Archive for 6月 27th, 2011

マルクスの『資本論』と『経済学批判』-その3

月曜日, 6月 27th, 2011

「経済学批判」、その後何とか読み進んでいます。

とりあえず【第1章 商品】を読み終えました。第1章の終わりに「A 商品分析のための史的考察」という部分があり、いろんな人の説を紹介し、批判しています。
その最後にリカアドを引き合いに出して、経済学の主要なテーマをまとめています。そしてそれらのテーマについて「賃労働の理論」「資本の考察」「競争の理論」「地代の理論」で解決されると言っています。
これはマルクスがこの「経済学批判」をこのようなテーマにまで拡大発展させる予定だったということでしょうか。それは「経済学批判」の中には入っていませんが、「資本論」にはどの程度入っているのか楽しみです。

で、次の第2章は「貨幣または単純流通」という章で、貨幣論が展開されています。
それなりに面白いのですが、とにかく哲学的なクドクドシイ議論が延々と続くので、ちょっと辟易です。

ヨーロッパでは当たり前のことでしょうが、金あるいは銀をそのまま、あるいは金貨あるいは銀貨にして貨幣にしているのというのが当然のことだという書きぶりで、所々ヨーロッパ諸国で行なわれていることが、理論的にそれしかないという調子で書かれています。

日本では江戸時代、金貨・銀貨・銭貨(銅貨)の同時並行の三通貨、変動相場制というとてつもない制度を経験しており、武士も商人もそれを平然とこなしていたという歴史があります。
その目で見るとマルクスの記述は何とも視野が狭いなという気もしますが、マルクスがこの本を書いたのは幕末、明治維新の直前です。日本の貨幣制度はヨーロッパには知られていなかったでしょうから、どんなに頭の中でいろいろ考えても、知らないことについては手も足も出ないんだなと思います。
マルクスが江戸時代のことを知っていたら、どんなように思っただろう(あるいは理解できただろうか)とも思います。それほど江戸時代の商業は高度に発展した体制だったといえます。

文庫本 84頁に

『仮に金の価値が1000%下落したとしても、12オンスの金は従来通り1オンスより12倍大きい価値を持つことであろう。』

という文章があります。この【1000%下落】というのは、一体何なんでしょうね。英訳でも同様に1000%下落となっています。1000%下落するとマイナスになってしまいますから、数学的にはおかしな表現ですが、もしかするとマルクスは数学は苦手だったのかも知れません。あるいは【1000%下落】には何か特別な意味があるのでしょうか。知ってる人がいたら教えて下さい。

「商品の流通」という言葉に対して、「貨幣の通流」という言葉が登場します(文庫本123頁以下)。
「流通」というのは良く見る言葉ですが、「通流」というのは見たことがないなと思って英訳を見ると、流通も通流も「circulation」という言葉が使われています。
少なくとも英語では同じ「circulation」という言葉を商品の場合「流通」と日本語訳し、貨幣の方は商品の流れとは逆向きの流れになるので順番を逆に「通流」とした、訳者の工夫なのでしょうか。
こういう人工的な言葉を使うというのも、マルクスが神格化されて「わけがわかないけれど何となく有難い」という印象を与える効果につながっているのかも知れません。

で、「貨幣の通流」という言葉が出てきてしばらくすると、いきなり「流通手段」という言葉が出てきます(文庫本133頁)。これは何だろうと見てみると、何のことはない「貨幣」という言葉の言い換えでしかありません。

『流通する商品の総額が騰貴しても、その騰貴の割合が貨幣通流の速度の増大よりも小さければ、流通手段の総量は減少するであろう。』

とあります。英訳ではこの「流通手段の総量」の部分は「volume of money in circulation」です。「流通しているお金の量」と書いてあるわけです。
こんなのをいきなり断りもなく「流通手段」なんて言われちゃあ困ったもんだなと思います。

というわけで「経済学批判」あともう少しで終ります。今の所、何とか続いています。