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宮澤俊義『天皇機関説事件』

火曜日, 7月 14th, 2015

先週、この本についてコメントした時はまだ上巻の最初の方しか読んでませんでした。今でもまだ上巻の半分くらいまでしか行ってないんですが、ちょっとコメントします。

読むのに時間がかかるのは、引用されている部分が多いからです。
前回紹介した時はまだ1911年頃の話で、明治から大正に変わるあたり、天皇機関説に関する論争があったのですが、主として美濃部さんと上杉さんという憲法学者同士の論争で、その中に他の憲法学者その他も口を出すというくらいの話でした。

それが1935年、昭和10年になっていよいよ『天皇機関説事件』という事件になります。ここでの登場人物は国会議員(貴族院議員)、新聞、軍人、その他と多様になり、引用されているのも議会の議事録なり新聞記事なりで、なかなか時間がかかります。

美濃部さん側のものは『一身上の弁明』という有名な演説で、天皇機関説についてみごとに説明しているものです。

この演説があまりにもみごとなのでそれがかえって火に油を注いだような形になり、天皇機関説批判がその後大きく燃え広がり大騒ぎになるのですが、このあたり反天皇機関説の主張を読んでいくと、今の憲法学者が安倍さんの安保法案に反対しているのと良く似ていてとても面白いです。

この途中で、時の有名人の徳富蘇峰が介入して『自分は天皇機関説なんぞ読んでいないけれど、天皇機関説には大反対だ』とボロクソにけなす、なんてこともあります。今のいわゆる文化人とか有名人とか称する連中が安保法案反対で訳も分からず大騒ぎしているのと比べ、昔も今も同じだなと思います。

この本を読んでいる過程で、そういえば大日本帝国憲法(長いので以下『帝国憲法』ということにします)をまともに読んでいないなと思い、帝国憲法と今の日本国憲法の対比表などを作りながら読んでみました。比べてみると本当に良く似ていて、美濃部さんが『日本国憲法など作らなくても帝国憲法の解釈を変えれば十分だ』と言ったというのもなるほどナ、と思ったりしました。

で、帝国憲法の第3条には『天皇は神聖にしておかすべからず』というのがあります。これを見てなるほどなと思ったのは、日本国憲法では天皇は神様でなくなってしまったので、もはや『天皇は神聖にしておかすべからず』と言うことはできなくなってしまって、その代わりに憲法学者達は『憲法は神聖にしておかすべからず』という条文を暗黙のうちに日本国憲法に挿入してしまったんだな、ということです。

このように考えると、いわゆる立憲主義の憲法学者達が憲法改正に気が違ったように反対するのも良く分かります。『天壌無窮の天皇制』というのも、そのまま『憲法9条は永遠の真理であり、未来永劫大切に守っていかなければならない』ということになります。それにしても1935年(昭和10年)というのは、明治維新からたかだか70年位のものです。70年も経つとその前の江戸時代、天下の将軍様は誰もが知っていても、天皇など多くの人が知らなかったり意識もしていなかったなんてことが簡単に忘れられ、それこそ何千年も前から日本は天皇が統治する国であり続け、未来永劫そのまま続くということになってしまうんですね。

今年は戦後70年ですから、敗戦から今まで、明治維新から天皇機関説事件までと同じくらいの年数がたっています。これだけの年数がたつと戦前のこと、憲法9条ができる前のことなんてのも簡単に忘れられちゃうんですね。

この天皇制、日本独自で世界でもっともすぐれた制度だという主張と、憲法9条は世界に類を見ない日本だけのもので、こんな素晴らしい憲法の規定を持っているのは日本だけだという主張と良く似ています。さすがに憲法9条は何千年も前からというのは無理ですが、その代わりに聖徳太子の17条の憲法を持ち出して、『日本は大昔から平和憲法の国であり、この平和憲法は未来永劫変わらない、変わってはならない』ということになります。

ということで、立憲主義の憲法学者というのは、天皇機関説排撃を唱えて天皇主権を主張し、天皇の前では憲法など何ものでもないと言っていた連中と同じことだ、と考えると良く分かりますた。

で、天皇機関説に反対する彼らにとって、本当に大事なのは現実の天皇ではなく、彼らのオミコシに乗せてあるご神体の天皇であり、また立憲主義の憲法学者達にとって大事なのは、現実の憲法でなく彼らのオミコシに飾ってあるご神体の憲法です。

天皇機関説では、美濃部さんは帝国憲法に定める天皇について語っているのに対し、それを潰そうとする人達は自分達のオミコシに乗っているご神体の天皇について語っています。

安保法制で安倍さんの自民党の政治家達は現実の日本国憲法について語っているのに対し、憲法学者は自分達のオミコシに乗っているご神体の憲法について語っています。

ここで美濃部さんを潰そうとする人達が『オミコシのご神体の天皇と現実の天皇は別だ』とは一切言わないように、立憲主義の憲法学者達も『オミコシのご神体の憲法と現実の憲法は別だ』とは一切言わないことになっています。

このため常に議論がかみ合わないことになります。

まぁ別の話をしてるんだ、と言ってしまえばそれで話は終わってしまいますから、天皇機関説を排撃することもできないし、安保法制を憲法違反だと批判する事もできなくなってしまうので、分かっていながらご神体の天皇と現実の天皇、ご神体の憲法と現実の憲法をわざとごっちゃにして話しているんだということを隠しているんでしょうが、そのあたりの事情が分からない人がついうかうかと乗せられてしまって目を吊り上げて一緒に大騒ぎをするというのは、何やら可哀想な気がしますね。

天皇機関説事件、まだ昭和10年の3月あたりです。これから真崎大将の教育総監罷免、相沢中佐の永田鉄山殺害、と続いて昭和11年の2.26事件に続きます。そしていよいよ太平洋戦争に突入し、敗戦、戦後になるわけですが、この本、まだまだ当分楽しめそうです。