Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

ケインズ・・・5回目

月曜日, 3月 4th, 2013

ケインズが「一般理論」を書いたのは1936年ですが、その5年くらい前に「貨幣論」を書いています。
これは古典派の考えに従って書かれたもので、当時ケインズは「古典派の旗手」のような位置にあったようです。その5年後に、今度は「一般理論」で古典派をケチョンケチョンにするわけですから大変です。古典派からすればケインズは、大変な「裏切り者」ということになります。

このように思想・考え方を変えるのを「転向」と言いますが、その昔キリシタンが転向してキリシタンをやめると、『踏み絵』でキリストやマリヤの絵を踏みつけなければなりませんでした。戦前、共産主義思想に心酔していた学生さん達が特高警察にいじめられて共産党をやめる時は「転向宣言」をして、多くは右翼とか国粋主義とかに変身しました。

そんな意味でこの「一般理論」というのは「転向宣言」の本なんですね。だから必然的に、ケインズはこの本で古典派をケチョンケチョンにしなければならなかったということのようです。

つい何年か前まで古典派の代表的な論客だったケインズですから、ケチョンケチョンにするのは難しくはなさそうですが、ケインズの言葉によるとこの古典派の経済学というのが何とも大変なもののようです。言葉を明確に定義しない、理論の大前提になる『これは間違いなく正しいよね』という考え方も明確に示さない、そしていきなりもっともらしい結論が出てくる、というようなものだったようです。

そのためこれをやっつけようとすると
「古典派ではこれこれと言っている。このように言うということは、これこれのことを大前提にしているということになる。それではその大前提は正しいかというと、これこれの理由で間違っている。あるいはこれこれの、現実にはまず起こりっこないような特殊な場合だけしか、その理論は成立しない。」
というような議論にならざるを得ないということのようです。

「一般理論」の最初に書いてあるのですが、『この本は「転向宣言」のための本なので、一般の読者に自分の考えをわかってもらおうとして書いた本ではなく、経済学者(特に古典派の経済学者)に向けて(古典派をケチョンケチョンにやっつけるために)書いた本だ)』、ということになっています。

ですからお互い古典派の細かい所まで知っている者同士が重箱の隅をつつくような議論も時には必要になり、それもあって「一般理論は難解だ」ということになってしまっているようです。

そんなわけで、古典派の理論とは無関係にケインズの考えをそのまま出しているようなところは読んでいても気持ちがいいくらいにわかりやすいです。

この「古典派」という言葉、私なんかは何となく「古典」という位だから皆が尊敬する昔の考え方ということかなと思ってしまうんですが、まるで大違いです。マルクスが『資本論』を書くにあたって自分以外の当時主流の経済学のことを『自分だけは先に行っているけれど、残りの連中はまだ古臭い考え方のままだ』ということで『古典派』という言葉を使い始め、その後何十年もたったケインズの時代でもまだその古典派が当時主流の経済学だったものを、ケインズが転向宣言で再び古典派と言ったということのようです。

ですからマルクスにとってもケインズにとっても、古典派の経済学というのはごく新しい(だけど自分の考えからすれば古臭い)考え方ということのようです。

「一般理論」の最後の方には「重商主義」についてのコメントがあります。「重商主義」というのは古典派の前に主流だった経済学なんですけれど、ケインズによれば、『重商主義者は問題の存在は察知していたが、問題を解決するところまで分析を押し進めることができなかった。しかるに古典派は問題を無視した。』ということで、十分な分析をするだけの理論がなかったので、問題を無視し、誤った前提に立って精緻な(?)理論を組み立てた古典派によって完膚なきまで叩きつぶされてしまった、ということのようです。

その重商主義についてケインズは、
「確かに重商主義には理論はなかったが、現実をしっかり踏まえていた。古典派は理論はあったが、それは間違った前提にもとづいた間違った理論だから、何の役にも立たない。古典派にやっつけられてしまった重商主義の方がはるかに真っ当で正しい考え方だ。」
という具合に、さらに古典派に追い討ちをかけてやっつけ、重商主義を復活させています。

ケインズ・・・4回目

金曜日, 3月 1st, 2013

3回目で書いた
 所得=投資+消費
 貯蓄=投資
について、もうちょっと書きます。

経済学ではよくグラフを書いて、たとえば縦軸に価格、横軸に数量を取り、供給曲線は値段が高ければ供給が増え、安ければ供給が減る右上がりの線。需要曲線は、値段が高ければ需要が減り、安ければ需要が増える右下がりの線。こんな線を引き、その二つの曲線の交わったところで価格と数量が決まるなんてことを言います。

これは、供給曲線・需要曲線とも概念的な大体のもので、二つの曲線が交わると言ってもしばらくたてばこの交わった所のあたりで落着く、というくらいのものです。

しかし、この
 所得=投資+消費
 貯蓄=投資
は、会計上の話ですからそんないい加減な話ではなく、いつでもどこでも即時にピッタリ等しくなる、という性格のものです。経済学者の先生方は会計のことをあまりよくわかっていないのか、このあたりを明確に説明している人はあまりいないようです。

前回書いた原価30円の100円の缶コーヒーで言えば、私がこの缶コーヒーを買ったとして、買った途端に社会全体の所得の総額が70円増える、ということ。あるいは買った途端に社会全体の投資の総額が30円減ってしまうという意味になります。こんな具合に社会全体の所得の総額、投資の総額を誰でもがいつでも勝手に変えることができる、というのは面白いですね。

ケインズの戦略は、このいつでもどこでも即時にピッタリ成立する等式を武器に、社会全体の所得や貯蓄や消費がどのように動くか考えようというものです。

一般理論の第8章に
「消費は、(わかりきったことを繰り返すなら)、あらゆる経済活動の唯一の目的であり、目標である。」
と書いてあります。

これは「言われてみればもっとも」と納得できるのですが、普通の経済学の教科書にはこんなことは書いてありません。このようにケインズにとって目的・目標が明確ですから、あとは何をどうすれば消費を増やすことができるかということになります。

ケインズはこの視点から、「古典派の主張ではその目的を達成することができない」と言って、古典派の主張を攻撃することになります。

ケインズ・・・3回目

月曜日, 2月 25th, 2013

ケインズの一般理論、まずは有名な「投資=貯蓄」の所です。

ここの所、ケインズの本の説明だけでは良くわからないので、会計の方からのアプローチで自分流にやってみました。

これは数学の本を読むときなどよくやる手で、本に書いてある定理の証明がしっくりこないで良くわからない時など、その本の証明を無視して自分なりに直接その定理を証明して、うまく証明できればその定理が正しいことが確認できたので先に進むというやり方です。

ケインズの言っているのは
 所得=投資+消費
 貯蓄=所得-消費
だから、自動的に貯蓄=投資、となる。

ということで、そのために所得・投資・消費・貯蓄のそれぞれについて、きちんと定義しようとしています。

でも基本的にこれは会計の言葉として解釈できますし、会計というのは経済活動を記録するための道具ですから、会計の言葉で表現した方が話がわかりやすくなります。

ケインズは社会全体で上の式が成立つと言っています。

経済的に閉じている社会で、任意の一定の期間についてこの式が成立つのであれば、経済活動を個々の会計取引に分解しておいて、一つの会計取引だけが発生した一瞬についてもこの式が成立つはずです。そして一つ一つの会計取引でこの式が成立つことがわかれば、一定期間の会計取引の参加者全員を含む社会で考えれば、その社会全体でもこの式が成立つことになります。

こう考えて一つ一つの経済活動についてこの式が成立つことを確認したのですが、その過程で所得・投資・消費・貯蓄の言葉の定義も明確になりました。

まず社会を「企業」と「消費者」に分けます。企業というのは物を仕入れて売ったり原料を買って製品を作って売ったりして、儲ける人です。消費者というのは働いて給料を稼ぎ、そのお金で何か物やサービスを買って消費する人です。政府とか銀行とか金利生活者なんてのは後から出て来ますが、とりあえずは企業と消費者だけで考えます。

その企業、原文では「entrepreneur」という単語を使っていて、今なら「起業家」となる言葉ですが、意味としては「起業家」・「事業家」となります。で、いろんな翻訳でもこれらの言葉を使っているのですが、でもケインズの時代と違って今のように法人資本主義の世界では、むしろ「企業」とした方が正しい解釈だと思います。

まず「所得」ですが、これは企業の場合はその期間の儲け、「利益」です。消費者の場合はその期間の稼ぎ、労賃とか給与とかの「収入」です。これはごく普通の意味ですから、特に問題はありません。これを社会全体の企業と消費者について合計したのがケインズの言う「所得」です。

次に「投資」ですが、これは株に投資する・ベンチャーに投資する、という投資ではありません。企業の活動でいう在庫投資や設備投資、すなわち商品を仕入れたり、製品にするために原料を買ったり労賃を使ったり製品を作ったり、、あるいは製品を作るために工場を作ったり機械を買ったり、という意味の投資です。それで一定期間の所得と対比させるわけですから、その投資の残高のことではなく、その増減の額のことです。

「消費」というのは消費者が物やサービスを買って、お金を使うことです。その使ってしまったお金が消費です。

企業の場合は物やサービスを買ってお金を使っても、それが費用となる場合はマイナスの所得ということになるので、消費にはなりません。費用とならないで資産となる場合には、それは在庫投資になるか設備投資になるか、いずれにしても投資になります。そんなわけで、企業の方には消費は発生しません。売れ残りが発生しても、それが売れ残っている限り在庫投資として「投資」になります。見切りをつけて廃棄したら、廃棄損で所得のマイナスです。

「貯蓄」というのはケインズが「所得-消費」と定義しています。ですからこれも貯蓄の残高じゃあなくて、貯蓄の増減の額ですね。

「消費」は企業にはないので、企業では「貯蓄=所得」ですね。その期間の稼ぎのうち一部は投資に回っていて、一部はまだ使わずに現金のままかも知れませんが、それをひっくるめて「貯蓄」というわけです。

消費者の方は「貯蓄=所得-消費」ですから、その期間の稼ぎから使っちゃった額を差引いた残り、ということで、まさに貯蓄の意味そのものですね。まだ使ってないお金が財布の中に入ってようとへそくりで本棚に隠してあろうと銀行に預金しようと株を買おうと、みんな「貯蓄」ということになります。

このように言葉の定義をはっきりさせておいて、たとえばある消費者がある企業から100円の品物(たとえば缶コーヒー)を買って、その企業の売上原価が30円だというケースを考えてみます。

この取引だけについて、所得・投資・消費・貯著を計算すると
企業の方は
  所得=売上-売上原価=100-30=  70
  投資=在庫が30円少なくなったから= -30
  消費=   0
  貯蓄=所得=  70
消費者の方は
  所得=    0
  投資=    0
  消費=  100
  貯蓄=所得-消費= -100
合計すると
  所得=70+0=      70
  投資=-30+0= -30
  消費=0+100=  100
  貯蓄=70-100= -30
となり、
  所得=投資+消費
  貯蓄=投資
となっています。メデタシメデタシ。

ここで、貯蓄=投資について、
  貯蓄=70-100
  投資=-30+0
と、貯蓄と投資はその発生する場所で額が異なるけれど、合計すると額が等しくなる、というのがミソです。

こんな具合に他のケースについても計算してやると、全てのケースでケインズの式はOKです。

私がやってみたのは、
 ・企業が消費者に給料を払って、それは企業の費用になった。
 ・企業が消費者に給料を払って、それは製品の原価として投資になった。
 ・企業が企業から何かを買って、在庫にした。
 ・企業が企業から何かを買って、設備投資にした。
 ・企業が企業から何かを買って、経費にした。
 ・消費者が企業から何かを買った(上のケース)。
 ・消費者が消費者に何かをしてもらって謝礼を払った。
というくらいのケースです。

企業や消費者間の取引は分解してしまえばこんなものの組合せですから、これでケインズの言っているのが正しいということがわかります。

ケインズ・・・2回目

月曜日, 2月 25th, 2013

ケインズの一般理論、読み終わりました。
何とも面白かったですね。

全体の議論の内容や主なキーワードもだいたいわかったところで、また2回目の読みに入りました。読み終わった途端にもう一度読む、というのは久しぶりです。

ケインズがこれを書いたのは第一次大戦が終わってアメリカの大恐慌が起こった後の時期ですが、これを戦後の日本の、戦後の復興から高度経済成長を経験し、1980年代後半のバブルからバブルがはじけて失われた10年・20年という経験に照らして読んでみると、よくもまぁここまで書けたな、ケインズというのはもしかすると予言者なんじゃないか、なんて思えてくるのも面白いです。

1回目には面倒くさい所はところどころ読み飛ばしてしまった部分もあるので、2回目はもう少しゆっくり一つ一つの議論を吟味しながら読んでみようかなと思います。

私が一人で面白がっても勿体ないので、これからしばらくこの読書感想文というか読書レポートが続くと思います。

もし良かったら、読んでみて下さい。

ケインズ

木曜日, 1月 31st, 2013

このブログにも時々登場する(私が勝手に登場させているだけですが)慶應大学の権丈先生、学者としてもすごい先生ですが教師としても素晴らしい先生のようで、ゼミの学生さんにいろんな本を読ませています。

時々その感想文の一部が先生のホームページに引用されるのですが、それを見てその本を読んでみたくなりました。どうも岩波新書の伊東光晴「現代に生きるケインズ」という本のようです(権丈先生はあまり親切じゃなく、どの本を読んだ感想文だということを書いてありません。感想文の一つにこの本の名前が出ていたので、多分そうだろうと思った次第です)。

で、読んでみたのですが、ビックリです。
私なんかそれほどまともにケインズの勉強なんかしていないので、「近代経済学というのはケインズに始まり、ケインズ以降ケインズを受け入れて支持する人と反対する人がいるけれど、どちらも殆どの人がケインズの影響下にある」という位の理解だったのですが、とんでもない話でした。

ケインズを受け入れて支持し、「これこそケインズの考えだ」と言っている有名な経済学者もたくさんいるんだけれど、ケインズの考えと違うケインジアンというのがたくさんいて、それぞれ意見が違う。さらにそのような混乱を生じさせた原因はケインズ自身にあり、ケインズの考え方とは違う考え方に対してケインズが「それは私の考えと同じです」なんてことを言ったので、言われた方は自信を持って「これこそケインズ理論だ」なんてことになっている、というような状況のようです。

誰が何と言ったかなんてことをいちいち覚えながら読んではいないので、Wikipediaで「マクロ経済学」という記事を見て整理してみようとしたのですが、何とこのマクロ経済学が時系列的に並べると
 古典派
 新古典派
 ケインズとカレツキ
 ケインジアン
 サプライサイダー
 マネタリスト
 合理的期待学派
 ポストケインジアニズム
 新しい古典派
 ニュークインジアニズム
となっているそうです。
「古典派」とか「新古典派」という言葉は聞いたことがありますが、古典派というのはケインズの前、新古典派というのはケインズのあとで、また古典派が復活したものかと思っていたら、新古典派というのはケインズの前なんですね(やっかいなことに、ケインズ自身はこの古典派と新古典派合わせて古典派と呼んでいるようです)。

で、このケインジアンもポストケインジアニズムもニューケイジニアズムも、ケインズの考えとは違うというんですから何ともならないし、新古典派と新しい古典派が別ものもだなんてわかるわけがありません。日本語では「新」と「新しい」で区別し、英語では”neo”と”new”で区別しているようですが、こんなの区別になるんでしょうか。

「新古典派総合」というのもあるのですが、どうもこれは新古典派とケインジアンを一緒にしたもののようです。いずれにしても経済学者の語彙の貧弱さを表しているように思います。もう少しわかりやすい名前を付けることができないんでしょうか。

こんなことになったのは、ケインズ経済学の中心である「一般理論」(正式には「雇用・利子および貨幣の一般理論」という名前の本のことです)が難解で難しいということのようですが、経済学者だって頭の悪い人ばかりではないでしょうからちゃんと理解している人がいるんだろうし、もしそうでなければ元々の「一般理論」がどうしようもないひどい本なんだろう。ちゃんと読者にわかるように書けないということは、基本的に著者の方に問題があると思うのですが、それにしても何十年にわたり未だに山ほどの経済学者を振りまわしているのであれば、それなりに「一般理論」というのは中味があるのかも知れないと考え、仕方がないので読んでみることにしました。

この「現代に生きるケインズ」の本の中にも「一般理論は難解だ」ということと「ケインズは名文家だ」ということと両方書いてあり、「名文で難解」というのは何のこっちゃという気もします。

前に読もうとしていたマルクスの「資本論」の方は、あまりにも非論理的な文章で読んでいられなくなって放り出したままですから、その代わりです。分量も岩波文庫で2冊、計500ページくらいのものです。ただし以前読んだ「国富論」は訳者のお陰で山ほど挿絵が入っていて楽しめたのですが、この「一般理論」は全体で図が1つしかない、ということでも有名な本です。

一般の経済学の教科書では山ほど図が入っていて、【左下から右上に向かう線と、左上から右下に向かう線が交わった所で何か(価格だとか利子率だとか生産量だとか)が決まる】という説明がされています。その元となった「一般理論」に図が1つだけというのも面白いですが、何とか我慢して読んでみようと思います。

ざっと眺めたところこの「一般理論」の難解さは、もしかすると数学的な所にあるのかも知れないなと思いました。今は経済学をやる人は数学が得意な人が多く、「一番数学ができる人が経済学部に行く」というのがあたり前のようですが、ケインズの頃には必ずしもそうではなかったようです。

昔はユークリッドの幾何学をちゃんと勉強し、まずいろんな言葉を正確に定義し、疑いようのない公理・公準を前提としてあとは論理のみでいろんな定理を証明していくという、ユークリッドの「原論」が学問の理想形と考えられていました。
そこで万有引力の法則について書いたニュートンの「プリンキピア」という本も同じような構成になっているんですが、ケインズも若い時数学を勉強したようで(大学の学位は数学で取ったということです)、このような公準とか定義とかをちゃんとするのに慣れていたようです。
このようなやり方に慣れていない人には、もしかすると難解に思えるのかも知れません。

「一般論」には図は一つしかないのですが、その代わり式は所々に出てきます。当たり前のように微分の式が登場したり関数の記号にギリシャ文字を使ったりしているので、そんな式は見るだけで気持悪くなるという人にとっては読む気にならない本なのかも知れません。

図書館 その2

火曜日, 11月 22nd, 2011

今私が普段利用しているのは、自宅の近くの「さいたま市立与野図書館」です。

さいたま市ができるまでは「与野市立中央図書館」で、それでも人口の割にはかなりの蔵書があったのですが、さいたま市ができてからは大宮市と浦和市が一緒になり「さいたま市立図書館」の蔵書は膨大になり、それがいつでもこの「与野図書館」で借りることができます。

さいたま市の図書館にない本は、会社の近くの「千代田区立まちかど図書館」で借ります。
ここは幼稚園と小学校と同じ建物に入っていて小学校の図書室も兼ねている図書館で、蔵書はあまり多くありません。小学校の図書室にするため、子供用の小さな机や椅子も置いてあり、昼間は主にサラリーマンの昼寝の場所にもなっています。

千代田区というのは会社はたくさんあっても住民はあまり多くないせいか、千代田区立図書館全体でも、蔵書はそれほど充実していません。その代わりこの図書館から東京中の区立図書館・市立図書館・都立図書館の本を借りることができます。

今はインターネットの検索で、あらかじめどの本がどこにあるか調べることができるので、これで大抵の本は借りて読むことができます。

最近ちょっと調べ物をしていたら「複式簿記の考古学」という論文にぶち当たりました。これが(1)から(4)まで続きものの論文なのですが、(2)から(4)は北海道の酪農学園大学の紀要に発表され、インターネットでもpdfファイルが入手できるのですが、非常に面白い論文です。

せっかくだから(1)も読もうと思ったのですが、(1)は「酪農学園大学環境システム学部論集」に発表されていて、インターネットでとることができません。かといって北海道まで行くわけにもいかず、仕方がないのでこの酪農学園大学の図書館に電話をかけてコピーでもとって送ってもらおうとした所、「近くの図書館で頼んでくれれば貸し出しますよ」と言ってくれました。そこで早速「さいたま市立与野図書館」経由でこの論集を借りることができました。

この論集に参照されていた「スンマへの径」という、これも簿記・会計の本ですが、これも読んでみたくなっていつもの検索をした所、さいたま市立図書館にも埼玉県の各市・町立図書館にも、県立図書館にもないことがわかりました。次に東京都を調べたら、区立・市立にはないけれど、都立図書館にはあることがわかりました。
そこでこれも「さいたま市立与野図書館」に頼んだところ、「別に都立図書館じゃなくても良いですよね」と念を押され、その後しばらくして本が届いたという連絡がありました。

どうも東京都立図書館は借りにくいようで、本を見たら「愛知県立図書館の蔵書」となっていました。

ちなみに「スンマ」というのは15世紀の数学の教科書なんですが、複式簿記の教科書の元祖みたいなもので、その簿記の部分が各国で翻訳・出版されて複式簿記が世界的に広まったということになっています。
この本はそのスンマの簿記の内容が出来上がるまでの中世イタリア商人の実際の簿記が、どのように進化しスンマにまとめられる内容になったか、という簿記の歴史の本です。そこで本の名前も『「スンマ」への径(みち)』となっているわけです。私にとっては本当に面白い本です。

ともかくこれで北海道の大学の図書館と愛知県の県立図書館の蔵書まで「さいたま市立与野図書館」で借りることができるんですから、これはもうほとんど日本国中から借りることができるようなものですね。

各都道府県の都道府県立・市町村立図書館の蔵書の検索、大学の図書館の蔵書の検索はインターネットでそれぞれできるようになっています。

便利な時代になったものですね。

連歌の読み方

火曜日, 7月 26th, 2011

先日野田泉光院という本の話を書きました。
この本の最初の部分のテーマは、芭蕉の奥の細道なんですが、その中に芭蕉の連歌(俳諧の連歌)の話が出ています。

連歌というのは室町時代(あるいは鎌倉時代)からのものですが、これのルールを少し変え、いろんな制限を少なくして、しかも面白さを追及したのが俳諧の連歌、略して俳諧ということです。
この俳諧の連歌の最初の一句「発句」と言われるものが、その後独立して俳句になったというわけです。俳諧の連歌の方はその後(多分明治時代に)(俳句との関連で)連句と呼ばれるようになったもののようです。

で、この連歌なんですが、五七五・七七の繰り返しになります。誰かが五七五の句を作り、それを受けて誰かが七七の句を作り、それを受けてまた誰かが五七五の句を作り・・・・という具合で、たくさんの句を連ねていくものです。
ここで五七五を受けて七七を作る方は、合わせて五七五・七七となってすんなり読めるのですが、七七を受けて五七五を作る方は、合わせたものをそのまま七七・五七五と読むのか、ひっくり返して五七五・七七と読むのか、というのがちょっと疑問でした。

この野田泉光院では宮本常一は明確に、七七に五七五を付ける時はひっくり返して五七五・七七と読むんだと言っています。これは何となく私が今まで理解していたことと一致するのですが、ちょっと確信が持てません。
以前にも何かの機会に同じことを考え、ネットでいろいろ調べてみたんですが、何ともはっきりしないまま終わってしまったことがありました。

ひっくり返して五七五・七七と読むにしても、そのまま書いてある通りに七七・五七五と読むにしても、どちらもごく自然なやり方ですから特に説明することもないということでしょうが、連歌の説明をしているサイトを見ても、もっと難しいいろいろなルールの解説はあるんですが、こんなに基本的で簡単なことの説明はなかなかありません。

でも今度こそは何とか決着をつけようと思って調べ続けて、ようやく確認できました。やはり五七五に七七を付けた時でも七七に五七五を付けた時でも、読むのは五七五・七七と短歌にする、ということのようです。

この最初にどちらか一方があって、もう一方を後から作ることを「付ける」というようです。
短歌は前半の五七五を「上(かみ)の句」、後半の七七を「下(しも)の句」といいますが、「私の作ったこの上の句に下の句を付けてごらん」とか、「私の作ったこの下の句に上の句を付けてごらん」とか言うのは、たとえば清少納言が自分は天才的にうまく答えられたと自慢して「枕草子」に書くくらい、王朝風の由緒正しい遊びだったようです。

で、この単発の「上の句に下の句を付ける」あるいは「下の句に上の句を付ける」から発展して、連続的に上の句に下の句を付け、その下の句に上の句を付け、その上の句に下の句をつけ・・・と続けていくのが連歌ということのようです。
もちろん言葉遊びですから、これだけじゃなく他にも色々なルールを追加して、そのルールを共有している仲間内で楽しむということで、いろんな流派・流儀が出てくるわけです。
芭蕉の俳諧もそれまでの連歌のルールを変更して、新しい連歌として普及させたもののようです。

このように連続して句を付けていくことに関して、句を付けるための、既に与えられた目標の句を「前句(まえく)」といい、その前句に付ける句を「付句(つけく)」とよびます。前句が五七五なら付句は七七、前句が七七なら付句は五七五です。
この付句ができた所で、今度はその付句を前句として新たな付句を付けることになります。それができたらまたこれを前句として付句を付ける・・・というわけです。

ですから前句が七七の時は付句は五七五で、この両方をセットで読むときは五七五・七七にするために付句の方が前に来て、前句の方があとに来ることになります。「前句と付句がセットで短歌にならなくちゃいけない」と芭蕉が明確に規定している、とのことです。短歌は五七五・七七で、七七・五七五じゃ短歌になりませんからね。

「前句」というのは付句を付けるために前もって与えられている句という位の意味になるようですが、前句という言葉から「前に置かれる」という気がして、前句が七七で付句が五七五の時、七七・五七五と読むのが正しいみたいな誤解も生じるのかもしれません。
実際本に書いてあるのは、縦書きならそれぞれ1行ずつ前句の左(次の行)に付句、それが前句になってその左に付句となっていますし、横書きの場合は前句の下の行に付句、それが前句になってその下の行に付句となりますから。

連歌ではなく、一つの前句を決めて、これに対して大勢の人からたくさんの付句を集めるという遊びが「前句付け」というものです。この前句も五七五でも七七でも良いのですが、七七を前句にして五七五の付句を作ってもらう方が面白いので、この方式の前句付けという遊びも江戸時代に大流行したようです。
「川柳」というのは柄井川柳という人が主催した、この七七の前句に対する五七五を集めたものです。その前句の七七は「わらいこそすれ わらいこそすれ」とか「きりたくもあり きりたくもなし」とかですから、ある意味どうでも良いようなものなんですが、そのうち前句の七七はなくても構わないということになり、「前句なしの前句付け」の川柳が五七五の形で出来上がったようです。

その意味で、俳諧の連歌のスタートの一句目の発句から始まった俳句とは、全く別物なんですね。
でもどちらも五七五ですから、やはり次第に同じようなものになるのは自然なことかも知れません。
今時俳諧の連歌をこれから始めるぞ、なんてつもりで俳句を読む人もいないでしょうし、前句はなくても前句付けだと思って川柳を作る人もいないでしょう。

いずれにしても積年の(というほど長いわけじゃありませんが)疑問が解決してメデタシメデタシです。ここに書いておけば、もう忘れることもないでしょう。

それにしてもあまりにも「当たり前と思える事」というのは、わからなくなると本当にわからなくなってしまうものですね。
何が当たり前かというのは、当人が当たり前と思っているとなかなか意識しないものですから、それだけ気をつけなければいけないなと思います。

そういえば前句付けについて、お題の七七が前句で、その付句が川柳になるのですが、川柳が上の句・お題が下の句になっているので、前句付けを「お題の前に付ける句」という意味に解釈して、お題が後句で川柳の方が前句だと説明しているサイトもありました。
前句の意味が逆転してしまっているんですが、インターネットで誰でも好きなことを発信することができる時代というのは、こういう風に話が変わってしまう危険がありますね。

野田泉光院

火曜日, 7月 12th, 2011

以前宮本常一に関する本を読み、ついでに宮本の書いた本を読んだ話をしました(このブログで書いたつもりだったんですが、探してみたらみつかりません。書いたつもりでそのままにしてしまったんですね。宮本常一というのは日本の民俗学者というか民俗研究家で、日本の各地の暮らしぶりをその土地土地の人から聞き取るため、ほぼ日本中を津々浦々まで歩いて回った人で、その記録を本にした膨大な著作があります)。

こんなことを書くと(で、結局書かなかったんですが、たしか国富論を読んだとき、国富論が面白かったという話と宮本常一が面白かったという話をしたような気がします)、早速同じような宮本常一に関する本、宮本常一の書いた本を持って来て、「これも読め」「あれも読め」と言ってくれる親切な友人がいます(保険の業界紙の社長さんです)。

もちろん断るわけはありませんが、こちらも古文や漢文の参考書を読んでみたり「資本論」や「経済学批判」を読んでみたりで、結構読む本はいろいろあります(もちろん読む本の順番が決まっているわけではないので、行き当たりばったりで読んでいるんですが)。

で、持ってきてくれた本はしばらくデスクの上に「積ん読」ということになるのですが、ようやく一冊読み終わりました。宮本常一「野田泉光院―旅人たちの歴史1」という本です。思った通りとても面白くて一気に読んでしまいました。

この「旅人たちの歴史」というシリーズは、昔の人の旅日記を読みながら、そこから読取れることを考えてみようというシリーズで、3巻くらい出ているようです。

この第1巻の中味は、芭蕉の「奥の細道」と野田泉光院の「日本九峰修行日記」に関する解説です。

「奥の細道」の方は芭蕉の「奥の細道」と、それに同行した曽良の「随行日記」を読み比べながら、芭蕉の旅がどのようなものだったか確認するというものです。

「奥の細道」が格好良く、ワビサビの世界で実はフィクションの世界になっているのに対して「随行日記」の方はノンフィクションで現実を記録していて、江戸時代の旅が普通考えるよりはるかに豊かに自由にできること。どこへ行っても俳諧の仲間が集まってきて、飲食も宿も用意してくれる。次に行く所の知人への紹介状も用意してくれて、ほとんど金もかからずに旅ができる様子が良くわかります。

その次の野田泉光院というのは山伏というか修験道のお寺の住職さんで、56歳の時に引退してあとを譲って隠居し、それを機会に全国の山伏寺の状況を見るために旅に出た、その旅日記です。

「泉光院」というのはお坊さんとしての院号で、たとえば戒名で○○院○○居士などという場合の「院」と同じですが、お坊さんなので生きているうちから院号が付きます。要するに旅をした主人公の名前です。

九州の佐土原(宮崎のちょっと上)から始まって東北地方まで行って帰って6年ちょっとの旅で(江戸時代の話ですから九州から本州、本州から四国・九州にわたるのはもちろん船ですが、残りは全部歩きです)、その途中各国の国分寺、一の宮には原則として全てお参りし、それ以外でもお宮やお寺、名所等見物しながらあっちに行ったりこっちに行ったり、托鉢をしたりしなかったりの旅をしています。

いわゆる街道筋をはずれた道を通って、関所や番所はどれくらい通り抜けるのが難しかったのかとか、よそ者は泊めてはいけないという決まりの土地でどうやって宿を取ったのかとか、行く先々で頼まれていろんな講釈をしてるんですが、その内容が孝経だったり論語や大学だったり、あるいは茶の湯を教えたり修験道の秘伝を教えたり(秘伝だから教えられないと言うと、だから内緒で教えてくれと言われ、結局教えているようです)、ちょっと長逗留する時は障子や襖の張替えを手伝ったり、いろんなことをするんです。

茶店でお茶を飲んでお金を払おうとしたのにお金を受取ってくれなかったとか、今までずっとタダだったからタダだと思っていたのにお金を取られたとか、日記自体は非常に簡潔に書かれているようですが、そのちょっとした言葉でわかる(多分普通に読んだんじゃわからないけれど、宮本常一が読むとわかるんです)当時の暮らしの実態が、宮本常一の観察力と該博な知識で我々でもわかるように解説されていて、本当に面白い本です。

幕末維新のちょっと前の日本が、一般の民衆レベルで本当の所いかに進んでいたのか、それが明治維新・維新後の文明開化を成功させるのにどれだけ貢献したか窺わせるような解説です。

最良のガイド付きで江戸時代後期の日本の田舎を旅行しているような気分にさせてくれる本です。

もし興味があれば読んでみて下さい。お勧めです。

佐藤優さんのエッセイ

月曜日, 7月 11th, 2011

7月に入り、週刊金融財政事情いわゆる「キンザイ」に佐藤優さんのエッセイの連載が始まりました。

例の鈴木宗男さんと一緒に逮捕されて有罪判決を受けた元外務省のお役人、いわゆるラスプーチンと呼ばれた人です。

国策逮捕で有罪になった人に連載を頼むのも、金融庁の広報誌でもあるキンザイも大したものですが、その内容は期待に違わず素晴らしいものです。

7月4日号の第1回は、現在の政界事情を見事に解き明かす1冊の本の紹介から始まります。

『個々の指導者の責任が軽くなればなるほど、自分は哀れむべき程度のくせに、人並みに国民に対して不朽の努力を捧げるために招かれていると感じているものの数も多くなってくる。』

そしてその責任を果たすために、それを邪魔する自分より前にその地位について中々そのポストを明け渡そうとしない人を引きずり下ろそうとする、ということで、小泉さん以降の頻繁な首相交代を解説しています。

その上で、その本があのヒトラーの『わが闘争』の一節だと種明かしをします。

同じ本の中から
【多数はいつも愚鈍の代表であるばかりでなく、卑怯の代表でもある。百人の馬鹿者からは実に一人の賢人も生れないが、同様に百人の卑怯者からは一つの豪胆な決断も出てこない。】

という言葉も紹介されます。そしてマスコミが「誰がなっても日本は変わらない。どうしようもない」というニヒリズムを撒き散らすようになり、ヒトラーの登場につながる・・というお話です。

本物のエッセーは直接読んでみて下さい。はるかに面白いですから。

2回目の7月11日号は、沖縄の普天間問題に関して、鳩山さんのドタバタの結果、不平等の問題が差別問題に変わったということを明らかにしています。

佐藤優さんは太平洋戦争の沖縄戦の女子学生部隊の生き残りを母親にしている、半分沖縄人ですから、その議論にも説得力があります。
ここで佐藤さんが紹介しているのが、沖縄とグァムが日米の植民地となっている現状を打破するため、協力して独立運動を進めつつあるということです。

見開き2ページですから、本屋の立ち読みでも簡単に読めそうです。

もし「キンザイ」を見ることができるのであれば、是非読んでみて下さい。これから毎週このような切れ味鋭い文章が読めると思うと、楽しみです。

マルクスの『資本論』と『経済学批判』-その4

水曜日, 6月 29th, 2011

いよいよ「経済学批判」が終わって、「資本論」に戻ってきました。また始めから読み直しです。

「経済学批判」も本文が終わった所でそのあと山程の付録があるのですが、とりあえずそれは無視です。

目次を見ると「資本論」の文庫本1冊目は「経済学批判」とほぼ同じ内容になっています。「経済学批判」のあと、マルクスが大英博物館の図書室にこもって勉強した成果が「資本論」にどのように反映されているかも楽しみです。

ここでは「経済学批判」の最後の方の部分について、コメントします。

前回のコメントから、内容はマルクスの貨幣論になっているんですが、貨幣論については未だに「これだ!」という納得できる理論が見当たりませんから、マルクスの貨幣論にそれほど期待しているわけではありません。
むしろこの難問に対して、マルクスがどのように四苦八苦しているか見てみたいというのが興味の対象です。

読んでいて、途中で「支払手段」という言葉が出てきました。その前に出てきている「流通手段」という言葉に対して使われているようです。その内容は商品を買うのにお金と引き換えに買うような場合、そのお金のことを商品を流通させる手段だということで、「流通手段」と言っているようです。

商売が発達してくると、商品の売買は必ずしも商品とお金の交換ということではなく、商品の引渡しと代金の支払いが別々になっていきます。この段階で、商品の引渡しとは独立した「代金の支払いのために使われるお金」のことを「支払手段」と言っているようです。

代金を「前払いしたり後払いにしたり」というのはごく当たり前の話なので、わざわざ区別しないでもと思うのですが、理論的(あるいは哲学的)には、このように区別した方が扱やすいんでしょうね。

アダムスミスの「国富論」は、どちらかと言うとイギリスを中心とした経済が発展している国の、実際の経済活動を考察しているという内容なんですが、マルクスは経済活動がまだ発展していないドイツの人で、なかなか実際の経済活動を見ることができないので、その代りたくさんの経済学の本を読んで、その本の内容を哲学的に分析し、批判するというのがこの「経済学批判」ということなんだろうなと思います。その対象となる本はイギリス、フランスだけじゃなく、ギリシャ・ローマ時代の本まで入っていますので、大変です。私には哲学的な議論より実際の経済活動の方が面白いので、「国富論」の方が好きです。

この「経済学批判」もそうですが、「資本論」も最後に山ほどの索引が出ています。それも「事項索引」「人名索引」「文献索引」に分れていて、「資本論」の文庫本9冊目はその半分が索引になっています。

大英博物館にこもって本を読みまくった効果か、「経済学批判」に比べて「資本論」の方の文献の数は本当に膨大なものです。
仮に引用するために引用している部分だけを読むとしても、とてつもない時間がかかるだろうなと思わせるような文献の数です。

で、その引用文献の著者の中に、『マルティン・ルター博士』という人が出てきました。あれっ?と思ったのですが、年代その他から、これはやはりあの宗教改革のルターのようです。普通日本ではルターと呼び捨てで、博士なんてタイトルをつけることがないので、なおさらちょっと不思議な気がします。同じドイツの人ということなのでしょうが、私は今までマルクスとルターという組合せについては全く知らなかったので、新しい発見です。

ルターは「経済学批判」では何ヵ所か登場するだけですが、「資本論」の方ではかなりの回数登場してるのが、索引を見るとわかります。

「世界貨幣」という部分で、各国の貨幣は国境を超えては通用しないので、貨幣は金または銀の地金に変えて通用させなければならない。金や銀だけが世界貨幣なんだ・・・なんてことが書いてあります。
今のように、ドル・ユーロ・ポンド・円・元など世界各国のペーパーマネーがそのままで各国で通用する時代を見たら、マルクスは何て言うんでしょうね。

本文の最後の(注)に、

『貨幣の資本への転化は、第3章すなわちこの第1篇の終わりをなす章で考察されるであろう。』

となっているんですが、この本にはその第3章がありません。その代り「資本論」の方にはこの「貨幣の資本への転化」が第2篇となって、文庫本の1冊目にはちょうどそこまでが入っています。

まずは「資本論」文庫本1冊目、「経済学批判」と読み比べてみましょう。楽しみですね。