Archive for 7月 11th, 2013

韓国の稲作

木曜日, 7月 11th, 2013

韓国の歴史の教科書を読んで、韓国では17世紀頃稲作で田植え法が主力となり収穫が急増したという記述をみつけ、日本では弥生時代から田植えをやっていたはずなのに、どういうことだろうと思いました。

で、この前の記事に書いた「両班」という本にその答がみつかりました。

韓国ではその昔中国から農業の教科書を輸入していたのですが、気候・風土の違いからなかなかそのまま適用するのが難しかったようです。そして世宗(セジョン)という王様が韓国の実際の農業を調査して、韓国用の農業の教科書「農事直説」という本を1430年に刊行したということです。

この中に稲作については水耕法・乾耕法・挿種法の3通りのやり方が書いてあります。水耕法というのは、水田直播き法、乾耕法というのは乾田直播き法で、挿種法というのが田植え方式だということです。

で、この三つの方法があるけれど、水耕法が基本で挿種法は農家にとって危険きわまりない方法なのでやってはいけないと書いてあるようです。
 「この方法は除草には便利であるが、万一日照りの年であれば手のほどこしようがない」ということのようですが、要は苗代を作っていざ田植えという時に田んぼに水がなかったら田植えのしようがない、ということのようです。

日本の稲作でも田の草取りというのは一番大変な作業だったんですが、それが「便利」ということだと韓国の水田播き法の草取りはどんだけ大変だったんだろうと思います。

それにしても日本では田植えというのは梅雨の季節とも重なり、「田んぼに水がない」なんてことは思いもつかないんですが、韓国では確かに田植えの頃の降水量はそんなに多くありません。

日本では日照りというのはむしろ夏の暑い頃の話で、「水がない」と言ってもまるっきりないわけじゃなくて、水のあるところから田んぼまでどうやって水を引いてくるのか、運んでくるかという話ですが、韓国では「ない」となったらどこにもないんでしょうね。

で、田植え法は世宗(セジョン)大王がダメ、と言っているんですから現実的に禁止されていたのですが、それでも次第に行なわれるようになり、1619年に「農家月令」という本が出て、この本では水田直播き法と田植え法が対等に扱われ、禁止ではなくなり、それを受けて1655年に「農事直説」の改訂版として「農家集成」という本が出て、これに田植え法とそれを可能にする灌漑技術が詳しく紹介され、こっちは公認の本なので今度は安心して田植え法が全国的に広がったということのようです。

韓国ではそれまで灌漑の方法としてはため池を作るという方法で、これは国家の公共事業となるような大工事が必要だったのを、その後川をせき止めて灌漑に使う簡便な方法が開発され、これによって田植え法が可能になったようです。

乾田直播き法では、土の中の水分の蒸発を抑えるためあんまり丁寧に土を耕さず、種を播いたら土をかぶせた後しっかり土を固めるという指導がなされているようです。

日本では「水やり」というのはどうやって水を引っ張ってくるかという話であって、土の中の水分の蒸発をどうやって防ぐかという発想は今まで私は聞いたことがなかったので、これも新鮮な驚きです。
こんな思いもかけない話があるので、本を読むのは楽しいですね。

なお「農事直説」を作らせた世宗という王様は韓国でもとびぬけて立派な王様で、ハングルを作った王様でもあり、また朝鮮から日本へ使節を送るにあたり日本の水車の作り方を調べて来るようにその使節に命じ、日本でその模型まで作ってきたのにその当時の韓国の技術では水車を作ることができなかったなどというエピソードもあるようです。

私が通った高校は普通科なのに農業という科目が必修だったので、あまり勉強した覚えはないのですが、田植えや稲刈りは実際に経験し、ちょっと懐かしい思いがします。

両班(ヤンバン)

木曜日, 7月 11th, 2013

韓国の歴史の教科書を読み終わって、改めてちゃんとした本を読んでみたいと思いました。
普段図書館ではあらかじめネットで検索して、予約した本を借りてくるだけなのですが、久しぶりに本棚の前でタイトルを眺めていたら、
 「両班(ヤンバン) – 李朝社会の特権階層」という宮嶋博史著・中公新書が目に入りました。

両班というのは、韓国の歴史と現在を理解する最大の鍵だ、と以前から思っていたので、早速借りて読みましたが、期待通りの素晴らしい本でした。

著者は韓国の古文書を直接読むという方法で、李朝になって特権階層としての両班、特に地方の特権階層としての両班が出来上がってきて、それが社会の目標となり、誰もが両班になる、あるいは両班的生活様式を取り入れることを目標として今回の韓国社会が出来上がったという経過を族譜(日本でいう家系図の韓国版ですが、はるかに膨大なもので、韓国人の多数がこのどこかの族譜に属しているようで今でも日常的に使われているようです)・遺産相続の書類・日記・戸籍などの統計資料を読みながら解析していきます。

そもそもこの両班という言葉自体いろんな意味がある言葉なんですが、社会的身分をさす語としての両班にしても、一言では言えない意味の言葉のようです。

 【両班というのは法的に決められた階層ではないけれど、だからと言って曖昧なものではなく、誰が見ても両班か両班でないかが明確に見分けることができるようなものだ。】
というんですから、これだけじゃ何のこっちゃと思うのですが、この本を読むとそのあたりが良くわかってきます。

で、その両班というのが儒教の性理学(日本では朱子学と言われているものですが、韓国で独特に発展したものです)に基いて儒教を勉強することが本分ということになりますから、地方の役人の監督をするくらいのことはしますが、実際に身体を動かすようなことはしないことになっています。自分の田畑も自分で農作業するわけにいかないので、奴婢に農作業させてその監督をするだけ、あるいは商売をするにしても奴婢に商売させてその指示をするだけ、ということになります。

この「奴婢」というのが両班の財産として売り買いしたり相続したりの、要は奴隷なのですが、これが自分の田畑を持っていたり財産を持っていて自分で商売したりする、何とも不思議な奴隷制度です。

ですから両班が奴婢に種蒔きをさせてもチラホラとしか芽が出てこない、奴婢が種をくすねてあとで自分の畑に撒いているに違いないとか、奴婢が休みをとって布を売りに行くというので両班が自分の布も売ってきてくれと頼んだところ、帰ってきた奴婢に「自分の布は売れたけど、両班の布は売れませんでした」と言われて悔しがる、なんて話が出てきます。

奴隷制というのは経済効率が悪くて、アメリカの南北戦争のリンカーンの奴隷解放も人道的な観点というよりは経済効率の観点から決められた、という話もありますが、韓国でも李朝が終わって大韓帝国になる頃(日本では明治維新の頃)には奴婢がほとんどいなくなったようです。

両班としても種をくすねられることがわかっていて農作業を監督するより、奴婢を解放して小作人にして好き勝手に農作業をさせておいて小作料をしっかり取り立てる方が監督する手間も要らないし有利だ、ということに気がついたんでしょうね。

で、この両班、李朝の初期には人口の10%弱だったのが終わり頃には人口の70%にもなっていて、今では韓国人の殆どが「自分は両班の家系だ」ということになっているようです。

両班というのは両班的生活習慣と両班的価値判断が両班かどうかを決める最重要ポイントですから、韓国人の不思議な礼儀正しさと理屈っぽさ・歴史認識を理解するには、この両班をちゃんと理解する必要がありそうです。その意味でこの本はお勧めです。

参議院選挙

木曜日, 7月 11th, 2013

いよいよ参院選が始まっていますが、何とも盛り上がらないですね。

自民・公明の与党の勝ちが決まってしまっている状況だからでしょうか、ちっとも面白くありません。そんな中、テレビでは9党党首の討論会というのが何度も行なわれているようです。

でも9党というのも何なんでしょうね。参議院を中選挙区制から小選挙区制にする時、小選挙区制にすれば二大政党制になると言っていた人達は、この9党党首揃い踏みをどんな思いで見ているんでしょうね。(ちなみに舛添さんがやめなければ10党党首ということだったんでしょうか、ヤレヤレ)

この参議院選、あるいは3年後の参議院選あたりでもう議員がいなくなってしまいそうな政党の党首がイッチョマエの顔をして安倍さんに訳がわからないイチャモンをつけているというのも、ウンザリですね。

選挙が面白くないのは、野党のどの党首をとってみても安倍さんにまともに太刀打ちできるほどの人がいないというのも原因かもしれません。安倍さんの発言の番になるとそれまでの野党の言い分は鎧袖一触で片付けられてしまっている感があります。

今のままだと自民・公民・共産の3党の勝ちということでしょうから、開票速報の興味は残りの野党がどこまで負けるかということだけになりそうです。