2013年4月11日 のアーカイブ

ケインズ・・・9回目

2013年4月11日 木曜日

さて続く第4編では、投資で所得を増やすためにどうやったら投資を増やすことができるか、そもそも投資が増えたり減ったりする要因は何かについて議論します。

最初に出てくるのが「資本の限界効率」という言葉です。何のこっちゃと思って読むと、これは投資した額に対してその投資の結果得られる収益の利回り、投資の世界で言う内部収益率(IRR)とよばれるものです。

ケインズの時代はともかく、今となってはもうこんな資本の限界効率なんて言葉をやめにして収益率にすれば良いのにと思うのですが、経済学の世界では未だにケインズに敬意を示してこの言葉を使い続けているようです。

で、この言葉の定義ですが、投資のために使うお金を「供給価格」と言い、その投資から得られる将来の収益を「期待収益」と言い、その期待収益の割引現在価値が供給価格と等しくなるような利率を、その投資に使った資本の「限界効率」ということになっています。

ケインズは結構細かい所までちゃんと考える人にようで、『一般理論』の全体を通じて将来のことは確定しているわけじゃないという意味で、全て「期待」という言葉を使っています。

この「期待」という言葉、日本語として本来の意味は、たとえば「今度のオリンピックがんばって下さいね。金メダル、期待してます」なんて使い方なんですが、英語ではexpectationという単語が使われています。このexpectationの方は「何とか予選は勝ち抜いてくださいね」とか「もしかすると1回戦で負けちゃうかも知れないね」とかも全てexpectationです。ですから日本語にするのであれば「期待」というより「見込み」とか「見通し」とか「見積り」と言ったほうがしっくりくるかも知れないのですが、勿論時には「期待」という意味で使ったりもします。

そこで英文を日本語に訳すときに訳者は悩むのですが、expectationをその場面場面でそれぞれ適切な日本語にしていくと元々原文で同じ言葉を使っていたということがわからなくなってしまい、一つの言葉を何通りにも違った言葉に変えてしまうことになります。それはまずいというので、一つの原文の単語はできるだけ一つの訳語に統一しようとすると、日本語としてちょっと意味が違ってきてしまいます。

『一般理論』の正式名称「雇用、利子および貨幣の一般理論」の最初にある「雇用」という言葉も同様です。原文ではemployment(動詞ではemploy)という言葉で、確かに「雇用」という意味ではあるのですが、それだけじゃなく、この原料を使ってこの設備を使ってこの製品を作ります・・・なんて時の「使って」というのも時としてemployという言葉で表現されます。この原料を雇用してこの設備を雇用してこの製品を作ります・・・なんて訳すと何とも奇妙な日本語になるのですが、原文では同じemployという言葉だと意識して使っているのを、ある時は「雇用」、ある時は「使って」とか「利用して」とか訳すというのも抵抗があるようです。

とまあそんなわけで、この一般理論で「期待」と言う言葉は基本的にexpectationという言葉ですから、「こうなると良いな」「こうなってもらいたいな」という意味ではなく、「こうなるかもしれないな」「こうならないと良いな」「こうなると困るな」という意味も含んだ言葉だと理解する必要がありそうです。

ですから「資本の限界効率」というのも、「投資の利回りの見込み、見通し、見積り」くらいの訳が一番正確なのかなと思います。

ここでケインズがすごいのは「供給価格というのは市場価格とは違うよ」といって、きちんと定義している所です。

ケインズの定義は、それを購入した時、製造業者が一個売れたんだからその分もう一個作ろうと思うような価格だということです。これは製造業者が「一個売れたんだからこれは儲かりそうだから、もっとたくさん作ろう」と考えたとすると、その値段は高過ぎるということだし、「たまたま売れ残りがあったからこの値段で売ったけど、もうこれ以上この値段で売るんじゃ儲からないから新規に作るのはやめておこう」と考えたとすると、その値段は「安過ぎる」ということになります。

そのどちらでもない、「高過ぎも安過ぎもしない値段で買ったとした時の利回りの見込みのことを資本の限界効率と言う」と、ケインズは定義しています。ここまでちゃんと考えるというのは大したもんだと感心します。

このexpectationですが、誰が期待するのか見積もるのかということですが、ケインズは明確に消費者や企業や投資家、すなわち実際に消費したり投資したりする人々がそれぞれ自分勝手に期待し見積もるのがexpectationだと言っています。誰か頭の良い人が皆の代わりに考えるのじゃなく、皆がそれぞれ自分勝手に希望や悲観を交えながら見込むてんでんばらばらのその全体のことを、この本では「期待」という言葉で表しています。