小林秀雄『ヒットラアと悪魔』

4月 2nd, 2014

ヒトラーの『我が闘争』を読み終わって、そういえば小林秀雄がヒトラーのことを書いていたよな、と思い、図書館で借りてきました。
地元の図書館の、普通の著者別の棚に載っている小林秀雄の本はさすがにもうほんの2-3冊になっています。もちろん全集や書庫にとってある本はほかにあるんでしょうが、とりあえずこの普通の閲覧用の書棚にある本で探したら、『栗の木』というエッセイ集の中に『ヒットラアと悪魔』というものがありました。

このエッセイはヒトラーの『我が闘争』を読んでのものかと思っていたのですが、そうではなく、戦後に作られたナチスのドキュメンタリー映画を見てのものだったようです。もちろん小林秀雄は『我が闘争』は戦前にもう読んでいてそれも踏まえての感想です。

このエッセイを私はその昔に読んでいます。私が小林秀雄を集中的に読んだのは私の中学から高校にかけてのころです。このエッセイを読んで、いつかは『我が闘争』を読もう、と思っていたのは、今からさかのぼれば50年くらい昔の話になります。

50年たってようやく読めた、というのは、なかなか感慨深いものがあります。

ヒトラー 『わが闘争』

3月 27th, 2014

読み終わって、しばしボーゼンとしています。

昔の、字が大きくなる前の文庫本で、上下計900ページを超える本だということもあります。また訳の日本語が何を言っているのか良くわからない所がたくさんあるということもあります。しかし何よりこれはすごい本です。こんなすごい本だったんだ、ということに感動しています。
ヒトラーというのはこんなすごい本を書くことができた人だったんだということに感動しています。

この本の『序言』で、ヒトラー自身
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人を説得しうるのは、書かれたことばによるよりも、話されたことばによるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にでなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということをわたしは知っている。
けれども教説を規則的、統一的に代弁するためには、その原則的なものが、永久に書きとどめられねばならない。それゆえ、この両巻を、わたしが共通の事業に加える礎石たらしめんとするのである。
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と書いています。
で、偉大な演説家らしく、この本も拘置所で禁固刑に服している間に口述したものを元に、彼のブレインが本の形にまとめたもののようです。

この本は非常に読みにくい本です。大部だということもありますが、日本語の訳文が良くわからない所がたくさんあるというのも読みにくい原因だと思います。例によってこんな時は英訳を参考にしようと思ってネットで英訳を引っ張ってきて、それを読む分にはごく素直に理解できます。多分原文のドイツ語をそのままできるだけ忠実に日本語に直そうとして、かえってわけのわからない訳文になってしまったのかなと思います。

普通文章を書くことを専門にしている人の文は、途中でわからない所があると、そのあとニッチもサッチもいかなくなるのが普通ですが、「序言」にもある通りこれは大演説家の演説ですから多少意味がわからない所があっても何とかなります。文章と演説の違いは、文章は一語一句をゆるがせにせず、その分何度も読み直し・読み返しすることができる、というものですが、演説の方は時と所、相手によって同じことを何度でも繰り返す、言い方を変え相手がわかるまで何度でも繰り返すというものですから、途中多少わからなくてもそのまま読んでいけば全体として何が言いたいのかがわかります。そんなわけで英訳を参照するのはすぐにやめてしまいました。

この本を読んで何より驚くのは、内容が非常に論理的でまた緻密だということです。もちろん、論理的だ、ということは、正しい、ということと同じではありませんが、論理的である分、非常に説得力があります。

ユークリッド幾何学はほんの少しの公理から出発して平面幾何・立体幾何の膨大な定理を証明してしまっています。ニュートン力学は相対性理論と素粒子論が登場するまで、万有引力の法則一つでありとあらゆるものの動きを説明し尽くしていました。キリスト教の神学も全能の神の存在と三位一体で全世界のあらゆることを説明し尽くします。この『わが闘争』では、ドイツ人が一番優秀な民族で人類の素晴らしいものは全てドイツ人の発明だ、ということと、世界の悪いことはすべてユダヤ人の陰謀だ、ということ、あと優秀な民族と劣等な民族が混血すると劣った方は少し優秀になるけれど、優秀な民族の方は劣った方に引きずられて優秀でなくなってしまう、という、現在の生物学では多分肯定されないような生物学理論とで、世界中のありとあらゆることを説明し尽しています。

科学的な考え方、というのは、ある仮説を立て、その仮説に矛盾する反証がなく、その仮説でいろいろなことが説明できればできるほどその仮説の正しいことが証明されたんだ、とする考え方です。その意味でこの本は非常に科学的なアプローチをとっている、とも言えます。

エネルギーに満ち溢れていて、現実の世界のことをまだあまり良く知らないけれど、正義感は非常に強い、という若者がこの本を読むと、完全に取り込まれてしまうリスクは高いと思われます。いくつもの国でこの本が禁書になっているのも良くわかります。

上巻は『民族主義的世界観』という表題ですが、主にヒトラー自身の生い立ちから、戦争が終わって『ドイツ労働者党』を乗っ取ってナチスを立ち上げて発展させていくまでの経歴を軸に、ヒトラーの立場からの歴史や世界観が書かれています。

下巻の方は『国家社会主義運動』というタイトルで、ナチスの考えを理論的に解説しています。

第一次大戦でドイツに革命が起こってドイツが負けたのはユダヤ人の陰謀で、ほとんどの新聞はユダヤ人に牛耳られている。多数決原理にもとづく民主主義もユダヤ人の陰謀だ、マルクス主義もユダヤ人の陰謀だ、と悪いことはほとんどユダヤ人の陰謀になってしまいます。

大演説家だけあって、新聞の力を大いに評価していますが、ドイツの新聞はほとんどがユダヤ人に支配されているのでほとんど信用できない、と言います。低俗紙は支離滅裂なことを書き散らし、高級紙はそういう低俗紙を批判すると、ついなんとなくそんな高級紙の記事を信用してしまいそうになるけれど、それも全てユダヤ人の陰謀だ、ということになると、納得してしまう人も多いかもしれません。陰謀、というのは本当に何かを説明するのにオールマイティーのジョーカーみたいなものです。

テロに対抗するにはテロしかない、と言って実力行使・暴力をむしろ積極的に肯定するとか、民主主義を否定する所などは抵抗がある人も多いかも知れません。

ナチスの集会を潰そうとする左翼の労働組合の活動家との、暴力対暴力のぶつかり合いも、なかなか迫力があります。

第一次大戦に負けて、今後のドイツの行動方針をどうすべきか、対外的にどの国と仲良くすべきか、ドイツ人を養うための土地をどこに求めるか等、歴史についても外交についてもかなりしっかり考えられています。
もともと植民地を増やそうとして海外でイギリスなどと争うのが間違いで、ドイツ人が全員十分に食べていけるだけの土地をまずヨーロッパで確保することが最優先のテーマで、植民地はその後だ、ということですから、ポーランドからロシアの土地をぶんどろうとしているのは明らかです。
ロシアについてはまるで評価せず、仮に同盟したとしても単なるお荷物になるだけだ、と簡単に切り捨て、その代わりにイギリスを高く評価し、同盟するならイタリアとイギリスとの三国同盟だ、と明言しているのも『ヘーッ』てなものです。
ここまで明確に書いてあるので、その後ヒトラーのドイツがスターリンのソ連と同盟を結んだ時、世界中がびっくりし、日本などはそれだけで内閣が吹っ飛んでしまった、というのも、そういうことだったのか、と納得できます。

実はこの本はもう10年位段ボール箱の底に眠っていたのですが、一連の第一次大戦からナチスがドイツの政権を取るまでの歴史の本を読んで、ようやく『機は熟したかな』と読む決心がついたもので、この事前準備がなかったら、読んだとしてもあまり良くわからなかったような気がします。事前準備としてはこのブログで紹介したいくつかの本のほかに、さらにオーストリアに関する本をもう2冊読んでいます。

一応読み終わって、さて改めて英訳を読んでみようかどうしようか考えています。英訳だとかなりわかりやすいとは思いますが、何しろ900ページにもなるもの(私がネットで手に入れた英訳のpdfは1,000ページほどのものです)ですから、かなり覚悟が要ります。

この本の最後に訳者の一人が解説を書いていますが、その最後に
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わたくしはここで、ルソーが『社会契約論』で述べている言葉をつけ加えれば満足である。『マキャヴェルリは国王たちに教えるようなふりをして、人民に重大な教訓を与えたのである。マキャヴェルリの『君主論』は共和派の宝典である』。もちろんヒトラーは人民に教えたのではないが、わたくしにはやはり人民の宝典の価値を持つように思われるのである。
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とあります。
確かにこの本は『人民の宝典』かどうかはわかりませんが、貴重な本だと思います。
興味があったら、読んでみてください。チョット覚悟がいりますが。

ビットコイン(3)

3月 4th, 2014

ビットコインのマウントゴックス、裁判所に民事再生法の適用を申請し、新しいステージに入っています。ということは、当初の再生プランは成立しなかったということでしょうか。

申立てにあたってマウントゴックスは、ビットコインが盗まれただけでなく現金あるいは銀行預金も盗まれてしまったと言ったようです。日本の警察を甘く見て、自ら墓穴を掘ってしまったような気がします。ビットコインと違って、現金はそう簡単には隠せませんから。

今回の事件、私なりの推測を書いてみます。

マウントゴックスはビットコインの預かりをしていたようです。
銀行はお金を預かるのですが、その預かり方は2通りあります。

一つは普通に銀行の預金口座を使うやり方です。
預ける人(Aさんとします)が100万円銀行に預けると、Aさんの預金口座に100万円預かったと記録されます。銀行の会計上は現金が100万円、預金という借金が100万円増えることになります。すなわちAさんの預けた100万円は銀行の物になり、その代わりにAさんは銀行に100万円貸したことになるわけです。Aさんが預金を取崩す時は、銀行は手持ちの現金からAさんに100万円支払い、Aさんの預金口座は残高を0円とし、会計上は現金が100万円減って、預金という借金が100万円減ることになります。

もう一つのやり方は、銀行に貸金庫を作ってもらってその中に現金100万円をしまっておくというやり方です。このやり方だと現金100万円はAさんの物のままで、銀行はそれを預かっているということも知らないことになります。

マウントゴックスがやっていたビットコインの預かりがどちらのやり方だったのか良くわかりませんが、最初のやり方だとすると、これは次のような流れになります。

Bさんが現金100万円でビットコインを買いに来て、1ビットコイン=5万円のレートで20ビットコインを買ったとします。それをそのままマウントゴックスに預けることにすると、その20ビットコインはマウントゴックスの20ビットコインとなり、その代わりにBさんはマウントゴックスに20ビットコインを貸していることになります。マウントゴックスからすると、最初持っていた20ビットコインを現金100万円と引き換えにBさんに売り、それをBさんから預かって20ビットコインを取り戻し、その代わりに20ビットコインをBさんから借りた、ということになります。すなわち手持ちのビットコインは変わらないで現金が100万円増え、ビットコインの借りが20ビットコイン分増えたということになります。

手持ちのビットコインは変わらないのですから、次にCさんがビットコインを買いにきても同じように現金とビットコインの借りを交換し、ビットコインの手持ちの額は変わらないということになります。

こうなるとビットコインを買ってマウントゴックスに預けるBさん・Cさんのような人がいる限り、マウントゴックスにはいくらでも現金が溜まっていきます。BさんやCさんがビットコインを返してくれとか、ビットコインを売って現金にしてくれと言い出さない限り、いくらでもお金が入ってくるわけです。仮にBさんやCさんがそう言って来たとしても、その代わりにDさん・Eさん・Fさんがそれ以上のビットコインを買って預けると言ってくれば、それで何の問題もありません。

ビットコインを発明したサトシ・ナカモト氏の論文によると、ビットコインの仕組みの中核はシステムを使った高度の暗号化により、同じビットコインを二重三重に売ることができない、ということです。それでビットコインは偽造も複製もできないので、信用が保てるということです。

仮に現在使われているビットコインのシステムが、そのナカモト氏の言う通りにできていて、個別のビットコインの売り買いで二重売りができないようになっていたとしても、このマウントゴックスのやった「預かり」という方法を使えば、同じビットコインを何回でも売ることができてしまうわけです。

同じビットコインを何回でも売ることができれば、その都度お金が入ってくるんですから、こんなおいしい話はないですよね。そのお金は盗まれないようにどこかに隠しておくとすると、ある日気が付くと山程のビットコインの借りが残っていて、それに見合う現物のビットコインも現金もどこにもないということになるわけです。

銀行の場合も預かったお金を他の人に貸して、その一部をまた預かって、それを他の人に貸して、また預かって、・・・というようなことをやっているんですが、こんなことにならないようにいろんなルールができています。マウントゴックスは銀行じゃないのでそんなルールはなく、何でも好き放題にできたんでしょうね。

ということで、今回の件はビットコインが主役になってはいるけれど、ごくごく古典的な取り込み詐欺のようなものということかなと思います。

よく言われるように、ビットコインが闇の資金のマネーロンダリングに使われているとして、「いなくなってしまった」ビットコインの中にその闇の資金が含まれていたとすると、マウントゴックスの社長さんはむしろ警察に保護してもらいたい、と思うようになるかもしれませんね。

ビットコイン(2)

2月 26th, 2014

ビットコインの取引所の一つが支払不能になったようです。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140226/t10015536281000.html

この会社は渋谷にあるマウントゴックスという会社で、取引量世界一、ということですが、日本人の顧客はほとんどいないようで、主にアメリカ人その他が顧客のようです。

取引所、というのはビットコインを売ったり買ったりするところかと思っていたのですが、ビットコインの預かり(ビットコインの預金のようなものでしょうか)もやっていて、その預かったビットコインが消えてしまった、ということのようです。

ハッカーの攻撃でビットコインを盗まれてしまった、とか、預けたビットコインを引き出す時に何回も引き出すことができたんだ、とか、いろんな話があって本当のところはよくわかりません。で、その消えてしまったビットコインが74万ビットコイン、今の相場が大体1ビットコイン=500ドル=5万円くらいなので、74万ビットコイン=350百万ドル=350億円というくらいの話です。
現在発行済みのビットコインは1,200万ビットコインくらいですから、その6%位にあたります。
この盗難が、過去2年にもわたってずっと続いていた、ということですから、このマウントゴックスという会社の管理体制はどうなっていたんだろう、と思います。また、問題がビットコイン自体に内在するものなのか、あるいはマウントゴックスという会社の預金管理のシステムの問題なのかもよくわかりません。もちろん、ビットコインの関係者はビットコイン自体のシステムの問題ではない、と言っていますが。もちろんこれらすべてが嘘で、単なる預金の持ち逃げ、ということなのかもしれません。

これでビットコインの全体の信用がなくなってしまうと、盗まれていないビットコインも無価値になってしまい、ビットコインを大量に持っている人も、ビットコインの仲介で儲けている他の取引所も困ってしまうので、みんなでよってたかってこのマウントゴックスの救済にあたろうとしているようです。

その救済策のドラフトなるものがネットで公表されています。
http://ja.scribd.com/doc/209098983/MtGox-Situation-Crisis-Strategy-Draft-With-No-black-Bars

これがなかなか面白いので、興味があったら見てみてください。
この中にStrategy Timelineというのがあって、Now(というのがいつなのかわからないのですが)から日本時間2月25日朝までに救済資金をかき集め、日本時間2月25日朝に状況を公表して1カ月間の取引停止を発表し、その後体制整備を進め、その状況はFacebookやTwitterその他で進捗状況を逐次公表し、4月1日以降に新しい名前で取引を再開する、という計画が書いてあります。
今回の事態の公表が日本時間2月26日朝ですから、1日遅れでこのスケジュール通りに進行しているのかもしれません。
事態を放置するとビットコイン全体の信用が失われてしまうから、ビットコインの大口取引者、大手の取引所は救済のためにビットコインを贈与する、マウントゴックスの株式と交換にビットコインを払い込む、ビットコインだけじゃどうしようもないので現金も投入する、という形で協力しなければならない、と言っています。

ある意味既に起こってしまったことではありますが、その既に起こってしまったことに対するコンティンジェンシープランになっています。
うまくこの通りに行くかどうかはわかりませんが、プラン自体はなかなか良くできたプランだと思います。
今後の事態の推移がこのプラン通りになるのか、あるいはどうにもならないのか、興味を持って見ていきたいと思います。

ビットコイン

2月 17th, 2014

ビットコインの話題がニュースで時々取上げられます。

私はこれに非常に興味があって、どうなるか見ています。

いわゆるバブルの歴史の本を読むと、オランダのチューリップバブルにしても、バブルの名の元となったイギリスの南海泡沫会社(South Sea Companies)の話にしても、書いてあることはわからないでもないんですが、でも実際の所、実体がわからない、何の裏付けもないものを対象にして、どうしてバブルが発生するんだろうと不思議でした。

今回のビットコインも実体がない・何の裏づけもない・単に売り買いができて、とてつもなく値上がりしている、さらにもっと値上がりしそうだ、ということで、まさにチューリップや南海泡沫会社の株と同じことです。

このビットコインの成り行きをずっと見ていれば、もう少し具体的・現実的にバブルの正体がわかるのではないかと楽しみにしています。

ハレーの生命表

2月 14th, 2014

「ハレー」というのは、あのハレー彗星のハレーです。
この人が史上はじめて実際の死亡データにもとづいて生命表を作り、その生命表を使って生命年金の計算をした、その論文を紹介します。

例によって訳文と、それに若干の説明を追加しています。

年金の計算では、まず単生の年金を計算し、次に二人の連生の年金を計算し、調子にのって三人の連生年金の計算までしているのですが、さすがにそこの部分はあまりにも込み入っていて、また訳す意味もあまりなさそうなので省略しましたが、それ以外は全訳です。

とにかく史上初の生命表がどのようにして作られ、どのように使われようとしていたかがわかる論文です。

単に「ハレーが最初に生命表を作った」では収まり切れない面白い話がいろいろみつかります。

良かったら読んでみて下さい。

http://www.acalax.info/bbs/halley.pdf

A4 20ページになるため、pdfファイルにしてあります。好きなようにダウンロードしてお読み下さい。

久しぶりのアクチュアリー関係の資料なので、ブログと練習帳掲示板と両方にこの記事を載せておきます。

反ユダヤ主義

2月 7th, 2014

さて一連のドイツの歴史の本の締めくくりは村山雅人著「反ユダヤ主義」(講談社選書メチェ)です。

私は今まで反ユダヤの代表のヒトラーはオーストリアの出身で、オーストリアで大人になったのにどうしてドイツで反ユダヤになったんだろうと思っていましたが、まるでまちがってました。

オーストリアこそ反ユダヤの本家本元だということがこの本に書いてあります。

1866年に普墺戦争でプロシアに負けたオーストリアは1867年に立憲君主制の国になり、新しい憲法でどの民族も同等だということになって、形式上ユダヤ人の差別はなくなりました。そこでユダヤ人は大手をふって社会の上層部に進出し、主導的な位置につきます。と同時に、東ヨーロッパからは貧しいユダヤ人が移ってきて、社会の最下層を形成します。

オーストリアという多民族国家ではドイツ人は人種的には少数民族でありながら、国の主導権を握っていたのが今度は上下からユダヤ人に圧迫されるようになり、上の方のユダヤ人に対する反発から反ユダヤ主義が一気に高まり、その結果もっとも貧しい最下層のユダヤ人がいじめられたということのようです。社会の上層でドイツ人達に同化しつつあったユダヤ人も、東ヨーロッパから来た貧しいユダヤ人と同一視されるのを嫌って、これも反ユダヤ主義の一つになったようです。

「世紀末」という言葉があります。各世紀(100年紀)の終わりを指す言葉ですが、どの世紀か言わないで単に「世紀末」というと19世紀末のことで、特に19世紀末のウィーンのことを指すようです。このような反ユダヤ主義がもえあがったのがその19世紀末のウィーンだったということです。

自由主義・資本主義・社会主義・共産主義がすべてユダヤ人と結びつけられて、反ユダヤ主義はこれらすべてに反対の立場をとりました。またユダヤ人の国を作ろうというシオニズム運動も、上層のユダヤ人による反ユダヤ主義の一つという側面もあるようです。

このオーストリアの状況と比べると、ドイツの反ユダヤは大したことがなかったようで、ヒトラーもオーストリアのウィーンで大人になり、本家本元の反ユダヤ主義をしっかりと叩き込まれて、その後第一次大戦後のドイツで反ユダヤ主義を実践したということのようです。

ヨーロッパではドイツというのはそれなりに大きな存在で、オーストリアというのは何となくその一部というか、ドイツになれなかったドイツ、というか、付録みたいな気がしていたんですが、この本ではっきりと独立した存在としてオーストリアが浮かびあがってきたような気がします。

反ユダヤ主義、ユダヤ人差別を理解するためにお薦めの1冊です。

中世への旅 農民戦争と傭兵

2月 6th, 2014

ここの所ちょっとドイツの歴史の本を読むことが続いていて、週末に図書館に行っても各国史のドイツの棚に行くことが多くなりました。そうなると次々に面白い本に出合うようになるもので、前回の「カブラの冬」もそうですが、今回紹介する「中世への旅 農民戦争と傭兵」という本もそのようにしてみつけました。

ドイツの歴史を読むと、中世から近世にかけてドイツでは農民戦争と30年戦争があり、ドイツ国中が大変な被害をこうむり人口が1/3ほど減少し、近代化が何百年か遅れたなんてことが書いてあります。

農民戦争というのは、1524-25年に起こったドイツの全地域くらいの規模の農民一揆あるいは反乱なのですが、1年くらいであっけなく鎮圧されてしまったものです。ルターがローマ法王に反旗を翻したのを見て、ドイツの農民も領主に対して反旗を翻したのですが、そのルターは「宗教上のことなら自分がローマ法王に逆らうのは正しいけど、世俗的なことで農民が領主に逆らうなんてことは許されない。領主に逆らう農民は皆殺しにしてしまえ」なんてことを言った、という話もあります。

30年戦争というのはその100年くらい後(1618-48年)の話なのですが、ドイツの各地の領主が新教側と旧教側に分かれて延々と30年にわたって戦争を続け、その戦争にフランス・スペイン・デンマークなども途中から参加して、オーストリアの神聖ローマ皇帝共々わけのわからない戦争が繰り返され、ほとんどドイツ全土が戦争で荒らされたということです。

初めのうちは新教と旧教の戦いだったのが、途中からは領土争いの戦争の大義名分のために新教・旧教の争いが使わるなんてことになっていたようで、結果としてドイツは統一されずに各地の領主がそれぞれ独立して好きなように領土を支配するということになり、イギリスやフランスが国としてまとまって強国となっていくのに、ドイツはその後数百年プロシャが中心となってドイツ帝国を作るまでテンデンバラバラな国のままという体制を作り上げた戦争だということです。

この程度のことは歴史の概況書を見ればたいてい書いてあるのですが、その具体的な姿が何ともピンと来なくて一体何が起こったんだろうと思っていました。

そこでこの「農民戦争と傭兵」という本です。この本で農民戦争でも30年戦争でも、実際に戦ったのは農民出身の傭兵だということがわかります。

ヨーロッパで傭兵というのはスイス人の傭兵が有名ですが、ドイツで傭兵の需要が高まったとき、ドイツの農民も傭兵に応募し、スイス人傭兵からノウハウを学び取り、ドイツ人の勤勉さを発揮して急速に一丁前の傭兵になったようです。

で、農民戦争でも領主に反抗して立ち上がった農民に対して領主側で実際に戦ったのは、領主に雇われた、この農民出身の傭兵だったようです。

この傭兵が長い槍を持って集団で歩兵として向かってくると、重い鎧に身を固めて馬に乗って長い槍を抱えている中世の騎士達はまるで歯が立たなかったようで、ここで中世の騎士の時代は終わったようです。

30年戦争でも、戦争する双方にこの農民出身の傭兵が雇われ、その傭兵たちが戦い、またそこにフランス人やスペイン人の傭兵も加わったということのようです。

この傭兵がまたすさまじいもので、確かに集めるときは高給を約束して集めるんですが、領主の方ではその給料の不払いも平気でするし、また戦争が終わって傭兵が必要なくなると容赦なく突然解雇ということになったようです。

傭兵の方も給料が払ってもらえないとか、突然解雇されても行く所がないということになると、次に傭兵の募集があるまでの食いつなぎに、あるいは傭兵の募集地までの旅費稼ぎにと、自分たちでまとまって勝手に近くの村や町に押しかけて行って略奪し、強姦し、なぶり殺し、とやりたい放題のようです。

もちろんやられる農民の方もそれがわかっているので、相手が弱そうならその傭兵集団をなぶり殺しにするという具合に農民と農民が殺し合い、たまたま略奪された村で生き残った農民がいたとしても、もはや小人数で村を守っていくことができないとなったら仕方なく傭兵になるなんてこともあったようです。

もちろん傭兵として戦争して、ある都市を攻めて、勝ったら当然のこととしてその都市を略奪するということのようですから、無事に生き延びて大金持になり領主になった傭兵もいるようです。

この傭兵たちの具体的な姿が語られて、ようやく農民戦争や30年戦争がイメージできるようになりました。

農民戦争のことはたまたま農民蜂起が全国的な規模に広がったものの、全体としての方針もなく指導者もいないので、一度は領主をやっつけても簡単に領主に騙されてやっつけられてしまったり、農作業の季節になるとソワソワと落ち着きがなくなって領主側にやられてしまうなんてこともあったようで、日本の室町時代・戦国時代を思い浮かべながら読みました。

私がその時代のことを何となくわかっているような気がするのも大量の歴史小説を読んでいるからで、ドイツにも同様なものがたくさんあり、この傭兵が主人公になっているものも多いようですが、それを読むわけにもいかないので、この本でまとまって解説されているのでよくわかりました。

日本の歴史を考えるうえでもヒントになる事柄の多い本でした。

カブラの冬

1月 30th, 2014

前回第一次大戦から第二次大戦にかけての時期の歴史について色々読んだという話をしましたが、その続きでもう一つ読んだ本がこの「カブラの冬」という本です。

今年は第一次大戦が始まった1914年からちょうど100年ということで、第一次大戦ブームみたいなところがあるのですが、この本も「レクチャー 第一次世界大戦を考える」というシリーズ中の1冊です。このシリーズは京都大学の人文科学研究所の共同研究班の成果報告ということです。

この本は第一次大戦で、ドイツで76万人の餓死者が出たということについて解説しているものです。第一次大戦の前線での戦死者180万人に対し、銃後の直接戦争にならなかった所で76万人もが餓死したというのは初めて聞く話なので、図書館でみつけて思わず借りてしまいました。

結局の所ドイツは政府が食料対策をほとんど取らないまま戦争に突入し、その戦争もすぐ終わると思っていので始まってからも何もせず、そのうち食料が足りなくなると大切な食料を豚の飼料にするのは勿体無いとばかりに豚を殆ど殺してしまって(それも当初は豚を殺してソーセージを作るはずだったのが、そのうち豚を殺すのが目的となってしまい、ソーセージを作る暇もなかったので大量の豚肉を腐らせてしまった、ということのようです)、今度は蛋白質と脂肪分を摂るすべがなくなってしまい、「カブラの冬」と言っていますが日本名カブハボタンあるいはスウェーデンカブという、蕪とはちょっと違ったもので、水分が多く味も悪いものを苦し紛れに食べるようになったというあたりの話が解説されています。

第一次大戦はどちらの側もすぐに片付くと思っていた(7月末から8月に戦争が始まり、双方ともクリスマスには片付くと思っていたようです)のが、塹壕を挟む睨み合いで4年もかかってしまい、最後にドイツがパリまでもう少しという所まで迫った所でドイツで革命が起こり、皇帝が逃げ出してドイツの負けとなった戦争です。もうちょっとで勝つはずだったドイツ軍にしてみればもうちょっとの所で革命を起こして負けいくさにしてしまったのはマルクス主義者とユダヤ人のせいだ、ということになって、第一次大戦後のドイツの混乱につながっていきます。

もちろんドイツ国内で飢えていた人にしてみれば、「戦争のためだ」とばかりに軍隊に食料を持っていかれ自分達は飢え死にするばかりだとなったら、「戦争はもうやめろ、食べ物寄こせ」ということになるのは当然のことですから、反政府運動は切実なものだったようです。

ドイツはヨーロッパの中では貧しい農業国だったのが、プロシャが主導権を握って急速に工業化を進め、第一次大戦の前には最先端の工業国になっていたのですが、その当時は食料の30%は輸入に頼らざるを得ないようになっていたようです。
それで不足する食料はロシアやアメリカ・カナダ・アルゼンチンなどから輸入していたのですが、まず東のロシアについては、ドイツが真っ先にロシアに攻め込んでしまったので、そこからの輸入はできなくなってしまいました。
南はフランスで、まさに塹壕を挟んで睨み合っているんですから、食料を持ってくることはできません。

頼みの綱はアメリカ・カナダ・アルゼンチンからの輸入なのですが、これをイギリスが海上封鎖して完全にストップしてしまったようです。こうなるともうどこからも食料は入ってきません。
「76万人の餓死」というのは、死者数でいえば広島・長崎よりもはるかに多い数字です。この記憶はドイツ人にとっては忘れられないもののようです。しかも第一次大戦はドイツの皇帝が逃げ出してドイツの負けが決まったのですが、とりあえず休戦して講和の交渉をするわけです。最終的に決着したのはベルサイユ条約を関係国が承認した時です。連合国側だけで条件を話し合い、半年もかかってそれが出来上がった後で初めてドイツにその条件を提示し、5日以内にそれを受け入れなければ戦争を再開するぞと言ったというんですから酷い話です。

で、休戦中でいつ戦争が再開されるかわからないからということで、その間ずっとイギリスの海上封鎖は続いていて、ドイツとしては戦争は終わったけれど封鎖は解除されないで、食料が入ってこないという状況が半年以上も続いていたようです。

ヒトラーの政策が、まず第一にドイツ人が食べ物に困らないだけの土地を獲得し、その上で植民地政策を進めようというものだったのも、この食料不足が原因なんでしょうね。

そしてイギリスの海上封鎖でトコトンやられた記憶から、ヒトラーは大陸ヨーロッパでは次々に他国を侵略しても、イギリスについてはトコトンおべっかを使い、イギリスが敵にまわるのをギリギリまで遅らせた、ということのようです。

この第一次大戦のドイツの飢餓について第二次大戦後はあまり話題にされていないようですが、第一次大戦後には日本でもかなり注目され熱心に研究されたようで、それが第二次大戦中の日本の食料の配給制その他の食料統制に生かされているのかも知れません。また日本が朝鮮・満州にあくまでこだわったのも、食料を自給できるだけの領土を確保したいということだったのかも知れません。

ということで、いろいろ考えるヒントがたくさんみつかる本でした。

第一次世界大戦

1月 17th, 2014

さて芦部さんの憲法が一段落した所で、前にちょっとだけ紹介したライアカット・アハメド著「世界恐慌」をじっくり読もうとして、まずはその準備としていくつかの本を読みました。

この「世界恐慌」は第一次世界大戦が始まる所から、ヒトラーが政権を握り、第二次大戦に向かって戦時体制になる所あたりまでをテーマにしています。考えてみると、この本を本当に理解するには私は第一次大戦についてあまり良くわかっていないということに気付き、改めてこれについてもう少し理解することが必要だと思うに至りました。

第二次大戦は我々日本人にとっては太平洋戦争であったり、大東亜戦争であったり日中戦争であったり、かなりいろいろな情報に接します(毎年8月になるとテレビでもいろんな番組が組まれます)が、第一次大戦は、ヨーロッパでドイツとフランス・イギリスが戦っている間に日本は中国や太平洋にあるドイツの利権を横取りしたり、ヨーロッパの工業生産力が破壊された機会に日本の工業生産を伸ばして輸出で大儲けしたり、戦後ドイツのインフレとマルク安でドイツに留学した日本の貧乏学生が王侯貴族のような生活を楽しむことができたとか、かなり限定的な知識しかありません。

そこで何冊か読んだんですが、やはり焦点となるのはドイツですからまず読んだのは坂井栄八郎著「ドイツ史10講」(岩波新書新赤版)です。この本はカエサル(シーザー)のゲルマン戦争から現代までを10回の講義で終わらせてしまうという大胆な本ですが、その分中心的な流れが良くわかります。これで全体像をつかんだ後、いよいよ第一次大戦から第二次大戦までの時代についてもう少し読むのに、この本でも紹介されていて、またこの本の著者の坂井栄八郎さんの先生にあたる林健太郎さんの書いた本を2冊、「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」(中公新書)と「両大戦間の世界」(講談社学術文庫)を読みました。

「ワイマール共和国 ヒトラーを出現させたもの」の方は、第一次大戦が始まる所からヒトラーが政権を取るまでのドイツの歴史(特に社会・政治・経済面の)、「両大戦間の世界」は同じ期間の、ドイツを含むヨーロッパの各国(イギリスやロシアを含む)の歴史について書いてあります。

これで良くわかったのは、ヨーロッパの第二次大戦というのは、第一次大戦の続きの戦争であって、二つの戦争というより20年の休戦期間を挟む、1つの30年戦争と考えた方が良いということです。

たまたま太平洋戦争と時期が一緒になってしまったので、両方合わせて第二次大戦ということになってますが、実際はヨーロッパの第一次大戦の続きの戦争と、アジアの日中戦争・大東亜戦争・太平洋戦争を合わせた戦争と、二つの戦争と考えた方が良いのかも知れません。

いずれにしても第一次大戦の戦費のための国債発行や借り入れ、戦後の復興のための国債発行や借り入れ、通貨の発行や賠償金の支払い・取立て、そのための国債発行・借り入れ、その結果としてのインフレや財政破綻・銀行破綻・大恐慌がこの「世界恐慌」という本のテーマなんですから、このあたりの経済・社会・政治的な経緯を大づかみで理解することはこの本をちゃんと読むのに必要な条件だと思います。

これらの本のついでに、最後に大澤武男著「ユダヤ人とドイツ」(講談社現代新書)という本まで読みました。この本はユダヤ人がローマ帝国と戦ったユダヤ戦争に負けてエルサレムから追い出される所から始まるのですが、やはり中心となるのは第一次大戦の頃からヒトラーによりユダヤ人が皆殺しになる頃までの期間です。

今までドイツのユダヤ人問題についてはあまり良く知らなかったので、興味深い本でした。ヒトラーのユダヤ人政策の殆ど(シナゴーグの破壊や放火、ユダヤ人の住居や財産の没収、集団強制居住、人権の剥奪、強制労働)が、実はルター(あの宗教改革のルターです)が「ユダヤ人と彼等の虚偽について」という本の中で主張していることの引き写しだというのも初めて知りました。こうなるとユダヤ人問題というのも根が深いですね。

ヒトラーのユダヤ人殺しも、実は最初は身ぐるみ剥いで追い出すというやり方で、皆殺しまではいかなかったのが、実際やってみると非常に手間暇がかかることがわかり、それでもドイツだけのことなら何とかなりそうだったのが、ポーランドを占領してみたらそこでドイツとはケタ違いに多勢のユダヤ人を見つけてしまい、それを同様に身ぐるみ剥いで追い出すというのは現実的に不可能だとわかって皆殺しに方針変更した、という経緯も良くわかりました。

で、ユダヤ人問題の方ですが、第一次大戦後のドイツの政財界に登場する人物も、この人はユダヤ人、この人もユダヤ人と書いてあり、暗殺された人も何人もいるのですが、ユダヤ人だからといって殺されたわけではない、と書いてあります。

ワイマール憲法を作った人もユダヤ人で、第一次大戦の戦後処理のためのベルサイユ条約のドイツの賠償額をできるだけ少なくする交渉を任されたのもユダヤ人です(この人はドイツのために頑張ったのですが、そもそもベルサイユ条約自体を認めない右翼からすると、そのような交渉をすること自体が許せないということのようです。第一次大戦後の3年半でドイツで右翼のテロで暗殺されたのは、この交渉を任された人が354人目だということで、平均すると毎週2人ずつ暗殺されている計算になり、大変なことだなと思いました。とは言え日本でも幕末の頃はこれ位、あるいはもっと多数の暗殺があったのかも知れませんが)。

それで気が付いたのは、この本の前に読んだ「ワイマール共和国」でも「両大戦間の世界」でも、誰がユダヤ人で誰がユダヤ人でないか、ということについてはほとんど書いてなかったような気がします(私が見落としていただけかも知れませんが)。

このあたりわざわざそれを書くことにより、ユダヤ人差別のきっかけとなる可能性もあるんでしょうが、それを書かないことによりユダヤ人問題をきちんと理解できなくなる可能性もあるなと、この種の差別の問題の難しさを感じました。