『漢籍と日本人』

6月 3rd, 2014

今日お客さんの所へ行こうとして、この『漢籍と日本人』というタイトルのポスターが目に入りました。ちょっと気になって良く見ると、天理図書館とか天理ギャラリーとか書いてあります。

天理図書館といったら、国宝級の昔の本などを山ほど持っている所ですから何だろうと思ったら、そのポスターの置いてあるビルが実は天理教の東京本部のビルで、その最上階にギャラリーがあり、そこでこの展示をしてるんだということがわかりました。

『入場無料』に惹かれて覗いてみると、何ともはや、昔の漢文の本がずらりと並んで、ヲコト点と返り点とかいろんな説明がついています。

天理の図書館というのは宝の山だということは以前からいろんな本で知っていましたが、個人的な楽しみで奈良まで行くわけにもいかず、行っても解説なしでいろいろ読むこともできないので、学者や作家が行っていろいろ調べ物をしたことを本に書いてもらってそれを読むくらいしかできないものだ、と思っていました。

それがこんな形で、東京に居ながら直接見ることができるというのは大発見でした。

この手の展示は年に3回行われていて、天理の図書館から展示物を持ってきて、人も来て展示をして、その間は休みなしで毎日展示しているけれど、それ以外の時はこのギャラリーには何もないし誰もいないので、何も見ることができないということで、ちょうどその展示をしている時にぶつかったのはラッキー以外の何物でもありません。

たまたま今、今野真二さんの本を読んでいて(これはまた別途書くつもりです)、この人の本は基本的に全て日本語をどう書きどう読むかという読み書きの歴史を解説していて、古事記・万葉集の頃から平安・室町・江戸・明治・現代に至るまで、人々が日本語を書くためにどのように工夫してきたか、読むためにどのように工夫してきたかを漢字・仮名遣い・振り仮名等々、さまざまな切り口で説明してくれています。

漢籍というのももともとは中国語の本ですが、それが日本に来て日本人が日本語として読む、ということで、このような漢籍のサンプルがいくつも今野真二さんの本の中で出てきていますので、まさにちょうど良いタイミングでこの展示にぶつかったということになります。

ギャラリーの入り口には、以前の展示のカタログなども在庫があるものについて展示してあり、全部で7冊も買ってしまいましたが、それでも計2千円、何とも安いものです。

今回の展示のカタログも買ってきたんですが、全部で500部しか印刷しなくて、うち150部は図書館に取っておくので、販売するのは350冊だけだからもうすぐ売り切れますよ、と言われて慌てて買いました。とはいえ、お客さんはほとんどいないのでまだ数冊はあるので今日明日は大丈夫ですよ、と言われてしまいました。

神田に通勤するようになってもう14年になりますが、こんな場所があったなんてまるで知りませんでした。

もし興味がある人がいたら、是非行ってみて下さい。

千代田区神田錦町 1-9 東京天理ビル9階 天理ギャラリー
最寄り駅はJR:神田・御茶ノ水  地下鉄:小川町・淡路町・大手町・神田
の各駅です。

今の『漢籍と日本人』は5月18日から6月15日まで。
会期中無休 入場無料 9時半~17時半まで
   展覧会の案内は http://www.tcl.gr.jp/tenji/k83.htm にあるようです。

ご参考まで。

安保法制懇 報告書

5月 22nd, 2014

集団的自衛権に関する『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』の報告が出て、安倍さんが早速憲法解釈を変更すると発表し、賛成派・反対派それぞれいろいろ議論を始めています。

反対派のほとんどの人は朝日新聞や赤旗の記事を鵜呑みにしていて、報告書を読もうとする人はほとんどいないでしょうし、賛成派の人も解釈変更なんか当然の話だ、とばかりに報告書を読む人は多くないでしょう。そう思って、そのような人達の代わりにこの報告書を読んでみました。
報告書は
  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/houkoku.pdf 
にあります。表紙と目次と本文43ページのものですから、この手の報告書としてはそれほど大部でもありません。

読んでみて、思いがけず良くできた報告書だったので紹介します。

この議論、政府が勝手に解釈を変えるのは実質的に憲法改正の手続きをしないで憲法改正をすることになるのでケシカランという強い反対があるのを踏まえ、この報告書ではまず初めにこの自衛権あるいは憲法9条について、現在の日本国憲法ができた時から今まで70年近く、どのように政府の解釈が変更されてきたかということを丁寧に説明しています。

すなわち最初は文字通り個別的自衛権も集団的自衛権もなしで、全ては連合国軍あるいは国連軍に任せておけば世界の平和は保たれるので、当然軍隊も持たなくて良いという夢のような話から、その後夢からさめてやはり自衛権はあるよな、軍隊も必要だよな、となり、念仏のように自衛のための最小限の兵力と言ってみたり、集団的自衛権は持っているけれど使えないなんて分けのわからないことを言ってみたり、これまで解釈が大きく何度も変更されたのに対してそれについては憲法改正だ、とは言わずに、今度の変更に対して現状の解釈と比べて変更することに反対する(すなわち現状の解釈まで何度も変更されたのは良しとして、更なる変更だけを否とする)というのは、確かにおかしな話です。

次に憲法9条を解釈するにあたっての基本的な考え方を説明しています。安倍さんの言う『積極的平和主義』というのが一体何なのかも説明してありますので、良くわかります。すなわち憲法制定時の理想を憲法前文から読み取って、それを現在の現実に即してできるだけ実現するように努力しようということです。

ここで憲法前文が引き合いに出されているのをつかまえて、憲法前文は憲法じゃないなんて訳のわからないことを言う人もいるようですが、そんな話は歯牙にもかけていないようです。

次に憲法解釈の変更が必要となっている事情が説明されています。

憲法には『戦争放棄』と書いてありますが、その当時の、国と国とが大砲を打ち合うのが戦争だ、という話は、状況が大きく変わっています。アメリカの9.11のように相手が国だか国じゃないんだか分からなかったり、サイバーテロのように大砲でも爆弾でもなく単にコンピュータに電子的にアクセスをしかけるだけだったり、これが戦争なのかどうか、それに対応するためのものは武器なのかどうかもはっきりしない中で、憲法9条を解釈するというのはなかなか大変です。

で、次に具体的事例をいくつか挙げて、それに対してどうしたら良いか検討します。どうしたら良いか、というよりむしろ、しかるべく行動しようとして、現行の憲法解釈ではどうしてその行動ができないと解釈されてしまうのかが説明されます。

その上で最後に、どのような憲法解釈を取るべきなのかという提言があります。

もちろん憲法解釈の変更に反対する意見もあるのはわかりますが、その反対意見については、この報告書を読んだ上で、どこの部分にどう反対なのか、また具体的事例についてどのように行動すべきだと考えるのか、その行動が現行の憲法解釈でどのように可能なのか、というあたりについて、具体的に説明してもらうと、身のある議論ができるのではないかと思います(そんな議論になる望みはほとんどないですが)。

『解釈を変更しなくても大丈夫』という公明党も、この報告書には現行解釈ではどうしてダメなのか書いてあるので、それを踏まえて良く検討されると良いですね。

これを読んでいて、去年の暮から今年の初めにあった南スーダンのPKOで自衛隊が韓国軍に弾薬を貸した話を思い出しました。

あの時は『せっかく貸してやったのにお礼の一つも言えない無礼な国だ』という話で終わってしまったような気がしますが、あの時韓国軍がその弾薬を使って南スーダンの反政府軍と打ち合いでもしていたら、大変な憲法論議になっていたのかも知れないなと、この報告書を読んで今更ながら気がつきました。何しろ解釈の仕方によっては、日本が攻撃されているわけでもないのに韓国軍と一緒になって南スーダンの反政府軍と戦争した、ということになってしまうんですから、いわゆる護憲派の憲法解釈なんか、一発で吹っ飛んでしまったかも知れません。

南スーダンのPKOはまだ終わった話じゃありませんから、いつまた何が起きるかわかりません。中国も北朝鮮も韓国も、突然何をやり出すかわかりません。どこかの正体不明なテロリストがやって来るかも知れません。念仏を唱えている時間はないんですから、早急に検討が進むと良いですね。

とはいえ、今の自民党政権であれば、憲法解釈がどうなっていようと、いざという時にはそんなものに足を取られないで即座に必要な行動をするでしょうから、その意味ではそんなに心配しているわけではありません。憲法解釈なんてその時に即座に変えてしまえばそれまでのことなんですから。

『統計学が最強の学問である』

5月 22nd, 2014

『統計学が最強の学問である』という本を読みました。

何か知らないけれど統計学の方がベストセラーになっているということで、読んでみようと、図書館で予約し、1年がかりでようやく借りることができました。さいたま市立図書館にはこの本の在庫が20冊もあるんですが(図書館自体、分館も入れると24もあります)400人以上の予約が入っているので、今から新規に予約したらやはり1年位は待つことになりそうです。

で、本の中身ですが、タイトルとはまるで違います。統計学が最強の学問であるなんてことは言ってません。統計学の本でもありません。本の趣旨は統計学や統計データに騙されないため、統計学や統計データの取扱についてそれをどのように理解したら良いか判断する能力(リテラシー)が大切だということのようです。あるいは統計を使ってかなりいい加減な主張をする人も多いから、気を付けなければいけないということのようです。

ですからこの本を読んで、統計学がわかるわけではありません。統計リテラシーが身につくわけでもありません。リテラシーが大切だということが、何となく分かるだけです。でも統計や統計学に関するいろいろな話題が盛りだくさんに紹介されているため、読んでいるうちに何となくわかったような気持ちになるかも知れません。

実際に統計学の説明をしているわけではないので、その分気楽に読めます。正確な知識は得られなくても、統計や統計学に関するいろんな言葉を覚えることができます。この本を読んで興味を持ったら、今度はちゃんとした本で勉強するという読み方もできそうです。

ある程度統計学を知っている人は、楽しく読めるかも知れません。統計学を知らない人は、統計学についてきちんとした説明なしで新しい言葉が次々に出てきて議論がどんどん進んでしまうので、もしかすると途中で読みたくなくなってしまうかも知れません。

この本の後ろの方では『統計家たちの仁義なき戦い』(これもすごいタイトルですね)として、6つのジャンルの統計家の統計に対する姿勢・統計の考え方の違いについて書いています。すなわち社会調査を仕事とする統計家・(医学の一部の)疫学や生物学の分野の統計家・心理統計家・コンピュータを使ってデータマイニングをする統計家・計量文献学などテキストマイニングをする統計家・計量経済学を専門とする統計家、それぞれ考え方もバラバラでお互いにお互いの統計の考え方の批判をし合っているようで、これで本当に一つの統計学としてのまとまりが可能なのかという気もしますが、部外者からするとなかなか面白い見物(みもの)です。

この本が他の出版社から出ていたとすれば、多分ほとんど売れなかったんじゃないかなと思います。ダイヤモンド社が出版したということでベストセラーを作る、出版した本を無理やりベストセラーにしてしまうという意味で、さすがにダイヤモンド社というのはすごいなと感じました。

江戸時代

5月 2nd, 2014

『歴史認識』という言葉は本来的に、過去のある時代が現実にどのようなものだったのかについて、どのように認識するか、という言葉だと思うのですが、中国や韓国が日本を攻撃する時はこの言葉を『過去のある時代はどうあるべきだったのか、どうあってはならなかったのか』という、あるべき姿をどう認識するかという意味に使っているようです。そのため言葉の意味がすれ違い議論がすれ違って、お互いにフラストレーションばかり溜まってしまうのですが、今回はこの言葉の本来の意味での私の歴史認識が丸っきりひっくり返されてしまった話をします。

読んだのは、田中圭一さんの『日本の江戸時代』『百姓の江戸時代』『村から見た日本史』の三冊の本です。

江戸時代、その前の太閤検地から始まる検地で農民は土地にしばりつけられ、検地にもとづく農地の収穫の見込みにもとづいてぎりぎりまで年貢を取られ、さらに豊作・凶作による年貢の不安定さを除くため、年々の収穫量にもとづいて年貢を決める検見法から、農地の生産能力にもとづく定免法に変更されてさらに農民の生活は困窮を極め、五公五民とか六公四民とか言って収穫の半ば以上が年貢で取られ、生活に困った農民は土地を失って小作農になったり都市に逃げたりし、あるいは苦しまぎれに一揆を起こしたりした、というのが一般的に説明される江戸時代の姿です。

しかしこれがこの著者の田中さんにかかるとまるで違ってきます。

まず『検地』は農民の土地所有権を確立させる手続きで、これによって土地の所有権を確定した農民は、年貢を納めることを条件にその土地を自由に使うことができるようになり、年貢という負債付きで土地を自由に売買することができるようになった、ということです。そのため検地はむしろ農民の方から領主に要求して行われ、それによって多くの独立した農民が生まれたということです。

年貢の定免法というのも、収穫高によって年貢が上下する検見法と違い、一定額の年貢を払うことを条件にどのように土地を使っても構わないということになり、できるだけ収穫が多いできるだけ換金価値の高い作物を作れば、あらかじめ決まった額の年貢を払った残りは全部自分のもの、という意味で農民に対するインセンチブになるということです。

五公五民というのは、収穫を領主と農民との間でどう分けるかという話ではなく、地主と小作との分け前の話で、一般的に小作人は収穫の1/2を地主に納めれば、残りの1/2は全て自分のものにできた。地主は小作が納めた収穫の1/2分から農地に対するすべての年貢(だいたい全収穫の2割程度)を納め、諸経費を差し引いてもだいたい2割くらいが自分の所に残ったということのようです。

全体の1/2の地主の取り分から年貢を払うことができるんですから、年貢は1/2を超えることはめったになかったということになります。小作人は収穫の1/2を地主に納めてしまえば、残りの1/2の自分の取り分には税金も何もかからないんですから、これもかなり良い条件です。

土地を売る農民、土地のない農民というのは農業以外の仕事で食べていくことができる農民が、たとえば新しい事業(酒造・醤油・運送業その他)を始める資本として土地を売って資金を作ったとか、農業以外の仕事(商店に奉公・武家に奉公・大工・医者・役人・武士、その他)に従事するために土地は不要になったとかいうことで、それだけ世の中が豊かになったということのようです。

農民の一揆というのも食うに困ってヤブレカブレで、というよりむしろ役人の契約違反に対して不公平・不公正を糺すために立ち上がったもので、通常は一揆を起こす前に、今であれば裁判所に行くように、役人の不正をお上に訴えに行こうとして、それができない時に(あるいはそれがうまく行かない時に)はじめて一揆になるとか、食えないから米を寄こせというよりむしろ不正役人をやめさせろという要求がほとんどだとか、幕府から出される法令はいろいろしかつめらしい理屈づけがされているけれど、実態はそれらは後付けの理屈であり、実際は現実を後追いで法令にしているものが多く、農民からの要望により法制化しているものも多いとか、農民を絞り取ろうとするお触れとして有名な『慶安のお触書』は、一国全体幕府の領地だった佐渡ではどこにも見当たらないとか、びっくりする話ばかりです。

著者の田中さんは大学を出て佐渡で高校の先生をやりながら佐渡の村々に残る古文書を一つ一つ読んでいき、江戸時代の人々の現実の生活を掘り起こしていき、その範囲も佐渡から新潟、関東各地と拡がっていったもののようです。

江戸時代というのは、もはや完全に商品経済の時代になっていて、農民の作るものも自給自足のための食糧ではなく商品としての作物だったとか、さまざまな産業がすでに資本主義体制になっていたとか、各地域・各藩が重商主義的な政策を取っていたとか、言われてみればまったく納得できる話が具体的な資料で明確に証明されていて、本当に面白い本です。日本の江戸時代は、もうすでにアダムスミスの国富論の時代になっていたんだということが良くわかります。

私が最初に読んだのは『百姓の江戸時代』ですが、これはその前に出た『日本の江戸時代』を新書用に一般向けに読みやすくしたもののようで、具体的な個々の資料については専門書的な『日本の江戸時代』の方が詳しく書いてあります。また『村から見た日本史』は視野を時代的にも地域的にももう少し広げて、個々のテーマよりむしろ村から見た、あるいは建前じゃない現実の江戸時代の全体像を書こうとしたもののようです。具体的な古文書や、いろいろな統計データそれ自体に興味がある人は『日本の江戸時代』を、それほど細かい話はスキップしてまずは全体像を知りたい人は、新書版の『百姓の江戸時代』『村から見た日本史』の方が良いかも知れません。

どの本から始めるにしても、お勧めします。

図書館

5月 2nd, 2014

Windows XPのサービスが終了してから色々なソフトウェアのセキュリティ上の脆弱性の問題のニュースが多いなと思っているのですが、PCのOSの問題やInternet Explorerの問題は自分で何とかするとしても、サーバーの運用関係のソフトの問題については、管理者の人たちは大変だなと他人事に感じていました。

ところが何と、直接的な影響があることがわかりました。

いつものようにさいたま市立図書館のサイトを開けたところ、『Apache Strutsのセキュリティ上の脆弱性の問題で一部のサービスを停止しています』というメッセージが飛び出して来ました。

停止しているサービスの中には、常日頃使っている『蔵書検索』『貸出状況確認』『貸出予約』『予約状況確認』『貸出延長』が全て入っています。

これはエライコッチャです。
このサービスがあるので安心して、どの本はいつまでに返せば良いかとか、予約した本はもう届いているか等、週末の休みの前に確認していたのができなくなってしまうと、とんでもないことになります。

図書館のサイトによると『サービス再開時期は未定です』となっています。
何とか早く回復してくれると嬉しいのですが。

多分もっと切羽詰った、すぐに手当しなければ商売が止まってしまうサイトも多いんでしょうから、おとなしく待つしかないんでしょうね。

しかしそれにしても『セキュリティ上の脆弱性』の問題、そろそろ本格的に対処することを考える時期じゃないんでしょうか。とは言っても既にできて動いている厖大なソフトウェア資産のことを考えると、それを全部変えるというも、難しいのかも知れませんね。

その後、とりあえず4日の日曜日頃には解決の見込みのようです。よかった!

小室直樹 『数学嫌いな人のための数学』

4月 21st, 2014

この前、ライフネットの出口さんの本を持ってきた友人の話をしましたが、この友人は同時に『家に2冊あったので1冊持ってきた』と言って、小室直樹さんの『数学嫌いな人のための数学』という本を置いていきました。

この本は昔読んだことがあるような気がしていたのですが、パラパラ見てみたら最後の方にケインズの一般理論の説明が入っていました。こんな所でケインズを読んだ覚えは全くなかったので、この際読み直してみることにしました。

この本は数学というより数学の元となる論理学(というか、論理的な考え方)について解説してある本です。とは言っても数学の話ばかりじゃ面白くないので、宗教の話・法律の話・経済の話をふんだんに散りばめています。

論理学の元となった考え方は実はユダヤ人のもので、ユダヤ人預言者が全能の神と議論して、何度も性懲りもなく神との契約を破るユダヤ人を神が皆殺しにしようとするのを、議論で負かしてユダヤ人を救うというためのものだということです。我々にとっては神様というのは挨拶したりお願いしたりなだめたりする相手ではあっても、神様を相手に議論しようなんて考えはあまりないのですが、ユダヤ教(キリスト教・イスラム教)の神様はそういう神様ではなく、契約したり論争したりする相手のようです。それにしてもたとえ預言者であったとしても、人間を相手に議論して言い負かされてしまう神様が「全能の神」というのもなんだかなぁと思ってしまいますが、面白い話です。

法律というのはいかにも論理的であるかのように見えるけれど、実はちっとも論理的ではなく、特に日本人は論理的思考があまり強くないので、仕方なく嘘を活用するんだ、などという話があります。これについてはこの本で紹介されている『嘘の効用』という本をちゃんと読んでから改めてコメントしたいと思います。いずれにしても私がやっているイモヅル式読書法では時として次々に読む本が増えてしまって、いつまでたってもけりがつかないことがあります。

最後のケインズの一般理論の紹介の所は、何だか良くわかりません。私が理解している一般理論からすると、支離滅裂なことが書かれていて理解不能です。多分その昔この本を読んだとしても、この部分は理解不能ということで読み飛ばしたんだろうと思います。今はもう一般理論を読んでいるので、明確に『おかしい』と判断できます。

小室直樹さんというのはもともと数学者ですが、経済学でも政治学でも一流の学者だということになっていたはずですから、改めて小室さんの経済学に関する本を読んで、小室さんがケインズの一般理論をどのように理解していたのか確認してみようと思います。

いずれにしても例によって小室節のテンポの良い講談調の文章は、読んでいて楽しいものです。

数学が嫌いな人も好きな人も、読んでみる価値はあると思います。

藤澤陽介『すべては統計にまかせなさい』

4月 16th, 2014

有料のメールマガジン『inswatch』に毎月1回記事を連載してもらっているのですが、3月31日の記事を転載します。
とりあえず、もう半月たったから、まあ、いいかな、とも思いますし、アクチュアリー関連の記事はあまり見る人も多くないので、まあ、いいかな、とも思い、転載します。

————————–
 2014年3月
藤澤陽介『すべては統計にまかせなさい』

いよいよ平成25年度も今日で終わりです。今のところ、国債の利回りも0.6%台で推移し、為替も円安のままですから、生保各社の決算は今期も見てくれのいい結果になると思います。とりあえずは何よりです。

ところで、ライフネット生命のアクチュアリーの藤澤さんが『すべては統計にまかせなさい』というタイトルの本を出しました。この2月に発行されたばかりの新しい本です。この本の紹介をします。
タイトルの『すべては統計にまかせなさい』は、少し前に出てベストセラーになった『統計学が最強の学問である』のまねをして出版社が付けたものだと思うのですが、本の中身はこのタイトルとはまるで違います。
アクチュアリーというのは保険会社や銀行なので保険料を計算したり年金の計算をしたり、金利計算をしているのですが、この本ではそこで使われる統計学について、わかりやすく説明しようとしています。なお、著者は統計学、という言葉でなく統計、という言葉を使っているのですが、内容的には統計学、という言葉を使う方が普通だと思います。
統計学というのは、ちょっととっつきにくく、理解しにくいものですが、様々な例を使ってなんとかわかりやすく説明しようとしている本で、その分、正確さにはちょっと欠けます。正確でなくてもいいから読者をなんとなくわかったような気にさせようとしている本です。そのついでにアクチュアリーという人たちがその統計学を使って何をしているのか、ということについても同様に、正確でなくてもなんとなくわかったような気にさせようとしているようです。その狙いがうまくいっているかどうかについては、読んでのお楽しみ、というところです。
統計学やアクチュアリー学についてちゃんとした正確なことを知りたい人は、普通の教科書や紹介されている参考文献を読んでください、ということで、教科書を読みながらこの本のどこが正しくてどこがいい加減か確かめてみる、というのも面白いかもしれません。あらかじめこの本を読むことによっていろいろな言葉を知ることができるので、その分教科書を読むハードルが低くなるかもしれません。
アクチュアリーは保険料の計算の仕方など、保険数理の解説の本を書くことはありますが、統計学について本を書く、というのは珍しいので、面白いかもしれません。
この著者はアクチュアリーとしては変わった人で(一般にアクチュアリーというのは変わり者、というのが通り相場ですから、その中でも変わり者、というのはとんでもなく変な人、という意味か、かえって普通の人に近い人、という意味かは、読んでみて判断してください)、珍しく外向きの(アクチュアリー以外の様々な人とコミュニケーションをとることが好きでそれを大切にしている)人のようです。
一方、優秀な成績でアクチュアリー試験に合格し、海外に留学もしている人ですが、後輩のアクチュアリー試験受験者を支援する『アクチュアリー受験研究会』の会長もしている、ということです。
著者の勤めるライフネット生命は今年度に入ってから業績が低迷し、株価も期首の800円台から先週は400円を切りそうになるまで下落しています。会社の現状については有名人の会長でも社長でもなく、アクチュアリーである著者が一番よくわかっているはずで、その現状認識に従って商品戦略、経営戦略を立てるのもこの著者です。
その戦略がうまくいってライフネット生命の業績が回復するといいな、と思います。

ライフネット生命の保険料率改訂

4月 16th, 2014

ライフネット生命が4月1日に料率改訂のニュースリリースを出しています。
これはエイプリルフールの冗談ではなさそうなので、ちょっと見てみました。

5月2日の予定で料率改訂をして保険料を下げるということです。

以前ライフネット生命は「生命保険の原価の開示」と称して、営業保険料の内訳としての純保険料と付加保険料を開示し、また付加保険料をどのように計算したのか、1件あたりの付加保険料・営業保険料あたりの付加保険料率・純保険料あたりの付加保険料率を開示しています。

今回は営業保険料の内訳としての純保険料と付加保険料の開示は行なっていますが、その付加保険料をどのように計算しているのか、という部分については開示していません。ちょっと計算してみた所、付加保険料の計算方式はこれまでのものとは違っていることは確かです。また定期保険と医療保険で違うものを使っていることも確かです(これまでは同じ計算方式を定期保険にも医療保険にも適用していました)。

まず定期保険ですが、商品はそのままで保険料を変えると言っています。この言い方では既契約の保険料は変更後の保険料率を適用するのか、今までの保険料率を適用するのか、わかりません。

またおおむね男女とも保険料は安くなっているんですが、一部若い女性の所は逆に保険料が高くなっている部分もあります。

いずれにしてもせいぜい1割程度の保険料の引き下げですから、あまり大きく変化したわけではありません。

医療保険の方は結構大幅な変更です。

純保険料は2割程度引き下げ、付加保険料は3割程度引き下げて、全体として営業保険料を24%程度引き下げたということのようです。

医療保険の方は今までの商品を売り止めにして新しい商品を売り出すということですから、既契約については保険料を引き下げることにはしないんだろうな、と推測します。

でも終身保障・終身払の保険料が2割5分も安くなるのであれば、健康状態に問題がない人は今までの契約をいったん解約し、新しい商品に入り直した方が得になるかも知れません。

古い商品の方はその結果、健康状態の良くない被保険者だけが残ることになると、今までの高い保険料でも収支が釣り合うのかどうかわかりません。

いずれにしてもライフネット生命は既契約者に対してどのような通知をしているのか、気になります。もし新規に入り直したら保険料が安くなるのに、何も知らせずに放っておくとしたらちょっと問題かも知れません。

私もアイエヌジー生命にいた時は、何度か保険料の改定を経験しましたが、保険料を安くするというのはなかなか厄介な話でした。昔ながらの有配当の契約であれば、古い契約の保険料を引き下げなくても保険料の高い分は配当で還元します、ということで、契約者間の公平性の問題は何とか解決することができるのですが、無配当の商品ではそのような手段が使えないので、前からの契約者と新しい契約者との公平性を担保するのに苦労した覚えがあります。

ライフネット生命は解約返戻金がないのでちょっと気楽ですが、その当時のアイエヌジー生命は解約返戻金がありましたので、保険料の方と解約返戻金と両方考えて辻褄を合わせ、前からの契約者が不利にならないようにいろいろ工夫した覚えがあります。

その当時は無配当のいわゆる外資系生命保険会社という会社ではこの問題は共通の問題で、皆でいろいろ知恵を出し合ったりしたのですが、今のライフネット生命にはそのような経験をした人がいるとも思えません。その分、かなり苦労したんだろうなと思います。

いずれにしても営業保険料を引き下げ、付加保険料も引き下げていますから、会社の収益は当然かなり悪くなります。これの元を取るためには、保険料が安くなった分たくさんの新契約を取らないとならないのですが、平成25年度中一貫して低迷した新契約成績を回復するだけの新契約を獲得するのはかなり難しそうな気がします。

一方保険料を引き下げて、既契約(の一部)が一旦解約されて新規の契約に入り直すとすると、表面的には新契約が増えます。その分解約が増えるので、保有契約は増えませんが、既契約の解約に伴う解約益が生ずるので(解約される契約は解約返戻金はありませんが責任準備金がありますので、その責任準備金の丸々が解約益になります)、一時的に収益が良くなったように見えるかも知れません。といっても実際一時的なものでしかないので、ライフネットの収益体質を変えるものではありませんが。

ということで、今後ライフネットの契約成績・収益がどのように変化していくのか、注目したいと思います。

『仕事に効く教養としての「世界史」』

4月 16th, 2014

ライフネット生命の会長の出口さんの本が話題になっています。別に急いで読むこともないので図書館に予約をしていたのですが、会社に遊びに来た友人がそれならこれを・・と読み終わったものを置いていってしまったので、仕方なく読むことにしました。図書館の本だと書き込みなどしないで綺麗に読むのですが、個人の本だと書き込みで赤くしてしまうかも知れないよ、と言ったのにそれでも構わないと言われてしまい、この週末に読んでみました。

本のタイトルは『仕事に効く』となっていますがもちろんこれは単なる誇大広告で、単に『ひょっとすると仕事に役立つことがあるかも知れないよ』という程度の話です

中味は世界史の本というよりは、出口さんが今まで読んだ世界史の話から所々つまみ出してゴタ混ぜにしてそれをおしゃべりにしている、テレビのバラエティー番組のような世界史の本です。これを読んだからと言って世界史の勉強をしたことにはなりそうもないですが、世界史を勉強しようというキッカケにはなるかも知れません。

中味はごく普通の、中国史とヨーロッパ史を中心とする世界史の大きな流れの中に、キリスト教の話・シルクロードの話・トルコ人の話などが入っています。日本の中学校・高校の世界史と同様、アヘン戦争で歴史は終わって、その後はいきなり戦後の日本の高度成長になっていますから、第一次大戦も第二次大戦も、日清日露の戦争も日韓併合も、メンドクサイ話は入っていません。
『地域』と言えば良いのに『生態系』と言ってみたり『コロンブス』をわざわざ『コロン』と言ってみたり、所々言葉使いを普通と変えて新鮮さを演出しようとしているようですが、わざとらしさを感じてしまう所もあります。

この本は出口さんがライターに話したことを、ライターが本にまとめたもののようです(とは言ってもゴーストライターじゃなく、ちゃんと名前を出したライターです)。原稿ができたあと、出口さんが校正に参加したかどうかわかりません。もしかするとライターさんに対する礼儀上、話が終わったら、あと原稿を書いて校正する所までライターさん任せで、話をした人は口を出してはいけないのかも知れません。所々おかしな所もありますが、ライターさんが書いたものだけあって、気が付かなければすんなり気持良く読むことができます。そのあたりも何も考えずに見ていられるバラエティー番組に良く似ています。

最初のうちは何ヵ所か赤で書き込みをしてしまったのですが、後半はそんなこともせず読み終えてしまいました。書き込みをするほどの本ではないということです。こんなことなら最初から書き込みなどせずに、綺麗に読めばよかったなと思いました。

これで、この本を貸してくれた友人へのとりあえずの義理を果たしたことになるでしょうか。

『精神と物質』 立花隆・利根川進 著

4月 7th, 2014

小保方さんのSTAP細胞で相変わらず大騒ぎですが、そのニュースの中でSTAP細胞の遺伝子を調べると、その元となった細胞がわかるんだ、みたいなことが書いてあります。

私の理解では生物の細胞の遺伝子は、どの細胞を取っても全く同じだということになっていたはずなので、これは何を言っているんだろうとわからなくなりました。

こういう時は専門家に聞くに限ります。幸いに私の友人でメダカを研究して大学の先生をやっている人がいるので、早速質問しました。その答えは
【普通の細胞はDNAは変わらないけれど、免疫細胞は「遺伝子の再構成」というのを受けてDNAが変わる。これが利根川さんがノーベル賞をもらった研究だ】
ということでした。

で、何でも質問というのも失礼ですからまずは自分で勉強しようと参考書を紹介してもらった所、回答が
 【たとえばワトソンの「遺伝子の分子生物学」には触れられていますが、そんな教科書はあまり面白くないと思われます。アマゾンで検索すると、立花隆・利根川進の共著(対談)の「精神と物質」というのがあり、多分何か触れられていると思われます(私はもちろん読んでません)。】
とのことです。
早速図書館で予約して借りてきました。

ワトソンの「遺伝子の分子生物学」は確かに、まず一般人は読みそうにない立派な教科書です。何しろDNAについてだけでA4版本文だけで800ページもの本で立派な紙を使っているので、かなり重い本です。私の読書は通勤の電車の中のウェイトがかなり大きいので、本の大きさや重さは重要な要素です。こんなんとても読めたものじゃないのですが、実はほとんど各ページに絵や図が付いていて、本文を読まなくてもその絵や図とその説明だけ読んでもなかなか面白そうです。でも通勤に持ち歩くのはちょっとしんどいので、もう一方の立花さんと利根川さんの方をまず読みました。これが何とも面白いので紹介します。

この本は利根川さんがノーベル賞を貰ったのをきっかけに立花さんが利根川さんの所に押しかけ、対談というかインタビューというか個人教授というか、そんな形で教えてもらった内容を本にしているもので、最初文芸春秋に何回かに分けて連載され、それを単行本にしてまた文庫本にしたもののようです。

立花さんも若く、自分の勉強をひけらかすこともなく利根川さんの話をおとなしく聞き、適当な所でその話をうまくまとめ、また的確な質問をして全体にまとまりをつけることに専念しているし、利根川さんはざっくばらんに何でも話していて、研究者の実験が実は厖大なルーチンワークの肉体労働で、それをこなしながら運が良ければ素晴らしい結果にめぐり合うという話を、実際に自分がやった研究について具体的に説明しています。多分今では資料となる細胞を機械にかければあっという間にDNAの配列がデータになり、印刷しようと思えば印刷できるような形になる(全部印刷しようとしたらとんでもないページ数になってしまう)という作業が、その昔すべて手作業で行われていて、その作業の具体的な仕組みがどうなっていて、その一つ一つをどのように発明・発見して積み重ねてきたのか、というあたりが生々しく語られていて、とても面白い読み物です。

一生懸命やった実験がノーベル賞をもたらす成果につながるわけでもないし、ついでにやった実験がノーベル賞をもたらす成果につながったり、その過程でその昔そんなつもりはまるでなしにやった実験がたまたま大いに役に立ったりと、なかなか波乱万丈の物語になっています。

小保方さんのコピペだ、写真の切り貼りだ、なんてつまらない話よりはるかに面白い本でした。