Archive for 5月 22nd, 2014

安保法制懇 報告書

木曜日, 5月 22nd, 2014

集団的自衛権に関する『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』の報告が出て、安倍さんが早速憲法解釈を変更すると発表し、賛成派・反対派それぞれいろいろ議論を始めています。

反対派のほとんどの人は朝日新聞や赤旗の記事を鵜呑みにしていて、報告書を読もうとする人はほとんどいないでしょうし、賛成派の人も解釈変更なんか当然の話だ、とばかりに報告書を読む人は多くないでしょう。そう思って、そのような人達の代わりにこの報告書を読んでみました。
報告書は
  http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou2/dai7/houkoku.pdf 
にあります。表紙と目次と本文43ページのものですから、この手の報告書としてはそれほど大部でもありません。

読んでみて、思いがけず良くできた報告書だったので紹介します。

この議論、政府が勝手に解釈を変えるのは実質的に憲法改正の手続きをしないで憲法改正をすることになるのでケシカランという強い反対があるのを踏まえ、この報告書ではまず初めにこの自衛権あるいは憲法9条について、現在の日本国憲法ができた時から今まで70年近く、どのように政府の解釈が変更されてきたかということを丁寧に説明しています。

すなわち最初は文字通り個別的自衛権も集団的自衛権もなしで、全ては連合国軍あるいは国連軍に任せておけば世界の平和は保たれるので、当然軍隊も持たなくて良いという夢のような話から、その後夢からさめてやはり自衛権はあるよな、軍隊も必要だよな、となり、念仏のように自衛のための最小限の兵力と言ってみたり、集団的自衛権は持っているけれど使えないなんて分けのわからないことを言ってみたり、これまで解釈が大きく何度も変更されたのに対してそれについては憲法改正だ、とは言わずに、今度の変更に対して現状の解釈と比べて変更することに反対する(すなわち現状の解釈まで何度も変更されたのは良しとして、更なる変更だけを否とする)というのは、確かにおかしな話です。

次に憲法9条を解釈するにあたっての基本的な考え方を説明しています。安倍さんの言う『積極的平和主義』というのが一体何なのかも説明してありますので、良くわかります。すなわち憲法制定時の理想を憲法前文から読み取って、それを現在の現実に即してできるだけ実現するように努力しようということです。

ここで憲法前文が引き合いに出されているのをつかまえて、憲法前文は憲法じゃないなんて訳のわからないことを言う人もいるようですが、そんな話は歯牙にもかけていないようです。

次に憲法解釈の変更が必要となっている事情が説明されています。

憲法には『戦争放棄』と書いてありますが、その当時の、国と国とが大砲を打ち合うのが戦争だ、という話は、状況が大きく変わっています。アメリカの9.11のように相手が国だか国じゃないんだか分からなかったり、サイバーテロのように大砲でも爆弾でもなく単にコンピュータに電子的にアクセスをしかけるだけだったり、これが戦争なのかどうか、それに対応するためのものは武器なのかどうかもはっきりしない中で、憲法9条を解釈するというのはなかなか大変です。

で、次に具体的事例をいくつか挙げて、それに対してどうしたら良いか検討します。どうしたら良いか、というよりむしろ、しかるべく行動しようとして、現行の憲法解釈ではどうしてその行動ができないと解釈されてしまうのかが説明されます。

その上で最後に、どのような憲法解釈を取るべきなのかという提言があります。

もちろん憲法解釈の変更に反対する意見もあるのはわかりますが、その反対意見については、この報告書を読んだ上で、どこの部分にどう反対なのか、また具体的事例についてどのように行動すべきだと考えるのか、その行動が現行の憲法解釈でどのように可能なのか、というあたりについて、具体的に説明してもらうと、身のある議論ができるのではないかと思います(そんな議論になる望みはほとんどないですが)。

『解釈を変更しなくても大丈夫』という公明党も、この報告書には現行解釈ではどうしてダメなのか書いてあるので、それを踏まえて良く検討されると良いですね。

これを読んでいて、去年の暮から今年の初めにあった南スーダンのPKOで自衛隊が韓国軍に弾薬を貸した話を思い出しました。

あの時は『せっかく貸してやったのにお礼の一つも言えない無礼な国だ』という話で終わってしまったような気がしますが、あの時韓国軍がその弾薬を使って南スーダンの反政府軍と打ち合いでもしていたら、大変な憲法論議になっていたのかも知れないなと、この報告書を読んで今更ながら気がつきました。何しろ解釈の仕方によっては、日本が攻撃されているわけでもないのに韓国軍と一緒になって南スーダンの反政府軍と戦争した、ということになってしまうんですから、いわゆる護憲派の憲法解釈なんか、一発で吹っ飛んでしまったかも知れません。

南スーダンのPKOはまだ終わった話じゃありませんから、いつまた何が起きるかわかりません。中国も北朝鮮も韓国も、突然何をやり出すかわかりません。どこかの正体不明なテロリストがやって来るかも知れません。念仏を唱えている時間はないんですから、早急に検討が進むと良いですね。

とはいえ、今の自民党政権であれば、憲法解釈がどうなっていようと、いざという時にはそんなものに足を取られないで即座に必要な行動をするでしょうから、その意味ではそんなに心配しているわけではありません。憲法解釈なんてその時に即座に変えてしまえばそれまでのことなんですから。

『統計学が最強の学問である』

木曜日, 5月 22nd, 2014

『統計学が最強の学問である』という本を読みました。

何か知らないけれど統計学の方がベストセラーになっているということで、読んでみようと、図書館で予約し、1年がかりでようやく借りることができました。さいたま市立図書館にはこの本の在庫が20冊もあるんですが(図書館自体、分館も入れると24もあります)400人以上の予約が入っているので、今から新規に予約したらやはり1年位は待つことになりそうです。

で、本の中身ですが、タイトルとはまるで違います。統計学が最強の学問であるなんてことは言ってません。統計学の本でもありません。本の趣旨は統計学や統計データに騙されないため、統計学や統計データの取扱についてそれをどのように理解したら良いか判断する能力(リテラシー)が大切だということのようです。あるいは統計を使ってかなりいい加減な主張をする人も多いから、気を付けなければいけないということのようです。

ですからこの本を読んで、統計学がわかるわけではありません。統計リテラシーが身につくわけでもありません。リテラシーが大切だということが、何となく分かるだけです。でも統計や統計学に関するいろいろな話題が盛りだくさんに紹介されているため、読んでいるうちに何となくわかったような気持ちになるかも知れません。

実際に統計学の説明をしているわけではないので、その分気楽に読めます。正確な知識は得られなくても、統計や統計学に関するいろんな言葉を覚えることができます。この本を読んで興味を持ったら、今度はちゃんとした本で勉強するという読み方もできそうです。

ある程度統計学を知っている人は、楽しく読めるかも知れません。統計学を知らない人は、統計学についてきちんとした説明なしで新しい言葉が次々に出てきて議論がどんどん進んでしまうので、もしかすると途中で読みたくなくなってしまうかも知れません。

この本の後ろの方では『統計家たちの仁義なき戦い』(これもすごいタイトルですね)として、6つのジャンルの統計家の統計に対する姿勢・統計の考え方の違いについて書いています。すなわち社会調査を仕事とする統計家・(医学の一部の)疫学や生物学の分野の統計家・心理統計家・コンピュータを使ってデータマイニングをする統計家・計量文献学などテキストマイニングをする統計家・計量経済学を専門とする統計家、それぞれ考え方もバラバラでお互いにお互いの統計の考え方の批判をし合っているようで、これで本当に一つの統計学としてのまとまりが可能なのかという気もしますが、部外者からするとなかなか面白い見物(みもの)です。

この本が他の出版社から出ていたとすれば、多分ほとんど売れなかったんじゃないかなと思います。ダイヤモンド社が出版したということでベストセラーを作る、出版した本を無理やりベストセラーにしてしまうという意味で、さすがにダイヤモンド社というのはすごいなと感じました。