Archive for the ‘本を読む楽しみ’ Category

『モーセと一神教』 フロイト著

月曜日, 5月 30th, 2022

この著者のフロイト、というのは、あの精神分析のフロイトです。フロイトがユダヤ人としてオーストリアのウィーンに住み、ナチスドイツがオーストリアを占領した年に書き始め、オーストリアを脱出してイギリスのロンドンに逃げ、その翌年癌で83歳で死亡する直前に出版した本です。

この本は
第一論文  『モーセ、一人のエジプト人』
第二論文  『もしモーセがエジプト人であったなら』
第三論文  『モーセ、その民族、一神教』
の三つの論文から成っています。

このモーセというのは旧約聖書の『出エジプト記』の、『十戒』の、あのモーセです。
ユダヤ教というのは『モーセの教え』と言われるほどのもので、ユダヤ民族のシンボルのような人ですが、この人が実はユダヤ人ではなくエジプト人で、その当時エジプトにいたユダヤ人たちを率いてエジプトを逃げ出し、文明的にまだ未開であった人々を指導し教育し、一神教を強制しユダヤ教を作り上げ、ユダヤ人を作り上げた、という話です。

ユダヤ人には『選民思想』といって、『自分達は神に選ばれた民族なんだ』という考えがあるのですが、これは実はモーセに選ばれたということで、ユダヤ教の神というのはモーセにより押し付けられた神で、実質モーセこそユダヤ教の神だったという話です。

第一論文は文庫本で約25頁、モーセが実はユダヤ人ではなくエジプト人だったんだ、という話をしているのですが、第二論文は約100ページ、さらにユダヤ教を作りユダヤ人を作ったのがこのモーセだったんだという話をし、第三論文は約200ページ、何故そのようになったのかということを、フロイト流の精神分析の考え方で解明しようとしています。

エジプトというのは多神教の世界なのですが、その歴史の中で一度、一神教だったことがあり、その時の王が死んだあとその一神教の痕跡は徹底的に抹消され、王の名前までツタンクアトン王がツタンクアメン(ツタンカーメン)王と変えてしまったくらいなのだけれど、その結果、その一神教の信者であったモーセはエジプトとにとどまることができず、自分の信じる一神教の教えを受け入れる民族を探し、まだ未開だったユダヤ人を引き連れてエジプトを出、シナイ半島に渡ったという話です。

このモーセの一神教はエジプトのものよりさらに厳格なものだったようで、さすがのユダヤ人も耐えきれなくなってついにはモーセを殺し、殺してしまってから自分たちをエジプトから連れ出し、今まで指導してくれた人を殺してしまった、というその罪に恐れおののいて、その痕跡を消し、その事実を民族の記憶からも消してしまいます。その後、残忍な火の神・火山の神であるヤハウェ神を神とする同族と一体化し、その力でカナンの地を征服しますが、その後何世代か経つ頃、忘れていたはずのモーセの記憶が預言者の言葉となってよみがえり、次第にヤハウェ神をモーセの神に変えていってユダヤ教・ユダヤ人が出来上がったという話です。

この『神殺し』の話には続きがあり、ナザレのイエスが殺された後、パウロがこのイエス殺しを『神殺し』と位置づけ、キリスト教徒はその神殺しの罪を認めたので宥されているけれど、ユダヤ人はこの神殺しの罪を認めていないので救われないんだという話、このイエスの死は実はアダムの原罪を贖うために必要だったんだということ、このイエスが殺された事により神の子イエスは父の神に代わって本当の神になった、ということ等が話されます。

この神殺し・父親殺しの話、また一旦完全に抹殺したはずのモーセ殺しがどのようにして復活したのかなどの話が、精神分析の立場から、個人の無意識が表面に出てくるプロセスを民族の集団的無意識に拡張していろいろ説明されています。

私は今まで聖書関係の本はいろいろ読んでいますが、聖書自体を全体通して読むということはしたことがなく、まとまった時間が取れるようになったら、と思って友人のお母さんの聖書をすでに譲って貰っています。これまでは単に全体を読んでみようというだけの事だったのですが、これで聖書を読むための方向性というか、一つの視点のようなものができたと思います。これでなおさら読むのが楽しみになります。

フロイトは、ユダヤ人としてナチスに殺されるのではないかという恐怖の中、この論文を発表することによりユダヤ人に殺されるかも知れないという恐怖が加わり、さらに自身の癌でいつ死ぬかも知れないということもあり、ある意味鬼気迫る書となっています。第1論文、第2論文は専門誌に寄稿したものですが、第3論文はあまりにも危険なので彼自身、発表しないでおこうかと思っていたのを、思いかけず、ナチスを逃れてロンドンに亡命してしまったので、がんで死亡する直前にこの第3論文を含めてロンドンで出版した、ということです。

とんでもない本にぶち当たってしまったな、と思います。でもこのような本に巡り合うことができて良かったなと思います。

ちょっと怖いような本なので、あえてお勧めはしませんが、紹介します。

『楽しい地層図鑑』 小白井亮一著

火曜日, 5月 17th, 2022

この本も図書館の『新しく入った本』コーナーで見つけた、2021年11月4日に発行された本です。
本文200頁ちょっとですが、ふんだんに写真が入っていて、それが全て著者の撮った写真だというので驚きです。

私はNHKの『ブラタモリ』というテレビ番組が好きで大抵見ているのですが、この番組では地層や岩石の話題が良く出てきます。その内容は何とか理解できる程度のものですが、一度きちんとした本で私の理解を整理していたい、と思っていたのでお誂え向きの本です。

著者紹介では『1960年東京都生まれ 1986年3月千葉大学大学院理学研究科(地学専攻)修了 国土地理院にて測量・地図作製や災害対応の業務に携わり、2021年3月退職 趣味で関心を持ち続けてきた“石の世界(地層・化石・岩石・鉱物のこと)“について興味深く分かりやすく伝える執筆活動を始める。』とある、まさにその通りの本です。

第1章では地層がどこにどのようにあるか、地層の見つけ方と、様々な地層を紹介しています。
第2章ではその地層を作る岩石がどのようにでき、地層がどのようにできたか説明があり、第3章ではその地層で化石がどのようにできたかを説明しています。

本文の説明も丁寧で分かりやすいのですが、それに加えて付いている写真や図が非常に綺麗で、この写真を見ているだけでも飽きないで読むことができます。

基本的に自分で撮った写真ですから、ちょっと分かりにくい所は『この写真の左下の部分を拡大したのがこの写真で、ここの左下に○○が良く見えます』とか、『この写真をもっと範囲を拡大するとこの写真になって、全体が良く分かります』なんてことが自由にできます。

写真の大きさの基準として、地層を見に行くときに持って行くハンマーやカメラのレンズなどを写真に写しこんだりして、画面の大きさが分かるようにしています。

第3章では地層がどのようにできるのか、その地層のできた時代の新旧をどう判断するか、時代の前後関係だけでなく、具体的に何万年、何億年前の地層だ、というのをどのように判断するか、説明があります。この中で、話題のチバニアンについても説明があります。

また著者が化石や地層に興味を持ち、とはいえ高校生までは電車に揺られて銚子まで日帰りで行くのがやっとだったのが、大学に入ってもっと長距離長期間遠征ができるようになり、北海道から沖縄まで化石や地層を探して歩き回った時のエピソードも紹介しています。

付録にはプレートテクトニクスで地球の地殻がどのようにできたのか、特に日本ではプレート同士がぶつかり合って沈み込む時、プレートの上に乗っていた陸地が削り取られてグチャッと潰されて反対側のプレートの端に付加体として追加され、それが陸地の隆起地表に現れているのですが、その時に地層がどのように変化するかというあたりも説明しています。

日本はいくつものプレートがぶつかり合ってできていて、その上に乗っている陸地が隆起して浸食を受けたり、溝の中に沈んでいろんなものが積もったり、火山灰や火山礫(レキ)が降り積もったりというようなダイナミックな姿が丁寧に説明されています。

また第3章では地層とそれができた年代の名前と、それが何万年何億年前のものなのかという年代についても、まず地層があってそれに名前がつき、それができた年代もそれに合わせて名前が付いているということも丁寧に説明されています。

著者はもともとは化石から次第に地層に関心を持ち、日本国中の地層を尋ね歩いて写真を撮り、それを整理して本にしている、その過程を本当に楽しんでいることが良くわかる本です。

単なる写真集としても十分楽しめます。
お勧めします。

『論語 - 聖人の虚像と実像』 駒田信二著

火曜日, 5月 10th, 2022

『孔子』というとどうしても論語によって論じられることが多いのですが、孔子というのはとてつもない有名人だったため論語以外の書籍にもその言行録が書いてあります。

この本は論語以外の書籍もひっくるめて、孔子という人が何をして何を言ったかを明らかにしようとしています。

『論語』というのは何といっても儒教のバイブルで、孔子一派の人達が何人もその言行録を書き残し、それを一つの書物にまとめ上げて、不都合な部分を削除し、修正し、都合に合わせて新たに追加したりしたもので、どこまで信用できるものかという問題もありますが、いわゆる儒学者にとっては絶対的なバイブルです。
で、この論語が一応でき上がった後も、これをどう読むかということで、様々な人が様々に違った読み方を主張しています。

もともと漢文というのは単に漢字の羅列でしかないもので、個々の漢字は「読み」と「意味」はあるものの品詞の別はなく、同じ漢字が名詞になったり動詞になったり形容詞になったり、変幻自在なものです。文法もごく簡単なものがあるだけなので、意味を取るのが中々一筋縄にはいきません。

さらに漢文の世界はいわゆる『当て字あり』の世界なので、論語で使われている漢字は本当はどの漢字でどのような意味なのかを考える必要があります。漢文は基本的に句読点がないので、漢字の続きのどこで切るかで意味が違ってきます。

論語ができた時代は全て筆写の時代なので、誤字脱字は当然あり得る話で、誤字をどのように訂正するのか、脱字部分にどの文字を追加するかで話が変わってきます。さらに反語なんてものまでありますから、こじつけのしようでどのようにでも読むことができます。

それで論語というのはそのような儒学者連のコジツケ解釈のかたまりのようなものなんですが、孔子という人は有名人で、孔子の言行については論語以外にもいろんな本に記載されています。

この本では主には史記ですが、これ以外にも荀子・呂氏春秋・説苑・孟子・韓非子・礼記・荘子・易・春秋・公羊伝・漢書・論語の朱子の注、その他の文献からさまざまな文章を取り出して、孔子がどのような人で何を言い、何を考えていたのかを考えています。

この本は三章に分けて、第一章『徳治と法治―政治家としての孔子』では孔子の主張する徳治と韓非子を中心とする法家の思想『法治』がどのように違うか考察しています。聖人君主のおろし元としてあくまで徳治をめざす孔子が、実際に為政者になると平然として法治、あるいは恐怖政治をした、という話をします。

第二章は『道家的思想との接点―孔子と隠者』として道家的思想、隠者としての生き方に深い共感を覚えながらそのような道を取らずに、あくまで現実世界で為政者となることを目指した孔子の思いを考察します。

第三章『郷原と狂狷―「狂なる者」への期待』では孔子の目指す君子とそれをまねた郷原(エセ聖人君子)とを比較し、そんな偽物よりむしろ勢いはあっても欠点だらけの狂狷を良しとする孔子が、長い歴史の中で郷原的儒学者に乗っ取られ、彼らによって孔子は聖人に祭り上げられ、専制君主は郷原に利用され、郷原は専制君主に媚びへつらい、二千年来人民を苦しめてきたという言葉を紹介しています。

この本はもともと新人物往来社から『聖人の虚像と実像―論語』というタイトルで出版され、その20年後に岩波の同時代ライブラリーに『論語―聖人の虚像と実像』というタイトルで再版されたものですが、その岩波版には最後に『跋―補足的自著解説』というものが付いてます。

第二次大戦のちょっと前、著者は旧制高校の教授となり論語をテキストとして講義し、その内容を狂信的な軍国主義学生に批判され、軍から要注意人物とみなされるようになり、徴兵され中国にわたり捕虜になり、スパイと間違われ殺される寸前で助かったキッカケが書いてあります。

著者は漢学者として大御所の吉川幸次郎を批判したり自分の高校の生徒だった高橋和己が吉川幸次郎の弟子になってしまったりして、殆どの出版者が吉川幸次郎、高橋和己に忖度して著者の真面目な著作の出版を避けるようになり、結果中国の艶笑譚、小話のたぐいの紹介くらいしか出版させてもらえなかったり、面白いエピソードもたくさんある人ですが、その人が論語に書かれていること、書かれていないことを総合的に見渡して、孔子の、論語によるいわゆる聖人君子(著者はこれをデクノボーと呼んでいます)の枠に捕らわれないダイナミックな生き生きとした姿を描きます。

論語その他からの引用だらけの本で漢文の勉強になりますが、漢文にはほとんど現代日本語による訳・説明が付いていますので読みやすい本です。文庫本で200頁強位のボリュームですからすぐに読めます。
また、漢文というものが、読み方を変えるだけで(あるいはこじつけのしようで)、どこまで意味の違うものにしてしまうことができるか、という例示にもなっています。

孔子は、自分の理想の実現のために主君探しをしますが、なかなか雇い主をみつけることができませんでしたが、ようやく魯の国の摂政となりました。そうなって7日目に少正卯という男を殺しました。その理由を聞かれて『この少正卯という男は「物事に通じていて陰険である」「行為が偏っていて頑なである」「言うことは偽りであって雄弁である」「悪いことばかり良く覚えている」「良からぬことをしながら外面を繕っている」この5悪があるから「よからぬ徒党を集めて乱をなす群衆を集める事ができる」「弁舌は邪説を飾って民衆を惑わすことができる」「その勢力は非を行って独立することができる」要するに「民衆を惑わして乱をなす恐れがある」だから殺した。』と答えたということです。この少正卯を殺した結果として、『3ヵ月後には肉を不当に高く売る肉屋はなくなり、男女が道を歩く時には別々に歩き、道に落とし物があってもそれを拾って自分の物にしようとする者もいなくなった。』と話は続きます。少正卯の話は5つの悪い性格・能力があるから次の3つの悪事をするかもしれない、だから殺すということで、徳治どころか法治でもない専制恐怖政治そのものです。

このような話は儒学者達にしてみれば、聖人孔子がそんな事をするわけがないということで、論語には全く出てきませんが、「史記」「荀子」「呂氏春秋」「説苑」に出てくるくらいなので有名な話だったようです。

この少正卯を殺したという話がなければ、孔子は魯の国の摂政となり数ヵ月で悪い事をする民はなくなった。孔子ほどの人が徳をもって政治をすればこのようにあっという間に平和な良い国になる。メデタシメデタシという話になるわけです。

論語は聖人君子である孔子を描こうとして、それと違う事を除外してしまっているけれど、著者の駒田さんはこの話の中にこそ孔子の偉大さがあるんだと言っています。政治批評家・道徳家・教育者としての孔子は終始一貫、徳治、『上に立つ者が徳をもって治めれば下の者たちはそれになびくように自然に悪いことをしなくなり、平和で豊かな生活ができるようになる』と言いながら、実際に行政官となったらこのような恐怖政治でもなんでも必要なことは断固として実行する。そうしておいて行政官の地位を離れたらまた教育者に戻って徳治を主張・教育する。道学者流の『言ってる事とやってる事が違うじゃないか』なんて批評は歯牙にもかけない、そんなダイナミックな姿こそ孔子の本当の魅力なんだと言っているようです。

第二章の『道家的思想との接点―孔子と隠者』では、孔子が主君を求めて中国各地をさまよっていると、道士というより隠者という、道教を体して世を捨てた人に何度も遭遇します。そんな時孔子の方はその隠者と会って話をしたいと思うのですが、隠者の方は、もう世を捨てているのであえて孔子と会おうとしないで逃げてしまい、『そんなせせこましい世界に生きていないでこっちに来て同類になれば良いのに』というアドバイスを残すというエピソードを紹介し、心情的には孔子は隠者達に非常に近いのだけれど、孔子はあくまで世を捨てるという道を選ばす、困難に遭遇しながら現実世界にとどまり、そこで理想の徳治の国を作ろうとしたその姿を描きます。

最後の第三章『郷原と狂狷―「狂なる者」への期待』では、いかにも君子であるかのように誰からも評価され尊敬されるような郷原という生き方を偽物と決めつけ、「徳の賊」あるいは「徳を損なう者」と呼んで否定し、そんな人達よりむしろ狂狷という、ある意味過激でやり過ぎで欠点も多い人達の方を良しとする孔子の考えを紹介します。皮肉なことに孔子教団が大きくなり、政治的に大勢力になるとこの郷原的な人々が孔子教団を乗っ取ってしまい、自分流に論語を解釈し、講釈するようになる。儒者の中にも折に触れ、『それは孔子の言っている事とは違う』という意見も出て来るのだけれど、大勢は郷原的儒者の世界で、これらの人達は専制君主と結託し孔子を聖人君子(というデクノボー)に祭り上げてしまい、郷原は専制君主に媚びへつらい、専制君主は郷原に利用され、共に二千年来人民を苦しめてきた、ということです。

論語だけを読んで聖人君子としての孔子の姿しか知らないのと、論語以外の文献も併せて読んで”聖人君子”の枠には入りきらない、行動と言動の食い違いなど何も問題しないダイナミックな孔子の姿を見てみるのとで、孔子の姿がまるで違ってきます。

孔子はもともと弟子たちには、『家臣でありながら主君の権力を横取りしているような人には交わってはいけない、そんな人の家臣になってはいけない』と言っていながら、実際孔子に家来にならないかと声をかけてくるのはそんな人ばかりで、孔子の方はそれに対して積極的にそのような人の家臣になろうとします。心配する弟子たちには『私はどんなにすり減らそうとしてもすり減ることはないので大丈夫だよ』、とか『私ならどんなに黒く染めようとしても決して黒くならないから大丈夫だよ』とか、まるっきり屁理屈のような事を言って言い訳にしている、というのも面白い話です。

孔子、というと何となくいつも弟子たちに教え諭している『訓たれ』のイメージですが、本当はむしろ実行の人で、『先行(まず行う、理屈はその後だ)』なんて言葉のあることも知りました。また、孔子といえば『中庸』とふつうに思っているけれど、この言葉は孔子の孫にあたる子思が書いたといわれる『中庸』という本で宣伝されている言葉で、論語の中では1か所に出てくるだけだ、なんて話もありました。(この話は、アダムスミスの国富論の中に『(神の)見えざる手』という言葉は1か所にしか出てこない、という関係と似ているかもしれません。)

とまれ、漢文の自由な読み方を味わってみたい人、聖人君子でない孔子の姿を見てみたい人にはお勧めです。

『帳合之法』のついでにー『日本地図草紙』

火曜日, 4月 12th, 2022

『帳合之法』は今では出版されている本ではないので、図書館で福沢諭吉全集を借りて読むしかありません。
で、私が図書館で借りた本は岩波の全集の第3巻ですが、そこにはいくつもの著作が入っていました。

その一つは『学問のすすめ』で、「天は人の上に人を作らず人の下に人を作らずと言えり」で有名な本です。この言葉は読んだことがあるのですが、実は続編・続々編と次々に出ていて、全体ではかなりのページ数になっています。その全体を読んだ覚えはないので、これは改めて読んでみるしかないな、と思いました。

で、この『学問のすすめ』の最初の編に、学問は、勉強するに際し何でも好きな学問をいくつか選んで勉強すれば良いんだけれど、その前提となる基礎科目として「読み書きソロバン」と並んで『帳合の法』が挙げられています。もちろん読み書きソロバンと帳合の法が同一のレベルにあるものであるはずもないので、この基礎科目以外はいわば選択科目であり、どの科目を選択するのも構わないけれど、前提として読み書きそろばんに並んで帳合の法は必修科目だ、という位置づけということになるようです。

で、『学問のすすめ』については、ちゃんと読んでからまた別に書こうと思うのですが、これとは別に、実はこの全集には『帳合之法』の次のページに『日本地図草紙』というものが入っています。『草紙』といっても実は単に1枚の地図が折り畳まれて入れてあるだけですが。

この地図がA3よりちょっとだけ大きいので、私のオフィスのコピー機でコピーするのがやっかいなのですが、なかなか面白い地図です。

これが出版されたのは明治6年7月なので、明治4年7月の廃藩置県より2年後なのですが、この地図は都道府県の地図ではなく、その前の日本が律令制の六十余国に分かれていたその分国の地図です。

これが白地図になっていて、福沢諭吉が説明を付けているのですが、『印刷技術が進歩してどんなことも地図に記載することができるようになって、地図に記載される情報が多くなり過ぎ、勉強するのにかえって逆効果になっている。むしろ白地図に自分でいろんな情報を書き込むようにした方が勉強には便利』だということで、この白地図にも国の名前と国の境の線は入っているけれど、都市の名前は箱館(函館)・新潟・東京・横浜・西京(京都)・大坂(大阪)・長崎だけしか入ってないし、山は富士山のみ。湖は琵琶湖が湖水、諏訪湖が諏訪の湖水という名前で、この2つだけしか書いてありません。

都道府県の白地図は見慣れていますが、この律令制の国の白地図は、新鮮でなかなか見どころがあります。九州は今は7県ですが、この律令制では9国だったから九州だ、とか、関東は今は1都6県だけれど律令制では8国で関8州だったとか確認できます。

なおこの白地図は基本的に日本地図ですが、上の方の余白に附録として世界地図も付いています。と言ってもほとんど大陸の名前と大きな海の名前だけで、国の境までは入っておらず、国名としては合衆国・イギリス・フランス・ロシア・印度・支那・日本だけが書いてあります。

メルカトル図法のようで、ロシアがとてつもなく大きく、アジアとヨーロッパのほとんどを占めています。
グリーンランドも北米大陸やアフリカ大陸と同じくらいの大きさになっています。
海は大平洋(太平洋ではなく)・阿多羅洋(大西洋ではなく)・印度洋と北極洋(北極海ではなく)・南極洋(南極海・南氷洋ではなく)と、あと地中海・黒海・カスピ海・日本海だけが書いてあります。

大西洋が中心となる欧米中心の地図で、経度が0度を中心に左右180度までになっているんですが、今では経度0度の線が『無度』と書いてあるのも面白いです。
地名としては喜望峰だけが書いてあります。

で、これは『学習用の地図』だということで、標題の『日本地図草紙』の上に『子供必用』と書いてあります。

こういうのを見ると、福沢諭吉という人は本当に面倒見のいい、真面目な教育者だったんだなと思います。と同時にあの時代、こんな所まで自分でやるしかなかったんだろうなとも思います。

今テレビでは大河ドラマで平家物語の世界をやっていますが、同時に個人的には太平記を読んでいて、どちらも日本中を舞台にした戦記物ですから、全体像を把握するのにこの白地図はなかなか役に立ちます。

ということで、地図の好きな人にはお勧めです。

『毛』稲葉一男

金曜日, 3月 4th, 2022

この本は光文社新書で、去年の11月に出たばかりの本です。
例によって図書館の新しく出た本のコーナーで見つけて、借りて読みました。

『毛』といっても動物の体に生えている毛のことではなく、もっと小さい、細胞に生えている毛のことで、鞭毛(べんもう)とか繊毛(せんもう)とか呼ばれる『毛』のことです。

これが細胞の膜から飛び出していろいろな働きをするのですが、それ自体周辺に9本、中心に2本の小さな管からできていて、その毛を動かすためのモーターのような仕組みもあるということで、小さな世界の話です。

この毛は精子の尻尾として卵子まで泳いでいくのに使われるというイメージが強いのですが、その他にもその小さな毛が身体のいろんな所にあって、気管で異物を排出する毛とか、耳の中で平衡感覚や音の高低を感じる働きをしたり、目で光の明るさや色を感じとる働きをするだけでなく、脳の中でも脳脊髄液を循環させる流れを作る働きをしているという具合で、かなり幅広く働いているようです。

昔は一本のものを鞭毛、たくさん生えているのを繊毛と区別していたけれど、仕組みは同じなので、最近は両方とも繊毛という言葉を使うようになっているという事です。

この繊毛の働きがうまく行かないと内臓の左右が逆になったり、様々な病気を引き起こし『繊毛病』と呼ばれるなんて話もありました。
この繊毛の、周辺に9本、中央に2本の管の構造を『9+2』(日本語では通常「きゅープラスに」と読むようです)と言いますが、これがいろいろな生物のいろいろな所に登場し様々な働きをしていること、その様々な働きをする仕組みについて丁寧に解説しています。

普通細胞の中のいろいろな器官(細胞小器官)やその働きについては読むことがありますが、細胞の膜から突き出している毛について詳しく説明しているものはあまりないかも知れません。

このような小さな話だけでなく、生物の進化の話、地球の環境の保全にこの毛が果たしている大きな役割など大きな話も説明されています。

細かい仕組みの所では付いて行くのがちょっと難しいですが、著者や仲間の研究者は楽しいんだろうな、と思います。この毛に関連するタンパク質は数百種類だという事ですが、これは数が多いというより、この程度の数なら全て細かく理解し尽くすことができるかも知れない、ということのようです。

生命が誕生し、単細胞生物が生まれ、ミトコンドリアや葉緑体の元となる細胞が生まれ、その細胞同士が融合して真核生物が生まれ、それがまとまって多細胞生物が生まれ、脊椎動物である魚類が生まれ・・・という生命進化のあらすじがうまく整理されて説明されています。

地球の誕生 46億年前
海の誕生 40億年前
生命の誕生 38億年前
シアノバクテリヤの誕生 30億年前
真核生物の誕生 21億年前
多細胞生物の誕生 10億年前
魚類の誕生 5億年前

という具合です。

また繊毛が運動に使われる時の『毛』の波打つ仕組みについても、丁寧に説明されています。

環境問題に関する章ではワンオーシャン(海は基本的に一つにつながっていて、それは南極を中心とする地図で良く分かります)の海流の流れ(表面の流れと深層海流のそれぞれ)について説明があり、また生物の運動が細胞の毛によるものから筋肉によるものになった経緯についても説明があります。

2枚貝を濁った水の中に入れておくとアッと言いう間に綺麗な水になってしまうけれど、これもエラに生えている繊毛の働きだ、という説明もあります。

というわけでとりとめのない話になってしまいましたが、とにかく面白い本です。何より著者が一番楽しんで研究していることが伝わってくる本です。

様々な人にお勧めです。

福沢諭吉『帳合之法』 その4

火曜日, 2月 15th, 2022

前回まででの福沢諭吉『帳合之法』の紹介は終わりですが、ここから私の個人的な感想を書こうと思います。

私がこの本を読んでみようと思ったのは、結構有名な本であるにも拘らず、その正体が良く分からないということからです。日本に西洋流の簿記を紹介した本だという説明はいくらでもあるのですが、その本で紹介されているのは簿記がどのようなものか、については殆ど紹介されていません。それどころか『この本は複式簿記でなく単式簿記を説明してるもので、単式簿記というのは小遣い帳のようもので、ちゃんとした簿記の本では全くない』などというような誤ったコメントもいくらでもあります。
そんなことを言われてしまうと、そのコメントが本当かどうか、確かめてみようという気になってしまいます。

また単式簿記というのも『複式簿記でない』というだけで、その具体的な姿がもうひとつ良くわからないので、この本を読めば何かわかるかなという気持で読んでみました。

結果は期待をはるかに超えるもので、本式の簿記会計の解説書でありながら、この本で言う所の単式簿記の説明書ともなっており、その単式簿記は複式簿記と比べてもひけを取らないちゃんとした簿記会計のシステムだということがわかりました。

またこの本をも読み始めてすぐに『日記帳』が登場するのですが、日記帳が現在の実務あるいは簿記の教科書で説明されているものとまるで違っていて、複式簿記が始まった頃の日記帳の名残を残しているというのも、この本を読むことができて良かったなと思う点です。

本来的な洋式簿記の体系では、日記帳―仕訳帳―元帳という体系で記帳をしていくのですが、現在の日本の簿記実務では日記帳から仕訳帳に転記するのを省力化して、日記帳と仕訳帳を一体化して『日記仕訳帳』とし、これを簡略化して日記帳と呼んでいるんですが、その実体は日記帳抜きにいきなり仕訳帳に記入し、日記帳の部分は『摘要』あるいは『備考』の欄にほんのおまけのように付いているだけという存在です。しかし本来的にはこの日記帳こそが簿記の最重要な帳簿で、その後の仕訳帳あるいは元帳の作成はある意味機械的な作業だ、ということが良く理解できました。

とは言え、複式簿記の草創期と違って、商売の売買をやる人と帳簿をつける人が分業で別々の人がやるようになってしまえば、こうなるのはやむを得ないことなのかも知れません。

日記帳が日記仕訳帳となり、ほとんど仕訳帳であっても日記帳の部分がほとんど消えてしまった現在、日記帳とは元々どのようなものだったのか、多少でも分からせてくれる貴重な本がこの本です。

『単式簿記』という言葉も非常に理解が難しい言葉です。複式簿記ができて、多分それができる前はもっと単純な単式簿記だったんだろうというような話もありますが、そのあたりは良くわかりません。

わかっているのは、複式簿記がほぼ完成されたような形で登場し、それが活字印刷の普及と相まって西洋各国に一気に流布し、その後あまりに厳格で手間のかかる複式簿記の手続きを何とかして簡略化できないかという様々な工夫が試みられ、そのいくつかは複式簿記に対する言葉として単式簿記と名付けられたという事もあり、『何が単式簿記なのか』というのも私にとっては大きな問題でした。

こうなった一つの理由は、私が簿記・会計を学んだのは社会人になって生命保険会社に入って実務的に色々な伝票を見たり決算書を見たりするようになっての事で、その会社の会計システムはいわゆる銀行簿記・現金式仕訳(これはいわゆる現金主義会計とは全く別の話です)というもので、仕訳帳の代りに入金伝票・出金伝票とごく例外的に振替伝票を使い、その伝票も現金口座を媒介させる形で作られているものだっということです。それだけを教わった分にはそんなものかと思っただけですが、一般の商業簿記をちょっと勉強したら貸方・借方の書き方も逆だし、これはいったい何なんだろうと思いました。入金伝票と出金伝票で基本的な仕訳を済ます(振替伝票は入金伝票と出金伝票がセットになったものだと位置づける)ということで、これが世に言う単式簿記なんだろうかと考えたりもしました。(もちろん単式簿記ではなくれっきとした複式簿記だということは今ではもうわかっています)

またアクチュアリーになって生命保険会社の決算を勉強するようになって、アクチュアリーの本場のイギリスの生命保険会社の実務を勉強する中で、第二次大戦の少し後まではイギリスの生命保険会社のBalance Sheetは貸方・借方の左右が逆になっていて(現金その他資産が借方なのはそのままですが、それがBalance Sheetの右側に書いてある、貸方は左側)、丁寧なことに(ヨーロッパ)大陸ではBalance Sheetの左右が逆だなんて説明も付いていて、Balance Sheetの左右というのはいったい何なんだろう、などと考えた事も簿記の勉強をしてみようと思った一因です。(多分今ではイギリスの生命保険会社でも資産・負債の左右は大陸と同じになっていると思います。)

とは言え簿記の試験や税理士・会計士の試験を受けるのは計算が大変そうなのでやめておきました(世間的にアクチュアリーは計算が得意だという誤解があるようですが、中には計算が得意でないアクチュアリーも大勢います)。

普通、簿記会計の実務では、仕訳―元帳―試算表―決算書類(P/L・B/S)という流れで決算をするのですが、私のやっていた生命保険会社の決算では様々の決算整理が終わった所で、最終の責任準備金・支払備金・配当準備金等の計算をし、その振替伝票を作成し、それを入力して決算書類(P/L・B/S)を作るということになります。私が作業をしていた日本橋の本社で振替伝票を作成し、それを経理部に持って行って確認してもらって四谷の事務センターに(社有車の)社内便で送り、それをコンピュータ入力してP/L・B/Sを印刷し、それをまた社内便で日本橋の本社に送り返してもらい、経理部が確認してから数理部に持ってきてもらう、というのはとてつもなく時間がかかります。(勿論当時コンピュータといえば大型コンピュータのことで、パソコンもなければExcelのような表計算のソフトもありません。)

そのため最終の振替伝票を入れる前のP/L・B/Sから振替伝票を入れたら、入れた後のP/L・B/Sがどうなるかを手計算で作成し(計算の合計等の検算はもちろん算盤です)、コンピュータ出力のP/L・B/Sが届いたらそれを手計算で作成したものと照合して確認するというのが決算作業のルーチンになっていました。すなわち振替伝票から元帳記入・試算表をすっ飛ばしていきなりP/L・B/Sに修正を加えるというやり方です。

もちろん正確な記録をし、様々な検証作業も行うためには正規の手続きを踏む必要がありますが、手っ取り早く最後のP/L・B/Sの数字を確認するためには仕訳⇒P/L・B/Sの直接修正方法の方が手っ取り早いという事です。

私の簿記・会計の理解はこの経験に基づいているので、様々なルールに基づく簿記実務とはちょっと違っていますが、このような経験ができて本当にラッキーだったなと思っています。

以来私にとっては会計取引は、全てその取引の仕訳をして、その結果P/L・B/Sがどのように変化するかという見方から理解するようになっています。

実はケインズの一般理論を理解するにもこの見方が役立ちました。即ち、社会全体の経済活動全体に対し、企業の投資(設備投資)・生産・販売と消費者の労働・消費活動の全てを複式簿記の方式で仕訳し、一つ一つの経済活動において所得=貯蓄+消費=消費+投資が成り立つことを確認し、その合計である社会全体の経済活動でも同じ式が成り立つことを確認したという事です。一つ一つの取引で等式が成り立っていればその合計でも同じ等式が成り立つ、というのは複式簿記の基本的な考え方です。

日本の経済学者や経済学を勉強している学生さん達は簿記・会計の勉強を殆どしていないようなので、このようなアプローチは理解できないかも知れません。

この福沢諭吉の『帳合之法』は簿記のルールを暗記させるのでなく、様々なやり方の中から自分に合ったやり方を考えさせようとするもので、その意味で非常に面白く読むことができました。また福沢諭吉のこれでもか、というくらいの教育者としての親切心も理解することができました。

簿記を知っている人も、それを一旦忘れたつもりでこの本を読んでみると面白いと思います。
簿記を知らない人にはちょっととっつきにくいかも知れませんが、この本で簿記の勉強をするつもりで読むと、また新しい世界が広がっていくのではないかと思います。

福沢諭吉『帳合之法』 その3

金曜日, 2月 11th, 2022

この『帳合之法』もいよいよ本式・複式簿記になります。
その前に第三巻の頭に訳語の対照表が付いています。
すなわちこの『帳合之法』で使っている訳語は原文のどの単語なのかを示し、以後の参考としています。
原文の単語は片仮名書きになっているのでその元となる英文表記も分かるし、それをどのように片仮名にしたかということも分かる、面白い表です。
たとえば

帳合 ブックキイピング book keeping
帳面 ブック book
略式 シングル・エンタリ single entry 或は単記と訳すもよし
本式 ドッブル・エンタリ double entry 或は複記と訳すもよし
デビト debit
ケレヂト credit
取引 トランスアクション transaction
勘定 エッカヲント account
日記帳 デイブック day book
大帳 レヂヤル ledger
金銀出入帳 ケシブック cash book
手形帳 ビルブック bill book
仕入帳 インウェントリ Inventory
商売品 メルチャンダイズ merchandise
平均または残金 バランス balance
平均改 トライヤル・バランス trial balance
元手又は手当 レソウルス resource
払口又は引負 ライエビリチ liability
利益 ゲエン gain
平均表 バランスシイト balance sheet
平等付合 エクヰリブリュム equilibrium

といった具合です。

さて簿記の目的として、略式では売掛金・買掛金の管理を主たる目的としたものが、本式では『精密なる算法を以て、利益と損失との由て来る(よってきたる)所の道筋をあらわすもの』だとしています。

そのため略式では元帳・金銀出入帳・手形帳その他を合わせて総勘定を作っていたのに対し、本式では資産も負債も利益も損失も全て大帳に記録し、その大帳のみで決算ができるようにしている、ということです。

こういうわけですから、大帳に記載する勘定も、略式の商売相手の人名勘定だけでなく、支払手形・受取手形、現金、商品、経費等も入ってきます。大帳はようやくこれで総勘定元帳になるわけです。

で、この本式第一式で正式に帳簿とするのは日記帳・清書帳・大帳の三つです。日記帳も略式の場合の売掛金・買掛金の管理のための日記帳ではなく、商取引全般にわたる日記帳になるわけで、今まで日記帳に記載されなかった現金での商品の売買や手形での売り買い、経費支出等も全て記載されることになります。

次の清書帳ですが、これは現在『仕訳帳』と言っているもので、日記帳の記載を一つ一つその取引毎に仕訳し、大帳(総勘定元帳)に転記するためのものです。大帳に転記するためだけのものですから、日記帳に詳細を記録してあるのであれば、清書帳にはそのうち大帳に転記するのに必要な事項だけ記載すれば良い、ということになります。

そこで本式第一式では商品はソバ粉・小麦・大麦それぞれ別々の勘定(科目)を立て、受取手形(請取口手形)、支払手形(払口手形)、現金(正金)、経費(雑費)の勘定(科目)も追加しています。

これで日記帳に記載されている全ての取引を清書帳(仕訳帳)に転記し、それを大帳(総勘定元帳)に転記すれば、取引の記録は完了です。
あとはこの大帳を使って決算することになるわけですが、まずは試算表を作ります。大帳の各勘定毎の借方・貸方の合計を表にした『平均之改(大帳の面を示す)』という合計試算表と『平均之改(貸借の差を示す)』という残高試算表の両方を作り、どちらも貸方・借方の合計が一致することを確認します。次いで残高試算表から決算書の『元手と払口』(貸借対照表にあたる)と『利益と損亡』(損益計算書にあたる)を作ります。
ただしこの第一式では商品の期末の在庫は0(ゼロ)としているので、各商品の勘定の貸借差額がそのままその商品の販売益になる、という単純なケースを扱っています。

次の第二式では期首にも期末にも商品があるケースを取扱っています。とはいえ期首の商品は期の始めに全て売りつくして、その後仕入れた商品の一部が期末に売れ残っているという形ですが。商品の勘定も第一式では小麦・大麦・麦粉それぞれに勘定口を立てていたのを、第二式では『品物』という勘定口一つで済ませています。

日記帳に商品名を細かく書いておけば清書帳・大帳には『品物』だけでも十分わかるし、必要ならば日記帳に戻れば詳細がわかるからということです。

この第二式になって登場するのが『諸口』という言葉です。
複式簿記で仕訳をする時相手勘定が複数ある時に使う言葉で、英語のsundryの訳ですが、この時からすでに諸口という言葉が使われていて、現在もそのまま使われているということにビックリです。

また決算の際第一式では試算表から貸借対照表・損益計算書を作っていましたが、この第二式では『決算振替手続き』という勘定の締切りの手続きを示しています。すなわち大帳のそれぞれの勘定毎に貸借の差額を計算し、また大帳に損益勘定口・平均(残高)勘定口を追加して、資産・負債の勘定(この本では『事実の勘定』と言っています)は残高を平均(残高)勘定口に振替え、また収益・費用の勘定(この本では『名目の勘定』と言っています)の貸借差額を損益勘定口に振替え、その上で損益勘定口の貸借差額を当期利益として平均(残高)勘定口に振替え、これによって損益勘定口が損益計算書になり、平均(残高)勘定口が貸借対照表になる、という決算手続きです。

簿記の一般の説明書ではこの決算の方式として、大陸式と英米式の二つがあり、上記の、収益も費用の資産も負債も全て振替え仕訳するのを『大陸式』、収益・費用は振替仕訳するけれど、資産・負債は振替仕訳をしないで単に貸借差額を計算してそれを翌期に持ち込むのを『英米式』といい、私が調べたネットの解説によるとイギリスやアメリカでは英米式のみを用いて大陸式を使うことはない、などと書いてあります。この『帳合之法』の原文がアメリカの商業学校の簿記の教科書で、ここでは明確に大陸式の決算を行っているのをどう説明するんでしょうね。あるいはこのテキストが作られてから150年でアメリカの簿記の実務が変わったということでしょうか。

あとこの決算の振替手続ですが、『他の仕訳と区別するために朱書きにする』と書いてあり、他の部分は黒のみの一色刷りの本が、この巻4、本式第二式の部分だけ、赤と黒の2色刷りになっています。この手書きのルールは現在の簿記のもそのまま継承されているようです。(とはいえコンピュータシステムが進んで、今は手書きの簿記というものは殆ど存在しないでしょうから、それぞれの会計システムでどのような取扱になっているかは良く分かりません。)

で、この決算の振替手続きが済んで損益勘定の元帳から損益計算書ができ、その損益勘定の貸借差額を利益として平均(残高)勘定に振替え、その平均(残高)勘定の貸借がバランスしていることを確認して、めでたしめでたしということになります。

大帳(元帳)の各勘定口は貸借差額を損益勘定あるいは平均(残高)勘定に(朱書きで)振替え、貸借がバランスした所で区切りの締め切りの朱書きの線を引いて締切った事を表すという、古式ゆかしい手続きが説明されています。

この本ではさらに詳しく具体的な手続きについて解説しています。

ここまで書けば商業簿記の殆どがきちんと整理されて説明されていることがわかります。

この本ではいくつもの練習問題や理解を確認するための質問も付いているので、これを一つ一つこなすことで、西洋流簿記が確実に身につくようになっています。

福沢諭吉はこの出版に合わせて、この本を教科書にして講習会を東京日本橋の丸善(丸屋社中)で行っているようです。講習会は帳合の稽古と算術の稽古の両方を行うことにしているのですが、面白いことに稽古料は円建てでなく両建てで、
入社金 1両、
月謝金 2両2分(帳合と算術と両方を受講する場合) 2両(帳合のみを受講する場合)
となっています(1両=1円だと思いますので、2両2分は2円50銭ということになります)。

このあたり複式簿記の端緒とされるルカ・パチョーリの『スムマ』という教科書も本来数学の教科書であったことと併せ、簿記を実行するにはある程度以上の計算能力が必要だったこと、日本式簿記を実行していた江戸時代の大型の商店では丁稚・手代を含めて帳簿の検算を兼ねて毎晩ソロバンの練習をしていたこと等、興味深いことです。

これで、『帳合之法』全4巻終了ですが、これからもう何回かこれに関連したコメントをブログに載せる予定です。宜しくお願いします。

改めて『帳合之法』、面白い本です。お勧めします。

福沢諭吉『帳合之法』 その2

火曜日, 2月 8th, 2022

さて、ここから「帳合之法」を具体的に読んでいきます。
まず帳簿の作り方から。日本流の帳簿はいわゆる『大福帳』という、ぶ厚い無地の帳面を横にして、縦書きで筆で取引内容を書いていくのに対し、この西洋流の簿記では大きな紙に縦8行~10行くらい、横に4~50段(4~50字)くらいの罫を赤か藍(青)で薄く印刷したものを用意し、これにこの本の例に従って必要な罫線を墨で引いて、これを使います。(福沢諭吉はここまで説明しています。)

金額の記入の際はまず位取りの円の位置を決め、その上に一〇〇とタテに書けば百円の事、一〇〇〇と書けば千円の事と、位取り記法の説明から始めます。

日本流の帳簿には入金と出金を同じ高さに右から左に順に記入していくけれど、西洋流の帳簿では入金と出金の高さを変えて、貸借がわかり易くなっているという所から始まります。

簿記の目的は『商売の貸し借りを忘れないように記録を取っておく』という事で、貸し借りの証文が記録に残る金銭の貸借、手形の受払等はそれ自体が残っているので必ずしも記録に残す必要はない。現金での売買もその時点で決済が済んでいるんで必ずしも記録の必要はない。記録しておかなくて忘れてしまうと困るのは、掛の売り買いとその決済の記録だ、という事で、まずは取引相手毎に勘定書を作り、そこに掛での売買を貸借別に記入します。

商売があまり忙しくなければこのままでも良いけれど、忙しくなると売買の都度相手方の勘定書を出して記録する代りに、相手によらず全て順番に売買の記録をして、それを後で相手方別にそれぞれの勘定書に書き写すという工夫をします。この全ての取引を順に記録するのに使うのが日記帳、それを書き写す勘定書を集めたものを『大帳』(元帳)といいます。

ただしここでは帳簿の記録の目的が掛の売り買いとその支払い・受取りですから、日記帳に記録するのもその取引のみで、大帳に記録するのも相手方の人名勘定のみです。日記帳に取引の内容を詳しく書いておけば、大帳の方にはその分詳細を省略して記録することができます。

日記帳と大帳(元帳)のみで帳簿組織は完成ですが、これ以外に商売には手形の受け払いを管理するための『手形帳』、現金の出入りを記録する『金銀出入帳』、商品の仕入れ・売却を管理する『仕入れ帳』なども使われることもありますが、それは必ずしも必要ということではありません。

福沢諭吉はここで手形とはどのようなものか、という説明までしています。親切なことです。

この日記帳と大帳のみによる第一式(一例目)の簿記の次には、日記帳・大帳・金銀出入帳の三つによる第二式の簿記の説明です。
この第二式では日記帳と大帳の他に金銀出入帳も帳簿体系の一部として採用されます。

第一式では、現金の有り高はお金を直接数えれば良いだけなので特に帳簿を設けなくても良い、と考えていたのが、金銀出入帳によって現金の出入りについてもきちんと記録を取ることによって、どのような取引によって現金が出入りしているかが分かる、あるいは現金を数えることなし帳簿上の計算だけで有り高が分かるという事になります。あるいは帳簿上の残高と実際の有り高を数えたものを照合することで、現金の紛失や記帳の間違い・漏れ等がないかどうか検証することもできます。

それにしてもこの本が明治6年に作られているのですが、この時までに日本の貨幣の単位が円、銭に統一されていたのはこの本を作るのにちょうど良いタイミングだったな、と思います。もうちょっと前であったら現金の単位も両(金貨ベースで)・匁(銀貨ベースで)・文(銭貨ベースで)と3通りあって(場合によってはコメも通貨の一つになります)、その相互の換算レートも日々変動する為替レートによっていましたから、帳簿の記録もとてつもなく手間のかかる作業だったはずです。金銭の計算が必ずしも十進法でなく、また多通貨変動相場制ですから大変です。

この金銀出入帳を定期的に締め切るのに一七日というものを説明しています。一七日というのは一週間(この本では1ヰイクと言ってます)ということで、週単位で締切るのと月単位で締切るのと両方のやり方を例示しています。

この金銀出入帳には第一式で姿を表さなかった諸経費の支払や家計用の支出分も、現金売買の収支と同様に登場します。大帳の方の勘定は掛け売買の相手の人名勘定だけですが、新しく『総勘定』という期末の残高の一覧表が登場します。売掛金・買掛金は大帳の人名勘定の残高から持ってきて、手形は手形帳から、現金の残高は金銀出入帳から、商品の残高は仕入れ帳から棚卸しして記入しています。

これで資産・負債を計算して、その差額として期末時点の純資産(『現在の身代』と言っています)を計算し、期首の元金(純資産)を差引いて当期の利益が計算できます。

その意味で総勘定というのは財産目録、あるいは貸借対照表の役割を果たす表です。

このようにして日記帳・大帳・金銀出入帳の三つだけで期末の資産・負債・純資産を計算し、当期利益の計算までできるというのがこの第二式の眼目です。

第一式でも金銀出入帳の代りに現金の有り高を数えれば同様に決算できるのですが、第一式では売掛金・買掛金の記録に注目しているので、決算については触れていません。

次は略式第三式、すなわち単式簿記の3例目です。ここでは金銀出入帳の他に『売帳』が登場します。これは商品の売上げを記録するものです。これを基本的な帳簿にするのでなく、売上げも一旦売帳に記載してからその支払い方法に従って、手形受取の場合は手形帳に、現金売上の場合は金銀出入帳に、掛による売上の場合は日記帳にそれぞれ転記するというやり方を説明しています。ここでもまた日記帳・大帳の記録は掛による売買のみが記録されます。

また一例目・二例目が個人商店の場合であったのに、この第三式では共同出資の社中(合資会社あるいはパートナーシップ)の例を示し、決算が赤字の場合にその赤字を出資者にどのように振り分けるかとか、期の途中で現金を出資者の私用に使った場合の取扱いとかが例示されています。大帳にはまだ掛による売買しか記録されないので人名勘定のみが記録され、それ以外の勘定は登場しません。

次の略式第四式(単式簿記4例目)はさらに面白い例となっています。
これまでの例では期首は現金のみから始まって(現金出資のみから始まって)、期中に商品を仕入れ、売上げを上げて利益を出すという形だったのが、いよいよ期首に様々な資産を持っている例を出します。
そのため(個人商店の)福沢商店がそのまま全財産を現物出資し、丸屋商店が現金を出資して福丸商社を作り、これに期中に島屋が現金を出資して『福丸及び社中』という会社を作るという形にしています。

この第四式では売帳を日記帳に転記するのでなく、直接大帳に転記したり、手形帳・金銀出入帳に転記する方式となっています。第三式ではこの売帳は『小帳』といって正式な帳簿体系の中に入っていなかったのを、第四式ではこれを『原帳』として正式な帳簿体系の部分としているということです。これによって掛けによる売り上げは日記帳に転記したうえで大帳に転記する手間が省略できる、ということです。

福沢諭吉はこのようにして帳簿体系を、どのように定めてそれによって帳簿記録をどのように整理し、最終的に利益をどのように計算し出資者間でどのように分配するか、例示しています。

また金銀出入帳の補助簿として『手間帳』『雑用帳』をもうけ、この手間帳によって従業員の出勤管理および給与計算の例を示しています。

以上で略式の第一式から第四式までの説明が終わりますが、大帳は一貫して売掛金・買掛金の計算のための人名勘定のみを記載し、決算の総勘定の作成ではこの大帳と金銀出入帳(現金残高)・手形帳(受取手形、振出手形の残高)・仕入帳(商品の残高)とを使って資産・負債を計算し、期末純資産を計算し、当期利益を計算し、出資者各人に対する利益配分を計算しています。

これで略式(単式簿記)が終わり、次はいよいよ本式(複式簿記)の二例の説明が始まります。

使用する帳簿が増え、大帳の使い方が大幅に変更されます。
お楽しみに。

福沢諭吉『帳合之法』 その1

金曜日, 1月 28th, 2022

先に報告したように、ブログのサーバーがパンクし、お正月休みにちょっと時間が取れそうなので、取りためてあった資料の中からこの本のコピーを取り出して読んでみました。予想以上に素晴らしい本で感激しました。

元々アメリカの商業学校(原文では商売学校となっています)の簿記の教科書を福沢諭吉が翻訳した、ということになっているので、福沢諭吉は単なる訳者ということになるのですが、現実には翻訳というより翻案と言った方が良いような本です。

なにしろ西洋流の簿記など初めての人に西洋流の簿記を説明するのですから、福沢諭吉はかなりの工夫を凝らしています。
日本語の本をいきなり横書きにすることはできなかったようで、横書きの英語の原文を縦書きの日本語に翻訳しています。数字が大量に出て来る帳簿の例でも、横書き、アラビア数字の原文を縦書き、漢数字の帳簿に変えています。
簿記の本ですから大量に金額が出てきます。これを日本流の漢字の書き方で、たとえば二拾八万四百三円六銭と書く代わりに、二八◯、四◯三、◯六というように縦書きに書く事にしています。日本語の縦書きはそのままにして、数字の位取り記法を導入し、一から九までの漢数字に◯を追加して◯から九までの漢数字で位取り記法ができるようにして、原著の横書きの教科書を縦書きにして簿記の説明をしています。
この位取り記法、和算の世界では17世紀位からあったようですがまだ一般にはなっていなかったもののようです。とはいえ、実は算盤(ソロバン)というのは、紙に書くのではなく算盤に置くという形ですが、実質的に位取り表記ですから算盤を使い慣れている人にはあまり抵抗がなかったかも知れません。

まだ個人商店が主流の時代ですから、商売相手の名前も英語の原文では外人の名前ばかり出てきます。これをこのままカタカナの名前にしたんでは読んでいられないだろうということで、この商売人の名前をみんな日本の屋号に変えてしまいます。廃藩置県前律令制以来の国郡里制の国の名前に屋号を付けた、三河屋とか駿河屋とか伊勢屋、越後屋とかいった具合です。
商品の名前も欧米の商品を持ってきても良くわからないので、全て日本の商品に置き替え、ついでに度量衡の単位も日本の単位に置き替え

男物くつ足袋 6足 単価25銭で 1円50銭 とか
太織ふとん地 2丈 単価12銭で 2円40銭 とか
お茶 10斤 単価12銭で 1円20銭 とか
白砂糖 3箱分50斤入り 単価6銭で 90円 とか

という具合です。

で、この単式簿記と複式簿記の両方を説明しているのですが、前半の単式簿記(Single Entry)の方を『略式』と訳し、後半の複式簿記(Double Entry)の方を『本式』と訳しています。

『この本は単式簿記だからちゃんとした簿記の本ではない』なんてコメントも時々みかけますが、実際の所単式簿記も複式簿記もちゃんと説明してあります。

で、英語の原文では単式簿記を4例、複式簿記も4例説明しているようですが、この訳の方では単式簿記の4例を略式第一式から略式第四式という形で紹介しています。また複式簿記の例、最初の2例を本式第一式、本式第二式という形で紹介し、3例目4例目は省略しています。
原文のテキストの本式第三式・本式第四式の2つについて福沢諭吉は、第二式までで説明は十分で、それ以上ページ数を増やして読者の負担(本を買う負担・読む負担)をかけてもしょうがないということで、この部分を省略しています。その意味でもこの本は真っ当な翻訳ではありません。もちろんそれでこの本の価値が棄損されるわけでありませんが。

単式簿記というのは実は『複式簿記でない』ということで、その中味についてはいろいろなケースがありますが、この本では、商人間の取引のうち掛(買掛あるいは売掛)の取引について、売掛金を取りっぱぐれないように、また買掛金の支払を忘れないように記録を取っていくことを主たる目的とする帳簿簿記のシステムのこととして説明しています。

この本の6つの例を読むと、単式簿記であれ複式簿記であれ、具体的な目的があって、その目的のための帳簿の体系があって、それぞれの帳簿の使い方、記録方法が決まっていて、それぞれの例では使う帳簿が異なったり同じ帳簿でも使い方が違ったり、その意味合いが違うということがわかります。

この本では簿記の目的が次第に広くまた高度化するにつれ、帳簿組織と簿記の内容が変わっていくことをわかりやすく例示しています。その結果、(やり方を一方的に)教えられる簿記会計から、自分で考え創意工夫できる簿記会計の教科書になっています。

なおこの本では基本的に個人商店を想定しているわけですが、資本を出し合って経営する合資会社の場合で、利益を出資者にどのように分配するかとか、期の途中で出資者が増えた時の取扱なども例示しています。
面白いことに、福沢屋と丸屋が共同で出資して『福丸商社』を作り、そこに途中から島屋が資本参加して『福丸及び社中』という名前の商店になる、なんて、英語の○○ and Companyという名称までそのまま日本語にしています。こんな会社が本当にあると面白いですね(ちなみに丸屋というのは本屋の丸善のことで、この部分ではほかにも慶應義塾関係のいろんな人の名前が商売相手の名前として出てきます)。

略式・本式というのは原文のSingle Entry(単式簿記)とDouble Entry(複式簿記)を仮に略式・本式と訳したものですが、だからと言って何か省略している、ということではなく、略式であっても本格的な簿記会計の体系であって、これで本格的な決算もできると書いています。福沢諭吉自身、この代わりに単記・複記という直訳も考えていて、迷っているようです。
簿記は、単式簿記が進化して複式簿記になったかのように思われているところもありますが、実際、簿記の歴史の本などを読むと、まず複式簿記の体系が出来上がり、それがヨーロッパを中心にかなり広範囲に普及したところで、それがあまりに厳密で手間がかかるために、それを何とか省力化して簡単にすることができないものか、という工夫が様々に提案され、時にはその名前をsimple entryとすべきところをsingle entryと呼んだ、ということもあるようです。だとすると、single entryというのはsimple entryのことで、それを略式、と訳したのは何かを省略した、ということではなく、簡略化した、ということであれば、本式・略式という訳はもしかするとかえって適切な訳なのかもしれません。

借方・貸方についても、とりあえず原文のDebit、Creditをこのように訳していますが、これについても福沢諭吉も迷った上でこのようにしています。

たとえば日本流の言い方では、自分がA社に商品を掛けで売った場合、A社勘定に売掛金を計上するのですが、これはA社にその代金分貸し付けたことになる。B社から商品を掛けで買った場合、買掛金が計上されますが、これはB社にその代金分借りていることなる。このA社に対する貸しを借方に記載し、B社に対する借りを貸方に記載するのは変じゃないか、と普通に考える所、福沢諭吉は、日本流の自分を主語にする考え方ではなく、西洋では相手方を主語とし、A社に貸しているのは『A社は当社に借りている』ということで借方に記載し、B社に借りているのは『B社が当社に貸している』から貸方に記載することだ、と説明しています。
この借方貸方の整理は非常に納得しやすいものです。

日本の中だけでこの簿記を使うのであれば、貸方借方の表記を(日本流の)自分を主語にして逆にしても良いし、貸し借りの言葉が分かりにくいから、例えば『入』と『出』という形で表現するという考え方もありますが、将来的に欧米との取引が進んでいくとその表現が逆になっていたり別の言葉が使われていたりするのはかえって混乱を招く事になると考えて、あえて原文をそのままに借方・貸方の言葉を使うことにする、と福沢諭吉は訳者注に書いています。
このあたり、明治に西洋から新しいものや考え方を取り入れるとき、どんな言葉を使ったらいいか、という先人の苦労がしのばれます。

ということで、次回以降、もう少し詳しくこの本の中身を紹介してみようと思います。

『本屋風情』 原 茂雄

金曜日, 1月 14th, 2022

渋沢栄一の大河ドラマもいよいよ終わりましたが、最終回の2回前、12月12日の分を見ながら、その後継者渋沢敬三のことを考えていました。

この人は、戦前から終戦前後に日銀総裁をやったり大蔵大臣をやったりした人ですが、私が知っているのは日本中を歩き回った民俗学者の宮本常一のスポンサーとしての渋沢敬三です。この人は渋沢栄一の後継者だったけれど、血縁はどうなっていたのかなと思ってWikipediaに教えてもらったのは、最終回の前の12月19日の大河でやっていたように、栄一の嫡男篤二の嫡男として生まれ、父親の篤二が栄一に廃嫡されて孫の敬三が後継者となった、というような事が分かりました。

Wikipediaではついでにこの人の動物学や民俗学関係の色々な交流について、参考書としてこの本が紹介されていました。

早速図書館で借りて読んだのですが、全30話のうち28話が『渋沢敬三さんの持ち前とそのある姿』というタイトルになっていました。もちろんそれ以外にもこの本全体に何度も登場します。

第一話が『まえがき』になっていて、ここに『本屋風情』のタイトルの由来が書いてあります。

これまたこの本に何度となく登場する柳田國男が(この人はエリートであった事は事実だけれど、エリートであることを強く自覚し、また他人にも自分をエリート扱いすることを当然のように要求し、それが叶わないとひと悶着起こすというような人のようです)、また何かの件でひと悶着起こしたときに、渋沢敬三が仲直りの席を用意し、ひと悶着の当事者の一人でもある著者の原茂雄さんにも同席するように命じ、その席は無事終了したと思ったら、後で柳田國男が「本屋風情と同席させられた」と文句を言っていたということで、この『本屋風情』という言葉をこの原茂雄が気に入って、この本を作る時に書名にしたということでした。

著者の原茂雄さんというのは、陸軍幼年学校から陸軍士官学校を出て軍人になった人ですから、この人も十分エリートで、陸軍での出世も少なくとも少将くらいまでは約束されていたはずなのに、軍をやめて本屋さんになった人ですから、そう簡単に柳田國男風情にバカにされる人ではありません。

で、この第一話『まえがき』のあと第2話から第9話までは南方熊楠との交流を書いています。出版者として南方熊楠に出版を提案する所から、熊楠の信頼を得て熊楠の著作の管理を全面的に任され、最終的に南方熊楠全集を(平凡社から)出版するに至るまでを書いています。

その後は出版人として本や雑誌を出すことに関連して、主として考古学・民俗学・民族学関連の多くの人との交流が書かれています。話の殆どは大正の半ばから終戦前後までの話なので、私にとっては名前だけは知っているけれど・・とういう人々が具体的な姿で登場してきます。

たとえば貝塚茂樹・湯川秀樹、小川環樹の小川三兄弟の父親である小川琢治という人も、今までは三兄弟の父という形で目にするだけだったのが、地理学の権威として、登場して活き活きとして動きまわっています。学者仲間の濱田耕作と、互いに子供自慢をしあったりもしています。

『ユーカラの研究』の出版に関連して金田一京介と関わったり、広辞苑とその前身の辞苑の出版に関連して新村出と関わりあったり、ファーブル昆虫記の出版に関連してきだみのること山田吉彦が登場したり、いろいろ面白い話が満載です。

第26話で物理学者の中谷宇吉郎の弟の考古学者の中谷治宇ニ郎の話、第27話で同郷の先輩で同業者の、岩波書店の岩波茂雄の話、第28話は前に書いたように渋沢敬三の話、第29話で人類学・考古学・民俗学関係の学者間の交流誌として『ドルメン』という雑誌を出した話があって、最後に第30話『落第本屋の手記』として、陸軍をやめて人類学・民俗学の勉強を始めたけれど、スタートが遅くなった分、学者として研究にあたるより出版人として学者の仕事を助ける方がなすべき仕事だと考え、何も知らない出版の世界に入ったけれど、途中で陸軍から召集をかけられたり徴用されたりしてちゃんとした仕事ができなかった、と書いています。

なかなか面白い本です。

この本をきっかけに、そういえば南方熊楠というのは話を読むだけで、この人の書いたものを読んだことがなかったな、と気づき、今度は熊楠の書いたものを読んでみようかと思いました。

こうやって読みたい本が増えていくと、読む本がなかなか終わりません。

とまれ、興味がある人、お勧めします。