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ケインズ・・・12回目

金曜日, 5月 3rd, 2013

さてこれまでで「消費」は限界消費性向により、所得から導き出すことができる。「投資」は資本の限界効率(投資に対する見込み利回り)と金利の大小で決まるということになりましたが、それでは次に「金利」はどのように決まるのかというのがテーマになります。

これに関してケインズの答は「流動性選好」というものです。すなわち手元にあるお金はいつでも自由に使うことができるけれど、それを投資のために貸し付けてしまうとそれが返ってくるまでは使うことができない、ということになります。この「しばらく自由にできない不便の対価が金利だ」ということになります。

これは言われてみれば至極もっともで、むしろ「何を今更」という気がしますが、ケインズによればこの考え方はケインズの前の古典派とはまるで違う考え方だということになります。

それではその古典派はどう考えていたのかということになりますが、ケインズによるとこうなります。すなわちお金を持っている人がいて、金利が低ければそのお金を貸そうという気持はあまりないけれど、金利が高くなればなるほどいくらでもお金を貸そうとする。一方でお金を借りて投資したい人がいて、金利が高いとあまり借りられないけれど、金利が低くなればなるほどいくらでもお金を借りたがる。そのお金に対する需要と供給で金利が決まる、ということのようです。
お金を遊ばせておいても何にもならないんだからとりあえず使わないお金はちょっとでも金利を稼ぐために貸し付ける、貸し付けないお金は消費に回してしまう、ということです。

これはこれで確かに理屈に合いますが、だからと言って金利が低ければいくらでも借り手がいるとか、金利が高ければいくらでも貸したい人が出てくるなんてこともなさそうで、古典派というのは本当にそんなことを考えていたのかなと思ってしまいます。

私が学者だったり研究者だったりすると、ケインズが言ってるように古典派の先生方はホントにこんなことを言ってたんだろうかと、それを確かめるために古典派の本かなんか読まなきゃいけないんですが、こちらは単に興味本位で本を読んでいるだけのヤジウマです。ケインズがこう言っているというのは、単に「ケインズはこう言っている」としておけば良いので、気楽なものです。ケインズも「古典派がこう言っているというのをはっきり示す文章はないけれど・・・」なんて言って、何となくそれらしいことを言ってそうな部分をいろんな本から引用するだけなので、本当にその意味かどうかはその引用されてる部分の前後をじっくり読んでみないとわからないな、という位なものです。

で、面白いことにこの「第14章 古典派の利子率理論」の中に「新古典派」という言葉が登場しています。「一般理論」のはじめの方に、「古典派のあとの人もひっくるめて古典派と言う」と言ってたのはどうしちゃったんだろう、と思ったりしました。

で、この章の中にこの「一般理論」の本の唯一の図が出てきます。ところがこの図は古典派の考え方を説明するための図で、「これこれこのように古典派の考え方は役に立たないんだ」と説明するためのものです。ということで、ケインズの考えを説明するための図は「一般理論」の中には一つもない、という何とも情けない話です。

この章の最後にケインズの考え方と(ケインズの言う)古典派の考え方の比較が書いてあります。
私流にまとめると
古典派 : 
「消費が減少すると→利子率が低下して→投資が増える」
ケインズ : 
「消費が減少すると→雇用が減少し→所得が減少して→投資が減少する」
となるんですが、スタートが同じで最終結果がまるで逆です。
さて、どっちが正しいと思いますか?

ちょっと寄り道-SNA

金曜日, 5月 3rd, 2013

ケインズの「一般理論」をしっくり読みながら、例の『所得=消費+投資』のあたりで、何となくどこかでこんなことを読んだような気がしていました。

しばらくしてこれはSNA(System of National Accounts)― 日本では通常【国民経済計算】という訳になっていますが、内容を正しく表現しようとしたら、【国民会計システム】と言ったほうが良さそうです。例のGDPを計算するシステムのことです。― のことじゃないかと思いあたり、それを確認するためSNA関係の本を調べていました。

結論から言うと、まさにその通りというか、SNA自体ケインズの「一般理論」の延長線上というか、ケインズの「一般理論」がマクロ経済学のスタートであれば、そのマクロ経済を具体的に計算する仕組がSNAというような関係になっています。

ケインズの「一般理論」ではまだ企業と消費者しか登場していないのですがこれに、政府だとか銀行だとかいろんなものが追加的に登場して、いずれにしても現実の国の経済の全体を数字できちんと計算するのですから、かなりいろいろ修正とか調整がなされているのですが、本質は「一般理論」と同じです。にもかかわらず、この「同じだ」ということを確認するのにえらく時間がかかってしまったのには、それなりの訳があります。

企業の会計では売上高にしても売上総利益、純利益にしても具体的なイメージがあります。
これに対してSNAでは「産出」「生産」から始まって、「所得」・「消費」・「投資」・「貯蓄」が出てきます。このスタートとなる産出・生産と売上高等との関係をきちんと説明してくれれば、それで何の問題もないのですが、SNAの教科書や解説書ではそこの所がイマイチはっきりしません。『産出』とか『生産』とか言えば、それだけで充分意味が明らかだ、とでも言うような書き方がしてあります。

結局何冊もの教科書・解説書を読んではっきりしたのは、【一定の期間内の企業の生産活動の結果の全体を『産出』という】ということになります。その産出のうち多くのものは期中に販売され売上になっていますが、そうでないものは製品の在庫・仕掛品の在庫・原材料の在庫となり、あるいは将来の生産活動のための設備投資となっています。このうち期始における在庫や設備投資は前期までの生産活動の結果ですから、これを除くことにすれば
 産出=売上高+在庫の増+設備投資の増
ということになります。これさえはっきりすれば後はすんなりわかります。

A社の商品をB社が購入して生産活動に使用し、その結果のB社の商品をC社が購入して生産活動に使用すると、C社の産出にはA社の産出活動の結果・B社の生産活動の結果が重複して加算されていることになります。そのためその重複を除いて、産出のうちから他の企業の生産活動の結果を除いたものを『生産』といい、
 生産=産出-産出のために他の企業から購入したもの
ということにします。
この『産出のために他の企業から購入したもの』のことを「中間投入」とよびます。
それで
 産出=売上高+在庫の増+設備投資の増
 生産=産出-中間投入
ということになります。

さて、企業が産出したものはその後どうなるか、というと、一部は他の企業に購入されて、その企業の生産活動に使われ、一部は消費者に購入され使用され、残りはその企業に残り在庫あるいは設備投資になりますから
 産出=他の企業に購入される分+消費者に購入され使用される分+在庫の増+設備投資の増

ここで「他の企業に購入される分」を『中間消費』とよび、「消費者に購入され使用される分」を『最終消費』とよんで
 産出=中間消費+最終消費+在庫の増+設備投資の増
となります。

ここで中間投入と中間消費は、購入する企業の側から見ると中間投入となるものが、販売する企業の方から見ると中間消費になりますから、社会全体で見ると、額は等しくなります。
そこで
 生産=産出-中間投入
    =産出-中間消費=最終消費+在庫の増+設備投資の増
 在庫の増+設備投資の増を『投資』とよぶと、
 生産=最終消費+投資
ということになります。

一方、生産活動の対価はどうなるかと言うと、中間投入に対してはそれを供給してくれる企業に代金を払います。また生産活動で働いてくれる人には雇用者報酬を払います。残りは企業の利益になりますから、
 産出=中間投入に対する支払+雇用者報酬の支払+企業利益
 生産=産出-中間投入=雇用者報酬+企業利益=所得
ということになります。まとめると、

 生産=産出-中間投入
    =最終消費+投資
    =雇用者報酬+企業利益=所得
ということになります。

これだけのことなんですが、困ったことに経済学の先生方は

  • 産出と生産をはっきり区別しないで、混合して使うことがある。
  • 中間投入と中間消費は社会全体で額は同じになるけれどまったく別物なのに、ごっちゃにして使われることがよくある。

ということで、さらには
生産の定義は『産出-中間投入』で、それが額として最終消費+投資に等しくなるだけなのに、日本ではこっちの計算式でも理論的には同じ額になるし、こっちの方が信頼性が高い値になる、ということで、
 生産=最終消費+投資
の式で計算しているようです。その結果いつのまにかこれが定義であるかのような説明になってしまっているので、『産出』は一体何なのか、<生産=最終消費+投資>は定義なのか等式なのか、はっきりしない、というような状況になってしまっています。

中間消費と中間投入は額は同じだけれど、まるで別のものです。たとえばお金の貸し借りで考えれば、貸した方から見れば貸付金、借りた方から見れば借入金ですから、社会全体で見れば額として【貸付金=借入金】になるのですが、だからと言って「貸付金と借入金は同じもの」だなんて言ったらとんでもないことになってしまいます。

ということで改めて、「経済学者の言葉の使い方はかなりいい加減なので要注意!」で、いずれにしてもSNAとケインズの一般理論が同じものだとわかってメデタシメデタシです。

ケインズの一般理論の方は概念的・理論的な話だけなのですが、SNAの方は具体的な膨大な数の数字の体系が何十年分もたまっています。それこそ本当に宝の山みたいなものです。この数字をあれこれ眺めてみるのも新しい楽しみです。