Archive for the ‘時事雑感’ Category

漢文と古文の参考書

月曜日, 6月 6th, 2011

私は子供の頃から結構いろんな本を読んでいましたから、本を読むのは得意だと思っているんですが、国語の成績は5段階評価で「2」がせいぜいです。

これも小学校の時に「先生と自分は意見が違う」ということをはっきり認識していますから、別に成績が悪いことは気になりません。「できない」んじゃなくて「意見が違う」だけなんですから。

で、国語の教科書や参考書はほとんど読まないんですが、いろんな本を読む中で古文や漢文を読むことは結構あります。
それでしばらく前から本屋さんの文庫本コーナーに行くたび気になっていた本を、ついに買って読んでみました。講談社学術文庫の二畳庵主人著、「漢文法基礎」という本です。もともと大学受験の参考書としてZ会から出ていたものを文庫にしたもののようです。

これがとにかく面白い。なにしろ学校で中間試験や期末試験を受けるわけでもなく、大学の入学試験を受けるわけでもなく、楽しみで読むわけですから、こんなに面白い本はありません。

これに味を占め、もう一冊気になっていた、ちくま学芸文庫の小西 甚一著「古文の読解」も買って読みました。こちらの方はもう少し受験参考書っぽい本ですが、これも試験と関係ない立場で読むと本当に面白く読めます。

この二冊を読んでいて面白かったのは、漢文にしろ古文にしろ意味をはっきりさせようとして、英語を使った説明が良く使われるということです。

漢文や古文のいくつかの言葉の違いを、日本語で説明するより英語に直して違いをはっきりさせた方がわかりやすい、というのは面白いですね。でもそうだとすると、まずは英語の言葉の違いがはっきりとわかっていないと、説明が説明じゃなくなってしまいます。やはり私の高校時代の英語の力(これは5段階評価で、そこそこ授業に出てれば「1」をつけることはないという方針の学校で「2」の評価です)では良くわからなかったかも知れません。

今になって受験勉強とは何の関係もなくなって受験参考書を読むというのも(もちろん、それが名著だからということもありますが)、楽しいものです。

大宗(タイソー)を占める

月曜日, 6月 6th, 2011

「大宗を占める」という言葉、ご存知でしょうか。多分知っている人にとってはごく当たり前の言葉、知らない人にとっては見たこともない言葉・・・ということになるのではないでしょうか。意味としては「大多数の」とか「大部分の」とかいう意味の言葉です。

私は作文をする時、いきなりパソコンで入力を始めるというのはあまり得意ではなく、手書きで原稿を書くことが圧倒的に多いのですが、だからと言っていろんな漢字をきちんと覚えているわけではありません。
わからない漢字はカタカナや平仮名でとりあえず書いておいて、あとで漢字を調べて置き換えるということにしています。
会社にいる時は、漢字に直す前の手書きのナグリ書きを渡すと、会社のスタッフがきちんと漢字に直して入力してくれるということになっています。

で、あるメールマガジンに毎月連載している記事を書くとき、この「大宗」がどういう漢字かちょっとあやふやになってしまい、確か「大ソー」という具合に書いて入力してもらいました。「大ソー」だけじゃわからなくても、「大ソーを占める」となっていればわかるだろう、というくらいのつもりです。
返ってきたワードのファイルには他の平仮名・カタカナの所はきちんと漢字になっていたんですが、この「大ソー」の所だけは「大ソー」のままで残っていました。仕方がないのでちょっと自分で調べてみようと思いました。そこでびっくりしたのが、この言葉がみつからないということです。

パソコンの辞書・インターネットの辞書に出てこないんです。仕方がないのでこの「大宗を占める」自体をインターネットで検索してみましたが、出てくるのは「大宗を占める」の「大宗」を「太宗」と書くのは間違いだという記事と、実際に「大宗を占める」と書いてある、いろいろなレポートの記事だけです。

いずれにしても辞書にないのは困ったなと思い、元々の原稿はとりあえず「大宗を占める」を「大部分」に直してケリをつけたのですが、やはり納得できないので、図書館で紙の辞書を調べてみました。もちろん全ての辞書を調べたわけではありませんが、いくつか見た限りではやはり出てません。

国語辞典になければ、次は漢和辞典です。これにもありません。「これでオシマイ」と手に取った最後の漢和辞典にようやくみつかりました。
【「大宗」というのは大きなかたまり、「小宗」というのは小さなかたまりという意味の(中国の)俗語だ】という説明でした。

私としてはごく普通に使っていた言葉が辞書にない。また辞書にない言葉がごく普通に使われているということを発見し、びっくりしました。

内閣不信任決議案-の結果

木曜日, 6月 2nd, 2011

なんとも驚くべき結果になってしまいましたね。
みなさん、ここまでだらしがないとは。

結局、民主党で賛成票を投じたのは松木さんたったひとり、親分の小沢さんは国会にもいかずに隠れたまま。
もうこれで小沢グループもおしまいでしょうか。

またもや鳩山さんがひっかきまわして、小沢さんも谷垣さんもノックアウトしてしまった、というところでしょうか、谷垣さんも納得できないでしょうね。

鳩山さんは終わった途端に、菅さんは今月いっぱいで辞めるんだ、などとわけのわからないことを言い出して、鳩山さんに引きずられて反対票を投じた民主党の先生方もあきれ果てているんでしょうね。

事実は小説よりも奇なり、といいますが、確かにこんな話は小説にしたら『ありえない』と、だれにも読んでもらえないでしょうね。

内閣不信任決議案

木曜日, 6月 2nd, 2011

菅さんに対する内閣不信任決議案、いよいよ大詰めですね。

野党としては国会の最後にこれを出す、というのが慣例のようなので、出さないわけにはいかないのでしょうが、可決されたらどうするか、はっきりしないまま出す、というのも心配でしょうね。

通常であれば否決されるのがほぼ確実なので安心して出せるんでしょうが、今回ばかりは小沢さんの最後の悪あがきに巻き込まれてしまって、ちょっと大変ですね。

それにしても、その昔、加藤の乱のときに涙ながらに止めた谷垣さんが今度は小沢の乱の内閣不信任決議案の張本人になる、というのも不思議な縁ですね。

鳩山さんのほうもはっきりしないですね。昨日、テレビのニュースの映像では、『出席したら賛成する』と、相変わらずはっきりしない物言いだったと思いますが、今日、いろいろなニュース記事を読む限り、『出席したら』の部分は全くなく、単に『賛成する』ということで報道されています。マスコミのニュースもよくわからないですね。

いずれにしても小沢さんはもうほかに選択肢がない、ということでしょうが、これで内閣不信任決議案が可決されても否決されても、行き所がないことには変わりがない、ということになるんでしょうね。

菅さん(というか、岡田さんということになるのかもしれませんが)は、内閣不信任決議案に賛成した民主党議員をきちんと処分できるんでしょうか。今度こそはちゃんとしないといけないんでしょうが。

岡田さんとしては小沢さんたちが自発的に出て行ってくれれば一番いいんでしょうが、小沢さんもそう簡単に自分から出ていくことはないでしょうし、内閣不信任決議案がどうなるか、ということと、民主党内の処分がどうなるか、どちらも興味がありますね。

仮に内閣不信任決議案が可決されたとき、次の総理大臣に担ぎ出す人はまだ決まっていないようですが、与謝野さん、という話も出てきているようです。仮にそんなことになると、あの老人を殺すようなものですから、それもかわいそうだな、という気もします。もちろん本人は菅内閣に入った時から死ぬつもりでしょうから、この選択肢もあり、でしょうが。

仮に内閣不信任決議案が可決されると、内閣総辞職か解散総選挙か、ということになるのですが、この時期に選挙をする、というのも一般の理解は得られないでしょうね。内閣不信任決議案に賛成した議員も反対した議員も有権者の支持は得られないでしょうね。

内閣総辞職で次の首班指名の時、辞職したばかりの菅さんは候補者になるんでしょうか。国会のルールはよくわかりませんが、辞職したばかりであっても改めて候補者になる、ということはあってもいいような気もします。

特段、代わりに有力な人もいないようなので、もしかすると一旦内閣総辞職して、すぐにそのあとで菅さんがまた総理大臣になる、ということが起きるかもしれませんね。

ブログの紹介

金曜日, 5月 27th, 2011

私のブログあるいはホームページはほとんど文章ばかりで、絵や写真はほとんどないのですが、その代り写真たっぷりのブログを紹介します。

先日高校時代の友人と話をしました。新潟で大学の先生をやっているんですが、しょっちゅう上京しているみたいで、時々そのついでに夕方以降時間が取れたりすると、もう一人東京で大学の先生をやっている同じく高校時代の友人と一緒に話をする、ということになります。

よもやま話の中で、その友人の息子さんのブログを見せてもらいました。そのブログはそのまま開けっ放しにして後でじっくり見てみたのですが、何とも素晴らしい内容でした。

我々の子供の世代のブログで、その主人公の一人はその子供。我々からすると孫の世代です。我々よりはるかに若い人がこんなに落着いたしっかりしたブログを作り、その子供がしっかり育っているというのを見ると、「日本の未来は明るい」と感じました。

で、友人に無断でここに紹介します。見てみて下さい
=> hama-Blog

発電と配電の分離

日曜日, 5月 22nd, 2011

最近、電力事業の再編について、発電と配電を分離する、という議論が盛んに行われているようです。
そのニュースの解説で、日本では全ての電力会社で発電と配電を一体化している、それが競争を阻害しているから日本の電気代が高いんだ、などという解説がなされています。

おかしいな、と思って確認してみましたが、やはりこれは嘘です。
かなり以前から、発電(と送電)専門で、配電をしていない電力会社があるからです。『電源開発』という会社で、各地で有名な水力発電所、火力発電所、原子力発電所その他を持っています。

戦後の電力再編の時、地域ごとの発電と配電の両方をする会社と、発電(と送電)専門の会社との体制にした、という私の記憶は間違っていませんでした。

この会社のことはどうなっているんでしょうね。

事実と思い

日曜日, 5月 22nd, 2011

福島の原発、1号機、2号機、3号機とも建屋に人が入れるようになって、事態の収拾に向かって着実に進展しつつあるようですね。

まだいろいろ問題はあるでしょうが、一度中に入れれば、その後は2度3度と入れるようになるでしょうからこれで状況は急速に改善するんでしょうね。

ところが今の状況を、事態はより深刻になっている、と思ったり言ったりしている人がかなり多い、というのは不思議なことです。別に特別の情報があるとも思えませんし、同じニュースを同じように見聞きしているだけのはずなのに、と思います。

そこで、『どうしてだろう』と考えていて、しばらく前にようやく一つの仮説にたどりつきました。仮説ですから本当かどうかは定かではありませんが、この仮説で私は十分納得してしまったので、かなり自信があります。

その仮説、というのは私と、事態が悪くなっていると思っている人(都合により、Aさん、ということにします)とで、事態の見かたがまるで違うんだ、ということです。

私の捉え方は、今までメルトダウンで建屋に入れなかったのが入れるようになったんだから、大いに進歩だ、というものですが、Aさんの方は、今までメルトダウンしていない、と言っていたのに急にメルトダウンしている、ということになったのは事態が大幅に悪化した、ということだ、ということなんでしょうね。

このメルトダウンも、震災の直後、2か月も前のことだ、ということですから、私にとっては2か月前のことが今わかったとしても、今わかった2か月前の事態から今までの事態の改善、としか考えられないのですが、Aさんにとってはそれが2か月前のことであっても、つい最近までメルトダウンしていない、と言っていたのが急にメルトダウンしている、と変わった、としか考えられないんでしょうね。

事実(と思われていること)は2か月前のメルトダウンと今の建屋への立ち入り、ですが、思いはつい最近までの『メルトダウンしていない』から急に『メルトダウンしている』への変更、ということでしょう。

私は事実を本当のことだ、と思っているんですが、Aさんなんかはその時々の思い(メルトダウンしていないと思う、とか、メルトダウンしていると思う、とか)が真実だ、と思っているんでしょうね。

テレビのニュースでも、事実の部分は東電や保安院のお役人たちが担当して、思いの部分はニュースキャスターとか評論家とかコメンテーターとかが担当しています。事故に関する東電や保安院の説明は事実の報告に終始していますから、私にとっては非常に興味があるのですが、Aさんなんかにとってはそこに何の思いも入っていないので、『何も説明していない、隠している』ということになるんでしょうね。

事態が落ち着いてきて、マスコミやら評論家やらがあーでもない、こーでもない、と意見やら推測やら提言とかを言い始めると、私にとってはそこにほとんど事実の報告がないので単に煩わしいだけなのですが、Aさんなんかにとっては山ほどの思いがそこに込められているので『今まで隠されていたことがようやく明らかになる』『どんどん悪い話が出て来て事態はどんどん悪くなっている』と、初めて安心して心配しているんでしょうね。

こうなると、私がいくら『事故の当初から、メルトダウンの可能性については東電や保安院はちゃんと言っていたよ』といっても、Aさんなんかにとっては、『メルトダウンしていない、って言ってたじゃないか』ということになって議論になりませんね。

ここまで同じニュースの受け取り方が違うものか、というのは驚くほどです。

山本七平さんの太平洋戦争の本などを読むと、戦争では、事実と事実以外の推測とか感想とかを明確に区別していた、ということです。とはいえ、生死がかかっていない軍隊の上層部のお偉方はとてもそのようには思えませんが、少なくても生きるか死ぬかの現場ではそのような訓練が実地に行われていた、というのは本当のようです。戦争が終わってもう三分の二世紀、戦争経験者もほとんどいなくなってしまうと、このような修練もなくなってしまうんでしょうね。

厄介なのは、マスコミがこの事実と事実でないことの区別がまるでできないで、ごっちゃにして報道していることと、それに対してメディアリテラシーなどといって報道の理解の仕方について偉そうに解説する人たちもそこのところの区別がちゃんとできない人が多い、ということでしょうか。

まあ、これがわかったところで、Aさんなんかに対する私の話の仕方が変わるわけではありませんが、とりあえず私の話を分かってもらえなくてもそれはこのような受け取り方の違いによるものだ、ということで、私の説明の仕方が悪いのではないか、などと余計な反省をしなくてもいいようになるだけ、楽になりますが。

被災者の不公平

火曜日, 5月 17th, 2011

今回の大震災の被災者に対して、今のところまだきちんとしたお金はわたっていないようです。

これが実際にお金が渡るようになると、誰が多い、だれが少ない、と結構めんどくさい話になるんじゃないかな、と心配です。

特に、地震と津波で壊滅的な被害を受けた宮城や岩手の被災者と、原発の事故で被害を受けた福島の避難者との違いが面倒なことにならなきゃいいな、と思います。

宮城や岩手の被災者が受け取るのは、義捐金であったり援助金であったりで、だれかに助けてもらうお金ですから、震災の被害の大きさとは必ずしも比例するものではありません。

それに対して、福島の避難者の受け取るのは、原発事故に関する損害賠償金ですから、損害の額に応じて支払われることになります。

今のところ、賠償の額は青天井、ということになっていますので、理屈の上では損害を受けた分だけ賠償金を受け取れる、ということになります。

そうなると、同じ大震災と津波が原因で被害をこうむったのにもかかわらず、宮城や岩手の被災者が受け取るものと福島の避難者の受け取るものが大幅に違ってきてしまうかもしれません。

このあたり、国やいわゆる『有識者』といわれる先生たちはどう考えているんでしょうね。

どちらも国が全面的に責任を持ってさっさとお金を配ってしまえばいいんですが、今の政府は国のお金も自由に使うことができないのでぐずぐずしてるし、福島の避難者に関しては何とかして東電にまるまる負担させようとしてぐずぐずしてるし、被災地にお金が届くようになるのはいつごろなんでしょうか。

メルトダウン

火曜日, 5月 17th, 2011

福島原発のメルトダウンというニュースでみなさん大騒ぎですね。

これまでは、メルトダウン、というのは原子炉の核燃料が高熱で溶けだして、手の着けようがなくなって爆発するのを待つだけ、というような恐ろしいイメージしかなかったのですが、どうもこれもこの前のレベル7の話と同様、チェルノブイリ級のメルトダウンと、福島級の、あまり心配ないメルトダウンがあるようですね。

とりあえず今は核燃料の温度もコントロールできていて、あまり心配ないようになっているから安心して今更ながらの議論に熱中して(できて)いるんでしょうが、どうしてこんな、今更ながらの議論が大騒ぎになるんでしょうね。

原発事故の初期のころから専門家はメルトダウンの可能性を認識していた、とニュースになっていますが、別に専門家でなくてもテレビのニュースの専門家の解説で、私でも初期のころからメルトダウンの可能性を認識していたのですが、今更ながら問題にしている人たちは私が見たようなニュースを見なかったんでしょうか、専門家の解説を聞きもらしていたんでしょうか、不思議なことです。

最近ちょっと漢文の解説書を読んでいるんですが、よく出てくる例文に

知之為知之、不知為不知。是知也。
これをしるをこれをしるとなし、しらざるをしらずとなす。これしるなり。
知っていることを知っていることとして、知らないことを知らないこととする(これらの区別をつける)。これが知るということだ。

という論語の一節があります。

このように、知らないことを『知らない』と認識すること、わからないことを『わからない』と認識すること、というのはそんなに難しいことなんでしょうか。特にマスコミや政治家の先生方にとって。

福島原発事故の賠償スキーム

月曜日, 5月 16th, 2011

福島原発事故の賠償スキームというのが発表されました。
=>東京電力福島原子力発電所事故に係る原子力損害の賠償に関する政府の支援の枠組みについて

また、この関連の情報が
=>原子力発電所事故に関する賠償などについて
にまとまっています。

欧米のマスコミなんかだとニュースの記事にこういうリンクをちゃんとつけてくれるので、すぐに確認できるのですが、日本のマスコミは自分の言いたいことを言うだけですから、このようなリンクは自分で探さなくちゃなりません。政府の発表の場合は、関連する省庁のホームページを探しまわることになります。

で、この賠償スキームの前提として、政府は東電に書類を出させていて、
=>原子力損害賠償に係る国の支援のお願い

この中で、東電に賠償責任を認めさせています。

すなわち、東電に、『原子力損害の原因者であることを真摯に受け止め』るから、政府支援をしてもらいたい、といわせているわけです。

今回の原発事故で、東電に損害賠償責任があるかどうか、というのは非常に難しい問題ですが、仮に裁判になって東電に賠償責任があるかどうか議論になった時に、この文書で東電が賠償責任を認めてしまっていることがどのような効果をもたらすか、わかりません。かなりの効果を持つことになるでしょうね。

さらに、損害賠償の範囲について、原子力損害賠償紛争審査会は
=>「東京電力(株)福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する第一次指針」

の中で『原子力損害の賠償に関する法律』の原子力損害の規定を大幅に拡大解釈して、本来的な原子力損害でない損害についても、今回の原発の事故に伴う損害を全て賠償の対象とすることとしてしまっています。

すなわち、何でもかんでも『原子力損害の賠償に関する法律』の原子力損害だ、ということにしておいて、青天井で東電に賠償責任を負わせておいて、そのうえで政府が金を出すからほかの電力会社も金を出せ、ほかの電力会社の電気を使っている人は電気料金をたくさん払え、というスキームのようです。

普通はこんな、あと出しジャンケンのルールは認められないんですが、なにしろ千年に一度の震災ですから、ルールもへったくれもないのかもしれませんね。

この、東電が出した書類の中で、国は東電に対して、すべてのステークホルダーに対して協力を求めろ、として、特に金融機関からどれだけの協力を得られるのか報告しろ、といっています。

これがその直後の枝野さんの、東電にお金を貸している金融機関は債権を放棄しろ、という発言につながるわけです。枝野さんは優秀な弁護士のようですから、法律は自分の解釈でどのようにでも変えられる、と思っているんでしょうね。

これが行政を取り仕切る官房長官の発言ですから、この弁護士さんには法治国家、なんてことは念頭にないんでしょうね。

東電の社長さんや会長さんは株主代表訴訟で素っ裸にされる覚悟はもうできているでしょうが、銀行の役員さんたちはまだそんな覚悟はしていないでしょうから、けりがつくまで大変ですね。