参院選のマニフェスト

6月 21st, 2010

通常国会が終わり、いよいよ選挙に突入ですね。

国会の終わりは鳩山さん・小沢さんの二人が一緒にやめてしまい(とはいえ、党首・幹事長を辞めただけで、議員を辞めたわけではありませんが)、その後菅さんが組閣に十分時間をかけ、結局何もしないで国会を終えてしまいました。

菅さんも何も言わないうちは野党も攻撃の糸口がなくて攻めにくいでしょうが、選挙となれば何も言わないというわけにはいかないので、いつまで我慢できるかという所でしょうか。

選挙に向け、各党とも(共産党を除き?)マニフェストを作って発表しているようです。前の衆院選の民主党のマニフェストの主だった所が殆ど実施されることなく、また党首が変わればマニフェストも大幅に書き換えられ、それに対して党として何の責任も取らない(鳩山さんは個人として責任を取ったという位のことは言えるのでしょうが)ということがはっきりしているのに、ここでまた何の根拠もなく何も担保しないマニフェストを書き並べてみて何の意味があるんだろうと思いますが、マスコミにとってはあーでもない、こーでもないという記事の絶好のネタになりますし、マスコミにそっぽを向かれないためには、各政党もせっせと協力してマニフェスト作りに励むということになるんでしょうね。

この「マニフェスト」という言葉も、もうかなり手垢の付いた薄汚れたイメージになってしまっていますので、今度の選挙には間にあわないでしょうがその次の選挙あたりでは、何かまた別の言葉が使われるようになるのかも知れません。

日本語というのは(日本語だけでなくどこの言葉も多かれ少なかれ同じようですが)、言葉は使い捨てされますから、使い古されて薄汚れた言葉は捨てられ、新しい言葉が新しいイメージで使われるようになります。民主党が率先してマニフェストを捨てるわけにはいかないでしょうから、野党のどの党が、どこの国のどんな言葉をマニフェストの代わりに出してくるか、楽しみですね。

一物一価の原則

6月 16th, 2010

今から33年前生命保険会社に入社し、アクチュアリーの勉強を始めた頃習ったのが、この言葉です。

『同じ物をある会社は高く売り、ある会社は安く売るとする。買い手の方は当然安い方の会社から買うことになる。値段の高い方の会社はその価格じゃ商品を売ることができないので、仕方なく値段を下げることになる。
もし値段の高い方の会社でその物が売れるとする。値段の安い方の会社は、値段を高くしても売れるのであればその方が儲かるので、売値を引上げることにする。
このようにして、値段の高い会社は値段を引き下げ、値段の安い会社は値段を引上げることになる。その結果その商品はどこの会社で買っても同じ値段になるまで、値段の上げ下げが繰り返される。
結果的に、一つの物やサービスはどこで買っても同じということになる。その値段より高い値段で売ろうとする会社はちっとも売れないで儲けが出ない。その値段より安い値段で売ろうとする会社は、値段を安くした分儲けが少ないので、長い間その値段を維持することができない』
というくらいの意味です。

またこの言葉には『同じ物をよその会社より高く売って余計に儲けようとするのはケシカラン』というような意味も入っていたようです。

会社に入るまで、経済のことや商売の事など何も知らず関心もなかった私にとって、この話は衝撃的でした。
『なんて素晴らしい理論だろう。なるほど世の中というのはこういう風にできていて動いていくんだ。いろんな物の値段はこういう具合に適切な所に決まっていくんだ。世の中にこんな合理的でしかも公平な理論があったとは』と感激したのを覚えています。

この『一物一価の原則』という迷信・呪縛から抜け出すのに何年くらいかかったでしょう。多分十数年はかかったんじゃないでしょうか。

今では『どこの世界に一物一価なんてものがあるんだ。その時その時、その場その場で物の値段は変わるものだし、そもそも「同じ物」なんてものがあるかどうかもわからない。場末の居酒屋で飲むビールと高級ホテルのレストランで飲むビールは同じ一物なのか、好景気でボーナスが10ヵ月分出た時の1,000円と不景気で給料が半分に減らされた時の1,000円とは同じ一価なのか・・・』とようやく目が覚めた思いです。

そもそもこの『一物一価』というのは、売る立場の原則だったのか買う立場の原則だったのか、それとも両方の立場で成立する原則だったんだろうか、そんなことも考えています。

私と同じ世代のアクチュアリーはもうほとんど引退(偉くなって現役でなくなったか、高齢で本当に引退してしまったか)しているので、世代交代と共にこんな迷信も消えていくのかも知れませんが、今でもこの原則を正しいと信じている人もいるし、そんな人に教えられて新たに信じているいる人もいるかも知れません。

何も知らないで素晴らしい理論を説明されると、つい軽々それを信じ込んでしまいます。それが迷信だったりすると、そこから抜け出すのは大変です。

場合によると、余程ひどい目に合わされないと目が覚めないかも知れません。目が覚めるまで10数年かかったとはいえ、それくらいで目が覚めてよかったと言えるのかも知れません。

サッカーの賭け

6月 15th, 2010

ワールドカップ日本第一戦。日本はカメルーンに1-0で勝って良かったですね。
当日の昼頃、インターネットでイギリスのブックメーカーによる掛け率の記事が出ていました。
日本勝利は3.75倍、カメルーン勝利は2.1倍、引き分けが3.1倍の掛け率だということです。
この掛け率はどのようにして計算するんでしょう。この例で考えてみましょう。
日本の勝ちに賭けるのがA円。カメルーンの勝ちに賭けるのがB円。引き分けに賭けるのがC円だとします。全部で(A+B+C)円の賭け金が集まります。そこから賭け金全体に対してk倍のテラ銭を取るとしましょう。テラ銭を差引いた残りは
(A+B+C)×(1-k)円です。これを賭けに勝った人で山分けすると考えると、日本が勝ったら、それに賭けたA円は(A+B+C)×(1-k)円になって返ってくるんだから

同じように

となります。
これから

これを全部合計すると

これから

だいたい6%くらいのテラ銭ですね。
また

すなわち日本の勝ちに賭けたのは、全体の賭け金の1/4だけだったということですね。
テラ銭がなければ賭け金は4倍になって返ってきたんでしょうが、テラ銭があるので3.75倍にしかならなかったということですが、賭けに勝った人も賭けなかった人も、いずれにしてもおめでとうございます。

暗黒星雲の恐怖 (その1)

6月 10th, 2010

約1年前、「ハラダシ病」という病気で突然の入院をし、多くの人に色々ご心配をおかけしたりご迷惑をおかけしたりしました。「目が見えなくなって、もう仕事が続けられない」とか「片目は義眼になって伊達政宗みたいに眼帯してる」とか、色々面白い噂も流れたようです。

ある保険の業界紙から記事の投稿を依頼され、内容は何でも良いからということだったので、その入院の顛末を書かせて貰おうかと提案したところ、即座に断られてしまいました。保険の話とは何の関係もない私個人の入院の話ですから、有料で読者に買ってもらっている新聞にそんなものを載せるわけにはいかないというその業界紙の編集者の判断は、まっとうなものだと私も思います。

そこでその代わりに、このページに何回かにわたってその入院の顛末記を載せようと思います。名づけて「暗黒星雲の恐怖」始まり始まりです。

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2009年5月28日木曜日

生保各社の決算も発表され、それをまとめて分析する前に所々つまみ食いで資料を見ていました。

夜も10時を過ぎて、会社はもう皆帰宅して私一人落着いて数字を眺めていました。手洗いに立って(私の会社の入っているビルは築80年の由緒正しいなかなか雰囲気のあるビルで、トイレの扉には「男子洗面所」と書いてあります)ホット一息ついていると、視界の左下の方に何か黒いものが見えます。

良く見てみると、トイレの白いタイルの向こうに真っ黒な雲のようなものが見えます。その形はその昔SF小説をたくさん読んでいた頃、挿絵で見たことのある暗黒星雲(「オリオン座馬頭星雲」なんていうと、懐かしくないですか)にそっくりな雲です。

アレッ?と思って見直してみても、目をパチパチとしてみても、それは消えません。数字をずっと眺めていて急にトイレに来たので、何かの残像かと思ったのですが、その影が薄れる様子もありません。じっと見ていると、暗黒星雲のかなたから宇宙船に乗って宇宙人が攻めて来るような気もします。

何だか良くわからないけれどしばらく様子をみてみよう・・・と用を足し終わったトイレを出て、またしばらくオフィスで数字とニラメッコ。何かの残像だったらいくら何でももうそろそろ消えてる頃だなと思ってまたトイレに行くと、やはり同じような所に同じような暗黒星雲が見えます。

良く見てみると、トイレの白いタイルがバックだと暗黒星雲ははっきりと見えているのですが、そうでない所ではコントラストがはっきりとはしないものの、やはり同じ位置に同じ暗黒星雲が見えます。

こんなの見たことありません。何だろう・・・とは思っても、何も思いつきません。こうなったら仕方がないので一晩様子を見てみようと仕事をやめ、家に帰って寝てしまいました。(続く)

i-padとi-phone

6月 9th, 2010

i-padが鳴り物入りで発売されました。なかなか面白い機械のようですが、今の所テレビのコマーシャルや紹介番組を見る限り、ゲームと本を読むための機械のようですね。

「高性能ゲーム機」と考えると、5万円という値段はお手頃かも知れません。

私は本を読むのはやはり紙の本を読みたいので、こんな機械で本を読みたくありません。またゲームも普通のPCに付録で付いているもので十分満足しているので、そのために5万円も払おうとは思いません。

i-padを今次々に買っている人のうち1年後にどれくらいの人が、どんな目的で使っているかレポートしてくれると面白いですね。

i-padの方はまだ電車の中で使っているのは見ていませんが、i-phoneの方はかなり増えてきたみたいで、電車の中でも良くみかけるようになりました。見ているとi-phoneを左手で持って、右手の人差し指でタッチしたりこすったり、親指と2つで広げたり縮めたりしているようです。

いわゆる携帯の、右手で持って右手の親指で目にも止まらぬスピードでキー入力しているのと大分様子が違います。

私は普通の携帯でもメールを打ったりは左手で持って右手の人差し指でポツンポツン打つしかできないので、親指打ちにはちょっと恐れをなしていたのですが、i-phoneの登場で少しだけ肩身の狭さが少なくなったような気がします。

菅さんへの期待 60%

6月 8th, 2010

アレヨアレヨと言う間に鳩山・小沢体制が終わってしまいましたね。最後に鳩山さんが小沢さんを道連れに無理心中したあたりは、なかなか見所がありました。

その前、鳩山さんが「国難」という言葉を使った時、何を指して「国難」と言っているのか全くわからなかったのですが、まぁ考え方も言葉の使い方も独特な人の発言ですから、あまり気にする必要もないのかも知れません。

その後を受けて民主党の代表に選ばれた菅さんですが、世論調査で「期待度60%」という結果が出てびっくりしました。

とはいえ落着いて考えてみれば、これは驚くような話ではないのかも知れません。今の所、菅さんは代表になってから実質的に何も発言していませんから、その分世間は何でも期待することができます。もちろんこの期待は、実際に菅さんが発言を始めた途端次々に裏切られることになるでしょうから、期待度も一気に落ちることになるんだろうなと思います。

菅さんあるいは民主党が抱える問題は、そう簡単に皆が満足する解決策を出すことはできません。そこで解決策を具体的に提案するまでは、皆がそれぞれ自分にとって都合が良い案を発表してくれると期待することができるけれど、具体的に何かの案を発表してしまったら、その案以外を期待していた人は「期待を裏切られた」ということになるのでしょう。

いずれにしてもあと1ヵ月かそこらで選挙ですから、大急ぎでマニフェストを作り直さなければなりません。これからこの60%を超える期待度がどのように変化していくか楽しみです。

新機軸第2弾

5月 30th, 2010

アクチュアリーの練習帳、10年目の新機軸第2弾はブログです。

何をいまさら、という気もしますが、はやりのツイッターはどうも気に入らないので、ブログを新規に始めることにしました。

実は知る人ぞ知る『アクチュアリーの練習帳 プログ版』というものもあるのですが、これは外部の無料のブログサービスを使っているもので、物は試しと始めてみたものです。

いくつか記事を書き込みましたが、その後ずっとほうりっぱなしにしています。

今回ホームページのサービスプロバイダーを変えた所、そこでは標準的なプログソフトのMovable Type やWordPressが簡単に使えるようになっていました。

どうも最近はMovable Type よりWordPressのほうが人気が高いようなので、そちらを使ってみることにしました。

以前の『アクチュアリーの練習帳 プログ版』の中身もおいおいこちらに移す予定です。

考えてみれば『アクチュアリーの練習帳』をはじめた当時、生命保険会社勤めを辞め、これからは何でも思ったとおりに言いたいことがいえるぞ、と考えてはじめたのですが、実際はなかなか発言ができず、『アクチュアリーの練習帳』も閑古鳥が鳴いていたり、山ほどのスパム投稿の固まりになっていたりしました。

これからは心を入れ替えて、新しい気持ちでできるだけ頻繁に更新していきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

【国家の品格】

11月 8th, 2006

総理大臣が小泉さんから安倍さんに交代し、話題も「国家の品格」から「美しい国日本」に移っています。そろそろ藤原正彦さんの「国家の品格」についてコメントしても良い頃かなと思います。
この本がベストセラーになって大きな話題になったのは知っていますが、特に読みたいとも思いませんでした。しかし何人かの知り合いからはなぜ読まないんだと責められました。

この本は数学者の書いた本がベストセラーになったという大変珍しい本です。世間一般では大学で数学を専攻した人もその延長線上で数学者になった人も同じよ うなものだと思っているようです。私も他の多くのアクチュアリーと同様、大学で数学を専攻しています。大学で数学を専攻した人間が仲間の数学者の書いた本 がベストセラーになったのにどうして読もうとしないのか、ということのようです。

私は別に自分を数学者だと思ってもいないし仲間とも思っていないのですが、気を取り直して読んでみることにしました。

この本ではまず最初に論理的思考は危険だ、論理的に考えるべきではないということを言います。一般には数学というのは論理や理屈の総元締めみたい に思われていますので、そこの専門家である数学者がこんなことを言うと読者はびっくりし、そして多分嬉しくなってしまうんだろうと思います。論理的な思考 を筋道をたどりながら正確に理解することも必要ないし、議論の辻棲が合っているか整合性が取れているかなど、頭の疲れる作業はもうしなくても良いと言われ るわけですから、こんな楽なことはありません。

その後に来るのは「美しい情緒と形」という何度も繰返されるキャッチフレーズを初めとする、様々な言葉の羅列です。私は情緒という言葉に美しいという形容詞がついたのは初めて見るので、これがどんな意味を持つのか全くわかりません。

この本ではもう既に論理的に考えてはいけないと言っているので、もちろん言葉の意味の説明などどこにもありません。何となく言葉のイメージのつな がりで話が展開されていき、様々なことが説明なしに断定されます。日本は素晴らしいという断定だったり、日本はダメだという断定だったりします。その過程 で「武士道」という言葉も何の説明もなしに登場し、最終的に「国家の品格」という言葉が語られます。そして「日本は世界一素晴らしい国だ」「世界を救うの は日本人だ」という結論になります。もちろんその論理的説明などありません。

もちろん話の展開が辻棲が合っているかとか、論理的整合性があるかなどと考えてはいけません。意味不明の何となく感じの良い言葉が次々に展開さ れていくのを、理屈抜きにイメージを感じながら漂っていけば良いということですから、ここはどんな意味だろうとか、前の文とのつながりはどうなっているん だろうなどと考える必要もありません。こんな楽な読書はありません。

多分多くの読者は様々な言葉に自分なりの意味をつけ、文章も自分なりに理解しながら読んでいるんだろうと思います。

本自体は言葉の意味の説明もしないし論理的な文章も否定していますから、言葉や文章にどんな意味を感じたとしても「それは違う」などと否定される心配はありません。好きなように読めば良いんです。

私の本の読み方は意味不明の言葉に自分勝手に何らかの意味をつけ、意味不明の文章を自分勝手に解釈するというやり方ではありません。素直に意味不 明の言葉は意味不明と読み、意味不明の文章は意味不明と読むことにしていますので、この本は私にとって途中から意味不明になり、そのまま意味不明のまま読 み進めたら意味不明のまま終わってしまったということです。

読み終わって何のメッセージも伝わって来ませんので、面白いもつまらないもない‥なのでこれがどうしてこんなに大人気になったんだろうと思いました。

そしてこの何もないのが大人気の理由なんだと思ったりしました。

文章を読んでその意味を理解しなければならないという必要もないし、文章の論理的構造がどうなっているのか、どのように議論が展開されているか理 解しなければならないということもな<、単に気持の良い言葉の羅列を眺めているだけで良い。これで本をまるまる一冊読み終わったという充実感を感じ ることができるというわけですから、これは多くの読者にとって嬉しいかも知れません。

さらに断定というのは、何が断定されていようと何となく元気になります。たとえば意味のわからない外国語の歌が気持の良いリズムで歌われるのを聞くようなもので、そのリズムに乗るだけで気持が良くなります。

考えてみれば小泉さんも「ワンフレーズポリティックス」とかいって意味不明の言葉を一言だけ言って、その意味の説明もしないで放っておく。他の人 が勝手にその意味を考えるに任せるというスタイルでした。また議論の辻棲が合わなくても以前言っていたことと違うことを言っても嘘をついても平然としてい ました。この本の人気は小泉さんの人気と同じことなのかも知れません。

「国家の品格」が「美しい国日本」に代わって、これもまた良<意味のわからない言葉です。安倍さんはこれ以外にも色々新しい言葉を意味を明確にしないで使っているようです。しばらくは安倍さんの人気はこのまま続くのでしょうか

とはいえいくらしんどいといっても、論理的思考なしではいつまでも続けられません。いずれは気を取り直して、ちょっとしんどくても明確な意味のある言葉で論理的な議論が行なわれる時代がまた来るんだろうと思います。それまでまだ何年もかかるのかも知れません。
実はこの本にはもうーつしかけがあります。というのはこの本は講演をもとにしているという注意書きです。講演であればいちいち言葉の意味の定義を したりしないし、きちんとした論理的な記述などする時間的余裕はないと言ってしまえばそれまでです。私の上に書いた感想などそれだけで吹っ飛んでしまいま す。そこまで考えるのはちょっとウガチすぎかなとも思いますが、この点も含めてなかなか興味深い本でした。

がんばれホリエモン-2

7月 5th, 2006

ホリエモンは頑張っているようですね。
結局、起訴されるまでがんばり通して、その後裁判の準備のためにようやく保釈になりましたが、大したものです。
保釈になった途端、マスコミの論調は急にホリエモンが裁判に勝つかも知れないということになってきました。
そのこともあってか、今度は急に村上ファンドの村上さん逮捕ということになりました。これでホリエモンをもう一度悪者と印象付けようということでしょうか。
村上さんも頑張っています。こちらはホリエモンとは違って悪いことをしたかどうかなどという余計なことは一切気にしないで、何をするのが一番得か(損しないか)だけを考えて、サッサと検察の言いなりになってしまっているようです。時は金なり、という所でしょうか。
逮捕前に1時間半のワンマンショーをやったり、逮捕されたと思ったらアットいう間に保釈されたり、検察と村上さんのどちらが上手なのか、これからの推移を見守りたいと思います。
ここまで来るといわゆるMHKのM(村上さん)とH(ホリエモン)の二人が捕まって、あと残るはKさんだけということになりますが、こちらの方は小泉さん が総理大臣をやめて万に一つ竹中さんが次の総理大臣になるなどということでもない限り、ある意味でどうでも良い話なのかも知れません。あるいは小泉さん引 退を待っているのかも知れませんね。
ライブドア関係の裁判もようやく始まったようです。
今後共引続き、ホリエモンの頑張りを見守りたいと思います。

がんばれホリエモン

3月 9th, 2006

あいかわらず途切れることなく垂れ流される一方的な検察情報によって、世間的にはホリエモンの有罪はほとんど誰もが疑わない状況になってしまいました。

この期に及んでまだ「頑張れホリエモン」なんて言っても誰も聞いてくれないからやめといた方が良いという忠告も貰ったのですが、やはりホリエモンには最後 の最後まで頑張ってもらいたいし、今の所期待に応えてホリエモンも頑張ってくれているので、この間にこのコメントを書いておこうと思います。

ホリエモンも単なる金儲けだけ考えるのであればここで頑張っても何の意味もないので、さっさと検察のシナリオに乗って有罪でも何でもできるだけ早 く裁判を終わらせてしまって、再帰をはかる方が良いに決まっています。風評の流布とか粉飾決済とかであれば大した罪にはならないでしょうから。

でもそれじゃあ何の解決にもなりません。ここでホリエモンが頑張り続けることによって、何年もかけて「風評の流布とは何がいけないのか」「粉飾決算でやってよいことは何か・やってはいけないことは何か」という議論を本気ですることができると思います。

検察当局が本気でかかっていますから、多分一審ではホリエモン有罪ということになるでしょうが、その後の高裁・最高裁での議論の過程で、日本の法律家・会計学者・経済学者・経営学者の力量が問われることになるでしょう。

そのような貴重なチャンスを逃してしまうのは何とも勿体無いなと思い、やはり「頑張れホリエモン」と言わないではいられなくなります。

もしかするとホリエモンの独特のやり方でこの裁判の進行をエンターテイメントにすることができれば、さらに素晴らしいことです。日本中が楽しみながら法律・経済・会計・経営の勉強をすることができるんですから。

とはいえ「頑張れ」と応援だけしているのも他人まかせすぎるような気もするので、ここでちょっとホリエモンに代表される「時価総額経営」というのは一体何なんだろうか、考えてみたいと思います。

1年前のフジテレビとライブドアの騒動の時は、何だかわけのわからないことをするなと思っていたのですが、その後の経緯を見ながら考えていたら、この「時価総額経営」というのも1つの新しい経営の考え方かも知れないなと思うようになりました。

私の考えた所をここに書いてみます。忌憚のない意見を頂けると有り難いです。

今更説明するまでもないことですが、時価総額というのは株式の時価総額、あるいは会社全体の買い取り価格ということです。さらに言えば、会社の持 つ資産と負債の全てを、会計のルールで表面に出て来るものも出てこないものもひっくるめて全てを時価評価して、資産の評価値が負債の評価値をどれだけ上 回っているかという金額です。その意味でトコトン究極の時価会計ということができます。

資産から負債を引いたものが自己資本ですから、究極の自己資本と言っても良いものです。

自己資本というのは、資本金と利益のたまったものの総額ですから、これは多い方が良いに決まっています。会社をやる以上、儲からなくてはいけない。儲かる会社が良い会社だ。儲かる会社は自己資本が大きくなるというわけです。

会社は株主のものだという考え方に立てば、株主が投資した資本金に対して利益を増やして、株主の持分を増やすことが良い経営だということになります。

会社は株主だけのものじゃない、もっとたくさんの利害関係者、即ち株主・取引先・顧客・従業員・国等のためのものだという考え方に立っても、会社 が儲けてそれを株主に配当し、取引先にも儲けさせ、顧客にはより良い商品・サービスをより安く提供し、従業員にももっと給料を払い、国にももっと税金を払 うという方が、会社が儲からなくてそんなことが何もできないより良いに決まっています。

従来型の会計・経営の考え方はこのような利益主導の考え方で、自己資本が増えることは良いことではあるけれど、それはあくまで利益で増えることが良いことなんであって、資本金を増やして自己資本を増やすというのは、別に経営の成果でも何でもないという考え方でした。

増資で資本金を増やして自己資本を増やすのは、借金して総資産を増やすのと同じようなもので、別に偉くも何ともない。場合によっては利益の取り分が減ってしまうから良くないことかも知れない、というのが従来型の考え方です。

この考え方の裏には無意識的に(あるいは意識的に)、経営者は株主のために(あるいは株主その他の利害関係者のために)会社の利益を増やすのが役目だという考え方がありそうです。

「資本と経営の分離」という言葉はかなり以前からありますが、その意味では上記の考え方はあくまで経営者は資本家の下、資本家のために働く存在ということになります。

本当の意味で資本と経営の分離と考えるのであれば、経営者は株主(あるいは全ての利害関係者)のために仕事をするのではなく、自分自身のために仕事をする。そのために会社を経営するのかも知れません。

世の中は金持ちが得をするようにできています。何か買うにもお金持ちの方が安く買えたりします。うまい儲け話もお金持ちだけに参加資格があったりします。

そう考えると経営者にとって、会社はお金持ちだというだけで価値があることになります。そのお金が利益で増えたお金なのか、増資で増えたお金なのか、借金で増えたお金なのかに関わりなく、とにかくお金があるということだけで値打ちがあるということです。

この典型的なのが銀行等の金融機関です。「資産量世界一の銀行」などとえばっているのは実はほとんどは借金(銀行預金も銀行から見れば借金です)ですが、それが多いことが銀行のランクになっています。

ライブドアはフジテレビとの騒動で、ニッポン放送買収のためにまず800億円資本金を増やしました。その後フジテレビとの和解でさらに400億円 フジテレビに出資させました。何ヵ月かのやりとりで1,200億円も自己資本を増やしたということです。別に何を作ったわけでも販売したわけでもないの に、これだけ増やしてしまったわけです。

従来型の会計理論では何の儲けにもなってないじゃないかということになりますが、時価総額経営の立場からは、あっという間に自己資本を増やして素晴らしい成果だということになるのかも知れません。

ライブドアが非難されるのが株式の分割です。たとえば1株1万円の株を100分割したら、1株100円になるはずなのに、そうならないで1株 1,000円になってしまう。分割前1株(=1株×1万円=1万円)持ってた株主は、分割後100株(=100株×1,000円=10万円)持っているこ とになるので、100分割で持ち分が10倍になってしまう大儲けという話です。

株主も持ち分が10倍になるけれど、時価総額も10倍になります。時価総額ベースの自己資本が10倍になるということです。

この株式分割で株価が100分の1にならないのは、株式分割の直後売り買いできる株式数が少なくなるので値段が十分下がらないんだという解説が良 くありますが、そのあとに続く売り買いできる株式数が元の100倍になった後でも、株価が100分の1まで下がらないのはどうしてかという解説はあまり聞 きません。しょせん解説というのは説明できる(あるいは説明しやすい)ことだけ説明して、説明できない(あるいは説明しにくい)ことは知らん顔をするとい う傾向が強いものですから、こんなものかも知れません。時価総額経営の立場から言うと、株式の分割で時価総額が増えるからその分株価が下がらないんだとい うことができそうです。

「会社は誰のものか」という議論があります。「会社は株主のもの」だという考え方、「株主だけでなく取引先・顧客・従業員・国のもの」だという考 え方もあります。もう一つの考え方が「会社は経営者のもの」だという考え方もありそうです。この考え方に立てば経営者が会社という装置を使って思うように 経営するためには、お金があることが重要になります。即ち、時価総額経営ということになります。

従来の会計学は会社は株主のものだ、あるいは会社は利害関係者全員のものだという立場から組立てられています。これを会社は経営者のものだという 立場に立って組立て直してみると、新しい会計学ができるのかも知れません。その立場からすると、従来の会計で粉飾決算と言われた取引もまっとうな取引だと いうことになるのかも知れません。

今回のライブドア事件をきっかけに時価総額経営と経営者資本主義(会社は経営者のものだという考え方)と、そのような考え方にもとづく会計について考えてみると面白いのではないでしょうか。

会社の中で経営者が圧倒的な地位を占め、株主がそれに対して何も言えないような形の企業(たとえば浮動株が多くて主要株主がいないような会社、株 主は株価の値上がりと配当のことしか考えていなくて、経営者を監督しようなどと最初から考えないような会社など)では、むしろこのような見方の方がぴった り来るのかも知れません。そしてそのような会社は実はかなり多くなっているのではないでしょうか。

三洋電機が今の株価の何分の1かで新株を発行して生き残りを計るとか、三菱銀行が多額の増資をして公的資金を返済するとか、株主の立場に立つので はなく、経営者の立場に立った自己資本増強がよく見られます。ライブドアの場合、その会社自体は時価総額経営で会社は経営者のものだという経営をしなが ら、いろいろな会社を買収して、その会社に対しては会社は株主のものだという経営をしようとしている。これがライブドアの行動に関する違和感、いごこちの 悪さの元なのかも知れません。

会社のガバナンス(統治権)と経営手法と会計ルールはセットになるものです。

経営者資本主義、時価総額経営とセットになる会計ルールはどのようなものになるのでしょうか。