伊藤真さんの『平和安全法制特別委員会参考人意見陳述』

9月 14th, 2015

安保法案の参議院での採決もあと少しですが、先週の9月8日、特別委員会では参考人質疑が行われました。4人の参考人のうち、4人目が伊藤真さんでした。

伊藤さんというのは、司法試験受験者では知らない人がいないほどのカリスマ講師であり、自ら伊藤塾という司法試験受験のための予備校をやっていて、もう一つはいわゆる立憲主義の憲法学者の中でも過激派の論客として名前が通っています。

もともと私が憲法の勉強を始めたのもこの伊藤さんの本を読んで、そのあまりにもトンデモなさにあきれ果ててコメントした所、友人の弁護士が『もっとちゃんとした本を読め』といって芦部さんの『憲法』を持ってきてくれたという経緯があります。

で、この参考人質疑、4人の参考人がそれぞれ20分ずつ意見陳述し、その後特別委員会の委員の参議院議員45人が参考人に対して質問して答えてもらうということになりますので、全部で4時間半にもなるのですが、そのビデオは
http://www.webtv.sangiin.go.jp/webtv/detail.php?sid=3335&type=recorded

で見ることができます。

この伊藤さんの意見陳述の部分だけであれば
https://www.youtube.com/watch?v=_Gh_peEF2bg
 
で見ることができます。

またこの意見陳述を文字にしたものが、既にこの伊藤さんのサイトに載っています。
http://www.itomakoto.com/news/news150910.html 

この意見陳述で最初にびっくりしたのは、意見陳述のごく最初の部分で、
 『憲法があってこその国家であり、権力の行使であります。』という発言をしています。

以前美濃部達吉の天皇機関説について、天皇機関説というのは、『大日本帝国憲法(明治憲法)は国民主権の憲法であり、国・国民がまずあり、その国・国民のために天皇がいて、政府があり、議会があり、司法制度がある』という解釈なのに対し、それに反対する天皇主権説というのは『主権は天皇にあり、国・国民は天皇のためにあり、また政府・議会も天皇のためにある』という解釈だと説明しました。

この『国・国民は天皇のためにあり』の天皇を憲法に代えれば「国・国民は憲法のためにあり』となり、言い換えれば『憲法あってこその国家であり』という、上の伊藤さんの発言と同じになります。

これを天皇主権説にならって『憲法主権説』と言うことにしましょう。
日本国憲法(現行の憲法)は、主権在民で国民主権の憲法ということになっているんですが、どうも立憲主義の憲法学者にとっては『国民主権ではなくて憲法主権の憲法』だということになるようです。

このように考えると、立憲主義の憲法学者の『憲法は変えてはいけない』という主張も良く分かる気がします。『主権者を変えてはいけない』ということですから。

美濃部さんの弟子筋の人たちのほとんどがいわゆる立憲主義の憲法学者になってしまい、、美濃部さんの天皇機関説を排撃した天皇主権説の人たちと同類になってしまったのですが、まあ、これについては美濃部さんの『不徳の致すところ』というところなのでしょうか。

で、私にとってはこのように『立憲主義の憲法学者の立場が憲法主権説で、昔の天皇主権説の天皇を憲法に置き換えただけのものだ』と明確になったのが一番の成果だったのですが、伊藤さんの意見陳述のこれ以外の部分についてもコメントしてみます。

伊藤さんはまず、今の国会が最高裁により違憲状態とされる選挙によって当選した議員によって成り立っているので、このような国会における立法は無効だから、まずはその違憲状態を解消してから議論する必要があると言います。違憲状態の選挙で当選した議員さんたちの前でこういうことを言う、というのはさすがの受け狙いですね。今の所最高裁判所は選挙について、『違憲状態ではあっても違憲無効ではない』としていますから、この議論は必ずしも妥当ではないですね。

次に国会がこのように正当性を欠く場合、主権者=国民の声を直接聞くことが必要だけれど、『国民がこの法制に反対であることは周知の事実となっています。』と一方的に決めつけます。その根拠は連日の国会前の抗議行動・全国の反対集会・デモ、各種の世論調査の結果だそうです。このような国民のうちのごく一部の反対をあたかも国民の多数が反対であることにして、それを周知の事実に祭り上げてしまうというのは、すごい論理展開です。さすがに優秀な弁護士さんです。

与党が60日ルールを使って法案を成立させてしまうのを防ぐため、『60日ルールを使うのは二院制の議会制民主主義の否定であり、あってはならない』と言っています。もしそうだとすると、60日ルールを定めている国会自体が議会制民主主義を否定しているということになるはずですが、これについてはどう考えているんでしょう。

次に、国会の安保法制で集団的自衛権の行使を限定的に認めることに関して、『日本が武力攻撃されていない段階で、日本から先に相手国に武力攻撃をすることを認めるものです。敵国兵士の殺傷を伴い、日本が攻撃の標的となるでありましょう。』と言っていますが、これは個別的自衛権であろうと集団的自衛権であろうと、どこかの国が攻撃してきて、それに対して自衛権を行使するというのは、自国を守るために戦争するということですから、敵国兵士の殺傷を伴うなんてことは当然のことであり、日本が攻撃の標的となるという以前に、既に標的になっているということです。

次に徴兵制について、政府が『徴兵制は憲法18条に反するから全くあり得ない』と言っていることに関して、『状況が変化したら憲法解釈の変更で徴兵制を導入してしまうんではないか』と言っています。

憲法解釈を変更したからといって徴兵制をすぐに導入することはできません。そのためにはそのための法律を作らなければならないんで、その徴兵法を作る段階で問題となる点を修正するなり徴兵法自体を成立させなければ、問題のないことです。

この後で自衛権の話になり、『憲法は初めから政府に戦争をする権限などを与えていません。』と明解です。それでは個別的自衛権もないのか、となったところで、『憲法の外にある「国家固有の自衛権」という概念によって、自国が武力攻撃を受けた時に限り個別的自衛権だけを認めることにしてきました。』という、いかにも曖昧な言葉が出てきます。憲法は自衛権を否定しているけれど、憲法の外にある『国家固有の自衛権』というものが憲法より優先され、それで自衛権の行使は憲法違反であるにもかかわらず認められ、しかも個別的自衛権だけを認めることにしてきた、ということです。この『してきた』というのは、一体だれがしてきたんでしょうか。憲法の外にある『国家固有の自衛権』というのは、一体どこに規定されているんでしょうか。それがどのような根拠で憲法に優先する権限を持っているんでしょうか。そしてその自衛権のうち、誰が、どうして個別的自衛権だけを認めることにしたんでしょうか。どうして集団的自衛権は認めてはいけないんでしょうか。何ともはや、支離滅裂な議論です。

これに対し、与党や例の砂川判決の立場ははるかに明解です。すなわち『憲法は自衛権の行使を否定していない』というもので、訳の分からない、憲法に優先する憲法外の自衛権などというものは登場しません。

この砂川判決についても『自衛権について争われた裁判ではないので、その判決の中の自衛権についてのコメントは意味がない』などと言っています。まぁこのように言うしかないんでしょうが。争点ではないとしても、最高裁の裁判官が全員揃って判決し、その判決文の中で自衛権について検討しているという事実をこのように無視してしまうというのは、さすがに憲法主権の原理主義者の発言です。都合の悪いことはバッサリ切り捨ててなかったことにしてしまうんですから。

いずれにしても『憲法上の自衛権』についていろいろ屁理屈を並べているんですが、いよいよとなったら『憲法の外にある自衛権』を持ち出すんだったら、そんな屁理屈は何の意味もないことになります。しかもその『憲法の外にある自衛権』について、誰かが個別的自衛権だけを認めることに『してきた』ということであれば、その誰かが集団的自衛権も認めることに『する』ことにすれば、全ての議論はなくなってしまうのかも知れません。これが『憲法の外にある・・・』なんてものを勝手に持ち出した結果です。

かなり長くなってしまったので、このへんにしておきます。

山口・元最高裁長官のコメント

9月 8th, 2015

この山口・元最高裁長官が安保法制に反対している、という記事は、最初共同通信系の『47ニュース』というサイトでみつけました。
http://www.47news.jp/47topics/e/268766.php

その後毎日新聞でも同様な記事を見つけたのですが(この記事は有料のサイトに移行してしまったようです)、記事の中で記者が元最高裁判長官がこう言ったという発言の片言隻句を取り上げているものでしたので、あまり記事としての価値のないものとしてそのままにしておきました。

その後毎日新聞で「一問一答」という形で、この元最高裁長官の発言が出てきました(この記事も今はもう有料のサイトに移行してしまったようです)。

また日曜日(9月6日)の朝のNHKの政党討論会でも共産党からの参加者がこの発言を取り上げて安保法案を批判していましたので、ちょっとコメントするのも意味があるかも知れません。

ただし、この元最高裁長官の発言、最初に目にしたのは共同通信の記事で、毎日新聞の記事も共同通信からの記事だと書いてありますが、この一問一答については共同通信が作ったものなのか毎日新聞が作ったものなのかも不明ですし、元最高裁長官がこの一問一答を確認しているのかどうかも不明ですからイマイチ信頼性に欠ける材料なのですが、仮にこの一問一答が本当に元最高裁長官が言ったことであり、その内容が元最高裁長官の意見をそのまま反映したものだと仮定して、この一問一答がどんなものなのか、この元最高裁長官がいかに論理的思考ができないか、ということを一つ一つコメントしてみたいと思います。


Q 安全保障関連法案をどう考えるか。

A 集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない。政府は許されないとの解釈で一貫してきた。従来の解釈が国民に支持され、9条の意味内容に含まれると意識されてきた。その事実は非常に重い。それを変えるなら、憲法を改正するのが正攻法だ。


この部分、要するに『憲法解釈を変えるのであれば憲法を改正しろ』と言っているわけです。これには唖然としてしまいます。憲法解釈の変更というのは、憲法の文字は変えないけれどその解釈を変えるということです。これをどのように憲法改正にするのでしょうか。憲法の文言は変更前後で同じ憲法改正案を出して国民投票するということでしょうか。

さらに最高裁判所をはじめとして、各地の裁判所が日常的に憲法解釈の変更を含む判決を出しているという事実をどのように考えているんでしょうか。裁判所が憲法解釈の変更を含む判決をするたびに憲法改正の国民投票をしろ、とでも言うんでしょうか。

あるいは裁判所の憲法解釈の変更はそのままで良くて、立法府や行政府の憲法解釈の変更は憲法改正の手続きをしろと言うんでしょうか。何ともあきれはてた発言です。


Q 政府は憲法解釈変更には論理的整合性があるとしている。

A 1972年の政府見解で行使できるのは個別的自衛権に限られると言っている。自衛の措置は必要最小限度の範囲に限られる、という72年見解の論理的枠組みを維持しながら、集団的自衛権の行使も許されるとするのは、相矛盾する解釈の両立を認めるものでナンセンスだ。72年見解が誤りだったと位置付けなければ、論理的整合性は取れない。


これは要するに、昔の見解と新しい見解が違うということは、昔の見解が誤りだったといういうことだから、その誤りを認めなければ論理的整合性が取れない、ということのようです。憲法はともかく、法律は日常的に改正が行われていますが、法律が改正されてるということは改正前の法律は誤っていたとでも言いたいのでしょうか。今ある法律も将来改正されるとしたら、今の法律は誤っていると言うんでしょうか。


Q 立憲主義や法治主義の観点から疑問を呈する声もある。

A 今回のように、これまで駄目だと言っていたものを解釈で変更してしまえば、なし崩しになっていく。立憲主義や法治主義の建前が揺らぎ、憲法や法律によって権力行使を抑制したり、恣意(しい)的な政治から国民を保護したりすることができなくなってしまう。


立憲主義という言葉をいわゆる立憲主義の憲法学者のように『憲法は変えてはいけない』という意味で使っているのか、それとも本来的なごく真っ当な『憲法を基にして立法・行政・司法が行われなければならない』という意味で使っているのかわかりませんが、憲法に従って法律を制定し、その法律で政治を行うのであれば、立憲主義や法治主義にたがうことにはなりません。憲法に規定のない(従来からの(過去のある時期から以降の))憲法解釈を一方的に押し付けて憲法や法律を制約し、変更の余地を認めないで立法や行政を制約しようとすることこそ、立憲主義や法治主義に反することになると思います。


Q 砂川事件最高裁判決は法案が合憲だとする根拠になるのか。

A 旧日米安全保障条約を扱った事件だが、そもそも米国は旧条約で日本による集団的自衛権の行使を考えていなかった。集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない。憲法で集団的自衛権、個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった。


この砂川判決に関するコメントは驚きましたね。
『そもそも米国は旧条約で日本による集団的自衛権の行使を考えていなかった。』というのは、『米国は日本による集団的自衛権の行使を考えていなかったから日本には集団的自衛権がないのであって、もし米国が日本による集団的自衛権の行使を考えていたなら日本には集団的自衛権があった』ということでしょうか。日本の憲法解釈は米国の考え方次第と言いたいのでしょうか。
『集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない。』というのは、本当に判決を読んだ上での判断でしょうか。
確かに判決の本文には単に『自衛権』と書いてあり、個別的自衛権とも集団的自衛権とも書いていません。しかしこの裁判はある意味日米安保条約に関する裁判であり、裁判官が日米安保条約について意識しないで判決したとは考えられません。日米安保条約(旧条約)では条文の中では『個別的自衛権』『集団的自衛権』という言葉は使われていませんが、その前文の部分で国連憲章を引いて、明確に『個別的および集団的自衛の権利』と言っています。これを意識しないで判決を下すというのは、あまりにもその当時の最高裁の裁判官達をバカにした話ではないでしょうか。

『憲法で集団的自衛権・個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった。』というコメントがあります。確かにこの裁判のためにはそのような判断は必ずしも必要ではなかったのですが、にも拘わらず判決文では『わが国が立憲国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備・無抵抗を定めたものでは無いのである。』と明確に書いてあります。判断する必要のなかったことをわざわざ判断して判決文に書き込んだ、ということです。この山口さんという人は本当にこの判決を読んだ上でコメントしているんだろうか、と疑問に思います。


Q 国会での論戦をどう見るか。

A なぜ安保条約の改定の話が議論されてないのか疑問だ。今の条約では米国のみが集団的自衛権を行使する義務がある。(法案を成立させるなら)米国が攻撃を受けた場合にも、共同の軍事行動に出るという趣旨の規定を設けないといけない。ただ条約改定となると、基地や日米地位協定なども絡み、大問題になるだろう。


日本の安保法制の話がいつのまにか安保条約の改定の話になってしまっています。今国会で議論している安保法制は、集団的自衛権を無制限で認めるというものではなく、ごく限定された範囲で認めるということですし、それをアメリカに対して日本に義務づけるという話でもありません。こんなコメントを見ると、この山口さんは安保法制も理解しないでコメントをしているのではないか、と思わざるを得ません。



以上、この一問一答、いずれをとっても何とも問題にならないようなレベルのコメントなのですが、安保法制に反対している野党の方は、最高裁の元長官の意見だからと言って鬼の首を取ったかのようにはしゃいでいます。これも安保法案に反対する人達が憲法を理解していないことを示しています。

憲法では法律が憲法に違反しているかどうかの最終的な判断を、最高裁判所に委ねています。最高裁判所の長官に委ねているわけではありません。仮に今回の一問一答が最高裁判所の元長官ではなく、現役の長官の発言だとしてもそれは何の意味もありません。最高裁の長官が勝手に最高裁の判決を定めたりひっくり返したりすることは認められていません。

もし長官がそうしたいのであれば、改めて最高裁で裁判をして判決を出す必要があります。

憲法では裁判官は相手が最高裁判所の長官であろうと誰であろうと、他人の意見に従う必要はない、と明確に規定しています。『すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される。』(憲法76条3項)という規定です。最高裁の長官とはいえ、勝手に最高裁の判決を決めるわけにはいかない、ということです。

まして今回のコメントは現役の長官ではなく『元』長官です。単なる元法律家の一人というくらいの意味しかありません。このあたり憲法に従うことが義務付けられている野党の議員さん達はわかっているんでしょうか。もちろん共産党の議員さん達は分かった上で知らん顔して騒いでいるんだろうと思います。

どうも法律家が相手だと私のコメントもちょっと辛辣になりがちです。今回もそうなってしまったので、仮にこの記事の一問一答が山口元最高裁長官の意図したものとは違っていたとしたら申し訳ないことになってしまいます。しかしいずれにしても第一義的な責任は共同通信なり毎日新聞ということになると思います。
ネットで調べたら同様の一問一答が朝日新聞にもあるようです。もしかするとすべてのネタ元は朝日新聞、ということなのかもしれません。

『イスラーム基礎講座』 渥美堅持 著

9月 4th, 2015

この本は例によって図書館の『新しく入った本』コーナーにあった本ですが、お勧めします。

今まで何冊かイスラム教やイスラム教徒とアラブの人達の本を読みましたが、この本が一番わかると思います。

特にアラブのイスラム教徒と日本の我々とでは、環境が異なり考え方が異なるので良く分からない所が多いのですが、それを著者が日本人であるだけ、日本人にとってどこがわからないのか、アラブ人・イスラム教徒はどのように考えるのかを日本人が分かるようにきちんと説明してくれています。

全体を5つに分け、最初の部分でその日本人に分かりにくい所を丁寧に説明してくれています。次はイスラム教ができてからいよいよイスラム教が世界に乗り出す所までを書いています。3つ目の部分で、その後世界的に広がったイスラム世界を説明し、4つ目の部分ではイスラム教全体について具体的に生活レベルにまでわたって説明しています。

最後に『今日の中東世界とイスラム教』として、アルカイダのウサマ・ビン・ラデンからいわゆるイスラム国まで、現在問題となっている様々なイスラムの世界の問題がどのような経緯で発生し、発展しているか、説明しています。

イスラム教の世界は、『イスラム教徒は全員、神の奴隷として神の下の平等が保たれ』ていて、その神の奴隷だということは『個々人の各瞬間の一挙手一投足までが全てその時々の神の意志によるんだ』という考え方で、個人の意思などというものは基本的にない世界のようです。

たとえばイスラム教徒にとってはラマダンの断食(日の出から日の入りまで一切の飲み食いが禁止で、唾をのみ込むことも禁止。だけれどその分日の入りから日の出までの時間はいくらでも飲み食いしても良いので、この1ヵ月にわたる断食で痩せちゃう人も多いけれど、却って太ってしまう人もいるようです。)は大事なおつとめなんですが、この断食の途中でイスラム教徒のAさんとBさんが会って話をしたとします。

Aさんが『断食はうまくいっているかい』とBさんに質問し、Bさんが『うまく行っている』と答えると、二人で『アラーの神のお蔭だね』と喜び合います。Bさんが『うまく行ってなくて断食ができないでいる』と答えると、AさんはBさんを慰めて『来年の断食はアラーの神がうまくできるようにしてくれるだろうからガッカリするな』と言います。

万が一AさんがBさんを責めて『断食は大事なおつとめなんだからちゃんとやらなきゃダメじゃないか』などと言おうものなら、すかさずBさんはAさんに対して『お前はアラーの神か』といって、BさんのほうがAさんを非難する、ということのようです。断食がちゃんとできるかどうかもアラーの神のおぼしめし次第なんだから、それができないのもアラーの神の意志で、それを非難するなんてとんでもない、ということのようです。

このような話はいちいち説明を聞けば、そんなものかと何となく納得することができますが、何の説明もなければ、何とも理解不能な世界ということになります。

日本では普通一人一人の行動はその人自身が決めることで、神様に何かをお願いしたりすることはあっても、基本はその本人の問題です。キリスト教などでは信者はどのように行動すべきかということは教えられますが、その通りに行動するかどうかはその本人の問題で、その行動については最後の審判の時に全部まとめて評価されるということになります。

イスラム教では信者はどのように行動すべきかということはもちろん教えられますが、その通りに行動するかどうかもその時の神様の意向次第であり、神様の奴隷である人間には行動の自由なんかなく、また責任もない、ということになるようです。

イスラム教にも最後の審判はありますが、その時『あの時の断食ができなかったのはアラーの神のせいだから許してもらいたい』などと言っても意味はない。人は全て神の奴隷として神の前で平等で、神が天国に行けと言ったら天国に行くし、地獄に落ちろと言ったら地獄に落ちるだけ、ということのようです。例外はジハードと言って、イスラム教世界を守るために戦って戦死した場合だけ、無条件に天国に行ける、ということのようです。

この本にはイスラム教の礼拝の時に礼拝の前に身を清める手順、礼拝の時の具体的な手順も具体的に図で丁寧に説明しています。これも面白いものです。

イスラム教は『神と人が直接結びついていて中間に立つ人はいない』ということで、信仰にしても礼拝にしても神と本人だけの問題で、他人が口を挟むことではないということです。礼拝所も単に『安心して礼拝できる場所』というだけで別に神聖な場所ということではないので、誰かが礼拝しているすぐ脇で誰かが本を読んでいても居眠りしていても、誰も問題にしないということです。

お金を持っていないのは何も悪いことではなく、イスラム教徒には喜捨(お金をあげる)という義務があるので、お金のない人がお金を持っていそうな人に向かって『自分に幾分かのお金を喜捨しろ』と要求することはごくあたり前の話のようです。実際、この本の著者自身、そうやって喜捨を請求してお金をもらったことがあるとのことです。

で、このイスラム教は部族対立でバラバラになっていたアラブ人をイスラム教徒という形でまとめることに成功したのですが、だからと言って部族意識が消えてしまったわけではありません。そこに第一次大戦でオスマン・トルコ帝国が敗け、イギリス・フランスが中東の地域の領土をバラバラにして植民地とし『国』という枠組を作ってしまいました。それから約100年、その結果アラブのイスラム教徒達は『部族』というアイデンティティ、『イスラム教徒』というアイデンティティ、『○○国民』というアイデンティティという3つの異なる自己規定を抱えて四苦八苦するようになってしまった、ということのようです。

○○国民というナショナリズムも定着しつつあるものの、それよりイスラム教徒というアイデンティティの方がまだまだ強い、ともすると部族意識もしっかり生き残っている、ということで、まとまったりバラバラになったりを繰り返しているのが現状だということです。

アラブの世界は本当に大変な時代には、新しい預言者が現れ新しい戒律を明らかにするということを繰り返してきた世界なのですが、イスラム教ではモハメット(マホメット)が最後の預言者だということになっているので、世界がどんなに大変になってももはや新しい預言者は登場しない。となるとできることは今直面している問題がなかったモハメットの時代に逆戻りするしかない、ということになるようです。これが『イスラーム運動』だということです。

で、このイスラーム運動について、サウジアラビアのワッハーブ派の話から始まって、アルカイダのビン・ラデンの話からいわゆるイスラム国の話まで、それぞれがどのように成立し発展してきたか説明されています。

イスラム教では『教徒は神の奴隷として平等だ』というのは一つのキーワードなのですが、そのため信徒と神との間に立つ、たとえばキリスト教であれば神父とか牧師とかいう存在がありません。高名なイスラム神学者が何だかんだ言ったとしても、そのイスラム神学者も神の前ではごく普通のイスラム教徒と同じ神の奴隷でしかなく、その神学者の言い分を聞くかどうかは個々のイスラム教徒の勝手、ということのようです。

さはさりながら、昔は『カリフ』という『預言者の代理人』とよばれる人がいて、イスラム教の法解釈のどれが正しくてどれが間違っているのか、多数のイスラム法学者の意見を聞いて最終的に取りまとめる、という役割を果たしていました。このカリフも第一次大戦のオスマントルコの滅亡と共にいなくなってしまい、今では誰もいない状況です。誰の言っていることが正しいのか判定してくれる人がいなくなってしまったので、とんでもない人の言うことでもはっきり『間違っている』と断言することができません。

このような混乱した状況で、いわゆるイスラム国が『新しいカリフがここにいる』『正しいイスラム教徒はこのカリフの下に集まれ』と一方的に宣言してしまったので、イスラム世界はびっくりしてしまったようです。

どこの馬の骨が分からないのがいきなり『我こそはカリフなり』と名乗ったとしても、そんな話には乗らない、という人もいるでしょうし、とはいえカリフを名乗るということはそれなりの何かがあるのかも知れないと思う人もいるようです。

やはり普通の人にとって常に神と一対一で向き合っていなければならないというのは辛いことで、誰かが間に入ってくれて、自分はその間に入ってくれた人の言うことだけ聞いていれば安心だ、その方が遥かに楽チンで暮らしやすい、ということでしょうか。

そんなこんなでこの本をお勧めします。

この本、もともと1999年に『イスラーム教を知る事典』というタイトルで出版されたものを、直近の状況も踏まえて大幅に加筆・訂正して2015年7月に出版された、ごく新しい本です。

安倍首相の70年談話

8月 21st, 2015

この70年談話、本ではありませんが、文章として読むことができるので、『本を読む楽しみ』のカテゴリーの中に入れることにしました。

先週、安倍総理大臣の戦後70年の談話が発表されました。閣議のあと記者会見で、この談話を安倍さんが発表するところはNHKで全て中継され、それを見ていました。

格調の高い声明で、感銘を受けました。その後マスコミ各社の紙面・ホームページにその談話全文が発表され、また記者会見での発表をネットでビデオで見ることができるようになったので、念のために文章になったものと実際の発言とを比較してみました。

文章の方は、
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2015/150814danwa.pdf
で、
ビデオは
https://www.youtube.com/watch?v=adpQU1H3xEA
で、また文章の英語版は
http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201508/0814statement.html
で見ることができます。

記者会見での発表は約25分とかなり長いものでしたが、ごく少しの読み間違いを除くと、安倍さんは忠実に文章を読んでいました。しかし文章と発表とが大きく異なる部分が2つありました。

一つは冒頭、文章の方では最初の文、pdf版だと最初の2行にあたる所ですが、声明では約3分にわたり発言があります。

その中で『政治は歴史に謙虚でなければならない』『政治的、外交的意図によって歴史がゆがめられるようなことはあってはならない』『21世紀懇談会で議論してもらい、一定の認識が共有できた』『これを歴史の声と受け止める』と語っています。

もう一つ声明と文章の大きく異なる所は、最後の所で、文章の全部が終わった後、さらに追加で約2分程再び歴史について言及し、『聞き漏らした声があるのではないかと常に歴史を見つめ続ける』態度が必要だとしています。

ここまで言えば、いわゆる歴史認識の問題で中国や韓国が何か言ってきても、これは『政治的・外交的意図によって歴史をゆがめようとする』要求ですから、もはや何の効果もないということがはっきりします。この声明で、そのような動きがなくなってくれると良いのですが。

50年の村山談話、60年の小泉談話が第二次世界大戦とそれに至る経過から始まっているのに対し、この70年安倍談話はもう少し前から始まっています。

すなわち西洋諸国が世界中を植民地にしようと競い合っていた時代から始まり、それに対抗して日本が明治維新で国の近代化をはかり、日露戦争で勝ったことにより、アジアの国も必ずしも西洋諸国の植民地になるわけではないことを実証し、アジア・アフリカの国々を勇気づけたという所から始まります。

第一次大戦の反省を受け、国際社会は戦争を違法化する不戦条約(これは正式には『戦争放棄に関する条約』といい、昭和4年に日本を含む当時の主要国により締結された条約です)を生み出したことを示し、憲法9条の平和主義が必ずしも日本独自のものではないことを明らかにしています。その後世界恐慌とそれに続く、欧米諸国による植民地を含めた経済のブロック化により、日本は第二次大戦に追い込まれたことを明らかにしています。と同時に日本の政治システムが軍国化を止めることのできなかった問題点も明らかにしています。

そして第二次大戦が始まるのですが、その結果として
『そして70年前。日本は、敗戦しました。』
とはっきり言っています。

日本で日本人に対して『日本は負けた』と言うのはかなりハードルが高いようで、普通は『敗戦』の代わりに『終戦』と言い換えたりします。

小泉さんの60年談話は『終戦』という言い方で一貫していますし、村山さんの50年談話でも『敗戦後』とか『敗戦の日』という言い方が『終戦』という言い方と混用されていて、正面切って『敗けた』と言うことを避けているようです。この意味で安倍さんの談話は画期的なものかも知れません。

その次に安倍さんは第二次大戦での我が国の300万人の犠牲者の話に移り、広島・長崎の原爆、東京その他の大空襲、沖縄戦などを具体的に列挙し、軍人以外の市民が多数犠牲となったことを指摘します。もちろん日本側だけでなく、戦った相手の国の若者の犠牲、戦場となってしまった国の市民の犠牲についても触れ、さらに『戦争の陰にいた深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち』についても言及しています。これはいわゆる従軍慰安婦だけの問題ではなく、戦争によって勝った方にも負けた方にも、戦中だけでなく戦後においても傷つけられた女性たちが大勢いた、という事実の指摘です。

このような多数の犠牲者の存在を挙げた後、『歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。』という言葉が出てきています。この『取り返しのつかない』という部分、英文では『What is done cannot be undone』となっていて、これを日本語に直すと『起こってしまった事は起こらなかったように戻すことはできない』ということです。すなわち『取り返しができない』という言葉がその元々の意味で使われています。

このような犠牲が伴ってしまうので戦争をしてはいけない、『事変・侵略・戦争。いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解消する手段としてはもう二度と用いてはならない。すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。』と主張しています。

そして今日、日本が国際社会に復帰し、未来をつないでいけるのは戦争で戦った国、戦争に巻き込まれて被害を受けた国々やその人々の寛容の心、善意と支援の手のお蔭だと感謝し、この歴史の教訓を未来へ語り継ぎ、アジアそして世界の平和と繁栄に力を尽くすその責任を表明しています。

しかしこの戦争について、いつまでも謝罪を続けることはできないし、すべきではありません。謝罪はもうやめる。だからといって、何が起こったのか、何をしてしまったのかを忘れてしまっていいわけではない。この戦争をしてしまった過去の歴史に対しては真正面から向き合い、未来へと引き継いでいく責任がある、ということを明らかにしています。

最後にこの談話の結論になるのですが、
『いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも守り、世界の国々にも働きかけてまいります。』
『唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶をめざし、国際社会でその責任を果たしてまいります。』
『21世紀こそ、女性の人格が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。』
『いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。』
『暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。』

と述べ、要するに、今までの『国際社会の一員として皆と協力して仲良くやります』という姿勢を改め、『世界のリーダー国の一つとしてその責任を自覚し、責任を果たしていく』覚悟を表明しています。

日本は戦前、世界のリーダー国の一員でした。リーダー国の一画として世界の平和と繁栄のために努力しました。しかしそのために結局は他のリーダー国と世界を二分する大戦争をすることになってしまいました。
日本はその戦争に負け、リーダーの地位を失いました。その後、戦後の復興、高度成長を経て、日本はすでにリーダー国の一員となる実力を備えるようになっているんですが、敗戦の経験から、今までリーダー国の役割を担うことを躊躇してきました。しかし、力のある国がそれを自覚せず、それにふさわしい行動をしないことは周りの国にとってははた迷惑な話であり、また政治的・軍事的な不安定要素ともなります。

今回の70年談話でようやく日本も自国の置かれた立場を認識し、リーダー国の一員であるだけの国力を備えた責任を自覚し、それにふさわしい行動をする覚悟を明らかにした、ということは、まさに画期的なことです。

ここまでの覚悟をするのであれば、もはやお詫びとか謝罪とかのレベルの話ではありません。

このような覚悟の表明の総まとめとして、安倍さんは『積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。』と高らかに宣言しています。

この積極的平和主義、というのは、日本国憲法の前文にある
『われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。』
という部分を踏まえた言葉で、日本国憲法のもっとも重要なポイントの一つです。残念ながらいわゆる護憲派の人たちは憲法のこの部分が目に入らないようです。

もちろん宣言したからと言ってすぐに世界が変わるわけではなく、世界中いたる所でいまだに戦争が続行中です。また安倍さんがいずれ総理大臣をやめた後、次の人がこの宣言を引き継いでいくかどうかも分かりません。安倍さん自身にした所で、今後国際的、国内的な情勢の変化で自分の言葉通りに行動できるかどうか、分かりません。

しかし一旦このような宣言をしてしまったことにより、今後の政府はいずれにしてもこの言葉に縛られることになるでしょうし、国際社会もこの言葉によって日本の行動を評価していくことになるでしょう。

そのような意味で、戦後70年、画期的な総理大臣談話だと思います。

21世紀懇談会の報告書

8月 7th, 2015

『20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会』が、8月6日に報告書を出しました(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/21c_koso/pdf/report.pdf)。

本文だけでA4で38ページのものですが、非常に良くできています。

日本をとりまく近・現代史について、自分の認識を確認するために非常に参考になる報告書です。

全体が6つの部分に分かれています。
最初が『20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私達が20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。』というタイトルで、全体の歴史の概観です。ヨーロッパ、後にアメリカも含む全体的な帝国主義的な侵略から始まっていて、アヘン戦争もアメリカがスペインから植民地としてフィリピンを奪ったこともちゃんと書いています。

日本が中心になっているため、ヨーロッパによるアフリカ・中東の植民地化、アメリカによる中南米の植民地化については書いていませんが、それはこの報告書の目的には必要ないということでしょうか。

2番目が『日本は、戦後70年間、20世紀の教訓を踏まえて、どのような道を歩んできたのか。特に、戦後日本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか。』というタイトルで、戦後70年の日本の歩みを総括しています。戦後の復興から次第に経済大国になり、国際貢献を求められるようになって、それにどう応えてきたか、のまとめです。

3は『日本は、戦後70年、米国、豪州、欧州の国々とどのような和解の道を歩んできたか。』というタイトルで、第二次大戦で日本が戦ったアメリカ・オーストラリア・ヨーロッパの国々(イギリス・フランス・オランダ)に対して、日本がどのように和解のプロセスを進めたかということを、アメリカと、オーストラリア・ヨーロッパの2つに分けてまとめています。

4は『日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか。』で、中国、韓国、東南アジアの3つに分けてまとめています。特に中国、韓国については、和解がなかなかうまく進まない状況をうまくまとめています。

5は『20世紀の教訓をふまえて21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか。日本はどのような貢献をするべきか。』というタイトルで、今後の日本が世界に対してどのように貢献すべきか、考え方をまとめています。

最後の6『戦後70周年に当たって我が国が取るべき具体的施策はどのようなものか。』では、以上を踏まえて具体的なアクションプラン16項目を4つの区分に分けてまとめています。

非常にバランスのとれた、素晴らしい報告書だと思います。

ちょっと不思議なのは、ソ連あるいはロシアに関する言及が殆どなかったことです。これは戦後70年間、日本はソ連あるいはロシアとは直接の交渉があまりなかったからなのかも知れませんが、ちょっと残念です。

特に第二次大戦で、開戦前日本(特に陸軍)が一番気にしていたのがソ連であり、終戦直前から戦後の何年にもわたって苦しめられたのがソ連なのを考えるとちょっと不思議ですが、この報告書が将来に向けてのビジョンを主体としていることを考えると、こうなるのかも知れません。

この報告書は安倍さんの『戦後70年談話』の参考資料として使われることになるわけですが、基本的なスタンスは第二次大戦のことというより、むしろ『戦後70年の歩み』に重点が置かれているので、戦争あるいは敗戦に対する謝罪を求める人には不満なものになるでしょう。

また世界全体に対する視野で書かれているため、中国や特に韓国などは、自分達に関する言及が不十分だ、ウェイトが小さ過ぎると不満だろうな、と感じます。

これだけの様々な分野にわたる十数人が集まって作られた報告書です。このテーマに関心がある人にとっては、読まないと損な報告書だと思います。

お勧めします。

2.26事件と天皇機関説

8月 5th, 2015

2.26事件と天皇機関説の関係、だいたい分かったのでまとめておきます。

元となった本はかなりたくさんになるので紹介するのは省略します。

天皇機関説は、明治の終りから大正の初めにかけて問題になった時、それは憲法学者同士の、憲法の解釈に関する議論でした。で、負けた方が『負けました』と宣言するなどという話ではありませんから、はっきりどっちが勝った、という訳にはいきませんが、その後の経緯からすると『天皇機関説の完勝』ということで、昭和の頃には殆ど誰でもが天皇機関説は当然の標準的な憲法解釈になっていたようです。

そのような状況で、昭和10年の少し前になって、この天皇機関説が再度問題になりました。今度は憲法学説の議論ではなく政治的な動きの小道具として天皇機関説が使われたということになりました。そのため表面的には憲法の議論のように見えますが、実質的には憲法の解釈とは無関係の『政争の具としての議論だ』ということを押さえておく必要があります。

昭和10年当時、国会では(いつものことですが)政党は内閣を倒し、あわよくば自分達が内閣を作る立場に立ちたいと思っていました。枢密院では副議長の平沼騏一郎が議長の一木喜徳郎を追い落として、自分が議長になろうとしていました。陸軍では、いわゆる皇道派が統制派を排除しようとしていました。また皇道派も統制派もどちらも、軍の行動の自由のために元老・重臣・政府・議会を自分達の言いなりにしたいと思っていました。

このような状況下、攻める方からすると、相手のほとんどは天皇機関説の支持者あるいは少なくとも天皇機関説を容認する立場でした。そこで天皇機関説の問題を口実に美濃部達吉を攻めたて、天皇機関説の違法性・違憲性を政府および国民全般に認めさせ、これをベースに今度はその天皇機関説の支持者あるいはシンパである政府・一木枢密院議長・陸軍の統制派、その他元老・重臣・財界その他を排除しようとした、というわけです。

特に陸軍では在郷軍人会を利用して騒ぎを大きくし、その騒ぎが抑えきれない、世論を抑えきれないということで、次第に政府および美濃部達吉を追い詰めて行ったわけです。

結局、美濃部達吉は著書を発禁処分にされ、貴族院議員を辞職させられ、大学の講義もやめさせられ、政府は二度にわたり国体明徴の声明をさせられることになったわけです。この『国体の明徴』というのは、国体について云々しているものではなく、『天皇機関説は日本の国体にはそぐわないもので違法・違憲なものだ』という宣言です。

このような宣言を裁判所がするのでもなく議会がするのでもなく、政府がするというのもある意味おかしなものですが、とにかく攻撃側はそこまで政府を追い詰めて完全な勝利を得たことになります。あとはこの声明をバックに、天皇機関説支持者あるいは容認派である自分達の攻撃相手をじわりじわり攻め立てていけば、いずれ辞めざるを得なくなる、というシナリオです。

昭和11年に入ると永田鉄山を殺した相沢中佐の軍法会議も始まり、この軍法会議は憲法に従って公開で行われたため、何のことはない、天皇主義者たちの格好の宣伝の場となってしまったようです。そこでのスローガンは、国体の真姿顕現とか昭和維新とか、2.26の時の青年将校の行っているのと同じです。

この動きを裏で煽っていた真崎大将は、昭和10年に教育総監をやめさせられ負けたように見えたものの、この天皇機関説問題で陸軍その他を動かし、黙って待っていればいずれは政府がニッチもサッチも行かなくなって天皇の組閣の大命が自分の所に来るに決まっている、と待っていたようです。

そこで2.26事件が起こってしまいました。事件を起こした青年将校達にしてみれば、自分達の側の勝利は間違いない。しかしこのままいけば、それが現実にはっきりして陸軍主体政権ができ昭和維新が行われ、国民が大喜びしている時自分達はその中にはいられず、遠く満州から指をくわえてそれを眺めているしかないということで、多分寂しかったんでしょうね。

ほんのちょっとフライングだけれど、自分達の手で天皇機関説の元老・重臣たちを殺害し、昭和維新が始まる所に立ち会い、国民的な歓呼の声に参加した後で満州に行きたい、と思ってしまったようです。事件の経過を見る限り、自分達の行動が失敗する可能性はほとんどない、と思っていたようです。

結局青年将校達のクーデターは、最後まで天皇機関説を守り続けた天皇によって失敗となりましたが、その結果は実質的にクーデターに成功したのと同じことになりました。陸軍では青年将校達の支持した皇軍派は完全に排除され相手側の統制派の天下となりましたが、皇軍派の代わりに統制派が軍主導政権を作ることになり、最終的に軍独裁政権ができる所まで行きました。

軍は天皇主権説と天皇機関説の両方を手に入れ、国民や政府に対しては天皇主権説で天皇に対する一切の反対を封じ、天皇に対しては天皇機関説で自分達に対する反対を封じることになりました。2.26事件の殺戮は、元老・重臣・政界・財界を震え上がらせ、軍に反抗する勢力はなくなってしまいました。国民のほとんど全てが天皇主権説になってしまった中、最後までガンとして天皇機関説を持ち続けたのが天皇ですが、天皇の自己規定は『現人神としての天皇』というよりも、『明治天皇の指示としての帝国憲法に従うのが天皇の役割』と考えていたようです。

で、軍が天皇主権説と天皇機関説の両方を手に入れてしまったので、もはやだれも軍の暴走を止めることができなくなりました。この状況を合法的に変えることができるのは、軍が自らこの二つのオールマイティーのカードを放り投げる時しかない、ということになりました。そこで昭和20年8月、軍人内閣の総理大臣の鈴木貫太郎と天皇との協力で、御前会議でそのような『軍(を代表する総理大臣)がオールマイティーのカードを投げ捨てる』というパフォーマンスを演じ、天皇直裁でポツダム宣言受諾に辿り着いたということです。

軍主導で天皇機関説が排撃され、国体明徴の声明で政府も天皇機関説を否定し、ほぼ全ての国民がそれに従っても、最後まで『天皇機関説の天皇』であり続けた天皇は立派といえば立派ですが、ちょっと柔軟性に欠けるのかも知れませんね。とは言え『機関』としての天皇は、それ位がちょうど良いのかも知れません。

2.26事件の青年将校が望んでいた天皇親政は、結局陸軍統制派による軍事独裁政権になったわけですが、それを見ることなく処刑された青年将校達は、自分達が望んでいたことが実現不可能な夢物語だったと知ることなく、自分達を罪人にした人達、自分達を裏切った人達を恨んで死んでいったというのは、かえって幸福なことだったのかも知れません。

その分、生き残ってしまった青年将校達は辛かったでしょうね。

国体と『憲法』

7月 31st, 2015

2.26事件や天皇機関説事件に関する本を読みながら、今の『安保法案』を巡る議論を見ていると、何とも良く似ているな、という感を禁じ得ません。

昭和10年の天皇機関説事件の際、憲法(その当時ですからもちろん『大日本帝国憲法』(以下、『帝国憲法』と略します)ですが)そのものの解釈について議論すると、大学者である天皇機関説の美濃部さんに太刀打ちできる人はいません。そこで天皇主義者(天皇を至高の存在として考え、天皇主権説を主張し、天皇機関説を排撃する人達を仮にこう言うことにします)達は、憲法の議論に『国体』を持込みました。

現在の『日本国憲法』に『憲法に反する法律の規定は無効とする』旨の規定があるのですが、これと同様に、『国体に反する憲法の規定は無効とする』と主張して、天皇機関説を否定しようというわけです。

天皇機関説に反対する人達は国会議員であったり軍人であったりするわけですが、その存在というか地位というかの基礎となっているのは『帝国憲法』です。この帝国憲法を丸ごと否定してしまうと、国の運営ができなくなってしまいますし、また自分達の、国会議員であるとか陸軍大将であるとかの存在自体を否定することになってしまいます。そこで帝国憲法のうち都合の悪いものだけを無効にする、良いとこ取りの憲法解釈をしようというわけです。

で、この憲法の有効・無効を判断する拠り所の『国体』とは何かということになると、これはいろんな所に断片的に書いてある物の寄せ集めということです。いろんな物というのは、『教育勅語(教育に関する勅語)』『軍人勅諭(陸海軍軍人に賜はりたる勅諭)』『五箇条のご誓文』から始まり、『古事記』『日本書紀』までさかのぼる様々なもので、この中の国体を表していると考えられるものを細切れに拾い集めて、これこそ『国体』を示している文章だ、ということにしているものです。

天皇機関説事件の時、『国体明徴の声明』というものが2回にわたり政府から発表されています。これを読めば国体がわかるか、と思って読んでみると、この宣言の中味は『天皇主権説が正しくて、天皇機関説は国体に違反している』と書いてあるだけで、ではその『国体とは何か』ということは何も書いてありません。

国会での天皇機関説の議論も、議論に参加している全員が国体をきちんと理解しているという前提で行なわれていて(もちろん『国体なんて良く分からない』なんて正直に言ったら相手にされなくなってしまうわけですから当然のことなんですが)、皆が国体がどうのこうのと言っているんですが、正式に『国体とは何か』というのを明確にしたのは、その2年後、昭和12年に『国体の本義』という教科書を文部省が発行した時です。

2.26事件は昭和11年ですが、反乱軍の青年将校達の要求事項の中に、『国体の真姿顕現』という項目があり、要するに現実の国の姿を国体にもとづく、あるべき姿の通りに変えろ、ということですが『国体の本義』の発行は、2.26事件の翌年です。

このようにして天皇主義者たちは『国体』をお御輿のご神体に祀り上げ、自分達で勝手にそれを振り回して現実の憲法や政治を動かしたわけです。

で、戦争が終わり帝国憲法が日本国憲法に変わり、天皇は天皇主権説の天皇でも天皇機関説の天皇でもなくなり、象徴天皇になりました。

これでもう『国体』などという訳の分からないものに振り回されることはなくなったのかと思うと、今度は立憲主義の憲法学者達が『国体』に代わって『憲法』というものを持ち込んだようです。この『 』で囲んでいるのは、現実の憲法とは別に『憲法』という新たなご神体を持ってきている、そのご神体というくらいの意味です。

そして前と同様、『憲法』に反する憲法の規定は無効だ、とやり出したわけです。もちろん『憲法』の中味は?と聞いた所で、ちゃんとした答が返ってくるわけではなく、意味不明な言葉が返ってくるだけです。彼らの頭の中でこれは『憲法』に合っているか違っているか勝手に考えるだけなのですが、その『憲法』の中に、たとえば『憲法の規定は変えてはいけない』ということが入っていると、現実の憲法にいくら憲法の改正手続きが書いてあっても『憲法は変えてはいけない』ということになるわけです。これが彼らの言う『立憲主義』ということになるわけです。

現実の憲法は実体がありますから、そう勝手に自分達の都合の良いように使い回すことはできませんが、ご神体の『憲法』であれば中味が不明なものですから(あるいは中味がからっぽなのかもしれません)、自分達の都合に合わせてどのようにでも言い張ることができます。誰か不信心な不敬な者がいて、そのご神体を見たいなんて言ったとすると、『罰あたりめ、お前らなんかのような不信心者に神様が見えるわけがあるか』なんて訳の分からないことを言って、ごまかすことができます。

このようにして、天皇機関説事件の時の天皇機関説排撃側のやり方と、今の立憲主義の憲法学者達の訳の分からない言い分と良く似てるな、という話です。

憲法学者は『憲法』と憲法を、どちらもケンポーと言って、その時々の都合に合わせて『憲法』と憲法を使い分けているわけですから意味を理解しようとしても理解不能な、支離滅裂な議論になります。

国体であれば同じようにわけのわからないことでも少なくとも憲法と国体と、言葉を分けているだけまだましですが、ケンポーとケンポーを使いまわしていると、多分自分でも訳が分からなくなるんでしようね。

夢野久作『近世快人伝』

7月 27th, 2015

少し前、杉山龍丸『我が父 夢野久作』を紹介しましたが、こんどは夢野久作がその父杉山茂丸を書いた『父・杉山茂丸を語る』を読んでみました。そのために夢野久作全集の第7巻を借りたら、『近世快人伝』というのが最初に入っていて、それも読みました。

この『近世快人伝』、まずは頭山満、次に杉山茂丸、さらに奈良原到、最後に篠崎仁三郎という4人の評伝というかエピソード集というか、を集めたもので、その4人の快人というか怪人ぶりが生き生きと描かれています。

最初の3人は玄洋社に関わりのある人たちで、3人目の奈良原到の所で、玄洋社というのは健児社の進化というか変化というか、なれの果てというか、そういうものだ、と書いてあり、この一言で玄洋社の何たるかが何となくわかったような気がしました。福岡の暴れん坊達が集まって、皆でいろいろ暴れまわった、そのグループということです。薩摩の健児達は多くが西郷さんと共に討死し、残りは東京で出世したけれど、福岡の健児たちはどちらにもならずに玄洋社になった、というところでしょうか。

頭山満というのはその玄洋社におとなしく担がれていたのが、杉山茂丸というのはその玄洋社に収まりきらずに一人離れて、訳の分からないことをした人だったようです。

最後の篠崎仁三郎の所は、伝記というよりはむしろ落語を読んでいるようなもので、このまま落語になりそうな話です。どこまで本当のことかわかりませんが、とにかく楽しい読み物になっています。

私は夢野久作というのは『ドグラ・マグラ』なるオドロオドロしい怪奇小説を書いた人だ、というくらいな認識で、読んだことはなかったのですが、初めて読んであっけにとられました。とんでもない作家のようです。

せっかく借りたので、ついでにいくつか読んでみると、『創作人物の名前について』という、小説の登場人物にどのように名前をつけるか、とか『恐ろしい東京』という、ふだん福岡の山の中に住んでいる自分が東京に出てきてとんでもない体験をすることとか、とても面白いエッセイでした。『スランプ』という、自分がスランプに陥って書くことができないんだけれど、スランプに陥っていることについてならいくらでも書けるなどという、人を食ったようなエッセイもありました。

小学校に上がる前に四書五経をそらんじていたという天才とはとても思えないような文才で、とんでもない人もいたもんだ、と思いました。

つい最近亡くなった鶴見俊輔さんにも『夢野久作』という評伝があるようなので、次はこれを読んでみようと、図書館に予約を入れました。

『集団的自衛権』と『包括的他衛義務』

7月 17th, 2015

安保法制の衆議院の特別委員会の裁決が終わり、昨日が衆議院本会議での採決でした。
これで参議院での議論が始まるまでちょっと一休みですが、個別的自衛権は合憲だけれど集団的自衛権は違憲だという議論は相変わらずですね。

で、これに関連して砂川事件の最高裁での判決書を読んで先日紹介したのですが、その続きでもう少し書いてみます。『包括的他衛義務』というのは、とりあえず私が勝手に作った言葉なので、以下の話を読んでみて下さい。

砂川事件の最高裁の判決書には『理由』、の本文の次に各裁判官による補足意見が付いています。この中で裁判長であり最高裁判所長官であった田中耕太郎さんの意見は次のようになっています。

まず自衛権について、国家がその存立のために自衛権を持つことは当り前の話で、憲法にそれが書いてあろうとなかろうと当然のことだ、と言います。さらに一つの国の自衛は、周りの国にも直接の影響を及ぼすので、『自営というのは権利であると同時に義務でもある』と言います。即ち、ある国家が勝手に自衛権を放棄してしまうのは、はた迷惑な話だからやってはいけない、ちゃんと自分の国は自分で守るのは義務だ、と言っています。

さらに国際協調の時代、自分の国の防衛だけ考えて他の国はどうなっても良いというのは間違っている、自分の国の防衛だけでなく、他の国の防衛もちゃんと考えて協力しなければならないとして、それは日本国憲法の前文にちゃんと書いてある、と言っています。
ここの部分を『包括的他(国)(防)衛義務』と言ってみました。包括的、というのは、特定の国だけ守るんじゃなくてどこの国でも守る、くらいな意味です。

憲法の前文が憲法の一部なのか、憲法とは別の作文なのかというのは色々議論のある所ですが、一般的な解釈では、多少の強弱の差はあるものの、憲法の一部だということになっています。

それで憲法の前文を読んでみると、驚いたことに、確かにそう読めるように書いてあります。こんな読み方、初めて知りました。こうなると、集団的自衛権が合憲なのか違憲なのかという話とはまるで別次元で、日本は他国の防衛のために戦う義務がある、という話になってしまいます。

ただでさえややこしい安保法制の議論の最中に、このようななおさらややこしい話を持ち出すのもなんなんですが、まあこのブログを読む人も殆どいないでしょうから、忘れないうちに書いておきます。

国民の理解

7月 16th, 2015

マイナンバー制度がいよいよこの秋から始まります。
これをビジネスチャンスとして、いろいろな会社があることないこと煽り立ててアドバイスを売ろうとしたり、不必要なシステムを売りつけようとしているようです。

で、このマイナンバー法制ですが、いつの間にできた法律なんでしょう。法律ができた時、国民は十分理解していたんでしょうか。

今、安保法案について『国民の理解が十分でないので採決すべきでない』という議論がさかんに行われています。このように言っている人は、マイナンバー法制について同様の主張をしていたんでしょうか。

確かに安保法制について十分理解が進んでいないのかも知れません。しかしそれは政府の説明不十分というだけのことでしょうか。民主党をはじめとする野党が国民の理解を妨げていたということはないでしょうか。ロクでもない質問を何度も繰り返し、国会の審議時間を空費したのではないでしょうか。

もし国民の理解不足が法案の採決をさせない理由になるとすると、今後国会の議論で法案に反対する側は議論をするのでなく、相手の説明を妨害し、国民に誤解・不信感を植え付けることが大いに有効な戦略となります。

今日そのような理由で採決が先送りされなくて良かったと思います。

さらに国会での立法に関して、国民の理解は必ずしも必要とされていません。国民もそれほど暇ではないので、一つ一つの立法案を全て理解しようなんて面倒なことはしたいとは思わないはずです。その代わりに国民の代表として国会議員を選挙で選び、高い給料を払って国民に代わって法律案を審議し、採決することを委託しているわけです。全てを直接国民に任すということであれば、国会議員の存在理由がなくなってしまいます。

このあたり、民主党の先生方はどう考えているんでしょう。
多分何も考えていないんでしょうね。