お勧めしない本

8月 1st, 2016

今まで『本を読む楽しみ』では、お勧めの本の紹介をしていました。

最近読んだ本のうち3冊が、逆に『お勧めしない本」だったので、紹介します。
それでも読んでみよう!という方は、ご自由にお読みください。

1冊目は林 千勝著『日米開戦 陸軍の勝算』という本です。この本では太平洋戦争は日本が勝つ確実なシナリオが出来上がっていたのに、海軍の山本五十六が真珠湾攻撃などシナリオに反することをしたので、必勝のシナリオが崩れて日本が敗けたんだ、と言っている本です。

戦前は陸軍と海軍が互いに悪口を言い合って、戦後も戦争に負けたのも陸軍のせいだ、海軍のせいだという議論があったのは知っていますが、この著者は1961年生まれの人です。こんな人までその議論が引き継がれているのか、とビックリしました。

この本の主旨は、日米開戦に先立って陸軍では『戦争経済研究班』を作り、完全にアメリカに勝てるシナリオを作っていた。にもかかわらずそのシナリオを壊すようなことを海軍がやったものだから、結局日本は戦争に負けた、という話です。

元々日米の国力差から、陸軍ではどうやってもアメリカには勝てないというシナリオをいくつも作っていたのですが、天皇の『どうせやっても勝てない戦争をすべきじゃないんじゃないか』との意向に逆らっても、戦争をするために無理やり作りあげたのがこの『戦争経済研究班』のシナリオのようなんですが、著者はこのシナリオこそ完璧で、完全に正しいシナリオだ、という前提でこれに反する事実を次々に否定していきます。

で、真珠湾攻撃ですが、これをやったことによって、アメリカが本気になって生産力をアップしたら、結果この『戦争経済研究班』のシナリオで想定していた生産力より大きくなってしまったということです。

ここで普通ならそのシナリオの想定が間違っていたんだ、と考える所ですが、著者は山本五十六が真珠湾攻撃などしたからシナリオが狂ってしまったんだ、というわけです。

シナリオではまずイギリスをやっつけるために太平洋は放ぽっておいて、インド洋に出てイギリスとインドの間の流通をストップすることになっているのに、実際はインド洋に出ていく代わりにフィリピンからニューギニア・太平洋諸島に出て行ったのが間違いだったなど、陸軍主導で起こったこともシナリオと違うことは全て海軍のせいにしています。

ある一つの資料がみつかった(と言ってもそのごく一部でしかないんですが)からといって、それが全く正しくて、それ以外の物事がたとえそれが現実であっても全て間違っていると考えられる、その観点で本まで書いてしまうというのは面白いですね。

ということで、この本を読んでみても殆ど役に立ちそうもありませんが、それでもこんな本も読んでみよう、という人はご自由にどうぞ。

2冊目は『アインシュタイン 双子のパラドックスの終焉』という千代島雅という人の書いたものです。

見るからにいかがわしそうな本なのですが、図書館のお持ち帰りコーナーに置いてあったので、どのようにいかがわしいのか読んでみよう、と思って貰ってきました。

読んでみると案の定いかがわしい本だったのですが、そのいかがわしい本を書いているのが大学の助教授だ(書いた当時)というので、さらにヘェーといったところです。

本人は科学者ではなく哲学者だ、ということになっているんですが、物理学をテーマにした本でさんざん物理学者の悪口を言って、いかにも自分の方が分かっているというふりをしている人です。

このテーマの『双子のパラドックス」というのは、アインシュタインの特殊相対性理論に関わる有名な『パラドックス』なんですが、これも世間一般に『パラドックス』と言われているだけの話で、物理学者にとってはパラドックスでも何でもない話です。

本の最後の部分で、これが最終的なパラドックスの解決だと言って、解決にも何にもなってない的外れの議論をしているのにはア然とするしかありません。

で、このパラドックスをめぐって、ニュートンだとかライプニッツだとかの名前を出し、ギリシャ時代のゼノンという哲学者の『ゼノンのパラドックス』の話を出し、自分は哲学者で物理学者ではないけれど、自分の方がよっぽども物理学をちゃんと理解している、物理学者は自分の頭で考えようとしないので何も分かっていないなどと、分かっていないのは本人の方なのにまるで見当違いの非難をすると、中味がまるで何もない本なのにいかにもまともそうな本になって出版される、というのも面白いものです。

中味のまるでない本ですが、いかに中味のない本か確かめたいというもの好きの人には面白いかも知れません。

最後の3冊目は、孫﨑亨さんの『日米開戦の正体』という本です。

この本の著者は外務省で局長をやったりイランの大使をやったりした、それなりの大物の元外交官です。

で、この本ですが、私は今までかなりの数の本を読んでいると思いますが、読んでいて気持ちが悪くなって吐き気がした、というのはこの本が初めての体験です。

と言っても別に気味の悪い話とか怖い話とかが書いてあるわけではありません。太平洋戦争の日米開戦に至る経緯を、いろんな本からの引用で紹介しているだけの本です。

著者は、自分が書いた文章では信用してもらえないだろうから、その当時の人が書いた本から引用するんだと言って、それこそ山ほどの本から数行あるいは10数行ずつ引用して、その引用の間を自分の文章で続けるという形のものですが、その引用されている部分がどのような文脈でどのような意図で書かれているかなどということはまるっきり無関係に、『その当時の人がこう言っているんだからこれが真実だ』という具合に論理を展開していく、そのやり方に何ページか読んだところで吐き気を催してしまった、というわけです。

このようなやり方で文書を切り貼りしていけば、どんな筋書きでも『これが真実だ』というものができるんだろうな、そのために山ほどの文献に目を通し、自分に都合の良い所だけ切り取っていくという大変な作業が必要なんだろうな、そうした所で歴史の現実にはまるで関係ない自分の見たい物しか見えないんだろうな、と思います。

よくもまぁこんなやり方で500ページもの本を書いたものだなと感心します。

で、このようなやり方で主張しようとしているのは、
今の日本が原発の再稼働・TPPへの参加・消費税増税・集団的自衛権・特定秘密保護法などにより75年前の愚かな真珠湾攻撃への道と同じような道を進んでいる。
それは
・本質論が論議されないこと
・詭弁・嘘で重要政策がどんどん進められること
・本質論を説き、邪魔な人間とみなされる人はどんどん排除されていくこと
だ、ということです。

そのように思いたい人にとってはそのように見えるのかな、と思います。
そんな人に付き合いたいとは思いませんが。

真面目に読むと吐き気が続きそうなので、適当にチラチラ眺めながら読むことにしました。この気持ち悪さ・吐き気は他の人も同じ反応になるかどうか分かりませんが、それでも試してみたいと思う人はトライしてみて下さい。

お勧めはしませんが。

NHKの『未解決事件 file5 ロッキード事件』

7月 29th, 2016

3部構成でちょっと長かったのでビデオに撮って、ようやく見終わりました(全部で3時間15分あります)。

第1部と第2部ではドラマ仕立てで、ロッキード裁判の時の話が再現されていました。案の定、あの事件で検察側で大活躍した堀田力さんや、田中金脈で有名になった立花隆さんなどが自慢そうにコメントに登場していました。

第3部では『40年後の真実』ということで、最近分かった情報が紹介されました。

それによるとロッキード事件の5億円というのは、全日空がトライスターを導入するためのお金ではなく、自衛隊が対潜哨戒機としてP3Cを採用するためのお金だ、ということです。

この話がロッキード裁判の時に明らかになっていたら、ロッキード裁判のほとんどは吹っ飛んでいたはずです。お金の目的がまるで違っていたんですから。

堀田さん達がアメリカから得々として運んできた資料では、事前にアメリカで、P3C関係の情報は綺麗に削除されていた、ということです。

田中角栄さんは一審で有罪判決を受け、高裁は控訴棄却、その後最高裁は徹底して判決を避け、被告人が死亡することをひたすら待ち続けて判決を出すことを巧妙に回避しました。これが有罪判決をしていたら、それこそ世紀の大誤審ということになっていたはずです。

この第3部を受け堀田さんや立花さんの顔を見たいもんだ、とも思ったのですが、どちらも頭が良くて弁の立つ人ですから、適当に言いくるめて自分を正当化するコメントをするんだろうなと思い直したら、この二人のコメントが第3部に入ってなくて、聞かされることにならなくて良かったなと思いました。

『近代イスラームの挑戦』 山内昌之著

6月 21st, 2016

これは中央公論社の『世界の歴史』の20巻目です。
ここに辿り着くまで、最初はプライムニュースの番組で元外務省の佐藤優さんとイスラーム研究者というか歴史学者というかの山内昌之さんが登場した回を見たことから始まります。

この回の話は非常に面白く、その番組の中でこの二人がその少し前に対談して本を出した、と言っていました。その本を探して読んだのが『第三次世界大戦の罠』という本です。

この本は読み応えタップリの本で、イスラーム世界の全体構造をIS(イスラム国)が活躍するイラク・シリア、それを取り巻くイスラム世界の基本構造としてのイランとサウジアラビアの対立、その周辺のトルコとエジプト、サウジアラビアの周辺のアラブ諸国、さらにそれを取り巻くロシア・中国・ギリシャ・ヨーロッパ諸国が歴史的・地勢学的にどのような立場でどのように考えているか・・・ということが見事に描かれています。

しかし対談というのはあまり詳しい説明は期待できず、対談している二人が共通して良く知っているようなことは当り前のこととしてちょっと触れるだけで終わってしまいます。もう少しじっくり知りたいと思って次に読んだのが『民族と国家-イスラム史の視点から』という山内さんの書いた、岩波新書です。

この本も素晴らしい本でしたが、やはり新書ということでちょっと物足りない気がして、3冊目に読んだのがこの本です。

この本は『世界の歴史』の中の1冊ということで、イスラム世界全体の歴史、というより秀吉の頃から第一次大戦が終わるまでの時代のイスラム世界をオスマン帝国を中心に、日本との関係、すなわち日本がイスラム世界をどのように知ったのか、また明治時代以降は日本をイスラム世界がどのように見ていたかを中心に解説してあります。

秀吉は天下人となった直後、朝鮮を攻める前にまずはフィリピンのルソンに書簡を送って臣従を求めたけれど、その少し前フィリピンはスペインに占領され植民地になってしまっていた、という話から始まります。

もし秀吉がフィリピンを臣従させていたとしたら、多くの原住民は素直に従っただろうけれど、一部イスラム教徒の住民だけは最後まで抵抗したかも知れない、という話です。

その後江戸時代になると、長崎の出島のオランダ商館長が新しい情報が入るたびに幕府に『オランダ風説書』という報告書を提出します。それによって日本人はヨーロッパを中心とする世界の情勢を知ることになるのですが、イスラム世界の動きもその中に記載されています。

で、この本はその『オランダ風説書』のイスラム世界の動きについての記述が狂言回しとなって、オスマン帝国とその周辺の出来事について解説されていきます。

幕末から明治になると、日本から多数の使節・調査団・留学生がヨーロッパを訪れます。彼らはエジプトのスエズを経由するので、その途中でエジプト見物をしたりあるいはオスマン帝国の各地訪ねたりして、その見聞録だったり日誌だったりが、次に狂言回しの役割を果たします。

日清・日露の戦争のあたりになると、今度はこの日本が、中国に勝った、ロシアに勝った、ということをイスラム世界がどのように感じ、どのように報じたかということがもう一つのテーマになります。中国はともかくロシアにはイスラム世界はひどい目に遭ってきた相手であり、またイギリス・フランスを含めた白人諸国全体としてもイスラム世界はひどい目にあってきて、そのロシアを極東の非白人の日本がやっつけた、ということで熱狂的な騒ぎになったあたりがきちんと解説されています。

この本では江戸時代のちょっと前から第一次大戦の終わるあたりまでの時代を扱っています。私は、現在の中東のイラク・シリア・レバノン・ヨルダン・イスラエル・サウジアラビアなどの国がどのようにできたかきちんと知りたいと以前から思っていたのですが、残念ながらその直前で本が終わってしまいました。(この部分については図書館で見つくろって、今度は講談社の世界の歴史の第22巻『アラブの覚醒』というのを読みました。この本ではドンピシャリ、これらの中東の国々がどのようにできたか、が詳しく書いてあります)。

『近代イスラームの挑戦』の方は、オスマン帝国の本体である、トルコの部分とオスマン帝国の一部であり、独立して国になろうとしたエジプトがある意味主人公のようになっていますが、中国とトルコ、日本とエジプトを対比して何が同じで何が違うのかという視点からも書かれています。この視点からこの本を読むと考える所がたくさんあります。

地勢学というのがこれらの本のベースとなっている見方なんですが、つくづく日本というのは地勢学的にラッキーな国だな、と思います。トルコやエジプトの地勢学的な不利は、まず第一に、野蛮で凶暴なヨーロッパのすぐ隣に位置して、その影響を直接うけ、避けることができない、ということだと思います。その点、中国も日本もヨーロッパからかなり遠いのでラッキーだなと思います。

次にオスマン帝国が弱体化してヨーロッパのイギリスやフランス、そしてロシアが軍事的に優位に立ったとき、イギリスやフランスはすでにアジアに植民地ができており、ヨーロッパからアジアにアフリカ周りの航路は既に確立されていたものの、エジプトのスエズから紅海経由、あるいはシリア・イラクからペルシャ湾経由の方が経済的にはるかに有利であり、そのルートを使うためにはエジプトあるいはトルコをヨーロッパの思うように扱う必要があった、ということです。中国も日本もそのような通せんぼの位置にはなく、邪魔者になることはなかったので、その意味でヨーロッパ各国の攻撃対象にならないで済んだ、ということだと思います。

さらに日本は中国のすぐ近くにあり、中国に比べるとはるかに小さい国だったので、ヨーロッパからの侵略者達の目は中国に向かって、日本は放っておかれた、というのも地勢学的に有利な点だと思います。

以上、一連の本を通してイスラム世界・中東各国について、かなり見通しが良くなったように思います。

もし興味がある方がいたら、お勧めします。

『昭和維新-日本改造を目指した“草莽”たちの軌跡』

6月 14th, 2016

この本は、昭和初期から第二次大戦の前後までの期間、明治維新に続く(あるいはその完成を目指した)昭和維新という名の一連のテロリズム事件についてまとめて書かれているものです。本部500ページ強のちょっと大部な本です。

著者は“維新の志士”という言葉を使っていることからも分かるように、心情的にはどちらかと言うとこのテロリスト達の側に立っていますが、このテロリスト達に対する思い入れが強過ぎるということではなく、またテロの対象となった人達についても『悪者だ』と決めつける書き方でもなく、淡々と事件の経緯を記述しているので、テロリスト達に共感しない人にもあまり困難なく読めると思います。

この一覧のテロリズムのピークとなるのは、5・15事件、そして2・26事件であったりするのですが、その前後の未遂に終わったテロ計画等についても書いてあり、また登場人物も同じ人物が入れ替わり立ち代わり現れたりして全体像をつかむのに便利な本です。

例えば2・26事件について言えば、真崎教育総監更迭問題・永田鉄山斬殺事件・その犯人の相澤中佐の公判闘争、そして2・26事件そのもの、そのあとの東條英機暗殺計画と、7章にわたって書かれています。

個々の事件の内容についてはそれほど突っ込んで詳細に書かれているわけではありませんが、例えば相澤中佐の裁判と2・26事件がどのように密接に関連していたのかなどが良くわかるようになっています。

期間的には昭和5年から20年位、今から85年前から70年前位の間の出来事です。日本でもこのようにちょっと前までテロリズムが日常的だった時代がある、ということを思い起こすのにも良いと思います。
お勧めします。

今ではたとえば『アベシネ』とか『日本死ね』とかでも、デモで叫んだりネットで言い散らしたりすることはあっても現実にテロを企てて人殺しするようなことはほとんどなくなっています。日本も本当に豊かで良い国になったなと思います。

リーマンペーパー

6月 8th, 2016

伊勢志摩サミットで安倍さんが資料を配り、『今、世界経済はリーマンショックと同じ位の大きなリスクに直面している』と言ったということで、大騒ぎになっています。

この大騒ぎの、特に経済評論家や民進党の先生方やマスコミのコメントがあまりにもひどいので、ちょっとコメントします。

その前に、このリーマンペーパーとよばれるA4 4ページの資料、テレビでは何人もの人が手に持ってヒラヒラさせているのを見るのですが、これの出所が良くわかりません。ネットでいろいろ探してみたのですが、みつかりません。サミットの資料なので外務省の所管になるのですが、外務省に電話で問い合わせた所、資料は一般には非公開だということで断られてしまいました。

その後もうしばらくネットを探したら、ようやくIWJというサイトで画像イメージをpdfファイルの形で公開されているのを見つけました。
http://iwj.co.jp/wj/open/wp-content/uploads/2016/05/20160530165328.pdf

そういうわけで必ずしもこれが本物だ、という確証はないのですが、ここで偽物を公開してみてもあまり意味はなさそうなので、とりあえずこれを本物だと考えて読んでみました。なかなか面白い資料で、いろいろ考えることができます。

で、今話題になっているのは、この資料を誰が作ったのかということで大騒ぎになっているのですが、私はそんなことはあまり重要な話ではなく、重要なのはこの資料のデータは本当なのか、本当だとしてこの資料から安倍さんの言うリーマンショックなみのリスクに直面しているというのが本当なのか、ということです。

この『安倍さんの言った』というのがはっきりしません。『リーマンショックの直前に似ている』と言ったとか、『リーマンショックの前後に似ている』と言ったとか、安倍さんはそんなことを言っていないとか、いろんな話が飛び交っています。

で、資料を見る限り『直前に似てる』と言ったというのは間違いのようです。リーマンショックによっていくつかの経済指標が急落しているんですが、それと同様の急落が現在起こっているということが資料になっていますから『直前』というよりむしろ『直後』に似ているという資料です。

リーマンショックの後の経済変調がまた起きるかも知れないということ示す資料のようです。

で、これに対してサミットに参加した各国首脳が安倍さんの言うことに同意しなかったということですが、これは当然の話です。もし皆が安倍さんの言うことに『そうだ そうだ』なんて言ってしまったらそれこそそれが第2のリーマンショックの引き金を引いてしまうことになり兼ねませんから、特にドイツのメルケル首相はドイツ銀行が第2のリーマンになるかも知れないという状況で『そうだ』とは言えないでしょうし、イギリスのキャメロン首相も世界の国際金融の中心地ロンドンを抱えて、またイギリスのEU脱退という大きなリスクを抱えていて、そんなことを言えるわけがありません。

で、このような状況でマスコミやネットに出てくる話、まずは『今、世界経済はそんな危機的な状況にはない』というものです。もちろん安倍さんが言っている(と思われる)ことは、『今が経済危機だ』ということではありません。『経済危機になるかも知れない』ということです。この二つはまるで違います。たとえばバブルの最後の時経済は最高潮で、バブル崩壊は目前です。今景気が良いということと危機直前というのは別に矛盾する話でも何でもありません。

次に言われるのは、先進各国の成長率を並べておいて、日本だけ0%とかマイナスとかなのに他の国は2%とか3%とかなので、リスクがあるのは日本だけだ、という理屈です。これもおかしな話です。日本の方が成長率が低いんですからリスクもそんなに高くなく、成長率の高い他の国の方がリスクは大きいと言うべきです。

次に言われるのは、今までにそんなケースはないとか、経済学的にあり得ないとかの一見もっともらしいコメントです。これも経済学というのが基本的に後付(あとづけ)の理屈でしかない、という事実を十分認識していません。

リーマンショックがどのように起き、どのように世界経済に影響したのかは、それが起き、経済に大きなダメージを与えた後で色々分析して分かることです。

今までどんなケースがあったかとか、経済学の理論とかで事前に分かっていた話ではありません。もし事前に分かるものであれば、リーマンショックも事前に防ぐことができているはずです。

あともう一つ、危機はいつでもあるんだなどというコメントもあります。危機がいつでもある、というのは確かにその通りなんですが、それと危機のリスクが高いか高くないかは別の話です。これは地震はいつでもどこでもありうるんですが、それでも地震が起きやすいか起きなさそうかという判断は重要です。これを一緒くたにしてしまうと、それこそ地震はいつでもどこでも起こりうるんだから地震対策なんかやるだけ無駄だということになってしまいます。このような簡単なことも分からなくなってしまう経済評論家というのは困ったものです。

別に危機が起きてほしいわけではありませんが、仮に本当に危機が起きてしまったら、安倍さんはとてつもない先見性のあるリーダーだ、ともてはやされるんでしょうか。多分その時には自分にはわかっていた、とか、自分の言っていた通りになった、なんて言い出す経済評論家が山ほど出てくるんでしょうね。

とまれ、危機のネタはいたるところで大きくなっているような気がします。

マイナンバーカード、貰ってきました。

5月 30th, 2016

マイナンバーカード、貰ってきました。

通知では朝9時から、となっていたんですが、市役所は8時半からやっているので、ダメもとで8時半チョットすぎに市役所に行ったらもう交付の手続きもやっていて、待ち時間なしで9時前には貰うことができました。

手続きと言っても本人確認の書類を出して、暗証番号・パスワードの入力をするだけですから、たいして時間はかかりません。
役所の窓口のカウンターに巨大なタッチパネルが置いてあり、そこで暗証番号・パスワードを入力するのですが、数字の方はテンキーの配列なのでどうということはないのですが、アルファベットの方が、ABC順の配列になっていて、見つけるのにちょっと時間がかかってしまいました。確認のために入力を2回ずつするのですが、普段パソコンでやってるような、2回目はコピペで、という手が使えませんので、その分ちょっと手間でした。

身分証明書の方は10年有効、電子証明書の方は5年間有効、ということなんですが、同じカードで有効期間が違う、というのも何となく変な話だな、と思いました。
で、この10年有効、5年有効ですが、よく見ると誕生日ベースになっていて、私はもうすぐ誕生日になるので、実質的に、身分証明書の方は9年とちょっと、電子証明書の方は4年とちょっとの有効期間でした。結果的に西暦の年数が5で割り切れるときに更新、ということでわかりやすい、と言えばわかりやすくなったのですが。
有効期間を長くしたい場合には誕生日の直後に交付してもらった方がいいようです。
この有効期間が切れるころに何らかの更新案内の連絡をしてもらえるのか聞いてみましたが、『決まってません』という回答でした。

で、カードは普通のクレジットカードその他と同じ大きさのカードですが、表の写真の入っている方が身分証明書になっているようです。氏名、住所、その他が印刷されています。
カードは透明のプラスチックフィルムのケースに入っているのですが、その一部にマスクが入っていてカードを取り出さないとマスクの部分が見えないようになっています。
何にマスクが入っているのかと思ったら、カードの下の方がえらく小さい文字で臓器提供の意思表示になっていて、その部分にマスクがかかっていました。
もう一つ右の上の方に小さなマスクがあったのですが、そこには性別が印刷されていました。
いつの間にか性別はマスクをかけるものになっていたようです。

マスクのかかっていない部分には、
氏名、住所、生年月日、身分証明書の有効期限、さいたま市長、電子証明書の有効期限が表示されているのですが、生年月日は昭和の年月日で、身分証明書の有効期限は西暦の年月日で印刷してあり、電子証明書の有効期限は平成の年月日が手書きされていました。
このあたりのアンバランスが楽しいですね。

裏の方は、個人番号が印刷されていて、そこにマスクが入っています。
その下に氏名と生年月日が印刷されています。
いちおう点字表示をしてもらったので、その下の部分に点字で名前が印刷されていました。名前と同じ行の右端には点字で『バン』と印刷されていて、これは何だろうと思ったのですが、これは個人番号カードだと分かるようにしてあるのかな、と思います。

左下の部分には3次元バーコードが入っているので何が書いてあるんだろうと思ってケータイで読んでみたところ、この3次元バーコードにはマイナンバーが入っていました。
即ち、目で見てすぐわかる数字表示のマイナンバーの部分はマスクで隠してありますが、パーコードの方はマスクなしですから、ケータイなりカメラなりで撮ってしまえばマイナンバーが分かってしまう、ということのようです。

で、とりあえず無事にマイナンバーカードは手に入ったので、今後これで一体何ができるようになるのか、あるいはどんな個人情報が漏えいしてしまうのか、楽しみです。

まずはこのカードをなくさないようにきちんとしまっておかなければなりませんが、そのしまい場所をちゃんと覚えていられるかどうかが問題です。
それと、暗証番号・パスワードをどうやって覚えておくかも問題です。もちろんどこかに書いておくんですが、その書いてある場所を忘れないようにするのが問題です。

マイナンバーカード

5月 23rd, 2016

マイナンバーカードができたようで、『取りに来い』という通知がようやく届きました。
申込みをしたのが1月の後半ですので、だいたい4ヵ月かかったことになります。

途中3月の終り頃状況を問い合わせたのですが、システム不具合でまだ当分かかりそうだ、ということでした。その後システムの不具合の原因が分かったというニュースもあったので、今ではマイナンバーカード発行の手続きもスムースにいっているのかな、と思っています。

通知は葉書1枚の表裏に小さい字でびっしりと印刷されています。老人にはちょっとつらい字の大きさです。表(葉書のあて名の書いてある方)には、どこに貰いに行ったら良いのか、交付場所の情報が印刷され、その上にシールを貼って隠しています。

裏の方には本当に本人が申請したのかどうか確認する署名欄があり、また代理人が取りに来る時のための委任状となる部分があり、さらにマイナンバーカード発行に必要な4種類の暗証番号あるいはパスワードを記入する部分があり、そこにもシールがあって隠してあります。

委任状の部分の記載に一部が黄色のマーカーでマークしてあったり、貰いに行く期限(私の場合は8月末まででした)の所が(多分)ゴム印で印字されていたりするので、この通知の発行は基本的に手作業をしているようです。

近日中に貰ってくる予定ですが、また何か新しい発見があるかも知れません。

マイナンバーカードが手に入ると、今、本人確認用に使っている運転免許証は基本的に用済みになります。今年は免許更新の年にあたるのですが、更新すべきかどうか、悩ましいことになってしまいました。

『公教要理』

4月 28th, 2016

私は今となっては『小説を読む』ということでは、朝刊の連載小説を読むくらいのものですが、若いころはかなり色々と読みました。中には欧米の小説の翻訳もいろいろありました。

そのような翻訳小説を読んでいると、時々出てくるのがこの「公教要理」というものです。

これはキリスト教(カトリック)の教えを子供でも分かるようにまとめたもので、子供達はこれを暗記することが宿題となり、友達どうしで問題を出し合って勉強した、なんてことが書いてあります。それでこれは一体どんなものなんだろう、一度見てみたいものだなと考えていました。今から数えると半世紀近く昔の話です。

近ごろ友人が「お母さんの使っていたものだから」と言って、聖書だとかその他何冊かキリスト教関係の本を持ってきてくれました。その中にこの『公教要理』が入っていました。

戦後すぐの昭和28年の出版のものなので、いわゆる歴史的仮名遣いではなくなっているものの、拗音(小さいや・ゆ・よ)や促音(小さいつ)などは大きいままの活字で、漢字も旧字体で、振り仮名など部分的に飛んでいるような印刷ですが、それなりになかなか味があって面白く読めます。

本といっても大きさはだいたいスマホと同じ位の、手の中に入ってしまうくらいのものです。この中に200頁ちょっとの中に541個のQ&Aがぎっしり詰まっています。1ページあたり3個のQ&Aですから、QもAも1行、せいぜい2行のものがほとんどです。
これでは子供達が暗記するのにぴったりです。

そのQ&Aの書き方も、たとえば
Q : ○○は何ですか?
A : ○○は△△です。
Q : △△とはどういうことですか?
A : △△とは□□□□のことです。
という具合に続きます。

最初のQ&Aで△△という言葉を覚え、次のQ&Aでその言葉の意味を理解する、というような具合です。

なるほどキリスト教国では子供の頃からこのようなQ&Aに慣れているのか、と思います。
今、私達が普段目にするQ&Aは、たとえば1つのQに対して1ページから数ページにわたってAが書いてあるようなものです。これではとても暗記するわけにはいきません。Q&Aも1,2行というのが何とも素晴らしい工夫です。さすがにカトリック教会だと思いました。

子供たち同士で問題を出し合うにしても、QもAも500個もあれば、全体を理解してから問題を作るなんて手間をかける必要はありません。500個の中から頁を開いて出てきたQをそのまま問題にすれば良いし、答もAと一字一句違ってなければ正解、ちょっとでも違っていたら不正解と、簡単明瞭なものです。

で、まずは一番やっかいな『三位一体』がどのように説明してあるんだろうと思って見てみました。
Q : 三位一体のわけはこれを悟ることができますか。
A : 三位一体のわけは、人間の知恵では悟ることができません。
     天主のお示しであるからこれを信ずるのであります。
Q : 悟り得なくとも信ずべきことを何と申しますか。
A : 悟り得なくとも信ずべきことを、玄義(げんぎ)と申します。
Q : 天主が御一体であって三位なる玄義を何と申しますか。
A : 天主が御一体であって三位なる玄義を、三位一体の玄義と申します。
という具合です。
これは見事だなあと感じ入りました。
いい加減な説明をして子供を混乱させるより、はじめから『人間には理解できないことだから信じなさい』と言い切ってしまう方がよほど分かりやすい説明です。

人が死んで天国に行ったり地獄に行ったりというのも実は2回あって、死んだ時にすぐに審判を受けて肉体は地上に残して霊魂だけ天国や地獄や煉獄に行くというのと、世界の終りに死んだ人が全員復活してまた霊魂と肉体が一体となり、最後の審判を受けて今度は肉体も一緒に天国や地獄に行く、という構成になっているということは初めて知りました。

キリスト教では結婚ということが非常に重要視されていて「婚姻の秘跡」と言い、この中でたとえば
Q : 婚姻の目的に背く甚だしい大罪は何でありますか。
A : 婚姻の第一の目的は、天主の御定により子を挙げることでありますから、避妊を
   計るような行為は婚姻の目的に背く甚だしい大罪であります。
とか、
Q : 夫婦の務(つとめ)とは何でありますか。
A : 夫婦の務とは、互いに相愛し、欠点を忍び、貞操を守り、公教(カトリック)の教え
   に従って子供を育てることであります。
などというQ&Aもあります。

それぞれのQ&Aには、聖書の中の参照すべき個所が書いてあります。その参照されている部分をすべて確認すると、それだけでも聖書をかなり読むことになります。

キリスト教というのはどういうものか知りたい人にも、キリスト教徒、特に欧米のキリスト教国の普通の人達がふだんどのように思っているのか知りたい人にもお勧めです。

ためしに図書館の蔵書を検索してみたら、さすがに東京都立図書館にはありましたが、埼玉県では県立図書館にも市町村立の図書館にも蔵書がありませんでした。
とはいえ、今はインターネットの時代です。ネットで検索すればテキスト全文が載っているサイトがみつかります。

とはいえ私は紙の本の方が好きなので、この本を持ってきてくれた友人とそのお母さんには感謝です。

衆議院補欠選挙

4月 25th, 2016

北海道と京都の衆院補欠選挙が終わりました。
京都の方は自民党の不戦敗のようなものですが、北海道は町村さんの弔い合戦で順当に自民党の候補が勝ちましたね。

この選挙戦でいわゆる野党共闘の中味が見えてきたので、ちょっとコメントします。

今回北海道で野党統一候補となった池田さんという人は、民進党の候補でも共産党の候補でもない無所属の候補で、それに民進・共産その他の党が推薦したり応援したりした、ということのようで、選挙運動も民進党・共産党がやるわけでなく独自に運動した、ということのようです。

で、今回は野党の方の候補は当選できなかったのですが、仮に当選できていたとしたらどういうことになるのか、考えてみました。

民進党にも共産党にも属さない候補ですから、議員になっても民進党に入るとか共産党に入る、ということにはならないでしょうから、仮に野党の方が勝ったとしても民進党も共産党も議員を増やすことにはならない、ということです。単に自民党の議員の数を増やさないというだけで、自分の党の議員の数を増やすことはできない、ということです。

そしてこの新人議員が民進党にも共産党にも属さないということは、国会議員としてのきちんとした教育を受ける機会がないということになります。こうなると、こういう形で当選した議員は、何とかチルドレンと言われる議員よりもっと悲惨なことになります。

何も教えられず何の活動もしないで、任期が終わるのを待って消えていってしまうという人が殆どでしょうし、そうでない人は自分の興味のあるテーマについてだけ精一杯のパフォーマンスをして、それ以外のテーマについては何もできないで終わってしまうでしょう。

次の参議院選挙に向けて野党統一候補がいくつもの選挙区で決まりつつあるようですが、その統一候補がこのような形の、どの政党の候補でもないということになると、そのような人が議員になる意味がどれくらいあるのか、と思ってしまいます。

今回の選挙が終わって気がついたのですが、このような形で野党統一候補を決めていくことによって、共産党は当選する見込みのない自党の候補を下ろすだけのことですが、民進党にとっては万が一くらいには勝てるかも知れない候補を立てずに、自党の議員を増やす努力を放棄するということを意味します。

と言うよりむしろ、この野党統一候補というのは民進党が自党の候補者を立てることができないことを隠すための運動でしかないということかも知れません。

これは選挙の責任者である枝野さんの、いかにも弁護士らしい責任逃れということになるのでしょうか。この野党協力がなければ今頃は民進党は候補者選定の遅れで大騒ぎになっていたのかもしれません。

次の参議院選挙戦、野党が勝つことは殆ど期待できませんが、仮に野党が勝っても与党にとってほとんど痛手にはなりそうにないですね。

日本国憲法とそのGHQの原案

4月 19th, 2016

憲法改正がいよいよ現実的なテーマとなっています。
国会の質疑でも、まだ改正案が国会に提出されたわけでもないのに、野党はまともな質問もできないため、自民党の憲法改正案をもとに何だかんだ質問しています。

このような状況で、安倍さんもいよいよ選挙が終わったら本格的に憲法改正に動き出そうとしているようです。

今の憲法には不磨の大典として一語一句変えてはいけないという意見と、敗戦のドサクサに占領軍に押し付けられた憲法は一日も早く国民の手で作り直さなければならない、という意見とがあります。

となると、まずは今の憲法が本当に押し付けられたものなのか、あるいはスタートは押し付けられたものであってもその後1年近くかけて国会で議論し手を入れてできたものなのか、確かめておいた方が良さそうです。

ということで、今の憲法とGHQの原案を見比べてみることにしました。原案の方は国会図書館のサイトにあったものですから、多分間違いはないと思います。

で、これを見比べてみると、基本的に今の憲法はGHQの原案と大筋同じようなものになっているのは確かですが、と同時に変更したり削除したり追加したりした部分も色々あり、その違いの原因・理由を考えるとなかなか興味深いものがあります。
もし興味があったら私の作った対比表

日本国憲法(GHQ原案との対比)

を見てみて下さい。今の憲法の条文の対応する所にGHQの原案の条文を置いてあります。

で、まずは憲法前文ですが、この部分は原案の直訳になっているようです。原案は格調高い(すなわち分かりにくい、古風な)英文で、これを直訳しているので憲法前文はなおさら分かりにくい悪文になってしまっています。分かりにくい所は原案の方読めばまだ分かりやすいかも知れません。

次に『第一章 天皇』の所です。ここは今の憲法と原案がほぼ同じなのですが、一カ所だけ、今の憲法第6条・原案では第5条の所、今の憲法では内閣総理大臣と最高裁判所長官について、『天皇が任命する』となっているんですが、原案では内閣総理大臣の規定だけで、最高裁判所長官についての規定はありません。これは原案の方が書き洩らしたということなのか、原案は司法より行政を上位に置いたのか、それとも何か他の理由があったのか、興味があります。

次は『戦争放棄』の9条(原案は8条)の規定です。
ここはなかなか面白いです。
まず第一項の
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
ですが、最初の
『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、』の能書きの部分、原案にはありません。そして
『国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。』
という部分、原案では戦争については「abolished」と言い、武力による威嚇と武力の行使の所は「renounced」という言葉を使っています。英語というのは同じ言葉を使うより言葉を変える方がカッコイイという感覚があるのでそれだけのことなのかも知れませんが、そうでないかも知れません。ちなみにabolishというのは廃止というくらいの意味で、renounceというのは放棄という位の意味です。

さらに『国際紛争を解決する手段としては』の部分、憲法では『戦争と武力による威嚇・武力の行使』の全てにかかるのに対し、原案では『武力による威嚇、武力の行使』の部分にだけかかっています。すなわち原案では、戦争放棄(あるいは戦争廃止)の部分にはこの『国際紛争を解決する手段としては』の部分がかかっていないで、無制限での戦争放棄(あるいは廃止)となっています。

第二項の
『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』の方は、最初の『前項の目的を達するため、』の部分、原案にはありません。そして『陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない』の所は(not)authorizedという言葉、『国の交戦権はこれを認めない』の部分は(not)conferredという言葉になっています。conferの方は権利を与えるという意味ですから、(not)conferredというのは権利を認めない、ということと同じです。authorizeの方は公認するとか正当化するということですから、(not)authorizedを『保有しない』というのはちょっと違いそうです。(not)authorizeだと、公認しなければ、日本の軍隊だと言わなければ、非公式の、非公認の軍隊であれば持っても良いと解釈できそうです。この辺自衛隊は軍隊ではないと言い続けて、正式に軍隊だ、と認めなかった自衛隊の存在を何か暗示しているようで、興味深いですね。原案ができたのは第二次大戦が終わったばかりの時で、その戦争では義勇軍など非正規の軍隊がいろいろあったということを反映しているのかもしれませんし、武器の保有は基本的人権の一つだ、というアメリカ流の考え方の反映なのかも知れませんが。
ちなみにアメリカの合衆国憲法修正第2条は
『規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない。』
となっています。この民兵のような、正式の(あるいは公式の)軍隊でない軍隊のことを考えていたのかもしれません。

次の第三章が『国民の権利及び義務』の章です。
ここのところ、『国民の権利』ではなく『国民の権利及び義務』となっているのは要注意です。この標題を見るだけで、そこらの憲法学者が『憲法は国を規制するためのものだから、国民は憲法を守らなくてもいい』などというのがまるっきり嘘っぱちだ、ということがよくわかります。

ここでは原案にある条文を全く削除している部分がいくつもあり、その理由を考えるととても面白いです。

憲法10条の『日本国民たる要件は、法律でこれを定める。』は原案にはありません。まあこれはあってもなくても同じようなもので、大日本帝国憲法にもあるのであえて削除しなくても、ということでしょうか。

次の11条は原案の9条と10条とを合わせたものです。この原案の10条は、能書きの部分を除いた部分が憲法の11条に書かれ、と同時に能書きの部分を含んだその全体が憲法の97条になっています。その意味で憲法11条と97条は重複した規定になっています。

自民党の憲法改正案で、この97条にあたる部分を削除したと言って野党(の一部)が大騒ぎをしていますが、もともと原案の10条を憲法11条に入れながら、それを憲法97条にも重複して規定したのを元に戻すだけのことですから、問題にする方がおかしい、ということが良く分かります。

憲法の12条は『この憲法が国民に保障する自由および権利は…』となっていますが、原案では『・・・自由、権利および機会は…』となっています。この『機会』が何を意味しているのか良く分かりませんが、考えてみると面白そうです。

また第二のパラグラフの
『国民はこれ(憲法が国民に保障する自由および権利)を濫用してはならないのであって』の部分、原案は『国民はこれを濫用させないようにする義務を負う。』あるいは『国民はこれを濫用させてはならない。』となっていて、大分意味が違います。

次の憲法13条ですが、対応する原案12条には、最初に『日本の封建制は終了する。』という文がありますが、これは憲法では削除されています。

また、『生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』の部分、原案では『生命、自由及び公共の福祉に反しない範囲の幸福追求に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。』となっています。
これを同じ意味だ、と考える人もいるかもしれませんが、私はかなり意味が違うと思います。

憲法15条と対応する原案14条では、原案の最初にある
『政府と天皇を決める最終的な権威者は国民である。』
という部分が削除され、代わりに第3項の
『公務員の選挙については成人者による普通選挙を保障する。』が追加されています。

原案16条には『外国人は法律により(国民と)同様の保護を受ける。』とありますが、これは憲法では全部削除されています。

一方憲法17条の『何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。』というのは、対応する原案なしに追加されています。

憲法24条・原案23条は、婚姻に関する例の『婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し・・・』という規定ですが、原案ではその前に
『家族は人間社会の基盤であり、その伝統は良かれ悪しかれ国民の全体に行き渡っている。』という前置きがあります。また『(親の強制でなく)両性の合意のみに基づいて成立し』
『(男性が支配するのでなく)相互の協力により維持されなければならない。』
という具合に、原案にある(  )の部分を憲法では削除しています。
原案を作った人は、ここまで具体的に書く必要がある、と思っていたんでしようか。

何となく家族制度重視は日本的な考えのような気がしますが、実はアメリカ流の原案の方が家族重視だったのかも知れません。

少し飛んで原案28条と29条の最初の部分は、憲法には入っていません。
原案28条は
『土地と自然資源の最終的な所有権は国民の代表としての国にある。土地と自然資源は、それを保全し、開発し、利用し、コントロールするために国は、正当な補償の下にこれを取得する権利がある。』
となっています

これは日本では大昔の公地公民を思わせますが、それはもう千年も前に日本ではなくなってしまい、全ての土地は誰かの所有物になっているので、この規定は削除されたのかも知れません。アメリカではちょっと郊外に行けば広大な誰の物でもない土地が広がっている、という開拓時代のアメリカの考え方が原案に反映されているのかも知れません。

原案29条には
 『財産の所有には義務が伴う。所有する財産は公共の利益のために使わなければならない。』
と最初に書いてありますが、これも憲法には入っていません。

原案37条には憲法にはない
 『何人も正当な裁判所以外の所で有罪を宣告されることはない。』
という文があります。これも住民裁判や人民裁判など、昔のアメリカの西部劇ドラマや黒人差別撤廃の公民権運動などを思い出すと、アメリカというのはこういう国なのかなと思います。

『第四章 国会』の規定では、原案が一院制だったのが憲法は大日本帝国憲法と同様、二院制を採用しているため、その違いによる規定の変更がいろいろあります。

『第五章 内閣』の規定では原案では55条の後半に
『国会は国務大臣のうちの何人かを任命する。』とあり、
56条の最初には
『総理大臣は国会の助言と同意にもとづき国務大臣を任命する。』
とあります。これらに対応する憲法の規定は、68条の
 『内閣総理大臣は国務大臣を任命する。ただしその過半数は国会議員の中から選ばれなければならない。』
となっています。総理大臣は国会に制約されることなく自由に国務大臣を任命することができるわけです。三権のうちの立法と行政の力関係が微妙に異なっているようです。

次は『第六章 司法』です。原案ではこの章の最初の68条の頭に
『強力で独立した司法は国民の権利の防波堤であり、・・・』
という能書きが、対応する憲法76条の『すべての司法権は、最高裁判所及び法律の定める所により設置する下級裁判所に属する』という文章の前についています。

また原案69条 憲法77条の規定中、検察官について、原案では
『検察官は裁判所の役人でありその規則に従わなければならない。』
となっている所が、憲法では
『検察官は最高裁判所の定める規則に従はなければならない。』
となっており、実際現状、検察官は行政府(検察庁)の役人であり、司法府(裁判所)の役人ではありません。

司法に関して一番大事な違憲審査権について、憲法は81条で
『最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。』
となっていますが、原案(73条)はかなり違っています。
すなわち、『最高裁判所が、法律等が憲法に適合するかどうかの終審裁判所であるのは、憲法第3条の人権の部分についてだけだ』、と限定しています。そして『憲法のそれ以外の部分に関する合憲・違憲の最高裁判所の判断は、国会による再審査に付される。』となっています。

『最高裁判所の違憲判決を国会の再審査で無効にするには、国会議員の3分の2以上の賛成が必要だ』というかなり厳しい条件も付いていますが、いずれにしても最高裁判所の判決が必ずしも最終ではない、さらにその先に国会があるということになっていたとは驚きです。

このようになっていると司法が立法より下にあるかのようにも思えますが、逆に最終判断は国民の代表者が集まる国会でやって貰える、というわけですから裁判所が違憲判決を出すのはかえってやりやすくなるのかも知れません。

以上、ざっと目についた所をピックアップしてみました。
GHQの原案と最終的な日本国憲法、いろいろ違いもありますが、全体としては殆ど同じ、と言っても良さそうです。

これを押し付けだからと解釈することもできそうですし、日本人がきちんと議論したからだ、と考えることもできそうです。

むしろ大事なのは、この違いの所についてこの当時の人達がどのように考えて削除したり追加したり修正したのか、そして現時点から見てその差異の部分はどうするのが望ましいか、考えることだと思います。

とまれ、上にピックアップした差異の所、じっくりと吟味すると面白いと思います。
参考までに私の作った対比表をネットに上げておきます。

日本国憲法(GHQ原案との対比)

興味があったら自分で確かめてみて下さい。