往来物について読んだので、その実物を見てみようと思いました。
往来物の代表の『庭訓往来』の入っている岩波の新日本古典文学大系の1冊を借りました。図書館で予約する時検索で出てきたので、ついでに北斎の絵本挿絵の第1巻に『絵本庭訓往来』が入っているものも借りました。で、この絵本を見てみると北斎の絵がたっぷり入っていて、その半分弱のスペースを区切って庭訓往来の文が入っています。で、これが全く読めません。全文返り点付・フリカナ付なんですが、漢字もフリカナもまるで読めません。で、もう一つ古典文学大系の方を見ると、これは活字の本ですから漢字もフリカナもちゃんと読めます。元々の和本の見開き2頁分の写真の左右に活字で訓み下し文がついて、見開き2ページになっているという体裁で、返り点等も全て訓み下し文になっています。
ところが中味がまるで読めません。本当に呆れ果ててしまいます。
こんなものを明治以前の初等教育で教えていたのかと思うとあ然としてしまいます。よくもまあこんなものを子供が読んだり書いたりできるものだと思います。
で、気を取り直して訓み下しの方を眺めてみると、手紙の中味に似たようなジャンルの言葉を並べた語彙集のような形になっていて、なるほどこういうことかと納得しました。12ヵ月それぞれ往信と返信とになっているので、ひとつひとつの手紙ではそれほど多くのジャンルをカバーできないとしても手紙全体ではかなりのジャンルをカバーできます。これが語彙集としての往来物ということになります。
古典文学大系は600頁もの本ですから、『庭訓往来』だけでなく他の同じような初等教育用教材がいくつか付いてました。
2番目が『句双紙(くぞうし)』というもので、禅寺で使われる語句集ということで、漢字1字のもの・2文字熟語、3文字熟語・4文字熟語(4言)・5言・6言・7言・8言・5言対・6言対・7言対・長句に分けて熟語・成句が並んでいます。これをきちんと学習すれば部分的に言葉を置き換えて、何となく漢詩のようなものが作れるかも知れない、と思わせるようなものです。
さらにこの本には『実語教』と『童子教』というものが入っています。この教だけ乗せてもしょうがないので、その注釈である実語教諺解と童子教諺解を入れてあります。これを見て私の知っている言葉もいくつかはこの実語教から来ていることを知りました。たとえば
山髙きがゆえにたっとからず 樹あるをもって貴しとなす
とか
人は死して名をとどむ。虎は死して皮をとどむ
なんてものです。
こんなものを江戸時代以前の子供は勉強していたんだなと思いました。
調べてみたら絵本庭訓往来の方はネット上にpdfがあったので、これを印刷して時間をかけて読んでみようかなと思いました。
で、この庭訓往来、1月~12月の手紙の往復と、あともう一つ、往だけの手紙計25通の手紙が載っているのでその1つ1つの手紙について読んでいこうと思いましたが、その区切りが分かりません。
日付・差出人・宛名がひとまとまりになっている部分と本文の部分がずっと続いているのですが、そのどこで手紙が終わって次の手紙が始まるのかが分かりません。
私が書いている仕事用の文書では基本的に
日付
宛先
差出人
本文
という形になっています。
またメールのやり取りでは日付はメールソフトに任せて
宛先
本文
差出人
という形になります。
庭訓往来では
本文
日付 差出人
宛先
本文
日付 差出人
宛先
本文
日付 差出人
宛先
・・・
となっているので、本文で始まって宛先までで1つの手紙ということになるようですが、私の使いなれた形とはまるで違います。
その昔、手紙の形についても習ったはずなんですが、何十年も仕事の書類とメールしか使っていないので何とも分かりません。
で、しかたなくネットで手紙の形がどうなっているか調べてみました。
それによると色々な細かい所はありますが、要は
本文
日付 差出人
宛名
という形だということが分かりました。
即ち今の日本の普通の手紙の形は庭訓往来の時と同じままなんだということです。
これで安心して一通ずつちょっとずつ読み進めることができます。
さてどこまでたどり着けるか、お楽しみです。