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『一般理論』 再読 その11

2016年1月14日 木曜日

さて久しぶりに『一般理論』の続きです。
昨年は途中まで行った所で、例の安保法制の大騒ぎで憲法学者があまりにも支離滅裂な話をするのでアキレハテてコメントしていたら、いつのまにかピケティの本を借りる順番が来てしまい、そっちの方を優先してしまいました。

結局思った通りピケティは読むほどの意味はなかったのですが、600頁もの本を2週間で読むというのはそれなりにシンドイ作業で、終わった後はこんな変な本を読んだ口直しに真っ当な経済学の本を読みたくなりました。

ちょっとだけ『共産党宣言』に寄り道しましたが、『一般理論』に戻って、やはりこの本は本物だ、と再確認しました。

で、前回までどこまでコメントしたのか読み直してみると、所得・消費・貯蓄・投資の関係式と、有効需要の話の所で、一般理論の最初の山の所でした。

で、この話のまとめの所から『一般理論』のコメントを再開します。

とりあえず当面登場するのは、企業と労働者+消費者の二つだけです。
企業は他の企業からの仕入れと労働者を使って生産活動をし、他の企業には代金を払い、労働者には労賃を払い、できた製品を他の企業あるいは消費者に販売し、売上げを上げます。

労働者は企業で働いて労賃を得ます。これが労働者の所得です。労働者はその所得の中から買い物をすると、それが消費です。所得から消費を差引いたものが貯蓄です。

企業は売上げから費用を引くと企業の利益となります。これをもう少し詳しく言うと、売上げに設備投資・在庫投資の増分を加えて、労働者に対する支払い・その他企業に対する支払いを差引いたものが企業の利益・企業の所得になります。

設備投資・在庫投資の増分を投資と言います。また企業の所得は企業の貯蓄となります。企業には消費はありません。

このように所得・消費・投資・貯蓄を定義すると、
経済社会全体の合計の所得・消費・投資・貯蓄について
  所得=消費+投資
  貯蓄=所得-消費
  投資=貯蓄
となる、ということがわります。

ここで、
貯蓄=所得-消費
は定義のようなものですから、経済社会全体でなくても個々の経済主体すなわち一人の労働者、一つの企業でも成立するのですが、それ以外の
  所得=消費+投資
  投資=貯蓄
は経済社会全体の合計について成立つ式で、個々の経済主体では成立しないし、労働者全体でも企業全体でも成立しないものです。

で、この式の簡単な例として
ある消費者が100円の消費をした場合、経済社会全体では
所得=30円、消費=100円、貯蓄=-70円、投資=-70円
となる、とか
ある企業が100円の投資をした場合、経済社会全体では
所得=50円、消費=0円、貯蓄=50円、投資=50円
となる、という例を紹介しました。

このような例で説明すると、上記の所得・消費・貯蓄・投資の式もかなり良く分かると思うのですが、経済学ではこのような説明はあまり(あるいは全く)ないようです。

会計の方ではこのような簡単な例で説明するというのは良くある話なのですが、経済学では例の代わりに訳の分からない式を作って訳の分からない議論をすることになっているようです。その結果として自他共に訳の分からない議論をする、ということのようです。

また上記の『貯蓄』というのは定義通り【所得-消費】ということですから、銀行預金とか国債や社債など債券を買うとかとは全く関係のない話です。宇沢弘文さん、宮崎義一さん、伊東光晴さんの本を読むと、どうもここの所、消費者が所得の一部を消費しないでとっておくと、それが銀行預金や債券の購入を通じて企業に流れていって、企業の投資になる。それが【投資=貯蓄】の意味だ、と思っているようです。

これではまるで話が違ってしまいます。ケインズの世界(あるいは現実の世界)では消費者が余ったお金をタンス預金にしてもカメの中に入れて庭に埋めておいても、話は変わりません。また企業の方も余ったお金をすぐに投資に使わないで、そのまま現金で持っていても話は変わりません。それらの場合でも【投資=貯蓄】は成立ちます。

確かに古典派の世界では労働者も企業もトコトン利益を追求するので、せっかく持っているお金を全く活用しないで寝かせておくというのはあり得ない話なんですが、もちろん現実は全く活用しないで寝かせておくお金というのは、労働者・消費者でも企業でもごく当たり前に良くある話です。

で、ケインズは私が【売上げ総所得】と呼ぶことにした、各企業についてはその企業の所得(利益)とその企業に雇われている労働者の所得(労賃)の合計、経済社会全体ではその中の全企業の売上げ総所得の合計、即ち全企業の所得と全労働者の所得の合計、即ち全ての所得の合計を中心に議論を進めようとしています。

企業はその企業の所得(利益)を増やすことだけを考えます。するとその企業の売上げ総所得(企業の利益とその企業に雇われている労働者の所得の合計)が決まった時、労働者に払う労賃を減らせば企業の利益をもっと増やせるので、その方が有利なように思えます。

しかし、そうなると労働者の所得が減ってしまい、労働者の消費が減ってしまい、結局経済社会全体の所得が減ってしまい、回り回ってその企業の所得も減ってしまう。そのため企業としては労賃を減らすことを考えるのではなく、売上げ総所得を増やすことを考えることが大事だ、と考えるわけです。

労働者の方は自分の所得を増やすことだけを目的とします。すると企業の売上げ総所得が決まった時、企業の取り分を少なくして、その分労働者の取り分を増やすことができればその方が有利のように思えます。

しかしそうすると企業の利益が減ってしまい、投資に回すお金が減って、企業は生産活動を縮小しなければならなくなり、経済社会全体の売上げ総所得が減ってしまうことになり、回り回ってその企業の売上げ総所得も減ってしまい、結局その企業の労働者の労賃も減ってしまうということになります。それより労働者としても企業の売上げ総所得、そして経済社会全体の売上げ総所得を増やす方が良いということになります。

そこで次はどうやって企業の売上げ総所得を増やすのか、あるいは経済社会全体の所得を増やすのか、という話になります。

企業が売上げ総所得を大きくしようとしても、できることは投資を増やし、生産活動を増やすことだけです。ですからまずは企業がどのように投資を決めるのか、考える必要があります。

一方消費者が経済社会全体の総得を大きくしようとしても、できることは消費を増やすことだけです。一般理論はこのため消費者はどれだけ消費するかをどのように決めるのか、企業はどれだけ投資するかをどのように決めるのか、ということをテーマとして議論します。

その前に有効需要について考えておく必要があります。
有効需要というのは『その10』で簡単にコメントしましたが、次のようなものです。

需要曲線(需要関数)を次のように考えます。
ある企業がN人の労働者を雇うとすると、その労働者の生産力で、これだけの売上げ総所得が得られるだろうという、雇用する労働者の数と売上げ総所得の関係を表す曲線(あるいは関数)。
供給曲線(供給関数)は次のように考えます。
ある企業がN人の労働者を雇うんだったら、これだけの売上げ総所得が得られないと困るよな、という、雇用する労働者の数と売上げ総所得の関係を表す曲線(あるいは関数)。

で、この需要曲線と供給曲線の交わる所で、企業の期待する売上総所得は極大になり、その点での雇用する労働者の数と売上げ総所得が決まるという具合です。
その交わった所の売上げ総所得のことをその企業の有効需要といい、全ての企業の有効需要の合計を経済社会全体の有効需要という、ということです。

この有効需要に関して、いくつか重要なポイントがあります。

  1. 有効需要というのは、生産量で量るのでもなく、売上げ高で量るのでもなく、売上げ総所得で計る。
  2. 有効需要を決める需要関数(曲線)・供給関数(曲線)は、いずれも企業あるいは供給者がそれぞれの期待(見通し・希望・見込み)にもとづいて決めたものだ。
  3. 有効需要の売上げ総所得が実現する保証はない。現実の経済社会の所得の合計が、有効需要の合計とは必ずしも一致しない。

ということで、古典派の需要供給の法則とは似ているけれどまるで別のものです。

このあたり、一番大事な確認ポイントだと思うのですが、宇沢弘文さん、宮崎義一さん、伊東光晴さんの本も、あまり明確にはこのへんを解説していません。

上記のうち特に2番目の、全ては企業の期待にもとづくものであり、有効需要とは言っても需要側の考え方も、あくまで供給側の考えを通して間接的に反映されるだけだ(すなわち、買い手の意向(需要)は売り手が、買い手はこう考えているだろう、という期待で決まってしまうということ)、というのははっきりさせておく必要があります。

また3番目についても古典派の需要供給の法則では値段と数量が明確に決まってしまって、市場の関係者全員にそれが即時にはっきりわかる、ということになるのですが、ここではそれぞれの企業がどのような期待を持っているか明確には分かりませんから、有効需要は概念的にははっきりしていますが、それがいくらになるかについては明確にはならない、という性格のものです。

もちろん何もなければ日々の企業の期待の見直し、あるいは実際の生産活動の修正の結果、現実の経済社会全体の所得の合計は有効需要の合計に近くなっていくのでしょうが、その過程で状況の変化、環境の変化でどちらも変化を余儀なくされるため、いつまでたっても不一致のままということになります(とはいえ、現実には経済社会全体の所得の合計というのも計算するのはそう簡単ではありませんし、有効需要の方はなおさら集計の方法がありませんから、一致も不一致も確認のしようがないことなんですが)。

で、このように有効需要が決まり、それと合わせて雇用される労働者の数が決まると、経済社会全体で雇用される労働者の数(の期待値)も決まります。その数が労働者の総数より小さければ必然的に失業者が出て来るというあんばいです。

何らかの形で有効需要を増やすことができれば、それに対応する雇用される労働者の数も増やすことができ、社会全体の所得も増やすことができますから、メデタシメデタシとなるわけです。

これで一般理論の議論は、この有効需要を増やすために消費者についてはどうやって消費を増やすことができるのか、そもそも消費者がどれだけ消費するかというのはどのように決めているのか。企業についてはどうやって投資を増やすことができるのか、そもそも企業がどれだけ投資するかということをどのように決めているのか、という議論になるのですが、その話をする前に、ここで説明したあたりを宮崎さん・伊東さんの本や宇沢さんの本がどんな紹介の仕方をしているのか、次回ちょっとコメントしましょう。