Archive for the ‘時事雑感’ Category

原発事故の評価レベル

水曜日, 4月 13th, 2011

大地震から1ヵ月。大分落着いてきましたね。落着いてきた分、地震直後にはなりをひそめていた雑音が日に日に大きくなり、これもまた厄介ですね。

地震直後はなかなか情報が入らず多少は誤報もありましたが、情報の選択にはあまり困難はありませんでした。ほとんどの情報は情報そのものでしたから。

落着いてきたら、何の役にも立たない、不安をかきたてるためのマスコミの報道、それに協力する評論家や学者の先生たちのもっともらしいおしゃべりが急増して、ちゃんとした情報を見つけ出すのがなかなか面倒になってきています。
でもまあここは辛抱して、気長に玉石をえり分ける作業を続けるしかないんでしょうね。

そんな中、昨日の原発事故の評価レベル7の報道にはびっくりしましたね。

と言っても、マスコミが大騒ぎしているように評価レベルが7になったことにびっくりしたのではなく、評価レベル7になったことにマスコミその他が大騒ぎしていることにびっくりしたんですけれど。

評価レベルが5から7になったからと言って、別に事態が悪化したわけではなく(良くなったわけでもありませんが)、現場では着実に事態の封じ込めの作業が続いています。評価レベルは7が最高レベルだからといって、今回の事故がチェルノブイリの事故と同じ程度というわけではありません。

今までの推移からすると、時間はかかるものの福島原発の事故は何とかこのままうまく封じ込めできるんだろうと思いますが、仮にそれこそ想定外の事故がまた発生して事態が深刻になったとしても、評価レベルはもう7以上はありませんから、これ以上引上げられることはありません。そうすると事態が深刻になっても、大騒ぎは起こらないんでしょうかね。

この大騒ぎを見て、やはりマスコミをはじめ多くの人は自分で判断するのは好きじゃないんだな、と感じます。誰か他の人が評価してくれる、特に点数で評価してくれると、それでもう自分で判断する必要はないので、安心してその評価を丸呑みしてしまうんですね。

落着いて考えてみれば、人を評価するのに本人より学歴や勤めている会社や職名の方を重視したり、英語がしゃべれるかどうか話してみるよりトフルやトーイックの点数の方を重視したり、勉強したことがわかっているかどうかより試験の点数の方を重視するという状況ですから、事故の現実の情報より評価レベルの点数の方を重視するというのも、まあ当然なことかも知れません。

それにしてもこの雑音の高さ、うんざりですね。

と、ここまで書いてインターネットのニュースを見たら、このレベル7にロシアの専門家が文句をつけたようですね。
『福島の事故は、あんな程度でレベル7なんてのはおこがましいにもほどがある。せいぜいレベル4がいいとこだ』、というようなことのようです。
ロシアとしてはレベル7はチェルノブイリのロシアが独占、という状況を堅持したい、ということでしょうか。
この評価レベル、というのはこの程度のものだ、ということでしょうか。

最悪の事態

水曜日, 4月 13th, 2011

今回の大地震の対応や原発事故の対応について、訳のわからない評論家や解説者が「最悪の事態を想定して」などと意味のないことを言ってますね。
それを真面目に聞いている方も聞いている方ですが。

今回の原発の事故について「最悪の事態を想定して」と言われて、たとえば次のような想定をしたとしましょう。

大きな余震が来て、放射能がさらに放出され誰も近づけなくなってしまって、手の打ちようがないまま原子炉が加熱しついに爆発してしまい、それが引き金になってもう一度大きな余震がおこり、それが引き金になって今度は東海・東南海・南海でも大規模地震が起こり、東海・近畿・四国・九州は大津波で壊滅的な被害を受け、その地震が引き金になって日本中で地震・火山の噴火が続発し、ついには日本沈没に至る。

こんな最悪な事態を想定しましょうか、などと言ったら、多分「そんな非現実的なことを考えるんじゃなくて、もっと現実的な最悪の事態を考えるべきだ」なんて、非難されるんでしょうね。

でも「現実的な最悪な事態」って、一体何ですかね。その「現実的な最悪の事態」を超えるような最悪の事態が、最悪の事態じゃないでしょうか。

そして本当に最悪の事態を想定したら、もう何をやってもどうにもならないんだから、逃げ出すしかないと言って、できることもしないで放置するということになってしまうでしょう。

日本が沈没するのに、チンタラ原子炉に水を入れててもしょうがない。それより一刻も早くできるだけ多くの日本人を国外退避させることだ、というような話ですね。

これからわかるように「最悪の事態を想定して」というのは、要するに考えるのをやめて何かするのもやめて、なるようになるに任せるという無責任な話だということが良くわかります。

その結果、事態が悪くなったら、やっぱり思っていた通り、最悪になったじゃないか、なんて自慢するんでしょうか。

こんなことを毎日のようにテレビで偉そうに話をされるとウンザリします。

都知事選

水曜日, 4月 13th, 2011

東京都知事選、開票する前から石原さんの四選の当選確実が出てしまって、本人が怒ってましたね。でも、当選してしまって、可哀想に。

今はまだ地震と原発事故が終わっていないので、石原さんもパチンコ屋と自動販売機の悪口を言っていれば良いんですが、いずれ落着いてきたら、もっと大事な事も話題になるでしょう。

石原さんが都知事でいる限り、新銀行東京の大穴の問題もオリンピック誘致の無駄使いも当然話題になるでしょう。
東京都民はこれらの問題で石原さんをあらためて責めるために、もう一度知事に当選させたということでもないでしょうが。

今回の選挙、石原さんは地震対策で忙しいという理由でほとんど選挙運動をしなかったようですが、これで当選してしまってこれから4年、どうするんでしょう。晩節を汚すことになってしまいましたね。

京セラの稲盛さんもそうですが、歳をとると引き際が難しいようですね。

科学的

水曜日, 4月 13th, 2011

地震から1ヵ月の月曜日、日経新聞の「春秋」というコラムに変なことが書いてありました。

このコラムは朝日新聞でいえば「天声人語」というコラムにあたるものです。私は朝日新聞は健康のため、基本的に読まないことにしているので、まだこのコラムがあるかどうかわからないのですが。

で、普段は日経新聞のこのコラムも読まないのですが、「戦艦大和の吉田満」という部分が目に入ってきて、次に「山田風太郎」という部分が目に入ってきたのでついつい読んでしまいました。山田風太郎といっても「くノ一忍法帖」の方ではなく、戦中戦後の日記の方ですが。

で、このコラムは「吉田満も山田風太郎も日本の敗戦を受けて、もっと科学的でなければならない・・・と言っている」と書いています。
そこまでは良いんですが、その結論として今回の原発事故について想定外とか泥縄の対応とか、科学的でないと反省しています。

記者が反省したいのであれば勝手にすればいいだけですが、こんな非科学的なコメントを科学的であるかのように書かれ、吉田満や山田風太郎が引き合いに出されるとなると、吉田満や山田風太郎が可哀想だなと思わずにはいられません。

この記者さん、科学というのは「真実」とか「真理」とかだと思っているんでしょうね。そして科学を神棚に祭ってその前でかしわ手を打てば全ての情報が手に入り、全ての解決策が出てくるとかでも思っているんでしょう。

「科学」というのは仮説であって「全て想定でしかない」、なんていうことはコレッポチも考えていないんでしょうね。
まあこのように科学を神棚に祭ってかしわ手を打つのはこの記者さんだけでなく、科学者として大学の先生なんかになっている人にも珍しくなさそうですから、無理もないと言えば無理もないんですが。

そういえばこの前の週末のテレビで「想定外」という言葉について、「「想定外」というのは、想定外だと想定していたんだろう」などという発言が耳に飛び込んできました。誰がどんな文脈で、どんな意味で言ったのか覚えていませんが、面白いなと思って耳に残っています。

「想定外のことというのは、想定外だと想定したことだ」となってしまうと、全てのことは「想定済み」「想定の範囲内」ということになってしまいますよね。

わからない ― もう一度

月曜日, 4月 4th, 2011

ちょっと前「わからない」という題で、情報の出し手の問題として【わからないことをわからないと発信することが重要】だと書きました。
でもこれでは不十分で、受け手の方も【わからないことをわからないと受信することが大事】だということを言い忘れていました。

未だに原発の話題で不安とか不信感が増大していますが、これも情報の受け手の方が「わからない」と受信するのを拒否しているということなんでしょうね。
それで発信する方が「わからない」と言うと、受取る方で「隠してる」「誤魔化してる」「信用できない」と受取ってしまい、受取拒否ということになるんでしょうね。

私は普段から基本的に「わからない」と受信することにしているのですが、結構「わかった」と受信する人もいるようです。

すなわちAさんが「これはこうです」と言った時、私は『Aさんが「これはこうです。」と言った(けれど本当かどうかわからない)。』と受取るんですが、人によってはこれを素直に『これはこうだ』と受取ってしまうようです。そうすると今度Bさんが「これはこうではありません。」と言った時も、私は『Bさんが「これはこうではありません。と言った(けれど本当かどうかわからない)。」と受取るだけで、別に何の矛盾もなく単に「わからない」だけなんですが、これを『これはこうではない』と受取る人にとっては『これはこうだ』というのと『これはこうではない』という、相反するメッセージを受け取ってしまい、「何がなんだかわからない、誰の言うことも信用できない、何が本当のことなのかわからないから不安だ」ということになってしまうようです。

もうこうなってしまうと誰の言うことも信用できないので、不安が増すばかり。それでなおさら「誰の言うことも信用できない」という悪循環に陥ってしまいます。

こんな時誰かが、嘘でも良いから自信たっぷりに「これはこうに決まってます。違うことを言う人は嘘つきです。」なんて言ったりすると、簡単に騙されてしまいそうですね。

これも日常的な行動パターンの問題ですから、一朝一夕には治らないんでしょうが、いずれ時間が経って事態が落着けば世の中も落着くんでしょうね。

大連立

月曜日, 4月 4th, 2011

いよいよ大連立が実現しそうな雰囲気になってきましたね。

慶應大の権丈先生なんかは、大地震のずっと前から「大連立しかない」と言っていたんですが、
http://news.fbc.keio.ac.jp/~kenjoh/work/
私などいくらなんでもそれはないだろうから、菅さんにはとことん頑張ってもらってと考えていたのです。それが、この未曾有の大震災で、大連立が実現しそうですね。

民主党も政権を取ってから今まで、自分達が言っていたことがいかに非現実的かたっぷり勉強したでしょうから、ここで一緒になっても当面協力することはできるでしょう。

しばらく大連立でやってみて、一段落したらそれこそ政界再編で、今までの政党をバラバラにして組み立て直すということをすれば、かなりすっきりした形にすることができるかも知れません。

どんなことになるか、楽しみです。

都知事選

月曜日, 4月 4th, 2011

あまり話題にならないんですが、現在統一地方選の真っ最中で、都知事選もやっています。

大地震がなければテレビでも新聞でも大騒ぎだったでしょうが、マスコミもあまり騒ぎません。大震災でお花見が自粛になったのと同様、選挙運動で相手を攻撃するのも自粛になっているのでしょうか。
石原さんがまた出てきて、本来であればオリンピック誘致のための大金の無駄使いにしても、新銀行東京の失敗のための大損失にしても、コテンパンに攻撃されるところですが、そのような事態を免れているようです。

今の所石原さんが優勢なようですが、都民は本当に石原さんで良いと思っているんでしょうか。石原さんが当選したとしても、4年間もつのかな、という気もしますが。

新年度

金曜日, 4月 1st, 2011

いよいよ4月です。新しい年度の始まりです。

大震災で急落した株価も、日経平均で10,000円を回復するところまでは行かなかったもののかなり回復し、また異常な円高もおさまって円安になり、国債の利回りが急騰することもなく、金融機関の決算にとってはとりあえずやれやれの3月末になりました。

保険会社にとってはこの震災を原因とする保険金の支払いがどれ位になるか気になる所ですが、まだ保険金の請求の手続きをするというほど事態は落着いていないので、これを決算にどのように反映させるのか、悩ましい所ですね。

金融庁あたりでは、何らかのルールを作って既に各保険会社に通知済みでしょうか。それとも自然体で、保険金の請求がなく通知もないのは支払備金に計上しなくても良いという具合にするのでしょうか。

何らかの基準を作って見積り計上するとしても、かなり難しいことになりそうですね。

いずれにしても新年度。新しい気持で明るいニュースがたくさん出てくると良いですね。

悪者探しはまだ早い

木曜日, 3月 31st, 2011

3.11から3週間。救援のための体制作りは旧ピッチで進んでますね。で、気分的に余裕が出てきたんでしょうか、悪者探しが賑やかになってきました。

こうなったのは誰が悪いとか、こんな時にあいつは何をやってんだとか、まあ誰かを悪者にして悪口を言っていればそれで安心できるということでしょうが、まだちょっと早いんじゃないでしょうか。

事態はかなり良くなっているとはいえ、まだ落着いているわけではありません。今はまだ悪者探しより、事態の改善の方を最優先しなきゃならない時期ですし、そのためにちょっとでも障害になる可能性のある悪者探しはもう少し後にしたらどうでしょう。

何も今慌てて悪口を言わなくても誰も逃げられないですし、もう少し状況が落着いてきたら、不正確な情報で間違って誰かの悪口を言うことも防げるかも知れません。

震災後、徹底して音無しの構えだった小沢さんがようやく声を出し、民主党執行部の悪口を言い始めたようです。それだけ状況が落着いてきたという証拠でしょうか。

キャンペーン

火曜日, 3月 29th, 2011

地震・津波と原発の事故で、かなりの風評被害で被災地産の農産物・魚介類がまるで売れなくなっているようです。
マスコミでも流通業者(スーパーなど)でも良いんですが、「頑張れ被災地キャンペーン」と銘打って、被災地の岩手・宮城・福島・茨城産の農産物・魚介類の売り出しキャンペーンでもやってくれないもんでしょうか。

多少放射能が入っていても身体に影響がないということですから、買って食べてくれる人もかなりいるんじゃないかと思うんですが、今はちょっとでも放射能の可能性があるだけで絶対食べたくないという人がいて、その人達のために流通がストップして誰も食べられないということになってしまっているようです。

もちろん嫌な人は食べなくて良いんですから、気にしない人だけでも食べられるようにならないでしょうか。
そうすれば多少とも被災地の人は現金収入を見込むことができ、元気を取り戻すきっかけにできるんじゃないでしょうか。

私みたいに何もできずテレビのニュースを見るだけの人間も、このようなキャンペーンだったら消費者として参加することができますし、ボランティアで現地に行くなどという覚悟がなくても簡単にできます。

今被災地は、今後農業を続けるにしても漁業を続けるにしても、本当に売れるのかというのが一番の心配でしょうから、できるだけ早く「買い手がいるんだ」ということを目に見えるようにすることが大事じゃないでしょうか。

他人任せのアイデアですが、マスコミでも流通業者でも取上げてくれると嬉しいです。