Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

『統計学が最強の学問である』

木曜日, 5月 22nd, 2014

『統計学が最強の学問である』という本を読みました。

何か知らないけれど統計学の方がベストセラーになっているということで、読んでみようと、図書館で予約し、1年がかりでようやく借りることができました。さいたま市立図書館にはこの本の在庫が20冊もあるんですが(図書館自体、分館も入れると24もあります)400人以上の予約が入っているので、今から新規に予約したらやはり1年位は待つことになりそうです。

で、本の中身ですが、タイトルとはまるで違います。統計学が最強の学問であるなんてことは言ってません。統計学の本でもありません。本の趣旨は統計学や統計データに騙されないため、統計学や統計データの取扱についてそれをどのように理解したら良いか判断する能力(リテラシー)が大切だということのようです。あるいは統計を使ってかなりいい加減な主張をする人も多いから、気を付けなければいけないということのようです。

ですからこの本を読んで、統計学がわかるわけではありません。統計リテラシーが身につくわけでもありません。リテラシーが大切だということが、何となく分かるだけです。でも統計や統計学に関するいろいろな話題が盛りだくさんに紹介されているため、読んでいるうちに何となくわかったような気持ちになるかも知れません。

実際に統計学の説明をしているわけではないので、その分気楽に読めます。正確な知識は得られなくても、統計や統計学に関するいろんな言葉を覚えることができます。この本を読んで興味を持ったら、今度はちゃんとした本で勉強するという読み方もできそうです。

ある程度統計学を知っている人は、楽しく読めるかも知れません。統計学を知らない人は、統計学についてきちんとした説明なしで新しい言葉が次々に出てきて議論がどんどん進んでしまうので、もしかすると途中で読みたくなくなってしまうかも知れません。

この本の後ろの方では『統計家たちの仁義なき戦い』(これもすごいタイトルですね)として、6つのジャンルの統計家の統計に対する姿勢・統計の考え方の違いについて書いています。すなわち社会調査を仕事とする統計家・(医学の一部の)疫学や生物学の分野の統計家・心理統計家・コンピュータを使ってデータマイニングをする統計家・計量文献学などテキストマイニングをする統計家・計量経済学を専門とする統計家、それぞれ考え方もバラバラでお互いにお互いの統計の考え方の批判をし合っているようで、これで本当に一つの統計学としてのまとまりが可能なのかという気もしますが、部外者からするとなかなか面白い見物(みもの)です。

この本が他の出版社から出ていたとすれば、多分ほとんど売れなかったんじゃないかなと思います。ダイヤモンド社が出版したということでベストセラーを作る、出版した本を無理やりベストセラーにしてしまうという意味で、さすがにダイヤモンド社というのはすごいなと感じました。

江戸時代

金曜日, 5月 2nd, 2014

『歴史認識』という言葉は本来的に、過去のある時代が現実にどのようなものだったのかについて、どのように認識するか、という言葉だと思うのですが、中国や韓国が日本を攻撃する時はこの言葉を『過去のある時代はどうあるべきだったのか、どうあってはならなかったのか』という、あるべき姿をどう認識するかという意味に使っているようです。そのため言葉の意味がすれ違い議論がすれ違って、お互いにフラストレーションばかり溜まってしまうのですが、今回はこの言葉の本来の意味での私の歴史認識が丸っきりひっくり返されてしまった話をします。

読んだのは、田中圭一さんの『日本の江戸時代』『百姓の江戸時代』『村から見た日本史』の三冊の本です。

江戸時代、その前の太閤検地から始まる検地で農民は土地にしばりつけられ、検地にもとづく農地の収穫の見込みにもとづいてぎりぎりまで年貢を取られ、さらに豊作・凶作による年貢の不安定さを除くため、年々の収穫量にもとづいて年貢を決める検見法から、農地の生産能力にもとづく定免法に変更されてさらに農民の生活は困窮を極め、五公五民とか六公四民とか言って収穫の半ば以上が年貢で取られ、生活に困った農民は土地を失って小作農になったり都市に逃げたりし、あるいは苦しまぎれに一揆を起こしたりした、というのが一般的に説明される江戸時代の姿です。

しかしこれがこの著者の田中さんにかかるとまるで違ってきます。

まず『検地』は農民の土地所有権を確立させる手続きで、これによって土地の所有権を確定した農民は、年貢を納めることを条件にその土地を自由に使うことができるようになり、年貢という負債付きで土地を自由に売買することができるようになった、ということです。そのため検地はむしろ農民の方から領主に要求して行われ、それによって多くの独立した農民が生まれたということです。

年貢の定免法というのも、収穫高によって年貢が上下する検見法と違い、一定額の年貢を払うことを条件にどのように土地を使っても構わないということになり、できるだけ収穫が多いできるだけ換金価値の高い作物を作れば、あらかじめ決まった額の年貢を払った残りは全部自分のもの、という意味で農民に対するインセンチブになるということです。

五公五民というのは、収穫を領主と農民との間でどう分けるかという話ではなく、地主と小作との分け前の話で、一般的に小作人は収穫の1/2を地主に納めれば、残りの1/2は全て自分のものにできた。地主は小作が納めた収穫の1/2分から農地に対するすべての年貢(だいたい全収穫の2割程度)を納め、諸経費を差し引いてもだいたい2割くらいが自分の所に残ったということのようです。

全体の1/2の地主の取り分から年貢を払うことができるんですから、年貢は1/2を超えることはめったになかったということになります。小作人は収穫の1/2を地主に納めてしまえば、残りの1/2の自分の取り分には税金も何もかからないんですから、これもかなり良い条件です。

土地を売る農民、土地のない農民というのは農業以外の仕事で食べていくことができる農民が、たとえば新しい事業(酒造・醤油・運送業その他)を始める資本として土地を売って資金を作ったとか、農業以外の仕事(商店に奉公・武家に奉公・大工・医者・役人・武士、その他)に従事するために土地は不要になったとかいうことで、それだけ世の中が豊かになったということのようです。

農民の一揆というのも食うに困ってヤブレカブレで、というよりむしろ役人の契約違反に対して不公平・不公正を糺すために立ち上がったもので、通常は一揆を起こす前に、今であれば裁判所に行くように、役人の不正をお上に訴えに行こうとして、それができない時に(あるいはそれがうまく行かない時に)はじめて一揆になるとか、食えないから米を寄こせというよりむしろ不正役人をやめさせろという要求がほとんどだとか、幕府から出される法令はいろいろしかつめらしい理屈づけがされているけれど、実態はそれらは後付けの理屈であり、実際は現実を後追いで法令にしているものが多く、農民からの要望により法制化しているものも多いとか、農民を絞り取ろうとするお触れとして有名な『慶安のお触書』は、一国全体幕府の領地だった佐渡ではどこにも見当たらないとか、びっくりする話ばかりです。

著者の田中さんは大学を出て佐渡で高校の先生をやりながら佐渡の村々に残る古文書を一つ一つ読んでいき、江戸時代の人々の現実の生活を掘り起こしていき、その範囲も佐渡から新潟、関東各地と拡がっていったもののようです。

江戸時代というのは、もはや完全に商品経済の時代になっていて、農民の作るものも自給自足のための食糧ではなく商品としての作物だったとか、さまざまな産業がすでに資本主義体制になっていたとか、各地域・各藩が重商主義的な政策を取っていたとか、言われてみればまったく納得できる話が具体的な資料で明確に証明されていて、本当に面白い本です。日本の江戸時代は、もうすでにアダムスミスの国富論の時代になっていたんだということが良くわかります。

私が最初に読んだのは『百姓の江戸時代』ですが、これはその前に出た『日本の江戸時代』を新書用に一般向けに読みやすくしたもののようで、具体的な個々の資料については専門書的な『日本の江戸時代』の方が詳しく書いてあります。また『村から見た日本史』は視野を時代的にも地域的にももう少し広げて、個々のテーマよりむしろ村から見た、あるいは建前じゃない現実の江戸時代の全体像を書こうとしたもののようです。具体的な古文書や、いろいろな統計データそれ自体に興味がある人は『日本の江戸時代』を、それほど細かい話はスキップしてまずは全体像を知りたい人は、新書版の『百姓の江戸時代』『村から見た日本史』の方が良いかも知れません。

どの本から始めるにしても、お勧めします。

図書館

金曜日, 5月 2nd, 2014

Windows XPのサービスが終了してから色々なソフトウェアのセキュリティ上の脆弱性の問題のニュースが多いなと思っているのですが、PCのOSの問題やInternet Explorerの問題は自分で何とかするとしても、サーバーの運用関係のソフトの問題については、管理者の人たちは大変だなと他人事に感じていました。

ところが何と、直接的な影響があることがわかりました。

いつものようにさいたま市立図書館のサイトを開けたところ、『Apache Strutsのセキュリティ上の脆弱性の問題で一部のサービスを停止しています』というメッセージが飛び出して来ました。

停止しているサービスの中には、常日頃使っている『蔵書検索』『貸出状況確認』『貸出予約』『予約状況確認』『貸出延長』が全て入っています。

これはエライコッチャです。
このサービスがあるので安心して、どの本はいつまでに返せば良いかとか、予約した本はもう届いているか等、週末の休みの前に確認していたのができなくなってしまうと、とんでもないことになります。

図書館のサイトによると『サービス再開時期は未定です』となっています。
何とか早く回復してくれると嬉しいのですが。

多分もっと切羽詰った、すぐに手当しなければ商売が止まってしまうサイトも多いんでしょうから、おとなしく待つしかないんでしょうね。

しかしそれにしても『セキュリティ上の脆弱性』の問題、そろそろ本格的に対処することを考える時期じゃないんでしょうか。とは言っても既にできて動いている厖大なソフトウェア資産のことを考えると、それを全部変えるというも、難しいのかも知れませんね。

その後、とりあえず4日の日曜日頃には解決の見込みのようです。よかった!

小室直樹 『数学嫌いな人のための数学』

月曜日, 4月 21st, 2014

この前、ライフネットの出口さんの本を持ってきた友人の話をしましたが、この友人は同時に『家に2冊あったので1冊持ってきた』と言って、小室直樹さんの『数学嫌いな人のための数学』という本を置いていきました。

この本は昔読んだことがあるような気がしていたのですが、パラパラ見てみたら最後の方にケインズの一般理論の説明が入っていました。こんな所でケインズを読んだ覚えは全くなかったので、この際読み直してみることにしました。

この本は数学というより数学の元となる論理学(というか、論理的な考え方)について解説してある本です。とは言っても数学の話ばかりじゃ面白くないので、宗教の話・法律の話・経済の話をふんだんに散りばめています。

論理学の元となった考え方は実はユダヤ人のもので、ユダヤ人預言者が全能の神と議論して、何度も性懲りもなく神との契約を破るユダヤ人を神が皆殺しにしようとするのを、議論で負かしてユダヤ人を救うというためのものだということです。我々にとっては神様というのは挨拶したりお願いしたりなだめたりする相手ではあっても、神様を相手に議論しようなんて考えはあまりないのですが、ユダヤ教(キリスト教・イスラム教)の神様はそういう神様ではなく、契約したり論争したりする相手のようです。それにしてもたとえ預言者であったとしても、人間を相手に議論して言い負かされてしまう神様が「全能の神」というのもなんだかなぁと思ってしまいますが、面白い話です。

法律というのはいかにも論理的であるかのように見えるけれど、実はちっとも論理的ではなく、特に日本人は論理的思考があまり強くないので、仕方なく嘘を活用するんだ、などという話があります。これについてはこの本で紹介されている『嘘の効用』という本をちゃんと読んでから改めてコメントしたいと思います。いずれにしても私がやっているイモヅル式読書法では時として次々に読む本が増えてしまって、いつまでたってもけりがつかないことがあります。

最後のケインズの一般理論の紹介の所は、何だか良くわかりません。私が理解している一般理論からすると、支離滅裂なことが書かれていて理解不能です。多分その昔この本を読んだとしても、この部分は理解不能ということで読み飛ばしたんだろうと思います。今はもう一般理論を読んでいるので、明確に『おかしい』と判断できます。

小室直樹さんというのはもともと数学者ですが、経済学でも政治学でも一流の学者だということになっていたはずですから、改めて小室さんの経済学に関する本を読んで、小室さんがケインズの一般理論をどのように理解していたのか確認してみようと思います。

いずれにしても例によって小室節のテンポの良い講談調の文章は、読んでいて楽しいものです。

数学が嫌いな人も好きな人も、読んでみる価値はあると思います。

藤澤陽介『すべては統計にまかせなさい』

水曜日, 4月 16th, 2014

有料のメールマガジン『inswatch』に毎月1回記事を連載してもらっているのですが、3月31日の記事を転載します。
とりあえず、もう半月たったから、まあ、いいかな、とも思いますし、アクチュアリー関連の記事はあまり見る人も多くないので、まあ、いいかな、とも思い、転載します。

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 2014年3月
藤澤陽介『すべては統計にまかせなさい』

いよいよ平成25年度も今日で終わりです。今のところ、国債の利回りも0.6%台で推移し、為替も円安のままですから、生保各社の決算は今期も見てくれのいい結果になると思います。とりあえずは何よりです。

ところで、ライフネット生命のアクチュアリーの藤澤さんが『すべては統計にまかせなさい』というタイトルの本を出しました。この2月に発行されたばかりの新しい本です。この本の紹介をします。
タイトルの『すべては統計にまかせなさい』は、少し前に出てベストセラーになった『統計学が最強の学問である』のまねをして出版社が付けたものだと思うのですが、本の中身はこのタイトルとはまるで違います。
アクチュアリーというのは保険会社や銀行なので保険料を計算したり年金の計算をしたり、金利計算をしているのですが、この本ではそこで使われる統計学について、わかりやすく説明しようとしています。なお、著者は統計学、という言葉でなく統計、という言葉を使っているのですが、内容的には統計学、という言葉を使う方が普通だと思います。
統計学というのは、ちょっととっつきにくく、理解しにくいものですが、様々な例を使ってなんとかわかりやすく説明しようとしている本で、その分、正確さにはちょっと欠けます。正確でなくてもいいから読者をなんとなくわかったような気にさせようとしている本です。そのついでにアクチュアリーという人たちがその統計学を使って何をしているのか、ということについても同様に、正確でなくてもなんとなくわかったような気にさせようとしているようです。その狙いがうまくいっているかどうかについては、読んでのお楽しみ、というところです。
統計学やアクチュアリー学についてちゃんとした正確なことを知りたい人は、普通の教科書や紹介されている参考文献を読んでください、ということで、教科書を読みながらこの本のどこが正しくてどこがいい加減か確かめてみる、というのも面白いかもしれません。あらかじめこの本を読むことによっていろいろな言葉を知ることができるので、その分教科書を読むハードルが低くなるかもしれません。
アクチュアリーは保険料の計算の仕方など、保険数理の解説の本を書くことはありますが、統計学について本を書く、というのは珍しいので、面白いかもしれません。
この著者はアクチュアリーとしては変わった人で(一般にアクチュアリーというのは変わり者、というのが通り相場ですから、その中でも変わり者、というのはとんでもなく変な人、という意味か、かえって普通の人に近い人、という意味かは、読んでみて判断してください)、珍しく外向きの(アクチュアリー以外の様々な人とコミュニケーションをとることが好きでそれを大切にしている)人のようです。
一方、優秀な成績でアクチュアリー試験に合格し、海外に留学もしている人ですが、後輩のアクチュアリー試験受験者を支援する『アクチュアリー受験研究会』の会長もしている、ということです。
著者の勤めるライフネット生命は今年度に入ってから業績が低迷し、株価も期首の800円台から先週は400円を切りそうになるまで下落しています。会社の現状については有名人の会長でも社長でもなく、アクチュアリーである著者が一番よくわかっているはずで、その現状認識に従って商品戦略、経営戦略を立てるのもこの著者です。
その戦略がうまくいってライフネット生命の業績が回復するといいな、と思います。

『仕事に効く教養としての「世界史」』

水曜日, 4月 16th, 2014

ライフネット生命の会長の出口さんの本が話題になっています。別に急いで読むこともないので図書館に予約をしていたのですが、会社に遊びに来た友人がそれならこれを・・と読み終わったものを置いていってしまったので、仕方なく読むことにしました。図書館の本だと書き込みなどしないで綺麗に読むのですが、個人の本だと書き込みで赤くしてしまうかも知れないよ、と言ったのにそれでも構わないと言われてしまい、この週末に読んでみました。

本のタイトルは『仕事に効く』となっていますがもちろんこれは単なる誇大広告で、単に『ひょっとすると仕事に役立つことがあるかも知れないよ』という程度の話です

中味は世界史の本というよりは、出口さんが今まで読んだ世界史の話から所々つまみ出してゴタ混ぜにしてそれをおしゃべりにしている、テレビのバラエティー番組のような世界史の本です。これを読んだからと言って世界史の勉強をしたことにはなりそうもないですが、世界史を勉強しようというキッカケにはなるかも知れません。

中味はごく普通の、中国史とヨーロッパ史を中心とする世界史の大きな流れの中に、キリスト教の話・シルクロードの話・トルコ人の話などが入っています。日本の中学校・高校の世界史と同様、アヘン戦争で歴史は終わって、その後はいきなり戦後の日本の高度成長になっていますから、第一次大戦も第二次大戦も、日清日露の戦争も日韓併合も、メンドクサイ話は入っていません。
『地域』と言えば良いのに『生態系』と言ってみたり『コロンブス』をわざわざ『コロン』と言ってみたり、所々言葉使いを普通と変えて新鮮さを演出しようとしているようですが、わざとらしさを感じてしまう所もあります。

この本は出口さんがライターに話したことを、ライターが本にまとめたもののようです(とは言ってもゴーストライターじゃなく、ちゃんと名前を出したライターです)。原稿ができたあと、出口さんが校正に参加したかどうかわかりません。もしかするとライターさんに対する礼儀上、話が終わったら、あと原稿を書いて校正する所までライターさん任せで、話をした人は口を出してはいけないのかも知れません。所々おかしな所もありますが、ライターさんが書いたものだけあって、気が付かなければすんなり気持良く読むことができます。そのあたりも何も考えずに見ていられるバラエティー番組に良く似ています。

最初のうちは何ヵ所か赤で書き込みをしてしまったのですが、後半はそんなこともせず読み終えてしまいました。書き込みをするほどの本ではないということです。こんなことなら最初から書き込みなどせずに、綺麗に読めばよかったなと思いました。

これで、この本を貸してくれた友人へのとりあえずの義理を果たしたことになるでしょうか。

『精神と物質』 立花隆・利根川進 著

月曜日, 4月 7th, 2014

小保方さんのSTAP細胞で相変わらず大騒ぎですが、そのニュースの中でSTAP細胞の遺伝子を調べると、その元となった細胞がわかるんだ、みたいなことが書いてあります。

私の理解では生物の細胞の遺伝子は、どの細胞を取っても全く同じだということになっていたはずなので、これは何を言っているんだろうとわからなくなりました。

こういう時は専門家に聞くに限ります。幸いに私の友人でメダカを研究して大学の先生をやっている人がいるので、早速質問しました。その答えは
【普通の細胞はDNAは変わらないけれど、免疫細胞は「遺伝子の再構成」というのを受けてDNAが変わる。これが利根川さんがノーベル賞をもらった研究だ】
ということでした。

で、何でも質問というのも失礼ですからまずは自分で勉強しようと参考書を紹介してもらった所、回答が
 【たとえばワトソンの「遺伝子の分子生物学」には触れられていますが、そんな教科書はあまり面白くないと思われます。アマゾンで検索すると、立花隆・利根川進の共著(対談)の「精神と物質」というのがあり、多分何か触れられていると思われます(私はもちろん読んでません)。】
とのことです。
早速図書館で予約して借りてきました。

ワトソンの「遺伝子の分子生物学」は確かに、まず一般人は読みそうにない立派な教科書です。何しろDNAについてだけでA4版本文だけで800ページもの本で立派な紙を使っているので、かなり重い本です。私の読書は通勤の電車の中のウェイトがかなり大きいので、本の大きさや重さは重要な要素です。こんなんとても読めたものじゃないのですが、実はほとんど各ページに絵や図が付いていて、本文を読まなくてもその絵や図とその説明だけ読んでもなかなか面白そうです。でも通勤に持ち歩くのはちょっとしんどいので、もう一方の立花さんと利根川さんの方をまず読みました。これが何とも面白いので紹介します。

この本は利根川さんがノーベル賞を貰ったのをきっかけに立花さんが利根川さんの所に押しかけ、対談というかインタビューというか個人教授というか、そんな形で教えてもらった内容を本にしているもので、最初文芸春秋に何回かに分けて連載され、それを単行本にしてまた文庫本にしたもののようです。

立花さんも若く、自分の勉強をひけらかすこともなく利根川さんの話をおとなしく聞き、適当な所でその話をうまくまとめ、また的確な質問をして全体にまとまりをつけることに専念しているし、利根川さんはざっくばらんに何でも話していて、研究者の実験が実は厖大なルーチンワークの肉体労働で、それをこなしながら運が良ければ素晴らしい結果にめぐり合うという話を、実際に自分がやった研究について具体的に説明しています。多分今では資料となる細胞を機械にかければあっという間にDNAの配列がデータになり、印刷しようと思えば印刷できるような形になる(全部印刷しようとしたらとんでもないページ数になってしまう)という作業が、その昔すべて手作業で行われていて、その作業の具体的な仕組みがどうなっていて、その一つ一つをどのように発明・発見して積み重ねてきたのか、というあたりが生々しく語られていて、とても面白い読み物です。

一生懸命やった実験がノーベル賞をもたらす成果につながるわけでもないし、ついでにやった実験がノーベル賞をもたらす成果につながったり、その過程でその昔そんなつもりはまるでなしにやった実験がたまたま大いに役に立ったりと、なかなか波乱万丈の物語になっています。

小保方さんのコピペだ、写真の切り貼りだ、なんてつまらない話よりはるかに面白い本でした。

小林秀雄『ヒットラアと悪魔』

水曜日, 4月 2nd, 2014

ヒトラーの『我が闘争』を読み終わって、そういえば小林秀雄がヒトラーのことを書いていたよな、と思い、図書館で借りてきました。
地元の図書館の、普通の著者別の棚に載っている小林秀雄の本はさすがにもうほんの2-3冊になっています。もちろん全集や書庫にとってある本はほかにあるんでしょうが、とりあえずこの普通の閲覧用の書棚にある本で探したら、『栗の木』というエッセイ集の中に『ヒットラアと悪魔』というものがありました。

このエッセイはヒトラーの『我が闘争』を読んでのものかと思っていたのですが、そうではなく、戦後に作られたナチスのドキュメンタリー映画を見てのものだったようです。もちろん小林秀雄は『我が闘争』は戦前にもう読んでいてそれも踏まえての感想です。

このエッセイを私はその昔に読んでいます。私が小林秀雄を集中的に読んだのは私の中学から高校にかけてのころです。このエッセイを読んで、いつかは『我が闘争』を読もう、と思っていたのは、今からさかのぼれば50年くらい昔の話になります。

50年たってようやく読めた、というのは、なかなか感慨深いものがあります。

ヒトラー 『わが闘争』

木曜日, 3月 27th, 2014

読み終わって、しばしボーゼンとしています。

昔の、字が大きくなる前の文庫本で、上下計900ページを超える本だということもあります。また訳の日本語が何を言っているのか良くわからない所がたくさんあるということもあります。しかし何よりこれはすごい本です。こんなすごい本だったんだ、ということに感動しています。
ヒトラーというのはこんなすごい本を書くことができた人だったんだということに感動しています。

この本の『序言』で、ヒトラー自身
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人を説得しうるのは、書かれたことばによるよりも、話されたことばによるものであり、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な文筆家にでなく、偉大な演説家にその進展のおかげをこうむっている、ということをわたしは知っている。
けれども教説を規則的、統一的に代弁するためには、その原則的なものが、永久に書きとどめられねばならない。それゆえ、この両巻を、わたしが共通の事業に加える礎石たらしめんとするのである。
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と書いています。
で、偉大な演説家らしく、この本も拘置所で禁固刑に服している間に口述したものを元に、彼のブレインが本の形にまとめたもののようです。

この本は非常に読みにくい本です。大部だということもありますが、日本語の訳文が良くわからない所がたくさんあるというのも読みにくい原因だと思います。例によってこんな時は英訳を参考にしようと思ってネットで英訳を引っ張ってきて、それを読む分にはごく素直に理解できます。多分原文のドイツ語をそのままできるだけ忠実に日本語に直そうとして、かえってわけのわからない訳文になってしまったのかなと思います。

普通文章を書くことを専門にしている人の文は、途中でわからない所があると、そのあとニッチもサッチもいかなくなるのが普通ですが、「序言」にもある通りこれは大演説家の演説ですから多少意味がわからない所があっても何とかなります。文章と演説の違いは、文章は一語一句をゆるがせにせず、その分何度も読み直し・読み返しすることができる、というものですが、演説の方は時と所、相手によって同じことを何度でも繰り返す、言い方を変え相手がわかるまで何度でも繰り返すというものですから、途中多少わからなくてもそのまま読んでいけば全体として何が言いたいのかがわかります。そんなわけで英訳を参照するのはすぐにやめてしまいました。

この本を読んで何より驚くのは、内容が非常に論理的でまた緻密だということです。もちろん、論理的だ、ということは、正しい、ということと同じではありませんが、論理的である分、非常に説得力があります。

ユークリッド幾何学はほんの少しの公理から出発して平面幾何・立体幾何の膨大な定理を証明してしまっています。ニュートン力学は相対性理論と素粒子論が登場するまで、万有引力の法則一つでありとあらゆるものの動きを説明し尽くしていました。キリスト教の神学も全能の神の存在と三位一体で全世界のあらゆることを説明し尽くします。この『わが闘争』では、ドイツ人が一番優秀な民族で人類の素晴らしいものは全てドイツ人の発明だ、ということと、世界の悪いことはすべてユダヤ人の陰謀だ、ということ、あと優秀な民族と劣等な民族が混血すると劣った方は少し優秀になるけれど、優秀な民族の方は劣った方に引きずられて優秀でなくなってしまう、という、現在の生物学では多分肯定されないような生物学理論とで、世界中のありとあらゆることを説明し尽しています。

科学的な考え方、というのは、ある仮説を立て、その仮説に矛盾する反証がなく、その仮説でいろいろなことが説明できればできるほどその仮説の正しいことが証明されたんだ、とする考え方です。その意味でこの本は非常に科学的なアプローチをとっている、とも言えます。

エネルギーに満ち溢れていて、現実の世界のことをまだあまり良く知らないけれど、正義感は非常に強い、という若者がこの本を読むと、完全に取り込まれてしまうリスクは高いと思われます。いくつもの国でこの本が禁書になっているのも良くわかります。

上巻は『民族主義的世界観』という表題ですが、主にヒトラー自身の生い立ちから、戦争が終わって『ドイツ労働者党』を乗っ取ってナチスを立ち上げて発展させていくまでの経歴を軸に、ヒトラーの立場からの歴史や世界観が書かれています。

下巻の方は『国家社会主義運動』というタイトルで、ナチスの考えを理論的に解説しています。

第一次大戦でドイツに革命が起こってドイツが負けたのはユダヤ人の陰謀で、ほとんどの新聞はユダヤ人に牛耳られている。多数決原理にもとづく民主主義もユダヤ人の陰謀だ、マルクス主義もユダヤ人の陰謀だ、と悪いことはほとんどユダヤ人の陰謀になってしまいます。

大演説家だけあって、新聞の力を大いに評価していますが、ドイツの新聞はほとんどがユダヤ人に支配されているのでほとんど信用できない、と言います。低俗紙は支離滅裂なことを書き散らし、高級紙はそういう低俗紙を批判すると、ついなんとなくそんな高級紙の記事を信用してしまいそうになるけれど、それも全てユダヤ人の陰謀だ、ということになると、納得してしまう人も多いかもしれません。陰謀、というのは本当に何かを説明するのにオールマイティーのジョーカーみたいなものです。

テロに対抗するにはテロしかない、と言って実力行使・暴力をむしろ積極的に肯定するとか、民主主義を否定する所などは抵抗がある人も多いかも知れません。

ナチスの集会を潰そうとする左翼の労働組合の活動家との、暴力対暴力のぶつかり合いも、なかなか迫力があります。

第一次大戦に負けて、今後のドイツの行動方針をどうすべきか、対外的にどの国と仲良くすべきか、ドイツ人を養うための土地をどこに求めるか等、歴史についても外交についてもかなりしっかり考えられています。
もともと植民地を増やそうとして海外でイギリスなどと争うのが間違いで、ドイツ人が全員十分に食べていけるだけの土地をまずヨーロッパで確保することが最優先のテーマで、植民地はその後だ、ということですから、ポーランドからロシアの土地をぶんどろうとしているのは明らかです。
ロシアについてはまるで評価せず、仮に同盟したとしても単なるお荷物になるだけだ、と簡単に切り捨て、その代わりにイギリスを高く評価し、同盟するならイタリアとイギリスとの三国同盟だ、と明言しているのも『ヘーッ』てなものです。
ここまで明確に書いてあるので、その後ヒトラーのドイツがスターリンのソ連と同盟を結んだ時、世界中がびっくりし、日本などはそれだけで内閣が吹っ飛んでしまった、というのも、そういうことだったのか、と納得できます。

実はこの本はもう10年位段ボール箱の底に眠っていたのですが、一連の第一次大戦からナチスがドイツの政権を取るまでの歴史の本を読んで、ようやく『機は熟したかな』と読む決心がついたもので、この事前準備がなかったら、読んだとしてもあまり良くわからなかったような気がします。事前準備としてはこのブログで紹介したいくつかの本のほかに、さらにオーストリアに関する本をもう2冊読んでいます。

一応読み終わって、さて改めて英訳を読んでみようかどうしようか考えています。英訳だとかなりわかりやすいとは思いますが、何しろ900ページにもなるもの(私がネットで手に入れた英訳のpdfは1,000ページほどのものです)ですから、かなり覚悟が要ります。

この本の最後に訳者の一人が解説を書いていますが、その最後に
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わたくしはここで、ルソーが『社会契約論』で述べている言葉をつけ加えれば満足である。『マキャヴェルリは国王たちに教えるようなふりをして、人民に重大な教訓を与えたのである。マキャヴェルリの『君主論』は共和派の宝典である』。もちろんヒトラーは人民に教えたのではないが、わたくしにはやはり人民の宝典の価値を持つように思われるのである。
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とあります。
確かにこの本は『人民の宝典』かどうかはわかりませんが、貴重な本だと思います。
興味があったら、読んでみてください。チョット覚悟がいりますが。

ハレーの生命表

金曜日, 2月 14th, 2014

「ハレー」というのは、あのハレー彗星のハレーです。
この人が史上はじめて実際の死亡データにもとづいて生命表を作り、その生命表を使って生命年金の計算をした、その論文を紹介します。

例によって訳文と、それに若干の説明を追加しています。

年金の計算では、まず単生の年金を計算し、次に二人の連生の年金を計算し、調子にのって三人の連生年金の計算までしているのですが、さすがにそこの部分はあまりにも込み入っていて、また訳す意味もあまりなさそうなので省略しましたが、それ以外は全訳です。

とにかく史上初の生命表がどのようにして作られ、どのように使われようとしていたかがわかる論文です。

単に「ハレーが最初に生命表を作った」では収まり切れない面白い話がいろいろみつかります。

良かったら読んでみて下さい。

http://www.acalax.info/bbs/halley.pdf

A4 20ページになるため、pdfファイルにしてあります。好きなようにダウンロードしてお読み下さい。

久しぶりのアクチュアリー関係の資料なので、ブログと練習帳掲示板と両方にこの記事を載せておきます。