Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

芦部さんの憲法 その5

水曜日, 9月 4th, 2013

大分寄り道をしてしまいましたが、「芦部さんの憲法」、立憲主義が終わったところでいよいよ具体的に日本の憲法、日本国憲法の話になります。その前に日本国憲法の前の明治憲法(大日本帝国憲法)の話から始まります。

明治憲法は立憲君主制の憲法ですが、フランス革命、アメリカの独立戦争のあとで、人権思想もちゃんと取り入れてあります。芦部さんはこの憲法を立憲主義の憲法だと言っています。

立憲主義の憲法というのは、前にも書いたように、

憲法というのは基本的人権をもとに作られたもので大事なものだから簡単に変更できるようなものであってはならない。特に基本的人権に関する部分は 絶対に変えてはならない。そのためには多数決原理に基く民主主義であっても否定しなければならない。これが「立憲主義」という考え方だ。 そして「立憲主義」に基かない憲法は、たとえ憲法という名前がついていてもそれは憲法ではない。

ということですが、明治憲法がこの立憲主義の定義で立憲主義の憲法だと言えるのかなあ、と思います。

もちろん明治憲法には基本的人権などという言葉はないし、天皇主権だし、基本的人権を中心にした憲法というより天皇を中心とした憲法だという気がします。ただし硬性憲法、すなわち変更しにくいという点では、天皇が変えようとしなければ変えられないということで、硬性憲法といえるのかも知れません。天皇が変更を国会に付議した場合、衆議院と貴族院の両方で2/3以上の賛成がなければならないという点は、今の憲法と同様ですが、その後の国民投票の手続きはありません。

明治憲法を持ってきたのは、今の憲法が明治憲法の改正の手続きによって作られたあたりを議論する必要があるからです。

今の日本国憲法は、日本がポツダム宣言を受諾して戦争に負けたことを受け、GHQから憲法改正を求められたことにより、国民主権・平和主義・基本的人権尊重の新しい憲法案が作られ、それが明治憲法の憲法改正手続きに従って天皇の名前で衆議院・貴族院に付議され、どちらでも圧倒的多数によって可決され成立した、ということです。

とはいえ、今の憲法は前文で「この憲法は国民が作った」と言っています。すなわち国民が作った憲法を天皇が議会にかけ、成立させたということです。また明治憲法は立憲君主制の天皇主権の憲法ですが、日本国憲法は国民主権の憲法です。
私にとっては特にどうということのない「そういうことだ」というだけのことですが、このあたりが憲法の専門家にとっては大問題のようです。

まず日本国憲法が欽定憲法なのか民定憲法なのか、という議論です。天皇が作ったなら欽定憲法、国民が作ったなら民定憲法。では、国民が作ったものを天皇が議会にかけたのはどっちになるのか?ということです。

次に立憲君主制の明治憲法が自らを否定する国民主権の憲法を作ることができるのか、という問題になります。明治憲法の頭の方には「大日本帝国は万世一系の天皇これを統治す。」とか「天皇は神聖にして侵すべからず」などという言葉が並んでいます。これをまるっきり削除して明治憲法そのものを全否定するような改正を、この憲法の改正手続きで行なって良いのか、ということです。

私はそれでも別にいいじゃん、と思うのですが、多くの憲法学者は「それは立憲君主制憲法の自殺のようなものだからそれはできない」という理屈を立てます。そこで無理矢理「八月革命説」というのをデッチ上げます。すなわち日本はポツダム宣言の受諾によって昭和20年8月に革命が起きて、立憲君主制の国から国民主権の国になったんだというものです。その結果明治憲法はその改正の手続きをしたわけでもなく、文言も一字一句変わっていないけれど、その革命によって国民主権の憲法に変更されており、国民主権に反する規定は無効になったんだ、という主張です。

で、この八月革命によって国民主権になった明治憲法により、その改正手続きを踏まえて改正されたのが今の日本国憲法だから、これは民定憲法だということになるという理屈です(この八月革命説のバリエーションとして六月革命という説もあって、これによると昭和20年8月の敗戦時には革命があったわけではないけれど、憲法の改正案が国会に付議されて審議が始まった昭和21年6月に、その国会での審議の過程で革命があった、ということです)。
立憲君主制の明治憲法は八月革命で殺されてしまい、その代わりに文言はそのままだけど国民主権に変身した明治憲法が生まれ、その国民主権の明治憲法の改正手続きによって今の日本国憲法ができた、ということです。

何ともメンドクサイ理屈ですが、憲法学者にしてみれば革命でもない限り憲法は変えられない(変えてはならない)と思っているようで、立憲君主制の憲法を国民主権の憲法に改正するための手続きを明治憲法の規定に従って行ったことを正当化するためにはこのような屁理屈が必要なようです。ご苦労様な話です。

いずれにしても無事、日本国憲法ができました。ようやくこれ以降、その具体的な内容の話になります。

芦部さんの憲法 その4

水曜日, 8月 28th, 2013

この「芦部さんの憲法」の2回目に、KENさんが「そもそも憲法は国家権力の暴走から国民を守る唯一の法律ですから・・・」というコメントを入れてくれました。今回はこれについてちょっと書いてみます。

日本国憲法の三本柱は、国民主権・平和主義、そして基本的人権の尊重ということになっています。基本的人権の尊重なんていうと、私なんかには基本的人権というのは大切なものなので、お互いにお互いの人権を大切にして仲良く暮しましょうなんてことかなと思うのですが、法律家の考えているのは、これとはまるで違うようです。

法律家が考えているのは、国家は国民の基本的人権を侵害し兼ねないから、そのような国家から国民の基本的人権を守らなければならないということのようです。

ここで「国家」というのはまずは政府ですが、それだけじゃなく三権分立の国会や裁判所も「国家」になります。また政府の手先である地方公共団体・政府や地方公共団体の手下である国家公務員・地方公務員等も全て国家のうち、ということになります。

この国家による基本的人権の侵害を防ぐことが憲法の役目ということになりますから、国家あるいはその手先・手下以外の者による基本的人権の侵害は、原則として憲法の守備範囲外ということになるようです。すなわち、誰か個人による他の誰か個人の基本的人権の侵害・大会社による個人の基本的人権の侵害・上司による部下の基本的人権の侵害、これらは憲法の対象ではない、ということのようです。

とはいえ、これを放置して国民が誰かに人権侵害されっぱなしというわけには行かないので、その部分については憲法ではなく法律で対応するというのが法律家の考え方のようです。

それでは法律でどう書いてあるかというと、たとえば民法90条(公序良俗)という所に
 「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は無効とする。」
と書いてありますので、要は誰かの基本的人権を侵害することは公序良俗に反するから、してはならないということのようです。基本的人権の尊重が公序良俗でくくられてしまうというのも何だかなあという感じです。

民法がこうなっているんであれば刑法の方はどうなんだろうと思って調べたところ(これは芦部さんの本に書いてなかったので、自分で調べたので、もしかすると法律家の解釈とは違うかも知れません)、刑法ではいくつかの条で「生命・身体・自由・名誉又は財産に害を加える」という表現がありますので、基本的人権の侵害はこの「生命・身体・自由・名誉又は財産に害を加える」行為として刑法の対象としている、ということのようです。もちろん民法にも刑法にも「基本的人権」などという言葉は一度も登場しません。

(余談ですが、コンピュータというのは偉大ですね。この「一度も登場しません」なんていうのを目で確かめようと思ったらとんでもないことですが、民法なり刑法なりのテキストをパソコンで開いて検索をかければ、一発で「一度も使われていない」ことがわかってしまうんですから、こんな楽なことはありません。)

基本的人権の尊重と言いますが、憲法では基本的人権についてはいろいろ書いてあるので何となくわかるのですが、「尊重」というのがどういう意味なのか、イマイチ良くわかりません。

今の憲法の中には、残念ながら「基本的人権の尊重」という言葉は出てこないんです(これも検索のお陰です)。仕方がないから「尊重」という言葉で検索すると、13条と99条で使われています。
99条は
 「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はこの憲法を尊重し擁護する義務を負う。」ということですから、要するに、国は基本的人権を侵害してはならないということになりますね。天皇以下ここに列挙されている人達が具体的に「国」の構成員ですから。

もう一つの13条は
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」
ということですから、法律を作ったり行政をしたりする所で人権を尊重するということで、やはりお互い同士の人権尊重は書いてなさそうですね。

以前にも書きましたが、最初に憲法の本を読んだのが伊藤真さんの本で、その中で「国は憲法に従わなきゃならないけれど、国民は憲法に従う必要なんかないんだ」というような言葉に出会ってビックリしたんですが、要するに芦部さんの憲法も同じで、憲法に従わなければいけないのは国であって、国民は憲法に従わなくても良いということなんですね。ということは、自分の人権を侵害されるのは許せないけれど他人の人権なんぞ知ったこっちゃない、というのが法律家の考える憲法の考え方のようです。

でも私はやはり「皆で憲法を守って、お互いの人権を尊重して仲良く」という方が良さそうに思うのですが。

芦部さんなんかが考える憲法というのは、国民から国に対する指令書みたいな性格のものなんですが、自民党の憲法改正案は、どちらかといえば国民同士の約束のような性格のものになっています。その中では明確に「国民は基本的人権を尊重する」とか「全て国民はこの憲法を尊重しなければならない」と書いてあります。

一方的に国だけが責任を負わされる法律家の憲法と、国民全員が責任を負って一緒に国を作っていこうとする自民党の憲法改正案、「憲法」の意味がまるで違います。法律家にとって9条の改正より、96条の改正より、この「憲法」の意味の改正(変更)の方が認めることのできない、許すことのできない暴挙ということなんでしょうね。

今の憲法の前の「大日本帝国憲法」には、第3条に「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言がありました。その条文は現行の日本国憲法にはなくなっていますが、法律の専門家は一般人には見えない「憲法は神聖にして侵すべからず」という条文をはっきり見ているようです。

芦部さんの憲法 その3

火曜日, 8月 20th, 2013

前回のコメントで、現行の憲法の97条について、置き場所を間違えたんだとか、97条に置くことによりこの部分は変えてはいけないということを表しているんだとか書きました。そのコメントをアップした後、念のためにどこに書いてあったか確かめておこうと思ったのですが、芦部さんの本にそれを書いてある場所がみつかりませんでした。

まさか私のこのコメントを読んで、芦部さんの憲法を実際に読んでみよう、なんて酔狂な人はいないと思いますが、万が一そんな人がいてあの97条の話はどこに書いてあるんだなんて言われたら困ってしまうので、念のために確認しておこうと思ったのが、予想外の展開になってしまいました。

何度か確かめて、みつからないので「これはチョット困ったことになったな」と思ったのですが、ハタと思いだしたのが、この芦部さんの本を読んでわからない所を質問したときに、この本を持って来てくれた弁護士さんが送ってくれた「四人組憲法」の一部分のファックスのことです。

「四人組」なんていうと、つい毛沢東の「四人組」を連想してしまいますが、この「四人組」というのは芦部さんのお弟子さんの憲法学者が四人で書いた憲法の教科書のことで、4人の名前をいちいち挙げるのが面倒なので「四人組」と言っていて、憲法を勉強する人なら「四人組」というだけで通じるくらいに有名な本のようです。

四人とも芦部さんのお弟子さんで、芦部さんの考えをそのまま引き継いでいる人達なので、この本の中味も「芦部さんの憲法」と言っても良いということのようです。

で、ファックスしてもらった「四人組憲法」の最後の部分に、この97条の話が書いてありました。そこにはわざわざ芦部さんもそう考えているということも書いてあったので、これで私の書いたのは間違いなかった、と安心しました。

で、この「四人組」の97条の話のちょっと前に、憲法が最高規範だという話が出ていて、
『憲法が軟性憲法(変えやすい憲法)であれば、その憲法は最高規範だとはいえない。これに対して憲法が硬性憲法(変えにくい憲法)であれば、その憲法は形式的効力の点で最高規範としての性格を持つ』
と書いてあります。

この中味はこの前書いた芦部さんの本の
『憲法が硬性憲法であれば、その憲法は最高法規である』
というのと何となく似ているんですが、同じようでもあり違うようでもあり、どうも良くわかりません。

芦部さんの本は「最高法規」、四人組の方は「最高規範」という言葉が出てきています。芦部さんの本には「最高規範」という言葉は(索引で調べる限り)出てきません。四人組の方は「最高法規」という言葉は(少なくなくともファックスしてもらった範囲内では)使われていません。

またその意味も、「最高法規」というのは「これに反する法律は全て無効だ」というような意味で、「最高規範」というのは「全ての法律を根拠付けるものだ」というくらいの意味で、同じようでもあり別物のようでもあります。

また四人組の『憲法が軟性憲法(変えやすい憲法)であれば、その憲法は最高規範だとはいえない。これに対して憲法が硬性憲法(変えにくい憲法)であれば、その憲法は形式的効力の点で最高規範としての性格を持つ』も、なんとなく『AならばBでない。だからAでないならBだ』と言っているようで、この言い方は論理的には間違いなんですが、その論理的な間違いを主張しているようでもあり、そうでないようでもあり、何ともすっきりしません。

論理的に書かれていない本を論理的に読もうとすると、何ともヤッカイです。
とはいえ、このあたりはそれほど本質的な話ではないので、とりあえず保留として先に進みます。

芦部さんの憲法 その2

金曜日, 8月 16th, 2013

憲法の本を読むようになってしまったキッカケはこの前の参議院の選挙だったのですが、あの時9党の党首の討論会などでも憲法改正が大きなテーマの一つでした。

その憲法改正について、9条の戦争放棄を国防軍に変えるというのが議論になる、というのは良くわかるのですが、野党の福島さんや谷岡さんが96条の憲法改正手続きや97条の基本的人権の所の改正について大騒ぎをしていたのはこの本を読むまでわけがわかりませんでした。この本を読んでようやく何が問題にされていたのかが良くわかりました。

96条の憲法改正の手続きですが、現行の憲法は衆参両院のそれぞれで2/3以上の賛成で発議され国民投票の過半数で改正されるとなっているものを、自民党案は衆参両院の2/3を過半数に変更しようとしています。当時私は憲法は国民のものだから国民の意思を反映しやすくするために自民党の方が良いに決まっていると思っていたのですが、前回お話した立憲主義の立場からするとまるで違ってきます。

憲法の特徴づけの言葉に「硬性憲法」と「軟性憲法」という言葉があります。硬性は(rigid)の訳、軟性は(flexible)の訳のようで、要するに変更しやすい憲法と変更しにくい憲法ということです。で、立憲主義の立場からすると、憲法は変更しにくければしにくい程良い憲法だ、という評価があります。

芦部さんの本には
『憲法が最高法規であることは、憲法の改正に法律の改正の場合よりも困難な手続きが要求されている硬性憲法であれば、論理上当然である。』という文章があります。すなわち、憲法が変更しにくい、ということから、憲法が他の法律の上位に位置することが論理的に当然になるということです。私の論理的という言葉使いからすると、こんなものどう頑張ってみても論理的に当然にはならないんですが、多分法律家には何か特別な考え方があるんでしょうね。

で、そのようなわけでせっかく今の憲法が2/3以上の賛成がないと改正できないようになっているのを1/2以上に引下げて改正しやすくする、などというのは憲法の格を下げることになるので、これは絶対に阻止しなければならないということになるわけです。

私が考えていた「国民投票がしやすくなる方が良いじゃないか」という議論も、前回書いたように多数決の民主主義に対立するのが立憲主義だ、と言われてしまえばまるっきり逆の話になってしまいます。

これで96条改正に猛反対してた訳がわかりました。

もう一つ97条の基本的人権の条が自民党の改正案では削除されていることに対する猛反対ですが、これも何が問題だったか、良くわかりました。もともと今の憲法にも11条から40条まで基本的人権についてはしっかりと書いてあり、その上で最後の97条にダメ押しのような形でもう一度基本的人権が大切だということが書いてあります。一説によるとこの97条は入れる場所が間違っていたのであって、本当は11条の前に持ってこなきゃいけなかったのを、たまたま間違って97条のところに入れてしまったということのようです。

でもむしろ主流の考え方はこの97条の前後には96条に憲法改正の手続きが書いてあり、98条には憲法が最高の法規であってこれに反する法律は無効だ、ということが書いてあり、これらをセットして読むことにより97条は基本的人権については変更してはいけないという意味でここに書いてあるんだということのようです。

外国の憲法には、「○条の規定は大切なので変更してはいけない」なんて条文があるものがあるようですが、日本国憲法ではそのような条文はありません。そのため形式的にはどの条文も改正してよいような形なのですが、立憲主義の立場からするとそんなわけには行かなくて、変えてはいけないと書いてないとしても変えてはいけない条文がたくさんあるようです。

で、そのような日本国憲法でも、念押しのために実質的に変えてはいけないと書いてあるつもりの97条の規定を自民党案ではアッサリ削除してしまったんですから、これは見過ごすことはできません。変えてはいけない規定を変えてはいけないと書いてあるつもりの規定を削除したということは、変えてはいけない規定を変えようとしているんだろう。さらに言えば、変えてはいけない規定を削除しようとしているかもしれない、ということで、猛烈に反対したんだなということがようやくわかりました。

これらの議論はこれから憲法改正の議論が本格化する中でまた取上げられることになるはずですから、その際の議論をきちんと理解するためにもこの本を読んで良かったなと思います。

福島さんは東大法学部出の弁護士さんですから、立憲主義のことはよくわかっているはずです。谷岡さんの方はどこまでわかっているのか良くわかりません。

でも改憲反対派の人達も、もう少しこの反対の理由をきちんと説明してくれればわかりやすいのですが、理由をはっきり言わないで反対となると、運よくこの本を読むことができて、その理由がわかったのはラッキーでした。

芦部さんの憲法 その1

木曜日, 8月 15th, 2013

この前の前の『無条件降伏』という記事で書いたように、ひょんなことから憲法の教科書を読むことになってしまいました。

で、何とか400ページ位の本を読み終わったので、せっかくですからこれからしばらくその本についてコメントしたいと思います。

ケインズほどは長くはならないと思いますが、やはり2-3回では書き切れないほどコメントしなければならないいろんなことがあります。

自民党が衆院選・参院選とも勝って、憲法改正の話が当然のように出てきますが、この憲法改正に正面から反対するのは法律家の人達です。ですから法律家の人達がどのように考え、どのような言葉を使うか(あるいは一般的にも良く使われる言葉をどのような特別な意味に使うか)知っておかないと、議論がまるで噛み合わないということになってしまいます。そのためにもここでコメントしておくと役に立つのではないかと思います。

この本を読んで、読む前に漠然と思っていた憲法と、法律の専門家が考える憲法とは、まるで違ったものだということがわかりました。最初はわけがわからなくてちょっと大変だったのですが、慣れてくると面白い発見がたくさんあって楽しく読めました。

で、私が読んだのは芦部信喜という大先生の書いた「憲法―第5版」(岩波書店)という本なのですが、これが司法試験その他の標準的な教科書になっていて、専門家の間でも標準的な憲法論あるいは憲法学の本だということになっているようなので、私としては学者になるつもりも法律家になるつもりもないので憲法についてはとりあえずこの本だけで良いかなと思い、特に必要のない限り他の憲法に関する教科書や専門書を読まなくても良いかなと思っています。

そのため私のコメントもタイトルとして、「芦部さんの憲法」ということにします。

まずこの本を読むにあたり最初に思ったのは、法律家の専門家は法律の勉強を一生懸命にする分、日本語の勉強はあまりしないんだろうな、ということです。かなり不思議な日本語を平気で使うんですが、それはそんなもんだとわかってしまえばどうということはありません。言葉の意味は普通とは違うけれど文の構造は普通の日本語と同じなので、一つ一つの言葉の意味を「この言葉はどんな意味で使っているんだろう」と考えながら読んでいけば良いだけですから。

ケインズを読んだ時の、古典派の経済学者(ケインズの後の経済学者も同じようなもののようですが)が、言葉の定義をしないで議論するという厄介さは、芦部憲法ではそれほどありません。一応ある程度は言葉の意味を説明しようとはしているようですから。とはいえ、突き詰めた所では言葉の意味は不明になってしまいますが。

次にわかったのは、法律の専門家は論理的思考の訓練を受けていないようで、芦部さんの本を論理的に読もうとしてもうまくいかない、ということです。しかし困ったことに法律の専門家自身は自分達のやっているのを論理的思考だと思い、書いているのを論理的な文章だ、と思っているのでちょっと面倒です。

で、論理的な体裁の論理的でない文章をしばらく読んでいてわかったのが、これは「信仰の書」だということです。そのように考えれば全てが納得できます。信仰の書だからこそ、そこから「・・・すべきだ」とか「・・・でなければならない」という行動規範のようなものが出てくる、というわけです。

ここまでわかればその前提で読んでいけば良いので、かなりスムースに読むことができます。もちろん私はその信仰を受け入れているわけではないので所々これはおかしいなと思う所は出てくるのですが、そのおかしな所もその信仰を前提とすればこういう結論になるのは理解できる、ということになります。

で、この憲法の本で最初に出てくる重要な言葉が「立憲主義」という言葉です。

私などは「立憲君主制」なんて言葉からの連想で、この「立憲主義」というのは、国の基本的なありようとかルールとかを憲法という形で明確にし、それにもとづいて法律を作ったり国の組織を作ったり国政を運営していく、という考え方のことだと思ったのですが、これが全く違いました。

芦部憲法によると「立憲主義」というのは次のような意味です。すなわち憲法というのは基本的人権をもとに作られたもので大事なものだから簡単に変更できるようなものであってはならない。特に基本的人権に関する部分は絶対に変えてはならない。そのためには多数決原理に基く民主主義であっても否定しなければならない。これが「立憲主義」という考え方だ、ということです。そして「立憲主義」に基かない憲法は、たとえ憲法という名前がついていてもそれは憲法ではない、ということです。

「立憲主義」という言葉でこんな意味を表すなんてことは想像もできないことなのでビックリしますが、憲法の世界ではこれが当然のことで、法律家の世界は憲法がその大元となっているので、法律家もみんなこのような考え方を受け入れているということになります。

憲法の中に民主主義を否定する考え方が正々堂々と登場するというのはびっくりしました。

以下、しばらく連載が続きます。

無条件降伏

月曜日, 8月 5th, 2013

はじまりは、昔からの知り合いの弁護士さん(弁護士になったのはそんなに昔の話じゃないんですが)と参院選の9党党首の討論会での改憲問題に関する議論について、電話で話したことでした。

話の中で「伊藤さん」という名前が出てきて、これが伊藤真さんという、司法試験受験のカリスマ講師だということは知っていたのですが、それと同時にかなり以前から憲法問題で発言していた人(自民党の改憲案に反対している人)のようです。で、早速読みやすそうな
 「中高生のための憲法教室」(岩波ジュニア新書)
 「憲法が教えてくれたこと-その女子高生の日々が輝きだした理由」(幻冬舎ルネッサンス)
の2冊を図書館で借りて読んでみました。

この「女子高生の・・・」というのは感動的なお話ではありますが、その中の憲法に関するコメントというか、解説の部分はどうもなぁという感じでした。

そのことを先の弁護士さんに話した所、そんな伊藤さんの本なんぞを読まないで芦部先生とか樋口先生とか、ちゃんとした本を読むように、と言われてしまいました。この先生方の本は私の読んだ伊藤さんの軽い読み物とは違って格調高い憲法の教科書のようなので、何となく気が進まないなあと思っていたら、この弁護士さん、芦部先生の本『憲法-第五版(岩波書店)』をわざわざ買ってきてくれて、読むように、と言われてしまいました。

で、読んでみると、これが確かに格調高い教科書ではあるものの、なかなか読みやすく非常に面白いということがわかりました。

「読みやすい」というのは、この本がもともと芦部先生が放送大学で憲法の講義をした時のテキストが土台となっているからかも知れません。「面白い」というのは、この場合「ツッコミどころ満載」というくらいの意味です。

とはいえこの本は司法試験や公務員試験などの憲法の標準的な教科書のようで、ということは弁護士さんや裁判官などはほとんどがこの本で勉強して、この本の理論を自分のものとして司法試験に合格しているようですから、下手にツッコムとそういった弁護士さんや裁判官の殆どを向こうに回すことにもなり兼ねないので、ちょっと厄介だなと思っています。

いずれにしてもこの芦部さんの本を読み終わったら改めてまたコメントしようと思いますが、今回のコメントはこれとは別の話です。

この芦部さんの本を読んでいて、日本国憲法ができた時の話を読んでいたら、ポツダム宣言の話が出てきました。

「ポツダム宣言」というのは何となく知っているような気がしますが、そういえばまだきちんと読んだことはなかったなと思い、この機会にちゃんと読んでみようと思いました。たまたま週末で図書館に行ったので、このポツダム宣言の載っている本を探してみました。

最初法律の棚の憲法のあたりを見ていて見つけたのが、「日本国憲法資料」という三省堂から出ている本です。これが何とも内容豊富で、A5版の本を縦書き3段組にして小さな字でびっしり書いてあるので、読むのも大変です。残念ながらポツダム宣言自体は入っていないで、それを【条件付で受入れる】という日本からの申入れに対して、【そんな条件を付けないで受入れよ】という連合国側からの回答だけが載っていました。

この文書自体、「subject to」という言葉の訳を巡って軍部と外務省が大喧嘩をした(外務省はこれを「制限の下に置かれる」と訳し、軍はこれを「隷属する」と訳したようです。普通に訳すなら、「従う」というくらいの訳になりますから、どちらもかなり政治的な訳になっています。)興味深いものなのですが、欲しいのはポツダム宣言そのものですから、とりあえずこの本も借りることにして、次に日本史の棚の戦中から戦後にかけてのあたりを見に行きました。ここで見つけたのが「終戦の詔書」という文芸春秋からでている本です。確かに薄い本ですが、いくらなんでも「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」だけで本1冊にはならないだろうと思って中を見てみると
 「終戦の詔書」(「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び」が入っているもの)の他に
 「開戦の詔書」(米英に対して宣戦布告した時の詔書)
 「年頭の詔書」(昭和21年元旦の年頭のお言葉で、いわゆる天皇の人間宣言と言われているもの)
 「ポツダム宣言」英文と日本語訳
の4つが入っていました。

さすがに3つの詔書は普段使われてない漢文の熟語がありますのでその熟語の意味を簡単に脚注に付けていますが、それ以外は余計なコメントも解説もありません。ただし漢字とカタカナ書きで、漢字は全てふりがな付きです。

で、どの文書も短いものだしせっかくだから全部読みました。そして最後にポツダム宣言ですが、全13項の最後の第13項の所で大変な発見をしてしまいました。といっても誰も知らない何か新しいことを発見したというのではなく、私がいままで間違って理解していたことを発見した、ということですが。

このポツダム宣言の第13項は日本軍の無条件降伏を求めているのですが、ということは、日本国の無条件降伏を求めているものではない、ということになります。ポツダム宣言を受け入れて日本が降伏したのは無条件降伏した、ということではなく、単に日本軍を無条件降伏させる、という条件を受け入れて降伏した、ということです。実際このポツダム宣言自体、日本が降伏する場合の条件を列挙してあるものですから、当然無条件ではありません。

にもかかわらず今まで私が、太平洋戦争に負けて日本は無条件降伏した、と思っていたのは一体何だったんでしょうか。

多分私はこの太平洋戦争終結のあたりを書いた本は何十冊も読んでいますから、無条件降伏についても百回以上は読んでいるはずです。にもかかわらず『日本軍の』無条件降伏と思わず、『日本の』無条件降伏と思っていたのは何故なんでしょうか。

実際は『日本軍の無条件降伏』と書いてある所を無意識的に『日本の無条件降伏』と間違って読んでいた、ということでしょうか。それとも私の読んだ本に『日本が無条件降伏した』と書いてあったのでしょうか。

これがわかったとして、もちろんそれによって歴史的事実が変るわけではありませんが、その事実に対する私の理解が違ってきます。日本にいろいろな指示をした進駐軍の将校は日本が無条件降伏したと思っていたのか、その指示を受けた日本の政治家や役人は日本が無条件降伏したと思っていたのか、それを報道したマスコミ・それを読んだ国民は日本が無条件降伏したと思っていたのか、それとも単に日本軍が無条件降伏したのであって日本は無条件降伏していない、と思っていたのか。

この、日本が無条件降伏したのかしていないのか、というのはもちろん既にいろいろ議論されていることのようですが、私は今まで知りませんでした。もしかすると同じように知らない人がいるかもしれません。で、自分の無知をさらけ出すようですが、コメントしてみました。

ちょっと時間はかかりそうですが、改めてこの視点から以前読んだ本を読み直す必要がありそうです。
また、本を読む楽しみが増えてしまいました。

ハンザ「同盟」の歴史

金曜日, 7月 26th, 2013

図書館の、新しく入った本のコーナーで、『ハンザ「同盟」の歴史』という本を見つけ、借りてしまいました。
ハンザ同盟というのは歴史の教科書のヨーロッパのところには必ず登場する名前ですが、なんとなくよくわからない存在です。
ヨーロッパの歴史を知ろうとしていろいろ本を読んだのですが、結局『ヨーロッパの歴史』のような本は役に立たないということがわかり、『イギリス(を中心とするヨーロッパ)の歴史』『フランス(を中心とするヨーロッパ)の歴史』『ドイツ(を中心とするヨーロッパ)の歴史』など、それぞれを読まないとそれぞれも全体もよくわからない、ということが分かって、このようなものをいろいろ読んでいるのですが、たとえばドイツであれば、どちらかと言えばフランスとの関係、イタリアとの関係、スペインとの関係、皇帝と諸侯の関係、等が中心となり、ハンザが活躍した北ヨーロッパのところはあまり書かれていません。

この本はその穴を埋めるような本で、非常に面白い本でした。

まず、本のタイトルが『ハンザ同盟』ではなく『ハンザ「同盟」』となっているところから話は始まるのですが、これが何ともおかしな話です。
ハンザ、というのはもともと組合とか同盟とかギルドとかを意味する一般名詞だったのが、ハンザ「同盟」ができて存在感が増すにつれて固有名詞になって、「ハンザ」という言葉になったもののようです。
ですから『ハンザ「同盟」』というのは同語反復ですからおかしなものですし、もともと『ハンザ「同盟」』などという言葉はなく、単に『ハンザ』という言葉しかないのにそれを『ハンザ「同盟」』と意訳したもののようです。
さらに、この『ハンザ』は実は同盟でも何でもない、ということで、その証拠にハンザの加盟都市間で加盟のための契約なり条約なりもなく、あるのは単に随時開かれる『ハンザ総会』という会議だけで、その会議に出席する都市も毎回ばらばらだ、ということのようです。
『ハンザ総会』に招待される都市が『ハンザ』のメンバーになるんだけれど、必ずしも招待された都市のすべてが出席する、ということでもないようです。
で、同盟でも何でもない得体のしれないこの存在は単に『ハンザ』と呼ぶしかない、というところからこの本は始まっています。

このようなわけのわからない話が出てくるので、本を読むのはやめられないですね。

で、この『ハンザ』ですが、おもに北ドイツのいくつもの商業都市が集まって、自分達を『ハンザ都市』だと称し、協力して主にバルト海交易で有利に商売する、というもののようです。もともとはその都市の商人が集まってハンザを形成していたのをその後その商人が主導権を持っている都市自体が『ハンザ』を形成する、ということになったようです。

私にとって、バルト海、という言葉は、日露戦争の日本海海戦で東郷平八郎がやっつけたバルチック艦隊くらいしか連想するものがなかったのですが、これが実はかなり大きな地中海で、その周りをドイツ、ポーランド、ロシア、スエーデン、デンマークなどが囲んでおり、それらの国及びそこからハンザの中心となるリューベック、ハンブルグという都市を経由してオランダ、ベルギー、イギリスとも活発に貿易取引をしていた、そんな海だ、ということです。

普通の地中海貿易が香料とか香辛料とか、その他小さくて値段の張るぜいたく品を中心にしていたのに対し、この北の地中海であるバルト海貿易では材木(木材)や穀物等、かさばる日用品を中心とした貿易だった、ということとか、ハンザは政治や軍事に基本的に興味を持たず、商業にしか興味がなかったとか、ハンザの初期のころのイギリスは海運力が全くなく、対外的な交易は専らイタリアの商人とハンザの商人が行なっていた、とか、ハンザ都市ではビール作りが大きな産業で、ビールがかなり重要な交易品だった、とか、ハンザの都市のそれぞれがどのように似ていてどのように違っていたのか、とか、宗教改革がどのような影響を与えたのか、とか、ドイツその他の国が国としてまとまっていく過程でハンザがどのように影響力を失い消えていったかとか、盛りだくさんの話題があり、なかなか面白い本です。

神聖ローマ帝国とそれを構成するいろんな諸侯国、周辺の国々、司教座都市にいる司教勢力、ドイツ騎士団、貿易の競争相手であるオランダやイギリスの商人たち等、様々な登場人物が入り乱れて縦横に活躍する姿は、今まで読んだヨーロッパの中世史には入っていなかったもので、存分に楽しむことができました。

もしこんなことに興味があったら読んでみてください。

ハンザ「同盟」の歴史
中世ヨーロッパの都市と商業
創元世界史ライブラリー
高橋 理/著
創元社

ケインズ・・・19回目(最終回)

水曜日, 7月 17th, 2013

さて、前回まででケインズ一般理論の本文は終わりです。でも私が読んだ岩波文庫の間宮さんの訳には、間宮さんの先生にあたる宇沢弘文さんという高名な経済学者による「解題」と、訳者自身による「『一般理論』に関する若干の覚書 - 「あとがき」に代えて』というものがあります。またついでに買って途中まで読んだ、講談社学術文庫の山形さんの訳にはさらに
 ・ 日本版への序
 ・ ドイツ語版への序
 ・ フランス語版への序
というケインズ自身の書いたものと、特別付録として
 ・ ヒックスの書いた「ケインズ氏と古典派たち : 解釈の一示唆」
というものと、
 ・ クルーグマンの書いた「イントロダクション」
さらに訳者自身による
 ・ 「ケインズ 一般理論 訳者解説」
が付いています。

とりあえず「一般理論」が一段落した所で、これからいろいろな解説書(日本では版権の関係で翻訳がなかなかできなかった分、多くの解説書が出ているようです)を読んで、経済学者の先生方の理解と私の理解がどれくらい違っていてどれ位同じか確かめてみようと思っているのですが、とりあえずはまず小手調べとしてこれらの付録を読みました。

ケインズ自身による序はごく簡単な概要になっていて、特にフランス語版の序はフランス人向けにモンテスキューについてかなり好意的に書いて、「一般理論に近い」というようなことを言っています。

宇沢さんというのは見るからに大学者ですが、この解題はちょっとアレッ?という所があります。この先生は別に岩波文庫で一般理論の解説をしていますので、これも読んでみようと思います。

ヒックスというのはケインズの一般理論を「IS-LM分析」という形に整理した人で、それがサムエルソンの教科書に取り入れられたりして、「一般理論=IS-LM分析」ということになっています。この山形さんの訳に付いていた論文は、このIS-LM分析を書いたものです。

山形さんの一般理論の訳は途中まで読んだのですが、あまりにも訳が乱暴なので(訳した文章が乱暴だということではなく、訳し方が乱暴だということです)、だいたい1/5位の所までしか読んでません。で、ケインズの序は特に違和感もないのですが、このヒックスの論文の訳もちょっと乱暴なので、分量もそれほど多くないので、結局全部原文の英語で読み直しました。

で、どう読んでみてもこれが一般理論とはとても思えません。せいぜい一般理論の大雑把な応用問題の一つという位のものだと思いますが、一般にはこれが一般理論そのものだと思われていて、大抵の大学の経済学の教科書には一般理論そのものでなくこのIS-LM分析が紹介されていて、次にコメントするクルーグマンの「イントロダクション」によると、
 【そのために多くの経済学者が一般理論を攻撃したけれど、その人達はヒックスの論文は読んだとしても一般理論自体は読んでないに違いない】
ということになります。

このヒックスの論文だけなら文庫版で20ページ位、式や図もちゃんと入っていて、しかも数式の扱い方もかなりいい加減ですから、経済学者の先生方にはわかりやすいかも知れません。後日これを書いたヒックス自身、「ケインズの一般理論をIS-LM分析と同じだと言ったのは間違いだった」と言うようになっているんですが、その後このIS-LM分析でヒックスがノーベル経済学賞を取った、などという皮肉な話もあります。

最後のクルーグマンのイントロダクションは理論的な話ではなく、一般理論を巡るお話といったものですから、山形さんの訳でも殆ど抵抗なく読めました。ケインズの一般理論は素晴らしいけれど、多くの経済学者は読んでいない。クルーグマン自身、学生の時に読んだきりで、次に読んだのは数十年後だった、なんてことを書いています。

一般理論の面白さがわかるのは、そんなに難しいんでしょうか。専門の経済学者は新しい本や論文を読んで自分も論文を書かなきゃならないので昔の本を読んでる暇はない、なんてことも書いてあります。「最も高い評価を与えられる経済学の業績は、アダムスミスの国富論とケインズの一般理論だけだ」と言っている所は同感です。

ケインズは一般理論の最後に「25ないし30を超えた人で新しい理論の影響を受ける人はそれ程いない」と書いています。ケインズは経済学と政治哲学についてこう言っているのですが、同様なことは相対性理論でも素粒子論でも言われたことがあります。もちろん言ったのは超一流の物理学者です。新しい考え方は、若い頃その新しい考え方に触れた人にだけ受け入れられて、その後、若い頃古い考え方に触れてしまったために新しい考え方を受け入れることができなかった古い考え方の人が死に絶えると、ようやく新しい考え方が主流になる、ということです。

私がケインズの一般理論に感激したのは、25ないし30までに経済学をちゃんと勉強しなかったからなのかなと思うと、若い頃あまり勉強しない、というのも悪いことじゃないかも知れません。

ここまででちょっと回数は切りが悪いですが、半年にわたったケインズのシリーズは終りです。
機会があったらまたしばらくして、いろんな一般理論の解説書を読んだ後にその結果を報告するかも知れません。

長々とお付き合い頂き、有難うございました。

ケインズ・・・18回目

火曜日, 7月 16th, 2013

さて、一般理論もあと2章残すだけです。

最後の前の章は今までの古典派批判の締めくくりとして、古典派に否定されてしまった重商主義についてこれを復活させ、またゲゼルという一風変った人の経済学の紹介、「蜂の寓話」の話、反古典派のホブソンとマムマリーの理論の紹介になっています。

古典派が登場する前、経済学は重商主義という考え方が主流でしたが、古典派により完膚なきまでに否定されてしまったということです。それをケインズは「古典派よりよっぽどまし」と言って、復活させています。ケインズの解説を読む限り、重商主義にそれほど問題があったとも思えませんし、ケインズの「重商主義者は問題の存在は察知していたが問題を解決するところまで分析を押し進めることができなかった。しかるに古典派は問題を無視した。問題の非存在を含んだ諸条件を彼らの前提に導入したからである。」という言葉を読むと、古典派というのは何の役にも立たない頭でっかちのような気がしますが、それが一世を風靡したということと何となくしっくりきませんし、いずれ機会があれば古典派の経済学とその前の重商主義についてちょっと勉強してみましょう。

古典派について最後にケインズが言っている
 【思うに古典派経済理論は影響力の点である種の宗教に似た所がある。人々の常識的なものの考え方に深遠なものを吹き込むよりは自明なものを追い払ってしまう方が、はるかに大きな観念の力を行使できるからである。】
というのは考えさせられます。

重商主義の復活の後は、古典派の世界の中で古典派に反対する立場をとった経済学(というか経済思想)を紹介しています。

まずはゲゼルという人の話があります。
 「この書物全体の目的は反マルクス主義の社会主義を打ち立てることにあると言っても良いかも知れない」とか、
 「将来、人々はマルクスよりもゲゼルの精神からより多くのものを学ぶだろう。そう私は信じている」
なんて書かれてると、ちょっと興味がわきますね。
ちなみに一般理論でマルクスが引き合いに出されているのは古典派という言葉をマルクスが言いだした、というところとこのゲゼルのところだけです。
ただしこのゲゼルというのは、ケインズは「理論が不完全だったためにアカデミズムの世界から無視されたんだろう」と言っていますが、このゲゼルの著作の日本語訳は(間宮さんの訳の文献一覧によると)なさそうなので、読むのは難しいかも知れません。日本の長期にわたるデフレ脱却の手段として時折「スタンプ付き」貨幣というアイデアが紹介されますが、このアイデアはゲゼルのもののようです。

その後、マンデヴィルの「蜂の寓話」の紹介とか、ホブソン・マムマリーの「産業の生理学」の紹介とかがあります。これは不完全ではあるけれど、古典派の欠陥をついた主張として、ケインズはあくまで古典派の攻撃にこだわっているようです。

ケインズ一般理論最後の章は「一般理論の誘う社会哲学 ― 結語的覚書」というタイトルで、総まとめの章です。冒頭、「我々が生活している経済社会の際立った欠陥は、それが完全雇用を与えることができないこと、そして富の所得の分配が恣意的で不公平なことである」と書いてあります。

この完全雇用については一般理論で論じたものですが、富と所得の分配についても、大きな不平等は問題だけれど、ある程度はあっても良いと考えているようです。
 「人間は危なっかしい性癖を持っているが、この性癖は蓄財や私的な富の機会があればこそ、比較的無害な方向に捌けさせてやることができる。」
 「人間が同胞市民に対して専制的権力を振るうよりは、彼の銀行残高に対して専制的権力を振るう方がまだましである。」
というあたり、やはりケインズはあくまで現実的に問題をとらえ、経済学の枠にとらわれない考え方のできる人です。

この章の最後にケインズは「問題を正しく分析することによって、効率性と自由を保ったまま病を治癒することもあるいは可能かも知れない。」と言ってあるべき未来についての希望を述べています。
 「このような思想を実現することは夢物語なのだろうか。」 
 「だが思想というものはもしそれが正しいとしたら、時代を超えた力を持つ、間違いなく持つと私は予言する。」
 「早晩、よくも悪くも危険になるのは既得権益ではなく、思想である。」
として、いずれ将来、一般理論により多くの問題が解決される時が来る期待を表明しています。

今の所まだそのような未来は来ていないようですが、やはりケインズは学者の枠には収まりきれない人のようです。

韓国の稲作

木曜日, 7月 11th, 2013

韓国の歴史の教科書を読んで、韓国では17世紀頃稲作で田植え法が主力となり収穫が急増したという記述をみつけ、日本では弥生時代から田植えをやっていたはずなのに、どういうことだろうと思いました。

で、この前の記事に書いた「両班」という本にその答がみつかりました。

韓国ではその昔中国から農業の教科書を輸入していたのですが、気候・風土の違いからなかなかそのまま適用するのが難しかったようです。そして世宗(セジョン)という王様が韓国の実際の農業を調査して、韓国用の農業の教科書「農事直説」という本を1430年に刊行したということです。

この中に稲作については水耕法・乾耕法・挿種法の3通りのやり方が書いてあります。水耕法というのは、水田直播き法、乾耕法というのは乾田直播き法で、挿種法というのが田植え方式だということです。

で、この三つの方法があるけれど、水耕法が基本で挿種法は農家にとって危険きわまりない方法なのでやってはいけないと書いてあるようです。
 「この方法は除草には便利であるが、万一日照りの年であれば手のほどこしようがない」ということのようですが、要は苗代を作っていざ田植えという時に田んぼに水がなかったら田植えのしようがない、ということのようです。

日本の稲作でも田の草取りというのは一番大変な作業だったんですが、それが「便利」ということだと韓国の水田播き法の草取りはどんだけ大変だったんだろうと思います。

それにしても日本では田植えというのは梅雨の季節とも重なり、「田んぼに水がない」なんてことは思いもつかないんですが、韓国では確かに田植えの頃の降水量はそんなに多くありません。

日本では日照りというのはむしろ夏の暑い頃の話で、「水がない」と言ってもまるっきりないわけじゃなくて、水のあるところから田んぼまでどうやって水を引いてくるのか、運んでくるかという話ですが、韓国では「ない」となったらどこにもないんでしょうね。

で、田植え法は世宗(セジョン)大王がダメ、と言っているんですから現実的に禁止されていたのですが、それでも次第に行なわれるようになり、1619年に「農家月令」という本が出て、この本では水田直播き法と田植え法が対等に扱われ、禁止ではなくなり、それを受けて1655年に「農事直説」の改訂版として「農家集成」という本が出て、これに田植え法とそれを可能にする灌漑技術が詳しく紹介され、こっちは公認の本なので今度は安心して田植え法が全国的に広がったということのようです。

韓国ではそれまで灌漑の方法としてはため池を作るという方法で、これは国家の公共事業となるような大工事が必要だったのを、その後川をせき止めて灌漑に使う簡便な方法が開発され、これによって田植え法が可能になったようです。

乾田直播き法では、土の中の水分の蒸発を抑えるためあんまり丁寧に土を耕さず、種を播いたら土をかぶせた後しっかり土を固めるという指導がなされているようです。

日本では「水やり」というのはどうやって水を引っ張ってくるかという話であって、土の中の水分の蒸発をどうやって防ぐかという発想は今まで私は聞いたことがなかったので、これも新鮮な驚きです。
こんな思いもかけない話があるので、本を読むのは楽しいですね。

なお「農事直説」を作らせた世宗という王様は韓国でもとびぬけて立派な王様で、ハングルを作った王様でもあり、また朝鮮から日本へ使節を送るにあたり日本の水車の作り方を調べて来るようにその使節に命じ、日本でその模型まで作ってきたのにその当時の韓国の技術では水車を作ることができなかったなどというエピソードもあるようです。

私が通った高校は普通科なのに農業という科目が必修だったので、あまり勉強した覚えはないのですが、田植えや稲刈りは実際に経験し、ちょっと懐かしい思いがします。