Archive for the ‘時事雑感’ Category

『リス殺し』

月曜日, 4月 24th, 2023

『リス殺し』と言っても動物虐待の話ではありません。今はやりの『リスキリング』のことです。

これがリ・スキリングと書いてあれば良いのですが、リスキリングと続けて書かれてしまうとどうしても『リス殺し』という言葉が最初に頭に浮かんできて、そのあとで『じゃなくてリ・スキリングの事か』と思い至るという事です。

でこの言葉、私の若い頃は何と言っていたんだろうと思って考えてみたら、『自己啓発』という言葉にたどり着きました。

自分の知識の幅を広げ深みを増すために自己啓発に励みなさい、と言って、セミナーに参加させられたり本を読まされたりしたものです。

今回のリス殺しにしても誰が言い出したものなのか分かりませんが、これによって収入を得ているコンサルタントやセミナー屋さんがどれくらい多くいるのかと思うと、大変なものです。

こういうコンサルティング業界というのは、一つの言葉を発明し、それがうまく当たると膨大な数の人の収入源になるという性格のものです。

今更自己啓発などという古めかしいホコリのついた言葉でなく、『リスキリング』と言えば何となく格好良いし英語みたいだし、『リス殺し』というちょっと怖いようなニュアンスもあるし、ということで、なかなかのネーミングだと思います。

とまれ、もはや私はこのリス殺しを他人に強制する立場でもなく他人に強制される立場にもないので、気楽なものです。

若い人は就職した途端あるいは就職する前から、何一つ学び終わったことも仕事を覚えたこともないのにリス殺しを強制されるというのはつくづく大変だなあと思ってしまいます。

『中東問題再考』-飯山 陽(イイヤマ アカリ)

金曜日, 2月 24th, 2023

かなり待たされましたが、図書館に同時に予約した飯山さんの本のうち、最後のものが来ました。

これはすごい本です。実名をあげて次から次に中東問題の『専門家』『メディア』『コメンテーター』の嘘を具体的に示しています。『誰それは、これこれの本でこう言ってますが、嘘です。』といった具合です。それにしてもそこに挙げられる人の名前がホントにいくらでも次から次に出てくるのには、呆れ果ててしまいます。

一度にこれだけ大勢の人を敵に回してしまうわけですから、その人々から一斉に攻撃されるのも仕方のないことです。とは言え、イスラム原理主義のテロリストの頭目のようなイスラム法学者にテレビでインタビューして、悪魔を見るような目で見られながら話をした著者にしてみれば、そんな有象無象は怖くも何ともない、という事でしょうか。

著者は『はじめに』で、中東問題を分かりにくくしている原因を二つにまとめています。『第一の原因は中東問題が複雑だからだ』『第二の原因は中東問題についての日本のメディアの報道と、それについての「専門家」と称される人々の解説が偏向していて、嘘が多いからだ』と、最初から平然とストレートに指摘しています。

その後各論に移って、アフガニスタンのタリバン、イランの原理主義イスラム法学者達、トルコのエルドアン政権、とマスコミや専門家が『親日』ともてはやしている国々が、実際『親日』とはまるで違っていて、原理主義過激派がいかにそれぞれの国民を虐げているか解説しながら、いかにメディアや専門家が嘘をバラ撒いているか、具体的に誰がどこにこう書いた、どこでどのように言っていたか、具体的に解説しています。

次に『なぜイスラム諸国は中国のウイグル人迫害に声を上げないのか』として、それらの国々の支配者たちが、ウイグル人や自国民の事より、中国の一帯一路により自分達がどれだけ儲けるかの方を優先しようとしていることを明らかにしています。次のパレスチナの所で、パレスチナを支配している過激テロリスト達がいかに住民を抑圧搾取して自分たちだけ贅沢をしているか、欧米・日本からの援助はすればするだけそのテロリスト達を豊かにして、パレスチナの住民を苦しめることになるか明らかにし、ここでもメディアや専門家は自分達の反米・反日にとって具合の悪いことについて目もくれず何も言わない、ということを明らかにしています。

一つ一つ指摘されていることは、その時々に多少とも報道されることも多いのですが、気を付けていないとメディアや専門家の曲解・意図的な嘘の報道でともすればかき消されてしまうような状況で、この本のように丁寧にまとめてくれると理解しやすくなります。

多くの国で過激派原理主義者やテロリスト達が、国民や住民を人質にとって反米・世界征服を企てている現状を、どのように解決することができるのかは分かりませんが、とりあえず現状がどうなっているか、という事だけでも正しく認識しておくことが大事だと思います。

恐い話が次々に出てきますので誰にでもお勧めというわけにはいきませんが、中東問題をちゃんと理解したい人、マスコミや専門家達に騙されたくない人、飯山陽という人がいかに危ない戦いをしている人か知りたい人にお勧めです。

パブコメ

木曜日, 2月 9th, 2023

金融庁の少額短期保険業者向け監督指針が改正されることになり、現在パブコメの手続きに入っています。

私はもう実質的に引退しているようなものですが、それでも細々と少短業者の保険計理人も務めているため一応念のためにこの監督指針の改正案を見てみました。

その内容については興味がある方は直接検索して見てもらうことにして、私としては少短の基本的あり様を変えてしまうような改正かなと感じ、久しぶりにパブコメに意見を送付しようと思いました。

で、とりあえず原稿を完成させ送付する段階で、今まではすべて郵送していたのですが、せっかくネットで送る方法を用意してくれているので、今回はネットで送信することをトライしてみることにしました。

で、とりあえず送信用フォームに入力を済ませ、送信の前の手順で確認ボタンを押しました。すると何と『機種依存文字を使うことはできません』とエラー表示されてしまいました。と言ってどの文字が機種依存文字でエラーの原因になっているのか、という表示はどこにもありません。

仕方ないので前のように印刷して郵送しようかとも思ったのですが、せっかくなので取り敢えず何とかネット送信できるようにしてみようと思いました。で、ネットで調べてみると機種依存文字をチックしてくれるサイトがいくつもありました。で、そこに入力して機種依存文字をチェックしてみた所、赤で表字されたのがローマ数字のⅡ・Ⅲ・Ⅳ・・・と、丸文字の①・②・⑤のようなものです。でローマ数字は単なるアルファベットを重ねたII, III, IVに変え、①②⑤は丸1・丸2・丸5と変えて再度チェックしたら、今度は『機種依存文字なし』ということになりました。

そこで今度こそ、と思って再度パブコメシステムに戻って送信をしようとしたら、まだ『機種依存文字を使うことはできません』エラーで送信できません。とは言えどの文字がエラーになっているのか分からないので、仕方なく金融庁に電話することにしました。で、金融庁ではどうにもならなくてパブコメ全般を管理しているe-Govの方に電話するように言われてしまいました。e-Govの担当者とも色々話をした後でe-Govの中の『入力可能な文字について』のページを紹介して貰いました。そのページに載っている『パブリックコメントで使用できない文字の例』のリストを見てみると、どうも『―』が怪しそうだな、と思いました。『―』は計算式に入っている『+-』として使っているものと、節の番号たとえば『Ⅱ-3-4-2』なんて所に使われる『―』と、それが怪しそうだと思い立ちました。とはいえどちらも今回の改正案の新旧対照表に書いてあるのをそのまま切り貼りしているだけのものなのですが、とりあえず『+-』はすべて小文字の『+-』に書き直し、また節の番号の『-』もすべて小文字の『-』に変えてみました。それで今度こそと思ってパブコメのシステムから送信してみました。

何とこれがエラーなしで無事に送信することができました。
ヤレヤレ、メデタシメデタシです。

『朝日新聞』

水曜日, 1月 18th, 2023

昨年の年末に自宅の固定電話に電話がかかってきました。たまたま私が出た所、朝日新聞からの電話でした。

何だろう、と思いつつどうせ暇なので話を聞いてみたら新聞の勧誘です。とはいえ普通の勧誘とはちょっと違って、何日か無料で配達するのでそれを見て、もし良かったら購読して下さいということでした。

紙の新聞も読むことはなくなっているし、特に朝日新聞は何年も見ていないので、とりあえずタダなら良いやと思ってこの話に乗ることにしたら、正月の3日から7日までの5日間、朝日新聞の朝刊が自宅に配達されました。さすがに大部の元旦号は配達はしないようです。

私は昔、親と同居していた時は父親は典型的な朝日・岩波・NHKだったので、新聞は朝日と決まっていました。とは言え、特に社会問題に興味はなかったので、見るのは4コマ漫画・新聞小説・囲碁将棋欄、そしてテレビ・ラジオ欄をちょっと見るだけでした。学生の時名古屋住まいをしていた時には地元なので仕方なく中日新聞を取っていました。

名古屋から戻って社会人になり、新入社員研修で講師をした先輩社員から『日経新聞を読め』と言われて早速4月1日に遡って配達してもらい、それ以来40年くらいは毎日読んでいました。

結婚して奥さんに『近所の情報が必要だから折り込み広告が入る一般の新聞を取ってくれ』と言われて、朝日・読売等を取ったこともあり、また日経も本紙だけでなく、日経金融新聞や日経産業新聞も併せて購読していたこともありました。

その後日経新聞本紙のみになり、それも会社をたたむ時にやめました。

保険会社にいた時は会社で一般紙も取っていて、時々は見る機会もあったので、それを見て、特に朝日新聞の社説があまりにも非論理的なので、『受験生の息子には朝日新聞の社説を読ませている』という社長に対し、『朝日の社説を読むと頭がバカになるからやめた方が良い』とアドバイスしていました。

その頃でも日経新聞の記事が事実の報道が3割~5割位なのに対し、朝日新聞の記事は事実の報道が1割位だと思っていたのが、日経新聞がどんどん朝日新聞のようになっていくので、もう新聞は読む価値がないな、と思ってやめました。

その後朝日新聞がどうなっているか、という興味もあったので無料の配達をしてもらいました。

で、3日に配達された新聞を見て、あまりにスカスカなので呆れ果てました。まぁ正月なので、紙面を作るのも手抜きをした、ということかも知れませんが、読む所はまるでありません。特に3日と4日は1面のトップにストーリーテリングというんでしょうか、誰誰さんがどうしたこうしたという、実名だか仮名だか匿名だか分からない名前で特定の個人の物語を延々と書いたあと、それに対するコメントの形でウンチクをたれる・・という記事が出ていました。

別に一刻を争うような記事でもなく、いつ出しても良いような記事をあらかじめ書き溜めておいて、これを載せれば記者さんはゆっくり正月休みを楽しめるということでしょうか。

4日の一面に載ったのは飯山あかりさんもYouTubeでこきおろしていましたが、新興宗教にはまった両親のために苦労した娘が、今度はイスラム教徒と知り合ってイスラム教徒になってしまって、心の平安がもたらされてヨカッタヨカッタ、という記事です。

このような物語が一面のほぼ全体を占めている、というのは、もう新聞は報道機関である、という建前まで捨ててしまったかのようです。

このストーリーテリングの手法、私にとっては作り物の物語で何の価値もないとしか思えないのですが、朝日新聞の情報の記者さんたちはセンチメンタルな物語を作ってカッコイイと思っているんでしょうね。

3日・4日は、2日・3日に行われた箱根駅伝の話でかなり紙面が潰せます。7日の土曜日は毎日のテレビ・ラジオ欄で使う2頁のほか、週刊テレビ欄ということで丸々3頁使っています。

正月の名残で他の全面広告もかなりたくさん入っていて、大体毎日30頁くらいの紙面の3分の1は全面広告です。呆れ果てえるばかりのテイタラクです。

7日の夕方また電話がかってきて、『無料配達した新聞は見てもらいましたか、取ってみようという気になりましたか』と聞かれ、『思った通り価値がない事がわかった。5日間有難う。』と答えて一件落着です。

『国家安全保障戦略』

火曜日, 12月 27th, 2022

いわゆる安保3文書というのは『国家安全保障戦略』『国家防衛戦略』『防衛力整備計画』の3つですが、これに『国家安全保障戦略(概略)』と『国家防衛戦略(概略)』という2つのプレゼン資料が付いています。

何かと話題なので読んでみました。プレゼン資料は、分かっている人が誰かに説明するための資料のようで、これから先に読もうとしても良くわかりません。また3つの文書はそれぞれA4で30頁くらいあるので、まずは『国家安全保障戦略』から読んでみました。この『国家安全保障戦略』のもとで『国家防衛戦略』があり、それに従って『防衛力整備計画』があるというたてつけなので、まずは総論の『国家安全保障戦略』から、ということです。

読んでみて驚くような記述が多数あり、これは私が今まで知らなかっただけの事なのか、今回変わったのか確かめるため、今回の『国家安全保障戦略』の前の平成25年(2013年)の『国家安全保障戦略』も読み、また日本語の意味を明確にするために今回の『国家安全保障戦略』の英字版(National Security Strategy of Japan)も見る事になってしまいました。

で、今回の『国家安全保障戦略』ですが、明確になっているのは、従来の国連中心主義、国連の下で優等生であろうという姿勢をやめて、その代わりに二国間、多国間の協力により世界平和を進めていく方向性をはっきり打ち出して、覚悟と責任感を持って世界をリードしていこうとしている姿勢になっている、という事です。

この段階で、それじゃあ今までの『国家安全保障戦略』はどうだったんだろうと見てみると、ここでは国連中心主義が明確に書かれています。すなわち今回の文書で明確に国連を見限ったということです。

もちろん今回の文書でも国連改革を進める、という方針も書かれていますが、もはや国連だけに頼り切っているわけにはいかない、ということです。安保理の常任理事国であるロシアがウクライナに侵攻し、明確に国連憲章に違反しているというのもちょうどタイミングが良かったのかも知れません。

従来の文書では北朝鮮だけが明確に非難されていたのが、今回の文書では北朝鮮・中国・ロシアが明確に非難されています。

前回の文書ではアラブ原理主義勢力を念頭に、『非国家主体によるテロや犯罪(5~6頁)』というのが大きなリスクとされていますが、今回の文書では『他国の国益を減ずる形で自国の国益を増大させることも排除しない一部国家が、軍事的・非軍事的な力を通じて自国の勢力を拡大し、一方的な現状変更を試み国際秩序に挑戦する動きを加速させている(6頁)』と記載し、ロシア・中国がリスクだとしています。具体的に『他国の債務持続性を無視した形での借款の供与等を行うことで他国に経済的な威圧を加え、自国の勢力拡大を図っている(7頁)』とか『一部の国家が他国の民間企業や大学等が開発した先端技術に関する情報を不法に窃取した上で自国の軍事目的に活用している。(7頁)』など、国名は明記していなくても誰が読んでも中国のことだと分かるような書き方をしています。

インド太平洋地域について『核兵器を含む大規模な軍事力を有し、普遍的価値やそれに基づく政治・経済体制を共有しない国家や地域が複数存在する(8頁)』とか『中国はロシアとの戦略的な連携を強化し、国際秩序への挑戦を試みている(8~9頁)』とまであからさまに記述しています。

日本が協力する国々を表現する『同盟国・同志国等』という、多分今まで聞いたことのない言葉が出てきたので、英文の方で見てみると『 ally, like-minded countries and others』 となっていました。

もう国連中心ではなく同盟国・同志国たちと一緒にやっていくのだ、という意思を表現したものです。

従来ともすれば曖昧なままにされていた『国益(5頁)』とか『国力(11頁)』という言葉を正面から使っているのもびっくりです。

安全保障に関する基本的な原則の中で『我が国を守る一義的な責任は我が国にある(5~6頁)』という言わば当たり前のことを当たり前に明記しているのも新鮮です。

『国力』の主な要素として『第一に外交力である。(中略)大幅に強化される外交の実施体制の下、・・・(11頁)』『第二に防衛力である。(中略)抜本的に強化される防衛力は、・・・(11頁)』として外交力と防衛力を大幅に強化する方針が示されています。

具体的な防衛力強化策としては『現存装備品を最大限有効に活用するため、稼働率向上や弾薬・燃料の確保、主要防衛施設の強靭化により防衛力の実効性を一層高めていくことを最優先課題として取組む(17頁)』としています。

またこの防衛力強化の中に『反撃能力を保有する(18頁)』と書かれ、これは『(憲法上、法理的には自衛の範囲に含まれ、可能であるものだが)これまで政策判断として保有することとしてこなかった能力に当たるものである。(18頁)』として、今までとは違うぞと明らかにしています。とは言えこれは『専守防衛の考え方を変更するものではなく、(18頁)』として専守防衛の中で相手が攻撃しようとする場合にはしっかりと反撃するんだという姿勢を示しています。それも、もはや敵基地だけ攻撃しても相手の攻撃を防ぐことにはならないので、『反撃能力』として、より広い目標に対して攻撃する意思を明らかにしています。

この防衛力の強化に関しては『我が国の防衛力の抜本的強化は速やかに実現していく必要がある。具体的には本戦略策定から5年後の2027年までに我が国への侵攻が生起する場合には、我が国が主たる責任をもって対処し、同盟国の支援を受けつつこれを阻止・排除できるように防衛力を強化する。さらにおおむね10年後までにより早期かつ遠方で我が国への侵攻を阻止・排除できるように防衛力を強化する(19頁)』と覚悟のほどを語っています。

そしてそのような『自衛隊の体制整備や防衛に関する施策はかつてない規模と内容を伴うものである。(19頁)』と明らかにしています。

そして『我が国の防衛生産・技術基盤はいわば防衛力そのものと位置づけられるものであることから、その強化は必要不可欠である。(19頁)』『力強く持続的な防衛産業を構築する(19頁)』『官民の先端技術研究の成果の防衛装備品の研究等への積極的な活用、新たな防衛装備品の研究開発のための態勢の強化等を進める。(20頁)』としています。

『サイバー安全保障分野での対応能力の向上』では、『国、重要インフラ等に対する安全保障上の懸念を生じさせる重大なサイバー攻撃について、可能な限り未然に攻撃者のサーバー等への侵入・無害化ができるように政府に対し必要な権限が付与されるようにする。(21-22頁)』とあり、ここでも、守るだけでなく、攻撃こそ最大の防御なりとの考え方が表明されています。積極的に攻撃する能力こそ積極的な防御であり、積極的な平和に向けての行動だ、ということでしょうか。

そして『技術力の向上と研究開発成果の安全保障分野での積極的な活用のための官民の連携の強化(23頁)』として『民間のイノベーションを推進し、その成果を安全保障分野において積極的に活用するために、関係者の理解と協力を得つつ、広くアカデミアを含む最先端の研究者の参画促進等に取り組む。(23-24頁)』として、日本学術会議等の、大学における軍事転用の可能性のある研究を排除する方針を、さらっと明確に否定しています。これで学術会議は国の方針に反する組織ということになるんでしょうか。

今回のこの文書で目立つのが、従来「参加する」・「協力する」と言っていた国際的な課題について、「主導する」、「主導的な役割を果たし続けていく」、という言葉が目立つことです。はりぼての中国のGDP2位をあからさまに否定するわけではないけれど、実質的にアメリカに続くGDP大国の自覚と責任から今までより積極的に諸問題に立ち向かっていく覚悟の表明であり、中国・ロシア・北朝鮮・韓国にとっては戸惑いを覚える文書でしょうね。

ここまであからさまに書いた文書を発表してしまった以上、中国としても今さら林外相を呼びつけて文句を言ってみても懐柔してみても何の効果もない、ということでしょうか。林外相の訪中が急遽中止となってしまいましたね(表向きの理由はコロナの爆発のようですが)。

ここまでの覚悟と自信を持って堂々と主張を明確にしている文書は日本では初めての事じゃないでしょうか。今は亡き安倍さんが構想し岸田さんが継承すると言ったのがこの事だったのか、と思うと、日本もここまで来たか、と頼もしい限りです。

これは『国家防衛戦略』の9頁に書いてある『我が国の意思と能力を相手にしっかりと認識させ、我が国を過少評価させず、相手方にその能力を過大評価させないことにより我が国への侵攻を抑止する。(9頁)』というFDOという戦略の一つのようです。習近平がこれをどのように評価するか、コケ脅しだと思って日米を相手に挑発を続けるのか、日本の姿勢にビビッてしまっておとなしくなり国内での権力基盤を失ってしまうか、見ものですね。

『イスラームの論理と倫理』中田考・飯山陽

木曜日, 10月 20th, 2022

前回の『イスラム教の論理』に続いて飯山さんの本をさらに3冊読みました。
2冊目は『イスラム2.0』という本、次に『イスラム教再考』、4冊目がこの『イスラームの論理と倫理』という本で、この本だけ飯山さんと中田さんの共著という形になっています。

出版の順番は4番目に読んだ『イスラームの論理と倫理』が3番目で、その後『イスラム教再考』が出版されています。

『イスラム2.0』というのは『イスラム教の論理』でも書いてあった、インターネットの世界になって誰でもコーランやハディース等の原典に直接アクセスできるようになり、またいろんなイスラム法学者の発言にも簡単にアクセスでき、信者どうしもSNSで交流することができるようになった状況をコンピュータのOSになぞらえて、『それ以前のバージョン1.0がバージョン2.0にアップグレードされたんだ』と表現し、その結果世界各地のイスラーム教国家がどのように変化しているのかという報告です。

これに引き続く『イスラームの論理と倫理』では飯山さんと日本のイスラム学界の権威とされる中田考さんの対話という形になっています。

最後の『イスラム教再考』ではこれに引き続き飯山さんが日本のイスラム学界の人々を次々にヤリ玉に上げていきます。イスラム学界の人でなくても、池上彰さんや『現代の知の巨人』の前ライフネット生命の社長・会長の出口さんまで何度も登場してヤリ玉に上がっているのもご愛敬です。

で、この『イスラームの論理と倫理』ですが、本の扉には『妥協を排した書簡による対話』となっていますが、実際のところまるで対話になっていません。

飯山さんがそれぞれのテーマについて真面目に考察し、日本として日本人としてどのように考えたら良いのか検討するのに対し、中田さんは業界の権威であるという立場から飯山さんを徹底的に見下すように自分勝手な議論を展開し、殆ど誰も知らないようなことを書き散らしていかに自分が何でも知っているかみせびらかし、飯山さんのことはあくまで『飯山さん』と言って素人扱いしています。

飯山さんはさすがに中田さんを常に『中田先生』と言ってはいますが、その代わり最後の書簡では『「往復書簡」における中田先生の文章は晦渋さと曖昧さに満ち、冗長で要を得ません』と明確に言ってのけています。念押しに『この中田さんの文章を分かったふりをする必要はありません。・・・曖昧な文章はどこまでいっても曖昧であり、それを分かることなどできないのです。』とまで言っています。

中田さんの方は最後の書簡でもその前の続きのコロナウィルスに関する話を延々と繰り返し、何とかしてそれを反日・反米に結び付けようとしています。

ということで、他に例を見ないような『対話』ですが、中田さんがいかに議論をずらし、捻じ曲げて自分を偉く見せようとしているか、イスラム世界の話をいかに反日・反米につなげるか見てみようと思う人には楽しめると思います。

飯山さんはこの本と、続く『イスラム教再考』でイスラム学界のほとんどの人をヤリ玉にあげるというとんでもない喧嘩をしている人ですから、いろんな人にからんで人気を博しているひろゆき氏がちょっとちょっかいを出したくらいじゃ相手にならないのは当たり前ですね。

あくまで論理的な飯山さんの議論と、山ほど知識はあるものの論理的な思考ができず、その知識をひけらかしながら駄弁を弄し、情緒的に反日・反米をたくらむ中田さんの対比を楽しみたい人にお勧めします。

これで飯山さんの本を4冊読み、残りは2冊。
アラブの春の下でエジプトのカイロで暮らした体験記の『エジプトの空の下』と最新刊の『中東問題再考』です。最新刊の方は順番が回ってくるのに半年以上かかりそうな塩梅ですが、『エジプトの空の下』の方はもうすぐ借りられると思います。楽しみです。

『イスラム教の論理』飯山陽

水曜日, 10月 12th, 2022

この本の著者の飯山陽(イイヤマアカリ)さんは、ツイッターの投稿や虎ノ門ニュースでの発言を見ていてなかなか面白いなと思っていたのですが、あの2チャンネルを作ったひろゆき氏がネット上でこの飯山さんにいちゃもんをつけ話題になっていたので、この際飯山さんの書いた本を読んでみました。

図書館で在庫のあった6冊に予約を入れ、すぐに借りられた3冊のうち最も早く出版されたのがこの本で、まずはこの本から読んでみました。

読んですぐ『こんなことを書いてしまったのか』とびっくりしました。多分イスラム教を真面目に勉強したらすぐに分かることだけれど、従来、絶対に言ってはいけないとされていたことを平然とあからさまに書いてしまった、ということです。

案の定、飯山さんはイスラム教学者や中東問題の専門家たちからはコテンパンに非難・攻撃されたようです。

専門家たちに総スカンにされて平然と反論し続けてきた人ですから、聞きかじりの知識でいちゃもんをつけてきたひろゆき氏がかなうわけがありません。簡単に反撃され、目隠しにひろゆき氏はさっさと沖縄にわたって反基地運動の座り込みと称している場所に行ってネットを炎上させ、飯山さんに負けたことから見事に逃げおおせています。

で、飯山さんの言っているのは何かというと、イスラム教の前提となるのは『人はすべて神の奴隷であり、すべて神の命じるままに行動しろ』ということで、この神の命令には『人は正否の判断をすることができないので、無条件で従うのみだ』ということです。これまで一般のイスラム教徒にははっきりと示されなかったことがインターネットの発展により、イスラム教徒がコーランやその他の情報に直接アクセスできるようになり、またアラビア語で書かれ多国語に翻訳することが禁止されているコーランを、ネット上で好きなように自国語に翻訳して読むことができ、SNS等で自分の近くにいるイスラム法学者だけでなく他の人の意見も見聞きすることができるようになり、『イスラム国』などはその状況をフルに活用して様々な情報を動画で世界中にバラ撒いているということです。

この本の題名の『イスラム教の論理』に使われている『論理』という言葉も重要です。イスラム教というのは非常に論理的な宗教で、根拠となるのはコーランとムハンマド(マホメット)の言行録であるハディースのみで、あとはすべてこれから論理的に引き出してくるものです。キリスト教のカトリックでは法皇という神の代理人がいて、判断に迷ったときは正しく判断してくれる、ということになっているんですが、イスラム教ではムハンマドが最後の預言者だということになってますから、何が正しくて何が正しくないか判定してくれる人はもはやいないということです。

もちろん『イスラム国』がやっている戦争や自爆テロや女性虐待や異教徒の虐殺など一般的にとんでもないと思われていることも、論理的には正しい、ということになります。すなわち上記の前提となる考え方から論理的に引き出されてくるものだ、ということです。

これは確かに論理的に正しいのですが、感覚的に受け入れられないことを論理的に認めることができる人があまり多くない、ということかもしれません、論理の前提となる考え方が違うだけなんですが、論理だけで考える、というのはなかなか難しいのかもしれません。

例えばこの本には『働く女性は同僚男性に5口の母乳を飲ませよ』という話があります。職場でセクハラを防ぐために擬制的に自分が同僚男性の乳母であるかのようにしてしまうことにより、コーランに従ってセクハラができないようにしてしまう、という話です。こんなところまで論理的に説明してしまうのか、とあきれてしまいます。キリスト教にも『針の上で天使は何人踊れるか』という話があります。こちらは単なる絵空事の議論ですが、イスラム教のほうは現実的な議論です。

この飯山さんの本を読みながら思い出したのが、キリスト教のプロテスタントの宗教改革と新教・旧教の宗教戦争です。

西洋のルネサンスでグーテンベルグの活版印刷の技術が普及・発展し、まず大量に出版されたのが聖書で、それまで教会に独占されていて教会で神父の説教の時に断片的に読み聞かされるだけだった聖書が、ちょっとした金持ちなら自分で買って自宅で自由に読むことができるようになったということ、それによって信者が直接神と結びつくことが可能になったこと、また宗教戦争の時はアジビラを印刷して大量にバラ撒くことが可能になり、もちろんそれほど識字率は高くなかったとしても、居酒屋で字の読める者がそのアジビラを読み上げて他の人が聞くという形で情報が急速に拡散していくことが可能になったという状況、これらは上記の、ネットの発達でイスラム教の原理主義が急速に発展した事と何やら良く似ていると思います。

キリスト教の新教・旧教の戦争ではヨーロッパ中でお互いに殺し合いが何百年か続き、お互いにくたびれ果てて殺し合いは少なくなったようですが、今回のイスラム教とそれ以外の宗教あるいは無宗教との戦いも何百年か殺し合いが続くんでしょうか。やっかいな話ですね。

ということで、イスラム教に関するきちんとした説明です。とはいえ、とことん論理的な思考、というのはなかなか抵抗があるかもしれませんね。

お薦めします。

「詐欺メール」

水曜日, 9月 28th, 2022

私の使っているメールアドレスには毎日100通くらいのメールが来ます。とはいえ実質的に必要なメールは数通くらいで、残りは念のための連絡メール、DM等の不要メール、そして詐欺メールです。

不要メールについては即座に削除するのですが、詐欺メールについてはそれ用のフォルダーを用意し、そこに放り込むことにしています。

ひと頃大はやりだったものは、『オマエのPCを数か月前から乗っ取っている。オマエのPCのすべてを乗っ取っている証拠にこのメールの送信者を見ろ。オマエの名前とオマエのメールアドレスになっているだろう。オマエがネットでいかがわしいサイトを見ながらいかがわしい事をしている所を画面とPCのカメラで撮影して記録を取っている。これをばらまかれたくなければ〇〇ドルをビットコインで送金しろ。何しろオマエのメールソフトも乗っ取っているから、オマエの普段メールのやり取りをしている人達のメールアドレスもこっちはちゃんと抑えてあるんだぞ。オマエが48時間以内にそれだけ送金すればすべての記録を削除し、今後迷惑をかけない。今後はPCを乗っ取られないように注意しろ。』というような内容のものです。

このタイプの詐欺メールもメール文面の日本語も今ではかなり洗練され、違和感のない日本語になっています。この送信者名や送信者のメールアドレスというのは結構簡単に好きなように書くことができるものです。このタイプの詐欺メールは、文面の日本語のおかしな所と要求している金額の変化を見ながら楽しんでいました。

このタイプのメールは近頃では殆ど来なくなり、代わりに来ているのがクレジットカードの登録内容の確認を求めるメールや、インターネットの各種サービスの登録内容の確認を求めるメールです。登録内容がおかしいとか、不正に使われた形跡があるとか、このままではサービスが使えなくなるとかいろいろ言って、文中に埋め込んであるリンクを押して相手のサイトに誘導しようとするものです。特にしつこいのが『Amazon』と『えきねっと』です。

手を変え品を変え、このままではサービスが停止されるので確認しろという文面のものがいろいろ来ます。差出人の所には『Amazon』とか『えきねっと』とか尤もらしい名前が入っています。でもそのメールアドレスを見るとたいていが最後が『.cn』になっていて、中国のアドレスになっています。どうせやるならもっとちゃんとやれよな、と思うのですが、たぶん差出人名は見てもメールアドレスを見る人はあまりいないという事でしょうか。そこまできちんと対応しているものはあまりありません。

一つ面白かったのは『えきねっと』というのは『eki-net.com』というアドレスが本物のアドレスのようなんですが、これを真似て『eki-net.com.jp』などというアドレスも使ってありました。まあ殆どは『.cn』のアドレスですが。

こちらとしては毎日100通近いメールを削除したり別フォルダーに移したり手間をかけているんだから、詐欺メールを送りつける方ももう少し真面目にちゃんとやってもらいたいと思ったりもするんですが、先方はそんな所には手間をかけてもしようがない、そんな所を気にするようなヤツはほとんどいない、という事でしょうか。

PC移行

火曜日, 8月 23rd, 2022

私が今メインで使っているPCはWindows8.3のPCなんですが、近頃『Windows8.3のサポート期間終了のお知らせ』というメッセージが出るようになりました。とはいえ終了は来年の1月ですからまだ十分時間的余裕があるというか、そろそろ準備を始めなければというか、微妙なタイミングです。

今の所お金を貰ってコンサルティングをしている以上新しいPCを買うかな、としたらどんなものにしようかな、と思ってフト気が付いたら、2年前、会社を閉めるとき、こんなこともあろうかと思って、新しいPCを会社のお金で買って用意していたことを思い出しました。

その新しいPCはMacのPCでその上でWindowsを走らせる事ができるようにしてあるもので、これを使ってMacPCの経験もすることができるしWindowsの移行もできると思っていました。

その後会社を閉める作業と大宮にオフィスを用意して引っ越しをする作業に予想以上に手間取り、それが一段落した1年前から、ようやく暇を持て余すようになったので新しいPCで遊んでみようかと思っていたら、足の骨折と個人事業の確定申告・修正申告・経理システム作りに手間がかかって、新しいPCはe-Taxの申告書作りと虎ノ門ニュース視聴専用のようになってしまい、それ以外はこれまで使っていたWindows8.3のPCをもっぱら使っていました。

で、Windows8.3が使えなくなるということになると、ほぼ自動的に新しいPCを用意してそこにWindowsの10あるいは11を入れて、その他のソフトも新しいPCに移行して、と考えていたのですが、新しいPCが既にあるということになると、じゃあそのPCに今のPCから必要なものを全て移行しようかと思って、その作業のリストアップを始めました。

インターネットのブラウザとメールは当然移さなければならないんですが、他にもファイル転送のffftpとかdelphiの開発環境や、今いろいろいじくって遊んでいるPython関係などいろいろあるな、まあ時間がかかるけど1つ1つ移していけば何とかなるか、と思っていました。

ブラウザは、以前はFirefoxを使っていたのですが、いつのまにか試しに使ってみたgoogle chromeの方で殆ど作業しているのでそれを移そうかと思ったのですが、移行に必要な設定ファイルを見てみたらとてつもないボリュームのファイルとなっていて、chromeは一体何をやっているんだろうと思い、この際昔使っていたFirefoxに戻すことにしました。

メールは以前からThunderbirdを使っていて、新しいPCにも試しにいくつかのアカウントを設定してのですが、これに今使っている他のメールアドレスのアカウントを追加することにしました。この機会に今は殆ど使っていないアカウントは新しいPCには入れないことにしました。

ffftpは新しいPCには同じソフトの最新のバージョンをインストールして使うことにしたんですが、新しいPCでアカウントを設定する所でそれぞれのアカウントのパスワードを再確認して改めて入力しなければなりません。と思ったら、こちらも設定ファイルをコピーするだけで一発で移行作業が終わりました。

ブログの更新はブラウザ上で行っているので、特に移行作業は不要です。

で、他のソフト等ですが、良く考えてみたら別に新しいPCに移さなくても今までのPCで作業ができないわけじゃないし、入出力で必要な場合は新しいPCと今のPCでUSBメモリーでファイルをコピーして受け渡しすれば良いじゃあないかと思いついて、これで行くことにしました。これで今まで溜め込んでた有象無象のデータはそのまま今のPCとその外付けハードディスクに残して、必要に応じて新しいPCにコピーすれば良いし、最後に仕事を辞める時が来たらPCごと全て消去すれば良いと思いつきました。PCを使ったいろんな作業でdelphiを使っているものは今まで通り今のPCでやれば良いし、これでかなり気が楽になりました。

勿論このやり方は一時しのぎの時間稼ぎの先延しでしかないのは分かっていますが、私自身いつまで今のまま仕事を続けるか、続けることができるのかも分かりませんので、ここはこれが正解かなと思っています。一時しのぎでしのぎきれなくなったらその時はその時です。

まあその時にはPCの移行なんてしんどい作業をする気力はもう残っていないでしょうから、その時は全て捨てるということになるんでしょうね。そう思ったら何やらその日が待ち遠しいような気になりますね。

不動産の登記

水曜日, 8月 3rd, 2022

クライアントの決算の作業が一段落して、懸案の不動産の登記をしました。

今住んでいるマンションを買って住宅金融公庫のローンを組んで、その後営々と返済を続けていたのが返済が終わって、取扱をしていた銀行からは抵当権をはずす登記が必要だ、という通知が来ています。

このローンは都合により2本に分かれており(固定金利の部分と変動金利の部分)、返済完了の時期も違っています。そのためそれぞれに返済の都度、銀行からは通知が来ています。普通はそのまま銀行に手続きをしてもらうなり、自分で司法書士を探して手続きをしてもらうなり、ということになるようですが、私としては不動産の登記というのはこんな事でもないとなかなか経験できないし、抵当権設定の登記は当面そのままにしておいても、マンションを売るとか新たに抵当に入れて金を借りるとか、そんな事がなければ別に差支えはないので、そのうち暇になったら自分で手続きをしてみようと思ってそのままにしていました。とはいえ、私が覚えている間にけりをつけておかないと面倒なことになります。

会社の解散・清算の手続きが終わり、そろそろこれに取り掛かろうかと思っていた時に、骨折やらなにやらでなかなか手につかなかったのですが、クライアントの3月決算の作業も一段落してようやくこれに取り掛かる事にしました。

まずは現状の登記の内容を確認するために法務局に行って全部事項証明書(いわゆる登記簿謄本)を取って見てみました。幸い自転車で数分の所にさいたま地方法務局があるので、すぐに取ることができます

また住宅ローンを完済した事を証明するための書類も銀行に頼んで送ってもらう必要があります。あとはネットでこの抵当権の登記の抹消の登記申請をするための書式と手続きについて調べました。

まずは2本のローンをまとめて一度に処理することができるかという事から分かりません。また所有者の私の住所が、住み始めてから今まで何度か変わっていて、登記簿の記載とは違ってしまっています。と言っても引っ越ししたわけではなく住居表示が変わっただけですが・・・。

登記は現住所で手続きしなければならないのに、登記簿には昔の住居表示で表示されています。で、銀行から必要書類が届いた所で財務局の相談窓口に電話して教えて貰うことになりました。この相談窓口もコロナ以降、対面の相談はなくなって、全て電話相談になっています。

まず2本のローンをまとめて一度に処理するというのはすぐにダメと言われ、それぞれのローンについて別々に登記申請書を作らなければならない、ということでした。ということは、登記費用も倍かかる、ということになります。

住所の問題は、まず区役所に行って、昔の住居表示が今の住居表示になった証明書を出してもらって、その住居表示の変更の登記申請書を作って、これを抵当権抹消の登記申請書と一緒に出すことが必要だ、ということでした。

区役所に行ってその証明書を出してもらったら、何と書類が3つも出てきました。
単にこれこれの住居表示が今ではこれこれの住居表示になっている、という証明書ではなく、

1. 与野市大字上落合〇〇番地を与野市上落合△△番地とする、という住居表示変更証明
2. 市の合併に伴い、与野市をさいたま市にするという証明書
3. 行政区を設置して、さいたま市上落合をさいたま市中央区上落合にするという行政区設置証明書

の3枚でした。

こうなると住所変更の登記の方も1枚で良いのか3枚必要なのか、ということになり、また電話相談で、登記申請書は1枚で証明書は3枚付ければいい、という確認をしました。

銀行から送られてきた書類には委任状が入っていて、私が住宅金融公庫改め独立行政法人住宅金融支援機構の委任を受けて登記の手続きをする、その私の住所氏名を書き加えよ、ということになっています。

またローン返済が終わった「抵当権解除証書」というのがあり、これこれのローンの返済が終わったということは書いてあるのですが、その抵当権を設定している不動産の表記の所は現状の登記簿の記載と合わないといけないので、自分で登記簿を見ながら書くように、と指示があります。

とは言え、登記簿の内容を全て書き写すわけにはいかないので、これについても電話相談で何をどう書けば良いか教えて貰います。

実は登記簿には不動産番号というのが付いていて、抵当権抹消の登記申請書などではこの13桁の番号を書けばほぼOKなので、これを使えるかと思ったら、この番号は登記関係でしか使うことができないので、抵当権解除証書では使うことができないので、登記簿からこれこれを書き移すように、と6個の項目を指定してもらいました。

2つのローンそれぞれに対する抵当権解除証書にこの項目を書き移し、必要書類を封筒に入れたり、登記申請書にホチキス止めをしたりして印鑑を押し、捨て印を押して、法務局に提出しました。8月2日に登記申請して、問題なければ8月18日に完了する予定です。

とりあえずこれが終わってヤレヤレです。

個人の戸籍関係の書類や会社の登記簿等の書類はこれまでも何度も見てきましたが、不動産関係の登記書類をちゃんと見るのは初めてのことなので、なかなか面白い経験ができました。