『作物にとって雨とは何か』

7月 7th, 2014

私の良く行く市立の図書館で、本を借りたり返したりするカウンターのすぐ近くに特別の書棚があり新しく入った本が並べられているんですが、その隣に特集コーナーが設けられています。月替わりでテーマを決め、そのテーマに関連する本を本のジャンルにかかわらず何冊か集めて展示するというもので、テーマとしては「太陽」だとか「暦」だとか「江戸時代の生活」だとか、さまざまです。

で、先月のテーマが「雨」だったようで、関連する本が並んでいました。「雨」というテーマですから雨はどうやってできるのかという気象学の本とか、雨をテーマにした詩やエッセイの本が多かったのですが、一冊だけ変わった本を見つけました。
 『作物にとって雨とは何か-「濡れ」の生態学』という本です。要するに雨が降って農作物が濡れることによって何が起きるのか、という話がいろいろ書いてあります。

農学の本ですから、こんなコーナーで見つけない限り自分から農学関係の書棚に行くことはまずないな、と思いながら借りて読みました。

この本はまず雨についてまとめています。大気中にある水蒸気は年に40回回転し(1年間に降る雨の量は大気中にある水の40倍ということ)、地球上に降る雨量は平均して1年に1,000mm、すなわち1mで、日本は比較的雨が多くて平均して1年に2m、これも土地により倍とか半分になるので結局1mから4mくらいの雨や雪が降るということです(この本は昭和62年=1987年に出版されたものですが、今もあまり変わらないと思います)。

次に日本では1mm以上雨の降る日が、これも地方によって違いますが、だいたい年に100日くらい、0.5㎜以上となるとだいたい年に150日位になるので、要するに2日ないし3日に一度は雨(や雪)が降るんだということです。

植物の生育に水分は不可欠なのは分かっているのですが、多くの研究は根から吸収する土の中の水分に注目しているので、このような葉に降る雨、葉が雨にぬれることに関する研究は(少なくともこの当時は)少ないようです。

で、雨に濡れると何が起きるか。まず花の中の栄養分が雨にしみだして流れてしまう。1ヘクタールの畑で作物が1年に10~20トン収穫できるけれど、それに対して雨によって葉から流れ出して地面に落ちる栄養分は1年に1トン位だ、ということです。また葉にはいろんな細菌がついていて、雨に濡れるとそれが1,000倍に増え、乾くとまた1/1,000に減るなど、非常にダイナミックな話です。

さらに雨に濡れるということを、葉が雨に濡れるけれど地面はそのままの場合、葉は濡れないで地面だけ濡れる場合(降った雨が流れてきて地面が濡れる場合)、水浸しになって地面も作物も水の中に入ってしまう場合(水没してしまうくらいの大雨、洪水)などについて、作物(植物)がどう変化するか調べています。

根の所の土地に水分があることは植物にとって大事なことですが、その水分が多過ぎると酸素不足になって根が効率的な有酸素呼吸ができず、非効率な無酸素呼吸をするために根に蓄えた養分の炭水化物やたんぱく質を大量に消費してしまうとか、しばらく雨に濡れたあと雨が止むと、葉の表面を保護していたものが雨で流されてしまって葉の表面から急激に水分がなくなってしまうけれど、根の方が酸素不足で土の中から水分を吸収して葉まで押し上げるエネルギーが不足すると水分が足りなくなって葉がしおれてしまい、ひどい場合には枯れてしまう(長雨のあと、水はたっぷりあるのに葉が枯れる)など、植物のダイナミックな姿が書かれています。

研究書ですから様々に条件を変えて実験し、根・茎・葉の重量を計り、乾燥させた重量を計って栄養分が増えたか減ったか、水分でどこの重さがどれだけ水増しされているか等調べています。多分今ではもっと精緻な研究がいろいろなされているんでしょうが、むしろ原始的な研究な分、素人にはわかりやすく面白いです。作物と雨に関する全体像を見せてくれ、動物と比べてどちらかと言うと静的なイメージのある植物の生態が、実は非常にダイナミックなものなんだと教えてもらいました。

大分古い本ですが、今でも新本で手に入るようです。興味があったら見てみて下さい。

農村漁村文化協会(農文協) 自然と科学技術シリーズ
『作物にとって雨とは何か-「濡れ」の生態学-』
昭和62年7月30日刊 木村和義著

『統計学でリスクと向き合う』

6月 23rd, 2014

ここの所二度ほど統計学に関する本を紹介しました。
どちらも統計学をきちんと学ぶための本ではなかったので、今度は三度目の正直です。
以前小室さんの『数学嫌いな人のための数学』の本を持ってきてくれた友人が他にもいろいろ持ってきてくれて(自分の家の本を整理していて、その中からいくつかみつくろって私の所に持ってくるようです)、その中に『統計学でリスクと向き合う』という本がありました。東洋経済新報社から2003年に出ている本で、著者は宮川公男さんです。
この本はまともに統計のことを知りたい人にはお勧めできます。もちろん教科書ではないので、全般的知識を得るには不十分ですが、統計学とはどういうものかの感覚をつかむには良くできた本だと思います。

特に最初の部分で、『平均とは何か』『比率とは何か』ということについてきちんと説明しているのはとても良いと思います。

ともするとこのあたりは、誰でもわかっているようなつもりで省略してしまい勝ちなのですが、ここの所をきちんと押さえることによってその後の部分が理解しやすくなると思います。

話題はいろいろ飛びますが、具体的に統計の手法・考え方が使われる場面で、統計の立場から何をどのように考えるのかが説明されます。

統計では『第一種の誤り(正しいことを間違っていると判断してしまうこと)』と『第二種の誤り(間違っていることを正しいと判断してしまうこと)』という言葉が使われますが、この第一種の誤りと第二種の誤りにどのように対処していくか、というのがこの本の全体を通したテーマになっています。この考え方を使って著者自身ガンの手術を受けるか受けないか考えて、結局医者の強い勧めにも関わらず手術を拒否して、結果的にその後長く生きることができた、なんて話も入っています。

FPの人達が得意な、金利で元金が倍になるまでの年数と利率の関係を示す『72の法則』というのがありますが、この本では『70のルール』として出ています。70でも72でも同じようなものですが、私も最初70のルールの方で覚えたものですからちょっと懐かしい思いがします。72の方が割り算に便利なので、ちょっと使いやすいですが。

日経平均の話、囲碁のハンデ(同じ力量同士の対戦で、コミをいくつにしたら良いか)の話、統計学という言葉が生まれた時の論争(スタチスチックと読む漢字を作ろうとした話)等もあり、最後には統計で嘘をつくという話で、統計数字の扱いには細心の注意が必要だというのが結びの言葉になっています

この本を読んで興味がわいたら、ちゃんとした教科書で勉強すると良いですが、この本だけ読んでも十分価値があると思います。

『ロシア綿業発展の契機』

6月 18th, 2014

ある集まりでこの本を紹介されました。

『ロシア綿業発展の契機—ロシア更紗とアジア商人』塩谷昌史著、知泉書館

いかにも学術専門書で、250ページくらいの本が4,500円もしますからちょっと普通は買おうとは思いませんが、中味をちょっと見るとソ連になる前のロシアの綿業の発展史が書いてあり、まだ新しい本で、ちょっと読んでみようと思いました。

とは言えちょっと高い本なので図書館で借りようと思って調べたら、さいたま市の図書館にはありません。埼玉県の公立図書館にもなさそうなので、とりあえず東京都立図書館にあることを確認して、図書館に予約を入れました。都立図書館かどっかから借りてくれるのに当分時間がかかるだろうとのんびり待っていたら、何と地元の図書館で買ってくれました。多分こんな専門書を読む人はほとんどいないでしょうから、これでいつでも借りて読むことができます。

で、読んでみた所これが何とも面白い本なので、紹介しようと思います。

この本のしょっぱなに著者の歴史研究に対する姿勢が「視角と方法」としてまとまっています。何とここに柳田國男・渋沢栄一・宮本常一など、日本の民俗学の人々が登場し、日本中世史の網野善彦が出てきたと思ったら、今度は「文明の生態史観」の梅棹忠夫が出てきて、「地中海」のブローデルが出てきたと思ったら、川北稔の「砂糖の世界史」が出てきて、上山春平の「照葉樹林文化」、中尾佐助の「栽培植物の起源」が出てきて川勝平太の「鎖国」の話が出てくるといったあんばいで、普通の歴史の本とはちょっと違います。

この部分、多分この本を読む読者ならだいたい知っているだろうことを想定して大雑把に書いているんですが、これをもう少し敷衍して丁寧に説明したら、これだけでたとえば新書版の1冊くらいの面白い本になるんじゃないかなと思いました。

で、この本のテーマとする、ソ連になる前のロシアの産業史なんですが、私の知っているロシアはナポレオンがモスクワまで攻めて行って、あとちょっとの所で寒さにやられて逃げ帰って(1812年)から、日露戦争で日本が勝って(1905年)、第一次大戦のさ中に革命が起こってソ連ができる(1917年)というくらいのイメージしかなく、あとは点景として屋根の上のバイオリン弾きという話があったな、くらいのものなので、その当時のロシアで産業革命が具体的にどのように進行したのかというのは非常に面白い話でした。

ソ連では1917年の革命で共産主義国になるには、その前は資本主義国でなければならないという共産主義の考え方から、1860年の農奴解放によってそれまでの封建制から資本主義になったということになっていたのですが、この本は1830年頃から1860年頃までを中心に扱っていて、その頃すでにロシアで産業革命が起こり資本主義国になっていたという話になっています。

「綿業」なんていうと綿製品を作る所の話かと思ってしまうのですが、この本はその作る所から、それを流通、特に周辺諸国に輸出する所、輸出された国でそれが消費される所まで、それぞれ章を立てて説明しているのも面白い話でした。

その最初の綿製品を作る所の話も、綿花から綿糸を作り(紡績)それを布にして(織布)それに色模様を付け(捺染・染色)売るということになります。ロシアはもともと綿花なんかできない土地ですから、初めは布を買ってきて染色するだけだったり、糸を買ってきて織るだけだったりするわけですが、そのうち全工程を一貫してしてやりたくなるとか、産業革命でイギリスから安い綿糸・綿布が購入できるようになるとか、アメリカの綿花が大量に輸入できるようになるとかで、この綿工業が大いに栄えることになります。

染色の工程も昔は木版刷りだったのを機械化して銅製のドラムで刷るようにすると、綿布1枚染めるのに2人で6時間かかった仕事が1人で4分でできてしまうようになり、その分染色する布を大量に織らなきゃならない、その分大量の糸を作らなきゃならない…という具合に、芋ずる式に全工程が機械化され、その動力として蒸気機関等が導入されるようになるという話や、染色のための化学知識が必要になり、機械を動かすための工学の知識が必要になり、企業全体の管理をするための経営や会計の知識が必要になって工員や経営者の子弟に教えるための学校ができるとか、産業革命による社会全体の変化がダイナミックに描かれています。

ともすると蒸気機関が発明されて産業革命が起きたなんて具合に思い勝ちですが、そうではなくまず産業革命が起こって、そこで動力が足りなくなって蒸気機関が必要になる、というあたりも具体的に生々しく説明されています。

ロシアの綿製品は西ヨーロッパへの輸出に失敗したため、質が劣るもののように西ヨーロッパでは思われていたけれど、実はロシアは清・中央アジア・西アジア(トルコやペルシャ)に向けて主に輸出していたんだとか、好みの問題で西アジアでは負けたけど中央アジアや中国への輸出に関してはイギリスとも競合して負けてないとか、ロシアは昔は中国・中央アジア・西アジアから綿糸や綿織物を輸入していたのが、大変な思いをして産業革命を起こし、逆にそれらの国に綿製品を輸出するようになったとか、興味深い話がたくさんあります。

これらの研究の元となった資料が実は当時ロシアの政府の刊行物その他で、それはサンクトペテルブルクの図書館に行けば簡単に手に入れることができるとか(この本はそのような統計データにもとづく具体的な生産量や売買高などのグラフがふんだんに付いています。専門書なのでその出所も脚注にいろいろ書いてありますが、ほとんどロシア語ですからその部分は読み飛ばすことができます)、ロシアの歴史研究家は多くがモスクワにいる(サンクトペテルブルクにはいない)ので、日本の研究家も必ずしも不利ではないとかの話も面白いですし、織物の染色は脱色してから染色する、その技術をどのように取得するかとか、綿織物の輸出を始める前、中国との交易では茶の輸入が急増し、毛皮の輸出は頭打ちになって厖大な貿易赤字が生じ、代わりの輸出品がどうしても必要だったんだ(イギリスは茶の輸入が急増し、代わりに輸出するものがなくなってしまったので苦しまぎれにアヘンを売ることにして、それがアヘン戦争につながったわけですが、アヘンより織物の方が良いですねよね)とか、とにかくいろんな話が盛りだくさんに詰め込まれています。

隣国との交易・流通についても、ロシアでは川は冬には凍ってしまうので、冬以外の季節でないと使えないとか、通常陸路の輸送はラクダを使うのだけれど、毛の生え変わる季節は体力が落ちて使いものにならないとか、夏場は猛暑と害虫の発生でキャラバンを使うことができなかったとか、鉄道が敷かれる前は基本的に長距離の物の輸送は1年単位のサイクルだった(海運でもインド洋の貿易風の向きは1年サイクルで東向き・西向きに変わるので、それに合わせて船を動かした)、全ては蒸気機関の発明により蒸気機関車・蒸気船の登場で、「年単位」のサイクルが「いつでも」になってしまったなんてのも、面白い話です。

こんな話に興味があったら、読んでみて下さい。
時には専門書も面白いかも知れません。

『嘘の効用』

6月 4th, 2014

しばらく前、小室直樹さんの『数学嫌いな人のための数学』に関するコメントで、この末弘巌太郎(名前はゲンタロウでなくイズタロウと読むようです)さんの『嘘の効用』という本のことが書かれているので、読んでみよう思う、と書きました。

その後すぐに図書館で予約をしたんですが、岩波文庫の『役人学三則』というものと、冨山房百科文庫の『嘘の効用』上・下とが検索で出てきて、両方借りてみました。結局の所岩波文庫の方は『嘘の効用』以外に『役人学三則』『役人の頭』『小知恵にとらわれた現代の法律学』『新たに法学部に入学された諸君へ』『法学とは何か―特に入門者のために』の6つのエッセイが入っているもので、冨山房の方はこれらを含めて法律の専門書以外の多数のエッセイを集めたものだ、ということがわかりました。

とりあえず手軽に読める岩波文庫の方を読んだのですが、冨山房の方も借りといて良かった、というのは後で書きます。

小室さんの本の中では『日本人は論理的思考が苦手だからその代わりに嘘を活用するんだ』というような説明でしたが、実際に末弘さんが言っているのは大分違います。

要するに法律というのは杓子定規の融通のきかないものなのに、それを適用する人間の方は何ともしまりのない融通無碍のつかみどころのない矛盾だらけの生き物なので、杓子定規に法律を当てはめようとするとどうしてもうまく行かないことが多い。そこで嘘を活用して、杓子定規にうまく嘘を交えて適用するとうまく人間にあてはめることができることがある。そのため法律家はすべからくうまく嘘がつけるようにすることが肝要だ、ということのようです。

この理屈は日本人のことだけを言っているのではなく、世界中どこの国の人でも同様のようです。

末弘さんはどうも大岡越前の守の大岡裁きのようなものを理想としていたようで、うまく法律を使って理想的な裁判をするためには、裁判官はできるだけ人間的になることが重要だと言い、もともと人間というのは神様が自分に似せて作ったものなので(ここの部分はキリスト教の旧約聖書の創世記の話ですから、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の神話です)、人間ができるだけ人間的になるということはそれだけ神に似てくるということで、そのうえで神様になったつもりでうまく嘘をつけば、神様が裁判するのと同じような素晴らしい裁判をすることができるという、あんまり論理的ではないけれど何となく納得できそうな議論をしています。

この末弘さんのエッセイは、この『嘘の効用』の他にも、とりあえず岩波文庫に入っていたものはざっと読んだのですが、法律家にしては珍しく論理的な思考ができる人のようです。ですから上の議論も論理的な話じゃないことを承知で書いているようで、なかなか面白く読めました。

で、この岩波文庫の中の他のエッセイを読んでいて、『小知恵にとらわれた現代の法律学』(現代と言っても大正10年の講演の速記に手を入れて文章にしたものなので、その当時の『現代』です)の中で、『世論』という言葉が何回か出てきました。そこでまずはこの『世論』はセロンなんだろうかヨロンなんだろうか、と思って、念のために冨山房の方を見てみました。するとそちらの方にはちゃんと『輿論』となっていました。これで末弘さんは『輿論』と書いた所を岩波が『世論』に書き換えたんだとわかりました。『輿論』であれば話は分かります。冨山房の方も1988年の出版ですから、『世論』に変えられていても不思議じゃないのですが、『輿論』にしておいてくれたので助かりました。

当用漢字(今では常用漢字になっていますが)の登場で、新漢字・新仮名使いにするというのはなるほどこういうことなんだ、とようやく実感しました。

なおこの岩波文庫の中のエッセイのテーマが法学部とか役人とかになっているのは、末弘さんが法学部の先生であり、大学の法学部というのは法律家の育成もするけれど、国や大企業のお役人を育成することが主な目的だということを反映したもののようです。

私はこの末弘さんのいくつかのエッセイを面白く読んだんですが、今の司法試験受験者の人達はこのような本を読んでいるんでしょうか。多分読む人は少ないんじゃないかなと思います。何とも勿体ない話です。

『漢籍と日本人』

6月 3rd, 2014

今日お客さんの所へ行こうとして、この『漢籍と日本人』というタイトルのポスターが目に入りました。ちょっと気になって良く見ると、天理図書館とか天理ギャラリーとか書いてあります。

天理図書館といったら、国宝級の昔の本などを山ほど持っている所ですから何だろうと思ったら、そのポスターの置いてあるビルが実は天理教の東京本部のビルで、その最上階にギャラリーがあり、そこでこの展示をしてるんだということがわかりました。

『入場無料』に惹かれて覗いてみると、何ともはや、昔の漢文の本がずらりと並んで、ヲコト点と返り点とかいろんな説明がついています。

天理の図書館というのは宝の山だということは以前からいろんな本で知っていましたが、個人的な楽しみで奈良まで行くわけにもいかず、行っても解説なしでいろいろ読むこともできないので、学者や作家が行っていろいろ調べ物をしたことを本に書いてもらってそれを読むくらいしかできないものだ、と思っていました。

それがこんな形で、東京に居ながら直接見ることができるというのは大発見でした。

この手の展示は年に3回行われていて、天理の図書館から展示物を持ってきて、人も来て展示をして、その間は休みなしで毎日展示しているけれど、それ以外の時はこのギャラリーには何もないし誰もいないので、何も見ることができないということで、ちょうどその展示をしている時にぶつかったのはラッキー以外の何物でもありません。

たまたま今、今野真二さんの本を読んでいて(これはまた別途書くつもりです)、この人の本は基本的に全て日本語をどう書きどう読むかという読み書きの歴史を解説していて、古事記・万葉集の頃から平安・室町・江戸・明治・現代に至るまで、人々が日本語を書くためにどのように工夫してきたか、読むためにどのように工夫してきたかを漢字・仮名遣い・振り仮名等々、さまざまな切り口で説明してくれています。

漢籍というのももともとは中国語の本ですが、それが日本に来て日本人が日本語として読む、ということで、このような漢籍のサンプルがいくつも今野真二さんの本の中で出てきていますので、まさにちょうど良いタイミングでこの展示にぶつかったということになります。

ギャラリーの入り口には、以前の展示のカタログなども在庫があるものについて展示してあり、全部で7冊も買ってしまいましたが、それでも計2千円、何とも安いものです。

今回の展示のカタログも買ってきたんですが、全部で500部しか印刷しなくて、うち150部は図書館に取っておくので、販売するのは350冊だけだからもうすぐ売り切れますよ、と言われて慌てて買いました。とはいえ、お客さんはほとんどいないのでまだ数冊はあるので今日明日は大丈夫ですよ、と言われてしまいました。

神田に通勤するようになってもう14年になりますが、こんな場所があったなんてまるで知りませんでした。

もし興味がある人がいたら、是非行ってみて下さい。

千代田区神田錦町 1-9 東京天理ビル9階 天理ギャラリー
最寄り駅はJR:神田・御茶ノ水  地下鉄:小川町・淡路町・大手町・神田
の各駅です。

今の『漢籍と日本人』は5月18日から6月15日まで。
会期中無休 入場無料 9時半~17時半まで
   展覧会の案内は http://www.tcl.gr.jp/tenji/k83.htm にあるようです。

ご参考まで。

安保法制懇 報告書

5月 22nd, 2014

集団的自衛権に関する『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』の報告が出て、安倍さんが早速憲法解釈を変更すると発表し、賛成派・反対派それぞれいろいろ議論を始めています。

反対派のほとんどの人は朝日新聞や赤旗の記事を鵜呑みにしていて、報告書を読もうとする人はほとんどいないでしょうし、賛成派の人も解釈変更なんか当然の話だ、とばかりに報告書を読む人は多くないでしょう。そう思って、そのような人達の代わりにこの報告書を読んでみました。
報告書は
  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/houkoku.pdf 
にあります。表紙と目次と本文43ページのものですから、この手の報告書としてはそれほど大部でもありません。

読んでみて、思いがけず良くできた報告書だったので紹介します。

この議論、政府が勝手に解釈を変えるのは実質的に憲法改正の手続きをしないで憲法改正をすることになるのでケシカランという強い反対があるのを踏まえ、この報告書ではまず初めにこの自衛権あるいは憲法9条について、現在の日本国憲法ができた時から今まで70年近く、どのように政府の解釈が変更されてきたかということを丁寧に説明しています。

すなわち最初は文字通り個別的自衛権も集団的自衛権もなしで、全ては連合国軍あるいは国連軍に任せておけば世界の平和は保たれるので、当然軍隊も持たなくて良いという夢のような話から、その後夢からさめてやはり自衛権はあるよな、軍隊も必要だよな、となり、念仏のように自衛のための最小限の兵力と言ってみたり、集団的自衛権は持っているけれど使えないなんて分けのわからないことを言ってみたり、これまで解釈が大きく何度も変更されたのに対してそれについては憲法改正だ、とは言わずに、今度の変更に対して現状の解釈と比べて変更することに反対する(すなわち現状の解釈まで何度も変更されたのは良しとして、更なる変更だけを否とする)というのは、確かにおかしな話です。

次に憲法9条を解釈するにあたっての基本的な考え方を説明しています。安倍さんの言う『積極的平和主義』というのが一体何なのかも説明してありますので、良くわかります。すなわち憲法制定時の理想を憲法前文から読み取って、それを現在の現実に即してできるだけ実現するように努力しようということです。

ここで憲法前文が引き合いに出されているのをつかまえて、憲法前文は憲法じゃないなんて訳のわからないことを言う人もいるようですが、そんな話は歯牙にもかけていないようです。

次に憲法解釈の変更が必要となっている事情が説明されています。

憲法には『戦争放棄』と書いてありますが、その当時の、国と国とが大砲を打ち合うのが戦争だ、という話は、状況が大きく変わっています。アメリカの9.11のように相手が国だか国じゃないんだか分からなかったり、サイバーテロのように大砲でも爆弾でもなく単にコンピュータに電子的にアクセスをしかけるだけだったり、これが戦争なのかどうか、それに対応するためのものは武器なのかどうかもはっきりしない中で、憲法9条を解釈するというのはなかなか大変です。

で、次に具体的事例をいくつか挙げて、それに対してどうしたら良いか検討します。どうしたら良いか、というよりむしろ、しかるべく行動しようとして、現行の憲法解釈ではどうしてその行動ができないと解釈されてしまうのかが説明されます。

その上で最後に、どのような憲法解釈を取るべきなのかという提言があります。

もちろん憲法解釈の変更に反対する意見もあるのはわかりますが、その反対意見については、この報告書を読んだ上で、どこの部分にどう反対なのか、また具体的事例についてどのように行動すべきだと考えるのか、その行動が現行の憲法解釈でどのように可能なのか、というあたりについて、具体的に説明してもらうと、身のある議論ができるのではないかと思います(そんな議論になる望みはほとんどないですが)。

『解釈を変更しなくても大丈夫』という公明党も、この報告書には現行解釈ではどうしてダメなのか書いてあるので、それを踏まえて良く検討されると良いですね。

これを読んでいて、去年の暮から今年の初めにあった南スーダンのPKOで自衛隊が韓国軍に弾薬を貸した話を思い出しました。

あの時は『せっかく貸してやったのにお礼の一つも言えない無礼な国だ』という話で終わってしまったような気がしますが、あの時韓国軍がその弾薬を使って南スーダンの反政府軍と打ち合いでもしていたら、大変な憲法論議になっていたのかも知れないなと、この報告書を読んで今更ながら気がつきました。何しろ解釈の仕方によっては、日本が攻撃されているわけでもないのに韓国軍と一緒になって南スーダンの反政府軍と戦争した、ということになってしまうんですから、いわゆる護憲派の憲法解釈なんか、一発で吹っ飛んでしまったかも知れません。

南スーダンのPKOはまだ終わった話じゃありませんから、いつまた何が起きるかわかりません。中国も北朝鮮も韓国も、突然何をやり出すかわかりません。どこかの正体不明なテロリストがやって来るかも知れません。念仏を唱えている時間はないんですから、早急に検討が進むと良いですね。

とはいえ、今の自民党政権であれば、憲法解釈がどうなっていようと、いざという時にはそんなものに足を取られないで即座に必要な行動をするでしょうから、その意味ではそんなに心配しているわけではありません。憲法解釈なんてその時に即座に変えてしまえばそれまでのことなんですから。

『統計学が最強の学問である』

5月 22nd, 2014

『統計学が最強の学問である』という本を読みました。

何か知らないけれど統計学の方がベストセラーになっているということで、読んでみようと、図書館で予約し、1年がかりでようやく借りることができました。さいたま市立図書館にはこの本の在庫が20冊もあるんですが(図書館自体、分館も入れると24もあります)400人以上の予約が入っているので、今から新規に予約したらやはり1年位は待つことになりそうです。

で、本の中身ですが、タイトルとはまるで違います。統計学が最強の学問であるなんてことは言ってません。統計学の本でもありません。本の趣旨は統計学や統計データに騙されないため、統計学や統計データの取扱についてそれをどのように理解したら良いか判断する能力(リテラシー)が大切だということのようです。あるいは統計を使ってかなりいい加減な主張をする人も多いから、気を付けなければいけないということのようです。

ですからこの本を読んで、統計学がわかるわけではありません。統計リテラシーが身につくわけでもありません。リテラシーが大切だということが、何となく分かるだけです。でも統計や統計学に関するいろいろな話題が盛りだくさんに紹介されているため、読んでいるうちに何となくわかったような気持ちになるかも知れません。

実際に統計学の説明をしているわけではないので、その分気楽に読めます。正確な知識は得られなくても、統計や統計学に関するいろんな言葉を覚えることができます。この本を読んで興味を持ったら、今度はちゃんとした本で勉強するという読み方もできそうです。

ある程度統計学を知っている人は、楽しく読めるかも知れません。統計学を知らない人は、統計学についてきちんとした説明なしで新しい言葉が次々に出てきて議論がどんどん進んでしまうので、もしかすると途中で読みたくなくなってしまうかも知れません。

この本の後ろの方では『統計家たちの仁義なき戦い』(これもすごいタイトルですね)として、6つのジャンルの統計家の統計に対する姿勢・統計の考え方の違いについて書いています。すなわち社会調査を仕事とする統計家・(医学の一部の)疫学や生物学の分野の統計家・心理統計家・コンピュータを使ってデータマイニングをする統計家・計量文献学などテキストマイニングをする統計家・計量経済学を専門とする統計家、それぞれ考え方もバラバラでお互いにお互いの統計の考え方の批判をし合っているようで、これで本当に一つの統計学としてのまとまりが可能なのかという気もしますが、部外者からするとなかなか面白い見物(みもの)です。

この本が他の出版社から出ていたとすれば、多分ほとんど売れなかったんじゃないかなと思います。ダイヤモンド社が出版したということでベストセラーを作る、出版した本を無理やりベストセラーにしてしまうという意味で、さすがにダイヤモンド社というのはすごいなと感じました。

江戸時代

5月 2nd, 2014

『歴史認識』という言葉は本来的に、過去のある時代が現実にどのようなものだったのかについて、どのように認識するか、という言葉だと思うのですが、中国や韓国が日本を攻撃する時はこの言葉を『過去のある時代はどうあるべきだったのか、どうあってはならなかったのか』という、あるべき姿をどう認識するかという意味に使っているようです。そのため言葉の意味がすれ違い議論がすれ違って、お互いにフラストレーションばかり溜まってしまうのですが、今回はこの言葉の本来の意味での私の歴史認識が丸っきりひっくり返されてしまった話をします。

読んだのは、田中圭一さんの『日本の江戸時代』『百姓の江戸時代』『村から見た日本史』の三冊の本です。

江戸時代、その前の太閤検地から始まる検地で農民は土地にしばりつけられ、検地にもとづく農地の収穫の見込みにもとづいてぎりぎりまで年貢を取られ、さらに豊作・凶作による年貢の不安定さを除くため、年々の収穫量にもとづいて年貢を決める検見法から、農地の生産能力にもとづく定免法に変更されてさらに農民の生活は困窮を極め、五公五民とか六公四民とか言って収穫の半ば以上が年貢で取られ、生活に困った農民は土地を失って小作農になったり都市に逃げたりし、あるいは苦しまぎれに一揆を起こしたりした、というのが一般的に説明される江戸時代の姿です。

しかしこれがこの著者の田中さんにかかるとまるで違ってきます。

まず『検地』は農民の土地所有権を確立させる手続きで、これによって土地の所有権を確定した農民は、年貢を納めることを条件にその土地を自由に使うことができるようになり、年貢という負債付きで土地を自由に売買することができるようになった、ということです。そのため検地はむしろ農民の方から領主に要求して行われ、それによって多くの独立した農民が生まれたということです。

年貢の定免法というのも、収穫高によって年貢が上下する検見法と違い、一定額の年貢を払うことを条件にどのように土地を使っても構わないということになり、できるだけ収穫が多いできるだけ換金価値の高い作物を作れば、あらかじめ決まった額の年貢を払った残りは全部自分のもの、という意味で農民に対するインセンチブになるということです。

五公五民というのは、収穫を領主と農民との間でどう分けるかという話ではなく、地主と小作との分け前の話で、一般的に小作人は収穫の1/2を地主に納めれば、残りの1/2は全て自分のものにできた。地主は小作が納めた収穫の1/2分から農地に対するすべての年貢(だいたい全収穫の2割程度)を納め、諸経費を差し引いてもだいたい2割くらいが自分の所に残ったということのようです。

全体の1/2の地主の取り分から年貢を払うことができるんですから、年貢は1/2を超えることはめったになかったということになります。小作人は収穫の1/2を地主に納めてしまえば、残りの1/2の自分の取り分には税金も何もかからないんですから、これもかなり良い条件です。

土地を売る農民、土地のない農民というのは農業以外の仕事で食べていくことができる農民が、たとえば新しい事業(酒造・醤油・運送業その他)を始める資本として土地を売って資金を作ったとか、農業以外の仕事(商店に奉公・武家に奉公・大工・医者・役人・武士、その他)に従事するために土地は不要になったとかいうことで、それだけ世の中が豊かになったということのようです。

農民の一揆というのも食うに困ってヤブレカブレで、というよりむしろ役人の契約違反に対して不公平・不公正を糺すために立ち上がったもので、通常は一揆を起こす前に、今であれば裁判所に行くように、役人の不正をお上に訴えに行こうとして、それができない時に(あるいはそれがうまく行かない時に)はじめて一揆になるとか、食えないから米を寄こせというよりむしろ不正役人をやめさせろという要求がほとんどだとか、幕府から出される法令はいろいろしかつめらしい理屈づけがされているけれど、実態はそれらは後付けの理屈であり、実際は現実を後追いで法令にしているものが多く、農民からの要望により法制化しているものも多いとか、農民を絞り取ろうとするお触れとして有名な『慶安のお触書』は、一国全体幕府の領地だった佐渡ではどこにも見当たらないとか、びっくりする話ばかりです。

著者の田中さんは大学を出て佐渡で高校の先生をやりながら佐渡の村々に残る古文書を一つ一つ読んでいき、江戸時代の人々の現実の生活を掘り起こしていき、その範囲も佐渡から新潟、関東各地と拡がっていったもののようです。

江戸時代というのは、もはや完全に商品経済の時代になっていて、農民の作るものも自給自足のための食糧ではなく商品としての作物だったとか、さまざまな産業がすでに資本主義体制になっていたとか、各地域・各藩が重商主義的な政策を取っていたとか、言われてみればまったく納得できる話が具体的な資料で明確に証明されていて、本当に面白い本です。日本の江戸時代は、もうすでにアダムスミスの国富論の時代になっていたんだということが良くわかります。

私が最初に読んだのは『百姓の江戸時代』ですが、これはその前に出た『日本の江戸時代』を新書用に一般向けに読みやすくしたもののようで、具体的な個々の資料については専門書的な『日本の江戸時代』の方が詳しく書いてあります。また『村から見た日本史』は視野を時代的にも地域的にももう少し広げて、個々のテーマよりむしろ村から見た、あるいは建前じゃない現実の江戸時代の全体像を書こうとしたもののようです。具体的な古文書や、いろいろな統計データそれ自体に興味がある人は『日本の江戸時代』を、それほど細かい話はスキップしてまずは全体像を知りたい人は、新書版の『百姓の江戸時代』『村から見た日本史』の方が良いかも知れません。

どの本から始めるにしても、お勧めします。

図書館

5月 2nd, 2014

Windows XPのサービスが終了してから色々なソフトウェアのセキュリティ上の脆弱性の問題のニュースが多いなと思っているのですが、PCのOSの問題やInternet Explorerの問題は自分で何とかするとしても、サーバーの運用関係のソフトの問題については、管理者の人たちは大変だなと他人事に感じていました。

ところが何と、直接的な影響があることがわかりました。

いつものようにさいたま市立図書館のサイトを開けたところ、『Apache Strutsのセキュリティ上の脆弱性の問題で一部のサービスを停止しています』というメッセージが飛び出して来ました。

停止しているサービスの中には、常日頃使っている『蔵書検索』『貸出状況確認』『貸出予約』『予約状況確認』『貸出延長』が全て入っています。

これはエライコッチャです。
このサービスがあるので安心して、どの本はいつまでに返せば良いかとか、予約した本はもう届いているか等、週末の休みの前に確認していたのができなくなってしまうと、とんでもないことになります。

図書館のサイトによると『サービス再開時期は未定です』となっています。
何とか早く回復してくれると嬉しいのですが。

多分もっと切羽詰った、すぐに手当しなければ商売が止まってしまうサイトも多いんでしょうから、おとなしく待つしかないんでしょうね。

しかしそれにしても『セキュリティ上の脆弱性』の問題、そろそろ本格的に対処することを考える時期じゃないんでしょうか。とは言っても既にできて動いている厖大なソフトウェア資産のことを考えると、それを全部変えるというも、難しいのかも知れませんね。

その後、とりあえず4日の日曜日頃には解決の見込みのようです。よかった!

小室直樹 『数学嫌いな人のための数学』

4月 21st, 2014

この前、ライフネットの出口さんの本を持ってきた友人の話をしましたが、この友人は同時に『家に2冊あったので1冊持ってきた』と言って、小室直樹さんの『数学嫌いな人のための数学』という本を置いていきました。

この本は昔読んだことがあるような気がしていたのですが、パラパラ見てみたら最後の方にケインズの一般理論の説明が入っていました。こんな所でケインズを読んだ覚えは全くなかったので、この際読み直してみることにしました。

この本は数学というより数学の元となる論理学(というか、論理的な考え方)について解説してある本です。とは言っても数学の話ばかりじゃ面白くないので、宗教の話・法律の話・経済の話をふんだんに散りばめています。

論理学の元となった考え方は実はユダヤ人のもので、ユダヤ人預言者が全能の神と議論して、何度も性懲りもなく神との契約を破るユダヤ人を神が皆殺しにしようとするのを、議論で負かしてユダヤ人を救うというためのものだということです。我々にとっては神様というのは挨拶したりお願いしたりなだめたりする相手ではあっても、神様を相手に議論しようなんて考えはあまりないのですが、ユダヤ教(キリスト教・イスラム教)の神様はそういう神様ではなく、契約したり論争したりする相手のようです。それにしてもたとえ預言者であったとしても、人間を相手に議論して言い負かされてしまう神様が「全能の神」というのもなんだかなぁと思ってしまいますが、面白い話です。

法律というのはいかにも論理的であるかのように見えるけれど、実はちっとも論理的ではなく、特に日本人は論理的思考があまり強くないので、仕方なく嘘を活用するんだ、などという話があります。これについてはこの本で紹介されている『嘘の効用』という本をちゃんと読んでから改めてコメントしたいと思います。いずれにしても私がやっているイモヅル式読書法では時として次々に読む本が増えてしまって、いつまでたってもけりがつかないことがあります。

最後のケインズの一般理論の紹介の所は、何だか良くわかりません。私が理解している一般理論からすると、支離滅裂なことが書かれていて理解不能です。多分その昔この本を読んだとしても、この部分は理解不能ということで読み飛ばしたんだろうと思います。今はもう一般理論を読んでいるので、明確に『おかしい』と判断できます。

小室直樹さんというのはもともと数学者ですが、経済学でも政治学でも一流の学者だということになっていたはずですから、改めて小室さんの経済学に関する本を読んで、小室さんがケインズの一般理論をどのように理解していたのか確認してみようと思います。

いずれにしても例によって小室節のテンポの良い講談調の文章は、読んでいて楽しいものです。

数学が嫌いな人も好きな人も、読んでみる価値はあると思います。