12月 4th, 2015
前回『「日本国憲法」まっとうに議論するために』という本を紹介しました。この著者の樋口陽一さんが面白かったのでついでに他の本も読んでみようと思って、図書館で借りてきました。
そのうちの一番読みやすそうな『「日本国憲法」を読み直す』という本を読みました。この本は小説家、劇作家、放送作家の井上ひさしさんとの対談で、憲法について話をするというものです。
井上ひさしさんと樋口陽一さんは、昔仙台一高の同期生だ、ということで、なかなか楽しい対談になっています。
ところがその内容はというと、樋口さんの発言が何とそこらの立憲主義の憲法学者の発言と同じになっています。
ちなみにこの『立憲主義』という言葉、調べてみると憲法を”the Constitution”というのに対する“constitutionalism”という言葉のようです。直訳すると『憲法主義』です。
“constitution”という言葉も『仕組み』とか『構成』とか言う位の普通の言葉で、これに定冠詞の“the”を付けると『憲法』になるというもので、これも直訳するのであれば司馬遼太郎さんの言葉でいう『(国の)かたち』という位の意味です。
ですから『立憲主義』というのは、言い直せば『(国の)かたち主義』ということになります。
これだけじゃ何のことか分からなくなってしまうので、いろいろ意味づけをしていくことになるのですが、それにしても立憲主義などと言う言葉の代りに憲法主義あるいは(国の)かたち主義という言葉を使うようにするだけで、いわゆる立憲主義の憲法学者の先生方の頭の固さがかなり緩和されるんじゃないか、と思います。
日本語は漢字を使って漢語を作ることができるので、いろんな言葉が作れます。それだけ言葉が豊かだというのは素晴らしいことなんですが、一方厄介なことにもつながります。
たとえば『ナショナリズム』という言葉、もともとの意味は『国民主義』という位の意味なのですが、これが『民族主義』とか『国家主義』『愛国主義』『国粋主義』とかいう言葉に翻訳されると、それだけでそれぞれ別々の意味を持ってしまいます。
英語を使っている人は”nationalism”という一つの言葉で議論しているのに、日本語を使う人はそれを訳した『民族主義』とか『国家主義』とか『国粋主義』とかいう言葉で議論するんですから、議論がおかしくなってしまうのも不思議じゃありません。
このあたり、外国語を翻訳した言葉を使うときは要注意です。
で、本題に戻ってこの本に登場する樋口さんの発言が、前に読んだ『「日本国憲法」まっとうに議論するために』の話とあまりにも違うので、その理由は何だろうと考え、次の3つの仮説を立ててみました。
- 『「日本国憲法」まっとうに議論するために』を読んだ時の私の読み方が間違っていて、実は樋口さんはずっとそこらのいわゆる立憲主義の憲法学者と同じ考えの人なんだ。
- この対談をした時、古くからの友人である井上ひさしさんを立てるために(井上ひさしさんというのは、いわゆる赤旗文化人の代表みたいな人ですから)井上さんが喜ぶように、樋口さんはいわゆる立憲主義の憲法学者のような発言をした。
- この対談をした時、樋口さんはまだ60歳になる前の若年で(この本は1993年の対談を本にしたもので、樋口さんはまだ60歳にもなっていません。私も65歳になると60歳位の人を若者よばわりしてしまいます)、その当時はいわゆる立憲主義の憲法学者と同じように考えていたんだけれど、その後20年も経って80歳を超えると、樋口さんもようやく本質がわかってきて、まっとうな憲法学者になった。
仮説1.が正しいとすると、私の本の読み方は何だったんだということになります。私としては仮説3.が正しくて、いわゆる立憲主義の憲法学者もその後勉強を続けていけばいつかは考えを改めて真っ当な憲法学者になるかも知れない、というふうに思いたいのですが、どうなるでしょうか。
そのように考えると何か希望が持てそうな気がしませんか。
うまく答にたどり着けるかどうか分かりませんが、もうしばらくいろいろこの人の本を読んでみるつもりです。
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11月 25th, 2015
私はさいたま市の『さいたま新都心』という駅を通勤に使っているのですが、駅の改札口からちょっと左に行って、そのあとスーパーアリーナに向かって右に曲がる角の所にちょっとしたイルミネーションがついています。
私にとってはすごく派手なイルミネーションだなと思っていたのですが、娘にとってはまるで逆のようで、何ともショボいということのようです。
他のいろんな場所のイルミネーションと比べると確かにそのようで、いろんな所のイルミネーションはかなり大規模に作られているようです。
私の感覚は、3.11の2011年の暮にはそれまでにもあったイルミネーションが中止になったとか、その後もかなり小規模だったものが、今年はかなり派手になったなということです。まあ実施する側からすると、イルミネーションもLEDになっているので消費電力は少なくなっているということかも知れませんが、多分そうだとしてもLEDの製造の所でかなり電気を使っているんじゃないかなと思ってしまいます。
気がついて見ればJRの電車の車内の電灯も震災後ずっと半分点灯しないで節電していたのが、いつの間にか全部点灯しています。まあ電車の中を読書スペースとしている私にとっては有難い話なのですが。
で、いずれにしても震災も昔の話になりつつあるようですね。
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11月 25th, 2015
この本は樋口陽一さんという、本物の憲法学者が書いたものです。2006年に出版された本を、今年の安保法制に関連する憲法ブームに乗って大幅に書き足して、2015年9月に改訂新版として出版されたものです。
この本の内容は、神がかり的な憲法学者の書いたものと違って、真っ当なものだと思います。普通の憲法学者の言うことにはどうしても悪口を言いたくなりますが、この本に関しては意見は異なりますが、悪口を言うような所は見当たりません。
今年の安保法制をきっかけとする憲法ブームで新版を出しているように、著者は基本的に安保法制反対の立場で、自民党の改憲案にも閣議決定による憲法解釈の変更も反対なのですが、にもかかわらず、憲法の本質を勉強するには良い本だと思います。
司法試験や公務員試験のために憲法を勉強するということであれば、芦部さんの憲法あたりを勉強するしかないんでしょうが、そんな試験とは無関係に憲法について勉強してみたい、考えてみたいという人には、是非ともお勧めの本です。
憲法の本質を説明するために、イギリス・フランス・アメリカ・ドイツ・スイス等いくつもの国の歴史と実例をもとに憲法の基本的な考え方をきちんと説明してくれるので、とても良く分かります。
今回の安保法制でも、立憲主義の憲法学者や反対派の政治家などは、立憲主義の憲法というのは権力、すなわち政府に勝手なことをさせないためのものだ、という主張をしていますが、この本では違います。この本の立場は国民主権の憲法では主権者である国民に勝手なことをさせないのが立憲主義の憲法だ、ということです。
国民主権の憲法の主権者としての国民の責任を明確にしています。『自分のことは自分で決める』という生き方は『そんな面倒なことはご免だ、誰かに決めてもらった生き方に合わせてやっていく方が気楽だ』という生き方に比べて、はるかにしんどいものです。そして国民が皆様々な組織から切り離され『個人』という存在になるというのは、その個人となった淋しさに耐えることを強制することになります。この主権者としての辛さと、人権を保障される個人としての淋しさについてちゃんと書いている本は、私はこの本が初めてです。
明治憲法についても、5.15事件・2.26事件のあとの軍主導体制下だけを見た天皇主権憲法というそこらの憲法の教科書の記述と違って、明治憲法のできる前の伊藤博文と森有礼との人権に関する議論や、できたあと天皇機関説の話、それが天皇機関説事件でまるっきり別物に変えられてしまい、それが日本国憲法により復活したというあたりまできちんと説明してあります。
この本では『4つの89年』ということを言っていて、1689年『権利章典』、1789年フランス革命の『人権宣言』、1889年『大日本国帝国憲法』、1989年『旧ソ連・東欧諸国の共産党一党支配の崩壊』を並べています。ここでも憲法の流れの中で明治憲法の重要性を説明しています。
立憲主義の学者はとにかく『憲法を変えてはいけない』一点張りですが、憲法改正についても憲法改正限界論と憲法改正無限論について説明しています。『憲法改正限界論』というのは、憲法を改正する場合にも限界があり、『変えてはいけない』と書いてなくても、どうしても変えてはいけないものがあるんだ、という立場です。
『憲法改正無限論』というのは憲法改正には制限がなく、仮に憲法にこれこれは変えてはいけないと書いてあったとしても、その変えてはいけないとう部分を変えることにより何でも変えることができるという立場です。
この本ではどっちが正しいと言って一方の議論を押し付けるのではなく、二つの説を紹介して読者自身が考えるようにしています。
1973年に改正される前のスイスの憲法には『出血前に麻痺させることなく動物を殺すことは、一切の屠殺方法および一切の種類の家畜について例外なくこれを禁止する』という規定があり、動物愛護の規定のように見えるけれど、実はこの規定はユダヤ教徒の宗教上の慣行を禁止するために設けられ、信教の自由を阻害するためのものだったという話とか、憲法改正の国民投票は国民が一時の熱狂で暴走してしまう恐れがあり、ナチスの経験を踏まえてドイツの憲法の憲法改正の規定では意識的に国民投票を除いているなどという、私は聞いたことのない、なかなか面白い話も盛りだくさんに入っています。
本のサイズはB6版の小さな本で、本文が160頁位で日本国憲法の全文が後ろの方についています。5回に分けた講義形式になっているので読みやすい本です。簡単に読めます。
お勧めです。
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11月 25th, 2015
マイナンバーの通知カード、ついに来ました。
ここに公開しても良いんですが、別に公開するほどのものでもないのでやめておきます。
私のことだけで判断するのもなんなんですが、この土日月の3日間でかなり通知カードの配達も進んだのかなと思います。
うちは家族3人なので3人分のカードが届きました。
番号を見てみると3つともそれぞれテンデンバラバラになっており、なかなか見事なものです。
で、この通知カードの送付の封筒には『個人番号カード交付申請のご案内』というものも同封されています。
私はこの通知カードが来たら無条件でこのマイナンバーカードの申し込みをしようと思っていたのですが、この案内を見てみるとなかなか面白いものです。
このマイナンバーカードの申請には顔写真を付けるのが必要なので、それをどうしようか・・と考えていました。紙の申請書を使うのであればそれに貼り付ける写真をどう用意しようか、ということです。スマホで申請するのであれば、スマホで写真を撮ってそれを送れば良いということは分かっていますが、私のガラケーではどうなのかなと思います。パソコンで申請するのに誰かスマホを持っている人に写真を撮って貰って、それをパソコンに送って貰ってそれを使おうかなとも思っています。
そう思って案内を見ていたら、何と町中の証明写真の機械から申請ができるんだ、と書いてあるのを見てビックリしました。確かに証明写真のボックスにインターネットをつないで、そこで撮った写真でそのまま申請できるというのは便利かも知れません。
なかなか良いアイデアですね(とはいえ、このやり方は利用の多い場所から順次対応していく予定ということですから、それができる写真ボックスを探す必要があるかも知れません)。
で、このマイナンバーカード、住所・氏名・性別・生年月日と有効期限が記載されています。また臓器提供意思表示カードにもなっているようです。まあ身分証明書として使うんですから当然と言えば当然なんですが、だとすると住所を変更した場合に作り直す必要があるんでしょうか。また有効期限が来た時も作り直す必要があるんでしょうか。
とりあえず最初はただでマイナンバーカードを作ってもらえるようですが、転居や期限切れなんかの時の再作成の場合、どれ位のお金がかかるのかなぁと思ってしまいました。
また1年以内にカードを作らないと有料になるというのも、どれ位のお金がかかるのかなと思います。
まあ通知カードがほぼ行き渡った所で、今度はマイナンバーカードに関する情報がどんどん出てくるでしょうから、あせる必要はないことなので、しばらく様子見です。
パソコンで申請する場合、家族の分を同一のメールアドレスから申請できるのかどうかも確認する必要があるんだろうと思います。
カードを受け取る時に暗証番号を登録することになっていますが、用途ごとに4つの暗証番号がが必要なようです。英数6~16字のもの1つ、数字4桁のもの3つです。まあ数字4桁のものは同じものにしても良いようですが、いずれにしても暗証番号を登録するとなったら、今度はそれをどうやって覚えておこうかという問題にぶち当たります。
しばらくは色々楽しめそうです。
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11月 17th, 2015
学生の頃(多分高校生の頃)から夢だったファインマンの物理学、ついにこの9月に入手し、読んでいます。ちょっと高い本ですが、この年になればこの程度の贅沢は許してもらえるかな、と考えて、amazonの古本を1冊ずつ買うことにしています。
とりあえず第1巻『力学』の本文を読み終わった所でちょっと報告です。
本文を読み終わったとはいえ、このあと巻末に演習問題がなんと145問もあり、しかもその最初の部分に『優秀な学生でもこれをすっかり解くことができるとは思われない。』なんて書いてありますからこれを終えてから次に進もうなんて考えていると第2巻に進むのがいつになるか分かりません。次の第2巻にかかってしまって、同時並行的にじっくり時間をかけて問題を解いて行こうと思います。
読んでみて改めて良くわかったのですが、これは決して標準的な教科書ではなく、これを勉強したからと言って物理学の全体を勉強したということにならないだろうな、ということと、とはいえこれは素晴らしい本で、物理学の本質的な所を勉強するには良い本だなということです。
物理学の問題に対して本物の物理学者がどのようにアプローチするのかという、ふつう物理学の教科書には書いていないことが書いてあるので、楽しんで読めます。
第1巻はいわゆる『力学』なのですが、ごく当然の話のように特殊相対性理論を中心に話をし、ニュートン力学の世界はその特殊なケースという位置づけで話をしています。
この本は大学の新入生向けの教科書という位置づけなので、物理学で使う数学(ベクトル、ベクトルの内積・外積)も必要になる都度解説してあります。
で、この本で一番驚いたのが、第22章になるのですが、『代数』というタイトルの章で、複素数と対数の話をしているんですが、(この時代ですから筆算だと思いますが)数の平方根の計算はできるものとして、まずは対数の底を10とする常用対数を具体的にどのように計算するかという話をしていたかと思うと、いつのまにか自然対数の話になり、次には自然対数の底を(e)、べき乗を(^)、虚数√-1を(i)で表して、例の
e^(iθ)=cosθ+i・sinθ
という式があれよあれよという間に説明(証明)されてしまいます。
それも数学の教科書ではまず決してお目にかかれないような、いかにも物理学者というか物理屋さん(それも数学が得意な物理屋さん)らしい話の展開です。これをたったの15ページかそこらでやってしまうんですから何ともアッケに取られてしまいます。
第2巻は、『光・熱・波動』がタイトルになっています。
日本語版は全5巻ですから、まだまだ当分楽しめそうです。演習問題まで含めると何年がかりの読書になるか、楽しみです。
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11月 13th, 2015
ミャンマーの総選挙、スーチーさんの野党側の圧勝で決着がついたようです。現職の大統領も敗けを認めたようですから、確定なんでしょうね。
で、勝ったスーチーさん、これから大変です。
今までは『民主化』とだけ言っていればよかったのですが、政権を取ってしまったらそうはいきません。実際に政府を動かして行政をしなければならないわけですから。政権が民主化されたら行政がうまく行く、なんて保証もありません。
今まで軍政にいじめられていたスーチー派の人達は、せっかく勝ったんだから少しは良い思いをしても良いだろうと思う人がいるかも知れません。本人がそう思わなくても、その人の親戚とか友人とかがそう思うかも知れません。となると、スーチー派の閣僚なり幹部なりの職権乱用とか汚職とかのスキャンダルが出てきます。
それに対して厳しく対処しようとすれば、昔からの仲間は裏切られたように思うかも知れません。厳しく対処しなければ、今度はスーチーさんに期待して投票した国民が裏切られたように思うかも知れません。いずれにしてもミャンマーの人達はまだ民主的な政治にまるで慣れていないはずですから、民主主義を使いこなすのにかなり年数がかかるような気がします。
現実の政治の世界では誰もが喜ぶような話はありません。誰かが喜ぶ話は他の誰かが嬉しくない話です。今までスーチーさんはそのような生々しい政治の現場の経験はあまりなく、『民主化、民主化』と言ってきただけのような気がします。
ミャンマーの憲法上、スーチーさんは大統領にはならないことになっているようで、それが分かっているので自分は大統領にはならないけれど全て大統領に自分が指示する(日本語の表現では、いわゆる院政、というやつです。)、と言っているようです。そんなやり方がいつまでもうまく行くとも思えません。また、この言葉自体、憲法違反だとか民主的でないとか批判も出てきているようです。
『勝者の呪い』という言葉があります。勝負に勝った方が、勝ったことによりかえって不利な立場に置かれてしまうという意味です。
軍の方もとりあえずは一歩引いて様子見、ということでしょうが、いざとなったらいつでも実力行使に出るつもりでいるでしょう。国民も、スーチーさんによって本当にいい国が実現するのか見つめているんでしょう。
ミャンマーの民主化がどのように進展するのか、今後当分注目です。
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10月 21st, 2015
以前紹介した『百魔』と並んで、杉山茂丸の代表作です。
『百魔』が杉山茂丸の知人のそれぞれが主人公となる物語なのに対して、この『俗戦国策』は多数の知人が登場するんですが、杉山茂丸自身が主人公となっての話です。
市の図書館には在庫がなかったので県立図書館から借りてもらいましたが、昭和4年大日本雄弁会講談社から定価2円50銭で出ているものを読みました。この『大日本雄弁会講談社』というのは今の講談社の元々の名前です。講談社の名の通り、講談本のように、目次と見出しを除いて本文は全ての漢字に振り仮名が付いています。昭和4年の本ですから仮名使いは昔のものですが、内容が面白いので全く気になりません。結構やっかいな漢字も振り仮名付きなので安心して読めます。
明治10年、著者が14歳の頃の話から始まって昭和4年、この本が出版される頃までの話が677頁にわたって書いてあります。とはいえ、所々に挿絵が入っていて、それを見るのも楽しみで、あまり苦労しないで読むことができます。
登場人物は多岐に渡りますが、主として日本の政治・経済の話が多いので、伊藤博文・山県有朋・大隈重信・板垣退助・後藤新平・児玉源太郎などの人が良く出てきます。
この杉山茂丸という人は政・財界の裏で活躍した人なので、この本にしか出てこない話もたくさんあり、私の知らなかった話も多く、面白く読めました。とは言、この茂丸という人は別名『ホラ丸』とも呼ばれていた人なので、話の真偽のほどは分かりませんが。
日露戦争の時伊藤博文を人身御供にして日英同盟ができたとか、イギリスは実はフランス経由でロシアに金や武器を提供していたとか、戦後日英同盟は更新されたけど、最初の日本に優しい同盟が更新後は日本に冷たい同盟になっていた、などという話も書いてあります。
明治憲法ができた時の喜びもしっかり書いてあります。この杉山茂丸の勤王思想というのは、ちょっと独特なものですから、読んでみる価値があります。その立派な憲法を、藩閥政府も民権派の政府も一度も実施しようとしない、と言って、怒ってもいます。
あの天皇機関説事件についてもできればこの杉山茂丸の意見を聞きたい所ですが、昭和10年、ちょうど天皇機関説事件の真っ最中に杉山茂丸は亡くなってしまいますので、これは叶いません。
杉山茂丸の経済論も非常にユニークで現実的なもので、この本の中でも折に触れて出てきます。これも熟読玩味する価値があります。これが西洋流の経済学のどれに該当するものなのかも考えてみようと思います。
『戦国策』というのは大昔の中国の戦国時代に関する本ですが、この本は明治維新後の日本政界の戦国時代について杉山茂丸が知っていること、杉山茂丸だけが知っていることを講談あるいは漫談調で書いています。古い本なのでなかなか手に入らないかも知れませんが、是非読んでもらいたい本です。お勧めです。
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10月 20th, 2015
1年前にはあれほど騒がれていたこの本、最近は殆ど耳にしません。
1年前に図書館に予約を入れて、当初15年待ち、くらいの計算だったのが、多分来月か再来月には借りることができそうです。
とはいえ、いまだに予約者が600人もいるので、借りても2週間で返さなければなりません。600頁の本を2週間で読むのはそれなりに大変です。
しかし1年近く待っている間にいろいろ考えて、この本を読む戦略を立てました。
この本の中味は一言でいうと、r>g、すなわちr(資本の収益力)>g(経済成長率)という式と、その結果格差が広がるということのようです。
で、私としては
- r(資本の収益率)やg(経済成長率)がこの本の中で『きちんと定義されているか』どうか。
- このrやgを、数百年前、あるいは2千年前から計算してグラフにしているようですが、『その計算方法がきちんと説明されているか』どうか。
- この『r>gとなるということが本当に説明されているのか』どうか。
- r>gから格差が拡大するという結論が『どのようにして導かれるか、ちゃんと説明されているか』どうか。
の4点を確認しながら読もうと思っています。読む前から結論を推測するのは良くないんですが、多分4つ共、きちんと定義されたり説明されたりしていないのではないか、と思っています。
1~4がきちんと定義されたり説明されたりしていないのであれば、この本には何の中味もない、ということになってしまいそうですが、もしそうであれば次の確認ポイントとして、それにもかかわらずこの本がこれほど評判になり、これほどたくさん売れたのは何故なんだろうか、ということになります。
このように具体的にチェックポイントを設定しながら読むのであれば、600頁の本もかなり効果的に読むことができそうです。
読み終わり、上記の確認が終わったら、また報告します。
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10月 5th, 2015
9月23日の日経新聞朝刊に出た記事なので、見た人もいるかも知れません。
『(お金の言葉)大数の法則
サイコロを何回も振れば1の目が出る確率は6分の1に近づく。何度も繰り返すと、ある出来事が発生する確率は一定の値に近づくことを大数の法則という。保険料の計算でもこの原理を使う。どの家が火事になったり、だれが病気になったりするかは予測できないが、多くのデータを調べれば火事や病気の発生する傾向は分かるからだ。
もちろん例外もある。例えば地震。数百年に1度といった大地震では大数の法則は成り立ちにくいため、多くの保険は地震を免責としている。また保険会社はそれぞれの経費や運用の見通しなどを考慮して保険料を決める。ほぼ同じ補償でも保険料が違う商品があるのはこのためだ。』
何となく読み飛ばしても何とも思わないような記事ですが、確率にしても大数の法則にしても、まるでトンデモないことを書いているので、ちょっとコメントします。
『サイコロを何回も振れば1の目が出る確率は6分の1に近づく。』
確率が6分の1に近づくわけではありません。まっとうなサイコロなら1の目が出る確率は6分の1で、振る回数を増やしていけば、振った回数とそのうち1の目が出た回数の比が6分の1に近づく、ということです。
確率が6分の1なら、実際に試した時の比率が6分の1に近づくということです。
もちろん最初まっとうなサイコロだったとしても、使っているうちにすり減ってきたり角が欠けたりしてしまうこともあります。そうなったらもはや1の目の出る確率が6分の1なんてことも言えなくなってしまいますから、大数の法則など成り立たなくなってしまいます。
『何度も繰り返すと、ある出来事が発生する確率は一定の値に近づくことを大数の法則という。』
これも同じです。大数の法則というのは、「ある一定の確率で起こる事を何度も繰り返すと、全体の繰り返した回数とそのうちその出来事が発生した回数の比率が元々の確率に近づく」ということを言うものです。確率が一定として、比率がそれに近づくんです。確率が変化するわけじゃありません。記事では確率と出来事のおこる比率とがごちゃ混ぜになってしまっています。
『保険料の計算でもこの原理を使う。』
確かに保険料の計算には大数の法則を使っていますが、それはこの記事で言っているような大数の法則ではなく、上で説明した大数の法則です。
『どの家が火事になったり、だれが病気になったりするかは予測できないが、多くのデータを調べれば火事や病気の発生する傾向は分かるからだ。』
もちろんどの家が火事になるか、誰が病気になるかは予測できません。保険でいう大数の法則というのは、たとえばたくさんの家を集めてみると、その全体の家の数とそのうち一定期間(たとえば1年)のうちに火事になる家の数の比率は大体同じようなものだということ、あるいはたくさんの人を集めてみると、その全体の人数と、そのうち一定期間(たとえば1年)のうちに病気になる人の数の比率はだいたい同じようなものだ、ということです。
もちろん病気がちの人と健康な人とでは病気になる比率も違うし、若い人と年寄りでも、男の人と女の人でもその比率は違ってきます。そこで、対象となる範囲を限定(たとえば『40歳の健康な男性』などのように)しておいて、その範囲内の人であれば病気になる人の比率は毎年それほど変動しないだろうということを確かめた上で、その範囲の人が1年のうちに病気になる確率をその比率に等しいものと仮定して、その上でその範囲の人をある程度以上の人数集めたら、そのうち1年のうちに病気になる人の数は全体の人数掛けるその確率として計算しても大きくははずれないだろう。これが保険で使っている大数の法則です。
『もちろん例外もある。例えば地震。数百年に1度といった大地震では大数の法則は成り立ちにくいため、多くの保険は地震を免責としている。』
ここの部分、文章の意味が良くわかりません。地震がどのようなことの例外になるんでしょうか。単に地震は保険の対象になりにくいということを言っているんでしょうか。
数百年に一度といった大地震といいますが、大地震は数百年に一度ではありません。東日本大震災・神戸震災・関東大震災も全て、今から100年以内に起きています。また多くの保険で免責となっているのは大地震だけでなく、地震の全てです(免責となっていても保険金を支払うこともあります)。多くの保険で地震が免責となるのは、大数の法則とは別の話です。
地震はその発生のメカニズムもまだ良く分かっていませんし、一定の確率で発生するなんてこともありません。一定の確率で発生するものではないんですから、大数の法則などが成り立つわけがありません。
地震の場合、せいぜい言えるのはその発生の頻度です。今までこれ位の頻度で地震が起こったんだからそろそろ起こっても不思議じゃない、という程度の話です。ですから地震は保険の対象にはなかなかなりませんし、保険の対象にする場合でもその原理は大数の法則とは別のものです。
『また保険会社はそれぞれの経費や運用の見通しなどを考慮して保険料を決める。ほぼ同じ補償でも保険料が違う商品があるのはこのためだ。』
ここの部分、大数の法則がテーマだったはずなのに、いつのまにか保険料の話になってしまっていますね。大数の法則がテーマだとすると、この部分は蛇足ということになりますね。
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9月 28th, 2015
この本は、facebookのやり取りで頭山満が杉山茂丸に言った言葉を教えてもらい、それがこの本の最初の方に書いてある、ということで、この本を借りて確かめてみました。
せっかく借りたのでこの本の全体を読んでみたのですが、非常に面白かったので紹介します。
この本、もともと正・続それぞれ600頁くらいの本のうち、正の部分だけが講談社学術文庫に上・下に分かれて出版されているもののようで、その文庫版の上下を読みました。
この上・下で全67話あります。で、それだけの数の魔物というか豪傑・怪人・魔人が登場するのかと思うとさにあらず、この67話それぞれの話の主人公になるのは12人だけです。
中でも星一(あのSF作家の星新一の父親で、星製薬の社長・星薬科大学の創立者)が9話、後藤猛太郎(土佐の後藤象二郎の息子)が8話、龍造寺隆邦(杉山茂丸の弟で幼名杉山五百枝(イオキあるいはイオエ)が後に改名して祖先の龍造寺姓になった人)が12話、という具合です。
登場人物はどの人もとんでもない怪人・豪傑ぶりで、こんな人が身近にいなくて本当に良かったなと思うくらいにとんでもないムチャクチャぶりです。
他人の物を勝手に質入れしたり、他人の家を抵当に入れて金を借りたりして平然としている(もちろん質入れされたり抵当に入れられたりした方も平然としているんですが)、なんて話がごく普通のことのように書かれています。
文章は興が乗ってくると突然75調の浪花節だか浄瑠璃だかみたいなものになるかと思うと、いつのまにか普通の文章になったりして、とにかく『である調』の名文です。
この様々な怪人の話をする中で著者の杉山茂丸自身の怪人ぶりも様々に紹介されて、面白い読み物です。
この面白さは直接読んでもらうのが一番です。
53話の『庵主が懐抱せる支那政策案』というタイトルの話の中で、杉山茂丸が弟の龍造寺隆邦に語るという設定で書かれている杉山茂丸の中国論、すなわち『支那は永久に亡びざる強国である。日本は支那の行為によりては直ぐ目前に亡びる弱国である』という指摘は現在でも十分玩味する価値があるものだと思います。
興味があったら読んでみて下さい。
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