『神経とシナプスの科学』 杉 晴夫著 ブルーバックス

4月 6th, 2016

この本は神経の情報伝達の仕組みを丁寧に解説したものです。
ふつう、この分野の解説書では
 『神経線維はシュワン細胞という細胞でグルグル巻きにされているけれど、2ミリおきにそれが途切れて裸になっている所があります。神経の情報はその途切れ目を次々に電気が飛びながら流れることで伝わります。』

という具合に説明されるんですが、この本はその仕組みを一つひとつ具体的に立証するために色々な学者が何を考え、どのように道具立てをし、どのような実験をしたか、というプロセスを一つひとつ説明しています。

人類にとって生体の電気と電池は、どちらもカエルの足の筋肉に異なる二つの金属を接触させて、それをつないだら筋肉がピクンと縮んだという実験からスタートしている、とのことです。1790年頃のことです。

電気の方はその後これを真似て、二つの金属を電解質(イオンが解けている水)の中に入れて電池を作り、その金属電極を金属の線でつなぐと電流が発生し、それが磁石を動かし、逆に磁石を動かすと電流が発生し、・・・という具合でついにマクスウェルの電磁気学にまとめあげられる、という具合に発展するのですが、生体の電気の方はとっかかりがなく長く発展しなかったようです。その後電磁気学の発展により、まず検流計の発明により電流を測ることができたことでちょっと進み、次にオシロスコープの発明で、一瞬のごくちょっとの電圧の変化を目にみえる形で記録できるようになったことによりさらに進み始めます。この本ではオシロスコープの仕組みまで丁寧に説明してあります。

次の発明がガラス管を直径0.5μm(1万分の5mm)まで細くして、それを電極にして神経細胞に刺し、電流をはかることで神経の情報伝達の仕組みを解き明かすことができるようになった、というわけです。

この話の中で『イオンチャネル』という、イオンが細胞に入ったり出たりする出入口が細胞膜に付いているということが、最初は説明のための仮説だったのが、その後実際にそれが見つかった、どうやってみつけたのかの説明も付いています。

電気というのは電子が動いたりイオンが動いたりして流れるわけですが、この本では丁寧な図が付いていて、電子がどのように流れ、電気がどのように流れるか、いろいろ矢印で説明しています。

普通の本では電子が流れると電気はその反対だから、と矢印は片方を省略してしまうのですが、この本では省略しないでちゃんと書いていてくれます。とにかく絵が豊富で分かりやすく書かれています。さらに登場人物が生き生きと書かれ、様々なエピソードも取り上げられています。

教科書のたった1行か2行の記述の裏にいかに多くの学者の努力と思考錯誤とエピソードがあるか、考えさせてくれる本です。

お勧めです。

トランプとヒトラー

3月 17th, 2016

アメリカの大統領選の共和党の予備選、ついにルビオが降りてしまいました。

トランプはフロリダはじめ3月15日のミニスーパーチューズデーにも勝ち、いよいよ勢いに乗っています。

これで予備選で過半数の代議員を獲得することができなくても、少なくとも筆頭の候補の地位は動かないもののようです。

共和党の主流派はどうするんでしょう。また共和党の支持者はどうするんでしょう。

あまりあから様には言われていませんが、トランプの選挙運動を見ているとヒトラーのやり方に良く似ていることがわかります。

耳障りの良くない汚い言葉や悪口を平気で言い、競争相手をコケ下ろし、皆の敵を作りあげて敵愾心をかきたて、マスコミをうまく利用し暴力も否定しない、アメリカを偉大な国にするというあたり、ヒトラーそっくりです。近頃ではトランプの集会で暴力沙汰が絶えないというニュースもありますが、これはトランプが自分用の暴力装置(自分専用の暴力団)を作るのにもってこいの口実になります。もちろん違法行為も排除せず、自分の支援者が捕まったら弁護士費用は自分で出す、などということを平然と言っています。今日のニュースでは、共和党が自分を大統領候補に指名しないと暴動が起きるぞ、と共和党を恫喝する、という行動に出たようです。

現状に不満を持つ若者がこのようなトランプに魅力を感じるのも良くわかります。

ヒトラーも暴力を使い違法行為もしながらも、基本的には合法的な手続きによりに、まず最初に社会主義労働者党という政党を乗っ取り、次にドイツの国会を乗っ取り、ドイツという国自体を乗っ取る、というプロセスを実行しました。

トランプは今共和党を乗っ取ろうとし、次にアメリカを乗っ取ろうとしています。仮に共和党の大統領候補になれなかったとしても、共和党の中で一番支持された候補だ、ということはもはや否定できません。共和党の反トランプの人達は、一体どうするんでしょう。党が乗っ取られるのを指をくわえて見ているんでしょうか。共和党から逃げ出すんでしょうか。

ヒトラーの時代というのは今からもう100年近く前の話なので、無一文の絵描きくずれがどうしてあのような権力者になったのか、その間良識あるドイツ人は何をしていたのか、何とかできなかったのか、というあたりが良く分からなくなってしまっていますが、今のトランプの動きを見ているとそのあたりが良く分かってくるような気がします。

トランプはここまで勢いがついてしまうと、もう簡単には止りそうにありません。マスコミも有識者もさかんにトランプ非難をしていますが、それがマスコミに取り上げられればトランプにとっては応援演説と同じ効果しかありません。

世にヒトラーやナチスを非難したり否定したりする人は多いのですが、それはヒトラーやナチスが国を乗っ取り、他国を乗っ取ったやり方を非難しているのか、あるいはユダヤ人虐殺を非難しているのか、そのあたりが必ずしもはっきりしません。すなわち、ヒトラーやナチスはユダヤ人殺しさえなければ認めざるを得ないものなのか、ユダヤ人殺しをしなかったとしても許されないことなのか、ということです。

いずれにしても共和党の予備選、場合によったら大統領選の本選挙、また共和党がトランプに乗っとられるかどうも含め、アメリカの動きは最重要の注目ポイントですね。

TPPと反戦平和主義

3月 17th, 2016

予算案が衆議院で可決され、TPPが主要なテーマになっているはずなのですが、議論の中味が聞こえてきません。

何となく自民党に反対する人達がTPPにも憲法改正にも反対し、反戦平和主義を唱える人達と重なるように思えるんですが、その人たちは第二次大戦を反省する、ということをどう思っているんでしょう。

私の理解では第二次大戦というのは1929年の世界恐慌に始まる不景気に対し、大国はそれぞれ自国とその植民地を中心に経済ブロックを作りその中で生き残りをはかったのだけれど、そのような経済ブロックからはじき出されてしまったのが日本とドイツ。ドイツは東欧からロシアを植民地にすることで生き残りをはかり、日本は満州を植民地にすることで生き残りをはかった。植民地といってもイギリスやフランスなどのように収奪と搾取のために他国を支配するということより、むしろ余った人口を文字通りその国に植民し、生産性を高めて自国もその植民地も合わせて生き残ろうとした。そのようなドイツ・日本の植民地主義が他の植民主義の大国に反対されて戦争に追い込まれた、というものです。そのそもそもの発端は、多くの大国がそれぞれ経済ブロックを作って他国を排除した、ということです。

TPPというのは、そのような経済のブロック化をなくし、自由貿易を進めるものですから、第二次大戦でひどい目にあって二度と戦争をしたくないと思っている日本にとっては、何がなんでも参加しなくてはならないものです。

条件が多少不利な部分があったとしても、アメリカともう一度戦争することに比べれば、あるいはアメリカその他に経済ブロックを作られ、そのブロックから排除されることに比べれば、ほとんど問題にならないくらいのコストです。

第一次大戦、第二次大戦は歴史的にも悲惨な戦争でした。

第二次大戦で日本の戦死者は300万人と言われていますが、ヨーロッパの戦死者はそれをはるかに上回るケタ違いのものです。

第二次大戦は1,600万人、第二次大戦では5,000万人などという数字もあるようです。

で、このような膨大な犠牲者を出した重要な要因の一つが、アメリカの参戦が遅かったことです。

第一次大戦ではフランスとドイツがにらみあって殺し合った末にようやくアメリカが参戦して決着がつきました。第二次大戦でも日本の真珠湾攻撃までアメリカは参戦せず、ヨーロッパではイギリスもフランスもドイツに苦しめられました。

戦争が起こったとしても犠牲を大きくしないためには、常にアメリカを巻き込んでおくことがもっとも重要です。

アメリカという国は『世界の警察官』気取りでしゃしゃり出てくる時と、『アメリカは口を出さないからアメリカにも口を出すな』とばかりに南北アメリカの範囲に引き籠ってしまう時との二面性を持っています。
第一次大戦が終わって国際連盟ができたのは『世界の警察官』のアメリカですし、この国際連盟にアメリカが参加しなかったのは『引き籠り』の方のアメリカです。

このようなアメリカに懲りて、第二次大戦後はイギリスもフランスもアメリカを逃がさないように国際連合の中心に据えましたし、アメリカももう引き籠りをやめ全世界のために役割を果たすという姿勢を取り続けました。

しかしアメリカも次第にくたびれてくると、時折引き籠り病が現れてきます。

オバマ政権の8年間は、口では世界の警察官ばりに『核兵器廃絶』とか『シリアのアサドを排除する』などと言いますが、行動は何もしない引き籠りです。

今進行中の大統領候補選びでトランプが主張しているのがまさに引き籠りです。えばりん坊の引き籠りと言ったところです。世界平和のためには一番困った大統領候補です。

このようなことから、アメリカ人はトランプを大統領候補にしたくない人も多いのですが、一部の人は弾き籠りの代表として大統領にしたがっている、というわけです。

アメリカが引き籠ると、空いた穴は中国やロシアが埋めるしかなくなるし、そうなると世界各地で好き勝手が許されるようになり、北朝鮮にしてもISISにしても困った連中が跋扈する世界になりかねない、ということです。

日本が戦争に巻き込まれないで安全な時代を過ごすためには、多少の犠牲を払っても多少はコストがかかっても、何よりもまずTPPをきちんと仕上げることが肝心だと思うのですが、これに反対する人(特に反戦平和主義を標榜している人)はどう思っているんでしょうね。

北朝鮮

2月 18th, 2016

韓国の朴大統領が北朝鮮に対して、対決姿勢を明確にしました。

残りの任期のことを考えると、いよいよ北朝鮮に対して実力行使して南北大統一を目指すのも、十分合理的な戦略です。

大統領になってから何をやってもうまく行かない内政問題もこれで一気にふっとぶでしょうし、景気も北の復興特需で一気に改善するかも知れません。

中国にとっては今まで北朝鮮はアメリカが韓国経由で中国に攻めてくる際の防衛ラインだったわけですが、しばらく前までの中韓の友好関係が続くのであれば、韓国を防衛ラインにすることにより北朝鮮は不要ということになります。

韓国にしてみれば、北朝鮮が危なっかしくてそのコントロールのために中国に期待していたのに、中国が十分なコントロールを発揮できないためアメリカに応援を求めているんですが、北朝鮮がなくなってしまえば、中国と対立してまでアメリカにつく必要もなくなります。

中国も国内問題をたくさん抱えていて、国民の目先を国内問題から北朝鮮に変えてしまうというのも良い手かも知れません。

アメリカはオバマさんの任期がもう1年も残っていません。
朝鮮をつぶして再興させるのは、はるかに長い年数かかりそうですが、とりあえず潰すというだけであればそれほど時間はかからない、残りの任期で十分可能なことだと思います。

シリア・イラクの方は、そう簡単にはケリが付かないでしょうから、オバマさんの実績作りには北朝鮮の方が都合が良いかも知れません。

EUはシリアからの難民問題とギリシャなどの債務問題で、北朝鮮問題に口を出す余裕はないでしょう。ロシアはウクライナとシリアに加えて、さらに北朝鮮でも実力行使することは考えないでしょう。

このように考えると、中国・韓国・アメリカが北朝鮮を潰す決定をしたとしても、正面きって反対する国はなさそうです。となると、日本もその時どう対応するか考えておいた方が良さそうです。

北朝鮮が韓国の国内でテロを計画しているというニュースも入ってきました。

いよいよ事態が動きだすのかも知れませんね。

『一般理論』 再読 その12

2月 16th, 2016

一般理論、いよいよ消費性向の話になるのですが、その前に、この前までの所、宮崎さん・伊東さんの本、宇沢さんの本がどんなことを書いているのか、紹介しましょう。

宮崎さん・伊東さんの本は何ともあきれ果てた内容です。
まず最初に、『利子費用はなぜ要素費用に入らないのか』なんてことを議論しています。そもそもこの問題の立て方自体、宮崎さん・伊東さんが一般理論をまともに読んでいないことを明らかに示しています。

私の理解では、利子収入を所得にするのであれば利子の支払いは費用になるけれど、利子収入が所得にならないのであれば利子の支払いは費用にならない、というだけの話です。

一般理論、ここまでの所登場するのは企業と労働者・消費者だけで、金利生活者・年金生活者はまだ登場していませんから、所得の方でも費用の方でも金利が登場しない、というだけの話です。これをケインズが利子についてちゃんと扱っていないと非難するのは、まるで筋違いの話です。

その次は、総供給曲線が右肩上がりの増加曲線になるのですが、その上がり方が上に凸なのか下に凸なのか、などという、どうでも良い話を延々としています。そのために訳のわからない式を立て、式を変形し、といろいろやってます。あげくの果てに『ケインズの誤り』などと見出しを付けて、『ケインズが総供給曲線は直線だと言っているのは間違いだ』などと言って得々としています。

ケインズが総供給曲線は直線だと言っているのはその通りなのですが、それは本文の中ではなく、注の文章の中で、『これこれの場合、これこれだと仮定すると総供給曲線は直線になる』と総供給曲線の性格を説明している部分です。

宮崎さん・伊東さんはその部分の結論だけ取り出して、『ケインズは収穫逓減を認めていたはずだからそれと矛盾するので誤りだ』などと主張しています。ケインズは別に収穫逓減を積極的に主張しているわけではなく、単に明確に否定しないというだけのことなのにそれを無視し、さらにはいくつもの前提条件を全く無視して『ケインズの誤りを見つけた』などと喜んでいるというのは、もう読むには堪えない話です。

また費用の説明をするのに、企業の費用(というか支出)を具体的に原料費とか給料とか原価償却費とかに分け、どれが使用費用でどれが要素費用かなどという区分をしています。ところが一番重要な売上原価の計算あるいは原価計算の部分が反映されていないために、まるで訳の分からない説明になっています。要するに、支出と費用の違いが分かっていない、ということです。困ったことにはこの説明図がそのまま間宮さんの訳の訳者注に引用されているので、この訳の分からない説明が訳の分からないまま拡散されてしまっています。このような本を参考にケインズの一般理論を理解しようとするのは難しいな、と思います。

どうも宮崎さんも伊東さんも、古典派の経済学の立場に立って一般理論を批判することを目的としているようで、一般理論の理解もケインズのいう事を聞こうとするより古典派の立場からの解釈を主張し、その解釈でケインズ批判をしているようです。ケインズの理解には役に立ちそうもありません。

一方宇沢さんの方は、ケインズの【貯蓄=投資】を、所得のうち消費されない分は金融資産の購入という形で貯蓄される、と考えます。その金融資産の購入ということで投資につながる、という風に考えるようです。

また(あるいはそれだから、でしょうか)、ケインズの【貯蓄=投資】というのはいつでも成り立つ関係なのですが、宇沢さんはどういうわけかこれは『均衡状態の下では』【貯蓄=投資】となる、と考え、均衡状態の下でのみこの式が成り立つと考えているようです。
これも古典派の経済学の名残りなんでしょうか。

宇沢さんの本も、宮崎さん・伊東さんの本ほどではありませんが、かなりいろんな式を使って説明しようとしています。

やはり古典派の経済学を勉強してしまうとケインズの本を素直に読むのが難しく、すぐに式に書き直して理解したくなってしまうのかも知れません。しかし式を書くことによってケインズの言葉から離れて式が勝手に動き出し、訳の分からない議論が展開されてしまうようです。

こうなった原因の一部は、ケインズが余計なことをいろいろ書いて読者を混乱させている、ということもあるのですが、困ったことです。

いずれにしても、宮崎さん・伊東さん・宇沢さんの悪口ばかり言っていても仕方ないので、『一般理論』、先に進むことにします。

『相対的貧困率』その2

1月 25th, 2016

『相対的貧困率に関する調査分析結果について』というレポートがあります。
http://www.stat.go.jp/data/zensho/2009/pdf/hinkonritsu.pdf 

平成27年12月18日付で内閣府・総務省・厚労省が連名で出したものです。

国の統計としての相対的貧困率は、総務省の『全国消費実態調査』にもとづくものと、厚労省の『国民生活基礎調査』にもとづくものと、2つあります。
で、『国民生活基礎調査』にもとづくものの、直近(2012年)の国民全体の相対的貧困率は16.1%(6人に一人が貧困)、一方全国消費実態調査にもとづくものの、直近(2009年)の国民全体の相対的貧困率は10.1%(10人に一人が貧困)となっています。

16.1%と10.1%とどちらが正しいのか、ここまで大きな差異が生じている原因は何か、等々について調査分析した結果がこのレポートです。

調査のやり方やサンプルの対象の違いなど、いろいろ考えて専門家の意見を聞いたりして分析していますが、まとめてしまうと、要するに「良くわからない」ということになるようです。

野党はこの国民生活基礎調査の方を使って『6人に一人が貧困だというのをどうするんだ』と安倍さんを責めたて、安倍さんは全国消費実態調査を引き合いに、『10人に一人という統計もあるんだ』と返答しているわけです。

で、このレポートを読んでみると、確かに『良く分からない』という結論が正しそうです。

すなわち、『相対的貧困率』というのはこの程度の(やり方によっては16%になったり、別のやり方では10%になったりする)指標なんだ、と理解するのが良さそうです。

調査年によって多少の変動はありますが、1999年以降、国民生活基礎調査の方の相対的貧困率(3年ごとの調査)はほぼ15~16%程度で安定しており、また全国消費実態調査の方(5年ごとの調査)は、ほぼ9~10%で安定しています。

全国消費実態調査の方は、単身所帯の学生を調査対象としていない(国民生活基礎調査の方は調査対象としている)という違いはあっても、それで相対的貧困率が6%も変わるとはとても思えません。

で、このレポートには、貧困率の基準となる貧困線の額が、それぞれの統計について出ています。全国消費実態調査の方は135万円、国民生活基礎調査の方は122万円です。

この2つの調査の結果を総合すると、国民のうち等価可処分所得が135万円を下回る人の割合が10.1%で、122万円を下回る人の割合は16.1%だ、ということになります。

言い換えれば6%の人は等価可処分所得が135万円より多くて122万円より少ない、という、まったくあり得ない話です。

なお、また別の調査ですが、全国大学生活協同組合連合会の行なっている『学生生活実態調査』というものがあります。この2014年の調査によると、下宿生の1ヵ月の収入の平均は122,170円ということです。年収にして140万円位です。

通常、中央値が平均値より小さくなることを考慮すると、一人暮らしの学生の半分は貧困線の122万円ないし135万円を下回る収入しかないんだろうと思われます。すなわち、『一人暮らしの学生の半分は貧困だ』ということです。

これが感覚的に受け入れられる話かどうか、ということですが、子供の6人に一人が貧困だという話は良く出てきますが、一人暮らしの学生の2人に一人は貧困だというような話はあまり聞きません。通常の感覚とはずれているため、説得力がないということでしょうか。

いずれにしても、『相対的貧困率という指標はこのような(この程度の)ものだ』と認識しておく必要がありそうです。

相対的貧困率

1月 20th, 2016

国会でもネットでも『子供の6人に一人が貧困だ』などと野党が騒いでいるので、この元となる『相対的貧困率』についてちょっと調べてみたのでコメントします。

この6人に一人というのは、2012年(相対的貧困率の調査は3年ごとなので、これが直近のデータになります)の国民生活基礎調査にもとづく子供の相対的貧困率が16.3%だということから、それを6分の1と表現しているものです。

実はこの時の国民生活基礎調査による国民全体の相対的貧困率は16.1%ですから、6分の1というのは子供だけの話ではなく大人を含む全体でも同じことなのですが、『国民全体の6人に一人が貧困だ』と言ってしまうといかにも嘘っぽいことがはっきりしてしまうので、実態の良くわからない子供の方だけ取り上げているのかなと思います。

で、この相対的貧困率の計算方法ですが、まずは一人一人の可処分所得を計算します。この計算は所帯単位に行うので、所帯全体の可処分所得を合計して頭割りにするのですが、単純に人数で割るわけではありません。

人数の平方根で割って、それを『等価可処分所得』といいます。人数の平方根ですから、2人だったら2で割る代わりに1.4で割る、3人だったら3で割る代わりに1.7で割る、4人だったら4で割る代わりに2で割る、といった具合です。ですから単純に頭割りにするのに比べて2人なら1.4倍、3人なら1.7倍、4人なら2倍になります。

で、この等価可処分所得の高い人から低い人までずらっと並べておいて、ちょうど真ん中の人の値(中央値といいます)を計算し、その上でその中央値の半分の所を『貧困線』といい、等価可処分所得がその貧困線より低い人が全体に占める割合を『相対的貧困率』と言います。

2012年の調査では、この貧困線が122万円ですから中央値は244万円、すなわち人口の半分は等価可処分所得が244万円より多く、半分は224万円より少ない、ということになります。

で、この等価可処分所得を計算するのに、人数で頭割りしないで人数の平方根で割り算するというのは、いわゆる『一人口は食べられないけど二人口は食える』というやつで、食べるのに必要な費用は人数が増えるほどには増えない、ということを反映したものです。逆に言えば世帯の人数が多いほど可処分所得が水増しされて評価される、ということになります。

ですから一人暮らしの人は可処分所得が122万円より少ないと貧困ということになるのですが、二人暮らしだと二人で172万円・一人あたり80万円より少ないと貧困、三人所帯だと3人で211万円・一人あたり70万円より少ないと貧困、四人所帯だと4人で244万円・一人あたり61万円より少ないと貧困、ということになるわけです。

たとえば夫婦と子供2人の4人所帯で可処分所得が250万円あれば、その4人の等価可処分所得は125万円ですから4人とも貧困の方には入らないのですが、それが離婚して父子家庭・母子家庭になり、それぞれの可処分所得が125万円になると等価可処分所得は88万円になり、4人とも貧困ということになるわけです。この逆であれば、4人の貧困が結婚して同じ所帯になるだけで実際の所得が増えなくても貧困から脱することができる、ということです。

あるいは老人夫婦が老齢基礎年金満額支給の78.1万円に子供からの仕送りが10万円あって88.1万円、二人で所得が176.2万円だとすると、等価可処分所得は124.6万円で貧困ではないけれど、片方が死んで残った方が二人分の仕送り20万円をもらったとしても、合計で98.1万円で『貧困』ということになる、という具合です。

また、『貧困率』といいながら、その基準となるのはあくまで『所得』ですから、どんなに大金持ちでも所得がなく預金の取崩し・財産の切り売りで暮らしている人は当然、貧困ということになるわけです。

離婚して母子家庭で子育てしていて、前の夫が養育費を払わないなんて話は良く聞きますが、仮に養育費が払われていたとしても、それが母子家庭の所得に入っているのかどうかはっきりしません。所得の中には『仕送り』というのもあるんですが、養育費は仕送りに入るのかなあとか、養育費の受取人が元の奥さんではなく子供になっているような場合、それを子供の所得にしてちゃんと計算しているのかなあとも思います。もちろん養育費を払っている方についてはその分所得を減らす、なんて計算はしていませんから可処分所得は減りません。

また夫が単身赴任して、残った家族が夫の銀行口座から生活費を引き出して使っているような場合、この引出した分を仕送りとして所得にするようになっているんですが、口座からわざわざ引き出さないで、その口座から自動的に引き落とされるようになっている、口座振替の料金やクレジットカードの清算金などはこの仕送りとして所得にするようには書いてありません。だとすると夫が単身赴任で妻と子供2人が別に暮らしていて、夫の口座から引き出すのは年に200万円、残りの費用は基本的に全て(家賃にしろ学費にしろその他生活費にしろ)口座から引落されるようにしていると、かなりリッチな生活をしていてもこの3人は貧困ということになります。

そんなわけで、この『相対的貧困率』というのは、かなり危なっかしい率です。人口の高齢化と核家族化で世帯の人数が少なくなるだけで相対的貧困率は大きくなる、ということなのかもしれません。そのあたり、きちんと理解したうえで話をしないととんでもない議論をすることになります。

しかも『相対的貧困率』をあたかも(相対的を除いて)貧困率だ、と思い込んで、この貧困線より等価可処分所得が少ない人は貧乏で可哀想な人だ、と決めつけてしまうというのはあまり真っ当なやり方ではないですね。

貧困線の122万円、日本では確かにあまり高額ではありませんが、アジア、アフリカ等の国からするとかなり高額です。

貧困問題はもう少し落ち着いて検討することが必要なようです。

マイナンバーカードの申請

1月 20th, 2016

そろそろお正月気分も抜けたので、マイナンバーカードの申請をしてみました。
市役所に問い合わせた所、今申し込めば2月~3月くらいに出来上がるということで、思ったより早い(半年位かかるかと思っていました)ので、申請することにしました。

せっかくですからパソコンでインターネットで申請することにし、写真は先日友人にi-phoneで撮ってもらい、パソコンに送ってもらってありました。

まず申請用のサイトに接続すると、マイナンバー通知カードに記入してある申請書IDと、メール送信用メールアドレスの入力を求められます。その後入力したメールアドレスにメールが送られてきて、そこに記入してあるインターネットのアドレスにアクセスすることにより、申請手続きをネット上で行なうようになっています。このアドレスの有効期間はまる1日で、それを過ぎるともう一度最初からやり直すようです。

で、まずはパソコンから写真のファイルをアップロードしようとしたら、ハネられてしまいました。
写真ファイルは
 形式 : jpeg
 サイズ : 20KB~7MB
 ピクセルサイズ : 幅480~6000ピクセル 高さ480~6000ピクセル
という制限があり、サイズが小さ過ぎるということでした。
仕方がないので別の友人のガラケーで写真を撮り直してもらったら、今度はうまく行きました。

写真がうまく行ったあとは、電子証明書を発行するかどうか、点字表示を付けるかどうか等を選択して、申請終了です。

写真でちょっと手間取りましたが、思ったよりスムースに行きました。

途中でwindows10のパソコンだとうまく行かないかも知れないなどというワーニングが出てきたりしてアレアレと思いました。

さてこれで、マイナンバーカードが出来上がって、市役所から『取りに来るように』という通知がいつ頃来るか、楽しみです。

講談社ブルーバックス『地盤の科学』

1月 20th, 2016

この本を読んでみようと思ったきっかけは、例のマンションのくい打ちの不正の件です。

考えてみれば、建物の基礎工事のことなんか何も知らないなと思って、ちょっと読んでみようと思いました。

で、読んでみると、何とも盛りだくさんの面白い本です。
350頁位の本なんですが、最初の250頁くらいまでは建築の基礎工事の話なんかは何もなく、地殻の話・プレートテクトニクスの話・海面が上がったり下がったりして日本列島ができる話・街道は近くの断層を走る話・地中からの出土品を保存する技術の話・古墳の作りかた・地球の歴史・ゴミの話・地下水の話・地震のメカニズム・液状化の話・神戸地震その他の地震の話・地滑りの話・火砕流、土石流の話・地盤沈下の話・大阪や東京の地下の地層の話・堤防の話・土の固さをどう測るか、地中を探るための人工地震・CTやMRIと同様な方法・身体検査の超音波検査と同様の方法、鉱山跡の陥没の話・人工衛星で空から地中を探る方法、と盛りだくさんです。

その後ようやく地盤の話になるかと思えば、建物の基礎だけでなく橋の基礎をどうするかとか、ダムをどうやって作るかとか、海上の人工島の作り方とかトンネルの掘り方・地下鉄の作り方・地下ダムの作り方・地下に居住空間を作る話など、さらに盛りだくさんです。

で、読んでいて面白かったのは、普通の一戸建ての場合敷地面積当たりの建物の重さは1平方メートルあたり2トンで、これは大人が立った時の足の裏にかかる体重の荷重と同じ位だという話とか、土や砂や粘土やコンクリートの重さは1立法メートルあたりだいたい2トンくらいだ(水は1立法メートルで1トンですから、水の2倍の重さ)ということです(砂が2トン、粘土が1.6トン。良く締め固めた土で2.2トン、コンクリートで2.4トン)。

とにかく話題盛りだくさんで、ふんだんに楽しめます。
いろんなことに興味のある人におススメします。

『一般理論』 再読 その11

1月 14th, 2016

さて久しぶりに『一般理論』の続きです。
昨年は途中まで行った所で、例の安保法制の大騒ぎで憲法学者があまりにも支離滅裂な話をするのでアキレハテてコメントしていたら、いつのまにかピケティの本を借りる順番が来てしまい、そっちの方を優先してしまいました。

結局思った通りピケティは読むほどの意味はなかったのですが、600頁もの本を2週間で読むというのはそれなりにシンドイ作業で、終わった後はこんな変な本を読んだ口直しに真っ当な経済学の本を読みたくなりました。

ちょっとだけ『共産党宣言』に寄り道しましたが、『一般理論』に戻って、やはりこの本は本物だ、と再確認しました。

で、前回までどこまでコメントしたのか読み直してみると、所得・消費・貯蓄・投資の関係式と、有効需要の話の所で、一般理論の最初の山の所でした。

で、この話のまとめの所から『一般理論』のコメントを再開します。

とりあえず当面登場するのは、企業と労働者+消費者の二つだけです。
企業は他の企業からの仕入れと労働者を使って生産活動をし、他の企業には代金を払い、労働者には労賃を払い、できた製品を他の企業あるいは消費者に販売し、売上げを上げます。

労働者は企業で働いて労賃を得ます。これが労働者の所得です。労働者はその所得の中から買い物をすると、それが消費です。所得から消費を差引いたものが貯蓄です。

企業は売上げから費用を引くと企業の利益となります。これをもう少し詳しく言うと、売上げに設備投資・在庫投資の増分を加えて、労働者に対する支払い・その他企業に対する支払いを差引いたものが企業の利益・企業の所得になります。

設備投資・在庫投資の増分を投資と言います。また企業の所得は企業の貯蓄となります。企業には消費はありません。

このように所得・消費・投資・貯蓄を定義すると、
経済社会全体の合計の所得・消費・投資・貯蓄について
  所得=消費+投資
  貯蓄=所得-消費
  投資=貯蓄
となる、ということがわります。

ここで、
貯蓄=所得-消費
は定義のようなものですから、経済社会全体でなくても個々の経済主体すなわち一人の労働者、一つの企業でも成立するのですが、それ以外の
  所得=消費+投資
  投資=貯蓄
は経済社会全体の合計について成立つ式で、個々の経済主体では成立しないし、労働者全体でも企業全体でも成立しないものです。

で、この式の簡単な例として
ある消費者が100円の消費をした場合、経済社会全体では
所得=30円、消費=100円、貯蓄=-70円、投資=-70円
となる、とか
ある企業が100円の投資をした場合、経済社会全体では
所得=50円、消費=0円、貯蓄=50円、投資=50円
となる、という例を紹介しました。

このような例で説明すると、上記の所得・消費・貯蓄・投資の式もかなり良く分かると思うのですが、経済学ではこのような説明はあまり(あるいは全く)ないようです。

会計の方ではこのような簡単な例で説明するというのは良くある話なのですが、経済学では例の代わりに訳の分からない式を作って訳の分からない議論をすることになっているようです。その結果として自他共に訳の分からない議論をする、ということのようです。

また上記の『貯蓄』というのは定義通り【所得-消費】ということですから、銀行預金とか国債や社債など債券を買うとかとは全く関係のない話です。宇沢弘文さん、宮崎義一さん、伊東光晴さんの本を読むと、どうもここの所、消費者が所得の一部を消費しないでとっておくと、それが銀行預金や債券の購入を通じて企業に流れていって、企業の投資になる。それが【投資=貯蓄】の意味だ、と思っているようです。

これではまるで話が違ってしまいます。ケインズの世界(あるいは現実の世界)では消費者が余ったお金をタンス預金にしてもカメの中に入れて庭に埋めておいても、話は変わりません。また企業の方も余ったお金をすぐに投資に使わないで、そのまま現金で持っていても話は変わりません。それらの場合でも【投資=貯蓄】は成立ちます。

確かに古典派の世界では労働者も企業もトコトン利益を追求するので、せっかく持っているお金を全く活用しないで寝かせておくというのはあり得ない話なんですが、もちろん現実は全く活用しないで寝かせておくお金というのは、労働者・消費者でも企業でもごく当たり前に良くある話です。

で、ケインズは私が【売上げ総所得】と呼ぶことにした、各企業についてはその企業の所得(利益)とその企業に雇われている労働者の所得(労賃)の合計、経済社会全体ではその中の全企業の売上げ総所得の合計、即ち全企業の所得と全労働者の所得の合計、即ち全ての所得の合計を中心に議論を進めようとしています。

企業はその企業の所得(利益)を増やすことだけを考えます。するとその企業の売上げ総所得(企業の利益とその企業に雇われている労働者の所得の合計)が決まった時、労働者に払う労賃を減らせば企業の利益をもっと増やせるので、その方が有利なように思えます。

しかし、そうなると労働者の所得が減ってしまい、労働者の消費が減ってしまい、結局経済社会全体の所得が減ってしまい、回り回ってその企業の所得も減ってしまう。そのため企業としては労賃を減らすことを考えるのではなく、売上げ総所得を増やすことを考えることが大事だ、と考えるわけです。

労働者の方は自分の所得を増やすことだけを目的とします。すると企業の売上げ総所得が決まった時、企業の取り分を少なくして、その分労働者の取り分を増やすことができればその方が有利のように思えます。

しかしそうすると企業の利益が減ってしまい、投資に回すお金が減って、企業は生産活動を縮小しなければならなくなり、経済社会全体の売上げ総所得が減ってしまうことになり、回り回ってその企業の売上げ総所得も減ってしまい、結局その企業の労働者の労賃も減ってしまうということになります。それより労働者としても企業の売上げ総所得、そして経済社会全体の売上げ総所得を増やす方が良いということになります。

そこで次はどうやって企業の売上げ総所得を増やすのか、あるいは経済社会全体の所得を増やすのか、という話になります。

企業が売上げ総所得を大きくしようとしても、できることは投資を増やし、生産活動を増やすことだけです。ですからまずは企業がどのように投資を決めるのか、考える必要があります。

一方消費者が経済社会全体の総得を大きくしようとしても、できることは消費を増やすことだけです。一般理論はこのため消費者はどれだけ消費するかをどのように決めるのか、企業はどれだけ投資するかをどのように決めるのか、ということをテーマとして議論します。

その前に有効需要について考えておく必要があります。
有効需要というのは『その10』で簡単にコメントしましたが、次のようなものです。

需要曲線(需要関数)を次のように考えます。
ある企業がN人の労働者を雇うとすると、その労働者の生産力で、これだけの売上げ総所得が得られるだろうという、雇用する労働者の数と売上げ総所得の関係を表す曲線(あるいは関数)。
供給曲線(供給関数)は次のように考えます。
ある企業がN人の労働者を雇うんだったら、これだけの売上げ総所得が得られないと困るよな、という、雇用する労働者の数と売上げ総所得の関係を表す曲線(あるいは関数)。

で、この需要曲線と供給曲線の交わる所で、企業の期待する売上総所得は極大になり、その点での雇用する労働者の数と売上げ総所得が決まるという具合です。
その交わった所の売上げ総所得のことをその企業の有効需要といい、全ての企業の有効需要の合計を経済社会全体の有効需要という、ということです。

この有効需要に関して、いくつか重要なポイントがあります。

  1. 有効需要というのは、生産量で量るのでもなく、売上げ高で量るのでもなく、売上げ総所得で計る。
  2. 有効需要を決める需要関数(曲線)・供給関数(曲線)は、いずれも企業あるいは供給者がそれぞれの期待(見通し・希望・見込み)にもとづいて決めたものだ。
  3. 有効需要の売上げ総所得が実現する保証はない。現実の経済社会の所得の合計が、有効需要の合計とは必ずしも一致しない。

ということで、古典派の需要供給の法則とは似ているけれどまるで別のものです。

このあたり、一番大事な確認ポイントだと思うのですが、宇沢弘文さん、宮崎義一さん、伊東光晴さんの本も、あまり明確にはこのへんを解説していません。

上記のうち特に2番目の、全ては企業の期待にもとづくものであり、有効需要とは言っても需要側の考え方も、あくまで供給側の考えを通して間接的に反映されるだけだ(すなわち、買い手の意向(需要)は売り手が、買い手はこう考えているだろう、という期待で決まってしまうということ)、というのははっきりさせておく必要があります。

また3番目についても古典派の需要供給の法則では値段と数量が明確に決まってしまって、市場の関係者全員にそれが即時にはっきりわかる、ということになるのですが、ここではそれぞれの企業がどのような期待を持っているか明確には分かりませんから、有効需要は概念的にははっきりしていますが、それがいくらになるかについては明確にはならない、という性格のものです。

もちろん何もなければ日々の企業の期待の見直し、あるいは実際の生産活動の修正の結果、現実の経済社会全体の所得の合計は有効需要の合計に近くなっていくのでしょうが、その過程で状況の変化、環境の変化でどちらも変化を余儀なくされるため、いつまでたっても不一致のままということになります(とはいえ、現実には経済社会全体の所得の合計というのも計算するのはそう簡単ではありませんし、有効需要の方はなおさら集計の方法がありませんから、一致も不一致も確認のしようがないことなんですが)。

で、このように有効需要が決まり、それと合わせて雇用される労働者の数が決まると、経済社会全体で雇用される労働者の数(の期待値)も決まります。その数が労働者の総数より小さければ必然的に失業者が出て来るというあんばいです。

何らかの形で有効需要を増やすことができれば、それに対応する雇用される労働者の数も増やすことができ、社会全体の所得も増やすことができますから、メデタシメデタシとなるわけです。

これで一般理論の議論は、この有効需要を増やすために消費者についてはどうやって消費を増やすことができるのか、そもそも消費者がどれだけ消費するかというのはどのように決めているのか。企業についてはどうやって投資を増やすことができるのか、そもそも企業がどれだけ投資するかということをどのように決めているのか、という議論になるのですが、その話をする前に、ここで説明したあたりを宮崎さん・伊東さんの本や宇沢さんの本がどんな紹介の仕方をしているのか、次回ちょっとコメントしましょう。