東電いじめはもうやめよう

4月 25th, 2011

相変わらず原発事故で東京電力がいじめを受けていますね。金曜日には東電の社長さんが福島で袋叩きにあったような状況で、テレビでも大騒ぎで報道していました。

でも落着いて考えてみれば、東電はこの震災の被害者ではあっても加害者ではありません。原子力損害賠償法によっても、普通に考えれば東京電力に損害賠償責任はありません。

それを、今の流れは全ての賠償責任を東京電力に全面的に負わせてしまおう、というのですから、まあ、無茶苦茶な話です。

とはいえ、地震の方もまだたびたび余震が繰り返され、原発の事故も大分落着いてきたとはいえ、落着いてきたら今までわからなかった新たな問題が次々にみつかり、なかなか「これで安心」ということになりません。

震災というのは天災ですから、誰のせいということもできません。とはいえこれだけひどい目にあったのだから誰かに文句を言いたいという気持は良くわかります。

その気持が今東電と菅さんに集中しているんだろうと思います。マスコミは誰かを悪者にしてコテンパンにやっつけるというのは、得意中の得意です。誰も悪くないなんて言っても視聴者は喜ばないですからね。

でももうそろそろ、こんな理不尽なスケープゴートごっこはやめにしたらどうでしょう。誰かをいじめて鬱憤は晴らせるかも知れませんが、これによって何も改善はしませんし、何も前には進みません。

まあこの東電バッシングも震災が落着いてきてショック状態から回復する過程の一時的なもので、それほど長続きすることはないんでしょうが。

それにしても「もうそろそろ・・」と思うんですが。

保険経済価値

4月 21st, 2011

4月18日号の週刊金融財政事情(いわゆるキンザイ)に、「保険経済価値規制の是非を問う」というテーマで特集が組まれています。

「市場整合的な保険負債の評価は規制、開示になじむか」というテーマの座談会と、関連する論文4つ、記事が1つ集められています。登場するのはコンサルティング会社、生・損保会社、金融庁に所属する人達です。

どれも非常に面白いのですが、特に座談会での生・損保会社の人の発言や、その座談会にも参加しているソニー生命のアクチュアリーの花津谷徹さんの論文が印象的です。

花津谷さんの論文は「生保経営におけるMCEV開示の意義」というタイトルで、MCEVと市場整合的なEEVとの違いとか、ソニー生命のMCEVと、T&Dグループ・第一生命のEEVとの、2008年3月期~2010年3月期の3期分の比較が載っています。具体的な数字がうまくまとまって比較されているので、非常にわかりやすい説明になっています。

さらにソニー生命の取組みについてかなり詳しく具体的に説明してあり、たとえば「07年度までのソニー生命はおよそALMとは対極の投資行動を取っていた。」とか「ソニー生命は08年度末にMCEVの半減により内部管理基準で資本不足に陥り・・・ちなみにこの時の法定ソルベンシーマージン比率は2000%を超えていた」といったドキッとするようなことが平然と書いてあり、経営とリスク管理の立場の違い、法定会計とMCEVとの視点に違いにどのように対応していくか、対応していったかという具体的な話が書いてあります。

EEVやMCEV、経済価値会計について、理屈の説明だけではなかなか具体的なイメージがつかめない人も、生々しい現実を垣間見ることで理解が増すのではないかと思います。

なおキャピタスコンサルティングの森本祐司さんの「経済価値ベース規制の流れを理解するために」という論文も、全体を理解するためのキーワードをうまく整理して解説してあり、勉強になります。

座談会にも参加し、また論文も書いている金融庁の植村信保さんによると
植村さんのブログ)、
金財のこの号の記事は
きんざいのHP
から、今なら全てpdfで読むことができる(21日まで大震災に伴うサービスだそうです)とのことなので、金財が手近にない人はとりあえずネットで開いて印刷するなりダウンロードするなりしておくと良いかも知れません。

(時間切れで間に合わなかった人は、メールで知らせていただければ私がダウンロードしたものを内緒でお送りします。)

補償料の大騒ぎ

4月 18th, 2011

私の友人の、KENさんという、保険の代理店をしている人は、この大震災以来、かなりお怒りモードでちょっと近づきがたいんですが、少し落ち着いてもらいたいな、と思ってKENさんのブログに投稿したところ、同じく昔からの友人のeikoさんが登場してきました。
で、震災と原発関連の話をした後、eikoさんから、ついでにこんなコメントが来ました。

と別件ですが、東電の事故に対する補償料のこと。あれは補償料だったんですか? そもそも事故が起きるなんて想定していなかったのではないかな? 「民間保険の保険料率が下がったので補償料率も下げた」という言葉にも唖然としてしまったのですが、アクチュアリーのご意見を聞きたいです。

アクチュアリーのご意見なんて言われると、答えないわけにはいかないので、ちょっと調べてみたら、ネット上で結構大騒ぎになっていることがわかりました。

たぶん毎日新聞の記事が元になって、それがデマのように伝わって、大騒ぎになっているようです。

私が調べた結果が以下の通りです。

この内容は、KENさんのブログにコメントの形で載せたのですが、ちょっと面白い話題なので、こちらにも転載します。

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この騒ぎは4月13日の毎日新聞の記事が元のようです。

東日本大震災:福島第1原発事故 賠償補償料足りず 差額、国民負担に

記事に間違ったことは書いてないようですが、かなり誤解あるいは、無理解の解説のようで、これがネット上で大騒ぎを引き起こしているようです。

この原子力損害賠償法、正式には『原子力損害の賠償に関する法律』というもので、昭和36年にできている法律です。

これは、原子力事業で損害が生じたときに誰が損害賠償に当たるか、ということと、そのための損害賠償措置(損害賠償のための資金手当てのための措置)について規定している法律です。

まず、原子力損害について、
この法律において「原子力損害」とは、核燃料物質の原子核分裂の過程の作用又は核燃料物質等の放射線の作用若しくは毒性的作用(これらを摂取し、又は吸入することにより人体に中毒及びその続発症を及ぼすものをいう。)により生じた損害をいう。
と定義されています。野菜や牛乳を廃棄したのは損害になりますが、避難指示のために避難した損害まで含まれるんでしょうか。

次に、賠償責任について、
原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
と規定しています。
この賠償責任額には限度が無く、無限責任です。

ここで、『異常に巨大な天災地変によつて生じたものであるとき』について、今回の事故がそれに当たるかどうか、という議論はあります。国はこれに当たらない、と言いたいようですが、常識的に考えると千年に一度の地震を異常に巨大な天災地変でない、というのも無理があるように思います。東電はともかく、仮に保険会社(特に外国保険会社)が関わっていると、簡単には引っ込まないで裁判になるでしょうね。

つぎに、『損害賠償措置』ですが、これは上の損害賠償責任を果たすための準備としての措置です。これは、自動車を買うときの自賠責に当たるものです。自賠責ですから、賠償責任はこれだけ、ということではなく、あくまで最低限の事前準備というものです。自賠責に入らないと自動車を持ってはいけないのと同じように、この措置を講じておかないと原子力事業をしてはいけない、ということになっています。

この、『損害賠償措置』の具体的な内容として、
原子力損害賠償責任保険契約及び原子力損害賠償補償契約の締結若しくは供託
即ち、民間の損害保険の契約で手当てしてもいいし、国が行う補償契約でもいいし、供託金を積んでおくのでもいいから、それらをあわせて、原発の場合でいえば最低1,200億円準備しておく必要がある、ということです。

で、この『原子力損害賠償補償契約』ですが、原子力事業者が補償料を政府に払い、事故が起きたときに政府が損失を補償する、というものです。『補償料』ということですが、普通の言葉遣いでは『保証料』にあたるものです。
この、『補償契約』『補償料』は1年掛け捨ての保険に当たります。

で、この『補償契約』について、1962年から2010年までの約50年で東電が支払った『補償料』が総額150億円でしかないのに政府の負担する補償額が1,200億円なので1,000億円以上が国民負担になる、というのが毎日新聞の記事の内容です。

この1,200億円というのは『損害賠償措置』の必要額ですが、これは当初、50億円だったものがその後2009年には600億円になり、2009年から 1,200億円になったもののようです。また、東電が『損害賠償措置』の必要額の全てを『補償契約』でカバーしていたのかどうかもわかりません。ですからこの『補償料』の内訳もわからないのですが、いずれにしてもその支払額の累計を現時点の補償額1,200億円と比較しているんですから、この段階ですでにまるで比較になっていません。記事では『積み立てではない』と書いてあるのですが、この比較の仕方では積み立てのように理解されてしまうのも仕方ないことと思います。

この『補償料』の料率についても、現在は1万分の3で、その前補償額が600億円だったときの1万分の5から大幅に下がっています。これを『民間保険で保険料率が低下傾向にあることを反映して料率を引き下げた』などと解説するのも誤解の元です。この『補償契約』は賠償保険のようなものですから、金額が高くなっても保険料(補償料)はそれほど高くなりません。料率で考えると大幅な引き下げになります。これは、個人の賠償保険の場合、保険金額100万円でも1億円でも保険料がほとんど変わらないのと同じことです。

いずれにしても千年に一度の災害だとすると、1万分の3でもまだ十分高いと思います。

そんなわけで、毎日新聞の記者さんはわかったことを正直に書いて、わからなかったことはわからないままで記事を書いてしまったため、記事にウソは無くても結果的にデマ、あるいはデマの元、のような記事になってしまった、ということだと思います。

なお、ついでにこの法律の後のほうにちょっと面白い条文があります。

原子力事業者の損害賠償責任について
政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者が損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。
ということで、政府援助があるようです。もちろん援助といってもただでお金をくれる、ということとは限りませんから、お金を貸してくれる、というのも援助に入ります。
いずれにしても原子力事業者の損害賠償責任は無限責任ですから、政府援助がないととても足りないかもしれません。

いずれにしても必要な補償は足りない分だけ政府が一緒になって何とかしてくれるのかな、と思うと、すぐその下で
前項の援助は、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において行なうものとする。
となっていますので、国会が議決した金額の範囲内、ということで、いくらでも援助してくれるわけではなさそうです。

で、面白いのはこの後で、
政府は、原子力損害で規定する額をこえると認められるものが生じた場合においては、被災者の救助及び被害の拡大の防止のため必要な措置を講ずるようにするものとする。
と書いてあります。

この最後のところ、普通は
『講ずるものとする。』
という風に書くんですが、わざわざ『ようにする』を加えて
『講ずるようにするものとする。』
となっています。

私は法律の専門家ではありませんが、商売柄結構法律を読んでいるほうだと思います。
ですが、こんな『ようにする』なんていう法律ははじめて見ました。
面白い法律ですね。

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以上が、私が調べた結果です。

大震災の生保の保険金

4月 15th, 2011

昨日(4月14日)の日経新聞に、国内主要生保9社の東日本大震災の保険金支払見込額が1,780億円になるという記事が出ました。9社以外の分も合わせると2,000億円程度だということです。

この額「すごい額だな」と思ったでしょうか。「たったそれっぽち」と思ったでしょうか。

去年3月末までの平成21年度決算の生保会社の死亡保険金支払額は全社合計で、死亡保険金2兆7,435億円・災害保険金391億円・高度障害保険金2,504億円・死亡給付金2,590億円。全部合計して3兆2,920億円です。

どうせ記事にするんだったら、新聞社もこれくらいの数字をつけておいてくれると嬉しいんですけどね。

がんばれ菅さん again

4月 15th, 2011

地震から1ヵ月たって、いよいよ政治家が大声を出し始めましたね。何とかして目立とうと思って、菅さんを引きずりおろそうと躍起になってますね。
まあこのまま放っておくと自分達がテレビに出る機会はなく、枝野さんや菅さんばかりが登場するというので、あせっているんでしょうか。

菅さん、そんな雑音に惑わされずがんばって下さい。今菅さんの最大の頑張りは『やめない』ということですから。
今までの対応、誰がやったとしても菅さんよりうまくやれた人なんていないんですから。これから先、仮に菅さんが別の人に代わって事態が好転したとしても、それは菅さんがそのまま続けていたとしても好転していたはずのもので、別に菅さんが誰かと交代した結果ではないんですから。

今の政治家の騒音を聞いていると、赤ん坊の大泣きのようですね。何か大きな事故に遭いそうになって、その直後はビックリして声も出ないで固くなっているたが、すぐにお母さんが手当てしてくれて「もう大丈夫」と胸に抱かれた途端安心して大声で泣き始め、「もう大丈夫だから」といくらなだめてもなお一層大声で泣き続けるという、良く見慣れた光景です。

被災地ではようやく水も食べ物も、ガソリン・軽油・重油も届くようになったようです。住宅も建設が始まって、届きつつあります。
この次はお金を届けることです。初めは義捐金とか保障金とか賠償金を届けるということになるのでしょうが、そのあとできるだけ早く被災地の住民・企業が自分で働いてその対価としてお金を稼ぐ・・・そのような形でお金を届けることです。
そこまで行けばもう誰がやっても大丈夫ですから、交替しても良いです。それまでは大変でしょうが、がんばって下さい。

大変な時に強力なリーダーが必要だ、などというタワ言に耳を貸す必要はありません。日本人はそんなにだらしがない民族じゃありません。リーダーが必要だというのは、リーダーがいなければ何もできない、ひ弱な連中の言うことです。日本人はリーダーなどいなくたって、自分達で着実に問題を解決できるし、実際そうしていることがこれまでのニュースではっきりわかります。

今総理大臣がしなくちゃいけないのは、そのような自主的な復興の動きを止めないため、訳の分らないデマや噂話をできるだけ抑えることと、自主的な動きを邪魔する雑音を排除することです。

日本の官僚は優秀ですから、ほっといても復興に向けてのプランをすでに練っているはずです。彼らがいなければ、誰かが菅さんに代わったところで何もできないのは、はっきりしています。
1ヵ月以上もこの震災で、地震そのもの以上に振り回されてお疲れだと思いますが、めげないで、あきらめないで、がんばって下さい。

大相撲

4月 15th, 2011

相撲協会の八百長問題、いよいよ大変なことになりましたね。

昨日、協会の言う通りに引退しない力士を解雇することにしてしまって、いよいよ裁判になりそうですね。
「解雇」ということは、力士というのは雇用契約だったということでしょうか。雇用契約できちんとした理由もなしに解雇したら、不当解雇ということになりますよね。

今までのニュースで見る限り、今回処分された八百長のほとんどははっきりと立証できるだけの根拠なしの単なる印象判断のようですから、法的な手続きに耐えられるとも思えません。

これで裁判になって、不当解雇で敗訴ということになると、もう公益法人もへったくれもなくなってしまいますね。
いつの頃からかわかりませんが、訳の分らない外部の有識者かなんかを入れてしまったのが大失敗だったということでしょうか。

もう大相撲復活の日は来ないんでしょうか。残念ですね。

原発事故の評価レベル

4月 13th, 2011

大地震から1ヵ月。大分落着いてきましたね。落着いてきた分、地震直後にはなりをひそめていた雑音が日に日に大きくなり、これもまた厄介ですね。

地震直後はなかなか情報が入らず多少は誤報もありましたが、情報の選択にはあまり困難はありませんでした。ほとんどの情報は情報そのものでしたから。

落着いてきたら、何の役にも立たない、不安をかきたてるためのマスコミの報道、それに協力する評論家や学者の先生たちのもっともらしいおしゃべりが急増して、ちゃんとした情報を見つけ出すのがなかなか面倒になってきています。
でもまあここは辛抱して、気長に玉石をえり分ける作業を続けるしかないんでしょうね。

そんな中、昨日の原発事故の評価レベル7の報道にはびっくりしましたね。

と言っても、マスコミが大騒ぎしているように評価レベルが7になったことにびっくりしたのではなく、評価レベル7になったことにマスコミその他が大騒ぎしていることにびっくりしたんですけれど。

評価レベルが5から7になったからと言って、別に事態が悪化したわけではなく(良くなったわけでもありませんが)、現場では着実に事態の封じ込めの作業が続いています。評価レベルは7が最高レベルだからといって、今回の事故がチェルノブイリの事故と同じ程度というわけではありません。

今までの推移からすると、時間はかかるものの福島原発の事故は何とかこのままうまく封じ込めできるんだろうと思いますが、仮にそれこそ想定外の事故がまた発生して事態が深刻になったとしても、評価レベルはもう7以上はありませんから、これ以上引上げられることはありません。そうすると事態が深刻になっても、大騒ぎは起こらないんでしょうかね。

この大騒ぎを見て、やはりマスコミをはじめ多くの人は自分で判断するのは好きじゃないんだな、と感じます。誰か他の人が評価してくれる、特に点数で評価してくれると、それでもう自分で判断する必要はないので、安心してその評価を丸呑みしてしまうんですね。

落着いて考えてみれば、人を評価するのに本人より学歴や勤めている会社や職名の方を重視したり、英語がしゃべれるかどうか話してみるよりトフルやトーイックの点数の方を重視したり、勉強したことがわかっているかどうかより試験の点数の方を重視するという状況ですから、事故の現実の情報より評価レベルの点数の方を重視するというのも、まあ当然なことかも知れません。

それにしてもこの雑音の高さ、うんざりですね。

と、ここまで書いてインターネットのニュースを見たら、このレベル7にロシアの専門家が文句をつけたようですね。
『福島の事故は、あんな程度でレベル7なんてのはおこがましいにもほどがある。せいぜいレベル4がいいとこだ』、というようなことのようです。
ロシアとしてはレベル7はチェルノブイリのロシアが独占、という状況を堅持したい、ということでしょうか。
この評価レベル、というのはこの程度のものだ、ということでしょうか。

最悪の事態

4月 13th, 2011

今回の大地震の対応や原発事故の対応について、訳のわからない評論家や解説者が「最悪の事態を想定して」などと意味のないことを言ってますね。
それを真面目に聞いている方も聞いている方ですが。

今回の原発の事故について「最悪の事態を想定して」と言われて、たとえば次のような想定をしたとしましょう。

大きな余震が来て、放射能がさらに放出され誰も近づけなくなってしまって、手の打ちようがないまま原子炉が加熱しついに爆発してしまい、それが引き金になってもう一度大きな余震がおこり、それが引き金になって今度は東海・東南海・南海でも大規模地震が起こり、東海・近畿・四国・九州は大津波で壊滅的な被害を受け、その地震が引き金になって日本中で地震・火山の噴火が続発し、ついには日本沈没に至る。

こんな最悪な事態を想定しましょうか、などと言ったら、多分「そんな非現実的なことを考えるんじゃなくて、もっと現実的な最悪の事態を考えるべきだ」なんて、非難されるんでしょうね。

でも「現実的な最悪な事態」って、一体何ですかね。その「現実的な最悪の事態」を超えるような最悪の事態が、最悪の事態じゃないでしょうか。

そして本当に最悪の事態を想定したら、もう何をやってもどうにもならないんだから、逃げ出すしかないと言って、できることもしないで放置するということになってしまうでしょう。

日本が沈没するのに、チンタラ原子炉に水を入れててもしょうがない。それより一刻も早くできるだけ多くの日本人を国外退避させることだ、というような話ですね。

これからわかるように「最悪の事態を想定して」というのは、要するに考えるのをやめて何かするのもやめて、なるようになるに任せるという無責任な話だということが良くわかります。

その結果、事態が悪くなったら、やっぱり思っていた通り、最悪になったじゃないか、なんて自慢するんでしょうか。

こんなことを毎日のようにテレビで偉そうに話をされるとウンザリします。

都知事選

4月 13th, 2011

東京都知事選、開票する前から石原さんの四選の当選確実が出てしまって、本人が怒ってましたね。でも、当選してしまって、可哀想に。

今はまだ地震と原発事故が終わっていないので、石原さんもパチンコ屋と自動販売機の悪口を言っていれば良いんですが、いずれ落着いてきたら、もっと大事な事も話題になるでしょう。

石原さんが都知事でいる限り、新銀行東京の大穴の問題もオリンピック誘致の無駄使いも当然話題になるでしょう。
東京都民はこれらの問題で石原さんをあらためて責めるために、もう一度知事に当選させたということでもないでしょうが。

今回の選挙、石原さんは地震対策で忙しいという理由でほとんど選挙運動をしなかったようですが、これで当選してしまってこれから4年、どうするんでしょう。晩節を汚すことになってしまいましたね。

京セラの稲盛さんもそうですが、歳をとると引き際が難しいようですね。

科学的

4月 13th, 2011

地震から1ヵ月の月曜日、日経新聞の「春秋」というコラムに変なことが書いてありました。

このコラムは朝日新聞でいえば「天声人語」というコラムにあたるものです。私は朝日新聞は健康のため、基本的に読まないことにしているので、まだこのコラムがあるかどうかわからないのですが。

で、普段は日経新聞のこのコラムも読まないのですが、「戦艦大和の吉田満」という部分が目に入ってきて、次に「山田風太郎」という部分が目に入ってきたのでついつい読んでしまいました。山田風太郎といっても「くノ一忍法帖」の方ではなく、戦中戦後の日記の方ですが。

で、このコラムは「吉田満も山田風太郎も日本の敗戦を受けて、もっと科学的でなければならない・・・と言っている」と書いています。
そこまでは良いんですが、その結論として今回の原発事故について想定外とか泥縄の対応とか、科学的でないと反省しています。

記者が反省したいのであれば勝手にすればいいだけですが、こんな非科学的なコメントを科学的であるかのように書かれ、吉田満や山田風太郎が引き合いに出されるとなると、吉田満や山田風太郎が可哀想だなと思わずにはいられません。

この記者さん、科学というのは「真実」とか「真理」とかだと思っているんでしょうね。そして科学を神棚に祭ってその前でかしわ手を打てば全ての情報が手に入り、全ての解決策が出てくるとかでも思っているんでしょう。

「科学」というのは仮説であって「全て想定でしかない」、なんていうことはコレッポチも考えていないんでしょうね。
まあこのように科学を神棚に祭ってかしわ手を打つのはこの記者さんだけでなく、科学者として大学の先生なんかになっている人にも珍しくなさそうですから、無理もないと言えば無理もないんですが。

そういえばこの前の週末のテレビで「想定外」という言葉について、「「想定外」というのは、想定外だと想定していたんだろう」などという発言が耳に飛び込んできました。誰がどんな文脈で、どんな意味で言ったのか覚えていませんが、面白いなと思って耳に残っています。

「想定外のことというのは、想定外だと想定したことだ」となってしまうと、全てのことは「想定済み」「想定の範囲内」ということになってしまいますよね。