反ユダヤ主義

2月 7th, 2014

さて一連のドイツの歴史の本の締めくくりは村山雅人著「反ユダヤ主義」(講談社選書メチェ)です。

私は今まで反ユダヤの代表のヒトラーはオーストリアの出身で、オーストリアで大人になったのにどうしてドイツで反ユダヤになったんだろうと思っていましたが、まるでまちがってました。

オーストリアこそ反ユダヤの本家本元だということがこの本に書いてあります。

1866年に普墺戦争でプロシアに負けたオーストリアは1867年に立憲君主制の国になり、新しい憲法でどの民族も同等だということになって、形式上ユダヤ人の差別はなくなりました。そこでユダヤ人は大手をふって社会の上層部に進出し、主導的な位置につきます。と同時に、東ヨーロッパからは貧しいユダヤ人が移ってきて、社会の最下層を形成します。

オーストリアという多民族国家ではドイツ人は人種的には少数民族でありながら、国の主導権を握っていたのが今度は上下からユダヤ人に圧迫されるようになり、上の方のユダヤ人に対する反発から反ユダヤ主義が一気に高まり、その結果もっとも貧しい最下層のユダヤ人がいじめられたということのようです。社会の上層でドイツ人達に同化しつつあったユダヤ人も、東ヨーロッパから来た貧しいユダヤ人と同一視されるのを嫌って、これも反ユダヤ主義の一つになったようです。

「世紀末」という言葉があります。各世紀(100年紀)の終わりを指す言葉ですが、どの世紀か言わないで単に「世紀末」というと19世紀末のことで、特に19世紀末のウィーンのことを指すようです。このような反ユダヤ主義がもえあがったのがその19世紀末のウィーンだったということです。

自由主義・資本主義・社会主義・共産主義がすべてユダヤ人と結びつけられて、反ユダヤ主義はこれらすべてに反対の立場をとりました。またユダヤ人の国を作ろうというシオニズム運動も、上層のユダヤ人による反ユダヤ主義の一つという側面もあるようです。

このオーストリアの状況と比べると、ドイツの反ユダヤは大したことがなかったようで、ヒトラーもオーストリアのウィーンで大人になり、本家本元の反ユダヤ主義をしっかりと叩き込まれて、その後第一次大戦後のドイツで反ユダヤ主義を実践したということのようです。

ヨーロッパではドイツというのはそれなりに大きな存在で、オーストリアというのは何となくその一部というか、ドイツになれなかったドイツ、というか、付録みたいな気がしていたんですが、この本ではっきりと独立した存在としてオーストリアが浮かびあがってきたような気がします。

反ユダヤ主義、ユダヤ人差別を理解するためにお薦めの1冊です。

中世への旅 農民戦争と傭兵

2月 6th, 2014

ここの所ちょっとドイツの歴史の本を読むことが続いていて、週末に図書館に行っても各国史のドイツの棚に行くことが多くなりました。そうなると次々に面白い本に出合うようになるもので、前回の「カブラの冬」もそうですが、今回紹介する「中世への旅 農民戦争と傭兵」という本もそのようにしてみつけました。

ドイツの歴史を読むと、中世から近世にかけてドイツでは農民戦争と30年戦争があり、ドイツ国中が大変な被害をこうむり人口が1/3ほど減少し、近代化が何百年か遅れたなんてことが書いてあります。

農民戦争というのは、1524-25年に起こったドイツの全地域くらいの規模の農民一揆あるいは反乱なのですが、1年くらいであっけなく鎮圧されてしまったものです。ルターがローマ法王に反旗を翻したのを見て、ドイツの農民も領主に対して反旗を翻したのですが、そのルターは「宗教上のことなら自分がローマ法王に逆らうのは正しいけど、世俗的なことで農民が領主に逆らうなんてことは許されない。領主に逆らう農民は皆殺しにしてしまえ」なんてことを言った、という話もあります。

30年戦争というのはその100年くらい後(1618-48年)の話なのですが、ドイツの各地の領主が新教側と旧教側に分かれて延々と30年にわたって戦争を続け、その戦争にフランス・スペイン・デンマークなども途中から参加して、オーストリアの神聖ローマ皇帝共々わけのわからない戦争が繰り返され、ほとんどドイツ全土が戦争で荒らされたということです。

初めのうちは新教と旧教の戦いだったのが、途中からは領土争いの戦争の大義名分のために新教・旧教の争いが使わるなんてことになっていたようで、結果としてドイツは統一されずに各地の領主がそれぞれ独立して好きなように領土を支配するということになり、イギリスやフランスが国としてまとまって強国となっていくのに、ドイツはその後数百年プロシャが中心となってドイツ帝国を作るまでテンデンバラバラな国のままという体制を作り上げた戦争だということです。

この程度のことは歴史の概況書を見ればたいてい書いてあるのですが、その具体的な姿が何ともピンと来なくて一体何が起こったんだろうと思っていました。

そこでこの「農民戦争と傭兵」という本です。この本で農民戦争でも30年戦争でも、実際に戦ったのは農民出身の傭兵だということがわかります。

ヨーロッパで傭兵というのはスイス人の傭兵が有名ですが、ドイツで傭兵の需要が高まったとき、ドイツの農民も傭兵に応募し、スイス人傭兵からノウハウを学び取り、ドイツ人の勤勉さを発揮して急速に一丁前の傭兵になったようです。

で、農民戦争でも領主に反抗して立ち上がった農民に対して領主側で実際に戦ったのは、領主に雇われた、この農民出身の傭兵だったようです。

この傭兵が長い槍を持って集団で歩兵として向かってくると、重い鎧に身を固めて馬に乗って長い槍を抱えている中世の騎士達はまるで歯が立たなかったようで、ここで中世の騎士の時代は終わったようです。

30年戦争でも、戦争する双方にこの農民出身の傭兵が雇われ、その傭兵たちが戦い、またそこにフランス人やスペイン人の傭兵も加わったということのようです。

この傭兵がまたすさまじいもので、確かに集めるときは高給を約束して集めるんですが、領主の方ではその給料の不払いも平気でするし、また戦争が終わって傭兵が必要なくなると容赦なく突然解雇ということになったようです。

傭兵の方も給料が払ってもらえないとか、突然解雇されても行く所がないということになると、次に傭兵の募集があるまでの食いつなぎに、あるいは傭兵の募集地までの旅費稼ぎにと、自分たちでまとまって勝手に近くの村や町に押しかけて行って略奪し、強姦し、なぶり殺し、とやりたい放題のようです。

もちろんやられる農民の方もそれがわかっているので、相手が弱そうならその傭兵集団をなぶり殺しにするという具合に農民と農民が殺し合い、たまたま略奪された村で生き残った農民がいたとしても、もはや小人数で村を守っていくことができないとなったら仕方なく傭兵になるなんてこともあったようです。

もちろん傭兵として戦争して、ある都市を攻めて、勝ったら当然のこととしてその都市を略奪するということのようですから、無事に生き延びて大金持になり領主になった傭兵もいるようです。

この傭兵たちの具体的な姿が語られて、ようやく農民戦争や30年戦争がイメージできるようになりました。

農民戦争のことはたまたま農民蜂起が全国的な規模に広がったものの、全体としての方針もなく指導者もいないので、一度は領主をやっつけても簡単に領主に騙されてやっつけられてしまったり、農作業の季節になるとソワソワと落ち着きがなくなって領主側にやられてしまうなんてこともあったようで、日本の室町時代・戦国時代を思い浮かべながら読みました。

私がその時代のことを何となくわかっているような気がするのも大量の歴史小説を読んでいるからで、ドイツにも同様なものがたくさんあり、この傭兵が主人公になっているものも多いようですが、それを読むわけにもいかないので、この本でまとまって解説されているのでよくわかりました。

日本の歴史を考えるうえでもヒントになる事柄の多い本でした。

カブラの冬

1月 30th, 2014

前回第一次大戦から第二次大戦にかけての時期の歴史について色々読んだという話をしましたが、その続きでもう一つ読んだ本がこの「カブラの冬」という本です。

今年は第一次大戦が始まった1914年からちょうど100年ということで、第一次大戦ブームみたいなところがあるのですが、この本も「レクチャー 第一次世界大戦を考える」というシリーズ中の1冊です。このシリーズは京都大学の人文科学研究所の共同研究班の成果報告ということです。

この本は第一次大戦で、ドイツで76万人の餓死者が出たということについて解説しているものです。第一次大戦の前線での戦死者180万人に対し、銃後の直接戦争にならなかった所で76万人もが餓死したというのは初めて聞く話なので、図書館でみつけて思わず借りてしまいました。

結局の所ドイツは政府が食料対策をほとんど取らないまま戦争に突入し、その戦争もすぐ終わると思っていので始まってからも何もせず、そのうち食料が足りなくなると大切な食料を豚の飼料にするのは勿体無いとばかりに豚を殆ど殺してしまって(それも当初は豚を殺してソーセージを作るはずだったのが、そのうち豚を殺すのが目的となってしまい、ソーセージを作る暇もなかったので大量の豚肉を腐らせてしまった、ということのようです)、今度は蛋白質と脂肪分を摂るすべがなくなってしまい、「カブラの冬」と言っていますが日本名カブハボタンあるいはスウェーデンカブという、蕪とはちょっと違ったもので、水分が多く味も悪いものを苦し紛れに食べるようになったというあたりの話が解説されています。

第一次大戦はどちらの側もすぐに片付くと思っていた(7月末から8月に戦争が始まり、双方ともクリスマスには片付くと思っていたようです)のが、塹壕を挟む睨み合いで4年もかかってしまい、最後にドイツがパリまでもう少しという所まで迫った所でドイツで革命が起こり、皇帝が逃げ出してドイツの負けとなった戦争です。もうちょっとで勝つはずだったドイツ軍にしてみればもうちょっとの所で革命を起こして負けいくさにしてしまったのはマルクス主義者とユダヤ人のせいだ、ということになって、第一次大戦後のドイツの混乱につながっていきます。

もちろんドイツ国内で飢えていた人にしてみれば、「戦争のためだ」とばかりに軍隊に食料を持っていかれ自分達は飢え死にするばかりだとなったら、「戦争はもうやめろ、食べ物寄こせ」ということになるのは当然のことですから、反政府運動は切実なものだったようです。

ドイツはヨーロッパの中では貧しい農業国だったのが、プロシャが主導権を握って急速に工業化を進め、第一次大戦の前には最先端の工業国になっていたのですが、その当時は食料の30%は輸入に頼らざるを得ないようになっていたようです。
それで不足する食料はロシアやアメリカ・カナダ・アルゼンチンなどから輸入していたのですが、まず東のロシアについては、ドイツが真っ先にロシアに攻め込んでしまったので、そこからの輸入はできなくなってしまいました。
南はフランスで、まさに塹壕を挟んで睨み合っているんですから、食料を持ってくることはできません。

頼みの綱はアメリカ・カナダ・アルゼンチンからの輸入なのですが、これをイギリスが海上封鎖して完全にストップしてしまったようです。こうなるともうどこからも食料は入ってきません。
「76万人の餓死」というのは、死者数でいえば広島・長崎よりもはるかに多い数字です。この記憶はドイツ人にとっては忘れられないもののようです。しかも第一次大戦はドイツの皇帝が逃げ出してドイツの負けが決まったのですが、とりあえず休戦して講和の交渉をするわけです。最終的に決着したのはベルサイユ条約を関係国が承認した時です。連合国側だけで条件を話し合い、半年もかかってそれが出来上がった後で初めてドイツにその条件を提示し、5日以内にそれを受け入れなければ戦争を再開するぞと言ったというんですから酷い話です。

で、休戦中でいつ戦争が再開されるかわからないからということで、その間ずっとイギリスの海上封鎖は続いていて、ドイツとしては戦争は終わったけれど封鎖は解除されないで、食料が入ってこないという状況が半年以上も続いていたようです。

ヒトラーの政策が、まず第一にドイツ人が食べ物に困らないだけの土地を獲得し、その上で植民地政策を進めようというものだったのも、この食料不足が原因なんでしょうね。

そしてイギリスの海上封鎖でトコトンやられた記憶から、ヒトラーは大陸ヨーロッパでは次々に他国を侵略しても、イギリスについてはトコトンおべっかを使い、イギリスが敵にまわるのをギリギリまで遅らせた、ということのようです。

この第一次大戦のドイツの飢餓について第二次大戦後はあまり話題にされていないようですが、第一次大戦後には日本でもかなり注目され熱心に研究されたようで、それが第二次大戦中の日本の食料の配給制その他の食料統制に生かされているのかも知れません。また日本が朝鮮・満州にあくまでこだわったのも、食料を自給できるだけの領土を確保したいということだったのかも知れません。

ということで、いろいろ考えるヒントがたくさんみつかる本でした。

第一次世界大戦

1月 17th, 2014

さて芦部さんの憲法が一段落した所で、前にちょっとだけ紹介したライアカット・アハメド著「世界恐慌」をじっくり読もうとして、まずはその準備としていくつかの本を読みました。

この「世界恐慌」は第一次世界大戦が始まる所から、ヒトラーが政権を握り、第二次大戦に向かって戦時体制になる所あたりまでをテーマにしています。考えてみると、この本を本当に理解するには私は第一次大戦についてあまり良くわかっていないということに気付き、改めてこれについてもう少し理解することが必要だと思うに至りました。

第二次大戦は我々日本人にとっては太平洋戦争であったり、大東亜戦争であったり日中戦争であったり、かなりいろいろな情報に接します(毎年8月になるとテレビでもいろんな番組が組まれます)が、第一次大戦は、ヨーロッパでドイツとフランス・イギリスが戦っている間に日本は中国や太平洋にあるドイツの利権を横取りしたり、ヨーロッパの工業生産力が破壊された機会に日本の工業生産を伸ばして輸出で大儲けしたり、戦後ドイツのインフレとマルク安でドイツに留学した日本の貧乏学生が王侯貴族のような生活を楽しむことができたとか、かなり限定的な知識しかありません。

そこで何冊か読んだんですが、やはり焦点となるのはドイツですからまず読んだのは坂井栄八郎著「ドイツ史10講」(岩波新書新赤版)です。この本はカエサル(シーザー)のゲルマン戦争から現代までを10回の講義で終わらせてしまうという大胆な本ですが、その分中心的な流れが良くわかります。これで全体像をつかんだ後、いよいよ第一次大戦から第二次大戦までの時代についてもう少し読むのに、この本でも紹介されていて、またこの本の著者の坂井栄八郎さんの先生にあたる林健太郎さんの書いた本を2冊、「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」(中公新書)と「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)を読みました。

「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」の方は、第一次大戦が始まる所からヒトラーが政権を取るまでのドイツの歴史(特に社会・政治・経済面の)、「両大戦間の世界」は同じ期間の、ドイツを含むヨーロッパの各国(イギリスやロシアを含む)の歴史について書いてあります。

これで良くわかったのは、ヨーロッパの第二次大戦というのは、第一次大戦の続きの戦争であって、二つの戦争というより20年の休戦期間を挟む、1つの30年戦争と考えた方が良いということです。

たまたま太平洋戦争と時期が一緒になってしまったので、両方合わせて第二次大戦ということになってますが、実際はヨーロッパの第一次大戦の続きの戦争と、アジアの日中戦争・大東亜戦争・太平洋戦争を合わせた戦争と、二つの戦争と考えた方が良いのかも知れません。

いずれにしても第一次大戦の戦費のための国債発行や借り入れ、戦後の復興のための国債発行や借り入れ、通貨の発行や賠償金の支払い・取立て、そのための国債発行・借り入れ、その結果としてのインフレや財政破綻・銀行破綻・大恐慌がこの「世界恐慌」という本のテーマなんですから、このあたりの経済・社会・政治的な経緯を大づかみで理解することはこの本をちゃんと読むのに必要な条件だと思います。

これらの本のついでに、最後に大澤武男著「ユダヤ人とドイツ」(講談社現代新書)という本まで読みました。この本はユダヤ人がローマ帝国と戦ったユダヤ戦争に負けてエルサレムから追い出される所から始まるのですが、やはり中心となるのは第一次大戦の頃からヒトラーによりユダヤ人が皆殺しになる頃までの期間です。

今までドイツのユダヤ人問題についてはあまり良く知らなかったので、興味深い本でした。ヒトラーのユダヤ人政策の殆ど(シナゴーグの破壊や放火、ユダヤ人の住居や財産の没収、集団強制居住、人権の剥奪、強制労働)が、実はルター(あの宗教改革のルターです)が「ユダヤ人と彼等の虚偽について」という本の中で主張していることの引き写しだというのも初めて知りました。こうなるとユダヤ人問題というのも根が深いですね。

ヒトラーのユダヤ人殺しも、実は最初は身ぐるみ剥いで追い出すというやり方で、皆殺しまではいかなかったのが、実際やってみると非常に手間暇がかかることがわかり、それでもドイツだけのことなら何とかなりそうだったのが、ポーランドを占領してみたらそこでドイツとはケタ違いに多勢のユダヤ人を見つけてしまい、それを同様に身ぐるみ剥いで追い出すというのは現実的に不可能だとわかって皆殺しに方針変更した、という経緯も良くわかりました。

で、ユダヤ人問題の方ですが、第一次大戦後のドイツの政財界に登場する人物も、この人はユダヤ人、この人もユダヤ人と書いてあり、暗殺された人も何人もいるのですが、ユダヤ人だからといって殺されたわけではない、と書いてあります。

ワイマール憲法を作った人もユダヤ人で、第一次大戦の戦後処理のためのベルサイユ条約のドイツの賠償額をできるだけ少なくする交渉を任されたのもユダヤ人です(この人はドイツのために頑張ったのですが、そもそもベルサイユ条約自体を認めない右翼からすると、そのような交渉をすること自体が許せないということのようです。第一次大戦後の3年半でドイツで右翼のテロで暗殺されたのは、この交渉を任された人が354人目だということで、平均すると毎週2人ずつ暗殺されている計算になり、大変なことだなと思いました。とは言え日本でも幕末の頃はこれ位、あるいはもっと多数の暗殺があったのかも知れませんが)。

それで気が付いたのは、この本の前に読んだ「ワイマール共和国」でも「両大戦間の世界」でも、誰がユダヤ人で誰がユダヤ人でないか、ということについてはほとんど書いてなかったような気がします(私が見落としていただけかも知れませんが)。

このあたりわざわざそれを書くことにより、ユダヤ人差別のきっかけとなる可能性もあるんでしょうが、それを書かないことによりユダヤ人問題をきちんと理解できなくなる可能性もあるなと、この種の差別の問題の難しさを感じました。

芦部さんの憲法  その14(最終回)

12月 19th, 2013

芦部さんの憲法、いよいよ最後は「憲法の保障」です。

またもや訳のわからない言葉ですが、これは憲法が何かを保障するというのではなく、憲法を何かから守るという意味です。

【憲法は国の最高法規であるが、この憲法の最高法規性は時として、法律等の下位の法規範や違憲的な権力行使によって脅かされ、ゆがめられるという事態が生じる。そこでこのような憲法の崩壊を招く政治の動きを事前に防止し、また事後に是正するための装置をあらかじめ憲法秩序の中に設けておく必要がある。その装置を通常、憲法保障制度と言う。】

憲法は法律や実際の行動によって侵害される恐れがあるので、それを防ぐ手段を用意しておくということです。

憲法がどのように侵害されるかという実例はヒトラーのナチスによるもので、当時ドイツにはワイマール憲法という立派な憲法があったにもかかわらず、その憲法の規定により憲法を一時停止しヒトラーに全権を委譲するという法律を作ったことにより、憲法はそのままでヒトラーの独裁体制が出来上がった。それを繰返してはならない、ということのようです。

憲法とはそんなにか弱いものなのか、と思いますが、その憲法保障制度について
 【① 憲法自身に定められている保障制度と
② 憲法には定められていないけれども超憲法的な根拠によって認められると考えられる制度がある】
としています。憲法の議論をしているのに、超憲法的な根拠などを持ち出しているのはア然としてしまいます。

①の憲法自身に定められている保障制度というのは、98条(憲法の最高法規性)・99条(公務員等に対する憲法尊重擁護義務)・41条・65条・76条(権力分立制)・96条(硬性憲法の技術)・81条(違憲審査制)などをあげています。
②の超法規的な根拠として挙げられているのは、「抵抗権」と「国家緊急権」の二つです。

抵抗権というのは
 【国家が人間の尊厳を侵す重大な不法を行なった場合に、国民が自らの権利・自由を守り人間の尊厳を確保するため他に合法的な救済手段が不可能となったとき、実定法上の義務を拒否する抵抗行為を一般に抵抗権と言う】
 【抵抗権の本質は、それが非合法的であるところにあり、制度化にはなじまない】
と、ここまで言ったあげく最後に
 【日本国憲法が国民の抵抗権を認めているかどうかは・・・簡単に結論を出すことはできない。】
と、逃げちゃっているのはびっくりですね。

もともと超憲法的なものならば日本国憲法が認めるも認めないもないことだし、憲法に何か書いてあろうと書いてなかろうと、独断と偏見で「・・・でなければならない」と断定するのが芦部さん流だと思っていたんですが、何で結論を言わないんだろうと思います。

もう一つの国家緊急権の方は
 【戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など、平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において国家の存立を維持するために、国家権力が立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置を取る権限を国家緊急権という】
としています。

日本国がなくなってしまえば日本国憲法なんか何の意味もなくなってしまうんですから、こんなの当然だと思うのですが、芦部さんはそうは考えないようです。国家緊急の時であっても立憲主義を破壊するような国家緊急権は認めることができないようです。
とはいえ、
 【超憲法的に行使される非常措置は法の問題ではなく、事実ないし政治の問題である】
と言って、法的な議論から逃げてしまっています。

憲法の中にはこの国家緊急権の規定を設けているものも多く、自民党の改正案にも『第9章緊急事態』として入っているんですが、ナチスが全権を掌握したワイマール憲法の規定がこの規定(そこでは大統領の非常措置権)だったということもあり、立憲派の学者さん達には抵抗が強いようです。

で、最後に結論として
 【日本国憲法には・・・国家緊急権の規定はない。】
としています。ないことくらい憲法を読めばすぐわかることで、だから何なんだ、規定はないけど権利はあるのか、規定がないから権利もないのか、ここでも芦部さんは逃げてしまっているようです。

ここまでで超憲法的な憲法保障の話は終わりで、あとは憲法に規定する憲法保障の話になるのですが、最初に違憲審査制について書いてあります。

 【かつてヨーロッパ大陸諸国では裁判所による違憲審査制は、民主主義ないし権力分立原理に反すると考えられ、制度化されなかった】
けれどナチスの独裁制を見て深刻に反省し、
 【人権は法律から保障されなければならない(法律が人権侵害することを防がなければならない)】
と考えられるようになり、
 【戦後の新しい憲法によって広く違憲審査制が導入されるに至った】
としています。

この違憲審査についても憲法裁判所を設け、法律が憲法違反かどうかそれ自体を判断するか、あるいは普通の裁判所で司法手続き(すなわち具体的な事件についての裁判)の中で、その事件について事件の解決に必要な限度で法律が憲法に違反していないか判断するか、という二つのやり方があり、日本はこのあとの方式を採用していることになっています。

そしてその際「憲法判断回避の準則」というのがあり、「憲法判断は事件の解決にとって必要な場合以外は行なわない」「憲法問題が提起されていても、もし事件を処理することができる他の理由が存在する場合には、その憲法問題には判断を下さない」「法律の合憲性について重大な疑いが提起されても、裁判所が憲法問題を避けることができるような法律の解釈が可能かどうかを最初に確かめる」というルールです。このようにして、できるだけ違憲判決を出さないようにするということです。

にもかかわらず違憲判決を出してしまった場合、その判決はどの範囲で有効なのか、とういことになりますが、原則としてある具体的な裁判について違憲判決が出ただけですから、その判決の効力はその裁判限りということになります。とはいえ一旦違憲判決が出ると、その後の裁判ではその違憲判決を参考にしながら判決をするわけですから、当然他の裁判にも影響することになります。もちろん「影響する」というのは、一旦違憲判決が出たらその後はその判決に右へならえしなければならないということではありませんが。

ここで「判例」という言葉が出てきます。私は「判例」というくらいだから裁判の例、いくつもの実際の裁判の実例のことだと思っていたんですが、ここでも芦部さんは独特な言葉使いをします。すなわち
 【「判例」とは広く裁判例(判決例)のことを言う場合もあるが、厳密には判決の結論を導く上で意味のある法的理由づけ、すなわち「判決理由」のことを言う。】
となっています。本当かなあと思います。

さてここで、ついに芦部さんの憲法の教科書の間違いを見つけてしまいました。
芦部さんは381ページに
 【判例を変更するには、大法廷によらなければならない(裁判所法10条参照)】
と書いてあります。

いくらなんでもそんなことはないだろう。地方裁判所の判決は高等裁判所でいくらでもひっくり返るし、高等裁判所の判決も最高裁でひっくり返ります。そのたびに最高裁の裁判官が全員集まって議論することはないだろうと思って、その裁判所法10条を見てみると
第10条(大法廷及び小法廷の審判)、として、最高裁の裁判は大法廷(最高裁の裁判官全員参加の裁判)でやるか小法廷(全員でなく裁判官3人以上でやる裁判)でやるかどちらかで、どっちにするかは最高裁が決めるんだけれど、大法廷でやらなければならないケースというのを3つあげていて、その3番目が
 【憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき。】
となっています。
すなわち上の芦部さんの「判例を変更するには・・・」というのは、少なくとも「最高裁の判例を変更するには・・・」としなければならないということです。

この芦部さんの憲法、最初に出てからもう20年以上も経っていて、司法試験の受験者はほとんど皆この教科書を勉強しているはずなのに、今まで誰もこの間違いに気が付かなかったんでしょうか。

まあ本文389ページの本の381ページに書いてあることなので、そんな終わりの方までちゃんと勉強した人はあまりいない、ということなのかも知れませんが。

あるいはこの本の著者の芦部さんはもう亡くなっているのでもはや修正できないということかも知れませんが、芦辺さんの死後そのお弟子さんが改訂作業を何回もしているんですから、気がついたら注の形で訂正することもできます。やはり気がついていないということなんでしょうね。

また裁判所法は「意見が前の裁判と違うとき」と言っていて、「判決理由が」、あるいは「判例を」とは言っていません。そういう意味でも芦部さんの言っているのはちょっとおかしいです。

この違憲審査の話が終わると、いよいよ最後に来るのが憲法改正です。例によってわけのわからないことがいろいろ書いてあるのですが、まずは「憲法改正の限界」の所に
 【憲法改正の手続きによりさえすれば、いかなる内容の改正も法的に許されると説く無限界説もある。しかし法的な限界が存するとする説が通説であり、かつそれが妥当と解される。】
とあります。

この「法的」というのは一体何なんでしょうか。憲法が改正できる範囲が憲法に書いてないからと言って、法律になどなおさら書いていないのですが、だとするとこの「法的」というのは一体何なのか、何の説明もありません。こういういい加減な言い方が芦部さんの憲法の特徴だと言ってしまえばそれまでの話なんですが。

で、芦部さんの言う「法的な限界が存する」という説にもおかしなことが書いてあります。一つの説は 「権力の段階構造」という説ですが、これは
 【民主主義に基く憲法は、国民の憲法制定権力(制憲権)によって制定される法である。この制憲権は憲法の外にあって憲法を作る力であるから、実定法上の権力ではない。】
 【このように改正権(憲法を改正する権利)の生みの親は制憲権であるから、改正権が自己の存立の基盤とも言うべき制憲権の所在(国民主権)を変更することはいわば自殺行為であって、理論的には許されない、と言わなければならない。】
となっています。生みの親とか自殺行為とか、とても理論的な議論をしているとは思えませんが、そのあげくが「許されない」です。理論的にできる・できないではなく、許される・許されないというのは、もう信仰の世界です。

もう一つの説は「人権の根本規範性」というもので、
 【近代憲法は本来「人間は生まれながらにして自由であり平和である」という自然権の思想を、国民に「憲法を作る力」(制憲権)が存するという考え方に基づいて成文化した法律である】
したがって
 【憲法改正権はこのような憲法中の根本規範とも言うべき人権宣言の基本原則を改変することは許されない】
ここでも同様に「許されない」になっています。こうなってはもはや何を言わんや、という話です。

さらに
 【憲法96条の憲法改正国民投票制は、国民の制憲権の思想を端的に具体化したものであり、これを廃止することは国民主権の原理をゆるがす意味を持つので、改正は許されないと一般に考えられている。】
と書いてあります。

「一般に」とは一体何なんだ。「考えられている」なんて、自分の考えはどっちなんだ、とツッコミを入れたい所です。

現在自民党の改正案は、まずこの96条の改正から始めようとしているんですが、国民投票制を変えようとしているわけではなく、その前段の国会の発議の所の条件をちょっと緩くしようとしているわけですが、この「一般に考えられている」の「一般」は、国民投票制が変わらないんだから自民党の案はOKと考えるんでしょうか。それとも96条を変えるんだから、それは許されないということなんでしょうか。もう芦部さんは亡くなってしまっていますので、今更聞くこともできないんですが。

と、このへんで芦部さんの憲法、オシマイです。

ごく気楽な気持でやさしい憲法の本を読むつもりだったのが、大変なことになってしまいました。ここまでお付き合い下さった方の中には「単にムカッパラ立ててイチャモンをつけてただけじゃないか」と思う方もいると思います。私も実はそう思わないでもないんですが、ムカッパラ立ててイチャモンつけるのがこんなに大変なことだとは思いませんでした。

多分芦部さんの憲法とは大分違うと思われる清宮さんの憲法も、この前のブログ記事(「この国のかたち」-憲法とは何か)のコメントにあるように、白根さんが「くれる」と言っています。少し休んでから読んでみようと思います。この本についてもコメントしたくなったら、またコメントするかも知れません。

最後に憲法を実際に読んでみて発見したことを1つ。
普通法律を読むと最後の方に「罰則」という部分があり、その法律に違反したらどんな罰が待っているかが書いてあり、ここの所を読むのがえらくメンドクサイのですが、憲法には何とこの罰則がありません。

もちろん憲法のいろんな部分は具体的に法律にも規定してあり、その法律には罰則があるのですが、憲法それ自体には罰則がありません。法律にならずに憲法だけに規定している部分については、罰則がないままです。罰則がないということは、それに違反したからといって「だからどうした?」と言われてしまえばそれまでということです。

憲法というのはせいぜいその程度のものでしかないということ、違反したからといって、別に何も起こらないということ、だから憲法を大切にしようと思ったら、罰則とは別の所で「国民の不断の努力」が必要なんだということ、なのかなと思います。このあたりもう少し考えてみる必要がありそうです。

『この国のかたち』-憲法とは何か

12月 11th, 2013

このブログで憲法の話を始める前後から、KENさんからは何度も「憲法とは何か」という質問を受けています。

芦部さんの憲法ももうすぐ終わりそうになり、ようやくこの質問に答える準備ができたように思います。

で、その答えですが、憲法とは『この国のかたち』です。

『この国のかたち』というのは司馬遼太郎さんが使った言葉ですが、その場合は日本の伝統・文化の面からの国のかたちという意味です。

文化の他にも、地理的な意味での国のかたち、地勢学的な意味での国のかたち、経済的な意味での国のかたち、等々いろいろありますが、憲法というのは法律・制度の意味での国のかたちを定めたものだと思います。

憲法という言葉は聖徳太子の十七条の憲法とか、宮本武蔵にやっつけられた吉岡憲法なんて人の名前もありますが、国の基本法としての憲法はこれらの言葉とは別のものです。

「憲法」という言葉は大日本帝国憲法を定める時、外国から輸入された言葉の訳語として採用されたものですから、その元となった言葉の意味を考えてみようと思いました。

憲法は英語ではConstitutionsといいます。この言葉の動詞はconstituteという言葉で、これは構成する、形づくるというような意味です。ドイツ語のVerfassungというのも、どうやら同様の意味のようです。そんなことを調べていたら、ごく自然に「国のかたち」という言葉が浮かんできました。制度的・法律的に、この国がどのようにできていてどのように機能するか、その設計図が憲法だということです。

この答をみつけてうれしくなって、さてどうやって書こうかと思っていた時、図書館でウロウロしていて三浦朱門の「そうか。憲法とはこういうものだったのか」という本を見つけました。

三浦朱門というのは作家で文化庁長官なんかもやって、同じく作家の曽野綾子さんを奥さんにしている人です。で、この本がまた面白い本で「七人の侍」から始まって、モーセの十戒・ハムラビ法典・ベニスの商人の話をしながら、ローマ法・マグナ・カルタに至り、日本の話では五箇条のご誓文から大日本帝国憲法・日本国憲法と、憲法とは何かについて考えていきます。そして最後に
【日本国憲法が今の「この国のかたち」を正しく反映しているか考える時がきた】
というタイトルで締めくくりをしています。

やはりこの本でも憲法とは「この国のかたち」だと言っているのを見て、私の答と同じだと確認することができました。

さらに石破茂さんの書いた「日本を、取り戻す。憲法を、取り戻す。」という本を、図書館で半年待って借りて読んだのですが、石破さんは大学は法学部の卒業で、学生時代に法学部で憲法を勉強した時、清宮さんの本で勉強した、と書いてありました。

私のブログにもフェイスブックで良くコメントしてくれる下郡さんも学生時代に憲法をその清宮さんの憲法の教科書で勉強していて、芦部さんの本だけでなく清宮さんの本も読むように、とアドバイスしてくれていたので、改めて借りて読んでみました。

その本の最初に憲法の意味が説明してあり、ConstitutionsあるいはVerfassungという言葉は、憲法という意味で使われる時もあり、また、現実の国の体制、実力関係、政治状態などを意味することもある、と書いてあります。すなわち、事実的Verfassungと法的Verfassungがあり、この法的Verfassungが日本でいう憲法だということです。

これで決まりです。憲法は、法的な意味での『この国のかたち』です。日本国民が、この国を、このような国にしたい、このような国でありたい、という、国の制度、組織、法律に関する設計図を書いた『この国のかたち』が憲法です。

でもこの清宮さんの本、ちょっと見た限りでは非常にすっきり書いてあって、非論理的なところもなく、突っ込みどころも見当たりません。同じく憲法の教科書なのに、芦部さんのものとはまるで違います。もしかすると芦部さんの本はやはりかなり特殊な本だったのかも知れません。芦部さんの憲法はもうすぐ終わりですが、やはりこの清宮さんの本も読んでみるべきでしょうか。

ちゃんと読むとなったら借りるんじゃなくやっぱり買う必要がありそうです。もう新しい本は出ていないようなので、古本をアマゾンで買うべきでしょうか、神保町の古本屋街に買いに行くべきでしょうか。悩ましい所です。

芦部さんの憲法 その13

12月 10th, 2013

芦部さんの憲法、統治機構の所についてはあまり問題がないだろうと思っていたら、しょっぱなから問題のコメントがありました。

まず
 【民主主義ないし民主政(国民主権)は人権の保障を終極の目的とする原理ないし制度と解すべきであるから・・・】
という文章があります。「民主主義は人権を守るためのものだ」ということです。政治学をやっている人が聞いたら泣いて喜ぶだろうような話です。
この芦部さんを初めとする立憲派の憲法学者さんというのは、本当に人権が好きなんですね。民主主義というのも人権を守るための単なる道具になってしまいます。

統治機構の所で最初に議論するのは三権分立の話ですが、これも世界共通ということではなく、国によって三権分立の形が違うという話は初めて知りました。すなわち、アメリカでは立法権不信の思想が強く、そのため三権は平等だけれど、フランスでは司法不信で三権の中でも立法権が中心的地位にあるということで、同じ三権分立がフランスでは裁判所の違憲審査権を否定するための理論的根拠であり、アメリカではそれを支えるための根拠だというんですが、何のこっちゃという感じです。

で、「国会」ですが、憲法では「国会は国権の最高機関である」としているのですが、これについて芦部さんは「最高機関とは政治的美称である」と言って、何となく司法より立法が上になるのは嬉しくないようです。もう一つ「国会は国の唯一の立法機関である」という条もあります。ともすると司法の裁判所が立法したがるのを防止しているようです。

次は内閣ですが、
 【行政権は、内閣に属する】という行政権は、【すべての国家作用のうちから立法作用と司法作用を除いた残り(すべて)の作用である。】と言っています。
このように言いながら、内閣から独立して活動する独立行政委員会について
 【内閣から独立した行政作用であっても特に政治的な中立性の要求される行政については、例外的に内閣の指揮監督から独立している機関が担当するのは、最終的にそれに対して国会のコントロールが直接に及ぶのであれば合憲であると解して良い】
と言っています。

一体憲法のどこからこんな理屈が出てくるのかさっぱりわかりません。別にこのような制度に異論があるわけではないんですが、憲法に何も書いてないことを「合憲とする」というくらいなら、憲法にそのように書き加えれば良いのに・・と思うのですが。

内閣に関しては
 【日本国憲法には内閣の解散権を明示した規定はない】
という説明があります。天皇の所で、天皇の国事行為としてはっきり「衆議院の解散」と書いてあり、「国事行為は内閣の助言と承認により、また内閣がその責任を負う」と書いてあるので、私はこれで十分だと思うのですが、芦部さんは「書いてない」と言い、だからと言って憲法を直そうともしないで
 【現在では7条によって内閣に実質的な解散決定権が存するという慣習が成立している。】
としています。芦部さんは何を考えているんだろうと思います。

さらに芦部さんは、注として「解散権の限界」として、解散できるのはいくつかの限定されたケースだけだと言っています。もちろん憲法にはそんな限定等どこにもないですから(芦部さんによると解散権自体が書いてないわけですし)、芦部さんが勝手に考えたことを「自分の考え」と言わないで断定してしまっています。何ともはやです。

で、次にくるのが裁判所です。
 【すべて司法権は最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する】
で、この「司法」という言葉ですが、私は法律の適用あるいは解釈に関する争いの全てを対象とすると思っていたのですが、どうも違うようです。

芦部さんによると、司法とは
 【具体的な争訟について、法を適用し宣言することによってこれを裁定する国家の作用】
と言い、さらに細かく
 【当事者間に具体的事件に関する紛争がある場合において、当事者からの訴訟の提起を前提として独立の裁判所が統治権にもとづき一定の争訟手続きによって紛争解決のために、何が法であるかの判断をなし、正しい法の適用を保障する作用】
と言っています。

要するに、何か具体的に事件があって、当事者間の争いがあり、裁判になって、はじめて司法が動き出すということのようです。
裁判所ができるのはこの司法だけですから、違憲判決もこの司法の範囲内でしかできないことになりますね。
すなわち具体的な事件があり争いがあって、裁判になって初めて違憲審査が始まるということですね。

だとすると、こんなしばりなしで法律を作ることができ、憲法改正の発議もできる国会の方がやはり上に来るのも当然ですね。

このあと財政・地方自治がありますが、そこもスッ飛ばして、次回はいよいよ憲法改正の議論です。

芦部さんの憲法 その12

11月 28th, 2013

さて前回は、憲法は国民の基本的人権の誰による侵害を規制するのか、という話をしました。

規制する相手が国だけであれば、基本的人権を侵害する国が悪いということで簡単なのですが、規制する相手に国民も入っているとなるとちょっと面倒です。

すなわちある国民の基本的人権が別のある国民の基本的人権を侵害する時どうしたら良いか、という話になるからです。

このような時にどうしたら良いかなんてことは憲法には書いてありませんから、ここは法律家が頑張ってあーでもないこーでもないという議論を展開することになるわけです。要は「常識的判断で決める」ということになるのですが、そう言ってしまっては有難味がないので、いかにも論理的にみえるように様々な言葉を作り出して論理的な結論であるかのように結論を持ち出します。

このあたりについては、前々回の「芦部さんの憲法 その10」で書いたとおりです。

このようなケースについて、国民の基本的人権は憲法だけではなく法律によっても守られているため、時としてこの国民の基本的人権同士の衝突が、その衝突を引き起こしている法律の憲法違反という問題になります。すなわちある人の基本的人権がある法律によって守られている。しかしそれが別のある人の基本的人権を侵害している時は、その法律が憲法違反ではないか、という議論になるわけです。別のある人の基本的人権も、別のある法律で守られているとすると、その法律どうしがぶつかり合うわけなので、どっちの法律が憲法違反なのか、という議論になります。

このあたり、常識的判断がいくらでも幅があり得るので、具体的な話となるといくらでも議論のもとになります。

このあたりでもうメンドクサイので全て端折って、次回からはもう少し現実的な「国の統治機構の話」に入ろうと思います。すなわち、国会・内閣・裁判所、といった話です。

婚外子の法定相続分に関する民法改正

11月 22nd, 2013

婚外子の相続分を巡る最高裁の判決(決定)を受けて、民法改正案が国会に提出されています。

閣議決定を受けて国会には改正案が11月12日に出ていますが、一昨日(11月20日)ようやくその法案の中味が衆議院のホームページに掲載されました。

昨日(11月21日)は衆議院本会議で可決されたようです。

この法案を見たいと思っていたのは、最高裁で違憲判決を受けた婚外子の法定相続分を嫡出子の1/2にするという但し書きの他にどのような改正がなされるのかを確認しようと思ったからです。

この法案の閣議決定のマスコミのニュースにはそこまでちゃんと報道しているものが見当たらないのも困ったものです。

結局この法案では、民法900条第4項の但し書きのうち「、嫡出子でない子の相続分は、嫡出子である子の相続分の二分の一とし」を削るというだけで、それ以外は一切改正しないという案になっていて、「この規定は平成25年9月5日以降に開始した相続について適用する」という経過措置の規定が付いています。

今日(11月22日)見ると、この改正案には修正案が提案され、その修正案ではこの民法の改正に合わせて戸籍法も改正し、出生届及び死産の届出の際に嫡出子、非嫡出子の別を記載することをやめることが提案されていたようですが、この修正案の方は否決されています。

すなわち政府と国会は最高裁の判決(決定)に必要最小限の対応をした、ということになります。

政府および与党としては最高裁の憲法違反に正面から対決することを避けながら、与党の反発にも配慮した改正案ということになります。

これを受けて与党の民法改正の議論が今後どうなっていくか、注目ですね。

ニュース

11月 14th, 2013

私は多分かなりニュースを見ている方だと思いますが、時折報道されないことについて報道してくれないかなあと思うことがあります。近頃では以下の2つです。

今年の春、キプロスの銀行危機でマスコミは大騒ぎしました。その後キプロスの日々の生活ではお金がほとんど使えなくなってしまったので、人々はどのように生活しているんだろうと思い、ずっと待っているのですが、そのあたりを報道してくれるニュースやドキュメントを見ていません。お金が使えなくなるというのは、日本の戦後の新円切り替えとかドイツの第一次大戦後のインフレとかいろいろあるのですが、現代の時代で具体的にどのようなことが起こっているのか、報道してもらいたいなぁと思っています。

もう一つは、シリアの情勢です。内戦が始まってからほぼ毎日のように、平均して1日に100人くらいが爆撃などで死んだというニュースが流れていたのが、化学兵器の問題で米ロが協議したり国連の調査団がシリア入りしたあたりからぱったり目にすることがなくなってしまいました。シリアではあいかわらず爆撃で人が死んでいるんだろうか、あるいは実質的にある意味休戦状態になっているんだろうか、と思っています。政府側と反政府側との戦闘より反政府側同士の戦闘のニュースも流れたりして、大分反政府側にゆとりが出ているのかなとも思いますが、いかんせん何もわかりません。

ほとんどのニュースは、思ってもないことを知らされてヘェーとなるのですが、時にはこのようにいつ知らされるんだろうと待っているニュースも楽しみです。