日本も自由にいろんな国と協力して交渉すれば良いんだと思います。

7月に日本が参加しても交渉が終わるまで時間がないから何もできない、なんていう話もありますが、日本が正式に参加することになったら、必要だったらその交渉のスケジュールも変更すれば良いだけです。別に誰かに命じられて交渉しているわけではなく交渉の当事者が全員集まって協議するわけですから、スケジュールにしても交渉のやり方にしても、参加者全員で話し合って必要に応じて変更すれば良いだけの話です。

日本では会議のルールやスケジュールを一旦決めるとその通りにしなければならないという雰囲気になりますが、アメリカやヨーロッパの国が参加する会議では、かなり好き勝手にルールやスケジュールを途中で変更しています。日本もそろそろこのような協議の進め方に慣れる必要があるんでしょうね。

キプロスはドイツより金持ち?

4月 16th, 2013

今日(4月16日)の日経新聞の朝刊8ページに面白い記事が出ています。
「ドイツ人の資産が少ないワケ、国で違うユーロの価値」という見出しの、フィナンシャルタイムズ(FT)の記事の翻訳です。

この記事の内容は、【欧州中央銀行(ECB)の調査によると、世帯あたり純資産の平均は、ドイツ20万ユーロ弱、スペイン30万ユーロ、キプロス67万ユーロだ。】
ということです。【平均でなく中央値で見ると、ドイツ5万1千ユーロ・キプロス26万7千ユーロ】で、5倍も違うということです。

この数字だけ見るとお金持ちのキプロスを貧乏なドイツが助ける理由はないということになり、既にドイツではそういう議論が始まっているようですが、FTの記事はこの差はドイツのユーロ・スペインのユーロ・キプロスのユーロで、国によりユーロの価値が違うんだと言っています。

通貨統合で同じ貨幣を使っていて、EU内では国境がなく自由に移動ができるようになっていますから、これもおかしな話です。

で、FTの元の記事を確認してみたのですが(記事は購読者じゃなければ読めないようになっていますが、今はサービスで無料で購買者になれる、とのことで、購読申込をしたら見ることができました)、日経の記事はかなり端折ってはあるものの、大筋はほぼ妥当な翻訳になっていました。

で、事の起こりはECBが今月100ページ余りの調査レポートを発表し、その中でこれらの数字が発表されているということのようです(レポートの76ページに表があります)。

その後Forbesで「キプロスはドイツより金持ちじゃない」”Seriously, Cyprus is not richer than Germany″という記事が出て(この記事は普通にネットで読めます)、それによるとこのECBのレポートの純資産には公的年金・企業年金が入っていないので、見た目ドイツの方が貧乏に見えるけれど、これらの年金を入れればドイツの方が遥かに金持ちになるはずだと解説してくれています。

このForbesの記事にはこのFTの記事へのリンクもECBのレポートへのリンクも出ているので、簡単に読めます(ただしFTの記事を読むには購読の手続きが必要ですが。日本のマスコミの記事もこのようにリンクをちゃんとはっておいてくれるとうれしいんですが)。

ということで、統計の読み方、解釈の仕方の面白いサンプルとして、またこのFTの記事の解釈の面白さ、そしてドイツの「キプロスの方が金持ちなんだから助ける必要はない」という議論はこれからも話題になるかもしれないと思い、なにより『ドイツ人よりキプロス人の方がはるかに金持ちだ』と解釈できる統計データがある、ということで、紹介します。

キプロス

4月 15th, 2013

キプロスの状況の報道が止まってしまいましたね。
今どうなっているんでしょうか。

私の考えでは、お金がなくなると小口のやりとりはまずはツケで買物ができるようになり、大口のやりとりは信用できる大きな会社が手形や小切手を振出してそれが紙幣の代わりに流通する、というくらいのものですが、現状どうなっているか、興味があります。

ユーロ危機も関心ありますが、現金がなくなった社会がどのように動いているのかも知りたいですね。

こんなことをちゃんと報道してくれるマスコミがあると嬉しいのですが。

建築施工管理の本

4月 15th, 2013

久しぶりにケインズ以外の本を紹介します。
「現場に学ぶ建築施工管理の実戦ノウハウ」という、堀俊夫/著・オーム社/刊の本です。
これも図書館の新着書コーナーにあった本で、面白そうなので借りてみました。

仮設工事・躯体工事・仕上工事・解体工事と、建築工事の様々な場面でどのような工事が行なわれ、施工管理者は何をしなければならないかが書いてあります。

著者は竹中工務店で様々な工事の建築管理をした人で、日本だけでなく海外の工事もいくつも経験しているとのことで、実際の成功例・失敗例を具体的に紹介しながら施工管理のやり方について解説しています。

私は別に建築にかかわったわけでも勉強したわけでもなく、単にビルの解体工事や新築工事を見ていて面白そうだなと思っているだけの素人ですが、この本を読んで解体工事や新築工事の現場で何が行なわれているのか、その時現場の管理者は何を考え、何をしているのかが、(何となく)わかりました。

様々な分野の異なる専門の職人さんが入れ代りやって来て、協力して丁寧な仕事を効率的に行なって立派な建物を作り上げる、その総合コーディネーターとしての建築管理責任者。発注元や設計者の相次ぐ設計変更に対応しつつ工期を管理し、追加工事費の取りっぱぐれを防ぐ、ゼネコンの代表としての現場管理者。天候の変化に対応し、事故に対応する現場の安全管理・リスク管理の責任者。仕入れた原材料が想定と違っていた時のリカバリーの仕方、国によって異なる商習慣や自然環境の違いにどう対処したか、等々。まさにすごい仕事をしてるんだなと感激しました。

私もそれなりにイッチョマエに仕事をしているつもりですが、この建築施工管理の現場責任者の仕事というのはとてつもないもんだなとあきれ果てました。

こんな本が突然目の前に出現するというのも、図書館で本を借りる楽しみの一つです。

ケインズ・・・10回目

4月 12th, 2013

さて前回書いた資本の限界効率、すなわち投資の利回り見込みですが、ケインズは金利とその見込みを比較して、金利の方が低ければその投資が行なわれ、それより低い金利がなくなるまで投資が増える、といっています。

ケインズの言う「金利」というのは、預金者にとっての金利ではなく、企業にとって投資資金を借りるための金利ということになります。

もちろん金利といっても期間の長短、借り手の信用状況、貸し手の資金状況によって様々ですが、この様々な全体を金利といっています。資本の限界効率、すなわち投資の利回り見込みについても、何に対して投資するか、将来の収益見通しに対する投資家の期待(見込み)によって様々になります。その様々な投資の利回り見込みと様々な金利の全体をぶつけると、金利の方は低い方から、投資の方は利回り見込みが高い方から次々に借入れと投資が組み合わされていき、投資の利回り見込みの最も高いものより一番低い金利の方が大きくなるまでそれが続く、というわけです。

貸し手・借り手がそれぞれ自分勝手に設定する金利・投資利回りが集まって実際の投資が行なわれるというわけですから、非常にダイナミックな具体的なイメージで、経済学の教科書という雰囲気はありません。

またこのような事情ですから、企業家の心理がちょっと変化するだけで投資利回り見込みが変化し、投資の全体量が大きく変化するということになります。

ケインズはこの投資家の利回り見込みについて、短期と長期に分けて議論します。「短期の見込み」というのは、今から製品を作って、それがいつ・いくらで売れるだろうかという見込みです。「長期の見込み」というのは、今から設備投資をして、それを使って将来製品を作って、それがいつ・いくらでどれ位売れるだろうかという見込みです。

この長期について第12章「長期期待の状態」という章をまるまる使っているのですが、これが何とも面白い章です。ケインズ流のウォールストリート型金融市場論ですが、この章だけは他の章とは別に独立して読める内容になっています。今ではウォールストリートだけじゃなく、全世界的に投機主体の投資市場が至る所にあって、そのすべてに当てはまる話です。

有名な美人コンテストの話も出てくるのですが、それ以上に、たとえば株式投資とかその他のあぶなっかしい投資市場についての基本原理が説明されています。ここで述べられていることは今でもそのまま通用する原理になっています。

投資する物や会社の価値をきちんと評価して投資しようとする人が必ず失敗する理由とか、価値をきちんと評価できない人が平気で投資できるのはなぜかとか、
「型を破って成功するより型通りのことを行なって失敗した方が、まだしも評判を失うことが少ない」とか
「我々の積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値のごときに依存するよりは、むしろおのずと湧き上がる楽観に左右される」とか
「企業活動が将来利得の正確な計算に基くものでないのは南極探検の場合と大差ない」(南極がまだ未知の大陸だった頃の話です)とか
「将来に影響を及ぼす人間の決定は、それが個人的な決定であれ政治的・経済的な決定であれ、厳密な数学的期待値に依拠することはあり得ない」とか
「個人の企業心が本領を発揮するのは合理的な計算が血気によって補完・支援され、その結果開拓者をしばしば襲う、すべてが水泡に帰すのではないかという想念が、ちょうど健康な人が死の想念を振り払うように振り払われる場合だけである」
とか、その他示唆に富む言葉がテンコ盛りです。

証券アナリストの必読テキストにしたい位ですが、そんなことをしたら証券アナリストになろうとする人が激減してしまうかも知れません。

この章(文庫本で27ページ)だけでも読んでみることをお勧めします。