ケインズが「一般理論」を書いたのは1936年ですが、その5年くらい前に「貨幣論」を書いています。
これは古典派の考えに従って書かれたもので、当時ケインズは「古典派の旗手」のような位置にあったようです。その5年後に、今度は「一般理論」で古典派をケチョンケチョンにするわけですから大変です。古典派からすればケインズは、大変な「裏切り者」ということになります。
このように思想・考え方を変えるのを「転向」と言いますが、その昔キリシタンが転向してキリシタンをやめると、『踏み絵』でキリストやマリヤの絵を踏みつけなければなりませんでした。戦前、共産主義思想に心酔していた学生さん達が特高警察にいじめられて共産党をやめる時は「転向宣言」をして、多くは右翼とか国粋主義とかに変身しました。
そんな意味でこの「一般理論」というのは「転向宣言」の本なんですね。だから必然的に、ケインズはこの本で古典派をケチョンケチョンにしなければならなかったということのようです。
つい何年か前まで古典派の代表的な論客だったケインズですから、ケチョンケチョンにするのは難しくはなさそうですが、ケインズの言葉によるとこの古典派の経済学というのが何とも大変なもののようです。言葉を明確に定義しない、理論の大前提になる『これは間違いなく正しいよね』という考え方も明確に示さない、そしていきなりもっともらしい結論が出てくる、というようなものだったようです。
そのためこれをやっつけようとすると
「古典派ではこれこれと言っている。このように言うということは、これこれのことを大前提にしているということになる。それではその大前提は正しいかというと、これこれの理由で間違っている。あるいはこれこれの、現実にはまず起こりっこないような特殊な場合だけしか、その理論は成立しない。」
というような議論にならざるを得ないということのようです。
「一般理論」の最初に書いてあるのですが、『この本は「転向宣言」のための本なので、一般の読者に自分の考えをわかってもらおうとして書いた本ではなく、経済学者(特に古典派の経済学者)に向けて(古典派をケチョンケチョンにやっつけるために)書いた本だ)』、ということになっています。
ですからお互い古典派の細かい所まで知っている者同士が重箱の隅をつつくような議論も時には必要になり、それもあって「一般理論は難解だ」ということになってしまっているようです。
そんなわけで、古典派の理論とは無関係にケインズの考えをそのまま出しているようなところは読んでいても気持ちがいいくらいにわかりやすいです。
この「古典派」という言葉、私なんかは何となく「古典」という位だから皆が尊敬する昔の考え方ということかなと思ってしまうんですが、まるで大違いです。マルクスが『資本論』を書くにあたって自分以外の当時主流の経済学のことを『自分だけは先に行っているけれど、残りの連中はまだ古臭い考え方のままだ』ということで『古典派』という言葉を使い始め、その後何十年もたったケインズの時代でもまだその古典派が当時主流の経済学だったものを、ケインズが転向宣言で再び古典派と言ったということのようです。
ですからマルクスにとってもケインズにとっても、古典派の経済学というのはごく新しい(だけど自分の考えからすれば古臭い)考え方ということのようです。
「一般理論」の最後の方には「重商主義」についてのコメントがあります。「重商主義」というのは古典派の前に主流だった経済学なんですけれど、ケインズによれば、『重商主義者は問題の存在は察知していたが、問題を解決するところまで分析を押し進めることができなかった。しかるに古典派は問題を無視した。』ということで、十分な分析をするだけの理論がなかったので、問題を無視し、誤った前提に立って精緻な(?)理論を組み立てた古典派によって完膚なきまで叩きつぶされてしまった、ということのようです。
その重商主義についてケインズは、
「確かに重商主義には理論はなかったが、現実をしっかり踏まえていた。古典派は理論はあったが、それは間違った前提にもとづいた間違った理論だから、何の役にも立たない。古典派にやっつけられてしまった重商主義の方がはるかに真っ当で正しい考え方だ。」
という具合に、さらに古典派に追い討ちをかけてやっつけ、重商主義を復活させています。